ダーリンのおぱぁい大作戦!

第4話

 四月下旬のゴールデンウィークを前にして、学園の生徒は浮かれきっている。放課後には連休が始まったも同然で、輪も解放感を満喫した。

「ん~! やっと終わったなあ」

 今日の帰りは閑も一緒。

「結局、部活は決まらなかったぜ。調理部のほうは新入生、どうなんだ?」

「まずまずね。どうしても女の子ばっかり増えちゃうわ」

 残念ながら、閑と進展しそうな気配はなかった。こうして一緒に下校していても、彼女にとっては些細なことらしい。

(やっぱ映画、誘ってみようかな……)

 話題の恋愛映画はキャストの熱演もあって、好評を博していた。

 しかし普通に誘っては、その気あり、と思われるに違いない。そこに勘付かれるにしても、自然な流れで誘えないものかと、決めあぐねていた。

「連休は暇なんでしょ、輪。『ラズベリー色の恋』、見に行かない?」

「……へ?」

 ところが、先に閑から誘われてしまった。年下の男の子の考えることなど、お見通しといった顔ではにかむ。

「優希は興味ないっていうし。どう?」

「お、おう! オレも見たかったけど、男ひとりじゃ、入りづらいタイトルでさ」

 思いもよらず、連休は閑とのデートが決まった。俄然やる気が出てくる。

 足取り軽く正門を出ると、不意に声を掛けられた。

「来た来た! ダーリン先輩~!」

 余所の制服を着た、小柄な女の子が、輪の腕に抱きつく。

「……なんだ、蓮か」

「もお、せっかく彼女が迎えに来てあげたのに」

 髪を切った御神楽に似たボブカットで、八重歯が光った。顔つきは幼いものの、目鼻立ちは整っている。

「おかしな呼び方はやめろって。あと、誰がお前の彼氏だよ」

「え~? そんなこと言ってぇ……」

 輪が投げやりに返すせいで、少女はむくれた。傍らの閑は目を丸くする。

「り、輪……彼女がいたの?」

「そんなんじゃないって。こいつは妹の蓮」

 蓮は調子よく敬礼を決めた。

「あははっ! アニキの寂しい学園生活に花を添えてあげようと、思ったんだけどなあ。初めまして、真井舵輪の妹の、真井舵蓮でーすっ」

 真井舵家は上から蘭、輪、蓮の三兄弟。真中の輪だけ男だった。

 驚きながらも、閑は蓮の握手に応じる。

「びっくりしたわ……お姉さんのほかに妹もいたのね。わたしは一之瀬閑」

「閑さん、ですね。よろしくお願いしまぁす」

 妹の愛想のよさと、はた迷惑な行動力に、兄は溜息をつかずにいられなかった。

「はあ……何しに来たんだよ」

 蓮は学生鞄ではなくリュックを背負っている。

「L女は創立記念日もあってさぁ、ゴールデンウィークはまじ連休なの。この機会にアニキの高校生活、どんな感じか、見ておこうかなあって……ひっひっひ」

 十中八九、姉の差し金だった。

「五人の美少女と同棲紛いの生活、してんでしょ? ちょっと、確認を、ねえ……」

「お前が期待するようなことは何もねえって。ったく」

 輪は諦め、閑に目配せする。

「悪いな。こいつ、迷惑掛けると思うからさ」

「う、ううん、いいのよ。輪の妹さんなら、みんなも歓迎してくれるでしょうし」

 その中央に蓮が割り込んできた。

「寮に案内してよー、アニキ。疚しいとこないか、チェックしてあげる」

「わかった、わかった。で、母さんと姉さんは知ってんのか?」

 強引に押し切られ、寮まで連れていく羽目になる。

 

