妖精さんはメイワクリエイター

第4話

お城でメイドとしての一週間が始まる。

 いつもお母さんの世話をしてるから、お料理やお裁縫は大の得意。早くもメイド長からお墨付きをもらって、王子様のお世話を一任されちゃった。

 メイドさんの間では早くも噂になっている。

「やっぱりミスト王子の花嫁として呼ばれたのよ、シャーロットは。あんなお部屋まで用意してもらってるんだしー」

「でも勇者様が魔王を倒したのって、かなり昔の話でしょう」

「ずっと前から結婚が決まってたって線は、ない?」

 この噂に関して、あたしは肯定も否定もせずにいた。メイドさんたちも『まだ話せる段階じゃないのね』と解釈して、追及はしてこない。

 お部屋に戻ると、チェルシーが今日も我がもの顔で寛いでいた。

「おかえり~。王子様は出張ってるから、暇っしょ?」

「お夕飯の支度が始まるまでは、ね。今日はずっと雨も降ってるし……」

 天気が悪いと、洗濯物が干せない。明日はお掃除とお洗濯の手間が倍増するけど、雨天の日は時間に余裕があった。

 窓の外ではしとしとと雨が降り続けてる。

「こんな日に外出だなんて、王子様も大変よねー」

「風邪ひいたりしなきゃいいけど」

 チュルシーも遊びに行けないから、シナリオの作成に集中してた。 

「雨の背景は差分がねえ……使わないのがあると、CGさんが怒っちゃうしさあ。でも、やっぱ全部、用意しときたいもんなー」

「ねえ、その『おとめげーむ』ってやつ、結局なんなの?」

 書きかけのシナリオを読ませてもらったけど、あたしにはぴんと来ない。

 妖精さんは大きなペン(彼女にとっては大きなペン)を置き、宙に浮かんだ。腕枕で寝転がるポーズのまま、羽根だけ動かす。

「んーと……こっちはゲーム自体ないから、説明が難しいのよね。乙女ゲームのほかにも色んなジャンルがあるのよ? 勇者が魔王を倒す、王道のRPGとか」

「勇者なら、お父さんを取材すればいいじゃない」

「いやいや、古き良きRPGを作ってるわけじゃないし」

 やっぱりちっともイメージが湧かなかった。

ゲームで恋愛、ね……。小説の登場人物に憧れるようなものかしら? 

「ところでさぁ、シャル、本命は誰にするか決まったの? 悪いんだけど、あの惚れ薬、妖精の国で使用禁止になっちゃって……解毒薬も、もう残ってないっぽいの」

 とんでもない新事実を、あっけらかんと白状される。

「は? 聞いてないってば!」

 あたしは無責任な妖精さんに詰め寄って、声を荒らげた。

「なんでそんなことになってるの、もうっ!」

「い、いやあ……それがね? 効果が強すぎるってんで、前から規制の話が出てたらしくって。でもアタシ、新聞とか全然読まないから、知らなくて……」

 さしものチェルシーも顔を引き攣らせる。

「使ったってことがばれたら、アタシもヤバヤバなんだよねー。えっへっへ」

 あの惚れ薬、余所でもトラブルを起こしまくってたんでしょうね。解毒薬は事態の収拾に使われ、妖精の国には残っていないようだった。

あたしの手元にあるのが、最後のふたつ。

関係を清算できるのはふたりまで。

「い、いいじゃん? シャル、誰かに決めちゃって、結婚しちゃえば。オリエガとか、あとランディも、シャルを幸せにしてくれると思うけど」

「あたしがよくても、相手はよくないでしょ」

 オリエガ=ブライアンか、ランディ=アシュフォードか。

 それともミスト=グナンナーか。

 やるせない溜息を漏らしつつ、あたしは机の上にある、暗黒トマトを転がした。

 真夏の常温でも二ヶ月は日持ちする、すごいやつよ。アスタロートさんが趣味の家庭菜園で栽培してるらしいわ。腹いせに、これをミストに食べさせてやろうか。

 雨ではお仕事もないから、暗黒トマトを持って厨房に向かう。

 

