ダーリンのおぱぁい大作戦!

第3話

 翌日の土曜日、輪は幼馴染みのふたりと一緒に街に出る。

 昨夜の件を聞き、優希はけらけらと笑った。黒江は残念そうに呟く。

「何騒いでるのかなーと思ってたら、そんな面白いことになってたんだー?」

「ネットしてる場合じゃなかったかも」

 当事者としては溜息を漏らさずにいられなかった。

「面白くねえよ。閑には疑われるし、澪には散々言われるし……はあ」

 高校進学を決め、一度は持ちなおした真井舵輪の評価が、また急降下しつつある。

 沙織に誘われたからといって、のこのこと部屋にあがったのは、まずかった。生活の場が半ば女子寮であることを、もっと念頭に置いて、行動するべきらしい。

 黒江が輪の袖を引きつつ、方向を変えた。

「ん」

「ああ、そっちか。まだこのへんは慣れてなくてさ」

 遅れがちだった優希が小走りで並ぶ。

「ダーリンちゃん、なんか最近、黒江ちゃんと仲良くなったよね」

「そりゃあ……」

 言いかけたところで、黒江に視線で釘を刺された。

 輪の記憶が確かなら、二景黒江も幼馴染みであって、四葉優希とも前から面識があるはず。しかし優希はその事実に気付いていないようで、黒江も明かそうとしなかった。

「いいじゃねえか。同じ第四なんだし」

「別にいいけど……あっ! 来週からなんだねー、あれ」

 映画の広告を見つけ、優希が瞳を輝かせる。

それは巷で話題の少女漫画を実写化したもので、この春のカップルには欠かせない、と注目を集めていた。しかし彼女のいない男には、恐ろしいほどにぴんと来ない。

「お前の好きな怪獣映画じゃないんだぞ」

「いつの話だよっ! 水泳部のみんなも見に行くって、言うからさあ……」

 優希をからかいつつ、輪はポスターを見上げ、嘆息した。

 前に閑を映画に誘った時は、ものの見事に玉砕している。この映画なら、彼女の興味を引けるかもしれないが、自信はなかった。

 黒江が冷静な分析をかます。

「あれは映画のチョイスが最悪だっただけ。閑はホラーなんて見ない」

「さり気なく心を読むなって! まったく」

 つい正直に反応してしまって、優希にまで見抜かれた。にやにやと意地悪な笑みを含めながら、輪に挑発を投げかけてくる。

「受験勉強を教えてもらったお礼も兼ねて、誘ってみれば、いいじゃん。一度断られたくらいで二の足踏んでたら、チャンスなんて……ねえ?」

 親身なアドバイスにも聞こえるが、その実、面白がっているのはわかっていた。

乗せられはしまいと、輪は涼しい顔で流す。

「別にいいって。そういうお前は、これが気になってんだろ? 見に行くか」

「え~? 漫画のほうも、二巻で飽きちゃったしなあ……」

 こちらは一応、デートの体裁で誘ったのに、この幼馴染みはまるで意に介さなかった。傍観者の立場で黒江がぼやく。

「ここで『ダーリンちゃんと映画だなんて恥ずかしい』ってならないのが、ゆき。このスキルに名前をつけるとしたら……ドライスルー?」

「こいつがそんなこと言い出したら、気色悪いだけだろ」

「ちょっと? さっきから、ボクのこと、ふたりしてバカにしてない?」

 幼馴染みという定番のフレーズは、四葉優希との関係を、特別なものに思わせてくれるはずだった。

(どんな遊びしたっけなあ)

輪は幼い日々に想いを馳せて、記憶の中の少女を探す。

 

 一年ほど先に小学生となった優希が、友達を連れ、遊びに来た。

「ダーリンちゃん! いまからケイちゃんと、ドジラのDVDみるんだけどー」

「ごめん。ちょっといそがしーんだ」

 しかし少年は幼稚園児なりに真剣な顔つきで、お絵かきに没頭している。初対面となる優希の友達は、そのスケッチを覗き込んで、つぶらな瞳を瞬かせた。

「……なにかいてるの?」

「おぱんちゅ」

 スケッチブックには三角形のイラストがどっさり。

 

