ダーリンのおぱんちゅ大作戦!

第一話

 ケイウォルス学園は、レベルでいったら『中の上』から『上の下』に当たる。それなりに進学校として実績があり、クラブ活動も盛んだった。

 偏差値がぎりぎり四十程度の輪では、入学など不可能に等しい。

 ところが、この秋から、真井舵輪は中等部に編入することになってしまった。高等部へ上がる際は試験もあるため、受験勉強が終わったわけではないが、有利ではある。

「ついていけんのかな、オレ……」

 中学生の三年目にして、輪の制服は学ランからブレザーに変わった。

夏休みの最終日である今日は、中等部の職員室で挨拶だけして、『イレイザー』とやらの寮に急ぐ。目的地は学園から目と鼻の先で、あっさりと見つかった。

「……ここか」

今日から住むことになる寮は、小奇麗な雰囲気で、庭も広い。花壇では真っ赤なトマトが栽培中だった。

二階建てで、部屋の数は全部で六。輪の部屋は一階の中央、102号室となる。

「んー、閑? ……帰ったの?」

 不意に101号室の扉が開いた。とんでもない恰好で女の子が出てくる。

 ショートカットの彼女が着ているのは、純白のスクール水着が一枚だけ。閑にもひけをとらない大きな胸が、輪の視線を釘付けにする。

「えっ、ええと、オレ……」

 輪のほうが動揺し、ぎくしゃくとしてしまった。

 彼女が自分の恰好を見下ろし、今になって顔を真っ赤にする。

「~~~っ!」

 ばたん! と、101号室の扉は勢いよく閉ざされた。

「お隣さん、あんな恰好で生活してんのか……? てか、まさか、ここって……」

 嫌な予感がする。

「来てたのね、輪! いらっしゃい」

 外出していたらしい閑が、食材を抱えながら、早足で寮へと戻ってきた。今日はブレザーでもスクール水着でもなく、無難なワンピースを着ている。

「あぁ、閑。来たことには来たんだけど……さ」

 輪は声を潜め、恐る恐る確認を取った。

「ここ、女子寮じゃないよな?」

 閑が乾いた笑みで誤魔化そうとする。

「そ、そのはずよ? ただ……今は女の子ばっかりなだけで」

 中学三年生の男子には苛酷な日々が始まった。

 

 部屋にはすでに輪の荷物が届いている。

 一度は断ったものの、閑が箱の開封を手伝ってくれることになった。

「今日一日うるさくなりそうで、ごめん。お隣さんにも謝ったといたほうがいいかな」

「黒江に? 今の時間は寝てるんじゃないかしら」

「さっき会ったよ。なんつーか……一瞬で逃げられたけど」

「あー。あなたが男の子だから、びっくりしたのかも」

 隣の101号室に住んでいる二景黒江は、閑と同じ高等部の一年一組らしい。スクール水着を着ていたことは、ひとまず流しておいた。

 閑と雑談がてら、私物の封を解いていく。

「こんなトントン拍子に編入しちまって、大丈夫なのかな、オレ……」

「ご家族はなんて?」

「ケイウォルスなら大歓迎だってさ。オレの学力じゃ、絶対に入れねえから。ついていけるかどうか、ちょっと心配で」

「勉強なら、わたしや黒江が教えてあげ……あら?」

 ダンボール箱から出てきたブツを見て、閑は目を丸くした。

 それはアダルティックな黒レースのブラジャー。

「ちょっ、違う違う! オレのじゃなくて、姉貴のが混ざってんだよ!」

輪は真っ青になり、問題のダンボールを覗き込む。いくつかレディースのランジェリーが入っている一方で、どうやら輪の下着は梱包されていなかった。

 悪戯好きな姉に手伝ってもらったのが、そもそもの大間違いだったらしい。

 しかし閑は戸惑いつつ、何やら興味を示した。

「……すごく上等なやつみたいね」

「へ? オ、オレは男だから、よくわかんねえけど……」

 輪は作り笑いを引き攣らせる。

 実は母親が下着専門の有名ブランドで、メインデザイナーを務めていた。輪自身、何もわからなかった子どもの頃、母を真似てデザインを描き起こしたことがある。

 ブラジャーとか、ショーツとか。

(あとでパンツだけ買いに行かないとな)

