妖精さんはメイワクリエイター
第3話
グナン王国でも指折りの大企業、アシュフォード社。
本社はグナンパレスの東区にあり、今日も朝から社員たちがせわしなく働いてる。事業は東方諸国との貿易がメインで、グナンパレスの開発なども手掛けていた。
近々、東方系の新市街地ができるそうよ。
そんなアシュフォード社の社長が、ランディ。二十三歳にして、すでにアシュフォード社の全権を掌握しちゃってるの。
急逝したお父さんに代わって、アシュフォード家の当主となったのが五年前だったかしら。破竹の勢いで業績をあげ、今では王国の東方面を牛耳るほどになっていた。
社長室で、ランディは部下の報告書に目を通す。
「工員の残業が多いな……。人件費は工面するから、ひとを増やして、当たってくれ」
「承知しました、社長。ただちに再編成に取り掛かります」
部下は礼儀正しく一礼し、退室していった。
あたし、シャーロット=アヴリーヌの仕事は、ランディ社長を補佐すること。スケジュールの管理や書類の整理、あとはお客さんへの応対を任されてる。
「あんなに簡単に決めちゃっていいの? ランディ」
「私がまごまごしていたら、全体の回転が悪くなるからね。大丈夫、早合点で指示を出してるわけじゃないさ」
ランディは余裕たっぷりに微笑んだ。
「それにしてもシャル、今日は一段と気合が入ってるじゃないか」
彼の視線が熱を帯びながら、あたしのスタイルを吟味する。
「……変かしら?」
「いいや。似合ってるとも」
今日のあたしのコーディネイトは、張りのある白のブラウスと、黒のタイトスカート。アシュフォード社の女性社員を参考にしてみたの。
ヘアスタイルはカジノの時のものを、落ち着きのある印象に調えてもらった。いつもの妖精さんに、ね。
一番のポイントは、スクエア型の伊達眼鏡。
おかげで十八歳のあたしでも、それなりに大人びた見目姿に仕上がっていた。
「最初見た時は、君だとわからなかったよ。……私のために?」
「秘書がお子様じゃ、あ、あなたの沽券に関わるでしょ」
ランディの熱視線に耐えかねて、あたしははぐらかすように窓を開ける。
初夏の陽気が社長室に染み込んだ。お部屋からだと、爽やかな青空が眩しいわね。
「シャル、お昼は食べに出よう。君を連れていきたい店があるんだ」
「え、ええ。いいわよ」
ランディの口振りをいつもより優しく感じてしまう。
オリエガのカジノに続いて、今週はランディの会社でお仕事することになった。交際を申し込まれたわけだけど、あたしにとっては急なお話でしょ? お母さんの世話もしなくちゃいけないから、とりあえず一週間の期限を設けさせてもらったの。
……便利に使ってごめんね、ママ。
「しかし驚いたよ、シャル。君のほうから、お互いのことを知るために一週間を過ごそうと、提案されるなんてね。これじゃ、結論を急いだ私の立場がない」
おまけにランディにはとことん好意的に解釈されてた。先日、あたしを馬車でかっさらおうとしたことも、反省してくれてるみたい。
「私にとっても貴重な一週間になりそうだよ。よろしく」
「う……うん。こちらこそ」
あたしは戸惑いながら、慣れない眼鏡のずれをなおした。
惚れ薬の効果はてきめん。ランディはこんなあたしに心を奪われてしまってる。
とにかく表向きは穏便に済ませて、その間にチェルシーが何とかしてくれるのを待つしかなかった。ところが肝心の妖精さんは、夜な夜なシナリオを書くばかり。今朝も寝坊して、起きそうにないから、もう置いてきちゃったわ。
「社長、失礼します」
また別の部下が社長室へとやってきて、ランディに報告を始めた。今日から入った秘書のあたしには、ちらりと目を向けるだけ。
「景国の使節団が到着しました」
「予定より早いじゃないか。やれやれ、待たせるわけにもいかないな……」
「出掛けるのね。はい」
腰をあげるランディに、あたしはマントを差し出した。なんだか夫婦みたいなやり取りになっちゃって、気恥ずかしい。
「シャーロットも一緒に来てくれ。出たついでに、食事しよう」
人前のせいか、ランディはあたしを普通に名前で呼んだ。
ところがマントを広げ、平然とあたしの肩を抱く。不意を突かれて、あたしは大いに動揺してしまった。
「ちょっと? ランディ、近いったら」
「君がまた寂しがるといけないと思ってね」
君が、また? あ、あたしがいつ寂しがったっていうのよ?
