妖精さんはメイワクリエイター
第5話
お城は悪女の噂で持ちきり。
偉大な勇者様のひとり娘が、三人の男性と交際していたんだもの。しかも、お相手は豪商貴族のランディ=アシュフォードに、カジノの元締めオリエガ=ブライアン。
おまけに王子様のミスト=グナンナーにまで手を出してたんだから。
シャーロット=アヴリーヌは逃げるように離宮に身を隠す羽目に。その一室で、あたしはミストたちに真相を打ち明けた。
「この子のせいなのよ、全部」
手頃な鳥籠に妖精さんを閉じ込めて。
「ちょっと、シャル? 出してってばぁ~」
「チェルシーは黙ってて! あなたが惚れ薬なんか使うからでしょ」
ミニサイズとなったチェルシーを目の当たりにして、ミストは驚いた。
「お前、妖精だったのか。道理でおかしなやつだと」
「なんとも珍しい……」
ランディも不思議な生き物に目を見開く。
けど、オリエガはさほど関心を示さなかった。面識があるかのように話を切り出す。
「チェルシー、だったな。惚れ薬ってのは、もしや……」
「夕飯か何かに混ぜて、あなたたちに飲ませちゃったらしいの」
籠の中でチェルシーはぶうぶうと文句を垂れた。
「だってぇ、シャルがアタシの実力を認めようとしないんだもん。とっておきの惚れ薬まで使ってあげたのに、怒ってばかりだしさぁ。何がそんなに不満なわけ?」
「不満に決まってるでしょ!」
この妖精さん、常識のないところがお母さんに似てる。
「いいから説明して。さもないと、リチャードと遊ばせるわよ?」
「わかった、わかったわよぉ……はあ」
チェルシーの口から、やっと事の発端が明かされた。
最初からこうしておくべきだったかもしれない。あたしの肩に疲労感が圧し掛かる。
ミストたち三人は半信半疑になりながらも、妖精の言葉にひとまず納得してくれた。ランディが難しい表情で眉を顰める。
「よくわからないが、恋愛を題材にしたゲーム? とやらを作るために、シャーロットの恋を取材に来た、というわけだね。ふむ……」
「しかしシャルが乗り気にならんから、惚れ薬をばらまいた、と」
オリエガは呆れるように吐き捨てた。
「あとでリチャードと存分に遊ばせてやる。覚悟してろ」
「ひいいいっ!」
チェルシーにもおしおきが必要ね。
ミストは例のメモを眺めながら、チェルシーにさり気なく尋ねた。
「男を口説き落とすゲームと言ったな? だったら、女を攻略するゲームもあるのか」
「へ? そりゃ、あるわよ。美少女ゲームてやつ」
王子様が鳥籠ごと妖精さんを部屋の隅まで連れていく。
「詳しく聞かせろ。シャルを攻略するとしたら、どんな話になる?」
「んーとぉ……ごにょごにょ」
声が小さくて、断片的にしか聞こえなかった。
「……メイドで、ご奉仕……おまじないが……あと、おしおきは定番のが……」
「うん、うん……お前、なかなかわかってるじゃないか」
はた迷惑な同盟が成立しちゃった気がする。
ミストは戻ってくるや、鳥籠からあっさりチェルシーを解放してしまった。
「妖精の悪戯ならしょうがないな。これくらいで勘弁してやる。お前らもチェルシーやシャルを責めるのは、もうやめろ」
ランディとオリエガが肩を竦める。
「王子がおっしゃるのなら……私もシャーロットを追い詰めたくはありませんし」
「それより、どう落とし前をつけるんだ? 俺は決闘でも構わんぞ」
懲りないチェルシーが瞳を爛々と輝かせた。
「それ、いいかも! アタシのために争わないで~って」
「だ、まっ、て、て!」
妖精さんをふん捕まえたいのを堪えつつ、あたしは解毒薬を取り出す。
ビンの中には緑色の丸薬がふたつだけ残っていた。ミストがビンを持ちあげ、底を見上げるようにして中身を確認する。
「これを飲めば、惚れ薬の効果は消えるらしいの。ただ、問題があって……」
「数が足らないのか」
関係を清算できるのは三人のうち、ふたりまで。事情を明かしたところで、依然としてこの問題だけは、解決の糸口を掴めずにいた。
「なら、身を引きたいやつが飲めばいい」
ミストの挑発じみた言葉に、オリエガが顔を顰める。
「はっ。冗談じゃねえよ、ガキが」
オリエガは王子様にへつらうようなひとじゃないもの。それに二十一歳の彼にしてみれば、十七歳のミストは確かに『お子様』だった。