 幸いそれ以上のブツは出てこなかった。閑も下着の件には触れずに、作業を続ける。

「カーテンも必要じゃない? 明日の放課後にでも、案内してあげるわ」

「助かるよ。ほかに足りないものって、あるか、な……」

 適当に積みあげておいた空箱が、ぐらりと揺れた。今にも倒れそうなことに気付き、輪は両手で押さえに掛かる。

「おっと!」

「……きゃっ?」

 ところが閑も同じ動作をしたせいで、タイミングがずれた。空箱の山が崩れる。

 輪は仰向けに倒れ、重たいものの柔らかい、不思議な感触に押し潰された。

「ん……ふぐっ? ふぃずか、ろ、ろいてくれ!」

 輪の顔面にふくよかな胸を押しつける姿勢で、閑が身じろぐ。

「え? やだっ、ご、ごめんなさい!」

 彼女が起きあがろうとしたタイミングで、お隣さんがやってきた。

「閑、いる? しず……」

 眠そうな顔つきだった黒江が、輪と閑の『情事』を前にして、目を点にする。

「……いかがわしい」

「く、黒江っ? 違うの、これは不可抗力で!」

 閑は赤面し、両手をぶんぶんと振りまわした。おかげで姉の下着が部屋じゅうに散る。

(オレ、ほんとにやっていけんのかな? ここで……)

 輪の視界は姉のブラジャーで覆われた。

 