 寮にはまだ沙織しか戻っていなかった。

「あら、輪さん、閑さん。……そちらのかたは?」

「オレの妹。遊びに来たんだってさ」

 輪はうろうろしそうな蓮の首根っこを捕まえ、102号室に放り込む。

「ちょっと、アニキ?」

「オレの生活をチェックに来たんだろ? ここがオレの部屋なんだ」

 この妹を閑や沙織には関わらせたくなかった。さっきのように彼女のふりをされ、あらぬ誤解をされても困る。

 しかし閑たちも気になるようで、102号室に入ってきた。

「わたしもお邪魔するわね、輪」

「妹さんでしたら、わたくしにも挨拶させていただきませんと」

「おっと、そうだった。蓮、こっちのが……」

 沙織の稀有な美貌を前にして、蓮が目を見張る。

「閑さんもそうだけど、レベルたっか~! これじゃ、あたしの予想は外れかなあ」

「……予想?」

 輪たちは揃って首を傾げた。

 妹は小さな胸を張って、得意げに人差し指を立てる。

「アニキがケイウォルスに転入したのって、優希姉を追いかけてのことだって、思ってたんだもん。ずっと好きだったんでしょ?」

「ちょっ、何言ってんだ!」

 ふたつ下の妹に初恋を暴露されてしまった。輪は真っ赤になって慌てふためく。

 閑と沙織はなるほどと頷いた。

「優希が目当てでこっちに来たんじゃないってことは、わかってるけど……優希にしたって、輪とどうこうって感じは、全然ないものね」

「優希さんも気付いてるうえで、あえてあの態度なんですわ」

 女性だからこそのリアルな分析が、輪の自信を挫く。

「放っといてくれよ……」

 輪は部屋の隅でしゃがみ込んで、頭を抱えた。

 そんな兄の事情など意に介さず、蓮は102号室を興味津々に物色する。

「へえー。もっと遊んでるのかと思ってたのに、ちゃんと参考書とか揃えてんじゃん」

「最近は輪、勉強もしてるのよ。理系は割と得意みたいね」

「数学で9点とか取ったことある、アニキが?」

 寮の生活が閑たちと一緒なのは、輪にとって大きなプラスだった。格好悪いところは見せられないためし、普段の生活にも気を遣っている。おかげで、掃除はまめにおこない、洗濯物を溜め込むこともなかった。