年長者となるランディも、解毒薬を受け入れようとはしない。
「この気持ちが薬によるものなんて、私は認めないよ」
それどころか、あたしの手をしっかりと握り、真剣な表情で囁いてくれるの。
「今も君のことがこんなに愛しくて、苦しくてならないんだ。わかるかい? シャル」
歯の浮くような台詞も、美男子のランディには相応しかった。おかげで、あたしの胸は俄かに高鳴ってしまって、頬も赤らむ。
「お、落ち着いて? あなたの気持ちは嬉しいけど……」
ランディの熱いまなざしに耐えかねていると、今度はオリエガが、横取りするみたいにあたしの手を引っ掴んだ。
「てめえらはそっちの飴玉でも舐めてろ。シャルは俺がいただく」
獰猛な獣のような瞳が、あたしを金縛りにする。
「ここまでふざけた真似をしておいて、優しくしてもらえると思うなよ……?」
物言いは乱暴で、独占欲も剥き出し。でもあたし、嫌とは思えなかった。
優しくされないのなら、どうされちゃうの……なんていう艶めかしい想像が、あたしの心をかき乱す。もう穏やかじゃいられない。
「やめたまえ、オリエガ! シャルが困ってるのが、わからないのかい?」
「馴れ馴れしく俺の女を呼ぶな。わかってねえのはお前のほうだろ」
ランディとオリエガはまたも激しく火花を散らした。
「失礼しますよ。こちらにいらっしゃると伺ったもので……」
ケビンさんがオリエガの迎えにやってくる。
「オリエガ様、そろそろ店にお戻りください。いつぞやの件、情報が掴めましたので」
「……チッ、しょうがねえ。今日のところは引いてやる」
ケビンさんの含みを込めた視線が、あたしにちくりと刺さった。
『これでオリエガ様についた悪い虫を追い払えることでしょう。悪く思わないでくださいね、シャーロット様? フフフ』
そんなことを思ってるに違いないわ。
多重交際の発覚には、やっぱりケビンさんの手引きがあったみたい。オリエガに続いてランディも腰をあげる。
「私も商談がありますので、これにて……後日、改めてお話しましょう、王子」
「それまでに解毒薬をひとつ片付けておけ。じゃあな」
オリエガとランディは気丈な自信を浮かべ、つかつかと去っていった。
残された王子様の機嫌はとことん悪い。その矛先は当然、あたしに向けられた。
「……おい、シャル。僕の時とは態度が違うじゃないか」
「な、何が気に入らないっていうの?」
ミストがゆらりと立ちあがって、あたしを壁際へと追い詰める。
「あいつらに迫られたら、赤くなったりしてただろ。どうして僕には、それがない?」
確かにあたし、ミストには心を乱されたことがなかった。『結婚だ』って言われた時も、驚きはしたけど、ちっともそんなムードじゃなかったもの。
ミストに足りないのは、きっと『それ』だわ。
「命令ばっかりで、大切なことは何も言ってくれないじゃない。あなたは」
「どう言葉にしろっていうんだ」
「だ、だから……セクハラで誤魔化したりしないで、ってこと」
彼の気持ちは惚れ薬の効果に過ぎないって、わかってるのに、あたしはむきになる。
「くふふふ。シャルったら、痴話喧嘩ぁ?」
しかし妖精さんの含み笑いで、はっと我に返った。チェルシーはさも愉快そうに、あたしとミストが言い争うのを眺めてる。
「焦っちゃだめだって、王子様。ここは攻略よ、攻略」
「……そうか! 僕としたことが、浅はかだった」
ミストはチェルシーのアドバイスに頷くと、クククと不敵な笑みを含ませた。
「いっ、いい加減、離れてってば!」
その隙をついて、あたしはミストを両手で押し返す。
「げふっ?」
すると、彼の身体が思った以上に飛んだ。椅子を巻き込んで、転げちゃうほど。
「シャル、お前は勇者の娘だろうが! 少しは加減してくれ」
「あ、ごめんなさい」
お父さん譲りの力って、制御できないのよね。感情が昂ってる時とか、たまにこんなふうに暴発してしまうの。邪悪な者には効果てきめんらしい、破邪の力。
「ミストって邪悪だから……」
「僕をぶっ飛ばしておいて、言い訳がそれか?」
でも、あたしには彼を遠ざけたいっていう意志もあった。
「あなた、あたしのことなんて好きじゃないのよ。惚れ薬も効いてないみたいだし」
あたしは解毒薬を見詰め、覚悟を決める。