「そうじゃなくてっ!」

 高校一年生の輪は両手で頭を抱え、ショーウインドウに苦悩ぶりを晒した。

 ついでに黒江との出会いも思い出すことができた。だが、優希にしろ、黒江にしろ、幼馴染みならではのエピソードはひとつも出てこない。

 優希は呆気に取られていた。

「ど、どしたの? いきなり大きな声、出しちゃってさあ」

「昔のことでな。オレたちって子どもの頃、オママゴトとかしなかったっけ……」

 憶えているらしい黒江がはにかむ。

「残念。りんは今ほどアグレッシブじゃなかったし」

「へ? 黒江ちゃん、ダーリンちゃんのちっちゃい頃、知ってるの?」

 よくよく思い出してみても、優希と一緒に遊んだというより、優希の後ろについていくだけのパターンが多かった。

 優希が顎に親指を添え、うーんと頭を捻る。

「一緒に着替えたことあったよね、確か。どういう状況だったのかなあ」

「オレが振っといてなんだけど、この話はやめようぜ……」

 過去には期待できそうになかった。がっかりしたいところだが、黒江の意味深なまなざしが、輪に溜息を思い留まらせる。

「寄りたいとこあるの。いい?」

「お、おう……?」

 買い物を済ませながら、黒江の意向もあって、輪たちはゲームセンターを訪れた。黒江は格闘ゲームのコーナーで別行動となる。

「ふたりは先に帰ってて」

「そうか? まあせっかくだし、少しくらい遊んでいこうぜ、優希」

「うん。まだお昼過ぎだもんね」

 輪と優希は適当に見てまわることに。

 ビデオゲームのコーナーは男性が多かった。日曜日だけあって、人気作のゲームにはひとだかりができているほどで、賑やかな歓声もあがる。

 その外れで、もうひとつ、ギャラリーを集めているユーザーがいた。

「すげえよ! ハイスコアだぜ、これ」

「今のは当たったんじゃないのか? どうやってかわしてんだ」

高校生らしい女の子がシューティングゲームで奮闘しているらしい。輪は優希とともに横から覗き込んで、あっと驚きの声をあげた。

「み、御神楽?」

 プレイ中の御神楽緋姫はゲーム画面から目を離さない。

「その声は、輪? ちょっと待って、こいつ、もうすぐ倒せるから」

 ボスは形態変化を繰り返しながらも、御神楽の戦闘機に一発も球を当てられないまま、爆散した。ステージクリアのリザルトが表示されて、御神楽は手を休める。

「あなたもゲームとか、するわけ?」

「こっちの台詞だよ。それは」

 授業はさぼる、任務は独断でやる。そんな御神楽の意外な一面を目の当たりにした。

 御神楽とは面識のない優希が、首を傾げる。

「……誰なの? ダーリンちゃん」

 ダーリンという呼び名には、ギャラリーも呆気に取られていた。

「ええと、同じクラスの御神楽ってやつでさ」

 この場でイレイザーの守秘義務を破るわけにもいかない。御神楽も機密には触れず、優希の顔をじっと見詰める。

「輪の彼女? 一之瀬さんってわけじゃなかったのね」

「ま、まあな。デートしてんだ、今」

 否定するのも面倒くさくて、相槌を打ってしまった。優希が頬を膨らませる。

「ふぅーん……? そんなふうにボクを紹介しちゃうんだ?」

御神楽はゲーム画面に目を戻し、続きに没頭し始めた。御神楽と親しいわけでもない輪たちは、距離を取って、クレーンゲームのコーナーへと赴く。

「さっきの子、水泳部に来てたような……」

「向こうもお前のことは知らない感じだったぞ? つーか、活動してんのか、水泳部」

 ゆくゆくは御神楽緋姫をリーダーとして第六部隊を編成する予定だった。そのメンバーに真井舵輪も数えられているため、気が重い。

(昨日の比良坂も多分、第六に配属されるんだろーなあ)

