ダーリンのおぱぁい大作戦!

第5話

 学園の地下、ARCのケイウォルス司令部にて、第四部隊は召集を受けた。

「急に集まってもらって、悪いわね。状況は……周防、説明してあげて」

「はい。みなさん、こちらの地図をご覧ください」

 司令官の愛煌=J=コートナーが書類の束をデスクに投げ込む。オペレーターの哲平は端末を小刻みに叩きながら、口を開いた。

「駅前のスポーツジムがカイーナになったんです。けど、おかしいんですよ。まったく兆候もなしに、十分ほど前、いきなり迷宮化してしまいまして……」

 大抵のカイーナ化には、怪奇現象が多発するなどの前触れがある。しかし今回の迷宮は忽然と姿を現したうえ、妙な気配を漂わせていた。

 澪が焦って前のめりになる。

「民間人が巻き込まれたんじゃないんですかっ? 早く救援に行かないと!」

「そこなのよ。本来、巻き込まれたはずの人間が……」

 一方で、愛煌と哲平は落ち着き払っていた。

「カイーナ化した時には全員、外で寝てたというんです。正直、僕にはわかりません」

「そんなことが……?」

 ひとまず救助対象はいないため、急行する必要はないらしい。

「……で、オレたちが調査に向かえってことか」

「ええ。第四なら、すぐに召集がつくし、編成のバランスもいいもの」

 これが第四部隊の強みだった。同じ学校にメンバーが揃っているからこそ、有事の際は効率的な団体行動が可能となる。

「ただちに出撃しなさい」

「了解よ」

 リーダーの閑は誰とも目を合わせず、立ちあがった。

「行きましょう。わたしたちでカイーナの正体を突きとめるのよ」

「え、ええ……」

 沙織たちも戸惑いつつ、席を立つ。

(まだ怒ってんのか、閑のやつ)

 輪はやれやれと肩を竦め、彼女らのあとに続こうとした。ところが、愛煌に輪だけ呼び止められる。

「待って、輪。御神楽とは連絡がつけられないかしら」

「あいつと……? オレはメールのアドレスも知らないぜ。そっちこそ、番号くらいは把握してんじゃねえのか」

「何度コールしても、反応がないのよ。さっきから比良坂のも鳴らしてるけど」

 第六部隊とやらの問題行動はあとを絶たなかった。

「とりあえず行ってくるぜ。サポートは頼む」

「あなたが優等生に思えてくるから、怖いわ……」

 今回は第四部隊で現場に向かう。

 

 問題のスポーツジムでは、ARCと協力関係にある警察が、すでに封鎖を完了していた。輪たちはイレイザーの手帳を提示し、イエローテープをくぐる。

 駐車場のほうで、ジムのスタッフらしい男性が事情聴取を受けていた。

「いつの間にか、お客様もみんな、外におりまして……何が起こったのか、もう……」

 愛煌たちの言う通り、人的被害はなかったらしい。

(どうなってんだ……?)

 カイーナが出現すれば、イレイザーは第一に『民間人の保護』のために出撃する。だが今回のカイーナは誰も巻き込まずに迷宮を作りあげてしまった。

 澪も表情を曇らせる。

「素直に喜べませんね。何かあるに違いありません」

 第四部隊はカイーナへと突入し、バトルフォームにチェンジする。

 性能だけは高いものの、女子はスクール水着のスタイルを披露する羽目になった。輪だけ、無難なスパッツのタイプのため、彼女らの顰蹙を買わずにはいられない。

「ダーリンちゃんもスクール水着、着ればいいのに……」

「二度と着るかっ! あれのせいで、オレがどんな目に遭ったと」

「変態扱いはいつものことじゃないですか」

 スクール水着の恰好となった黒江は、恥ずかしそうに優希の陰に隠れた。じとっと輪を見据え、あからさまに警戒する。

「りん……スクール水着、好きでしょ」

「オレの評価はどこまで落ちてくんだよ……それよりカイーナを調べるんだろ」

 輪はカイーナに目を向け、ジェスチャーで隊列を指示した。

 前衛は沙織と優希で、中衛は輪と閑。後衛は黒江と澪が担当し、迷宮を進む。しかし迷宮は単純な構造で、曲がりくねっているものの、一本道が続いた。

レイも出現せず、優希が戦闘態勢を解く。

「妙だよね、これ……」

『四葉さんの言う通りです。回線も百パーセント、機能してますし』

 いつもなら雑音が混じる通信も明瞭だった。

 民間人を巻き込まなかったことといい、このカイーナは違和感が強い。やがて輪たちは大きな広間に出て、前衛の沙織がハルバードを構えた。

「お気をつけなさい。……あれは?」

 ホールの中央にはひとりの女性が佇んでいる。

「……うふふふ」

 彼女が指を鳴らした途端、輪の足元にあった床が抜けた。

「うわっ?」

「り、輪! 掴まって!」

 閑の手もあと少しで届かず、輪だけ、下のフロアに落とされる。

 スキルアーツの力が身体に反映されているおかげで、どうにか着地には成功した。

「いてて……落とされちまったか」

 天井は閉じ、ほかのメンバーと分断される。

(黒江が張ってたのに、罠に掛かったってのか? さっきの女といい……)

 カイーナの落とし穴はもっとも警戒すべきトラップだった。引っ掛かったが最後、脱出の経路を失い、先の見えない消耗戦を強いられることになる。

下に行くほどレイが強くなることも、状況を悪くした。

(……来たか?)

 今度こそレイの殺気が近い。輪はブロードソードを構え、一匹の大型レイと対峙した。虎のような魔物が輪を見つけ、牙を剥く。

「まずはこいつを片さねえとな」

 たったひとりで戦うことになってしまった。冷や汗が頬を伝う。

 それもそのはず、第四部隊の真井舵輪は優秀なイレイザーではなかった。レベルは低いうえ、ブロードソードも攻撃力はたかが知れている。ARCの総合評価においても、一之瀬閑がレベル18に対し、真井舵輪は9だった。