 事の発端は、夏祭りの夜、『カイーナ』という迷宮に巻き込まれたこと。

 カイーナとは建物の内部が逆さまになったり、複雑な迷宮となる現象のことで、あの地下街もカイーナと化した。

迷宮には『レイ』という、いわば悪霊が徘徊し、人間を見つけ次第に襲う。

 それと戦うのがイレイザーであり、その語源は『慰霊士』や『除霊士』だったらしい。レイ同様、この国の言語が根底にある。

 そしてイレイザーを統括するのが『ARC』という組織で、ケイウォルス学園の地下には、ケイウォルス司令部が秘密裏に存在していた。

 閑の案内で、輪が初めてそこを訪れたのは、盆が明けてから。

「失礼します。例の子、連れてきたわよ」

 司令室は体育館の半分ほどの広さがあり、前方の壁面には大小さまざまなモニターが、地図などのデータを表示していた。

 オペレーターの男子は中等部の制服を着ている。

「愛煌司令~! 一之瀬さんと……一之瀬さんの恋人、来てますよ!」

「ちょっと、ちょっと! 周防くん、恋人とかじゃないったら」

 閑は狼狽し、真っ赤になった。

「あれ? でも確か、マイダーリンを連れてくって……」

「そうじゃなくて! 真井舵、輪、くん!」

 閑ひとりで騒いでいると、煌びやかなスタイルの美少女が姿を現す。

「誰が来たって? ……あぁ、第四の一之瀬ね」

彼女は腰に手を当てながら、面倒そうに肩を竦めた。

閑がいそいそと紹介に入る。

「輪、こちらが愛煌=J=コートナーさん。高等部の一年で、生徒会をやってるの。あとは理事のお孫さんで……」

「ここの司令官をやってるわ。隊員は私より年上がほとんどだけど」

 愛煌は上から目線で輪を一瞥すると、長い髪をさり気なくかきあげた。佇んでいるだけでも迫力があり、一庶民の輪にプレッシャーを与えてくる。

「えと、初めまして。真井舵輪、っていいます」

「真井舵、ね。一通りの事情は、一之瀬から聞いてるのかしら?」

「はい。イレイザーとか、アーツとかは」

 今日は真井舵輪の適性を確かめる、という話のはずだった。

「一之瀬、あなたは模擬戦の相手をしてあげて。こっちよ、ついてきなさい」

 司令室を出て、トレーニングルームとやらに通される。

 きょろきょろしてばかりの輪に、閑は柔らかい笑みを含めながら、声を掛けた。

「夢なんかじゃないって実感、そろそろ出てきたでしょう?」

「実感っつーか、びっくりすることだらけで」

 学園の地下にこれほど大掛かりな『秘密基地』があるなど、俄かには信じられない。

 ケイウォルス司令部には十を超える部隊が所属し、それぞれが任務に当たっていた。閑は学園の生徒で構成された『第四部隊』の一員で、隊長を務めている。

「今日は確認程度のものだから、気楽にいきましょ」

「お、おう」

 緊張しつつ、トレーニングルームで輪は閑と向かい合った。司令の愛煌はガラス越しの別室から、オペレーターの周防哲平とともに、模擬戦の成り行きを見守っている。

『プロテクトを解除したわ。始めなさい。出力は抑えてあるから』

「了解よ。来て、ジェダイト!」

 閑が右手を掲げると、細身の剣が閃光とともに出現した。

「すげえ……」

「わたしはヒーラーだから、スキルアーツの威力はそれほどじゃないのよ?」

 驚く輪に見せつけるように構え、不敵にはにかむ。

 服装は学園指定のブレザーのままだった。模擬戦に実戦と同等の装備は必要ない、と判断したのだろう。

輪も見様見真似で、両刃の剣を呼び出す。

「……よっと。そういやオレの武器、まだ名前がないな」

「とりあえず今はブロードソード、でいいんじゃないかしら」

 あまり強そうな名前ではないが、閑のジェダイトよりも大型で、重量もあった。下手に打ち合いなどすれば、閑のほうの剣が折れるのでは、と不安になる。

「よし……い、いくぜっ!」

 ブロードソードの先端を掠めるくらいのつもりで、輪は前に踏み込んだ。

 ところが閑のジェダイトにあっさりと受け止められてしまう。ジェダイトは細身の割にびくともせず、閑の表情も涼しげだった。

「そんなに遠慮しなくても大丈夫よ」

「へ? え、遠慮なんて……」

 今度は力を強め、振りおろす。が、それも簡単に弾かれた。

 イレイザーの能力を上手く扱えていないようで、閑からレクチャーが入る。

「スキルアーツはただの武器じゃないのよ、輪。身体が武器に適応するはずだから」

「そうなのか? ええと」

 イレイザーの力『アーツ』には二種類あり、そのひとつが武具を精製するスキルアーツだった。持ち主の身体能力をも高め、例えば平常時より腕力が上がったりする。

 そのはずが、輪の身体に目立った変化はなかった。

「もっと集中して! その剣を腕の一部にする感覚で!」

 閑からの攻撃に十秒と耐えきれず、ブロードソードを落としてしまう。

「うわあっ?」

「あ、ごめんなさい! 怪我はない?」

 輪は自分の右手を見下ろしながら、指を震わせた。

「悪い、手が痺れちまって……」

「まだ感覚が掴めてないみたいね。愛煌さん、今日のところは、こんなものでしょう?」

 モニター室のほうで司令は、何やら神妙な面持ちで黙り込んでいる。

 模擬戦中のトレーニングルームへと、新たにひとりのイレイザーが立ち入ってきた。

「閑さんの恋人というから、見にきてみれば……大したことありませんのね」

「沙織? 違うわよ、恋人じゃないってば!」

 閑が迷惑そうにかぶりを振る。

「あなたまで勘違いしてたの? 昨日も話したでしょ。この子は中等部に編入予定で、真井舵、輪くんっていうの」

「ああ……真井舵の輪さん、でしたのね」

 彼女はじとっと輪を見据え、慎ましやかな唇をわずかに綻ばせた。

「輪さん、とお呼びすればよろしいのかしら。わたくしは三雲沙織と申しますわ」

 学園のブレザーとはいえ、スカートを少し摘んでお辞儀するのが麗しく、さまになる。しかし顔をあげると、高圧的で高飛車な印象に戻ってしまった。

「今度はわたくしがお手本を見せてあげますことよ。閑さんはヒーラーですから、前衛タイプではありませんし……構いませんわね、愛煌さん?」

『好きになさい』

 閑に代わって、沙織が輪と対峙する。

(やるしかない、か)