 今日のお夕飯は、愛しの王子様だけ特別メニュー。赤みが強い暗黒トマトのおかげで、血の色のリゾットが出来上がっちゃった。

 王子様のお部屋まで持っていて、食べさせてあげる。

「はい、ご主人様。あーん」

「……何が『あーん』だ、シャル。こんなものが食えるかっ!」

 ミストは嫌そうに顔を背け、そう吐き捨てた。

「なんでよりによって、トマトなんだ? しかも、こんな気味の悪い色のやつを」

「お父さんのお友達の、魔族のひとがおすそ分けしてくれたの。見た目は最悪だけど、すごく美味しいわよ。栄養もばっちり」

「待て待て! 僕の暗殺計画じゃないのか、それは」

 ミストの視線がじとっと疑惑を込める。

 アスタロートさんに他意がないとはいえ、出所が怪しいものを王子様に食べさせるのは、問題かもね。あたしは真っ赤なリゾットを、スプーンで一口ほど食べて見せた。

「……ほら、大丈夫でしょ」

 同じスプーンで、次はミストの分をすくってあげる。

「はい、あーんして。ご主人様?」

「くっ……わかった。ゆっくり食べさせろ」

 もう少し抵抗されるものと思ったけど、意外にもミストは素直に口を開けた。ほんのりと頬を染めながら、あたしのリゾットを唇で拙く受け止める。

 まさか、関節キスを意識してる、とか……?

「トマトの味じゃないか。まずいぞ」

「トマトのリゾットなんだから、当然じゃないの。はい、まだまだあるから」

「ぜ、全部食わせる気か?」

 今夜のミストはたじたじになって、すっかりあたしのペースに乗せられてた。年上のメイドさん(あたし)の言いつけに従って、悔しそうにリゾットを咀嚼する。

 ちょっと可愛い、かも……?

「勇者の娘のくせに、性格が悪いな、お前は」

 生意気な口振りにも、いつもの余裕はなかった。

「あなただって、王子様のくせに、とんだへそ曲がりじゃないの」

 あたしは勝利を確信して、笑みを噛む。

「……きゃっ?」

 ところが、スプーンから赤い雫が一滴、あたしのフトモモに落ちた。そんなに熱くはなかったけど、メイド服を汚さないように、少しだけ脚を開く。

 反撃とばかりに、ミストが嗜虐的な表情を浮かべた。

「そうか、そうか。動くなよ? シャル」

「え? な、何を……」

 間合いを取ろうにも、あたしはリゾットを持ってて、動けない。

「僕が舐め取ってやる。じっとしてろ」

 かつてないセクハラ危機に、全身で鳥肌が立った。ミストがあたしの懐に頭を潜り込ませて、フトモモに唇を近づけようとする。

「ぎゃああああっ!」

 リゾットがひっくり返った。真っ赤なスープが王子様の頭上に降り注ぐ。

 ばっしゃ~ん!

 おかげで、ぽたぽたと水も滴るイイ男になった。

「……『ぎゃあ』はないだろ、シャル。もっと色気のある声は出せないのか?」

「あっ、あなたがおかしな真似するからよ! ヘンタイ!」

 悪いと思いつつ、あたしは我が身をかき抱いて、変態から離れる。

「ひょっとすると、僕と一緒に風呂に入りたいとか、そういう流れなんだな? シャル」

「どこまでエッチな発想してんの! んもう、あたしは出てるから、早く着替えて」

 王子様の妄想には呆れた。

 