ミストはあたしをそれほど愛してないのだから、この薬はオリエガとランディに飲んでもらおう。そのあと、ミストとの関係は自力で清算すればいい。
「ふたりに飲ませてくるわ」
「おい、シャル?」
あたしは解毒薬のビンを抱え、離宮を飛び出した。
ふたりとも、まだそう遠くには行ってないはず。思った通り、ランディもオリエガも城門の跳ね橋を渡るところだった。
「待って、オリエガ! ランディも!」
「どうしたんだい、シャル」
ケビンさんが面倒くさそうに足を止めたのを、オリエガが行かせる。
「馬車で待っていろ」
「了解しました。くれぐれもお急ぎください」
あたしはふたりに追いつき、息を切らせた。でも落ち着くまで待たず、両手で包むようにして、解毒薬のビンを差し出す。
「……ごめんなさい。あなたたちに飲んで欲しいの」
オリエガは眉を顰め、ランディは残念そうに視線を落とした。
「俺では不服か」
「ミスト王子を選ぶってことだね……」
あたしはかぶりを振って、はきはきと打ち明ける。
「そうじゃないわ。ミストとは解毒薬なしで、別れてみせるから。……あなたたちをこれ以上、おかしなことに巻き込みたくないの」
もう隠すことなんてないから、吹っ切れた。ふたりには失礼な結論かもしれないけど、あたしなりに誠意を尽くすつもりで、正直な気持ちを伝える。
「ランディにも、オリエガにも、あたし、どきどきしたわ。でも……あたしにとっては、どうしても……お兄さんっていうか。リードしてもらうばかりで」
だけど、あたしの言葉は途中で途切れた。
話したいこと、謝りたいことはたくさんあるはずなのに、まとまらない。
まごまごしていると、ランディが柔らかに微笑んだ。
「わかったよ、シャーロット」
あたしのことを、シャルではなく『シャーロット』と呼んで、距離を置いてくれる。
先に解毒薬を受け取ったのは、オリエガだった。
「お前なりに根性を見せたんだ、飲めばいいんだろ。てめえも飲め」
「言われなくとも、そのつもりさ」
ランディの手にも解毒薬が行き渡る。
ふたりは目配せすると、緑色のそれを口に放り込んだ。オリエガが真っ青になって口を塞ぎ、ランディは膝を押さえて前屈みになる。
「なんだ、こいつは? マズすぎる……食いものじゃねえ」
「東国のあれだ、納豆ってやつに似てるよ。うぐ……」
の、飲ませちゃってよかったのかしら?
美男子らの苦悶は実に一分以上も続いた。さすがに不安になってきて、あたしは助けに入ろうとする。
「待ってて。何か飲みものをもらってくるわ」
「……いいや。それには及ばないよ」
姿勢を崩していたランディが、改めて恭しく跪いた。あたしの右手を取りながら、情熱に満ちたまなざしを上向けてくる。
「これで証明されたね、シャル。解毒薬を飲んだって、君を想う気持ちは変わらない。最初から惚れ薬なんて無意味だったんだよ。まさしく真実の愛なのだから」
真摯でひたむきな顔つきには、一片の迷いもなかった。
ストレートに思いのたけをぶつけられ、あたしは頬を赤らめる。心臓がきゅんっと快感を伴って弾むのを、感じた。
「ちょ、ちょっと? そんなはずないでしょ。さ、さっきの解毒薬で、もう……」
戸惑うあまり、あとずさろうとしても、手を離してもらえない。
しかもオリエガまで、あたしの左手を握って、切れ長の瞳に獣性を宿した。
「お前への欲望が消えるどころか、ますます燃えやがる。愛だの何だの語るのは、お前をたっぷり鳴かせてからになりそうだな……シャル?」
強迫的な物言いなのに、甘美な囁きにも聞こえてしまう。
ランディはあたしの右手に、オリエガは左手に、気障な口づけを捧げた。
「愛してるよ。シャル」
「おとなしく俺に愛されろ」
困惑させられる以上に、高揚感を抑えきれない。
きっとあたし、どっちのお兄さんにも心を動かされちゃってた。なんてふうに答えればよいのかわからず、もごもごと口ごもる。
「あ、あの……」
ランディとオリエガは名残惜しそうにあたしの手を離した。
「またね、シャル。ゆっくり考えるといい」
「答えは決まってるだろう? あとは覚悟だけだ」
あたしは呆然としながら、ふたりの背中を跳ね橋の向こうまで見送る。
惚れ薬の効果は解毒薬で消せた……のよね? なのに、オリエガもランディも、あたしにすっかり惚れ込んじゃってる。
何がどうなってるの?