「うーん……隠すにしても、ベッドの下はもう失敗してると思うんだよね。とすれば、木を隠すには森の中ってことで、こういうとこに……」

 しかし勘のよい妹は、さすがに目ざとい。本棚の一角から問題集を抜き、お色気漫画を探し当ててしまった。

「見っけ! これ、『ガールズトラブル』じゃん。アニキってば、えっろ~」

「ふ、普通の少年漫画だろ? いいじゃねえか、それくらい」

 兄妹喧嘩をよそに、沙織はお茶の用意を始める。

「キッチンを借りますわよ。茶葉は、と……」

 先週まで専属のメイドだっただけあって、キッチンの配置は完璧に把握していた。その手際のよさを、妹の蓮が深読みする。

「慣れてるっぽいね、沙織さん。しょっちゅうお世話してもらってんでしょー」

「なんでもかんでも、そっちの方向に結びつけんなって」

 漫画を本棚に戻し、輪は溜息をついた。

 この妹のことだから、興味本位で首を突っ込んでくるのは、目に見えている。せっかく連休は閑との映画鑑賞が決まった矢先、かきまわされたくはなかった。

 確信犯めいた顔で蓮がまくし立てる。

「でもさあ、アニキ、中学ん時は下級生の子にすっごい人気あったじゃん? あたしの友達も、アニキ目当てで遊びに来てたくらいでさあ……」

 輪の中学時代をよく知らない閑は、瞳を瞬かせた。

「そ、そうなの? 意外ね」

 輪は妹を引っ張り寄せて、声を潜める。

「おかしなこと言うなよ。んなこと、一度もなかったじゃねえか」

「ひひひ。こう言っとけば、閑さんもアニキのこと、意識してくれんじゃん?」

 放っておいたら、あることないこと、閑たちに吹き込まれるに違いなかった。そこから誤解が生じることも、容易に想像がつく。

「輪さん、茶葉が見当たりませんから、取ってきますわ」

「あー、悪い。前に五月道にあげたんだった」

 沙織は輪のエプロンを着けたまま、102号室を出ていった。

 案の定、妹が食いついてくる。

「新婚さん……」

「違うっての。……で、今日じゅうには帰るんだろ?」

「ううん。こっちで二泊くらいするつもり」

 蓮はスカートを捲り、パンツではないものを見せびらかした。紺色のローレグはL女学院のスクール水着のもの。

「アニキの部屋でもいいよーに、一応、スクール水着も着てきたしさあ」

「エッ?」

 素っ頓狂な声をあげたのは、閑だった。

「どうかしたのか、閑」

「あ、えぇと……そう、蓮ちゃんの学校は紺色でいいなあって……」

 ケイウォルス学園のスクール水着は、女子のものだけ白色であって、毎年のように新入生を戸惑わせている。

 それに対し、蓮の通うL女学院では、オーソドックスな紺色が採用されていた。

「オレを変態扱いすんなよ、お前まで」

「そんなふうに常識人ぶったって、アニキってば、重症じゃんか」

 妹がスクール水着なんぞを着ているのは、下着デザイナーの兄を警戒してのこと。

 実際、蓮が寝ているうちにパジャマを剥がし、じっくりと吟味したこともある。デザインの締め切りに追われ、冷静ではなかった。

 そのような事件もあったため、蓮にはあまり強く出られない。

「優希んとこに泊めてもらったほうが、いいんじゃないか」

「それもそっか。優希姉が帰ってきたら、相談してみようっと。でも……その前にぃ、今日はたっぷりアニキのこと、抱き締めてあげるからさ」

 早くも自分の部屋のように、蓮はテレビの下からゲーム機を引っ張り出した。その言葉の大胆さに、閑は絶句する。

「だ、抱き……?」

「あれー? アニキ、アーケードスティックは?」

「ねえよ、そんなもん」

 ゴールデンウィークは妹の面倒で始まるらしい。輪に拒否権はなかった。

 下手に逆らおうものなら、姉直伝の催眠術とやらで操られかねない。こちらが従順な姿勢でいる限り、妹も無茶はしないだろう。

 一方、閑は何やら思い詰めていた。

「……まさか、ね」

 大いなる誤解が始まっていることを、輪はまだ知らない。

 

 その日は皆の帰りも遅く、蓮の紹介は明日に持ち越しとなった。時刻は夜の十時半を過ぎ、寮はしんと静まり返っている。

102号室のベッドで輪は『恋人』を待った。

「お、お待たせ……アニキ」

 焦らすように長かったシャワーを終え、蓮がおずおずと現れる。

 華奢な身体がまとっているのは、紺色のスクール水着だけだった。中学生らしい健康的でなだらかなボディラインを、ありのままなぞっている。

 艶やかなフトモモは照り返るほどに張りがあった。恥ずかしそうに蓮は、小振りな胸元を両手で隠しつつ、頬を朱色に染める。

「ごめんね、アニキ。あたし、閑さんたちみたいにスタイルよくなくって……」

 そんな妹の艶姿を前にして、輪はごくりと咽を鳴らした。妹に抱いてはならない類の欲求が、身体じゅうを駆け巡るせいで、息が乱れる。

「可愛いぞ、蓮」

 手招きすると、妹は照れながらもベッドにあがってきた。輪の正面でしゃがんで、柔らかい感触とともに、緊張気味に体重を預けてくる。

「か……彼女のお仕事は全部、あたしがしてあげるから。だから……誰とも付き合ったりしないでよ? お兄ちゃん」

「お前の頑張り次第かな。オレ、もう我慢できそうにない……!」

 兄の手が妹のスクール水着をなぞった。

「ひゃあっ? いきなり、激し……心の準備くらい、はあ、させてってばぁ」

「でも、普通の男女より激しくしないと、恋人同士って実感できないだろ? オレたちは兄妹なんだからさ」

 色悶える蓮の身体に、輪がおもむろに覆い被さる。

「隣の黒江はまだ起きてるかもしれねえから、静かに、な」

「そんなの無理……あっ、あああああ!」

 

「きゃあああああああっ!」

 201号室のベッドで、閑は悲鳴とともに飛び起きた。隣の部屋の沙織まで起こしてしまったようで、壁をとんとんと叩かれる。

「どうなさいまして? 閑さん」

「あ……ご、ごめんなさい。おかしな夢を見ただけなの」

 心臓がばくばくと鳴っていた。

 日中に耳にした、蓮の台詞が混乱に拍車を掛ける。

『アニキの部屋でもいいよーに、一応、スクール水着も着てきたしさあ』

『それもそっか。優希姉が帰ってきたら、相談してみようっと。でも……その前にぃ、今日はたっぷりアニキのこと、抱き締めてあげるからさ』

 お兄ちゃんは妹にスクール水着を着せたうえで、抱き締める。そう考えると、すんなりと辻褄が合ってしまった。

「な、何かの間違いよね? でも……もしかして、ってことも……」

 閑は何度も寝返りを打って、眠れない夜を悶々と過ごす。

 