「ひとりじゃねえってとこ、見せてやるよ。……来な!」

 レイが咆哮をあげ、突進してくる。

 輪は真っ向から受けず、右に跳んだ。ところがそれはフェイクで、実際は左にかわし、相手の空振りを誘う。それだけの俊敏な動きが、今だけは可能となっていた。

 優希のパンツを被れば、スピードが数倍に強化される。

「格好は悪ぃけど、大したもんだぜ、オレのスキルアーツは!」

 これこそが真井舵輪のスキルアーツ、パンツエクスタシー。女性イレイザーのパンツを頭に被ることで、その持ち主と同じ力を行使できる。

 見た目には変態であろうとも。

「止まって見えるぞ!」

 スピードでは輪のほうが圧倒的に相手を上まわった。レイが向きを変える間にも、背面に一撃を加え、離脱するだけの余裕がある。

しかしブロードソードで切り裂くには、単純にパワーが足りなかった。

「効かねえか。だったら、こいつで!」

輪はレイの手足にダメージを与え、動きを鈍らせる。

それからパンツを沙織のものに変え、スピードの強化をパワーの強化に切り替えた。ブロードソードがハルバード状に変形し、重量のある刃を振りあげる。

「とどめだっ!」

 渾身の一撃がレイの巨体を真っ二つにした。

 上のフロアから階段がさがってきて、閑たちも降りてくる。

「輪! 大丈夫な、の……?」

しかし彼女らは輪の珍妙な恰好を目の当たりにして、一様に眉を顰めた。パンツの持ち主である沙織は、歯軋りさえする形相で、わなわなとこぶしを震わせる。

「……確かに、合意のうえで、お渡ししたわけですけど……」 

慌てて輪はパンツを外し、かぶりを振った。

「そんなつもりで被ったんじゃねえって! その、さっきは沙織の力が必要でさ」

「無事ならいいわ。それより」

 閑が階段のほうを睨みつけ、ジェダイドの刃を光らせる。

 上から降りてきたのは、先ほどの女性だった。

「あなたの力、見せてもらったわ。さ、さすが、我らが王となる……」

 しかし話の途中で青ざめ、やるせない溜息をつく。パンツなんぞを被った輪の雄姿が、ショッキングだったのだろう。

「……はあ。ごめんなさい、申し訳ないけど、仕切りなおしてもよろしいかしら」

「え? あ、ああ……」

 目の前に新たなレイが出現した。

とはいえ小ぢんまりとした個体で、黒江も涼しい顔で分析する。

「レベルはたったの2。りんでも、余裕」

「任せろ!」

さっきの魔物と同じように、輪はブロードソードでレイを一刀両断にした。すると、謎の女性が高笑いを響かせる。

「さすが我らが王となる者ね! 素晴らしい力だわ!」

 本当に仕切りなおされ、輪たちは唖然とした。

「レベル2のレイなら、マジシャン系でもスキルアーツで倒せるだろ……」

「ちょっと変なひとだよね。ダーリンちゃんの知り合い?」

「しっ! 突っ込むの、だめ」

 かろうじて黒江が空気を読んで、メンバーを黙らせる。

 女性は杖を振りかざし、胸に手を当て、仰々しい名乗りをあげた。

「お初にお目に掛かるわね。わたしはメグレズ。セプテントリオンのひとり、叡智をもって魔導を統べる、『傲慢』のメグレズよ」

 ブロードソードを構えつつ、輪は聞き慣れない言葉を、そのまま返す。

「セプテントリオン?」

「ふふふ、ご存知ないのかしら」

 ただ者ではないと思っていた。挑発的な言動も、救助を待つ民間人のものではない。だからこそ、輪はこうして剣を向ける。

「黒江、アナライズは?」

「……完了。けど、エラーが出てる」

 黒江のバイザーは真っ赤になっていた。

沙織がハルバードを水平にして、仲間の迂闊な前進を制する。

「わたくし、あのかたを見たことがありますわ。確か輪さんのカイーナで……」

「なんだって?」

 メグレズは不敵な笑みを浮かべた。

「あなたを迎えに来たのよ。マイダーリン」

 閑と澪は輪を挟んで、向かいあいながら、左右対称のポーズでメグレズを指差した。

「あなた、恋人がいたの?」

「綺麗なひとじゃないですか。輪くんも隅に置けませんね」

「違うって!」

 ダーリンは力いっぱいにかぶりを振って、メグレズに訴える。

「お前、オレの名前の発音、間違えてるだけだろ? オレの名前は真井舵、輪!」

「ですから、マイダー、リン……でしょう?」

 メグレズは意に介さず、肩を竦めた。

 優希がぼそぼそと輪に耳打ちする。

「ねえ、それよりさあ……みんな、わかってるふうに話が進んでるけど、せぷん……せぷてんとりおって、なあに?」

「ああ。それはな」

 輪は自信を込めて頷き、物知りそうな黒江に丸投げした。

「黒江さん、教えてください。響きからして、お前の専門分野だろ?」

 黒江がバイザーを外し、呆れる。

「……ラテン語と英語がごっちゃになって、できた言葉。メグレズって言ってるから、北斗七星のことだと思う」

「よくご存知ね、ニケークロエ。いかにも、わたくしたちは七人でひとつ……」

 メグレズは杖をひと振りして、小さな炎を散らした。

「自己紹介はこれで充分かしらね。あなたが来るのを待っていたわ、マイダーリン」

「だから、マイダーリンは名前じゃねえって」

 輪たちは臨戦体勢を解かず、メグレズの動きに注意を払う。

(こいつがフロアキーパーだな)

 以前、輪が暴走し、102号室にカイーナを作りあげたことがあった。同じような力があれば、ほかにもカイーナを生み出し、制御できる者がいるかもしれない。

「ジムの店員や客を外に出したのは、お前なのか?」

「ええ。邪魔されたくなかったもの」

 メグレズが杖で足元を小突くと、四方に奇妙なビジョンが浮かびあがった。どことも知れない黒い谷から、真っ赤な溶岩が噴き出す。

「うわっ? なんだよ、これ……なあ、閑? ……閑?」

 ところが驚いたのは輪だけで、閑や沙織は微動だにしなかった。瞬きさえせず、凍りついたように停止してしまっている。

「黒江、五月道! しっかりしてくれ!」

「フフフ、無駄よ。どんなに叫んだところで、彼女らの耳には届かないわ」

 メグレズは不敵な笑みを絶やさなかった。

「どうなってんだ……お前、オレの仲間になんかしやがったな」

「いいえ。わたくしが暗示を掛けたのは、あなただけ。あのマダラの末裔なのに、まるで抵抗力がないのねえ」

 輪はブロードソードを握り締めるも、緊張のせいで力が入りきらない。

「さっきから、なんのつもりだよ」

「そう邪険にしないで欲しいわね。わたくしは別にあなたの敵ではないのだから」

 四方のビジョンが、電波の乱れでも生じたかのように切り替わった。古風な城を中心として、街並みが円形に広がっているのが、うっすらと見える。

「夜……なのか?」

「そうじゃないわ。太陽が届かない場所にあるの」

 謎めいた都市は闇に覆われそうにながらも、橙色の灯で生活圏を維持していた。無意識のうちに輪の口から回答が零れ落ちる。

「父さんの言ってた、地獄ってやつ、か……」

「ご名答。でも、少し違うわね」

 ふと、メグレズの顔から笑みが消えた。禁忌に触れるかのようにトーンを落とす。

「地獄が今の形になる前のことよ。そこは悪魔たちの住む、いわば『魔界』と呼ばれる場所だったわ。だけど、今より七十年ほど前、大異変が起こってしまった」

 七十年前と聞いて、輪にもぴんと来た。

「くろがねの世界大戦があった頃じゃねえか」

「そう。あの戦乱によって未曽有の死がもたされ、魔界は犠牲者の魂でパンクしたの」

 またもビジョンが変わって、硝煙にまみれた戦場の光景を映し出す。戦車がキャタピラで地面を踏み荒らしていると、地雷のものらしい爆発が起こった。

 この大戦争は、開戦の前は『年末には終わる』と楽観視されていたという。しかし戦車や戦闘機といった近代兵器が初めて大々的に投入されたことで、いたずらに戦火を広げ、人類の半数を死に至らしめてしまった。

