皇子様はわたしの嫁だぞ

第三話

 皇帝ゼノン12世が外交遠征を終え、帝都に戻ってきた。マドカはユーリ皇子として、久しぶりに皇帝一家で朝食をとる。

「父上のほうはどうでしたか? 西方諸国の動きは」

「なんとかひと段落させたぞ、各国の穏健派と口裏を合わせてな。それより気になったのは地下迷宮のほうだ。ダリア公国の異変以降、地下で魔力が変動しておる」

 初日ほどではないものの、帝国の最高権威との食事には緊張させられた。しかし皇帝が顎鬚を撫でると、皇后はしれっと眉を顰める。

「あなた、食事中ですよ」

「す、すまん」

 ユーリの父親も母親も、息子の異変にはまだ勘付いていない様子だった。ただし妹のモニカだけは、何やら含みのある視線を投げかけてくる。

「……お兄様、最近ちょっと変じゃない?」

「えっ? そ、そんなことはないぞ」

「だって、急にモンスター退治に出かけたり……朝ご飯だって、ほら」

 皇帝一家の朝食は基本的にトーストであるにもかかわらず、ユーリ皇子は白飯を用意してもらっていた。白米でなければ、マドカとしては一日が始まらないからである。

 息子のそんな変化を、皇帝は好意的に受け止めていた。

「はっはっは! 飯はしっかり食っておけ」

 いつになく上機嫌になって、強面を緩ませる。

「討伐任務の話も聞いたぞ。勢いあまって、沼に落ちたとな。わっはっは!」

「お、お恥ずかしい限りです」

「謙遜するな。剣を持ち始めたばかりのお前が、いきなり戦えるなど思うておらん。だがそうやって、成功でも失敗でも経験していくことでこそ、強くなるのだ」

 息子の凱旋が本当に嬉しいらしい。

(ユーリのやつ、元に戻っても稽古は続けてくれるかな……)

 先走ってしまっただろうか。とはいえ今回のモンスター討伐で、ユーリ皇子は評価を跳ねあげ、騎士団との関係も構築できた。本物のユーリにも頑張ってもらうほかない。

 同じように本物のマドカのほうも、環境が激変しているはずである。

「ところでユーリよ。嫁は自分で探す、と宣言したそうじゃないか。わしも連中のカオを見てやりたかったわい」

「笑いごとではありませんよ、あなた。ユーリには家柄、教養ともに、帝国で最高の淑女を迎える義務があるのですから。それが自由恋愛などと言い出そうものなら……」

 おおらかな皇帝に、皇后は帝国貴族の視点から釘を刺した。何かと猛進しがちなゼノン12世を制御できる彼女の豪胆さと聡明さに、マドカは同性として感心する。

(さすが皇帝陛下の奥方様だ。肝が据わってらっしゃる)

 皇帝はトーストを齧りつつ、妻に視線を投げた。

「ユーリの嫁といえば、ブライアント侯爵家の娘は最近、どうなのだ?」

「――けほっ!」

 白飯をかきこんでいたマドカは、反射的に噎せてしまう。

 行儀の悪い息子をテーブル越しに窘めながら、皇后は隣のモニカを撫でた。

「何をやってるのです、ユーリ。……マドカ=ブライアントなら、最近はモニカが仲良く遊んでるのではなくて?」

 モニカ皇女がそっぽを向いて、口を尖らせる。

「べ、別に仲良くなんかないわっ。花嫁修業っていうから、私が教えてあげてるの」

「あれで家柄は申し分ないのですけど、教養のほうが……ねえ?」

 ぐうの音も出なかった。しかし『女子力』さえ磨けば、ユーリ皇子の花嫁として充分、候補に挙がる。とりわけ皇帝は、勇敢な女騎士を気に入っているようだった。

「悪くはないんだがのぅ、あの娘は。強い子も産めよう」

「あの子なら騎士団の誰かと結婚するでしょう」

「あんなのがお兄様と結婚するなんて、私はイヤよ。ぜ~ったいにイヤ」

 ぼろが出ないうちにマドカは食事を済ませ、食堂をあとにする。

「先に失礼します。オレアノと約束がありますので」

 さしものマドカも結婚を意識し始めていた。貴族社会では若いうちに縁談を進められるのが一般的で、十九歳のマドカ、十八歳のユーリはともに適齢期を過ぎつつある。公爵家の次男でありながら、二十二歳になっても独身というオレアノがおかしい。

 そんなマドカの悩みの種は、もっぱらギュール=スタンだった。

 ギュールはインペリアルガード第三部隊の副隊長にして、マドカの右腕。さる名家の次男であり、武芸に秀でているのは勿論、学識も高い。

 ブライアント侯爵家は直系の男児に恵まれなかったため、婿養子を探していた。身近な次男坊は間違いなく候補に挙がる。

 そのギュールから先日、マドカ=ブライアントは交際を申し込まれてしまった。

(わたしが返事を考えるんだよな? うぅむ……ギュールか)

 ギュールのことは決して嫌いではない。同じ騎士なのだから価値観が近いし、これまでの付き合いもあって気心も知れていた。

ただし告白されたのは、中身がユーリの『まどか』だ。本物のマドカとして納得できるはずがない。だからといって下手を打てば、ギュールの純情を踏みにじってしまう。

 とにかく元の身体に戻らないことには、ギュールの件も決着がつきそうになかった。今日こそオレアノから調査の成果を聞くため、彼の部屋へと急ぐ。

「あの、ユーリ様!」

 ところが途中で、ひとりの少女に呼び止められた。

「なんだ? 確か……そう、ソアラだったな」

 凱旋バーベキューの折にセルゲイが連れてきた、娘のソアラだ。しおらしい足の運びで皇子に並び、花の香りを漂わせる。

「先日は父がご無礼を致しまして、その……申し訳ございませんでした」

「お前の気にすることじゃないさ。ぼくも言い過ぎてしまったしな」

 マドカはちらっと彼女を眺め、その可憐さに舌を巻いた。

(帝国令嬢はかくあるべし……)

 まさしく上流階級のレディーとして、たおやかな気品を自然体でまとっている。歩くだけでも、一輪の大きな花が揺れるみたいで麗しい。

 155センチという小柄なユーリの背丈を超えることもなかった。

「今日はどうした、ぼくに用事でも?」

「そ、それは……あのっ、ちゃんとお話がしたくって。いえ、お父様に言われたからではなく……ユーリ様とお茶をご一緒できたら、と」

 ソアラが顔を赤らめ、もどかしそうに指を捏ねくり合わせる。

(他意はないようだが……ユーリの知らんところで、これ以上、あいつの生活をひっかきまわすのもな)

 セルゲイの権力欲は警戒すべきでも、闇雲に彼女を避けるつもりはなかった。しかし元に戻った時の辻褄合わせを、今より難解にするのは避けたい。

「すまないが、ぼくはこれから大事な用事なんだ。お茶なら今度でいいか?」

「はっ、はい! ありがとうございます!」

 皇子が二つ返事をしただけで、ソアラは万感の笑みで舞いあがった。控えめな胸の前で両腕を寄せ、可愛いらしいガッツポーズを決める。

「トーナメントではわたくし、ユーリ様のために全力を尽くしますわ!」

「……は? トーナメント……?」

 淑女との語らいには場違いすぎる言葉に驚き、マドカは足を止めた。

 ソアラが正面にまわり込んで、ユーリ皇子(マドカ)の顔を斜め下から覗き込む。

「ご存知ないのですか? ユーリ様の妻の座をかけて、候補者たちで勝負することになりましたの。必ずわたくしが勝ってみせますから」

「なんだってえ?」

 妻を迎える立場にある本人は、恐るべきトーナメントの存在に驚愕した。あとずさった拍子に柱にぶつかってしまう。

「しっ知らんぞ! ぼくはそんなもの、開催した憶えはない!」

「皇子が仰ったのではありませんか、私たちに『自分の家に相応しい相手を自分で探せ』と。そうしたらお友達も全員、ユーリ様しかいない、という結論でまとまりまして」

 彼女たちの発想に面食らい、マドカは軽い眩暈に襲われた。

「あれはそういう意味で言ったのでは……大体、どうしてトーナメントに」

「皇子に相応しい女性を皆で公平に決めまして、誰が勝ったとしても、帝国のため勝者を祝福しましょう、というお話に……」

 本当のことらしく、眩暈の次は頭が痛くなってくる。

 確かにマドカは先日、発奮した勢いで彼女らにも強く言い放った。それがトーナメントの発端になるなどと、想像できるわけがない。

(勝負事で決めようとは、いかにも帝国らしい……勇ましいじゃないか。ギュールのことだけでも厄介なのに、ユーリの花嫁を決めるだと?)