「で、では社長、馬車を手配しておきますので……」
ランディの思わせぶりな言動を、部下のひとはおそらく誤解してしまった。これじゃあ先週のカジノと同じように、噂されるに違いない。
それがわからない、浅はかなランディであるはずもなかった。確信犯だわ……。
「どうしたんだい? シャーロット」
「……強引よね、あなたって」
油断してたら、外堀から埋められそう。
ランディ=アシュフォードという男性は、昔馴染みのあたしでも底が知れない。その手腕があってこそ、アシュフォード社は目覚ましい成長を遂げたのね。
あたしたちは本社を出て、馬車に乗り込んだ。大通りをさらに東へと進んで、景国の大使館を目指す。
ランディは窓に肘を掛け、何気なく街並みを眺めていた。
「いい天気よね」
「ああ。時間があったら、歩きたいくらいだよ」
「そんなマントじゃ、暑いでしょ?」
グナン王国の夏は始まったばかり。海からの季節風が安定して吹くようになったら、湿気も上昇して、今より蒸し暑くなるでしょうね。
どこぞのエッチな王子様が『海に行くぞ』と言い出しかねないわ。
ふとランディが穏やかな笑みを浮かべた。
「一週間だけでも君に来てもらえて、助かったよ。いろいろ立て込んでいてね」
アシュフォード社の社長は、普段から猫の手が借りたいほど忙しい。あたしも繁盛期に何度かお手伝いしてるから、大体の勝手は把握してた。
「あなたは頑張り過ぎなのよ。たまには部下のひとにもお願いすればいいじゃない」
「信用してないわけじゃないよ? 我が社の社員はみんな、優秀だからね」
商談には必ず自分で足を運ぶのが、ランディのモットーなの。そのために、ただでさえ多忙なスケジュールがよりタイトなものになっていた。
書類の整理なんかの雑用は、なるべく秘書に任せてしまいたいわけ。ところが、以前の秘書に取引の履歴を持ち逃げされたこともあって……それからはあたしが入ってるの。
「おや? あれはネーデ家のご婦人かな」
道中、通りからオープンカフェが見えた。身なりのいい貴婦人たちが、お茶会で盛りあがってる。グナンパレスの東区は、西に比べて、静かに寛げるお店が多い。
ランディだって本当は、日がな一日、お茶を飲んでいても許される立場だった。
「あなたもたまには、ああやって休まなくちゃ」
「新市街地の開発が一段落すれば、思いきり休むさ」
貴族って大抵、贅沢な暮らしをすることが『矜持』だと思ってるんだもの。事業を立ちあげても、ほとんど他人任せにして、飽きたら売却するのが恒例だった。ランディのように自ら精を出し、結果まで出してる貴族って、かなり珍しい。
そんな努力家の彼が、親族にはあまりいい顔をされないこと、あたしは知ってた。誉れ高い貴族が商人みたいにお金ばかり稼いで、なんてふうに軽蔑されてる。
成功して、王様に一目置かれてることも、面白くないんでしょうね。
「新しい街ができるのって、来年だったかしら?」
「予定ではね。陛下も期待なさっておいでだから、みんなにも頑張ってもらわないと」
部下思いの言葉が自然と出てくるのが、ランディのいいところ。
大使館に着いたら、ふたりで身だしなみを念入りに確認する。あたしも今日はビジネススタイルのおかげで、同行に問題はなかった。
「議事録は頼んだよ、シャーロット」
「うん。任せて」
相手は遥か東方にある、景国の使節団。西方からは『眠れる獅子』と恐れられているほどの大国家で、海の向こうまで影響力を有している。
ランディは愛想のよい笑みを浮かべ、使節団の団長と握手を交わした。
「グナン王国へようこそおいでくださいました、みなさん。長旅でお疲れでしょう」
「おぉ、ランディ=アシュフォード殿! 息災でいらっしゃいましたか。ご活躍のほど、本国でも耳にするほどですぞ」
「いやはや、お恥ずかしい。どうぞ、お掛けになってください」
景国のひとはキモノっていう風変わりな服を着てる。
「お土産をお持ちしましたので、ぜひ」
「お気遣いありがとうございます。さて、積もる話もありますが……」
こうやってランディ社長が誠実な物腰で、じきじきに出張るからこそ、異国のひとも心を開いてくれた。あたしは彼の隣に座って、議事録に取り掛かる。
議題はおもに建設中の、東方系の市街地について。あとは交易の確認と、関税の調整などが話し合われた。勉強不足のあたしには難しい。
議事録が遅れがちになると、ランディが間を取ってくれた。
「大丈夫かい? シャーロット」
「う、うん。続けて」
団長さんが何やら納得したふうに頷く。
「そちらは恋人ですか、ランディ殿? 隅に置けませんな」
そんな反応を待っていたかのように、ランディはあたしの肩を抱き寄せた。
「ふふふっ。彼女には公私に渡って、支えてもらっているのですよ」
「ち、ちょっと? ランディってば……」
あたしはバランスを崩し、彼の胸にもたれかかるしかない。
使節団の方々はあたしたちの関係を誤解しちゃってた。
「はっはっは、仲がよろしいですなあ! っと、どこまでお話しましたのやら」
「中継宿の値下げですよ。私はまだ下げる時期ではない、と考えておりますが……」
何事もなかったように議論が再開され、議事録はさらに遅れる。あたしはランディに腕をまわされながら、ぎこちなくペンを走らせた。
やっぱりランディ、本気なんだわ。ランディ=アシュフォードには可愛い恋人ありと、あちこちで見せつけ、あたしの逃げ場をなくそうとしてる。
まずいんじゃないかしら……?