 それが、くろがねの世界大戦。

「魔界は一度崩壊し、地獄として、死神たちによって立てなおされたわ。その時、従来の悪魔は勢力圏の大半を失った。今でも残っているのは、このニブルヘイムだけ」

 先ほどの黒き都市のビジョンが再び浮かびあがった。

「……まあ、もとの魔界が『地獄』となってしまったことは、いいのよ。死神たちとは、とっくの昔に相互不干渉も成立してるわ」

「そんな話を、どうしてわざわざオレに……」

「言わなかったかしら? マイダーリン、あなたはマダラの末裔なのだと」

 メグレズの杖が旋回し、足元を小突く。

 すると、輪に似た男性のビジョンが現れた。牙のような形の大型剣を楽々と振るい、レイを一刀両断のもとに仕留める。

「彼がマダラ。生粋の悪魔でありながら、死神たちに手を貸し、地獄の平定に尽力した男よ。人間の感覚でいうなら、あなたのお爺さんに当たるのかしら」

 自分が死神の父と人間の母の間に生まれたらしいことは、知っていた。だが、メグレズの話が本当であれば、輪の力は死神ではなく悪魔とやらの由来となる。

 その映像の中で、輪は見覚えのある顔を見つけた。

(あれは……御神楽?)

 死神の一団には御神楽緋姫にそっくりな女性が混じっている。しかも、ケイウォルス学園のものらしいブレザーまで着ていたような。

『遅れているぞ、レオナ』

『あなたが早すぎるんでしょ、ルイビス』

 再びマダラがズームアップされ、死神らの姿は枠の外へと押し出される。

 メグレズは眉をあげ、まじまじと輪を見詰めた。

「ニブルヘイムは今、王が不在のために不安定なの。そこでマダラの末裔である、あなたを王として迎えたいのよ。マイダーリン」

「んなこと、オレが簡単に信じると思うのか?」

「今に信じるようになるわ。フフフ」

 その指がぱちんと鳴るだけで、ビジョンは消え、閑たちも動き出す。

「どうしたのよ、輪? 真っ青じゃない」

「え? っと、これは……」

 輪とメグレズの間で、かの大戦が話題にのぼったことを、仲間は知る由もなかった。輪はメグレズに正面きって、今度こそしっかりと剣を握り締める。

「お前は今ひとつ信用できねえな。このカイーナだって、お前が作り出したんだろ」

「悪い話ではないと思うのだけど……あなた、高校生にしても、イレイザーにしても、使命感だの目的意識は持ち合わせてないのでしょう?」

 初対面の相手に図星を突かれてしまった。その悔しさも肩を力ませる。

「オ、オレだって、遊びでやってるわけじゃ」

「どうかしらねぇ。そちらのように、訳ありってことでも、ないでしょうに」

 メグレズのまなざしは含みを込め、輪の後ろにいる澪を捉えた。

「フフフ……あなた、旅客機事件の生存者なんですってね。レイを倒せるようになって、少しは気が晴れたのかしら」

「っ!」

 俄かに澪の顔が強張る。

「ど、どうして……あたしのことを」

「その筋では有名な話じゃないの」

 聞くに聞けない事情があるらしいことは、輪も薄々勘付いていた。

五月道澪は本来、ひとつ年上でありながら、輪と同じ学年に在籍している。おそらくレイ絡みの事件に遭って、留年せざるを得なかったのだろう。

「ほかにも……」

 ところが、挑発的だったメグレズのほうも、ぎくりと表情を硬くした。あとずさって杖を構えなおしつつ、輪でも澪でもない、第四部隊のリーダーを慎重に見据える。

「あなた、お名前は?」

「……わたし? 一之瀬閑よ」

 沈黙が続いた。前衛の沙織と優希は間合いを取りかねる。

「このかた、閑さんのお知り合いですの?」

「用があるのは多分、ダーリンちゃんに、でしょ」

 閑はただ瞳を瞬かせるだけだった。メグレズも杖をさげ、高慢な余裕を取り戻す。

「まさか、ね。……さて、心は決まったかしら、マイダーリン」

「返事がノーってことなら、決まったぜ。お前の誘いに乗る気はねえよ」

 改めて輪は拒絶の言葉を突きつけた。

 もとよりメグレズを信用するつもりはなかったうえ、澪の過去を無神経に穿り返されたことに、腹が立つ。

「ニブルなんとかの王だかは、ほかのやつを当たってくれ」

 その反応がわかっていたように、メグレズはしたり顔で唇の端を吊りあげた。

「フフフ……今すぐ決めろ、とは言わないわ。考えるだけの時間をあげましょう」

「な、なんだ?」

 彼女の杖が妖しい光を放つ。

 それは輪の額に命中し、ふつと消えた。後衛の閑が輪を庇って前に出る。

「大丈夫なの? 輪!」

「……ああ。なんともないさ」

 これといった変化は感じられなかった。だが、メグレズの笑みは確信に満ちている。

「次に会った時も同じことが言えるとは、思わないことね、マイダーリン。そう遠くないうちに、当たり前の日常は壊れ、あなたは居場所を失うのだから」

 旋回する杖の向こうで、彼女の姿はすうと消えてしまった。

 黒江のバイザーは真っ赤になってエラーを吐いている。

「さっきの、アーツじゃなかった。りん……ほんとに、おかしいとこない?」

「そう言われても、なあ……オレ、そういう自覚症状は鈍いほうだし」

 迷宮に次元の揺らぎが生じた。フロアキーパーがいなくなったことで、カイーナはもとのスポーツジムに戻りつつある。

すでに澪は踵を返していた。メンバーもそれに続く。

「お話は脱出してからにしませんか」

「そうね。みんな、司令部に帰還するわよ!」

 第四部隊の介入によって、カイーナはその日のうちに消滅。

(オレを王にする、だって……?)