 帝国令嬢らの底力に恐怖し、ユーリ皇子(マドカ)は口元を引き攣らせた。

「と、とにかく急ぐんでな」

「あっ、ユーリ様?」

 前向きすぎる少女を振りきり、早足で階段を降りていく。

 

 廊下に人がいないうちに、マドカはオレアノの部屋に忍び込んだ。扉を閉ざし、ソアラを振り切れたらしいことに安堵する。

「やっと来てくれたかい、マドモアゼル」

 部屋ではオレアノのほかに、ユーリとアリエッタも待っていた。ユーリはマドカの身体で大学のテキストを広げている。

「なんだか顔色が悪いよ、マドカ。ぼくの身体に問題でも?」

「それは大丈夫だ、寝起きが少々つらいくらいでな。……で、オレアノ。わたしたちは元に戻れるのか?」

 オレアノは煙草を灰皿に押しつけると、窓を固く閉めた。

「そのことについてだけど……何から話そうか」

 公爵家の次男が住む部屋は、ソファも絨毯も最高級のものが揃えられている。しかし鹿の剥製を飾るなど、趣味の悪さも目立つ。

 そんな部屋の主は鬱陶しい長髪をかきあげ、声のボリュームを落とした。

「……戻れない、と言ったら?」

 淡々とした一言に、マドカもユーリも互いの顔をぎくりと強張らせる。

「なんてね、ちょっとした冗談だよ。安心してくれたまえ」

「やめてくれ……心臓が止まるかと」

 オレアノの言動には悪ふざけが混ざりやすいことを失念していた。マドカは呆れつつ、ユーリの隣に腰を降ろす。

改めてオレアノは一冊の古文書を開いた。

「禁書保管所に潜り込んで、やっと見つけましたよ」

「そんなとこに入っちゃって、平気なの? オレアノ」

「ご心配には及びません。それよりこの本によりますと……ユグドラ・シランガナには、ご先祖様たちもほとほと手を焼いた、と。やはりあの樹の仕業で間違いありません」

 現在と同じ文字であるものの、文法にずれが多く、マドカには読めない。ただ、例の大樹が描かれているのはわかる。

 博識なユーリがすらすらと読み解いてくれた。

「七至宝のひとつ、ユグドラシル。我々はこの力を取り戻すべく――」

 それはゼノン帝国が勃興するよりも遥か以前のこと。人々の願いを聞き入れる神の至宝『ユグドラシル』なるものが、この地に存在していたという。

 しかしユグドラシルは、その強大すぎる力ゆえに封印されてしまった。人々がユグドラシルを悪用し始めたことで、神の怒りがくだったらしい。

「ユグドラシルを復活させようとして出来上がったのが、あの樹、なのでしょうか?」

「アリエッタ君は勘がいいね。ユーリ皇子、このページです」

 ところが人々はユグドラシルの恩恵を忘れることができず、自分たちで至宝を作ろうとした。そうして試行錯誤の末に完成したのが、あの大樹というわけである。

 その名をユグドラシル・ガンマ。

 だが、それは至宝の力を完全には再現できず、人々の願いは何ひとつ叶えられることはなかった。オレアノが皮肉を噛むようにはにかむ。

「ご先祖様が八つ当たりして『シランガナ』なんて呼んだんだろーねえ」

「まったく……その神とやらも、最初から至宝なんぞ与えなければよかったんだ」

 とばっちりを受けているマドカは辟易として、溜息に愚痴を混ぜた。

「あっ! ここだよ、マドカ!」

 古文書に目を通していたユーリが、急に声をあげる。

「ユグドラシル・ガンマにはオリジナルほどの力がなく、効果も長続きしなかったって。最初期の混乱は百日で治まった、とあるよ」

「本当か? じゃあ百日経てば、元に戻れるというわけだな、ははっ!」

 マドカとユーリは一緒になって喜び、ハイタッチを交わした。

「やったね、マドカ!」

「ああ! これでもう安心だぞ」

 オレアノが古文書を取り、解釈を深める。

「どうかな……? マドモアゼルたちのように入れ替わったままで落ち着いた、という可能性も考えられるし。もう少し調べてみるしかないね」

「う。そ、そうか……」

 しかし古文書の記述は曖昧で、解決策を知るには至らなかった。

 アリエッタが不満そうに唇を曲げる。

「とんだ至宝でございますね。そんな技術力があるなら、ダイヤモンドを無限に吐き出す泉でも作ればよろしかったのに。……はあ~、もったいないことです」

 守銭奴の暴論はさておき。

「ユグドラシル・ガンマによる奇跡は、具体例も残っています。解決できたという記述も見かけましたし、悲観的になるのはやめにしましょう」

「オレアノの言う通りだね。それまでもう少し、今の交換生活を続けてよっか」

 いずれ元に戻れる可能性は、気休めであっても肩の荷をおろしてくれた。

 オレアノが窓を開け、こもった空気を入れ替える。

「内緒話はこれまでとしよう。うん、今日も夏らしい空じゃないかい」

「貴公、禁書を戻す時は気をつけろよ? 管理してるのは、確かセルゲイ卿だろう」

 マドカもドアを開け、オレアノのむさ苦しい部屋に風を通した。

そこにちょうど彼の友人が訪ねてくる。

「オレアノ! 灰皿を置いていくな、と何回言わせ――」

「おおっ、心の友よ! わざわざ口実を作ってまでボクに会いに来てくれるなんて。フフフ、ボクにおねだりしてるのかな?」

 不意に沈黙をもたらしたのは、オレアノの薄ら寒い冗談ではなかった。

(……参ったな、この空気は)

 ギュールが意中の『まどか』を前にして、初々しく赤面する。

「し、失礼! 隊長もご一緒とは思わず……」

「ええと、き、気にしないで。オレアノと仲がいいのね、ギュール」

 これは気まずい。

(中身がユーリのわたしに惚れたってことは、結局ギュールは誰に惚れたんだ……?)