お昼時になって、ようやく会合が終わった。あたしはランディとともに景国の大使館をあとにし、ランチを済ませることに。
「いい天気だし、さっきのカフェに行こうか」
こんなふうに誘ってくれる分には、優しい『お兄さん』なんだけど……。ランディったら、会合が終わるまで、あたしから手を離そうとしなかったんだもの。
あたしはぷいっと顔を背け、秘書の役に徹した。
「時間厳守でお願いしますね、社長」
「まだ怒ってるのかい? やれやれ、仕事熱心なパートナーだ」
社長には悪びれた様子もない。
まんまとペースに乗せられてばかりいたら、一週間後には恋人にされちゃいそう。お仕事を理由にできる時は、なるべく距離を取ったほうがいいかもね。
解毒剤の補充はいつになるのよ、チェルシー?
あたしたちは馬車で、来る時に通り過ぎたオープンカフェまで戻った。ランチには少し遅くなったおかげで、外の席が空いてる。メニューの別紙には『本格派! 西風パスタをご賞味あれ』って宣伝があった。
「私はボンゴレをいただこう。シャル、君はどれだい?」
「えぇと……じゃあ、ミートスパゲティで」
喫茶店にしては、ランチのメニューが充実してるわ。でもランディがわざわざこの店を選んだ理由には、おおよその察しがついた。
「お茶が目当てなんでしょ?」
紅茶愛好家が『図星を突かれたね』と苦笑する。
「もちろんさ。意外にこういう店にこそ、素晴らしい出会いが隠れてるものでね」
美味しい紅茶との出会いは、ランディにとって運命の出会い。
なのにランディは持ち前の資金力で、茶葉を集めようとはしなかった。お屋敷にも二、三種類くらいしか常備してないの。
「そんなに好きなら、買っちゃえばいいじゃない。疲れも取れるわよ」
スパゲティを待ちながら、あたしは首を傾げた。
するとランディが大袈裟なジェスチャーまでつけて、熱弁を振るい出す。
「確かにそうだね。アシュフォード家の力があれば、茶葉を揃えるくらいは造作もない。けど集め終わったら、心躍るような探求もおしまいじゃないか」
「手に入れるまでが大事ってこと?」
「そうとも言えるかな。例えば……だ、西方が大航海時代だった頃、こんな話がある」
このお話、スパゲティが来るまで続きそうね。
「当時は黄金より高価だった胡椒を求めて、みながこぞって船を送り出した。そうして山ほどの胡椒を手に入れた資産家は、晩餐会で、それをどうしたと思う?」
あたしは人並みの想像力を働かせて、彼の問いかけに答えた。
「ご馳走したんじゃないの? おれはこんなに胡椒を持ってるんだぞ、って」
「惜しいね、目的は君が言った通り。でも資産家は見せつけたいがために、料理が埋もれるほどの胡椒を使ってしまった」
ランディはてのひらをひっくり返し、淡々と呆れる。
「ところが、客はそんなものを喜んで食べたのさ。金の味だってね」
小話としては面白かった。それに、このストーリーには彼の価値観が含められてる。
「貴族ってやつの金の使い方は、いつもこうなんだよ。周囲もそれを当然に思って、もてはやす。滑稽だろう? だから私は、趣味を金任せにはしたくないのさ」
熱弁が終わったタイミングで、スパゲティが運ばれてきた。あたしたちは食後の紅茶を注文してから、フォークを手に取る。
「ランディって時々、妙なこと知ってるわよね」
「わからないことだらけだよ。君の心の真意とか……ねえ、シャル?」
あたし、うっかりフォークを落としてしまった。店員さんがすかさずやってきて、取り替えてくれる。でもフォークどころじゃない。
実はランディどころでもなくなった。
「すまない。君を困らせるつもりはなかったんだよ」
「あ、ううん? そういうことじゃなくて……なんていうか」
彼の後ろにある大通りを、白馬の王子様が通り掛かったの。若き王子が美しい白馬で闊歩するさまに、みんなが惚れ惚れとしてる。
でも……でもそれ以上に驚いたのは、彼の後ろに乗ってる女の子だった。満開の花のようなドレスを着て、馬に揺られてる。
髪は鮮やかなピンク色のツーサイドアップ。羽根は隠れてるけど、間違いなかった。
何やってんのよ、チェルシー!