 しかし無関係でいられる優希は、喜々としてクレーンゲームを眺めていた。

「ダーリンちゃん! ボクを彼女扱いしたんだから、あれ、取ってよぉ」

「え……自信ないぞ、オレ」

ケースの中では某遊園地の妖精、タメにゃんのヌイグルミがひしめきあっている。

 これまでの経験からして、こういったギャンブル性の強いゲームは苦手だった。しかし優希(彼女モドキ)に挑発されては、逃げるのも恰好がつかない。

「ほらほら、頑張って」

「……しょうがねえな。よく見てろ」

 目ぼしい景品を睨みながら、輪はゲーム慣れしている哲平のアドバイスを思い出した。クレーンゲームでは第一に、取りやすいものを狙うこと。

(あれなら、アームで横から倒せば……)

 基本の攻略法に従って、ターゲットを決め、コインを投入する。

 しかし頭ではわかっていても、思ったようにアームは動かなかった。ターゲットのタメにゃんは少し揺れただけで、まるで輪を嘲笑う。

「つ、次で取るって。任せとけ」

「本当かなあ?」

 優希の前で、輪はもう一度クレーンゲームに挑んだ。だが、またしてもアームはタメにゃんを捕らえ損ね、空振りに終わる。

「今ので掴めないってか?」

諦めずに三度目と思ったところで、優希が割って入ってきた。

「ちゃんといい位置に来てるよ。これなら、ボクで決められるかも」

 二回も輪を嘲笑ったタメにゃんを見据え、舌舐めずり。テンポよくアームを動かして、小生意気なタメにゃんをがっちりとホールドする。

「ほらね! えへへっ」

 戦利品を抱え、優希は得意満面に微笑んだ。輪は敗北を認め、肩を竦める。

「そりゃ、彼氏の仕事だろ?」

「ダーリンちゃんじゃ多分、取れなかったでしょ。目の前のチャンスをふいにするのも、もったいなかったし……可愛いよね、これ」

 これが『下手だから代わりに取ってあげた』のであれば、腹も立ったかもしれない。しかし優希は輪のプレイを踏まえたうえで、巧みにフォローしてくれた。

 単に取れそうだったから取っただけ、の気もするが。

「あっちのも気になるなあ。見ていこうよ、ダーリンちゃん」

「その『ダーリンちゃん』っての、外ではやめてくれよ」

 たまには幼馴染みに振りまわされるのも、悪い気はしなかった。

 