 事情を知っているメイドが、やや強引に灰皿を回収した。

「わたくしが片づけておきましょう」

「で、ではオレはこのへんで」

 会話の続かなくなったギュールが、渋々と退室していく。

 勘の鋭いオレアノは煙草に火をつけ、いやらしい笑みを浮かべた。

「ふっふっふっ……なんだい、なんだい? 今のビミョーな空気はなんだ~い?」

 敏腕な外交官だけのことはあり、状況を一目で見抜いたらしい。嘘をつけないタイプであるギュールのぎこちなさも、実にわかりやすかった。

「お兄さんに相談したまえ、マドモアゼル。青春の恋の駆け引き、ボクも応援させていただこう! うーん、いい詩が浮かびそうだ」

 オレアノを封殺するべく、マドカはあえて心を鬼にする。

「すまないが、二十二の独身貴族は黙っていてくれ」

「ぐはあッ! マドモアゼル、それは禁句……」

 まだ身を固めていない、もとい固められない独身は、窓際で煙草の味に没頭した。

 マドカとユーリは溜息を重ね、恋の駆け引きとやらに頭を悩ませる。

「どう答えたものか……。いっそ中身が入れ替わってることを、正直に話すか? あいつなら黙っていてくれよう」

「でもマドカ、ギュールさんとなら、その……ないの?」

 ユーリは不安そうな面持ちで、断片的に尋ねてきた。マドカとギュールの婚姻が不自然ではないことを、察している。

「なきにしもあらず、なんだが。ギュールをそんなふうに意識したことがなくて」

 マドカとて困惑している。しかしブライアント侯爵家の娘として、前向きに検討しなければならないことは、薄々わかっていた。

 それに色恋沙汰の問題を抱えているのは、自分だけではない。マドカは皇子を巡ってのトーナメントを思い出し、たどたどしい語りで白状した。

「……実はお前のほうも、花嫁候補たちが暴走してるらしくてな……」

「ぼくのほう?」

「わたしにもよくわからないんだが」

 ユーリ皇子の妻になるべく、貴族の少女たちが勝負事を始めたこと。

 その勝者がユーリと結婚する方向で話が進みかねないこと。

「――と、いうワケなんだ」

 傍で聞いていたアリエッタが呆れ、舌を吐いた。

「どうしてこう、帝国は何でもかんでも脳筋の発想なのでしょう? トーナメントの優勝賞品がユーリ様だなんて……嘆かわしい」

 生粋の帝国民ではない彼女の言葉が正論すぎて、恥ずかしい。

 渦中に立たされることになったユーリが、マドカの身体で頭を抱え込む。

「まずいよ! 父上があっさり認めちゃいそうで」

「陛下はこういうのお好きだろーな、うん」

 皇子の花嫁の座を懸け、一流のレディーが競い合うなど、注目度が高すぎた。おまけにユーリ本人がけしかけたもの、と認知されてしまっている。

 トーナメントの勝利者は名実ともにユーリ皇子の花嫁となるだろう。

 心の中でマドカは迷い、沈黙を噛んだ。

(わたしがギュールと結婚すれば、ユーリもほかの誰かと……)

ユーリと一緒に苦悩してやるべきなのか、鼓舞してやるべきなのか。急な縁談に戸惑う彼と、できることなら一緒に悩んでやりたい。

しかしユーリは帝国の皇子であって、いずれ皇帝となる。身を固めるのなら早いほうがよく、トーナメントも、相手を見極める絶好のチャンスだった。

「そ……そうそう! セルゲイ卿の娘で、ソアラという子がいるんだが」

 声を裏返しながら、マドカはユーリに発破を掛ける。

「セルゲイ卿のことはともかく、ソアラはふわっとしてて可愛いし、並んでみるとお前といい感じだったぞ。ここはひとつ、前向きに考えてみてはどうだ?」

 無理強いにならないよう、提案くらいのつもりで。

「ソアラでなくとも、お前にぴったりの伴侶が見つかるかもしれんし……うおっ?」

 トーナメントの優勝賞品が、マドカの身体でいきなり『闘気』を練りあげた。何の修練もなしに、荒ぶる感情だけで、ロングヘアを蛇のごとく揺らめかせる。

「……マ、ド、カ……本気で言ってるの?」

 温厚なユーリのものとは思えない、鬼気迫る表情だった。マドカの顔で、まさに隊長らしい破格の怒気を滲ませる。

「おぉ、お前が嫌ならいいんだ! うむ、トーナメントなんぞは阻止しよう」

うろたえるマドカに対し、ユーリはおもむろに立ちあがった。

「言ったよね? マドカ。帝国男児たるもの、自分の花嫁くらい、自分で探して自分で口説けって……僕、今すごくそう思ってるんだよ。……わかる、よね?」

「もしかして、好きな女性でもいるのか?」

 本物のマドカは気圧され、鹿の剥製にしがみつく。

 ユーリはマドカの身体で、これまでになく精悍とした顔つきで言い放った。

「トーナメントには僕も出場するぞ! マドカとして!」

「はっ、はああぁ~?」

 突拍子もない決意表明に度肝を抜かれ、マドカは限界まで口を開く。

「おおっおい、待て! お前の花嫁を選ぶのに、どうしてお前が出場するんだ!」

「僕だから出場するんだよ! こうなったら意地でも優勝してやるからね、マドカ!」

 アリエッタは一万クレット札に頬擦りしつつ、嘆いた。

「おいたわしや、ユーリ様……お嬢様がアホで申し訳ございません」

「フツーは女性のほうが早熟なんだけどねえ。はあ、マドモアゼルときたら」

 オレアノは煙草を燻らせ、うなだれる。

「こうしちゃいられない。アリエッタさん、サポート頼むよ!」

「承知致しました。わたくしはユーリ様の味方ですので。何もおわかりでない、どこぞのオンナに、落とし前をつけて差しあげましょう」

 部屋を出て行くユーリたちを、マドカは追いかけようとしたが。

「なんだ? どうして怒ってるんだ、ユーリ! 理由を言ってくれ!」

 バタンッ!

勢い任せにドアを閉ざされ、頑なに拒絶されるのだった。

 

 夜になっても寝付けないマドカは、机の鏡に溜息をぶつける。そこにはユーリの憂い顔があり、マドカの困惑をありありと浮かべていた。

「お前は一体どうしたいんだ……?」

 花嫁トーナメントは盛大に開催される運びとなり、マドカ=ブライアントの出場表明も皆の知るところとなった。

 花嫁修業はユーリ皇子に嫁ぐためだった、とメイドたちは大騒ぎ。

 そのうえギュールの件もあった。マドカの出場を知って、愕然としたに違いない。

「わたしに怒ってたんだよな、ユーリのやつ」

 マドカは頬杖ついて、じっと鏡のユーリを覗き込む。

「もしユーリが優勝したら、ユーリと結婚するのはわたしになるのか……んっ?」

 マドカは最大の盲点に気付き、がばっと顔をあげた。鏡のユーリに向かって『待った』のポーズを取り、眉間を押さえる。

(わたしが? ユーリと? 結婚……だと?)

 マドカ=ブライアントもまた皇子の花嫁として、家柄のうえでは資格があった。あとは教養次第で、ノミネートも説得力を持つ。

「わたしがユーリと……」

 改めてマドカは、将来結ばれるかもしれない男性の顔に見入った。

まだ若いせいか中性的な顔立ちで、強面のゼノン12世には似ていない。一方で皇后の面影は感じられる。

(昔のユーリはもっと丸っこい感じだったかな?)

幼い頃から見慣れているはずの顔つきが、今夜は不思議と大人びて思えた。

もしユーリと結婚することになったら、ブライアント侯爵家の大躍進となるだろう。名誉を重んじる騎士のマドカにとって、それは光栄の極みだ。

そのはずが、釈然としない。ユーリのことを考えると、胸がもやもやとして苦しい。

わたしでよいのか、という劣等感もあった。ソアラのように可憐な令嬢に比べ、マドカには女らしさが何ひとつ足りていない。すべてが不足している。

「ユーリ……お前はわたしに何を求めてるんだ?」

 勉強机のテキスト類は本物のユーリが持っていったため、マドカが読み途中の娯楽小説しかなかった。そこに以前はあった、あのノートの中身を思い出す。

 ユーリはマドカの写真を持っていたはず。もしかするとそれを回収するため、勉強を理由にテキストを持ち去ったのかもしれない。

「……待てよ? じゃあなんだ。ユ、ユーリのやつは……」

 結婚云々の以前に、もっと大事なことがあった。彼の気持ちだ。

「わたしのことが好きなのか?」

自分で口にして、その事実の重大さに驚く。

ユリシーズ=ゼノンファルスがマドカ=ブライアントに好意を向けているなら、今回の件も説明がついた。みるみる頬に熱が集まり、数秒としないうちに紅潮してしまう。

マドカがソアラを推すようなことを言ったため、彼は激怒したわけで。

「ききっ、き、急にそんなふうに言われてもッ!」

マドカはベッドに飛び込み、頭まで布団をかぶった。

赤くなった自分の顔、ないし『ユーリの顔』と、鏡で目を合わせる度胸もない。布団の中で気持ちを落ち着かせるつもりが、胸は勝手に高鳴るばかり。

(う、自惚れるなよ? マドカ=ブライアント。そう、これはわたしの勘違いで……)

もとより貴族社会において、色恋沙汰が荒れることは滅多になかった。いわば家同士の結びつきであり、当事者らも納得している。好きになったから縁談を進めるのではなく、縁談が固まってから相手を知り、尊重し、好きになるのだ。

ところがユーリは一国の皇子でありながら、自分の気持ちで動いていた。

そんな彼に対し、マドカは動くに動けない。

(聞いてないぞ! こんなこと!)

もう今夜は寝てしまいたかった。しかしがむしゃらにベッドに潜り込んでも、眠気は一向に来ない。目が冴えて、堂々巡りの考え事は耳から溢れそうになる。

(わたしがユーリと結婚……いやいや、まだ早いぞ?