 とりあえずミストにはお風呂に入ってもらって(もちろん一緒に入るわけない)、その間にあたしはお部屋の片付けに当たった。カーペットは染みになっちゃったわね。

 トマトのにおいはしばらく消えそうにない。

「ふう……いい湯だった」

 片付けも一段落した頃、ミストがお風呂から戻ってきた。景国からの贈り物らしい『ユカタ』っていうバスローブを着て、涼しげに襟元を開けてる。

「夏のほうが風呂は気持ちいいと思わないか? 暑いはずなのにな」

「夜はそれなりに冷えるからじゃない? あー、まだ髪が濡れてるわよ」

 湯上がりの肌はほんのりと赤らんでいた。あたしよりひとつ年下のくせに、最近、妙に色気がついてきてるような……。

剣術や馬術で鍛えてるだけあって、身体つきはしっかりとしてる。それでもランディほど背は高くないし、オリエガほど筋肉質でもないけど。

 あたしは手頃なタオルを取って、ミストの湿った髪に被せた。

「火傷にならなくて、よかったわ」

「まったくだ。この僕にトマトソースなんぞをぶっかけたんだ、覚悟はいいな?」

 この王子様、さっきのを理由にして、まだおしおき(セクハラ)したがってる。懲りない幼馴染みの頭を拭いてあげながら、あたしは念を押した。

「あなたの自業自得でしょ。さすがに今のは、度が過ぎてたわ」

「むう……何もかもトマトが悪い。あの赤いやつめ」

「ミストが悪いんだってば」

 そこまで毛嫌いするものかしら? トマトって。

 あたしにも苦手な食べ物はあるけど、食べられないほどじゃない。でもミストにとってのトマトは、食べ物ですらないらしいわ。

 せっかく作ってあげたのに……。

「ところで来月のお披露目パーティーなんだが……シャル、お前のドレスをチェルシーに発注しておきたいんだ。デザインや色の希望はあるか?」

「……へっ?」

 結婚を前提にした彼の台詞に、あたしは何とも気のない声を返してしまった。

 ミストがソファに悠々ともたれ、脚を組む。

「僕の花嫁として、シャーロット=アヴリーヌを紹介しておかないと、だろ? どこの物好き……いや、馬の骨がお前にちょっかいを出さない、とも限らないしな」

 ぎくりとした。あたしは平静を装いつつ、動揺もあって言葉を噛む。

「あ、あたしと結婚しようっていうあなたは、物好きじゃないわけ? 失礼しちゃう」

「怒るなって。シャルをどうこうしたがるやつは、僕だけであって欲しいんだ」

 意外にもミストはそんな独占欲をちらつかせた。意味合いは『僕はお前にしかセクハラしないぞ』なのに、あたしに不思議な安心感をもたらす。

 でも、それ以上にあたしは大きな不安に駆られた。

 だって、お披露目パーティーなんてされたら、ばれちゃうでしょ?

「ね、ねえ、ミスト? パーティーには誰が来るのかしら」

「僕たちの両親は当然として、貴族は……ザーバッハ家やアイリス家、アシュフォード家あたりには必ず出席してもらうさ」

ランディ=アシュフォードの名があたしの脳裏をよぎる。

「あとは西区のカジノの、あれだ、オリエガ=ブライアンも外せないな」

 さらにオリエガの名前まで出てきちゃった。顔から血の気が引いて、青くなる。

 何しろ今のあたし、シャーロット=アヴリーヌは三股中。しかもお相手は豪商貴族のランディに、カジノの元締めオリエガ、そして王子様のミストなんだもの。

 こんなことが白日のもとに晒されたら、『勇者の娘は稀代の悪女!』なんて見出しの号外が、王国の空を舞うに決まってた。

「……どうした?」

「え? えぇと……その……」

 ミストに首を傾げられ、あたしは口ごもる。

 今は少しでも時間稼ぎをしたかった。焦りでいっぱいの頭にしては、ミストの恋人として、当たり障りのない言い訳を思いつく。

「も、もうちょっとだけ、ね? あなたとの関係、内緒にしておきたいの……」

 ミストはさらに首を傾げ、あたしの発言を訝しんだ。

「……お前、そんなに僕のことが好きだったか?」

 急にしおらしいことを言い出したものだから、疑われるのも当然よね。

もう勢いで誤魔化し抜いてやる。

「そ、そうよ。でも結婚だなんて、いきなりのお話なんだもの。気持ちを整理したいっていうか……あれよ、モラトリアムが欲しいの」

 我ながら筋は通っていた。

 ミストとの結婚は前向きに考えてる。けど、心の準備くらいはしたい。

「それまでは、あの……秘密の恋人って、どうかしら?」

「噂になってるのにか?」

 ミストは腕組みして、黙り込んだ。

 沈黙に耐えかねたあたしは、脇に目を逸らす。

いくら相手がミストでも、嘘をつくことには罪悪感があった。それも『秘密の恋人』だなんて、恋が始まってもいないあたしたちの関係には、そぐわないでしょ?

「お披露目を延期して欲しいんだな? シャルは」

「う、うん。できれば……」

 ミストはしたり顔で、わざとらしく大袈裟なジェスチャーを取った。

「お前がどうしてもと言うなら、僕もまんざらではないさ。トマトソースをぶちまけてくれた、可愛い恋人の頼みだものなあ」

「うっ……」

 果てしなく嫌な予感がする。ミストの笑みは何やら企みを含めていた。幼馴染みのあたしにはわかるのよ。含めてるどころか、漏れ出てるのが……。

「ただし、条件がある。明日は僕とデートだ」

「お出かけする、とか?」

「秘密の恋人でいたいんだろ。外には出さないさ。城の中でな……フッフッフ」

 あたしは判断を間違えたのかもしれない。

 お父さんはかつて魔王に『世界の半分をやるから協力しろ』と言われたけど、きっぱりと断った。だけど娘のあたしは、魔王みたいな相手に屈服しそうになってる。

「僕に従え。グナン王国の半分がシャルのものになるんだぞ?」

 悪の道が見えてしまった。

 

 