ひとりで立ち竦んでいると、後ろから声を掛けられた。
「シャーロット? どうした、ぼーっとして」
「あ……アスタロートさん」
あたしは意識して背筋を伸ばし、お父さんの旧友と向かい合う。
「アスタロートさんだけでお帰りですか? お父さんと一緒だったって、さっきお母さんに聞きましたけど」
「陛下が部屋を用意するとおっしゃったんだが、もう宿を取ってたからね。今さら宿に部屋も食事もいらない、とは言えないさ」
こういう律儀なところはアスタロートさんらしいわ。荒くれ者が多いお父さんの友人の中でも、物腰が落ち着いていて、あたしみたいな子どもにも礼節を重んじた。
「……何かあったんですか?」
何気なく尋ねると、アスタロートさんが思案顔になる。
「そうだな、シャーロットにも話しておこう。このグナンパレスでおかしな気配を感じるんだ。なんというか……敵意を剥き出さないのが、かえって気になってね」
悪意はなく、奇妙なもの? まさか、それ……チェルシーのことだったりして。
そんな心当たりを思い浮かべながら、あたしは作り笑いで誤魔化した。
「危険ってわけじゃないんです、よね?」
「現時点ではどうとも言えないが、まあ大丈夫だろう」
アスタロートさんはあたしの動揺に気付かず、去ろうとする。
「またな、シャーロット。お前も早く飲めるようになると、いいんだが」
「お母さんで我慢してください」
「無茶を言うな。子どもに飲ませてるみたいで、気が乗らん」
魔王の居城にあったお酒、お父さんとアスタロートさんで全部飲んじゃったって、本当かしら? でも、ふたりが派手に酔っ払ってるところは、見たことがなかった。
それより今はチェルシーよ。解毒薬のこと、問い詰めなくっちゃ。
「また今度、お話聞かせてくださいね。アスタロートさん」
「例の王子の相手か? お前も大変だな」
あたしは駆け足でお城へと戻った。
大きくなったチェルシーが、あたしのベッドに寝転ぶ。
「だーかーらー、惚れ薬も解毒薬も本物だってば」
「全然効かなかったのよ? せっかく飲んでもらえたのに……」
惚れ薬は本物に違いなかった。おかげで、あたしは三人の異性から言い寄られる羽目になって、今や『悪女』の二つ名を欲しいままにしてる。
お城はこの噂で持ちきり。シャーロット=アヴリーヌが選ぶのは、包容力に富んだランディ=アシュフォードか、火傷では済みそうにないオリエガ=ブライアンか。
それとも幼馴染みのミスト=グナンナーか。
「いいじゃん、みんなも楽しんでるっぽいし。陰で叩かれるよりさ」
「そうかもしれないけど……」
チェルシーはうつ伏せになり、豊満な胸をクッションの代わりにして、寛いだ。
「ミストにはたまんないんでしょーね、そういうの」
「はあ? でもおっかしーなあ、解毒薬が効果なし、だなんて」
あたしはベッドの端にもたれ、頬杖をつく。
「そういえばオリエガのやつ、違和感はあったみたいよ? なんで今までシャルを手に入れようとは思わなかったんだろ、って」
「オリエガのこと、覗き見でもしてたの? ……ランディも戸惑ってたわよ、あれは」
ランディもオリエガも、決定的な一歩を踏みきろうとはしなかった。あたしの意志を尊重し、一度は自分たちが身を引く形で、解放までしてくれてる。
「ひょっとするとさぁ、オリエガとランディって、最初からシャルのことが好きだったんじゃない? 昔から仲よかったんっしょ?」
「……それはないと思うわ」
チェルシーの能天気な発言に、あたしはかぶりを振った。
ふたりのこと、お兄さんみたいには思ってる。向こうだって、あたしのことを『妹』くらいに思ってたはずで、異性として見てる素振りは欠片もなかったわ。特にランディとは歳だって離れてるし。
「まっ、そっちは様子を見ましょ。アタシ、王子様に呼ばれてっからさあ……美少女ゲームのこと、いろいろ教えてあげないと」
チェルシーは気怠そうに起きあがって、伸びをした。たったそれだけでも、大きな胸は弾むように揺れちゃう。眠たそうに目を擦る仕草も愛らしい。
「そんじゃ、行ってくるわね」
「ちょっと、ちょっと! せめて小さくなってから、行ってってば」
あたしはチェルシーのスカートを引っ掴んで、止めた。
「あなたみたいな女の子が、王子のお部屋なんか出入りしてたら、噂になるでしょ?」
「あ、そっか。美少女でごめんねぇ」