しかもミストと一緒って、どういうこと?
あたしはこめかみに青筋を立てながら、声を張りあげてやりたいのを我慢する。
「連れてきてやったぞ。このあたりでいいんだろ」
「それよか、お腹減ったってば。ご馳走してよ、おーじさまー」
甲高い声にランディが気付いた。
「ん? おじさま?」
「まっ、待って? ランディ……」
ランディに後ろを見られたくないし、ミストに見つかるのはもっと厄介。あたしは小芝居を打ち、スパゲティのミートソースをブラウスに、わざと落とした。
ミストたちには聞こえないように、小さな声で騒ぐ。
「きゃー。やっちゃったわ」
「火傷してないかいっ? 参ったね……今、拭くものをもらってくるから」
嘘なのに、ランディは本気で心配してくれた。オープンカフェには店員さんが常駐していないため、早足で店内へと入っていく。
うぅ、ごめんなさい……。
それもこれも、チェルシーがミストと一緒に現れたのがいけないのよ。
「うるさいやつだな。食べたいものがあるのか?」
「えーとね、えーと、お蕎麦ってやつ! あっちのほう」
ミストとチェルシーという性悪コンビは、あたしに気付かず、行ってくれた。
性悪……だけど、道行くひとが見惚れるほどの美男美女で、見た目にはお似合いのカップルだったかもしれない。
チェルシーみたいに可愛い子だったら、ミストも優しいのかしら……。
ランディが慌ただしく戻ってきた。
「借りてきたよ。これで拭くといい……けど、染みになりそうだね」
「あの、気にしないで? これ、もう古いブラウスだし……」
「それなら、私が新しいのをプレゼントしよう。秘書への経費として、ね」
ランディのお茶目な優しさに、罪悪感が込みあげてくる。
惚れ薬を早くなんとかしなくちゃ、オリエガにもランディにも失礼だわ。望まずとも、あたしはふたりの気持ちを裏切ってるんだもの。
その夜、家に帰ったあたしは、怒り心頭にチェルシーを問い詰めた。
「チェルシー! お昼のあれは何よ!」
「おわっ、シャル? お昼のって、えっ? え?」
寝転びながらお菓子を食べてた、小さな妖精さんが跳び起きる。
「ミストと一緒にいたじゃないのっ。大きくなって!」
「あー、あれのこと?」
チェルシーは自分の背丈以上もあるビスケットを平らげ、うーんと伸びをした。
「ミストが来てさあ、ママさんも寝てるから、アタシが出てあげたわけ。シャルはいないのかってゆーから、一緒に探しに出たの」
「……それで、お蕎麦だけ食べて帰ってきたのね、あなたは」
「え、見てたの?」
妖精さんの危なっかしい行動に、あたしはひやっとする。
ランディと一緒にいるあたしのところへ、ミストを連れていこうとしたあ? 鉢合わせしたら、大変なことになるじゃないの……。
「お願いだから、気をつけてよ。ランディとミストはライバルなんだから……」
「そっか、そっか。忘れてたわ」
「忘れてた、じゃなくって! 解毒薬はまだなの?」
あたしは椅子にどすんと座って、腕組みを深めた。この妖精さんを懲らしめる方法があったら、すぐにでも実行したいのに、思いつかない。
「ところで、あの姿は何だったのよ。あなた、大きくなってたでしょ」
「違う、違う。あれは大きくなったんじゃなくて、今が小さくなってんの」
チェルシーは指でくるっと円を描きながら、おまじないみたいな呪文を唱えた。
「とっても素敵なアタシに戻れ~」
俄かに眩い光が集まってきて、妖精さんを包み込む。
「きゃ……っ?」
あたしの目の前で、大きなものが揺れた。それは……ふくよかな胸。
「あんな小さいなりじゃコントローラーも持てないじゃない。これがほんとのアタシ」
魅惑のプロポーションを見せつけるように、チェルシーはポーズを決めた。
愛らしい美貌が無邪気な笑みを浮かべる。
「どお? カワイイでしょ」
「う、うん……」
悔しくなるくらい可愛かった。ついでに胸の大きさが腹立つ。
「あ、そーだ。おっぱいがおっきくなる薬、シャルにあげよっか?」
「……………やめとく」
ちょっと考えてしまった。惚れ薬の前例もあるから、危ない橋は渡らない。
「なんで小さくなってるのよ、普段は」
「そりゃあ、身体が小さいほうが、お菓子いっぱい食べられるじゃん?」
そんなことだろうと思ってたあたしは、溜息でクールダウンした。この妖精さんには、お菓子禁止令が一番効くんじゃないかしら?