しかし輪にとって、メグレズとの邂逅は釈然としないものが残った。

 

 

 メグレズの一件は愛煌に報告したものの、保留となった。彼女を敵対勢力と断定するには、現時点では情報が少なすぎる。ニブルヘイムとやらの信憑性も疑わしい。

 先日のカイーナでは人的被害がゼロだったことも、保留の一因となった。

 哲平の捜査をもってしても、メグレズの行方は掴めずにいる。強力なジャミングが掛かっているのか、黒江も彼女のスキャンニングには失敗した。

 授業を終え、輪は一足先に教室をあとにする。

「おっと、お前、愛煌が呼んでたぜ」

「また? 面倒くさいわね」

 同じ一組の御神楽緋姫は、サボりから戻ってきたところだった。事なかれ主義の担任は匙を投げたようで、輪も説教できるほどの立場にはない。

(愛煌も大変だな……)

 下駄箱まで降りると、沙織と鉢合わせになった。

「あら、輪さんも今、お帰りでして?」

「スーパーにでも寄ってくつもりだけど。なんなら、一緒にどうだ?」

「構いませんわよ。今日は吹奏楽部もお休みですし。前々から輪さんにはお買い物をレクチャーして差しあげたいと、思ってましたもの」

 買い出しでは値札しか見ない輪は、歩きながら苦笑いを浮かべる。

「ははっ。お手柔らかに頼むぜ」

「コツがわかれば、どうということありませんわ」

さすがプロのメイドだけあって、食材の買い出しにおいて、三雲沙織の右に並ぶ者はいなかった。単純に『安く買う』ことはできるにしても、そのうえで『新鮮なものを手に入れる』には、相応の眼力が必要となる。

「ついでに簡単な料理も教えてくれないか? オレにもできそうなやつ、さ」

「それを閑さんではなく、わたくしにお聞きになりますの?」

 沙織は唇に手を添え、慎ましやかな笑みを零した。

「うふふ、よろしくてよ。ここはひとつ、閑さんをびっくりさせてあげましょう」

「閑のことは今、関係ないだろ……」

 どうにも第四のメンバーには、閑との関係を深読みされてしまっているらしい。女子のペースに乗せられはしまいと、輪は平静を装いつつ、赤信号で足を止める。

「で、沙織は今夜、おっぱいを揉ませてくれないのか」

 信号が青に変わったものの、渡れなくなってしまった。それまで上機嫌だった沙織が、露骨なほどに眉を顰める。

「……わたくしに何か、おっしゃいまして?」

「ち、違う! 今のは口が勝手に……」

 輪は口を押さえ、出掛かった言葉を反芻する。

「疲れてんのかな? とりあえず渡っちまおうぜ、沙織。おっぱいが揉みたいんだ」

 またもや勝手にセクハラ発言が飛び出した。

(どどどっ、どうなってんだ? 何言ってんだよ、オレ!)

顔面蒼白でうろたえる輪に対し、沙織はわなわなと肩を震わせる。

「一度ならず二度までも……いいえ、前回の件を合わせれば、二度ならず三度までも、わたくしに、そのようなことを」

 こうなっては逃げるほかなかった。

「わっ、悪い! スーパーはまた今度な!」

「お、お待ちなさい!」

青の信号が点滅するうちに、輪は急いで横断歩道を走り抜ける。

 間もなく車が動き出し、沙織を向こう側に置き去りにすることには、成功した。

(おかしいぞ、オレ……沙織にあんなこと言っちまうなんて)

 血の気が引くのを感じつつ、輪は信用ならない口を噤む。 

 第四部隊のメンバーには普段からセクハラを働いているとはいえ、それは事故だったり不可抗力だったりした。

ところが今、沙織に二度も『胸を揉ませろ』と要求してしまった。

(寮じゃ、また沙織に会うかもしれないな)

 ひとまず学園まで戻って、司令室にでも隠れることにする。

 その途中、グラウンドでチア部の一団とすれ違った。ランニング中のようで、部員の澪が輪を見つけ、足を止める。

「輪くん、忘れものですか? チア部の見学だったら、お断りしますよ」

「そうじゃねえって……ちょっと司令室にな」

「え? まさか、何かあったんですか」

 何やら事情のある澪にとって、レイの怪奇事件は捨て置けないのだろう。神妙な面持ちで声を潜める。その理由を知りたいと思いながらも、輪はあえて触れずにいた。

「ブロードソードのアーツ構成で調整を、と思ってさ」

「そうだったんですか」

 当たり障りのない嘘で誤魔化し、先を急ぐ。

「じゃあなー、五月道。おっぱいを揉ませてくれ」

 ところが、何気ない挨拶がふたりの間に亀裂を走らせた。澪がみるみる鬼の形相を浮かべ、セクハライレイザーを睨みつける。

「よく聞こえなかったんですけど。輪くん、なんて言ったんです?」

「聞こえてんじゃねえか! ……いや、さっきのはオレが言ったんじゃなくて……」

 輪は慄然として、弁解の言葉さえ思い浮かばなかった。とにもかくにも澪から逃れることを優先し、校舎へと逃げ込む。

「ごめんっ!」

「こら、輪くん!」

 沙織に続いて澪にもセクハラ発言をかましてしまった。

 その原因には心当たりがある。

(まさか、あれか?)

先週、輪はメグレズに何かしらの術を掛けられた。それが輪の口を勝手に動かし、『おっぱいを触らせろ』などと言わせるのかもしれない。

『次に会った時も同じことが言えるとは、思わないことね、マイーダリン。そう遠くないうちに、当たり前の日常は壊れ、あなたは居場所を失うのだから』

 まさしく日常は崩壊しつつあった。

(こいつはまったく予想になかったぜ……なんとかしねえと)

 食堂の脇にあるエレベーターで司令室に直行しようにも、生徒が多い。ここは遠まわりになっても、クラブ棟のほうから梯子で降りることに。

 しかし、よりにもよって、そこで黒江と優希に出くわしてしまった。器械体操部の黒江はレオタードの恰好に制服用のジャケットを羽織っている。

「りん……そんなに慌てて、どうかした?」

「さては体操部を覗きに来たんでしょ。やっらしいなあ、もう」

輪は窓に背中を当てるほどにあとずさり、左手を『待った』と張った。

「オレに話しかけないでくれ! おかしなことを言っちまうかもしれないんだ」

 優希も黒江もきょとんとして、疑問符つきの顔を見合わせる。

「なんのこと? ダーリンちゃんが変なのは、いつものことだよねえ」

「りんには異常でも、私たちにはまともなことかも……」

「冗談で言ってるんじゃないって、優希、黒江! いいから、おっぱいを揉ませろ!」

 またも恐ろしいことを口走ってしまった。優希は呆れ、黒江はその陰に隠れる。

「ダーリンちゃん、とうとうそこまで……」

「セクハラ……自重して」

 当の輪はわけもわからず、涙さえ浮かべた。

「そうじゃないんだ、優希……オレ、お前のおっぱいが揉みたくって……」

 ただ、法則は掴めてくる。女の子を名前で呼ぶと、もれなく『おっぱいを揉ませろ』という言葉も続いてしまうらしい。

 このまま司令室に逃げたところで、御神楽がいるはずだった。先ほどは彼女を『お前』呼ばわりしたために助かったが、次も無事で済ませられるとは思えない。

「うわああああ~っ!」

「あ、りん?」

 鞄も捨てて、輪は闇雲に駆け出した。クラブ棟を出て、寮へと飛び込む。

(メグレズ……なんて恐ろしいやつなんだ!)