 トーナメントの結果次第じゃないか。

でも、もしユーリがわたしの姿で優勝したら、結婚も現実のものに……。

ど、どうしてわたしなんだ?

それを言うならギュールのやつもだ! いきなりわたしに気がある、などど。

 だったら、わたしにも少しくらいは色気が?

 しかしその色気とやらも、中身がユーリだからであって……。

 じ、じゃあユーリのほうは、入れ替わる前から、わたしに気があったってことか?

 モニカ姫にゴリラなんて言われる、このわたしに?

あーもう、わからん!

わからんから今夜は眠らせてくれっ!)

 その夜は悶々と過ごし、やっと眠たくなった頃には朝日が昇った。

 

 

 花嫁トーナメントは三日に分けて開催されることになった。今週の一回戦と二回戦で、八人の候補者からベスト2まで選出し、決勝戦は来週となる。

 その華やかな戦いの、一回戦のステージとして、城の迎賓館が開放された。

花嫁候補らは一途な闘志を胸に集まり、戦いの前から煌びやかさを競いあっている。

迎賓館のホールは吹き抜けの二層構造であり、一階はトーナメント会場として、すでに大勢の観衆が開催を待ち侘びていた。

「ユーリ皇子も大胆なことをなさいますなあ。候補者を競わせるとは」

「ご自分の皇妃に相応しい女性を、見極めるおつもりなのでしょう。こうも派手に競争させられては、彼女らも外面だけではいられませんわ」

その様子を、ユーリ皇子(マドカ)は二階のテラスから眺める。

 トーナメント戦の主催者は皇子本人とみなされ、まさしく公認の花嫁が決まろうとしていた。これを勝手に撤回しては、マドカではなくユーリの面目が丸潰れである。

(はあ……。大それたことになってしまったな)

ここ数日は悩むばかりで、椅子に座っていても疲労感が抜けない。

 他人事で済むオレアノは、皇子の隣から会場を悠々と見下ろしていた。

「壮観だねえ。帝国でも誉れ高い家々のレディーが、キミを求めて真剣勝負をするというんだ。何とも健気で優美な戦いじゃないか」

「暢気なことを言ってられる場合か。下手をすれば、貴族同士で内輪揉めだぞ」

「その心配はいらないよ。フフフ、ボクに任せておきたまえ」

 彼にはトーナメントの進行役に就いてもらっている。勝敗を巡って諍いになったら、オレアノ流の舌先三寸で丸く納める算段だ。

 トーナメントの主旨は『誰がユーリ皇子に一番相応しいか』を、皆の前で決めること。ここで勝利をあげた一族は今後、貴族社会において目覚ましい躍進を遂げるだろう。

「それよりキミは決勝まで口出し無用だよ、マドモアゼル」

「……わかった。気をつけるとしよう」

 今日の一回戦では、八人の候補者から四人を選出する段取りだった。

「勝ちあがってきそうなのは、ソアラ嬢かな?」

「……貴公、またアリエッタと賭けていないだろうな」

 ユーリと入れ替わっていなければ、マドカもオレアノと一緒に、それはもう楽しく観戦していたのかもしれない。万にひとつも、名乗りを上げる可能性などなかったはず。

 ざわざわと会場で波が起こった。

「おお! いらしたようだね、大本命が」

「大本命? 誰のことだ」

 オレアノが含み笑いを浮かべ、ユーリ皇子(マドカ)に視線を寄越す。

「キミのことだよ、マドモアゼル」

 マドカは立ちあがり、会場を見下ろした。

 花嫁候補たちが最大のライバルとみなし、警戒しているのは、おそらく宰相セルゲイの娘のソアラだ。ところが、それとは別に注目度の高いダークホースも存在した。

 マドカ=ブライアント侯爵令嬢が、メイドとともに会場入りを果たす。

「ごきげんよう、皆様」

 その端正な顔立ちには、女の美々しさのみならず、騎士の精悍さがあった。ロングヘアを翼のようにまとい、凛々しくも華麗な風格を放つ。

 ドレスは胸をフリルで飾りつけながら、腰を絞り込んで、豊満なプロポーションを最大限に引き立てていた。スカートの裾からハイヒールが控えめに覗く。

(……あ、あれは本当にわたしなのか……?)

 本物のマドカは目を見開き、言葉を失ってしまった。

 まどか(ユーリ)がロングヘアをかきあげる仕草ひとつで、輝きを散りばめる。イヤリングやネックレスの色合いや配置も、計算が尽くされていた。

「アリエッタ、あなたはここまででよろしいわ」

「承知致しました」

メイドを従える口ぶりもさまになっており、ライバルの半数は気後れしている。

 トーナメントはマドカ=ブライアントの大胆不敵な登場によって、揺れつつあった。そのタイミングで司会のオレアノが、二階のテラスから声をあげる。

「ようこそお集まりくださいました! 本日はここに、我らがゼノン帝国の将来を担う覚悟を持った、最高のレディーが一堂に会しております! まずは拍手を!」

 一階の群集はテラスを見上げ、拍手の音を大きくした。

 パチパチパチパチ!

 ユーリ皇子(マドカ)も前に出て、花嫁候補たちを鼓舞する羽目に。

「ぼ、ぼくも見届けさせてもらおう。ぞ、存分に力の限りを、尽くしてくれ……」

 まどか(ユーリ)と目を合わせるに合わせられず、ソアラと視線をぶつけてしまう。

 皇子の興味を引けたものと思ったのか、ソアラは密かにピースを決めた。

(あの可愛さが、わたしにはないよなあ)

 自分が男子だったら、ころっと篭絡されてしまう気がする。

 オレアノは大げさなジェスチャーも交えて、花嫁候補をひとりずつ紹介した。

「それでは、本日より競っていただくことになる、麗しくも勇敢なレディーをご紹介しましょう! まずはこの方です、ソアラ=シモンズ様!」

 呼ばれた順に淑女が恭しく歩み出て、頭上の皇子に会釈を捧げた。

「ご紹介に預かりました。ソアラ=シモンズ……と申しますわ」

 アプローチ合戦はすでに始まっており、しとやかな物腰でありながら、『ユーリ皇子に気に入られたい』という気迫が伝わってくる。

八名の自己紹介を、マドカ=ブライアントのお辞儀が締め括った。

「マドカ=ブライアントと申します。私、負けるつもりはございません」

 まどか(ユーリ)は皇子(マドカ)を鋭いまなざしで睨みあげ、言い放つ。

「私は帝国で誰より……いいえ、この世界で誰より、ユリシーズを愛していますから」

 どよめきが起こった。公の場で愛を宣言したのみならず、皇子を畏れ多くもフルネームで呼び捨てにしたのだ。

「マドカ嬢も本気のようですな。前々から親しい間柄とは存じておりましたが」

「帝国令嬢たるもの、武芸もできて当然。マドカ様は決して不利ではありませんよ」

 本物のマドカはユーリの顔で、かあっと赤面する。

(なななっ、何を言い出すんだ、あいつは!)

 これでは自分が、皆の前で告白などした大胆な女、ということになってしまう。

 マドカは皇子専用の椅子に戻って、ふてぶてしく脚を組んだ。

(どーにかしたいが、もうどーにもならん! ユーリのやつ、憶えてろよ!)