 イレイザーには前衛タイプと後衛タイプの二系統があり、閑のように回復系のスペルアーツを得意とする『ヒーラー』は、後衛が定位置だった。

後衛タイプは、スキルアーツによる武器攻撃が弱い傾向にある。

 一方、三雲沙織は前衛タイプのようで、召喚した武器もより攻撃的なフォルムとなっていた。槍に近いが、斧のような刃が側面についている。

「これがわたくしのハルバード、名付けて……ニーズホッグですわっ!」

 ハルバードがひゅんっと空を切った。

「よ、よぉし……」

 輪はブロードソードを構えなおし、素人なりに間合いを読む。彼女のハルバードのほうが射程は長いはずで、こちらは懐に飛び込む必要があった。

 輪のぎこちない構えを、沙織が嘲笑う。

「基本もご存知ありませんのね。うふふっ!」

「……へ?」

 輪が瞬きするかしないかのうちに、彼女の攻撃が始まっていた。ニーズホッグの刃先が遠心力に乗って、輪の大きいだけで鈍重な剣を、一撃のもとに叩き折る。

「隙あり、ですわ」

「ち、ちょっと待ってくれ! いつの間に……うぐっ?」

 さらに沙織は後ろにまわり込んできて、輪をハルバードの柄で羽交い絞めにした。

「ニーズホッグにはこういう使い方もありましてよ」

「~~~ッ!」

 輪は必死でハルバードを押し返し、呼吸を確保する。

 ところが背中に『柔らかいもの』が当たるせいで、力が入らなかった。

(どうしろってんだよ、こんなの!)

 沙織の吐息も耳に触れる距離で、鼓動のテンポが跳ねあがる。

「もう勝負は決まったわ、沙織。そこまでにしてあげて」

「……しょうがありませんわね」

 閑が止めに入ってくれたおかげで、解放された。輪は折れてしまったブロードソードを見下ろし、すっかり自信を喪失する。

(もしかしなくても、オレ、すげえ弱いんじゃ……?)

 沙織はニーズホッグを手品のように消してから、輪にびしっと人差し指を向けた。

「あなた一体、なんのためにイレイザーになりましたの? どうせ、受験が嫌で、ケイウォルス学園に編入しようと思ってらっしゃるんでしょう?」

「ち、違うって! オレは……」

 輪はぎくりとして、声を荒らげそうになる。

 図星ではなかったが、それに近かった。カイーナの脅威から民間人を守りたい、などといった正義感も薄い。単なる好奇心だけで首を突っ込んだ面は、否めなかった。

「あら、何か言いたいことがあったのではなくて?」

「それくらいにしなさいったら。輪は今日が初めての模擬戦なのよ」

 モニター室のほうから愛煌司令の指示が入る。

『データは取れたわ。あがりなさい』

「あ、ああ……」

 輪は釈然としないものを感じつつ、閑たちとトレーニングルームをあとにした。

 

 真井舵輪がいなくなってから、愛煌は淡々と呟いた。

「めっちゃくちゃ弱かったわね、あいつ……」

 オペレーターの周防哲平が首を傾げる。

「ずっとモニターしてましたけど、身体能力の上昇はまったく見られませんでした。スキルアーツも拾いもののようですし……本当にイレイザーなんでしょうか」

「ヒーラーよりも攻撃力の低い前衛なんて、どう使えっていうのよ。ねえ?」

 模擬戦における真井舵輪のデータは悲惨なものだった。後衛タイプの閑のほうが、近接攻撃でも遥かに上を行っている。

「カイーナではレイをまっぷたつにしたそうですけど」

「弱い個体もいるから、現時点ではなんとも言えないわね」

 輪のデータを眺めながら、愛煌は眉を顰めた。

「しばらく様子を見ましょうか」

「ですね。あ、部隊はどこの配属にします?」

「しばらくは一之瀬と組ませるわ。第四なら、素人がひとりいても問題ないでしょ」

 後日、真井舵輪は一之瀬閑と同じ第四部隊の配属となった。

 

 