チェルシーは小生意気なウインクを決めると、瞬時に小さくなる。同じくミニサイズとなったドレスは、あたしの手を簡単にすり抜けた。
「アタシが教えるテクで、シャル、攻略されちゃったりして……んふふふ」
「冗談やめてよ。あたしを口説くミストなんて、想像できないから」
お気楽でいられる妖精さんが羨ましい。
解毒薬を使っても、問題はちっとも解決せず。あたし、シャーロット=アヴリーヌの受難はまだ、もう一波乱ありそうだった。
☆
翌朝になって突然、あたしは給仕の仕事から解放された。フトモモを見せる恥ずかしいメイド服も、着たくないならいいって、ミストが言ったの。
だけどお城ではみんなの手前、王子様に女の子が付き添ってるのもまずいでしょ。あたしはメイドのスタイルのまま、お昼過ぎ、お城の庭園でミストと合流した。
「待たせたな、シャル」
「ううん。あたしも今来たところよ」
青々と晴れ渡った空に、白い雲が浮かんでる。お日様はさんさんと輝き、色鮮やかな庭園は温もりに満ちていた。
王子然とした出で立ちのミストが、あたしの服装を一瞥する。
「なんだ、メイド服で来たのか」
「あたしなりにフォーマルな恰好なのよ、ここだと」
あたしは清楚なエプロンを摘んで見せた。ミストの趣味に違いないスタイルには、まだ少し抵抗があって、彼の視線が気になる。
「僕だけのメイドでいてくれるってことだな。嬉しいぞ、シャル」
いつもと同じような台詞なのに、今日はセクハラめいた含みがなかった。普段のミストならもっと、ほら……『僕に見て欲しいんだな』って意味合いに聞こえるものなのに。
あたしはきょとんとして、首を傾げた。
「……熱でもあるの? ミスト」
「ん? いいや」
不意打ちのようにミストの顔が近づいてきて、あたしとおでこをくっつける。
「ひゃああっ? ちょ、ちょっと……」
「熱なんてないだろ?」
あたし、真っ赤になって、反撃のひとつもできなかった。
目の前のミストははにかんで、しれっとしてる。あたしのほうだけ、どんどん熱っぽくなってきちゃって、猛烈に恥ずかしかった。
彼の愛馬も『今日のご主人様は変だ』って感じてるみたいね。ミストの言いつけに従うまで、若干のタイムラグがあった。その背にミストが悠々と跨る。
あたしは馬の左側に膝を揃えて、彼の後ろに乗った。
「シャル、もっとしっかり掴まれ」
「う、うん」
緊張しつつ、ミストの身体に両腕をまわす。
マント越しに胸が当たっちゃうから、躊躇いはした。だけど、馬から振り落とされでもしたら、無事では済まないもの。そう妥協して、おずおずと彼にしがみつく。
「どこに行くの?」
「外の空気を吸いたいだけさ。シャルと一緒にな」
ミストに手綱を引かれ、白馬はおもむろに歩き始めた。城門を抜け、衛兵さんたちに見送られながら、跳ね橋を渡っていく。
馬に乗ってるおかげで、目線が高く、道行くひとびとの頭の向こうまで見えた。
貴族風の青年と一介のメイドが白馬でデート、なんていう定番のワンシーンにみんなが注目する。本物の王子ってことまでは知らないようでも、興味津々だった。
「ね、ねえ、ミスト? ほかの道じゃだめかしら……?」
「今だけだ。我慢しろ」
お城の近くだもの、人気の少ない通りは限られてる。あたしは彼の背中に隠れるように小さくなって、好奇の視線に耐えるしかなかった。
公園まで来ると、環視から解放される。
「クレープでも食べるか、シャル」
「えぇと……うん」
お腹が空いてる余裕なんてなかったけど、自然な流れのお誘いに頷いてしまった。
この王子様、しょっちゅうお城を抜け出してるだけあって、屋台で買い物くらいはお手のもの。あたしはベンチに座って待ち、彼の手からクレープを受け取る。
ほんとにデートみたいで、戸惑った。何でもないような台詞でも声が上擦る。
「そ、そっちはハンバーガーにしたのね」
「食べたくなったんだ。シャルもこれがよかったか?」
「ううん。ありがと」
あたしのクレープはイチゴ味。子どもの頃からの付き合いだから、好みはばれてた。
ミストが隣に腰を降ろして、ハンバーガーにかじりつく。
「……あぁ、飲み物がなかったな」
「買ってきてあげよっか?」
「いいさ、これくらい」
やっぱり今日の王子様、いつもと違った。セクハラもせず、あたしの傍にいるだけで、満たされたように心穏やかに過ごしてる。
「たまにはいいだろ、こういうのも」
「そ……そうね。あれだわ、今日はお天気もいいし……?」