 とりあえず今日のところはオレアノに任せ、戦いを見守るしかない。

「では一回戦を始めましょう!」

 かくしてトーナメントの火蓋は切って落とされた。

 

 第一試合は二部構成であり、午前はお菓子作り、午後は裁縫がお題となる。それぞれで点を獲得し、上位四名が週末の第二試合へと駒を進めることができた。

 どれも女性の技量を試される戦いであり、豊富な知識とセンスが求められる。

 一流の帝国令嬢たちは初戦より凌ぎを削った。

(わたしだったら勝負にならんぞ……)

 マドカはユーリ皇子の顔で、戦いの様子をまじまじと眺める。

 今までは『騎士の戦い』こそが至高のものだと思っていた。凶暴なモンスターに果敢に挑んで、己の剣技をもってして討伐すること。それこそが崇高な名誉である。

 しかし花嫁候補たちは今、剣を握らずとも、熾烈な戦いを繰り広げていた。趣向に趣向を凝らしたお菓子が次々と焼きあがり、観衆を大いに驚かせる。

 第一試合は題目からして不利に思われたマドカ=ブライアントも、美味しそうなパイを焼いた。菓子はヒマワリの形で、見た目にも愛らしい。

審査員であるモニカ皇女は、すべての菓子が完成してから会場にやってきた。誰がどの菓子を作ったのか、彼女は知らない。審査を公平におこなうためだ。

 モニカ皇女は試食を進め、特にヒマワリのパイを気に入った。満点となる5点が与えられ、拍手が起こる。

「ち、ちょっと? 私が5点を付けたのは、このパイだけよ? なんでマドカ=ブライアントに5点も入っちゃうの」

「それを焼いたのがマドカ嬢だからですよ、姫様」

「なんですってえ~? きっ、聞いてないわよ、そんなの!」

 マドカに満点を与えてしまったことに気付き、モニカ皇女は地団駄を踏んだ。

 ほかのお菓子も決して完成度が低いわけではない。しかしモニカの嗜好を熟知しているユーリだからこそ、巧みに審査員の高評価を得たのだった。

 ユーリ皇子(マドカ)の隣で、オレアノが感心する。

「正直な話、皇子には厳しい戦いになるんじゃないかと思ってたけど……これはベスト4入りも現実味が出てきたね」

「……貴公はどう見る? この戦い」

「そうだねえ。ほかの候補者はあくまで誰かにかしずくための品性だけど、ユーリ皇子のものは支配者の風格なのさ。それがキミの容姿と相まって、輝きを放ってる」

 ユリシーズ=ゼノンファルスが教養において、令嬢らに遅れを取るはずもなかった。観衆も次第にまどか(ユーリ)の実力を知り、優勝候補として持ちあげる。

 そんな隊長を応援するため、騎士団も集まっていた。ただし最前列のギュールだけは沈んだ面持ちで、ずっと腕組みを解いていない。

(ギュールにもフォローせんと……しかしわたしがユーリの顔で出ていっても、ややこしくなるだけか)

 彼はマドカに告白したはずが、そのマドカはユーリ皇子の花嫁になるべく奮闘しているのだ。おまけにギュールにとって、恋敵のユーリ皇子は主君である。

色恋沙汰に鈍いマドカでも、ここでギュールを迂闊に刺激する気にはなれなかった。

 昼の休憩に入ったところで、ゼノン12世が皇后とともに見物にやってくる。ふたりは兵とともに、迎賓館の二階まで上がってきた。

「盛りあがっとるじゃないか、ユーリ」

「父上、これから遠征ですか?」

 ユーリ皇子(マドカ)は起立し、父親に向かって敬礼する。

 ゼノン12世は本日より外交遠征だった。ゼノン帝国は外交において、皇帝自らが出張り、諸外国を威圧するのをスタンスとしている。

「北東の地下迷宮で少々、な。ついでに馴染みの友人と、温泉で骨休めするつもりだ」

「決勝戦までには帰ってきますわ。しっかりやるのですよ、ユーリ」

 今回は皇后も同行するらしい。

(オレアノのやつ、トーナメントの日取りを陛下に合わせなかったのか? ……まあ下手に聞いて、わたしがボロを出すのもまずいな)

 せわしない出立の前にこうして立ち寄ってくれたのだから、息子の花嫁トーナメントに相応の関心があるのは間違いなかった。

「それにしても、花嫁を勝負事で決めるなんて……はあ。あなた、お義母様に説明する私の身にもなってくださいな」

「わっはっは! 諦めることだ、今のうちに腹を括っておけ」

 強面の皇帝が愉快そうに笑う。

「では行くとするか。決勝戦、楽しみにしているぞ」

「あなた、モニカにも声を掛けていきましょう」

 皇帝夫妻は去り、マドカはユーリの身体でほっと胸を撫でおろした。

 帝国の最高権威から直々に応援されては、いよいよ引き返せない。トーナメントの優勝者はユーリと即日婚約となるだろう。

 午後の準備のため、花嫁候補たちが一旦さがっていく。

(本当にこれでいいのか? ユーリ……)

 休憩時間のうちに、マドカはこっそりユーリを追いかけることにした。観衆は候補者らのお菓子を試食してまわっており、廊下のほうは人気が少ない。

「待ってくれ、まどか」

 自分の後ろ姿を見つけ、声を掛ける。

しかしユーリは振り向かず、代わりにアリエッタがお辞儀で応えた。

「申し訳ございません。トーナメントの最中に皇子と接触することは、重大なルール違反となりますので」

「あ、ああ。それはわかってるが……」

 アリエッタに阻まれたのではなく、ユーリ本人に拒絶されたのだと、直感する。まだ先日の怒りが鎮まっていないらしい。そのうえ入れ替わっている状態では、人通りのある場所で話すのも難しかった。

 しかしマドカとて、ユーリに聞いて欲しいことがある。

「少しでいいんだ。あとでもいい、話をさせてくれ」

「ユーリ皇子! お耳に入れておきたいことが」

 そこへ騎士のひとりが駆け寄ってきた。神妙な面持ちで、ユーリ皇子に耳打ちする。

「何事だ? マルコ。ぼくは今……」

「お、恐れ入ります。実は城の中に賊……いえ、魔物がいるようです」

「なんだと? 本当か!」

 城内でモンスターが出現したとなっては、一大事だ。花嫁候補のひとりと悠長に痴話喧嘩などしていられる場合ではない。

「すまない、ユ……まどか。急用ができた。アリエッタ、まどかを頼むぞ」

「何やら物々しいですね。お気をつけください、ユーリ様」

 マドカはユーリの顔を引き締め、現場に急行する。

 

 荒らされたのはユーリ皇子の部屋だった。今朝までは少し散らかっていた程度なのに、倒れた本棚が、中身をありったけ吐き出している。

 花嫁トーナメントのほうに皆が集まっていたせいで、城内は手薄だった。フロアの守衛は負傷し、医務室へと運ばれたらしい。

「父上たちの部屋を見てきてくれ。何事もなければいいが……」

「了解です!」

 同伴の騎士らに検分を指示しつつ、マドカは引き裂かれたベッドを慎重に調べた。鋭い刃物で何回も水平に切ったような有様は、『爪跡』と考えれば納得がいく。

「モンスターがどうやって、ここまで入り込めたんだ?」

「自分にも見当がつきません。それ以前に、帝都が騒ぎになるものでしょうし」

 ここは帝都の中央にある城の、しかも八階の高さである。仮に魔物が空を飛んできたとしても、大勢の民が目撃するはず。それに窓には傷ひとつなく、鍵も掛かっていた。

 それこそ『賊の仕業』であるほうが、まだ現実味はある。

「父上が遠征に出てすぐ、とはな……」

 しかし何者かの策謀という線も無視できなかった。

「守衛は『化け物を見た』と言っています」

「化け物だと? うぅむ」

 ほかの騎士らも険しい表情で、襲撃の不可解な点に首を傾げる。

(犯人は魔物か? それとも……人間なのか?)

わざわざこの部屋を荒らしたのだから、犯人は意図的に皇子を狙った可能性が高い。つまりターゲットを選ぶだけの知能があり、野性のモンスターでは考えられない。

「恐れ入りますが、皇子。政敵に心当たりなどございませんか?」

「それなら父上の部屋を狙うだろう。ぼくの部屋を荒らしても、足しにならん」

 一方で知能犯の仕業にしては、あまりに粗暴だ。貴金属の類や高級な武具には目もくれず、皇子の部屋を荒らすだけ、という行動の目的がわからない。

(脅しか、警告か……。こんなまわりくどいやり方で?)