 結局、帰りは黒江と同じ時間になる。

 沙織の元ご主人様として、黒江がアドバイスをくれた。

「時間で戻らなかったら、何かショックを与えるのも、ありかも」

「ショック、なあ……」

 寮に帰ってきたのは三時過ぎ。優希はヌイグルミを抱え、103号室に入っていく。

「じゃあね、ダーリンちゃん。また明日」

「おう。今日はサンキュな」

「……配信の時間。急がないと」

 黒江も101号室に引きこもった。

 背伸びをしてから、輪は自分の102号室へと戻る。鍵は開いていた。 

「あれ? 沙織がいるのかな」

 メイドが部屋に来るのは早朝と放課後だが、今日は休日。いつぞやのノートは隠しているものの、忍び足で気配を探る。

 窓は開け放たれ、ちょうど掛布団を取り込んでいるところだった。

 どういうわけか、メイドがふたりに増えている。

「だめじゃないの、輪。いい天気なんだし、お布団は朝のうちに干しとかないと」

「こういう、だらしのない部分が、性格にも出てるんです。改めてください」

 しかもメイドの正体は沙織ではなく、一之瀬閑と五月道澪だった。輪は眉が上がるほどに目を見開き、あとずさった勢いで尻餅をつく。

「どどっ、どうしたんだよ? そんな格好で……閑、五月道まで?」

 閑が振り向き、エプロンのリボンを揺らした。

「また昨夜みたいなことになったら、大変でしょ? 沙織さんが元に戻るまで、わたしもあなたをお世話することにしたの」

 澪は輪のトランクスを広げ、眉を顰める。

「あたしは監視に来たんですっ。放っておいたら、沙織さんが何をされるか……」

「ちょっ、下着に触るのはやめてくれ!」

 慌てて輪はパンツ(花柄)を回収した。落ち着くため、勉強机の椅子に腰を降ろす。

「びっくりするだろ……その服はどうしたんだ?」

 メイドの閑は頬を染めながら、軽やかにターンを決めた。

「愛煌さんのお屋敷で使ってるのを、今朝、貸してもらったの」

 紺色を基調とした給仕服にエプロンを重ねたもので、肩はパフスリーブになっている。ヘッドドレスもフリルの花を咲かせていた。

 しかし可憐なスタイルのようで、スカートは極端に短い。

「おかしいと思ったんです。愛煌さんに相談したら、二着持っていくって言うから」

 澪のほうも艶やかなフトモモを覗かせていた。その短さが気になるのか、念入りに裾を押さえ、輪の視線を警戒する。

 ご主人様は額を押さえ、深呼吸に耽った。

(何やってんだか、ふたりとも)

 少しは冷静になった頭が、当たり前の疑問を弾き出す。

「オレと沙織をふたりにできないってのは、わかったけど……何もメイド服まで引っ張り出して、沙織に対抗する必要は、なかったんじゃないのか?」

 閑と澪は顔を見合わせて、あんぐりと口を開けた。

「あ」

 メイドたちもたった今、失敗に気付いたらしい。にもかかわらず、ふたりして引こうとしなかった。澪が挑発すれば、閑も乗る。

「し、閑さんはどうぞ、脱いでください。ほら、さっきも恥ずかしいとか、言ってたじゃないですか。形から入るの、よくないと思います」

「だったら、澪のほうこそ……わ、わたしはいいのよ? 別に」

メイドらの諍いを前にして、ご主人様は辟易とした。

「……メイドは間に合ってるから、帰ってくれよ。三人もいたら、狭いって」

 確かに家事全般を受け持ってくれるのは、助かる。しかし寮の部屋など、ひとりいれば充分だった。そもそも三月の末に大掃除をしたばかりのうえ、春先は洗濯物も少ない。

 クビを宣告され、メイドの澪が前のめりになった。

「バ、バカにしないでください! あたしだって、メイドさんのお仕事くらい……」

「いや、だから……オレも今日はもう休むだけだしさ」

 乗り気でないご主人様に向かって、メイドの閑も迫ってくる。

「じゃあ、耳かきしてあげるわ」

「……へ?」

 輪はあんぐりと口を開けた。思いもよらず、大きな瞬きを繰り返す。

(閑がオレに……耳掃除してくれるって?)