あたしはぎくしゃくするばかりで、主導権を奪われちゃってた。
今日のミストには、ランディやオリエガに勝るとも劣らない、余裕があるの。女の子相手に自分の都合を押しつけることもなく、木々のざわめきに耳を傾ける。
「まだ蝉は鳴かないか」
「あれはもっと暑くなってからよ」
あたしもだんだんこの安らぎに慣れてきた。
夏にしてはうららかな昼下がり。出来立てのクレープが美味しい。
「ミストも普通にお買い物できるようになったのね。お金がいるって教えたら、前は金貨なんて持ってきてたじゃない」
「昔の話じゃないか……シャルと一緒にいるうちに、金銭感覚も身についたさ」
幼馴染みとの思い出話が、いつになく弾む。
ミストは優しい笑みをたたえ、あたしの横顔を見詰めてた。あたしは気付かないふりをするけど、内心はどきどきしながら、クレープを食む。
絶対に変だわ、今日のミスト……。
彼を疑ううち、ふと昨日のチェルシーの言葉を思い出した。
『アタシが教えるテクで、シャル、攻略されちゃったりして……んふふふ』
チェルシーのゲームって、異性を口説くことを『攻略』っていうんでしょ? あたしもオリエガやランディの攻略法なんてのを散々聞かされた。
ミストは今、あたしを攻略しようとしてる……?
シャーロット=アヴリーヌ、難易度B。
どうしてもアナタに素直になれない、幼馴染みのツンデレちゃんね。
パラメータよりも好感度が重視される傾向にあるワ。ただし過度なアプローチは逆効果だから、引き際が肝心よ。たまには落ち着いたデートに誘ってみるのは、どう?
相手はひとつ年上のお姉さんでもあるから、アナタが可愛いところを見せれば、案外、簡単にコロっといっちゃうかも?
王子様の魅力で、幼馴染みのハートをゲット!
チェルシーのそんな評価が聞こえた気がした。我ながら毒されちゃってる。
「なあ……シャル」
ミストはハンバーガーを平らげ、一息ついた。
「来週のパーティーで、お前をみんなにも紹介したいんだ」
プロポーズの前提にもなってる台詞に、あたしはどきりとする。
「あ、あたしを? でも……」
「勇者ジョナサンの娘なら、誰も文句は言わないさ。堂々としてればいい」
唐突な話に困惑し、まごついてると、彼の表情が俄かに曇った。
「それとも……僕じゃ嫌なのか? ランディ=アシュフォードか、オリエガ=ブライアンとの仲を祝福しろ、と?」
嫉妬の言葉にやるせなさはあっても、恋敵への敵意までは感じられない。
「そういうわけじゃないの。あ、あたしは……」
ミストに真剣に求められてるからこそ、あたしは動揺した。自分でも驚くくらい『嫌じゃない』って思えるせいで、余計に困る。
でも、待って? これは『攻略』されそうになってるだけよ。
ミストの悩ましい表情の向こうに、チェルシーの嘲笑がありありと見えてしまう。
「惚れ薬のせいなのよ? あなたの気持ちも。正気に戻ったら、多分……」
何よりあたし、怖気づいてしまった。ミストの想いに応じるだけの勇気が出ない。件の惚れ薬を体のいい言い訳にして、王子様のアプローチをやり過ごす。
「まだそんなこと言ってるのか」
「言うわよ。全部、チェルシーのせいなんだから」
「し、しかしだな……あぁ、だめだ」
ミストは勢いがつきそうになったところで、肩を竦めた。
「……悪い。結論を急いでしまったか、僕は」
意外にもあっさり折れて、あたしに自問するだけの猶予を与えてくれる。
「だけど、ゆっくり考えてみてくれ。僕との結婚について、な」
「あなたと、結婚……」
ミストを異性として、強烈に意識してしまった。
結婚すれば、あたしはいずれグナン王国の『王妃』となる。だけどそんなこと、どうでもよかった。ミストと手を取りあって式を挙げることのほうが、大事に思えるの。
「もう少し散歩していくか」
青空を見上げながら、ミストはハンバーガーの包みに残っている、赤いものを口に放り込んだ。あたしは目を丸くして、彼の爽やかな横顔を凝視する。
「ミスト? あなた、今、トマトを……」
この王子様が大嫌いなトマトを自ら食べるところなんて、初めて見たんだもの。驚く以上に違和感が強すぎて、呆気に取られてしまった。
王子様は平然としてる。
「こんなもの、もう慣れたさ」
やっぱり変だわ! ミストが平気で天敵を口にするなんて、考えられない。
これは国王陛下に報告したほうがいいかも? それともお妃様に?