 二学期となり、輪にとってはケイウォルス学園で初めての登校となる。

 寮の前では閑と沙織が待っていた。

「忘れものはない? 輪」

「大丈夫だって。今日は始業式だけで、授業もないし」

 不慣れなブレザーのせいで、輪のネクタイは歪な形になっている。そこに気付き、丁寧になおしてくれたのは沙織だった。

「身だしなみは紳士のステータスですわよ? じっとしなさい」

「あ……悪い」

 沙織のおかげで、今度こそネクタイが決まる。

 照れる輪に閑がこそっと耳打ちした。

「お姉さんたちに囲まれてみて、どう? 夜はちゃんと眠れてる?」

「ね、寝てるって」

 この寮の男子は、102号室の輪だけで、ほかの部屋はすべて女子が使っている。隣の101号室は二景黒江、二階の201号室は一之瀬閑。

 そして輪の部屋の真上にある202号室では、三雲沙織が暮らしていた。名家の令嬢らしいが、イレイザーの任務などとの兼ねあいで、寮に入ったという。

「全員、高一なんだっけ?」

「そうね。みんな、あなたよりひとつ年上よ。例外はひとりいるけれど……それじゃ、わたしたちは先に行くから。あなたも遅れないようにね」

 朝の挨拶ついでに始まった雑談を、閑はあっさりと切りあげてしまった。沙織も当然のように背中を向け、ロングヘアを靡かせる。

「中等部は隣でしてよ」

「え? い、一緒に行くんじゃないのか?」

 しどろもどろに尋ねながらも、輪は内心、はっとした。脳内の閑が頬を赤らめる。

『だって……一緒に登校して、噂になったら、恥ずかしいじゃない?』

 そのつもりが、目の前の彼女はけろっと答えた。

「だって、ねえ? 中等部の男の子と登校って、普通にヘンでしょ」

「年下に手を出したなんてふうに思われたら、恥ですもの」

 沙織まで同じ目線で相槌を打つ。

「道がわからないのでしたら、少し離れて、ついてらっしゃい。えぇと、確か……」

「真井舵輪だよ! ま、い、だ、り、ん!」

 名前さえ憶えてもらえていなかった。

輪は失意の底とやらを見た思いで、溜息を落とす。

(オレ、やっていけんのかな……)

五人もの女の子との共同生活に、下心などない、といえば嘘になった。健全な中学生の男子として、それなりに異性に興味もある。

 しかし閑や沙織を相手に、要領よく立ちまわれるはずもなかった。

「体育は今月からソフトボールだそうですわよ」

「黒江がまた嫌がりそうね」

ふたりの後ろで輪は頭を垂れながら、とぼとぼとついていく。

 ケイウォルス学園には大勢の生徒が集まりつつあった。今日は二学期の始業式のため、生徒たちは夏休みの報告で盛りあがっている。

「エンタメランド行ったんでしょ? どうだった?」

「すっごい面白かった! ナイトパレードが、もう最高でさあ」

 どことなく『高等部生が優先』という空気が感じられた。正門こそ共通だが、中等部生は高等部生に道を譲るなど、暗黙の了解があるらしい。

(あんま迷惑掛けたくもねえしな)