 マドカは考え込むのを切りあげ、指示をくだした。

「とりあえず『賊が入った』ことにして、みんなに警戒を促してくれ。魔物の仕業かもしれんことは、まだ誰にも気取られるな」

 迂闊に騒ぎ立てるのもまずい。指揮を執るにあたって、下手を打てば、ユーリの名に泥を塗ってしまうことになるだろう。皇帝も不在のため、慎重にならざるを得ない。

 それこそ花嫁選びにうつつを抜かし、おめおめと事件を見逃したとなっては、帝位継承者の沽券に関わった。

「……ところで皇子、今夜はどちらでお休みに?」

「適当に探すさ。ひとまず、ぼくはトーナメント会場に戻る。……あと、仮眠を取れる者は今のうちに取っておけ。今夜はひと仕事あるかもしれんぞ」

 ユーリ皇子(マドカ)はきびきびと踵を返す。

 

 

 花嫁トーナメントの第一試合はつつがなく終了した。ベスト4には宰相セルゲイの娘であるソアラのほかに、マドカ=ブライアントも勝ち残っている。

 おかげで城はお祭りムードだが、マドカの気分は乗らなかった。モンスターの件は別にしても、ユーリのことで思い煩ってばかり。

 ユーリの寝室が使えないため、マドカはオレアノの部屋に転がり込んだ。今夜は城内を巡回するつもりのため、ソファーで仮眠の体勢になり、眠気を待つ。

「もっと荒れるものだと思っていたよ、トーナメントは。特に外野がねえ」

「表向きは、な。どこに火種が隠れているか、まだわからんぞ」

 男性の部屋で寝ることに抵抗はあったものの、変人のオレアノにはさほど気を遣わずにいられた。オレアノのほうは窓際で、煙草を噛む。

「候補者の中だと、マドモアゼルは誰が好みなんだい?」

「わたしは女だ。好みも何も……」

「仮に『男だったら』の話だよ。ボクとしてはやっぱりソアラ嬢だけど、ターナ嬢とジェシカ嬢も捨てがたいね」

 誰でもいいらしい公爵家の次男坊は、未だに良縁に恵まれなかった。

「外交で遠出ばかりしていたら、きっかけもないだろ。アタックしてみたらどうだ? 公爵家の嫡子ではないにしても、いつまでも独り身でどうする」

「こ、これでもボクは結構モテるんだよ? こないだもメイドと一緒に……」

「メイドには面白がられてるだけじゃないか」

 マドカは手元にあったライターを、オレアノに投げて寄越す。

「お疲れのようだね。吸ってみるかい?」

「ユーリの身体なんだぞ、これは」

 不慣れな色恋沙汰で悶々とする日々が続くせいで、精神的な疲労が溜まっていた。

 交換生活だけでも厄介なのに、ギュールには告白され、ユーリの花嫁選びが始まって。おまけに花嫁候補に自分が挙がっていては、愚痴のひとつも言いたくなる。

「はあ……。どうしてこんなことになったんだ?」

他人事でいられるオレアノは、気ままに煙草を噴かせた。

「ベスト4入りだ、大健闘じゃないか。これなら優勝も充分、狙えるよ」

「ユーリが、だろ。中身がわたしだったら一回戦で終わってるぞ」

 候補者たちはさすが皇子の花嫁を自負するだけあって、立ち居振る舞いのすべてが麗しい。ハイヒールで躓くはずもなく、舞うように歩き、歌うように話す。

(わたしもあんなふうにできたらなあ……)

 中身は別人とはいえ、自分みたいな半端者が勝ち残っているのが信じられなかった。

 オレアノが愉快そうににやける。

「キミにはあれだけの素質があるんだよ、マドモアゼル。ちゃんとドレスを着て、もっと侯爵令嬢っぽくしていれば、誰よりも輝かしい帝国のレディーなのさ」

「そうかな……」

 身体が元に戻ったら、もっと前向きになるつもりでいた。以前は劣等感だけだった気持ちが、マドカにとって可能性の萌芽になりつつある。

 しかしユーリの演じる『まどか』を、素直に羨ましいとは思えなくもなった。

ギュールが心奪われたのは『まどか』であって、本物のマドカではない。ユーリもしとやかに振舞うことで、きっと理想のマドカ=ブライアントを演じている。

求められているのは、本当の自分ではないのだ。

「なあ、オレアノ。ユーリもギュールも、わたしには女らしくあって欲しい、ということだよな? 剣を振りまわすんじゃなくて」

 オレアノは静かにかぶりを振った。

「確かにギュールは女性らしいキミを見て、惚れたんだろうね。でも皇子は違うよ、マドモアゼル。皇子はキミが好きだからこそ、キミに女性らしくなって欲しいんだ」

 マドカは赤面するのを、不貞寝のポーズで誤魔化す。

「ユーリはわたしのことが……好き、か」

「そうだとも。ただ、勘違いしてはいけないよ。剣を振りまわしてるキミのことだって、皇子は大好きさ。誰よりもね」

 トーナメントの開会式でユーリは『この世界の誰より愛している』と宣言した。それが自分に向けられた言葉かもしれず、マドカは密かに胸を高鳴らせる。

「今度はキミが応える番だよ、マドモアゼル」

「……わたしだって侯爵家の娘だ。皇子に嫁ぐほど栄えある名誉は、ほかにない」

 よき相談相手であるオレアノは、溜息を漏らした。

「キミはもう少し視野を狭くするべきだね。近くするべき、というか……帝国のためとか名誉のためというけど、そんなものは実際、目に見えないじゃないか」

「しかし我々は帝国貴族なんだぞ。それを抜きにしては」

 マドカは上半身を起こしつつ、ユーリの前髪をかきあげる。

 帝国貴族には、第一にゼノン帝国のために尽くす義務があった。自分の都合を優先し、身内だけ満たされるような振る舞いは許されない。

国家の安全と民の生活が掛かっているのだ。

「だからといって、キミが本当にしたいことを軽んじてはならないよ。いっそ家族や恋人を特別扱いするくらいでいいのさ」

「そんな勝手な……」

「民もそうやって、ひとりひとり結びついているからこそ、今の帝国があるんだよ。キミも民任せにしていないで、正直になって、帝国を支えないとね」

 マドカにも侯爵令嬢として、まだまだ言い分はあったが、口達者なオレアノが相手では分が悪かった。彼は話し相手の意見を尊重しつつ、別の価値観を持ち込むのが上手い。

「……はあ、わたしの負けだ。貴公には勝てん」

 それにマドカ自身、オレアノの言葉にいくらか共感を覚えてしまった。貴族であることを言い訳にして、自分の気持ちから目を逸らそうとしていた気がする。

「まったく貴公は、お節介ばかり上手だな」

「そういう性分なのさ。ギュールのほうは任せておきたまえ。失恋した友人を慰めてやるのも、友の役目なのだからね」

 オレアノは煙草を噛みながら、てのひらをひっくり返した。

「こう見えて実はボク、神よりユグドラシル・ガンマの管理を仰せつかった天使なのさ。キミたちの事情には大いに責任を感じてるんだよ。……なぁーんてね」

「ははっ、貴公の冗談にしては面白いな」

 少し前向きになったところで、マドカは改めてソファーで寝転ぶ。

「……で、天使殿に心当たりはないのか? 魔物について」

「魔物に関しては、マドモアゼルのほうが詳しいんじゃないかい? それでもわからないとなると、地下迷宮から出てきた、とか……」

「陛下も北東の迷宮がどうこう、と仰っていたな」

 帝国領の東西にひとつずつある地下迷宮は、悪魔の巣窟と恐れられ、厳重に封印されていた。迷宮を領有する国家は、条約でその監視を義務付けられている。

 そこに潜む悪魔が地上に出てきたとしても、それが帝都の中央にある城の、しかも王子の寝室に現れるとは考えにくい。

「まあ、陛下がお留守でよかったじゃないか」

「どういう意味だ?」

 マドカはユーリの身体で寝返りを打った。

 オレアノは灰皿に煙草を引っ掛け、吸殻を伸ばしている。

「皇帝陛下がこのことをお知りになったら、城中が一気に物々しくなってしまうよ」

 血気盛んな皇帝がいれば、総出で魔物狩りになりかねないところだ。しかしゼノン12世は北東部の視察に出掛けたばかり。

 またインペリアルガードは第三部隊を城に残し、常日頃から任務に出向いていた。特に西方は緊張状態のため、多くの騎士が派遣されている。

「陛下がお戻りになる前に、さっさと片付けるのが得策か」

「それがベストだね。ついでに、ユーリ皇子の手柄にしてしまえばいいさ」

「ひと暴れしてやるのも面白いな」

 気休め程度にオレアノと喋るうち、仮眠の体勢に眠気がやってきた。

「何かあったら叩き起こしてくれ。この身体は寝起きが辛いんだ」

「朝の皇子はいつも気怠そうだからねえ。おやすみ」

嘘の寝息に釣られ、のこのこと近づいてきたオレアノには蹴りを入れておく。

 