 哲平の薦めで読んだ漫画には、モンスターとの戦いのために、主人公の日常が崩壊するといった展開もあった。輪は今、それ以上(それ以下)のものを体験している。

 だが、寮で最後の刺客と遭遇してしまった。輪にとって密かな心の拠りどころ、一之瀬閑が、和やかな笑みで迎えてくれる。

「お帰りなさい、輪」

「し、しず……」

 反射的に名前を呼びそうになったものの、ぎりぎりでブレーキが間に合った。輪は両手で口を塞いだまま、カニ歩きで102号室に逃げようとする。

「どうしたのよ。おっかなびっくりしちゃって」

「いや、なんつーか……その」

 これまでの経験からして、逃げの一辺倒でいては、かえって危機を招く気がした。ここは発想を逆転させ、あえて閑との会話に挑む。

「たまにはお前に夕飯、ご馳走したいなって、思ってさ」

 閑は俄かに顔を赤らめた。

「え? 輪……それって、誘ってくれてるの?」

「いや、オレが手料理で……と思ったんだけど。外食のほうがいいか?」

 この状況で思いのほか、トークに弾みがついてしまい、輪としても引きづらくなる。

 うろ覚えだが、ゴールデンウィークは一緒に恋愛映画も見た。単なる輪の思いあがりにしても、閑との関係は進展の兆候を見せつつある。

「な、なんならさ、また映画のあとにでも、行くか」

「……ううん。映画は今、見たいのがないし」

 案の定、振られた。と思いきや、閑がもじもじと人差し指を捏ねあわせる。

「どうせなら、映画より……今度、エンタメランドに行かない?」

 衝撃が輪を襲った。

 エンタメランドとは、離島にある遊園地のこと。大人気のレジャー施設で、恋人向けのイベントも豊富に揃っている。そこへ男女が一緒に行くことは、交際を意味した。

「あそこは一日じゃまわりきれないって、聞いたぜ?」

「だったら、と……泊まりで。ナイトパレードもすごいらしいから、見てみたいの」

 憧れの閑と遊園地でデート。

 一之瀬閑とお泊まり込みで、遊園地でデート。

(行きたいに決まってんだろっ!)

 今までになく輪は葛藤し、その場にしゃがみ込んだ。

 ここでデートの誘いを断る手はない。下心がないといえば嘘になるものの、閑と遊園地で過ごせるなど、夢のような話だった。

 だが、輪には今、メグレズの非情な呪いが掛かっている。

『一緒に行こう、閑。おっぱい揉ませろ』

 などと答えようものなら、この片想いは無残な形で終わるだろう。

「考えさせてくれ。その……オレにだって、覚悟がいることだから、さ」

「や、やだ……そんなつもりじゃなかったんだけど……」

 もはや自分でも何を言っているのか、わからなかった。閑のほうはまんざらでもない様子で、気恥ずかしそうに胸をかき抱く。

 その時、何者かの影が差し掛かった。輪と閑は仰向いて、目を見開く。

「あ……あいつは!」

 寮の屋根に立っているのは、メグレズだった。

「フフフ……」

しかも、左の脇に少女を抱えている。ぐったりとしているのは妹の蓮だった。

「な、なんだって?」

「蓮ちゃん! どうして、あなたが……」

 メグレズが輪の足元に一枚のカードを投げ込む。

「いつでもいらっしゃい、マイダーリン。待ってるわ」

 それきり彼女の姿は蓮とともに忽然と消えてしまった。何事もなかったようにスズメが通り過ぎ、屋根下の巣へと直行する。

輪はカードを拾い、歯噛みに怒りを滲ませた。

「あいつ……妹は関係ねえだろ」

 挑戦状にはプラネタリウムの地図が記されている。そこまで来い、というのだろう。

「助けに行きましょう。蓮ちゃんをさらうなんて、許せないわ」

「ああ! ケリをつけてやる」

 閑はスクール水着を着用するべく、201号室へと戻る。

(無事でいろよ、蓮……)

力の入りすぎた右手が、カードを握り潰した。

 

 メグレズの誘いに応じ、第四部隊はプラネタリウムへと急行した。

 夕方の五時半を過ぎ、空の色が変わりつつある。メンバーの集合は早かったものの、準備や移動に手間を取られてしまった。

 ARCの専用車両でようやく現地に辿り着く。

「ここにいるってのか?」

 司令室の哲平から情報の更新が入った。

『カイーナ化したのは三十分ほど前です。残念ながら、メグレズとかいうひとの反応は、わかりませんが……みなさん、くれぐれも気をつけてください』

「ああ。そっちでも監視を頼む」

「行きましょう。蓮ちゃんが心配だわ」

 輪たちは決意を込め、頷きあう。

「話はあとでしてよ。一刻も早く、蓮さんを救出しませんと」

「メグレズってやつ、ボクらで懲らしめてやらないとね」

 先ほどは『おっぱいを揉ませろ』発言で怒らせた面々も、ひとまず協力の姿勢を取ってくれた。それだけに、蓮の誘拐は第四部隊に衝撃を与えている。

 問題のプラネタリウムは一昨年のうちに閉館となっていた。借りてきた鍵で扉を開け、前衛の沙織や優希から順番に足を踏み入れる。

「少し埃っぽいですわ」

「そういうとこも再現されるんだね、カイーナって」

 途端に床と天井が逆さまになった。一行は『天井を歩く』ことになり、マッピングに集中していた黒江が、蛍光灯に躓きそうになる。

「……おっと」

「危ないですよ、黒江さん」

 電力は通っていないはずなのに、照明はすべて正常に点灯していた。それがかえって、無人の不気味さに拍車を掛ける。

歩きながら、後衛の澪は声を潜めた。

「閉館されてて誰もいなかったのは、不幸中の幸いだったかもしれませんね。……あ、ごめんなさい。蓮ちゃんが大変な時に、こんなこと」

「気にすんなって。でも、ちょっとわかんねえんだよな……」

 不安に駆られる一方で、輪は冷静な疑問を抱く。

 前回のスポーツジムもメグレズによって、一時的に迷宮へと作り替えられた。しかし彼女はそれを、民間人を追い出したうえでおこなっている。

 今回のプラネタリウムにしても、無関係の人間を巻き込むまいとする、メグレズの意図は感じられた。にもかかわらず、蓮を連れ去るような真似をしている。

「少し暑くありませんこと?」

「気温、湿度ともに六月並み。カイーナ化のせいで、おかしくなってるのかも」

 閑たちはバトルフォームにチェンジした。

真っ白なスクール水着が乾きながらも光沢を放つ。フトモモは付け根からむっちりと食み出し、お尻はスクール水着の薄生地を噛み込んでいた。

たわわに実った巨乳が、セーラー服のようなミニのジャケットを押しあげる。

「ダーリンちゃんも変身したら?」

「変身っていうのか? これ」

 彼女らの水着姿に緊張しつつ、輪もバトルフォームとなった。ブロードソードを構え、仲間とともに曲がりくねった通路を進む。

「りんの武器……新しいの、そろそろ必要だと思う」

「黒江の言う通りね。クラスが決まったら、武器もそれに合わせたほうがいいわ」

「……そうだな」

 黒江も閑も、輪の焦燥感を和らげようと、声を掛けてくれたらしい。

(蓮なら大丈夫さ、きっと。あいつにだって死神の……いや、悪魔の力が……)