「安静にしたほうがいいわ、あなた。お城に戻りましょ」
「失礼なやつだな。トマトくらいで」
初めてのデートらしいデートには、疑惑が残った。
お城のお部屋に戻ってからも、あたしは悶々と過ごす。給仕のお仕事がないせいで、時間を持て余しているせいもあった。
ミストから熱烈にアプローチされちゃったんだもの。『愛してる』ってストレートな表現ではなかったにしても、彼の本気ぶりが伝わってきて、大いに困惑させられた。
こないだの解毒薬って、そのうち効果が現れるのかしら? だったら、ランディもオリエガもそのうち、あたしのことを諦めて……。
王子様との関係に都合のいいことを考えてしまい、あたしは自己嫌悪に駆られる。
ランディやオリエガの気持ちをないがしろにしてまで、あたしの心はミストのアプローチに揺らいでた。それが浅はかに思えて、情けない。
惚れ薬の効果だってわかってたうえで、オリエガにもランディにも、どきどきしっ放しでいたのよ? なのに今はミストに胸をときめかせてるなんて、見境なしも度が過ぎた。
あたしがミストたちに抱いてる感情、『好き』って言える?
これじゃ単にミーハーなだけ。ひとりに決めることもせず、楽しんじゃってる。
それこそ恋愛を『ゲーム』として。
「ミストまであたしのこと、恋人扱いするから……」
オリエガたちとの件も決着がついてないのに、ミストの囁きばかりが頭の中でぐるぐるしていた。あたしはベッドで大の字になって、思い返すように目を閉じる。
『ゆっくり考えてみてくれ。僕との結婚について、な』
傲慢なミストにしては、改まった台詞よね。それだけ本気ってことかもしれない。
彼にしてみれば、ランディ=アシュフォードやオリエガ=ブライアンっていう、強力なライバルだっているんだもの。優柔不断なあたしのせいで、きっと焦ってる。
でも、結局は惚れ薬が原因で……。
「たっだいま~」
開けっ放しの窓から、能天気な妖精さんがひらひらと戻ってきた。
「聞いて、聞いて! メイドさんと騎士のカップルがいてさあ」
「はあ……」
あたしの溜息に疲労感が滲む。
「シャルのほうは王子様とデートだったんしょ? ひっひっひ……どうだった?」
「変なこと吹き込んだんでしょ、あなた。ミストじゃないみたいで、びっくりしたわ」
チェルシーの裏工作を知らずにいたら、口説かれちゃってた。それくらい今日のミストは恋人然としていて、あたしの心をかき乱してくれたんだもの。
「苦手なトマトまで克服しちゃって……」
「は? トマトが、なに?」
あたしが起きあがるのに合わせて、チェルシーが目の前に降りてくる。
「話してなかった? ミストってトマトだけは絶対に食べないのよ、嫌いだから」
「えっ、そんなダサい弱点があったの? トマトねえ……」
不意に妖精さんの表情が硬くなった。
「……トマト?」
「赤いお野菜よ。妖精の国にはなかったの?」
「いやいや、そうじゃなくて。……あっれえ? だとすると、おかしいなあ。王子様、ほんとのほんとーにトマトは食べないわけ? 一口も?」
幼馴染みがどれだけトマトを毛嫌いしてるか、あたしは知ってる。
お城の厨房に忍び込んで、捨てようとしたこともあったわ。罰として食べさせられた時は、『食感が気持ち悪い』って泣いちゃったっけ。
「あいつはトマトに辱められたっていう、忌まわしい過去もあるの。今日のはハンバーガーに挟まってるやつだったけど、まさか、ぺろっと食べちゃうなんて……」
あたしへの巧みなアプローチはチェルシーの入れ知恵にしても、トマトを口にしたことは、どうにも腑に落ちなかった。
チェルシーが珍しく真剣な顔で呟く。
「アタシが惚れ薬混ぜたの、トマトスープだったんだけど」
「……へ?」
あたしは間の抜けた声をあげ、目を点にした。
「惚れ薬って味がキョーレツだからさぁ、濃いめのトマトスープなら、誤魔化せるかなって。うん、あれは間違いなくトマトスープだったわ」
チェルシーの言葉におそらく嘘はない。
ひょっとして……ミストは惚れ薬を飲んでない、ってこと?