 その頃、輪の102号室ではゲーム大会が催されていた。

「もう十一時だぜ? 明日も休みなんだし、お前ら、そろそろ部屋に戻れって」

 当初は輪と蓮で対戦していたところに、優希と黒江も加わって、盛りあがっている。

「あと一回だけ! まだ黒江さんに勝ってないんだもん」

「……ふ」

 コントローラーを握っているのは、もっぱら蓮と黒江だった。人気の格闘ゲームで意気投合し、技を競い合っている。

 蓮の持ちキャラは強面で巨漢のレスラー。

「くっらえ~!」

相手を力任せに羽交い絞めにして、パイルドライバーを決める。

 先ほどは輪も散々、この巨漢に『抱き締め』られた。いつぞやのマッチョの刑を連想してしまい、精神的なダメージも大きい。

観戦しつつ、優希がこそっと耳打ちしてきた。

「蓮ちゃん、オトナっぽくなってきたよね」

「……そうか?」

 輪は首を傾げ、妹の小さな後ろ姿をぼーっと眺める。

 テレビゲームではしゃいでいるのを見ても、成長ぶりは感じられなかった。しかし幼馴染みはにやにやと笑みを含め、詰ってくる。

「じきに彼氏ができちゃって、お兄ちゃん、寂しくなるかもよぉー?」

「その頃はオレにも彼女ができてるかもしんねーだろ」

 ゲーム中の黒江が振り向いた。

「ないない」

「ち、ちょっと言ってみただけだっての!」

 虚しい叫びが木霊する。

 五人もの美少女と同じ寮で暮らしているにもかかわらず、真井舵輪という男には浮いた話のひとつもなかった。高校生になったところで、誰とも進展はない。

「優希姉は誤魔化しようないか。残念だったねー、アニキ」

「うるせえよ……」

 ゴールデンウィークの初日にして、恋は始まりもしなかった。

 

 

 後輩の輪のもとに妹がやってきた。名前は蓮。

 いきなり輪のことを『ダーリン先輩』などと呼ぶものだから、驚いてしまった。現在はL女学院の二年生のようで、沙織や黒江にとっては直の後輩に当たる。

 昨日は皆の帰りがばらばらで揃わなかったため、今日になってから、改めて閑の部屋に集まることになった。

「さすがに六人も入ると、狭いわね」

 黒江はキッチンに食み出しがちなものの、平然とノートパソコンを弄っている。

「……お構いなく」

「黒江さんはもう少しお部屋を片付けるべきです。汚いとまでは言いませんが……」

「パソコンのケーブルとかが多いんだよねー、黒江ちゃんのとこって」

「そういう優希こそ、あのヌイグルミの山、なんとかしたら?」

 普段から整理整頓が行き届いているのは、閑、沙織、澪の部屋。黒江の101号室は機材だらけで、優希の103号室もごちゃごちゃとしていた。

 女子で集まるなら、二階のいずれかとなる。

 ケーキは沙織が買ってきてくれた。蓮が嬉しそうにガトーショコラを頬張る。

「もぐもぐ……別に誰もアニキの彼女ってわけじゃ、ないんですね」

「輪くんの彼女になんてなったら、毎日がセクハラです」

 セクハラ被害の第一人者である澪は、モンブランの咀嚼に力を込めた。

 沙織が自ら巨乳を抱き込む。

「ほんと胸ばかり見て……それに最近は、スクール水着にも興味があるようでしてよ」

 優希はきょとんとして、瞳を上に向けた。

「確かに……ダーリンちゃんにとって、パンツやブラは嗜好ってわけじゃないみたいなんだよねぇ。そういうのは仕事っていうか……デザイナーって感じ?」

 傍で聞いているだけだった黒江が、意味深に呟く。

「ゆきの言う通り。私たちのスクール水着を見た時の反応、過敏になってきてる」

 高校生の面々の話していることが、おそらく蓮にはわからなかった。イレイザーの件も知らないため、矛盾点に首を傾げる。

「アニキがこっち来たの、秋になってからでしょ? 水着なんて、いつ……」

「ほ、ほんと、輪ったら! 困ったものよね」

 第四のメンバー、全員の溜息が重なった。

「はあ……」

 真井舵輪のセクハラは今なおエスカレートしつつある。

 スカートに頭を突っ込むわ、パンツを被るわ。しかも罵られて、喜んでいる節さえあった。スケベカイーナのフロアキーパーとして目覚めた時など、女の子を三角形に跨らせたり、胸をロープで縛るなど、過激にもなっている。