 輪自身、そんな気休めを胸中で何度も繰り返した。

 やはり兄として、蓮のことが気に掛かる。妹の五体満足を条件にされたら、魔界に行くしかない、とさえ覚悟した。

 カイーナにはレイも出現せず、単調な道のりが続く。

 ぐるりとまわって、やがて通路は袋小路へと突き当たった。

「ここまで来て、変じゃねえか?」

 迷宮に慣れてきた輪は、行き止まりで首を傾げる。

 黒江のマップを見ても、この先に空間がありそうで、壁にはメグレズからのものらしいメッセージが刻まれていた。

『このデモンズウォールを超えたいのなら、お仲間と別れることね。マイダーリン』

「……どういうことだ?」

 悪魔の壁とやらが行く手を阻む。

 スカウトの黒江がスキャンを試みた。

「トラップの反応はなし。けど、あのひとのすることだから」

 注意深く壁面を調べていた沙織が、声をあげる。

「ここに道がありますわ!」

 それは道というより『隙間』でしかない。だが、身体を横に向ければ、何とか通り抜けられるかもしれなかった。試しに輪は横を向き、カニ歩きで隙間に入ってみる。

「……お? 通れそうだぜ、みんな」

 胸のあたりは窮屈で苦しいが、ちょうど顔の高さに空間があるおかげで、進むこと自体はそう難しくなかった。

 ところが誰も後ろに続いてこない。輪は首だけで振り向いた。

「どうかしたのか? この通り、罠はないぞ」

「そ、そうじゃなくて……」

 閑はもどかしそうに胸元で指を編み合わせる。澪など、苦々しい表情で舌を吐いた。

「本ッ当にくだらないことを考えますね、あのひと」

「同感ですわ。さっきの輪さんのセクハラも、あのかたの発想でしょう」

 一旦、輪は通路のほうに戻って、頭を捻る。

「……何をそんなに怒ってんだ?」

「こういうことだよ。ダーリンちゃん」

 優希が身体を横に向け、隙間を通ろうとした。だが、あろうことか『胸』がつっかえてしまい、入ることができない。

 つまりデモンズウォールとは、巨乳の通行を物理的に禁止するものだった。

 この手の悪戯には神経質な澪が、悔しそうに地団駄を踏む。

「絶対に許せません! 蓮ちゃんをさらったことも、ですけど……馬鹿にしてっ!」

「落ち着いて、みお。こういうのは怒ったほうが負け。……それにしても、この発想力は一周まわって、すごいと思う」

 その一方で、黒江は罠の狡猾さに感心さえしていた。

 これでは輪ひとりしか通行できない。

「……仕方ねえな。とりあえず、オレが様子を見てくるからさ」

「待って、輪!」

単独で先行しようとすれば、閑の制止が掛かった。

「ひとりで行くのは危険だわ。向こうも、それを狙って仕掛けたんでしょうし……ほかに通れるひとを連れてきたほうが、いいんじゃないかしら」

「でも、ここまで来て、戻るのはなぁ……」

 余裕があるなら、閑の提案に乗っている。しかし妹を人質に取られている状況で、悠長に出なおすことなどできなかった。

「雁首揃えて、何やってるのよ、あなたたち」

 そこへ司令官の愛煌と、御神楽緋姫のコンビが追いついてくる。

「お前らも来たのか?」

「レイは出ないって、周防に聞いてね。この子がアーツ片を集めたいっていうから」

「邪魔だったら、あたしは帰るけど」

 輪とは険悪な雰囲気になりがちな御神楽は、早々に踵を返そうとした。

 ふと脳裏に閃きが走る。

「待ってくれ! ええと、実は……ちょっといいか」

「何よ? 近いわね」

 輪は愛煌に耳打ちで状況を伝えた。大体は把握したらしい愛煌が、顔を顰める。

「……はあ、わかったわ。なら、わたしと御神楽が付き合ってあげる。スナイパーのわたしが中衛につけば、バランスも取れるでしょ」

「ちょっと、あたしも入ってるわけ?」

 しかし御神楽は難色を示した。

 輪はプライドを捨て、前のめりの勢いで頭をさげる。

「頼む、みかぐ……じゃない、お姫様! オレの妹が捕まってるんだ」

 メグレズの呪いのせいで、下手に出まくる言いまわしになってしまった。普段はクールな御神楽も顔を引き攣らせる。

「事情は知ってるってば。クロードみたいに呼ばないで。……それより、ここまで来たんだから、このまま第四で突入すればいいだけの話じゃないの?」

 御神楽の手が問題の『隙間』を指した。

「え、えぇと……だな」

 できるものなら当然、そうしている。だが、第四のメンバーでは通れない理由、それでいて御神楽には通れる理由など、輪には説明できなかった。

「はあ。しょうがないわね、五月道、ここへ」

「はい?」

 愛煌が溜息をついて、澪を呼ぶ。

 隙間の手前で澪は横を向き、おずおずと姿勢を正した。恥ずかしさを滲ませながらも、胸を張って、豊かな膨らみを強調する。

「そっちから見てみなさい、御神楽。デモンズウォールとやらの脅威がわかるわ」

「もったいぶるわね。さっきから、なんのつもりで……」

 澪の巨乳越しにデモンズウォールを見据えることで、御神楽は絶句した。

 その悪趣味な隙間は、胸の高さが特に窮屈になっているせいで、第四のメンバーは誰も通過できない。しかし男の子の愛煌や、胸が平べったい御神楽なら、進めるだろう。

胸が平べったい御神楽なら。

「こっ、こここ……これ考えたやつ、誰よ!」

 御神楽はその場にくずおれ、屈辱と怒りに震えた。

「協力する気になったかしら」

「……ええ。誰にケンカ売ったか、教えてやらなくっちゃ……!」

 とにもかくにも共同戦線は成立する。

(御神楽が一緒ってのは心強いんだけどな)