「アタシのことはいいっしょ。そ、れ、よ、りぃ……ひっひっひ」
美少女となったチェルシーが愉快そうににやつく。
「王子様も随分とシャルにご執心みたいよぉ? あれでスケベじゃなかったら、ポイント高いんだけどなあ~。もったいない」
熱っぽくなってきた額を押さえずにはいられなかった。
「……あなたももう少しまともだったら、評価が変わりそうなのにね。はあ……」
「なによお、噛みつくわね」
あたし、シャーロット=アヴリーヌの受難はまだまだ終わりそうにない。
お父さん、ここに悪い妖精がいます。やっつけてください……。
☆
アシュフォード社でのお仕事も、一週間が過ぎようとしていた。
ランディの秘書を務めるのも今夜まで。でも、終わりが近いにもかかわらず、ランディのアプローチはほとんどなくなっていた。
「週末だし、今日は早めにあがるといい、シャル」
「ええ……そうするわ」
ランディ社長とシャーロット秘書の関係は、社内では半ば公認になりつつある。だけどまだ『友達』と誤魔化せるくらいの余地はあった。
あたしのために、彼が加減してくれた気がしてならないの。
「私は少し出るよ。書類の整理を頼む」
「わかったわ。気をつけてね」
ランディはマントを羽織って、新市街地の視察に出発した。最近はあたしを同行させることもなく、すごく忙しそうにしてる。
新市街地の開発には国王陛下の期待も掛かってるし、当然といえば当然よね。
あたしは留守番がてら、デスクや本棚の整頓を始めた。ランディが愛用している万年筆には、ほんのりと温もりが残ってる。
その傍には小さな包みがあった。一枚の手紙も添えられている。
『親愛なるシャーロットへ』
あたしへの? 毎日顔を会わせてるのに、わざわざ手紙を置いていくなんて……。
緊張しつつ、あたしはおもむろに手紙を開いた。
『君の気持ちはまだ決まらないようだね。今回は焦らせて、すまなかった。お詫びとしてこれを贈りたいんだ。受け取って欲しい。ランディ=アシュフォードより』
包みの中には白百合の髪飾り。
「ランディ……」
あたしの余所余所しさは見抜かれてたんだわ。原因はあたしのほうにあるのに、彼は一旦身を引く形で、こんなメッセージを残してくれてるの。
あたしに責任を感じさせないために。
ランディには、ううん……オリエガにも正直に話すべきかもしれない。惚れ薬はあたしへの恋愛感情とともに、きっと、思い煩う苦しみまで増幅させてしまっていた。
あたしがひとりで沈む社長室に、誰かが訪ねてくる。
「失礼しますよ、ランディ様。……おや?」
その人物の顔を見上げ、あたしは悲鳴をあげそうになった。
よ、よりによって、ケビンさん?