 あたしとミストの婚約を聞きつけ、オリエガが怒り心頭に城まで乗り込んでくる。

「どういうことだ、シャル! 俺のもとに来るんじゃなかったのか!」

 ランディも駆けつけ、嫉妬の炎を燃えあがらせた。

「シャル! 私のほかにも、付き合ってる男性がいたって?」

 あたしとふたりの関係を初めて知ったミストが、わなわなと震えだす。

「お前になら何をされても気持ちいいが、これだけは許せないな。ランディ=アシュフォードに、オリエガ=ブライアンだと?」

 だけど王子を相手に、ランディもオリエガも引かなかった。

「シャルは私の妻になる女性です! たとえミスト殿下でも、絶対に譲れません」

「俺の女を気安く呼ぶな。……で? シャル、お前は誰が本命なんだ」

 疑惑の視線があたしに集中する。

「え、えぇと……」

 もうお腹の底から冷えちゃって、心臓がひっきりなしに跳ねた。あとずさるあたしを逃がすまいと、美男子たちが同時に迫ってくる。

「僕に決まってるだろうな?」

「私だよ。私とシャルは結ばれる運命にあるのだからね」

「俺だ。どうした? シャル。さっさと答えろ」

 三人の影が、壁際のあたしを覆い尽くした。

 

「ひいいいい~ッ!」

 甲高い悲鳴とともに、あたしはベッドから跳び起きる。

 まだ心臓がばくばく鳴ってた。単なる夢……だったけど、怖すぎるわ。ミストたちへの後ろめたさが、夢の中にまで不安を蔓延させる。

「うるさいなぁ、もお……むにゃむにゃ」

 なのに、一番の当事者はあたしの隣で、グースカと眠りこけていた。

 まだ夜の色が薄明るく残ってる。早朝の五時を過ぎたくらいね。窓を開けると、ひんやりと心地よい風が入ってきた。

「さむぃ~」

「……あーもうっ。ほんっと、チェルシーってば……」

 やがて朝日が昇り始め、お城の兵隊さんやメイドさんたちも起きてくる。お父さん直伝の『勇者体操』で身体をほぐしてから、あたしは給仕服に着替えた。

 ねぼすけもやっと目を覚ます。

「ふあ~あ……あれ? シャル、今日は王子様とデートじゃなかったっけ?」

「お昼からね。朝のうちはお仕事よ。……はあ」

 溜息を漏らさずにいられなかった。本日の午後はミストとの約束があるんだもの。それも、ミストに口止めを要求したことの、見返りとして。

「なによぉ、元気ないわね。好感度アップのチャンスじゃん」

「こうかんど? ……誰のせいで、今朝は夢見が悪かったと思ってるの」

 ミストと一緒にいる限り、ランディやオリエガの気持ちをないがしろにしてしまってることが、あたしを滅入らせる。

 一方でチェルシーは相変わらず、あたしの危機には無関心だった。肩でペンを担ぐようにして、ノートに新しい草案を書き込んでいく。

「タイプが違うから、三周はプレイしないとね。くふふ、攻略法はこんな感じで……」

 あたしは妖精さんの後ろにまわって、その攻略法とやらを覗き込んだ。

 

 オリエガ=ブライアン、難易度C。

 アナタがどんな女の子でも受け入れてくれるワ。ただし誠実でいること! ちょいワルなオリエガだけど、曲がったことは大嫌いだから、嘘なんてついちゃダメよ。

 伸ばしておきたいパラメータは、特にないわネ。でもサブイベントの発生条件には『体力』や『意志』が関わってくるから、要注意。

 彼に『守ってやりたい』と思わせちゃえば、勝ったも同然ネ!

 

 ランディ=アシュフォード、難易度B。

 立場のある貴族だから、交際相手にも品格や教養を求める傾向。お仕事に理解を示して『支えてあげる』って気持ちでいないと、靡いてくれないゾ。

ヒロインのパラメータは『容姿』が重要! ファッションに関しては、アナタのささやかな変化にも気付いてくれるワ。逆に同じ恰好で何度も会うのはNGよ。

 一流の貴婦人と玉の輿を目指して、ガンバロ!

 

 ミスト=グナンナー、難易度A。

 王子様だけあって、要求されるパラメータはどれも高いの。でもイベントの優先度は低いから、無暗に育成してると、ほかのキャラのルートに行っちゃう可能性も……。

 ドSな性格はアナタへの愛情の裏返し。なんでもかんでも言うことを聞いてあげるんじゃなくって、上手に駆け引きして、焦らすのが大事よ。相手のほうが年下だから、いずれ余裕がなくなって、アナタの思い通りになるワ。

 幼馴染みって関係も最大限に利用して、王子様のハートをゲット!