 ここから先は輪、愛煌、御神楽の三人で進むことになった。

「あなたたちは先に脱出しなさい。長居は無用よ」

「え、ええ……」

撤退を指示され、閑たちは渋々、引き返す。

「蓮ちゃんのこと、お願いね。輪」

「任せとけって。しず……みんなは外で待っててくれ」

 輪はふたりの仲間とともに、今度こそデモンズウォールを狭いなりに突破した。男の子の愛煌やペッタンコの御神楽なら、胸が突っかかることもない。

 御神楽は愛煌の本当の性別を知らない様子だった。

「あなたは女として、なんとも思わないわけ? こんなふうにコケにされて……」

「腹立つに決まってるでしょ」

 ついにプラネタリウムのメインホールへと突入する。

 電力の供給はないにもかかわらず、セットが作動した。逆さまになっているため、足元にドーム状の星空が広がる。

「ウフフ……ようこそ、マイダーリン。そしてARCのイレイザーたち。まさかデモンズウォールを真正面から突破してくるとは、思わなかったわ」

「妹はどこだっ?」

 プラネタリウムに輪の怒号が響き渡った。

「あいつは無関係だろ、さっさと解放しやがれ!」

「落ち着きなさいったら、輪」

 それを愛煌が左手で制しつつ、メグレズに疑惑の視線を投げる。

「お互い、会うのは初めてだったわね。わたしは愛煌=J=コートナー。ARCケイウォルス司令部の司令官よ」

「あら、自己紹介をいただけるなんて、光栄ね」

 メグレズは杖をさげ、奥ゆかしい佇まいで胸元に手を添えた。

「わたくしはセプテントリオンのメグレズ。……以後、お見知りおきを」

 周囲に人質の姿は見当たらない。

「真井舵蓮はどこ?」

「あの子なら、そっちの扉の向こうで休ませてるわ」

 御神楽の自己紹介は抜きにして、メグレズは再び交渉を持ちかけてきた。

「……さて、マイダーリン。例の件、考えてもらえたかしら」

「オレを魔界の王ってやつにしようって話か。あれなら断っただろ」

 輪は強気に構え、誘いを跳ね除ける。

 しかし相手は輪が折れるものと思っているのか、確信めいた笑みを浮かべた。

「強情ねぇ。でも、我が王となるからには、それくらいでないと……ウフフフッ!」

 すっかり蚊帳の外となった御神楽がぼやく。

「ねえ。あたしだけ、状況が飲み込めてないんだけど?」

「安心しなさい。私もわかってないから」

 御神楽の顔を見るや、メグレズはあからさまなほどに驚きを露わにした。

「あ、あなたは……いいえ、あなたの憑依レイは、もしや……?」

「……ふぅん。ご存知ってわけね」

 メグレズと御神楽の間で空気が張り詰める。

 メグレズの杖が頭上へと弧を描いた。そこに膨大なエネルギーが収束していく。

「フフフ! こんなところで会えるとは思わなかったわ、ナンバー1! お手並み拝見といきたいの。わたくしと遊んでもらえるかしら」

「……しょうがないわね。デモンズウォールってやつのお礼もしたいし」

 御神楽も腕をクロスさせて、詠唱の姿勢に入った。

「本気なの? 御神楽! 戦うことはないわ、やめなさい!」

「降りかかってくる火の粉を払うだけよ」

 愛煌の制止も聞かず、メグレスと雷撃のスペルをぶつけあう。

「スペル・電撃!」

「フフッ! ならば、こちらも。ライトニング!」

 開戦とともに青白い電流が激突した。輪は頭を低くして、爆風じみた波動に耐える。

「こ……こいつが、ス、スペルアーツの威力だってえ?」

 五月道澪のものとは、まるで次元が違った。それをメグレズも御神楽も立て続けに連発しながら、間合いを取りあって、右に左に跳躍する。

「逃げられると思って? ストンシャワー!」

「スペル・シールド!」

 御神楽の張った防壁は、岩石を叩きつけられ、数秒のうちに砕け散った。

「クロードみたいにはいかないか。だったら、攻めるまで!」

 スペルアーツの応酬をやり過ごしつつ、輪はうろたえる。

「お、おい? やりあうことはねえだろ! やめろって、御神楽!」

「御神楽が素直に話を聞くとでも思ってるの? 邪魔だから、引っ込んでなさい」

愛煌は白銀の弓矢、アルテミスを呼び出した。

 メグレズと御神楽は向かいあって、同時に竜巻を放つ。

「お次はこれよ、サイクロン!」

「スペル・旋風!」

 暴風と暴風が真っ向からぶつかり、プラネタリウムを激しく揺るがす。

 そこへ真横から光の矢が割り込んで、竜巻をふたつとも引き千切った。愛煌のアルテミスはさらにメグレズへと狙いを定める。

「いい加減にしなさい! あなたもよ、メグレズ!」

「なかなかやるわね。愛煌=J=コートナー」

 強敵のメグレズに対し、愛煌と御神楽は行き当たりばったりで共闘することに。

「足を引っ張らないでよ、愛煌!」

「こっちの台詞よ! とにかく、あいつを無力化するのが先決だわ」

 愛煌のスキルアーツ、アルテミスの弓が矢を五本ずつ番えた。

「行きなさい、アルテミス!」

 光の矢がまとめてメグレズに飛び掛かる。

「シールド系がヒーラーの専売特許とは思わないことね」

 しかしメグレズは岩盤を防壁のように張って、アルテミスに耐えきった。その間に第五サークルのスペルを詠唱し、両手で紅蓮の炎を広げる。

「セプテントリオンの力、見せてあげるわ!」

「こっちもね。これ、カッコよすぎるのが恥ずかしいんだけど」

 それに対し、御神楽も白い煙が立ち込めるほどの冷気をたたえていた。それが氷の龍となって、細長い身をくねらせながら、ターゲットを睨みつける。

「スペル・氷結、全開ッ!」

「クリムゾン・エクスプロード!」

 メグレズの業火も獅子となって、咆哮を轟かせた。

その首筋に御神楽の氷龍が食らいつく。赤い火炎と青い冷気は猛烈な勢いで混ざりあい、大爆発を起こした。

 ヒロインの叫びが木霊する。

「オ、オレの……オレのために争わないでくれぇえええ~!」

「そーいうんじゃないっ!」

 レベル9の輪では、この戦いについていけない。そもそも、巻き込まれずに済んでいることさえ不思議だった。

(どんだけ強いんだよ、愛煌も、御神楽も!)

 御神楽が愛煌の後ろにまわって、息を切らせる。

「はあ、はあ……粘るわね、あいつ」

「もうお開きにしなさいったら。メグレズ、あなたも充分、暴れたでしょ」

 メグレズのほうも消耗していた。杖を支えにして起立の姿勢を保つ。

「……ええ。二対一じゃ、分が悪いものね。それに死神サイドとは不干渉であることが、昔からの掟。わたくしの勝手で挑発したことは謝るわ」

 戦いが終わったところで輪は前に出て、彼女に呼びかけた。

「メグレズ、おっぱいを揉ませろ」

「な、何を言ってるの?」

 メグレズは困惑し、変態を杖で遠ざけたがる。愛煌と御神楽も呆気に取られていた。

「あなた、第四の女子だけでは飽き足らず……?」

「二度と教室で話しかけないで」

「違うんだって! お前がこうしたんだろ、さっさと呪いを解けっ!」

 輪の自棄っぱちな怒号が響く。

「ち、ちょっと趣味が悪かったようね」

 メグレズの杖から鈍い光が放たれ、輪の額を包み込む。

「御神楽、メグレズ……よし、解けてるな」

 呪いが解け、輪はほっと安堵の色を浮かべた。

「これであなたの居場所がなくなれば、魔界に来る気にもなると、思ったのだけど。随分と信頼されているのね、マイダーリン。正直、侮っていたわ」

 メグレズの思惑通り、男女の関係を破綻させるにあたって、この呪いは絶大な効果を発揮するはずだった。だが、すでに輪は女の子たちから『変態』とみなされていたため、決定的なダメージには至っていない。