 マッチョの刑に処したものの、油断はならなかった。

幼馴染みの優希もトーンを落とす。

「もっと根本的なとこを改善しないと、ねえ……」

「ラッキースケベ、なんとかしないと」

 沈黙が続く中、蓮は何かを閃いたように、両手を合わせた。

「だったら、試してみよっか?」

「え?」

 全員の視線が蓮に集中する。

「お姉ちゃんに教えてもらった、催眠術でさ、アニキのエッチな部分を封印しちゃおうってわけ。アニキってそういうの免疫ないし、多分、いけるんじゃないかなあ」

 以前、姉の真井舵蘭が弟の輪に催眠術を掛け、操ったことがあった。その前例があるだけに、蓮のアイデアには説得力がある。

「で……できるの?」

「うん。ちょっとお姉ちゃんに聞いてみるね」

 蓮は携帯で姉に連絡をつけ、ぺらぺらとまくし立てた。

「もしもし、お姉ちゃん……休憩時間なんだ? えーとさあ、アニキのことで……ふんふん、そーいうことかあ。オッケー、ありがと! ばいばーい」

 しばらくして、電話が終わる。

「大丈夫っぽいよ。ただね、男の子にとってエッチな部分って、結構なウェイトを占めてるとかで……あれだ、封印しちゃったら、人格にも影響するかもって」

 沙織と澪は待っていたように手を挙げた。

「わたくしは賛成ですわ。これで輪さんの性癖が、少しでも改善されるのでしたら」

「すぐに実行しましょう! あたしたちの貞操を守るためにも」

 黒江が小さな笑いを堪える。

「……ぷ。データ欲しいから、私も同意」

「ボクも! ダーリンちゃん、こないだのマッチョで懲りたとは思えないし」

「い、いいのかしら……」

 閑だけは尻込みしたものの、ほかのメンバーは気持ちをひとつに立ちあがった。蓮が得意げに号令を放つ。

「そんじゃー、アニキの部屋へ!」

 ちょうど問題の輪は、102号室で連休の課題をこなしていた。六人も一度に入りきれないため、蓮と沙織、それから閑も先行する。

「どうしたんだ、みんなして」

「えっと……そう、アニキにもケーキ、分けてあげようって、沙織さんが」

「一緒に食べようと思って、買ったんですけど……」

 輪は嬉しそうにケーキを受け取った。

「蓮のだけでよかったのに。でも、サンキュ。オレ、こういうのも好きだからさ」

「アニキって、割と甘いものに目がないとこ、あるよねー」

 妹の蓮は相槌を打ちながら、背中のほうで五円玉をぶらさげる。

「ところでさ、アニキ。これ見て」

「ん?」

 相手の不意を突くように五円玉が揺れた。同時に、蓮の声が暗示めいた響きを伴う。

「アニキはエッチじゃなくなる……アニキはエッチじゃなくなる……」

「え……なん、だ……?」

 輪の瞳は瞬きもせず、五円玉を追いかけた。

「アニキはエッチじゃなくなる」

暗示が決まったのか、輪はびくんと跳ねて、勉強机に突っ伏す。

 沙織がこわごわと囁いた。

「……成功ですの?」

「うん。これでアニキは……えーと、あれだ、紳士になったはず」

 果たして紳士の輪とは、如何に。

「おかしなことにならないといいけど」

「悪運だけは強い輪さんのことですから、大抵のことは大丈夫ですわ。多分」

 閑たちは半信半疑のまま、輪に毛布を被せて、部屋を出た。

 

 黒江の場合。

 ゴールデンウィークといっても、その年のカレンダーによっては登校日が割り込む。放課後、器械体操部で活動していたところ、黒江は足を軽く捻ってしまった。

「珍しいね。黒江が怪我なんてさ」

「……ごめん。寝不足で、ぼーっとしてたみたいで」

 メンバーがふたり掛かりで黒江の両肩を抱え、ゆっくりと歩かせる。

 そこへ偶然、一年生の真井舵輪が通り掛かった。一目で事情を察したようで、心配そうに近づいてくる。

「足がどうかし……どうかしたんですか? 先輩がた」

「ああ、あなたは確か、黒江と同じ寮の……跳馬の着地で捻っちゃってね」

 怪我人を運ぼうにも、不慣れな部員らでは要領を得なかった。レオタードという恰好だけに、学内をうろつくことに抵抗もある。

「オレが運ぶぜ」

 輪は割って入ると、ブレザーの上着を脱いで、黒江に被せた。そのうえで黒江を軽々と担ぎあげ、正真正銘の『お姫様抱っこ』を見せつける。

 お姫様役の黒江は唖然とした。

「……り、りん?」

 戸惑いでも恥ずかしさでもなく、驚きひとつで思考が停止する。

「危ないから、じっとしてろ」

 細身の黒江でも体重は四十数キロあるにもかかわらず、輪は平然とお姫様抱っこを維持した。爽やかな笑みさえ浮かべて、黒江を見詰める。

「なんなら、治るまで、オレがどこへなりとも運んでやるさ。お姫様」

 黒江のクールな真顔も強張った。

「りん……だいじょうぶ? あたま……」

「お前の足よりは健康だよ。高等部の保健室は、っと」

 体操部の部員は呆然と成り行きを見守っている。

 二景黒江のデータベースにて、お姫様抱っこの存在が実証された。背中と膝の二ヶ所で支えられるおかげで、高さがある割にバランスはよい。

(催眠術のせいで……? だとしたら、データとしては貴重、か)