 

 あまりに無茶苦茶な内容に、げんなりするとともに怒りが込みあげてくる。

「もうっ、ひとの気も知らないで!」

「あ? ちょっと、シャル!」

 あたしはその不謹慎なページを破って、給仕服のポケットに放り込んだ。ゴミ箱に捨てるのは危険だわ。焼却炉まで持っていって、確実に処分しないと。

「せっかく上手くまとまってたのに~。返してってばぁ」

「まとめなくていいのっ。またこんなの書いたら、ノートも処分するわよ」

 少しはあたしの苛立ちが伝わったみたい。チェルシーはペンを枕にして、『しょうがないなあ』と肩を竦めた。

「急がずに待つとしようかな。シャルが本命決めて、その気になるまで……くふふっ」

「はいはい。お仕事があるから、あたしは行くわね」

 あたしも同じように肩を竦めて、一介のメイドには豪華な部屋をあとにする。

お昼からミストとデート、かあ……。

 王子様とのデートはあたしにとって憂鬱でしかなかった。

 

 

 お城のプールは離宮の館内にあって、屋根はガラス張りになってる。夏の日差しも適度に和らぐため、日焼け対策は最低限のもので充分だった。

 城下町のみんなは、泳ぎたいなら南の海岸まで出向く。でも貴族は強い日差しや混雑を嫌って、お城のプールで過ごすことが多いわ。

今日は離宮のプールが開放される初日で、王子様の貸し切りってわけ。

 スケベなミストのことだもの、女の子の水着がお目当てに決まってる。そうはさせまいと、あたしは涼やかなサマードレスに着替えて、プールを訪れた。

 お城のプールだけあって、とても綺麗ね。屋根のガラス越しに、正午過ぎのお日様が水面にきらきらと溶け込む。

 ミストはもう来てるのかしら……?

 ところがサマーベッドに寝そべって、贅沢三昧してるのは、ミストじゃない。小柄な女の子がサングラスを掛け、冷たそうなトロピカルジュースで一息ついてるの。

「ん~! 極楽、極楽」

 でも言ってることは、ちょっとオバサンくさい。

 あたしのお母さん、ナターシャ=アヴリーヌだった。あたしはサマーベッドにずかずかと詰め寄って、前のめりになる。

「お母さんっ、こんなところで何してるの? お父さんには言って、出てきたの?」

「あらあら、シャルちゃん。ここはプールなのよ、水着にならなくっちゃ」

 お母さんはあたしの質問なんて、どこ吹く風といった調子で、サングラスをあげた。娘に内緒で新調したらしい、ストライプ柄のビキニを着てる。

「シャルちゃんも何か飲む?」

「……いらない」

 あたしは熱っぽい額を押さえ、溜息をついた。

お城にとっては部外者なのに、サマーグッズ一式を揃えて、我がもの顔で寛いじゃってるんだもの。勇者様と既成事実をでっちあげたっていう行動力は、伊達じゃない。

 正面からやりあっても、のらりくらりとかわされるだけ。

ナターシャ=アヴリーヌの『攻略法』ってやつ、娘のあたしはよく知ってた。妹に話すような気持ちで接するといいの。

「お父さんとお家にいるんじゃなかったの?」

「ダーリンがアスタロートくんと一緒にお城に行くっていうから、ついてきちゃったの。そしたら、シャルちゃんがミストくんとプールで遊ぶって、聞いてぇ」

 お父さんとアスタロートさんが、お城に……?