そんなご主人様など放ったらかしにして、メイドたちは火花を散らした。

「そ、それくらいなら、あたしでも……耳かきで勝負です、閑さん」

「望むところだわ!」

 まずは閑がベッドの上で正座になって、輪を呼ぶ。

「ほら……ダ、ダーリン? こっちに来て」

「お、おう。じゃあ……せ、せっかくだし、やってもらおうかな」

 戸惑いつつ、輪は腰をあげた。

 憧れの閑に耳掃除をしてもらえるとなっては、拒む理由などない。むしろ、期待に胸が躍ってしまって、気が逸るほどだった。

緊張気味に平静を装いながらも、ベッドにあがって、閑のフトモモに頭を乗せる。

「じっとしてるのよ」

 閑が輪の髪をかき分け、左の耳を裸にする。そこに耳かきが潜ってきた。

 こりこりと加減しつつ擦られるだけでも、震えそうなほどに心地よい。膝枕も柔らかくて、胸は高鳴る一方で、安らかな快感に浸っていられた。

 何より『閑にしてもらっている』からこそ、くすぐったい。

「気持ちいいでしょ? ダーリン」

「最高だよ、これ……毎日してもらいたいくらいでさ」

 輪と閑が甘い雰囲気を醸し出すと、傍らの澪が拗ねた。唇をへの字に曲げ、ベッドに乗りあがってくる。

「右はあたしですよ? 早く交替してください」

「待ってったら。……はい、おしまい」

 急かされたせいもあって、早々に切りあげられてしまった。

 次は澪の番。しかし澪は閑と座る場所を入れ替えたため、右の耳を上にするには、輪が彼女のお腹に顔を向ける必要があった。

 目の前が急に暗くなる。

「じ、じっとしてくださいね、ダーリンくん。変なとこ触ったら、死刑にします」

「あ……あのぅ、それなんですけど、五月道さん?」

 事故だった。向きを変えた際に、顔がミニスカートに突っ込んでしまったらしい。緊急の出動要請に備え、スクール水着を着ているのが、色と形でわかる。

「ききっきゃああああああ!」

 澪が真っ赤になって、スカートを押さえに掛かる。

 混乱しているのか、輪の頭ごと。

「どこに顔を突っ込んでるんですか! これで二度目ですよ、ヘンタイ!」

「お、落ち着けって! とにかく手をどけてくれ!」

 やっと頭を抜いたところで、ばちん、と澪の平手打ちが炸裂した。輪は反転し、閑の膝枕へとダウンする。

「今のって、オレが悪いのか? 閑……スクール水着だったのに」

「ちゃんと見てるんじゃないの、もう」

相変わらずのラッキースケベに閑は呆れていた。

 澪が膝を交差させたうえで、胸元をかき抱き、ガードを固める。

「油断してたら、これですよ……。輪くんがヘンタイってこと、忘れてました。沙織さんのお風呂でだって、お湯を飲んだり、石鹸を舐めたりしてたんでしょう?」

「んなことするかっ!」

 考えもしなかった疑いを掛けられ、輪は声を荒らげた。

 閑の半目がちになった視線が、疑惑を含める。

「ところで、ダーリン。さっき、澪のスカートを覗き込んだのが、二回目って……?」

「そっ、そういや、沙織はどうしてんのかな? ちょっと電話してくっから」

 ご主人様は部屋で休めず、メイドたちから逃げるほかなかった。

 

 夜になって、プロのメイドがお世話にやってくる。

「紅茶が入りましたわ。どうぞ」

「サンキュ」

夕食をご馳走になったあとは、お茶で一服。

輪にはあまりテレビを見る習慣もなく、102号室は静まり返っていた。沙織がプレーヤーを点け、お気に入りらしいクラシックを、ボリュームを抑えて流す。

「えっと……聴いたことあるな、これ」

「チャイコフスキーでしてよ。お気に召しませんか?」

「いや、いいよ。たまにはこういうのもさ」

 隣の101号室から妙な悲鳴が聞こえてきた。黒江が誤ってデータを消去でもしたのだろう。沙織は食器の片付けに集中している。

 その後ろ姿を眺めていると、込みあげるものがあった。

(オレのために、あんなことまで……)