 

 深夜零時に差し掛かる頃、インペリアルガードの第三部隊は城内の巡回を始めた。ユーリ皇子(マドカ)もギュールとともに真っ暗な回廊を進む。

 先行するマドカのほうがランプを掲げ、二刀流のギュールには臨戦態勢を取らせた。不気味なほど静まり返った夜の城内に、ふたり分の足音がコツ、コツと響く。

「さすがに夜になると涼しいな」

 帝国の夏は暑いものの湿気がないため、夜は急に冷え込んだ。おかげで寝入りは楽な一方、風邪をこじらせやすいデメリットもある。

「なあ、ギュール?」

「え、ええ。日によっては冷えるくらいですし……」

 ギュールは皇子に対し、過度にぎこちない素振りだった。『まどか』を交えて、皇子とは恋敵の関係にあるせいだ。そしておそらくギュールは皇子との対決を望んでいない。

 マドカとしてもこのままでは気まずかった。いつまでもこの調子では溝は深まるばかりだし、任務に支障も生じている。

(何と言ったらいいものか)

そこでマドカは、あえてツーマンセルでギュールと行動をともにした。真夜中の城内を巡回しつつ、関係を解すチャンスを待つ。

 四階の角を曲がって、異常なし。

「少しいいか? ギュール。まどかのことなんだが」

「は、はい。……やはりお気付きでしたか」

 マドカが揺さぶりを掛けると、ギュールは暗い面持ちで沈んだ。不本意にもユーリとマドカの間に割り込む形になったことで、罪悪感さえ抱いているのかもしれない。

「前々からおふたりは懇意だったようですから、自分はおふたりの邪魔をしてしまったのでは、と。申し訳ありません」

 そんな彼を突き放すほど、マドカは冷酷にはなれなかった。

 ふとオレアノの言葉を思い出す。

『ギュールのほうは任せておきたまえ。失恋した友人を慰めてやるのも、友の役目なのだからね』

 ギュールを傷つけずに済ませることは、まず不可能だろう。彼の気持ちを尊重したうえで、マドカが自分の気持ちに正直になることはできない。

 きっと自分はユーリを選んでしまうのだから。

「とにかくまどかのことは別にして、お前の力を貸してくれ。あてにしてるんだ」

 トーナメントの結果がどうあれ、ギュールの想いには応えられない。それが真摯な彼に対する、マドカなりの精一杯の返答だ。

「虫のいい話ですまない」

 マドカは皇子の顔で、一介の騎士に頭をさげる。

「いいえ! 皇子にお気遣いさせてしまって、恥ずかしい限りです」

 主君に頭を下げさせるなど、騎士にとっては屈辱ですらあった。しかしマドカの気持ちが少しは伝わったのか、ギュールが膝をつき、敬礼を改める。

 その表情は彼らしい精悍なものだった。

「賊であれ魔物であれ、今夜中に捕らえましょう」

「うむ! お前はそうでなくてはな」

 城の四階から渡り廊下を経て、やがて別館に踏み込む。方角によっては月明かりが差し込むおかげで、ランプを前方に押し出さずとも、それなりに視界を確保できた。

(わたしの部屋のほうか……)

 何かを感じ取ったギュールが、ユーリ皇子に目配せする。

 マドカの耳も妙な音を拾った。何者かがドアを叩いているようだ。

「皇子、これはまさか」

「単独犯とは限らん。気をつけろ」

 マドカたちは頷きあって、音の出所へと急いだ。足音を立てないように階段を上がり、そろっと上の廊下を覗き込む。

 マドカ=ブライアントの寝室に、おかしな影が入り込もうとしていた。

「渡サナイ、オ前ニハ絶対、渡サナイゾ……結婚ハ、ワハ……シガスル……!」

 呻きながら、扉をガリガリと引っ掻きまわす。

「わた……まどかの部屋だぞ!」

「隊長のお部屋なのですか? オレがやります!」

 すかさずギュールが暗闇の中を疾走し、黒い影に斬りかかった。

「てやあぁあああッ!」

 二刀流の連撃が相手を捕らえた、かに見えたが、暗すぎて判別できない。

「ギャウッ?」

 歪な影はギュールの脇をすばしっこく抜けた。続けざまにこちらに飛び掛かってくるのを、マドカは咄嗟に剣で応戦する。

「挟み込むぞ、ギュール! こっちだ!」

 足元でランプが転がった。それと月明かりを避けるように、影が逃げていく。

 あとを追って、マドカも廊下の角を曲がった。しかし次にランプを掲げた時には、謎めいた影はどこにも見当たらない。

「……すまない、ギュール。取り逃がした……」

「いえ、今のは自分が先走ってしまいました。皇子にお怪我がなくて何よりです」

 マドカ以外の部屋のいくつかが扉を開け、令嬢らが顔を覗かせた。マドカたちの大声で今しがた目を覚ましたのではなく、すでに例の物音で起きていたらしい。

「何の音ですの? さっきの」

「気をつけてくれ。まだそのあたりに魔物がいるかもしれんぞ」

「お城に魔物が出たのですかっ? わっ、わたくしたちはどうすれば……」

「すぐ騎士団を守備につける。落ち着け」

 フロアじゅうで照明が点き、一気に明るくなる。

「……なっ、なんだと?」

 それを目の当たりにして、マドカは我を忘れた。マドカ=ブライアントの部屋の扉が、すでに無残なほど引き裂かれていたのだ。

 爪跡だらけのドアを体当たりで突き破るようにして、室内に躍り込む。

「ユーリ! 無事か? わたしだ!」

「マドカ?」

 部屋の中では、ユーリがマドカの姿でクローゼットの陰に隠れていた。その正面でアリエッタがナイフを構え、守備を固めている。

マドカを見つけ、ユーリは強張っていた表情を緩ませた。

「ひとまず問題はないみたいだな」

「アリエッタさんがすぐに来てくれたからね」

 さすがに喧嘩どころではない。

「いきなりドアをガンガンって……さっきのは何なの?」

「わたしにもわからん。魔物だったか、人間だったか……うぅむ」

「あの、お嬢様がた……」

 さしものアリエッタも、神妙な顔つきである。

 ユーリ皇子の次はマドカ=ブライアントが狙われるとは思わなかった。

『渡サナイ、オ前ニハ絶対、渡サナイゾ……結婚ハ、ワハ……シガスル……!』

 聴き取りづらい言葉だったが、トーナメントとの関連が怪しい。

「ギュール、お前はどう見えた?」

 同じモノを近くで見たはずのギュールは、目を見開いたうえで、口をわななかせた。マドカとユーリの顔を見比べながら、指の向きを迷わせる。

「あ、あの……隊長? お、皇子と……?」

「どうした? お前はあれくらいでビビるやつでは……んぐうッ!」

 咄嗟にまどか(ユーリ)が皇子(マドカ)の口を塞いだ。

 本物のマドカも重大なミスに気付き、青ざめる。

(しまった! ギュールの前で!)