 そういえば、前にアスタロートさん、お父さんに相談したいことがあるって言ってたっけ。魔族が人間のお城にやってくるくらいだから、何かが起こってるのかもしれない。

「今日はママと一緒に遊びましょ!」

「はいはい」

 無邪気なお母さんをあやしていると、ミストがプールに現れた。水着に薄手のパーカーを重ねただけの恰好で、王子様っていうより、海辺の若者に見えるわね。

 お母さんがあどけない笑みを振りまく。

「お邪魔してるわよ、ミストくん」

「あ、ああ……ナターシャか」

 ミストは戸惑い、あたしにこそっと耳打ちしてきた。

「おい、シャル。男とのデートに母親を同伴させるやつが、あるか」

「あたしが呼んだんじゃないってば。こういうことには鼻が利くのよ、お母さん」

 表向きはミストに調子を合わせつつ、あたしは内心、ほっとする。さすがにお母さんの前じゃ、ミストも露骨なセクハラはできないでしょ。

「……で? シャル、水着はどうしたんだ」

 王子様はあたしの恰好を一瞥し、わかりやすいほど幻滅した。

「脱がないのか?」

「泳ぐつもりはないんだもの、あたし」

 残念ながら、本日のあたしのコーディネイトは、浜辺でも着れちゃう水色のサマードレス。ミュールはお洒落のつもりで選んだけど、ミストの関心は引けない。

 同僚のメイドたちが昨日の今日で揃えてくれたの。デートするなら、って……。

「結構可愛いでしょ?」

 あたしはスカートを軽く摘みながら、彼に笑いかけてみた。

 するとミストが背中を向け、膝を抱えて座り込む。

「ハア……」

 一国の王子様とは思えない、ちっぽけな後ろ姿だった。あたしの水着が拝めないくらいのことで、哀愁を漂わせるほど落ち込む。

「こうやってる僕を見て、慰めてあげようとか、思わないのか? 昔のお前なら、撫でてくれたり、寄り添ってくれたりしたじゃないか」

「いつの話をしてるのよ」

 子どもの頃のミストは、国王陛下に怒られるたび、お部屋でこんなポーズを取ってた。あたしは『年上のお姉さん』だから、よく慰めてあげたの。

 だけど今の彼は、もう純朴な少年じゃない。

女の子の水着に固執しちゃってる時点で、ねえ?

「中に水着は着てるんだろ?」

「うん。一応ね」

あたしを脱がせるにしても、言動に余裕がない。もっと、こう……ムードとかを意識してくれると、あたしだって水着くらい、まんざらでもないんだけどね。

「昨夜はなかなか寝付けなかったんだぞ? なのに、母親は一緒だし、お前はそんなものを着てるし……シャル、お前は王国のため、僕を喜ばせようとは思わないのか」

「こんなことで王国が揺らぐわけないでしょ」

 ミストの背中がさらに小さくなった。わざとらしい溜息が聞こえる。

「……ハア。お前の弱みにつけこんで、徹底的におしおきできる機会なんて、二度とないだろうに。ぶつぶつ……」

 結婚の発表を先送りしてもらったり、関係を秘密にしてもらったりしてるから、あたしのほうが立場は弱かった。だからって、堂々とつけこむものかしら?