昨夜の水着姿を思い出すだけで、鼻の奥が熱くなる。

スカートも短く、お尻が見えそうだった。そんな輪の視線に気づきもせず、メイドの沙織はにこやかに微笑む。

「ダーリンさま、今夜はお風呂、どうなさいます? よろしければ、ぜひ、わたくしのお部屋にいらしてくださいませ」

「え、遠慮しとくよ。また五月道たちに見つかったら、たまんないし……」

 そう答えたものの、沙織のプロポーションへの興味は断ちきれなかった。ご主人様は声を潜め、後ろ髪を引かれながらも、従順なメイドに問いかける。

「沙織も今日はスクール水着、着てるんだっけ」

「はい。それが、どうかしまして?」

 こんなことを女の子に頼むのは、初めてだった。緊張で声が上擦る。

「み……見せてくれないか」

 沙織は顔を赤らめ、困ったように両手で頬を押さえた。

「わ、わたくしの……ですか?」

「いっ、いいんだ! 沙織が嫌なら……ちょっと言ってみただけ、っていうか……」

 言い出した輪も赤面し、慌てて撤回する。

 しばらく沈黙が続いた。しかし決して気まずいものではなく、期待と躊躇をない交ぜにしたようなムードが立ち込める。

 そこからもう一歩を踏み出す勇気は、なかった。輪は諦め、視線を落とす。

「……やっぱだめ、だよな。ごめん、オレ……変なこと言っちまって」

 ところが沙織は健気な笑みを綻ばせた。

「いいえ。ダーリンさまがお望みでしたら、わたくし……」

 エプロンを外し、素直にメイド服を剥がしていく。緊張のせいか、もったいぶった動きで、むしろ輪を巧みに焦らしてくれた。

 お尻に引っ掛かったスカートを落とし、あられもない格好をくねらせる。

「は……恥ずかしいですわ」

 初々しい表情を背けながらも、沙織はスクール水着の正面を晒した。両手を巨乳の上に添え、曲線を強調してしまっている自覚はないらしい。

 白い薄生地にはおへそのラインが浮かんでいる。

 ローレグのデルタは健全なデザインのようで、フトモモのむっちり感を引き立てていた。ニータイツの細やかな装飾が、脚線美にロイヤリティを加味する。

「い、いかがですか? ダーリンさま」

 端正な美貌も相まって、見惚れてしまった。

「いやもう、期待以上で……沙織ってさ、その……本当に綺麗だなって」

「綺麗だなんて……恐悦でございますわ」

 男の子の熱いまなざしに耐えかねて、沙織はフトモモを擦りあわせる。

 殊勝なメイドの献身ぶりを目の当たりにしては、理性を保ってなどいられなかった。輪はごくりと咽を鳴らし、胸を高鳴らせながら、命令をくだす。

「じ、じゃあさ? 次は……胸、触らせてくれ」

 102号室に雷が落ちた。

「――冗談じゃありませんわッ!」

 横っ面に平手打ちが決まり、ご主人様はベッドに頭から突っ込む。

「ぶふぉおっ?」

 その拍子にリモコンを蹴ったのか、プレーヤーのボリュームが跳ねあがった。チャイコフスキーの陰鬱にして優美な旋律が、おどろおどろしいシーンを盛りあげる。

 メイドは怒り心頭に声を荒らげた。

「おかげさまで我に戻りましてよ? まさか……さ、触らせろ、だなんて……!」

 鳥肌を堪えるように我が身をかき抱いて、ご主人様から部屋いっぱいに距離を取る。

 いつもの気丈な三雲沙織だった。変態に対しては澪と同等に容赦がない。

「わたくしのこと、そんなふうに見てましたのね? 最っ低ですわ」

ぶたれた頬を押さえつつ、輪はよろよろと起きあがった。

「わ、悪かったって! 今のはオレが……げっ?」

 騒ぎを聞きつけ、ほかの面々も102号室に集まってくる。上の階から閑と澪も降りてきて、修羅場を目撃してしまった。

「どうしたの、沙織? そんな恰好で」

「隣の部屋まで響いてきましたよ。さっきの」

 沙織はふんぞり返って、情事には至らなかった事情を暴露する。

「どうしたも、こうしたも……輪さんが、わたくしに水着になれと命令したうえ、胸を触らせろ、と迫ってきましたの」

 多少の誇張はあれ、事実には違いなかった。全員が女の敵をねめつける。

「ふぅん……輪ったら、沙織にそんなこと……」

「だから、あたし、言ったんです! 輪くんは必ずエッチな命令をする、って」

 全身から血の気が引いていくのを感じた。優希や黒江も軽蔑のまなざしで輪を詰る。

「ボクにも彼女扱いのついでに、そういうこと、するつもりだったんでしょ」

「セクハラのデータ更新……これは今までで最悪のパターンかも」

もはや逃げ場などなかった。輪はベッドの上で孤立し、顔面蒼白になる。

「魔が差したんだ! 我慢できなくて……」

「万引き犯みたいなことをおっしゃらないで。我慢するのが、常識ではなくて? 覚悟はよろしいかしら、ダーリンさん」

 スクール水着を披露してくれた可愛いメイドは、どこへやら。

 かくして真井舵輪への懲罰が決定した。

 