 だが、思っていたほどの『ときめき』はなかった。それよりも、輪が普通ではないことが気になってしまい、首を傾げたくなる。

「軽いな、黒江。ちゃんと食べないと、だめだぞ」

「う、うん……?」

 お姫様抱っこは不可侵の気配を漂わせ、生徒らは自主的に道を譲った。

 

 沙織の場合。

 吹奏楽部はメンバーが集まらないため、本日は早々に解散となった。ゴールデンウィークの真っ只中では無理もない。

 練習のつもりだったが、おかげで時間ができてしまった。

「クロードもしょっちゅう欠席ですし、先が思いやられますわ」

「あいつ目当ての女子も集まらないわけか」

三雲沙織は召使いの輪を呼び出し、部室の備品を補充しておくことに。プロのメイドだけあって、ティッシュなどの日用雑貨の不足には、自然と目が行く。

「いいお天気ですこと……でも、来週あたりから、崩れるそうですってね」

 五月上旬ならではの陽気がぽかぽかと心地よかった。両手に荷物を抱えながら、輪が顔で向きを決める。

「公園を通っていかないか」

「あら? 輪さんにしては、珍しいじゃありませんの」

 沙織にしても反対する理由などなかった。

ふたりで一緒に並木道を抜け、緑が香るような木漏れ日を満喫する。噴水は静かにしぶきをあげ、煌きを湛えていた。

「待ってろ、沙織。お茶でも買ってくるからさ」

 ベンチの手前で輪が荷物を降ろす。

「お気遣いは結構ですけど……わたくし、ペットボトルの飲料は飲みませんわよ?」

「じゃあ缶コーヒーで。一杯くらい、付き合ってくれないか」

 いつもの彼なら『荷物が多い』だの『早く決めてくれ』だの、不満を零していた。ところが今日は反抗もせず、むしろ沙織との一時を楽しもうとさえする。

(ど、どういうことですの……?)

 おまけに彼は自分のブレザーをベンチに敷いた。

「ほら」

「……はい?」

沙織は目を点にして立ち竦む。

 そのブレザーを下敷きにして座れ、という意図は伝わってきた。ただ、真井舵輪という平々凡々な男の子に、そのような紳士の振る舞いが似合うはずもなく、唖然とする。

「輪さん、あなた……熱があるのではなくて?」

「かもな。沙織と一緒で、どきどきしてるから……さ」

 沙織のほうは、どきどきこそしなかったが、鳥肌が立つほどにぞっとした。

 

 優希の場合。

 休日の今日は昼から、年下の男の子とお出かけ。巷で人気のスイーツ店を訪れ、カップル向けの『ラブラブ特盛りパフェ』を注文する。

 優希にはわかっていた。どうやら輪は例の催眠術でエッチな欲求を失ったため、女性に対しての態度が激変したらしい。

(ダーリンちゃんってば、ほんと、あほでおもしろ~い!)

 笑いを堪えつつ、優希は輪との『バカップルごっこ』に興じていた。

 恋人仕様のパフェには、スプーンがひとつしかない。

「食べさせてよぉ、ダーリンちゃん」

「……しょうがないやつだな」

 輪は嫌な顔せず、クリームをイチゴごとスプーンでしゃくった。むしろ穏やかに微笑みながら、甘い声で囁く。

「ほら、優希。あーんしてみろ」

「えへへ。あぁーん……」

 そんな熱愛ぶりを目の当たりにして、ほかの客は赤面していた。

「あのパフェ、オーダーするカップルっているんだ?」

「ちょっと可愛いかも。あれって確か、ケイウォルスの制服でしょ」

 優希の頬にクリームがつく。それを輪は指で拭き取り、ぺろりと舐めた。

「……優希の味がする」

「ぶふぉっ?」

 気障な台詞がツボに入る。

「ダーリンちゃん、今のもっかい!」

「食べ物で遊ぶなよ。ちゃんと大きく、あーんしてろ?」

 優希は両手で頬杖をつき、スプーンを待った。

 

 澪の場合。

 ゴールデンウィークも明け、学校が始まった。月末には定期試験を控え、輪や澪のような一年生にとっては最初の山場となる。

 放課後、空は灰色の雲で覆われ、冷たい雨を吐き続けていた。

 傘を忘れ、澪は下駄箱で立ち竦む。

(困ったわね……誰かを待ったほうがいいかしら)