ケビンさんが眼鏡越しにあたしを睨む。
「ランディ社長はいらっしゃらないのですか? アポイントは取ってあるはずですが」
睨んでるわけじゃなくって、そういう目つきなだけだと、信じたい。
「ええと……先ほど新市街地のほうへ出発なさったばかりです」
幸い今のあたしも眼鏡を掛け、普段とイメージを変えてるからか、シャーロット=アヴリーヌとは気付かれなかった。
スケジュール帳を確認しても、ケビンさんとの予定は見当たらない。
「あの、お間違えになってませんか?」
「ふむ……まあ個人的な用件ですし、日を改めるとします」
ケビンさんは踵を返しつつ、切れ長の瞳を光らせた。
「……で? シャーロット様はこんなところで一体、何をしてるんですか?」
ばれてる。
「あ、あら? どこかでお会いしましたっけ……」
「ほう? 誤魔化したくなるほど、後ろめたい理由があるわけですね。オリエガ様はこのことをご存知なのでしょうか」
まずいことになってきた。身体が蛇に睨まれた蛙のように強張る。
先週はオリエガの愛人だったはずの女が、別の男性のところで留守を預かっているんだもの。疑われて当然だった。
これ以上は誤魔化しきる自信もなくて、あたしは切実に両手を合わせる。
「お願いです、ケビンさん! オリエガにはしばらく内緒にしててください。問題が解決したら、ちゃんと事情をお話しますから」
誠心誠意の思いが伝わったのか、ケビンさんは折れてくれた。
「……はあ。承知しました。ただし、いずれオリエガ様にも話してもらいますよ」
「ごめんなさい、ケビンさん……」
まだミストじゃなかっただけ、よかったかも。冷や汗が引いていく。
「では、わたくしはこれで。社長によろしくお伝えください」
「あ、はい。わかりました」
ケビンさんは早々に帰っていった。
はあ~、心臓が止まるかと思ったわ。ケビンさんがやってくるなんて、夢にも思わなかったもの。おかげで、生きた心地がしないっていうのを経できた。
こういう時こそ、妖精さんに助けて欲しいのに。チェルシーったら、どこで油を売っているのやら……。例のシナリオも、書き途中で放ったらかしになってる。
「これからどうなるの……?」
ランディからのプレゼントを手に、あたしは不安を抱かずにいられなかった。
☆
一介のメイドとなったシャーロットをしげしげと眺め、ミスト王子は眉を顰めた。
「気に入らないな。スカート丈が長すぎるじゃないか」
「こ、こういうデザインなのよ。ほかのメイドさんもそうでしょ?」
シャーロットは顔を真っ赤にしながら、膝まであるスカートを押さえる。
「だめだ。もっと短くしろ」
「嫌に決まってるじゃないの。ヘンタイ!」
新米メイドの初々しい抵抗ぶりに、王子はますますつけあがった。
「反抗的なやつめ。でも僕は、従順なやつより、悔しがるやつを服従させるのが、最高に好きなんだ。お前は僕の好みがよくわかってるな、シャル」
「……サイッテー!」
「おいおい、こんな昼間から興奮させてくれるなって」
ミストの口元に嗜虐の笑みが浮かぶ。
自宅のベッドで目を覚ましてすぐ、あたしは疲労感とともにうなだれた。
あの時のこと、夢で見ちゃうなんて……はあ。
去年、ミストの誕生日を忘れてたことを責められてね。お詫びとして、お城でしばらくメイドを務めたの。王子様の専属メイド。
あのセクハラ三昧の生活が、また始まるのかと思うと、お布団から出たくなくなる。
なのに、今朝のチェルシーは珍しく早起きまでして、準備を済ませてた。
「今日からお城でしょ? さっさと行くわよ、シャル!」
「なんでそんなに楽しそうなの、チェルシーは……」
今週は家に帰ることもできない。お父さんが帰ってきてるから、お母さんの心配はいらないけど、一家団欒はお預け。
あたしは顔を洗って、なるべくフォーマルな服に着替える。
あたしの荷物には、チェルシーの書きかけのシナリオも入ってた。
「王子様とメイドの恋……くふふ、いいわねー」
「何がいいのよ? もう」
「そりゃ、身分違いの恋とか? 王子様には許嫁がいて、ヒロインは地方領主んとこに遠ざけられたりするんだけどさあ、実はヒロインが隣国のお姫様だったりして」
「残念だったわね。勇者の娘で」
お気楽でいられる妖精さんが、本気で羨ましい。
「それじゃ、お父さん、お母さんのことお願いね。行ってきます」
「アタシも行ってきまぁーす、パパさん」
家を出たところで、あたしは懐かしいひとと出会った。
耳が尖ってて、青色の身体をしてるのは、魔族。かつては魔王の下僕で、お父さんとも戦ったことがある、アスタロートさんだった。
「アスタロートさん!」
「早いな、シャーロット。こんな朝から出掛けるのか?」
「うん。お城まで……ミスト王子に呼ばれてるの」
魔族って悪者のイメージがあるけど、アスタロートさんは温厚なひとよ。動物を愛し、どうして魔王の手下なんてしてたのか、理解に苦しむほど。
「少し気になることがあってな、ジョナサンに相談をと、こうして出向いたまでだ」
「お父さんなら中にいますよ」
「ありがとう。……そうだ、城に行くなら、お前が嫌ってる王子とやらに、これでも食わせてやれ。フッフッフ」
アスタロートさんがお土産のひとつを、あたしにくれる。
暗黒トマトだわ。トマトが大嫌いなミストには、効果抜群かも。
「……惚れ薬とかじゃないですよね?」
「ん? そんな効力はないぞ」
魔王の手下が人間の王子様に食べさせるものなんて、子ども向けのお話だったら、毒に違いないでしょうけど。アスタロートさんはどこぞの妖精なんかより信用できる。
「ゆっくりしてってくださいね。あたしはしばらくお城なんですけど……」
「オレのことは気にしなくていい。ではな、シャーロット」
あたしの周りにいる常識人は、お父さんとアスタロートさんだけだった。
アスタロートさんが家に入るのを見計らって、チェルシーが荷物から顔を出す。
「ダークヒーローってのもアリねえ」
「いくつ離れてると思ってるのよ。奥さんだっているんだから」
あたしはチェルシーを連れ、お城を目指した。
お城に着くと、メイドさんにお部屋まで案内される。
「こちらになります」
「……は、はあ」
シャーロット=アヴリーヌのために、本当にお部屋が用意されてた。シャンデリアといい、天蓋つきのベッドといい、今日からメイドに加わる女性のものじゃない。
「あと、こちらがシャーロット様の給仕服となります」
ハンガーには可憐なメイド服が掛けられていた。
だけど、メイドさんが着てるのとは、デザインがまったく違うの。フリルが多めにアレンジされてるうえ、スカートが短すぎる。この丈、見えちゃうでしょ?