じゃあ、あたしに『結婚だ』なんて言い出したのは、ミストの本心……?
「どどっ、ど、どういうことっ?」
あたしは腰を抜かし、ベッドの上でぼすんと尻餅ついた。膝が笑ってしまって、立つに立てない。俄かに熱もあがってきて、顔が赤らむ。
「ちょっと待って? え? 惚れ薬飲んでないのに、ミストはあたしに?」
そんなあたしの混乱をよそに、妖精さんは愉快そうな笑みを浮かべた。
「あー、そっかぁ。王子様、前からシャルのこと好きだったのね。へえー、ふーん?」
含みたっぷりに囁きながら、真っ赤なあたしの周りを飛びまわる。けど、今のあたしには腹を立てる余裕もなかった。
「愛されてんじゃん、シャルってば~」
「な、何かの間違いでしょ? だって、ミストがそんなわけ……」
あたしは両手を頬に当て、熱が引いてくれるのを、ひたすら願うように待つ。
今までになく胸が高鳴り、身体中がそわそわとこそばゆくなった。ミストのことを思い出すだけで、疚しい妄想を膨らませているような気分になる。
「これは王子様ルートで確定かなあ」
「まだミストがあたしのこと、す、好きって、決まったわけじゃないでしょっ?」
あたしに気がある素振りなんて、意地悪な王子様には微塵もなかった。いつも上から目線であたしに命令するばかりで、下僕みたいにしか扱わなかったのよ?
好きなら、優しくしてくれたって……。
嬉しく思ったりするよりも、戸惑いのほうが大きかった。
あたしが浮ついた気分じゃなくなると、チェルシーが首を傾げる。
「どしたの? もっと喜べばいいじゃん」
「だ、だって……喜んでいいのか、わからないんだもの」
わからないのはミストの気持ちだけじゃない。
あたしの気持ちは誰に向かってる? 誰のことなら胸を張って『好き』って言える?
「……チェルシーは男の子を好きになったこと、あるのよね? どんな感じ?」
「ん? そりゃもう、『萌え』って感じ! リアルのは興味ないけどー」
恋の妖精さんはあてにならなかった。
昨日まで同僚だったメイドさんが、お部屋にドレスを運んでくる。
「シャル……じゃなかった、シャーロット様~!」
妖精さんは慌てて机の下に隠れた。
あたしは腰を抜かしたまま、ベッドの上で応対する。
「どうしたの? ベル」
「王子様からのプレゼントですよぉ!」
「え、あたしに?」
ミストから贈られてきたのは、純白のドレス。清らかな色合いには、おそらく『花嫁』といった意味合いが込められてる。これもチェルシーのデザインなの?
「聞きましたよ~。来週はお披露目なんでしょう? うふふ」
メイドさんは爛々と瞳を輝かせた。オリエガでもランディでもなく、やっぱり王子様なのねって、目が言ってる。
あたしが公の場で、王子様の花嫁として発表されるのも、時間の問題だった。
オリエガとランディはどう思うのかしら……?
あたしとミストはどうなるの?
期待よりも不安ばかりが大きくて、心の整理がつかない。
メイドさんが退室するや、チェルシーは弾むように飛び出してきた。
「こりゃもう、王子様と結婚するっきゃないっしょ! そうよね、そうよね、王子様とのエンディングはやっぱ結婚式でさぁ! 王国を支えるのがアナタなら、私はアナタを支えてあげるわって……きゃ~~~っ!」
盛りあがってるとこ悪いけど、あたしにはそこまで上手く行くとは思えない。
「……ミストの花嫁、か」
自信なんてなかった。勇者の娘ってだけのあたしじゃ、王子様に釣りあわないもの。肝心の気持ちだってふわふわしてる。
その日からしばらく眠れない夜が続いて、チェルシーの夜更かしに付き合わされた。
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