「水鉄砲でシャルをどこから濡らしてやろうかって、楽しみにしてたのに」

「そういうヘンタイの発想、やめて」

 ずっとこの調子でいられても面倒だわ。

王子様の情けない後ろ姿に、あたしはそっと声を掛けた。

「せっかくのお休みなんでしょ。こっち向いてってば」

「あ、ああ……」

「ママさん、お、ま、た、せ~!」

 ミストが振り向いたところへ、ツーサイドアップの女の子が駆け込んでくる。

 チェルシーはあたしと同じサイズになって、黒いフリルのチューブトップ・ビキニを身につけていた。歩くだけで『たわわな果実』が揺れ、零れそうになる。

「チェルちゃん、こっちよ~!」

「すごい、すごい! アタシもジュース、もらっていい?」

 あられもないフトモモには照り返るほどの艶があった。腰をくねらせると、魅惑のプロポーションが強調され、女のあたしでもどきりとする。

 ミストなんて、目を見張ってた。

「……………」

 チェルシーの水着をまじまじと見詰め、息を……ううん、生唾を飲んでる。

 あたしは瞳を細めて、節操なしの王子様をねめつけてやった。

「よかったわねー、あんなに可愛い女の子も一緒で。水鉄砲で遊んでもらったら?」

「い、いや待て、違う! 僕はちょっと驚いただけで!」

 ミストは慌てて弁解するけど、真っ赤になってて、説得力の欠片もない。

 ……ふんだ。やっぱり、おっきいほうが好みなんじゃないの。

 服を脱ぐのはやめた。あたしは空いてるサマーベッドに腰掛け、お母さんとチェルシーの水遊びを眺める。

「チェルちゃん、ビーチボールもあるのよ~」

「さっすがママさん! ……あれ、シャルは遊ばないの?」

「遊びませんっ」

 ミストもボール遊びに加わろうとはせず、あたしの隣に腰を降ろした。

「いいんだぞ? お前は遊んできても」

「いいってば。ああいうのは見てるだけで」

 はしゃぐにしても、格好がつかない。決まりが悪いっていうか、ねえ……。

 ミストがちらちらと、あたしの横顔を覗き込む。

「……怒ってるのか?」

「そんなことないわよ。呆れてはいるかもしれないけど」

 楽しむ気になれないのは、あたしのせいだわ。心配事が多くて、気分が乗らないんだもの。もちろん、ミストの態度が腑に落ちないってのも、ある。

「あなた、ほんとにあたしのことが好きなわけ?」

「なんだよ、藪から棒に」

 ミストにきょとんとされて、ちょっと腹が立った。

「だ、だから……あたしと結婚したいって言ってる割に、愛のひとつも囁いてくれないじゃないの。水着がどうこう言う前に、もっとあるでしょって話」

 この王子様は我侭な命令を押しつけてくるだけで、あたしの気持ちなんて二の次、三の次なんだもの。これで結婚なんて言われても、強引でしかなかった。

「王子様なんだから、お相手も選り取り見取りでしょ?」

 言うつもりもなかった嫌味が漏れる。

「それは違うぞ。僕はお前じゃないといけないんだ、シャル」

 ところが、ミストは初めて真剣な表情で囁いた。

「シャルが恥ずかしがったり、悔しがったりするのが、たまらないんだからな」

 ……やっぱり最低だわ、こいつ。

「あっ、シャル~! ボール取って~!」

 飛んできたビーチボールを、あたしはこの変態にぶつけてやる。

「ぶふぉっ?」

「ほら、拾ってあげなさいってば」

 ボールはミストの顔面でバウンドし、てんてんと転がった。

ミストが涙目になりながら、おかしなことを言い出す。

「たまには悪くないな。お前にぶたれるのも」

「……近寄らないでくれる?」

 王子様の性癖には付き合いきれないわ。

 

 結局、お母さんたちに巻き込まれる形で、あたしも水遊びを満喫してしまった。やっぱり夏は暑いんだもの、気持ちいいに決まってる。

 それにお母さんやチェルシーなら、気兼ねもいらなかった。

 一方、ミストはお母さんにいいようにこき使われ、疲労を浮かべてる。

「ジュースを持ってこいだなんて、王子に命令するか? 普通」

「お母さんに常識は通用しないわよ」

 あたしとミストは一足先にプールを出て、着替えてから合流した。ミストの正装は、相変わらず王子然とした風格をまとってる。中身は別として。 

「……どうも上手くいかないな」

 ふと、ミストのやるせない呟きが落っこちた。

「なんのこと?」

「とぼけてくれるな。シャルにだって、わかるだろ?」

 彼に余裕がないのは、あたしも感じてる。

 ミスト=グナンナーは、強気に女の子をリードできるわけでもないし、度量の大きな包容力も持ち合わせてなかった。オリエガやランディのようには、ね。

「僕とシャルは恋人同士なんだぞ」

「……うん」

 でも、それはミストが未熟なせいだけじゃなかった。

 あたしはあたしで、ほかの男性に負い目を感じ、ミストとの関係に一歩も踏み出せずにいる。王子様の恋人といっても、建前だけ。こんな中途半端でいるくせに、『愛のひとつも囁いてくれないじゃないの』だなんて、おこがましい話だわ。