「ミスト王子の専属メイドだなんて、羨ましいですわ。お話、聞かせてくださいね」
「え? あ、あの……」
メイドさんは含み笑いを残し、そそくさと退室していった。
どうやらすでに噂になってるみたいね。王子様とメイドの恋物語ってやつ。
チェルシーが身体は小さいくせに豊かな胸を張る。
「どーお? そのメイド服、アタシがデザインしたのよ」
「……あなたが?」
意外な事実にあたしは瞳を瞬かせた。
「ミスト王子と一緒だった日があったじゃん? あの王子、アタシのセンスのよさに感激しちゃってさあ。『シャルのメイド服を作ってくれ』って頼まれたの」
シナリオを放ったからしにしていたのは、このためだったのね。
私服でお城の中をうろつくわけにもいかないから、これに着替えるしかなかった。スカート丈が一番気になるけど、デコルテのせいで胸元も開いてて、心もとない。
ガーターベルトまで用意されてるなんて……。ニータイツを限界まで伸ばしても、フトモモが見えちゃうほど、問題のスカートは短かった。
チェルシーが満足そうに頷く。
「メイドさんと言ったら、これよ、これ! 誘惑的な絶対領域! シャルってば、割と色気あるじゃん。これなら王子様だってイチコロよ、イチコロ」
「……どーだか」
オリエガやランディと同様、ミストまで苦しめるつもりはなかった。でも、こんな服を着せたがる変態に、情けは無用かもね。
ヘアアレンジは妖精さんにやってもらう。チェルシーは自分の背丈ほどある櫛を器用に振って、あたしの髪を梳いた。
「大きくなったほうが、やりやすいんじゃないの?」
「えー、めんどくさい。元に戻るのって、気合いんのよ」
仕上げにヘッドドレスを乗せたら、メイドのシャーロットが完成。あたしは姿見の前でターンして、出来栄えを念入りに確認した。特にスカートのあたりを、ね。
「いーい? シャル。王子様に悪戯されたら、こう言うのよ。『お戯れが過ぎます、ご主人様ぁ』って。あま~い声でね!」
「あなたのデザインって時点でもう、悪ふざけが過ぎてるんだってば」
ヘッドドレスがあるから、ランディにもらった髪飾りはつけられなかった。でも、それをつける覚悟なんて、あたしにはない。
むしろ使わずにいられることに、心のどこかでほっとしてた。
「じゃ、アタシはテキトーにお城を探検してるから」
「一緒に来ないの?」
「取材よ、取材。王子様の夕食に惚れ薬を混ぜたっきりなのよねー、ここに来るのって。そん時は夜だったから、見てまわれなかったし」
食いしん坊な妖精さんのことだから、真っ先に厨房に行くに違いないわ。
あたしはひとりでミストのもとまで挨拶に向かうことに。今日の午前中はお休みらしいから、お部屋であたしを待ちかねてることは、想像がついた。
お城を上へとあがって、王子の私室をノックする。
「来たわよ、ミスト。いるんでしょ?」
「入っていいぞ」
覚悟を決めて、おずおずと足を踏み入れると、慣れない花の香りに迎えられた。キンモクセイ……かしら? あれは秋の花で、グナン王国では珍しいって聞くけど。
ソファにゆったりと腰掛けているミストが、読んでた本を畳む。
「……シャーロット」
名前で呼ばれて、どきりとした。いつもはぶっきらぼうに『シャル』なのに……。
「な、何よ?」
無遠慮な視線を浴びせられ、あたしはスカートをしっかりと押さえる。
「似合ってると思っただけだ。チェルシーとかいうやつに頼んだ甲斐があった」
王子様はやにさがって、あたしに手招きした。
「さっさと来い。僕のメイドだろ」
「それは明日からよ。今日はまだお休みなの」
「だめだ。ここでは僕に従え」
いつもの強引な物言いのようで、何かを抑えてるようにも聞こえる。あたしは警戒しつつ、彼の視線を向かい風のように感じながら、おもむろに歩み寄った。
「前にメイドをさせた時より、断然いいな。なんといっても、フトモモがいい」
「ほんっと、どうしようもないスケベね、あなたって」
「しょうがないだろ。さて、と……」
ミストがソファの空きスペースを叩く。