 走り抜けるには、雨が強すぎた。ここは閑や沙織あたりと合流して、傘に入れてもらうことにする。しかし連絡する間もなく、同じ寮の輪が傍を通り掛かった。

「珍しいな、五月道が忘れものなんて。ほら」

 開いた傘の半分を差し出される。

「ごめんなさい、輪くん」

「気にすんなって。ついでだし」

 同じ寮に帰るのだから、当然の流れだった。澪は彼の傘に入って、歩き出す。

 男の子との相合傘は初めてかもしれなかった。雨水がふたりを避け、落ちていく。

「一組はどうですか?」

「まあ順調……かな。御神楽には困ったもんだけどさ」

「閑さんも言ってましたよ。すごいイレイザーが出てきたって」

 ところが輪は寮に直行せず、不意に向きを変えた。

その意図がわからず、澪は瞳を瞬かせる。

「……輪くん?」

 輪の横顔に爽やかな笑みが浮かんだ。

「ちょっとだけ遠まわりさせてくれよ。もう少し……五月道と、こうしていたいんだ」

「はあ?」

 驚きのあまり、開いた口が塞がらなくなる。

 間違っても、輪とはそのような関係ではなかった。無駄に雨の中を歩いて、風邪を引きたくもない。けれども、輪のほうは相合傘を悠々と堪能していた。

「五月道とはクラスが別になっちまったからな」

「そ……それが、何か?」

「寂しいって言ってるんだよ」

 傘越しに肩が触れる。

 大して濡れてもいないのに、寒気がしてならなかった。輪の気障ったらしい言動が澪を心胆寒からしめ、呆然自失とさせる。

「っと、歩くの早かったか?」

「い、いいえ……早く帰って、休んだほうがいいです。絶対」

 それこそ風邪のせいであって欲しかった。

 

 輪の件を相談するため、閑たちは201号室へと集合した。

澪がげんなりとした表情で、重々しい口を開く。

「何もかも変なんです。輪くんが、まるで別人になってしまったみたいで……」

「わたくしも参りましたわ。何をするにしても、紳士気取りでして。別にそれで、迷惑というわけではないのですけど……ねえ?」

 沙織も溜息に苦悩を滲ませた。

 黒江が顔を引き攣らせながら、分析する。

「あれで割と顔はいいから。初対面の子だと勘違いするかも」

「ダーリンちゃんって、いつもは中身のヘタレっぷりが、外見にも出てるんだよね」

 輪が豹変してしまった原因には、概ね見当がついていた。

一週間ほど前、妹の蓮が催眠術で輪の『エッチな欲求』を封じている。そのために人格に影響を及ぼし、女性に対して、少女漫画みたいな言動をするようになった。

優希だけは愉快そうに笑いを堪える。

「ボクは面白かったけどなあ。みんなも割り切って、試しにデートしてみたら?」

「あの空気には五分も耐えられませんってば……」

 澪は腕組みを深め、提案した。

「蓮ちゃんを呼んで、輪くんを元に戻してもらいませんか?」

 沙織と黒江は顔を見合わせて、躊躇いがちにも頷く。

「そう……ですわね。一流の紳士になるにしましても、こういう方法ではなく、地道に勉強していくべきだと思いますもの」

「チートっぽいのは、私も反対……戻せるうちに戻したほうがいい」

「ボクも充分遊んだし、それでいいよー」

 ところが、閑は前のめりになってまで反対した。

「ま、待って? もうちょっとだけ、このままでもいいんじゃないかしら」

 全員の視線が閑に集中する。

「どうしてですの? 確かあなたも、ゴールデンウィークは輪さんと映画に行って、居たたまれない思いをしたのではなくて?」

「そんなこと……わ、わたしは今の輪、とても素敵だと思うわ」

 一之瀬閑はうっとりとして、両手を祈るように合わせた。

「女の子に優しいし、気が利くし……まるで王子様みたいなんだもの」

 まさかの告白にほかのメンバーは驚愕する。

「お、おぉ……王子様ですか?」

「しずか、だいじょうぶ? ……あたま」

 澪も黒江も半ば放心してしまって、顔を強張らせた。沙織はまだ冷静なものの、驚きを隠せず、唇に中指を添える。

「夢見がちでしたのね、閑さんって。王子様だなんて……」

「その表現は間違ってないと思うよ。少女漫画のヒーローって、あんな感じでしょ」

 優希は肘をつき、面白そうに成り行きを見守っていた。

 閑が恥ずかしそうに癇癪を起こす。

「い、いいじゃない! 変態より王子様のほうが!」

 正直すぎる発言には、優希も面食らった。

「さり気なく一番キッツイよね、閑ちゃん。そんなふうに思ってたんだ?」

「でも、実際問題……催眠状態が長く続いてるの、危ないと思う」

 黒江の懸念もあって、今回のところは『輪の催眠術を解く』方向でまとまる。蓮には優希が電話で事情を伝えた。

「うん、うん……ごめんね、じゃあ。……蓮ちゃん、明日には来てくれるって」

 多数決で負けた閑は肩を落とす。

「はあ……」

「あなた、どんなデートでしたの?」

 一之瀬閑の初恋は幻想のうちに終わった。

 