メグレズは踵を返し、肩越しに意味深な笑みを含めた。

「余興が過ぎたかしら。今日のところは退くとするわ。また会いましょう。我が王」

その姿が足元から消えていく。

「お、おいっ? 待て!」

 逆さまのプラネタリウムには輪たちだけとなった。

 ふと御神楽が呟く。

「只者じゃなかったわね。輪の知り合いなの?」

「知り合いっつーか、オレも先週、会ったばっかでさ……っと、蓮を捜さねえと!」

 輪は扉へと急ぎ、蹴破る勢いで躍り込む。

「蓮! 無事かっ?」

 ところが扉の向こうは、さながら高級リゾートホテルのプールサイドだった。逆さまにもなっておらず、妹の蓮がサマーベッドでゆったりと寛いでいる。

 スクール水着で、サングラスまで掛けて。

「あれ? アニキじゃん。どーしたの、その変なカッコ」

 バトルフォームの兄を見つけ、蓮は瞳を転がした。

「……こっちの台詞だっての」

 ミュージックコンポは流行りのポップスを流しているうえ、テーブルには美味しそうなイチゴのパフェまで。妹の娯楽ぶりに輪は呆然とするしかない。

「お、お前、誘拐されたんじゃなかったのか?」

「ひょっとして、メグレズさんのこと?」

 蓮はぽりぽりと頭を掻いた。

「なんかね、あたし、不思議な力があるみたいでさあ……。それが制御できなくなったとかで、失神しちゃったんだよね。んで、メグレズさんが助けてくれたの」

「……なんだって?」

「ろくな訓練もなしに催眠術なんか、使っちゃだめだって、怒られちゃった。エヘヘ」

 それが本当なら、メグレズは輪をおびき出すために、蓮を拉致したのではない。やはり民間人を巻き込むことはよしとせず、あくまで個人的に接触してきたのだろう。

「で、なんで水着なんだよ」

「えっと、なんだっけ……そうそう、アーツとかゆーのをフィットさせるから、裸に近いほうがいいって。アニキんちのお泊り用にスクール水着、携帯しててよかったー」

 見たところ、蓮の身体にも異常は見当たらなかった。

 愛煌と御神楽も部屋に入ってきて、目を点にする。

「……随分と手厚い歓迎を受けてたのね。その割に水着はそれ?」

「服はこっちの手提げにまとめて……で、メグレズさんはどこなの?」

 しかし話し込んでいる暇もなく、迷宮が微弱に揺れ始めた。

「問題ないなら、撤収するわよ。まあ、ここにいても、元の空間には戻れるんだけど。御神楽、アーツ片の収集はそこまでになさい」

「レイが出てこないから、味気なかったわ。でも、さっきのはいい勝負だったかしら」

 首を傾げる妹の肩に、輪はブレザーの上着を掛けてやる。

「どゆこと? アニキ」

「話は外に出てから、な。さっさと帰ろうぜ」

 脱出した頃には、陽も暮れていた。

街灯も少ないプラネタリウムの門前では、閑や澪が待っている。

「輪! 蓮ちゃん!」

「よかった……無事だったんですね」

 閑は輪の正面まで駆け寄ってきて、心配そうに手を取った。澪も並んで、輪の戦闘後にしては元気な顔を覗き込む。

「怪我はない? あなた、よく後先考えずに、無茶するから……」

「まったくその通りですよ。無理してるんじゃないですか?」

 ふたりの美少女に迫られ、輪はたじたじに。

「わ、悪ぃ。今回は御神楽と愛煌が戦ってくれて、オレは見てただけで、さ」

「それもどうなんです?」

 興味津々に蓮が耳打ちしてきた。

「やっぱ本命は閑さん? あたしが協力してあげよっかあ? にひひ」

「お願いだから、やめてくれ」

「はいはい、おしゃべりはそこまで。そんな恰好じゃ、出歩けないでしょ」

 愛煌は蓮を連れ、一足先にARCの専用車両へと乗り込む。

 それと入れ違いになるように、一台の高級車が輪たちの前で停まった。運転手の執事が外にまわって、助手席のドアを開ける。

「足元にお気をつけくださいませ、クロード様」

「ありがとう、ゼゼーナン」

 そこから現れたのは、吹奏楽部で会った美男子、クロード=ニスケイアだった。圧倒的なほどに煌びやかな雰囲気が、輪を気後れさせる。

 しかも後部座席からもうひとり、比良坂紫月も降りてきた。

「もう終わっていたか。出遅れたな」

クロードとは対照的に仏頂面だが、だからこそ、眉目秀麗な顔立ちが映える。

 ふたりの美男子は脇目も振らず、一直線に御神楽のもとまで歩み寄った。そして片膝をつき、紫月は手を、クロードは一輪のバラを差し出す。

「迎えに来たぞ、姫様」

「こんな時間だし、家まで送るよ。お姫様」

 御神楽は照れることもなしに、ただ面倒くさそうに溜息を漏らした。

「……はあ。やめてって言ってるでしょ、その呼び方」

「僕らは君の下僕なんだよ。こうして礼節を尽くすのは、当たり前じゃないか」

 立ちあがったついでにクロードは、沙織にちらっと視線を寄越す。

「やあ、沙織さん。僕もイレイザーになったよ。こっちの紫月と一緒に、お姫様の第六部隊に配属されることになったんだ」

「そ……そうだったの」

 そんな美男子たちに手を引かれながら、御神楽はお迎えの車へと乗り込んだ。

「じゃあね、輪」

「おう。今回はお前がいてくれて、助かったぜ」

 間もなく車は発進し、ヘッドライトを光らせながら、大通りの向こうへと消えていく。

 輪は素直に感心した。

「クロードってやつもイレイザーだったのか。沙織は知って……」

 ところが閑たちは四つん這いになるまで、くずおれる。

その体勢のために、巨乳が無駄に揺れた。閑も沙織も痛切な敗北感を滲ませる。

「負けたわ……なんて恐ろしいひとなの、御神楽さん」

「あれこそが本当にもてる女性なんですわ」

 優希も黒江も落ち込んでしまった。

「あ、あんなの反則でしょ? ふたりがかりでエスコートされて、お迎えだなんてぇ」

「執事のお爺さんもハンサムだった……ひょっとしたら、まだいるのかも」

 澪まで一緒になって声を落とす。

「こっちはセクハラされてばかりなのに……うぅ」

「お、おい、どうしたんだ? 御神楽に迎えが来ただけだろ」

 第四部隊の美少女たちでさえ、御神楽緋姫の驚異的なモテ力には敵わなかった。たとえ閑らの胸が軒並み九十センチ越えに対し、御神楽の胸が七十台であっても。

(……な、なるほどな)

 男子の輪はもはや口を噤むほかなかった。両肩に疲労感が圧し掛かってくる。

 かくして今回、真井舵蓮の救出に成功し、メグレズを退けることもできた。だがセプテントリオンとの戦いは始まったばかり。

(御神楽のパンツがあったら、オレだって……いやいやいや!)

 輪に出番がなかったことは、幸いだったのかもしれない。

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