「耳掃除でもしてもらおうか」
「……はいはい」
それくらいなら、とあたしは妥協した。
だけどソファに座って、膝を揃えたところで、大変なことに気付く。フトモモは今、露出してるわけで……そこにミストが頭を乗せることになるじゃないの。
「ま、待って? やっぱりだめったら、ミスト!」
「フフフ、楽しませてくれるじゃないか」
ミストは喜々として、あたしのフトモモを枕にしてしまった。
大きな猫を飼ってるみたいだわ……。
「どうした? 耳かきなら、そこにあるだろ」
「うぅ……お、憶えてなさいよ?」
我侭な王子様には従うほかなかった。
下手に抵抗して、余計な命令を追加されても困る。それに耳かきの間はミストだって、おとなしくしてくれるはずだもの。
「……ところで、あのチェルシーってやつ、お前とはどういう関係なんだ?」
「へ? ええっと……友達よ、友達。ちょっと変わってる子でしょ」
ミストはじっとしてるのに、フトモモがくすぐったい。
あたしと結婚だなんて、本気なのかしら?
勇者の活躍は二十年も前のことで、娘のあたしにカリスマ性は欠片もなかった。勇者に娘がいるってこと自体、知ってるひとが少ないほど。
ミスト王子のお相手には、景国のお姫様とか、ほかに相応しい女性もいる。
それでも彼があたしを選びたがるのは、惚れ薬のせいだった。
「そういえば、シャル、一週間で帰りたいと言ってたな?」
「え、ええ。いきなり結婚だなんて言われても、困るに決まってるじゃない」
「お前の都合など知らないな。もうここに住め」
ミストの強引さだけは、惚れ薬を飲む前と変わらない。あたしを口説こうとする素振りもなく、フトモモの感触を堪能していた。
「夏はこれからだぞ。その意味がわかるな? フッフッフ……」
「だから、魔王の手下みたいな笑い方、やめてってば」
アスタロートさんはこんなスケベそうな笑い方、しないけどね。
「月が変わったら、お前のお披露目パーティーだ。ドレスはまたチェルシーにでも頼むとしよう。あいつは僕の好みがよくわかってる」
「あの子、作家? らしいわよ」
「そんなに知的なやつには見えないぞ?」
相槌を打ちながら、あたしは内心はらはらした。
お披露目パーティーなんてされたら、いよいよ引き返せない。オリエガとランディにもことが知れて、大事件になっちゃうわ。
勇者の娘が三人の男性と交際よ? お父さんの名誉にも傷がつく。
解毒薬の補充が見込めないとしたら、結論を出さなくちゃいけなかった。惚れ薬を飲んだのは三人で、その解毒薬はふたつ。
ふたりとは関係を解毒薬で清算して、あたしは残ったひとりと……結婚する。
オリエガやランディと結婚することになったら、あたし、どうなるの? 相手が嫌ってわけじゃなくて、女として、自信がない。
惚れ薬がなかったら、誰もあたしを求めはしなかったもの。
「なあ……シャル」
あたしの膝を我がものにしながら、ミストが呟いた。
「どうかしたの? ミスト」
「お前はどういう男が好みなんだ? まあ、僕がシャルの理想だとは思うが」
「その自信はどこから来るのよ……」
あたしは耳かきの手を休め、はっきりと答える。
「スケベじゃないひと」
「待て、お前は勘違いしてるぞ。僕はシャルにしかセクハラしない」
「そんなふうに言われて、女の子が靡くと思ってるの?」
あたしとミストの間にはいつも、こういう冗談めいた憎まれ口があった。
ミストがあたしに愛を囁いてくれるシーンなんて想像できないし、あたしだって、ミストに一途になれるわけがない。やっぱり年下だもの、こいつ。
「あたしの好みを教えてあげる。年上がいいわ」
いずれオリエガかランディの二択になりそうだった。
「……どうしようもないじゃないか。そんなに僕じゃ、不服か?」
「お妃になっていい女じゃないわよ、あたし。わかるでしょ」
あたしとミストの言い分は、ずっと平行線。
相性の悪さなら自信があった。
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