 彼に愛されてるのも、惚れ薬が原因なのに。

 もどかしい罪悪感を胸に秘めながら、あたしはミストに言い聞かせる。

「だ、だからね、ミスト? 結婚の発表は、お互いの意志がちゃんと固まってからのほうが、いいと思うの。こういうのって、前向きになるべきでしょ?」

「悔しいが正論だな」

 どちらも戸惑いが先にあった。

ミストがあたしの髪に触れようとして、指を迷わせる。セクハラは遠慮なしでも、恋人にお決まりのスキンシップは拙く、ぎこちない。

そんな彼との縮まることのない距離感に、あたしは安心してしまっていた。

でも、このまま諦めて欲しい、とまでは思えないの。あたしにとって、ミストは無関心ではいられない、困った存在になりつつある。

「どうやったら、僕のものになるんだ? お前は……」

ミストの双眸が赤く光った。

「……ミスト?」

「ん? 僕の顔に何かついてるのか」

そんな気がしただけで、ミストは平然と琥珀色の瞳を瞬かせる。

「ううん、なんでも。王子様だけあって、綺麗な顔してるのが、腹立つなあって」

「素直に褒めろよ、シャル」

あたしたちは離宮をあとにして、ゆっくりと中庭の庭園を抜けた。色んなお花が賑やかに咲いて、午後の眩しい日差しを浴びてる。

鮮やかなカーネーションがあたしの目を引いた。子どもの頃、お母さんに『プレゼントして』ってせがまれたことがあって、ミストが用意してくれたの。

「これも、あの時の?」

「カーネーションがどうしたんだ?」

でもミストのほうは忘れちゃってるみたいね。

「ここは暑いだろ。城に入って、アイスティーでも飲もう」

「そうね。お母さんたちには悪いけど、ふたりで……」

お夕飯の支度まで、まだ時間もあるから、お茶に付き合うことにした。

だけどお城に入ったところで、あたしはぎくり。踏んではいけないものを踏んでしまったかのように、足をのけ、せめて一歩だけでもあとずさる。

「ふたりで、何だって?」

 目の前にランディ=アシュフォードがいたの。

 さらにオリエガ=ブライアンまで、腕組みのポーズであたしを待ち構えていた。

「お楽しみのようだな、シャル」

 あたしは顔を強張らせて、立ち竦む。

「ラ、ランディ……オリエガも、こ、これは、その……」

 瞬きする暇もないうちに、あたしたちは一触即発の緊迫感に包まれた。刃物を首筋に添えられるような錯覚がして、背筋がぞっと凍りつく。

 険悪な雰囲気にミストは首を傾げた。

「なんだ、なんだ? アシュフォード家のご当主と、カジノのマスターじゃないか」

 王子相手にランディは前のめりになって、声を荒らげる。

「一体どういうことですか、王子! 城の者に聞きました、あなたがシャーロットを花嫁に迎えると……。まさかシャーロットに無理強いをなさったのでは?」

 オリエガなんて一切遠慮しなかった。あたしにも疑惑を差し向けてくる。

「……なるほど? こいつや王子との予定があったから、俺のカジノには一週間しかいられなかったわけか。やってくれたな、シャル」

 いつもよりトーンの低い声には、ありありと怒りが滲んでいた。

「あ、あのね? オリエガ。これにはわけが……」

 あたしは青ざめ、弁解の言葉も思いつかずに口ごもる。

 ミストも事情に勘付いてしまった。

「おい、シャル。こいつは何の冗談だ?」

 シャーロット=アヴリーヌは三人の男子を手玉に取っていたんだもの。ランディとオリエガ、そしてミストはあたしを取り囲んだまま、ばちばちと火花を散らす。

「ケビンに聞いた以上だな。王子までご登場とは、恐れ入る」

 オリエガにはケビンさんが話しちゃったのね。でも、主人が悪女に騙されてると知ったら、報告するのは当然のこと。オリエガの視線はあたしに冷たい。

「先生の娘がよくもこんな真似を……」

「考えなしにシャルを責めるのは、やめろ」

 それに対し、ランディはあくまであたしを庇おうとした。

「君が強引に迫るから、こんな事態になったんだろう? シャルの気持ちを第一に考えてあげるべきだ。……僭越至極ですが、ミスト王子、あなたもです」

「ひとりだけ善人面するなよ。僕の花嫁に手を出した罪は重い」

 今にも喧嘩が始まりそうな緊張感が立ち込める。

 あたしは慌てて割って入り、雫になるほどの冷や汗を、ハンカチで拭った。

「待って! ちゃんと話すから、とにかく話を聞いて……」

 ところがハンカチを出した拍子に、ポケットから紙切れが落ちる。

 それを拾ったオリエガの表情が、強張った。

「……なんだ、これは」

 ランディとミストも同じものを見て、苦虫を噛み潰したような面持ちになる。

 

オリエガ=ブライアン、難易度C。

彼に『守ってやりたい』と思わせちゃえば、勝ったも同然ネ!

 

ランディ=アシュフォード、難易度B。

 一流の貴婦人と玉の輿を目指して、ガンバロ!

 

 ミスト=グナンナー、難易度A。

 幼馴染みって関係も最大限に利用して、王子様のハートをゲット!

 

「シャーロット、本当に君がこんなものを……?」

「見下げ果てた女だ」

「こんなふうに思っていたやつが、僕をヘンタイ呼ばわりしてたなんてなァ」

 妖精さんのせいで、あたしは絶体絶命の窮地に立たされてしまった。

 チェルシーのメモはミストたちを玩具にしてる内容なんだもの。おまけに、書いたのはあたしだって誤解されてて、弁解の余地もない。

 とうとう怒号が弾けた。

「……シャーロットをかけて、決闘だ!」

「望むところだ。商人風情が、俺に勝てるとでも?」

 ランディとオリエガが真正面から詰め寄ったうえで、熾烈に睨み合う。

 ミストは前髪をかきあげ、嘆息した。

「まったく……とんでもないことをしてくれたな、シャル」

 王子様のサディスティックなまなざしが、悪女と成りさがったあたしを蔑む。

「おしおきだ」

 かくして、あたしの平穏な日々は終わった。

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