 

 ゴールデンウィークの記憶が、どうにもはっきりしない。

「風邪でもひいてたのかな、オレ」

 ただ、勉強は捗ったようで、頭の中では英単語の量が増えていた。中学の頃の問題集を片っ端から復習したおかげで、基礎も安定している。

「さっき蓮が来たような……? いや、そんなわけないか……」

 部屋には恋愛映画のパンフレットがあった。先日、閑と見に行ったもので、内容自体は憶えている。しかし閑とどう過ごしたかは、今ひとつ思い出せなかった。

 これまでの経験が回答を導く。

(まさか蓮のやつ、催眠術でオレを?)

 そう考えれば、この一週間の不透明さには説明がついた。

 真井舵家の兄弟には死神とやらの血が混ざっているため、普通の人間にはない、不思議な力があったりする。姉はよくその力で輪を操り、デザイナーの仕事に従事させた。

同じ力を持つ妹が、何かをした可能性が高い。

「輪、入ってもいいかしら」

「ん? 開いてるぜ」

 問題集やパンフレットを本棚に戻していると、閑がやってきた。

「実はちょっと……輪に話があって」

「改まって、どうしたんだよ。っと、そのへんに座ってくれ」

 彼女を迎えつつ、輪は向かい合わせでテーブルにつく。

 閑は意を決したように唇を引き結んだ。右手で五円玉を吊るし、左右に揺らす。

「よく見て、輪。これであなたはラッキースケベをしなくなるはず……」

 輪は呆れ、五円玉の向こうに閑を見据えた。

「何のつもりか知らないけどさ、閑。そいつは姉さんか蓮でないと、できないんだ」

「えっ?」

 五円玉がちゃりんと落ちる。

 たった今、閑は輪を操ろうとした。しかし見様見真似の催眠術など、輪にはまるで通用しなかった。おかげで気まずい空気が立ち込める。

「そ……そうだったわ、お夕飯の支度をしないと。それじゃあね、輪」

「お、おう」

 無理やり誤魔化されてしまった。輪としても追及する気になれず、流しておく。

 

 翌朝、登校のタイミングが閑と重なった。

「おはよう、閑。ゆっくりなんだな」

「調理部は朝練もないもの。澪はチア部で忙しいみたいね」

 心の中で輪はガッツポーズを決める。

(たまには閑と一緒ってのも、いいなあ。やっぱ綺麗だし……さ)

 登校のついででしかないとわかっていても、胸が躍った。憧れるだけの片想いも、悪くない、と思えてくる。

「連休が終わったら、次は試験か」

「アメとムチってやつね。大丈夫よ、あなた、最近は調子いいみたいだし」

 ケイウォルス学園は今朝も大勢の生徒で賑わっていた。

(……なんだ?)

 何やら皆に見られている気がする。

 掲示板の前にはひとだかりができていた。輪と閑はそれを見上げ、目を丸くする。

「……はあっ?」

 そこには新聞部の号外が張り出されていた。見出しには『一年一組の真井舵輪、まさかの四股交際か?』とある。

 新聞に掲載されているのは、四枚ものツーショット。

 輪と澪の相合傘から始まって、沙織との公園デートや、黒江とのお姫様抱っこ、果ては優希とのラブラブパフェまですっぱ抜かれていた。

 ギャラリーは当事者の存在に気付き、興味津々に持てはやす。

「真井舵くんったら、やっらしー! で、誰が本命なの?」

「女の敵ってだけじゃねえ。男の敵だよ、お前は! いい思いしやがって!」

 輪はたじろぎ、両手を前に張りながら、あとずさった。

「ま、待ってくれ! オレには何のことだかさっぱり……なあ、閑?」

 頼みの閑はこめかみに青筋を浮かべている。

「ふぅん……? わたしにお姫様抱っこや、パフェの食べさせあいっこなんて、しておきながら、ほかの女の子にも同じことを、ねえ……?」

 輪の顔から血の気が引いた。

「あ、あの、閑さん……今、なんて?」

「ダーリンのばかっ!」

 最愛のお姫様は怒って、ずかずかと校舎を目指す。

「おっ、オレたちに何があったんだ? 教えてくれ、閑ぁ~!」

 ギャラリーの視線を一身に浴びながら、王子様は悲痛な声をあげた。

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