 

 ARCのケイウォルス司令部にて、輪のセクハラが議題となったのは、翌日のこと。休日にもかかわらず、早急な対応が求められ、愛煌と哲平も参加した。

 輪は独房に閉じ込められることに。

「やっちまったな……まあ当然の結果ってやつか」

 反省はしていた。女子のほうが多い寮で、セクハラには気をつけようと思っていた矢先の、大失態。メイドが従順なのをいいことに、あれもこれもと要求してしまった。

 今週のうちは、ここでおとなしくするしかないのだろう。

 ところが、そこへ妙な一団が躍り込んできた。

「ヘイ! ブラザー!」

「え? ちょっ、な、なんだよ?」

 筋骨隆々としたビキニスタイルの屈強な男が三人、不気味な笑みを浮かべながら、輪を取り囲む。記憶が確かなら、レスリング部の面々だった。

「ヘイ! ヘイ! ヘイ!」

「ハッスル! ブラザー、ハッスルゥ!」

 おしくらまんじゅうを始め、中央の輪をぎゅうぎゅうと圧迫する。

「待てって! ど、どこ触って……誰か、やめさせてくれッ!」

 輪は監視カメラに手を伸ばし、助けを求めるものの、筋肉の壁によって遮られた。だんだん男らしい汗のにおいもきつくなってくる。

 三人のマッチョは輪の服を引き剥がし、厚い筋肉をじかに擦りつけてきた。

「フンフンフン! フンフンフン!」

 興奮でもしたように奇声をあげ、獲物を翻弄する。

「ムフゥーン!」

「ぎゃあああああああああッ!」

 輪の心は折れた。

 

 その様子をモニターで眺め、愛煌はげんなりとする。

「相変わらず、大した再現力ね。周防のドッペルゲンガーは」

「こういうことにしか使えませんけどね」

 オペレーターの周防哲平もイレイザーの端くれとして、オリジナルのスキルアーツ『ドッペルゲンガー』を有していた。

 写真に写っている人物を実体化し、使役することができる。その代償として、写真の中身は背景を残し、消滅した。数にもよるが、実体化は一日ほど維持できる。ただし簡単な命令しか実行させられないため、戦闘員を増やすほどの効果はなかった。

 哲平はオペレーターとして、司令室にいる間はアーツのプロテクトが解除されている。『アーツは犯罪に使えない』という不文律に抵触しない限り、私用も可能だった。

「でも僕が思うに、活用法はあると思うんですよ。ドッペルゲンガー」

「どうせ、コスプレイヤーでも呼び出して、くだらないことするだけでしょ」

 今回は以前レスリング部で撮影したものを使っている。実体の形は写真のものと変えられないため、服を着替えさせることはできない。

 それでも体温や鼓動は本物さながらに再現できた。

「ふう……これで、あいつが少しはセクハラを自重するようになれば、いいけど」

「ついでに、彼らに鍛えさせたらいいんです。正直なところ、真井舵さん、第四では余剰人員ってやつですし」

 愛煌は神妙な面持ちで腕組みを深める。

「御神楽の第六部隊が形になったら、輪も放り込むわ」

 モニターでは、輪がマッチョに蹂躙されていた。

 終わった時には虚ろな表情で、一筋の涙を零したとか。哲平発案の『マッチョの刑』は、ケイウォルス司令部のイレイザーを慄かせ、長らく語り継がれるのだった。

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