 緊急事態に動揺するあまり、入れ替わっていることを完全に忘れていた。皇子は侯爵令嬢を『ユーリ』と呼んだうえ、侯爵令嬢も皇子を『マドカ』と呼んだのである。

「わたくしの話をお聞きになりませんから……はあ」

 アリエッタがやれやれと肩を竦める。

「まっ、まさか……おふたりは、そんな、中身が違っているなんてことは……?」

「大声は出すな、ギュール!」

 大慌てでマドカは壊れかかった扉を閉めた。幸いほかの者は魔物に怯え、廊下まで出てきていない。今のうちにギュールを窓際まで押して運ぶ。

ここまで知られてしまっては、誤魔化しようがなかった。マドカたちは口を開き、実直なギュールに秘密を明かす。

「……今、このユーリの身体でいるのが、わたし……マドカなんだ」

「僕はユーリで、マドカじゃないんだ。実はね」

 義理と口が堅いギュールであったことが、唯一の救いだった。

 入れ替わった経緯に、彼は呆然と聞き入っている。

「――と、いうワケなんだ」

 ひと通りの説明が終わると、ギュールは白目を剥き、ふら~っと倒れてしまった。

「オレは……マドカ隊長でなく、ユーリ皇子にあんなことを……」

いつぞや爆発チョコレートを食べたみたいに。

ときめいた女性の中身が実は男性でした、などという頓珍漢な失恋のショックで、失神する。床に這い蹲った両手は、指をぴくぴくさせていた。

「し、しっかりしてくれ、ギュール!」

 マドカはユーリの顔で真っ青になり、ユーリもマドカの顔で狼狽する。

「これって、懐中時計は返してあげたほうがいいのかな?」

「それよりお財布が気になります。副隊長様はどれくらいお持ちなのでしょう」

 アリエッタはてきぱきとギュールを介抱しつつ、堂々とポケットの中を確認した。

 

 しばらくして騎士団が合流し、部屋の外で陣を敷く。

「副隊長ほどの実力者が……相手はそれほどに?」

「ま、まあな。手強いやつだった」

 敵に敗れたわけではないギュールは、気絶したまま担架で運ばれていった。アリエッタも付き添いとして退室する。

(それにしても、あれは一体? ギュールの剣は命中していたよな?)

 マドカはベランダに出て、ユーリとふたりきりになった。

「賊が出た、という話はお前も聞いてるだろう? ……実は最初に荒らされたのは、お前の部屋だったんだ。黙っていてすまない」

「そうだったの?」

 昼間の襲撃に関しては、混乱を避けるため、一部の情報しか公開していない。もとよりユーリには避けられていたこともあって、連絡が遅れてしまった。

「検分のためとはいえ、部屋はそのまましてあるんだ。悪いと思ってる」

「マドカのせいじゃないよ。それどころじゃないってこと、僕にもわかってるさ」

 マドカとユーリはお互いの顔を険しくして、考え込む。

 仮にマドカ=ブライアントを狙ったのが暗殺者であれば、あれだけ無暗に物音を立てて騒ぐはずがなかった。そのくせ夜間に行動するなど、人目を避けている節がある。

「トーナメントを邪魔したいだけかもしれんな」

「父上は城を出てったばかりでしょ? 隙を突かれてる気はするね」

「犯人が人間ならば、な。どうにも魔物の可能性があるし……しかし魔物だとすると、侵入経路がさっぱりわからないんだ」

 ユーリは柵に手を添え、雲の薄い夜空を見上げた。

「お城に魔物が出る原因なら、ひとつだけあるよ。……ユグドラシル・ガンマ」

 その名にマドカははっとする。

「そうか! 誰かが、あの大樹に願い事を……」

 七色庭園は特権階級の者だけが出入りを許されていた。それは特権階級なら誰でも自由に出入りができる、ということでもある。

 至宝の力を知ってか知らずか、花嫁候補の誰かがユグドラシル・ガンマに願ったのかもしれない。『ユーリ皇子の花嫁になれますように』と。

「いや、待て。私利私欲で願い事をすると、魔物になってしまうとは聞いたが……結婚願望というやつは、私利私欲に入るものなのか?」

 しかし願い事をしたからといって、必ずしも怪物になるわけでもない。現にマドカたちは中身が入れ替わっただけで済んでいる。

「どうかなあ。魔物になるっていうのも、オレアノが言ってただけだし」

 ましてや花嫁候補が魔物化しているなど、考えたくもなかった。トーナメントでは誰もが帝国令嬢として、真っ向勝負で正々堂々と凌ぎを削っているのだ。

ただ、城に魔物が現れたのは、ユグドラシル・ガンマに起因する可能性が高い。

「……禁書を管理してるのは、セルゲイ卿だったな」

 マドカの脳裏にひとつの推理が浮かんだ。

(ユーリには相当執心していたみたいだし……いいや、まさかな)

 宰相セルゲイの立場なら、ユグドラシル・ガンマの古文書に手が届く。その娘であるソアラが至宝の力を知ったとしても、不思議ではない。

「ソアラを疑ってるの? マドカ」

「わたしの思い過ごしであって欲しいんだが。念のため、彼女には注意したほうがいい。もしお前が勝ったら、さっきのような手段で報復があるやも……」

 ユーリはマドカの顔で不敵にはにかんだ。

「ふうん? じゃあ、僕が勝っちゃっていいんだね」

「へ? そそ、それは……とっ、当然だとも!」

 マドカはユーリの顔で真っ赤になりながら、勢いではぐらかす。

「勝負事で手加減など無用だっ。マドカ=ブライアントとして恥ずかしくない勝負にしてもらわんとな? う、うむ」

 騎士然とした腕組みのポーズで反対を向き、照れ隠しもする。

 そんなマドカの後ろへと、ユーリが近づいてきた。『マドカ』が『ユーリ』に甘えているような構図になってしまい、猛烈に恥ずかしい。

「僕は必ず優勝して、僕の花嫁をマドカに決める。逃がさないからね」

 うなじに吐息が当たる距離で囁かれ、鼓動が跳ねあがった。マドカはユーリの身体を両腕でかき抱くようにして、声を震わせる。

「お前は、すっ、すす、好き……なのか? わたしのことが……」

「好きだよ。ずっと昔から」

 こちらは一言一句にどぎまぎしている一方で、ユーリの返答は明瞭だった。決して冗談を言っているふうではなく、『好き』という言葉の余韻がこそばゆい。

 マドカにとっては唐突な告白だ。けれども今までの、ユーリの優しい仕草や穏やかな声が、すべて好意の表れだったことに気付く。

 マドカはもじもじと指を編んだ。

「い、いつからなんだ? その……好き、っていうのは。自分で言うのも何だが、わたしはガサツだし、ドレスもあまり着ないし、料理も下手くそで」

「女らしさがどうこうなんて、関係ないよ。マドカはマドカ、なんだからさ」

 動くに動けないマドカを、ユーリが後ろから柔らかく抱き締める。

「自分を抱き締めるって、なんか変な気分だなあ」

「わ、わたしもおかしな気分だぞ。じっ、自分に抱きつかれるなど……」

 ユーリが想いを打ち明けてくれたからこそ、マドカも正直になりたかった。しかしマドカの感情はまだ、戸惑いと恥ずかしさで波を打っており、整理がつきそうにない。

 侯爵令嬢として、皇子のプロポーズを受け入れるべきであることは、わかっている。家督を継げない女の自分にとって、これ以上はない最高の名誉だろう。

 なのにマドカは困っていた。

「聞いてくれ、ユーリ。わたしは……決して、お前が嫌というわけじゃないんだ。帝国のため、お前の妃になる覚悟だって、あ、あるんだぞ?」

主君への忠誠だけでは応えることができない。ユーリはマドカに、もっと個人的な関係を望んでいるのだから。

「ただその、相手がお前だから冷静でいられん、というか……うん」

 言葉にして、ようやくマドカも自覚した。

 これほど心を乱されるのは、皇太子のユリシーズにプロポーズされたからではない。幼馴染みのユーリに抱き締められているからこそ、緊張してしまう。

「優勝して、元に戻ったら、改めて申し込むよ」

「あ、ああ……」

 それでも不思議と心地よかった。ユーリの腕の中に自分がいることに、安堵する。

(わたしも好きなんだ……ユーリのことが)

 この温もりを、ほかの花嫁候補に明け渡す気になどなれない。帝国のためでも侯爵家のためでもなく、ただ彼を独占したくなってしまった。

「早く元の身体に戻りたいよ、僕」

「そ、そうだな。……わたしも、そんなネグリジェで寝られては恥ずかしい」

 ユーリが抱擁を解き、マドカの顔で照れ笑いを浮かべる。

「可愛いのに。これ」

「猫の絵のやつがあっただろ。あれでいい」

 マドカは赤面しつつ、ひと足先にベランダから室内へと戻った。

「と、とにかく! ほかの花嫁候補には気をつけろ。あと勝ったと思うなよ? わたしは驚いてるだけなんだ。次は易々と乱されんからな」

「ふうん。ほんとに?」

「本当だ! おっ、憶えておくがいい!」

 そして捨て台詞を残し、逃げるように部屋を飛び出す。

 負けん気の強い皇子様は、真夜中の城内を全力で疾走するのだった。

 

 

 

 

 

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