 ここで閑たちを刺激すまいと、輪は無言のまま、中等部へと方向を変えた。

「あっ! いたいた、ダーリンちゃん!」

 ところが大声で『ダーリン』と呼ばれ、ぎくりとする。周囲の視線はダーリンこと真井舵輪に集中してしまった。閑と沙織も振り返って、瞳を瞬かせる。

「えへへ。こっち、こっち!」

「ゆ、優希っ?」

 声を掛けてきたのは、幼馴染みでひとつ年上の女の子、四葉優希。

後ろにいたらしい優希は、輪の正面へとまわりこむと、上目遣いで前のめりになった。閑たちにひけをとらない胸が、たわわに弾む。

「ほんとにケイウォルスに来たんだね。ようこそっ!」

 なるべく胸を見ないよう、輪は目を反らしつつ、ぽりぽりと頬を掻いた。

「……なんで知ってんだよ」

「そりゃあ、お隣さんのことだもん」

どうにも会話が噛み合わない。

彼女が輪の家の隣に住んでいたのは、昔の話だった。ケイウォルス学園への入学とともに寮に入ったそうで、以降は接点もなくなっている。

にもかかわらず、彼女は真井舵輪の転入をすでに知っていた。

「びっくりしたんだよ? ダーリンちゃんが102号室に来るって、聞いて」

「あ! じゃあ、お隣さんっていうのは……」

優希がしたり顔で微笑む。

103号室の住人は、夏休み中は帰省しているとかで、会うことができなかった。それがまさか幼馴染みの四葉優希とは思わず、輪のテンションも上がる。

「なんだよー、電話のひとつでもしてくれりゃ、いいのに」

「ダーリンちゃんのことだから、気付いてないんだろーなあって……実はボク、こっちに帰ってきたの、ついさっきなの」

 幼馴染み同士で盛りあがっていると、閑が割り込んできた。

「ちょっと、輪? 優希と知り合いだったの?」

「幼稚園の頃から、な。優希のがいっこ上だから、ランドセル自慢されたりしたよ」

 沙織はここで関わろうとせず、『先に行きまわすよ』とだけ言い残す。

「へえ……優希と輪が、ねえ」

 閑の瞳はまじまじと優希を見詰めた。

 四葉優希がきょとんして、つぶらな双眸をぱちくりさせる。

 彼女は爽やかなショートヘアの持ち主で、一人称も『ボク』の割に、ほかの女子より内股気味の姿勢が自然体だった。フトモモを擦り合わせてしまうのが癖らしい。

「でも、あの……ダーリンちゃん、って? まさか恋人だったり?」

 閑の遠慮がちな質問に対し、優希はあっけらかんと笑った。

「あははっ、ないってば~。ただのあだ名でね、ダーリンちゃん、ちっちゃい頃からそんなふうに呼ばれてたの」

 愛称を暴露され、輪は両手で頭を抱える。

「……お前なあ。ダーリンはないだろ、ダーリンは」

 自然体で返事ができてしまう自分にも、問題はあった。

 優希とはいずれ進展するかも、などと思いあがっていた時期もあり、恥ずかしい。

「輪と優希って、仲いいのね」

「えへへ……んーと、去年もね? 受験勉強してたら、ダーリンちゃんが気分転換にエンタメランド行こうって誘ってくれたりしたよ。断ったけど」

 断ったけど。そのフレーズが今の輪を苦しめる。

 残念ながら、優希には『異性』として見られることがなかった。

「もうしゃべらないでくれ、優希。さもないと、オレ、お前の去年の体重……むぐっ!」

 ばちん! と、平手打ちみたいな勢いで口を塞がれてしまう。

「ダ、ダーリンちゃんったら! 幼馴染みの秘密をしゃべるとか、ありえないよ?」

「先にしゃべったのは、おっ、お前……!」

 抵抗しようにも、腕力では敵わない。優希の握力はアイアンクローそのものになるほど強く、表情筋がひん曲がりそうになった。華奢な見た目とは裏腹に、格闘技の段位を持っており、輪よりも強い。

 閑は苦笑いを噛みつつ、優希の力技をどうどうと押さえた。

「まあまあ。早く教室に行かないと、遅刻するわよ」

「まだ大丈夫だと思うけど……あ、そっかあ。ダーリンちゃんは中等部で、自分の教室、探さなくっちゃだもんね」

 ようやく解放され、輪は深呼吸で己の生存を実感する。

「相変わらず、すげえバカ力だな、優希」

「……そーいうこと、女の子に言っちゃうんだ? ふーん」

 優希がむくれたところで、年上にしてはあどけない表情に迫力などなかった。顔立ちはそれなりに大人びていても、天然の幼さが喜怒哀楽を弾ませる。

 閑が淡々と輪をねめつけた。

「ダーリン、ねえ……」

 周囲の目もあって、居たたまれない。

「じ、じゃあな! オレ、中等部の職員室に寄らないとだし……」

輪は適当に理由をつけ、その場を離れた。背中には優希の視線を感じる。

 幼馴染みがケイウォルス高等学園に入学したことは、知っていた。しかし、隣の部屋に住んでいるとまでは、想像がつかなかった。

(名前とか聞いてなかったもんなあ。びっくりしたぜ)

 ふと、同じ寮で生活していることの意味に気付く。

(……あれ? ひょっとして、優希もイレイザー、なのか?)

 寮には真井舵輪を含め、六名のイレイザーが暮らしていた。うち五名は女子で、輪よりひとつ年上であることもわかっている。

『全員、高一なんだっけ?』

『そうね。みんな、あなたよりひとつ年上よ。例外はひとりいるけれど……』

 閑の言葉も思い出しながら、輪は中等部へと向かった。

 真井舵輪のクラスは三年一組で、校舎の二階にあるらしい。四階は一年、三階は二年、二階は三年という並びで、上級生ほど階段の上り下りは少なくて済んだ。

「おはようございます。転入生の真井舵っていうんですけど」

「真井舵くんね。聞いてるわ」

 職員室で担任と合流してから、三年一組を目指す。

 やがてチャイムが鳴り響き、クラスごとにホームルームとなった。担任に続いて輪も入室し、注目を浴びる。

「久しぶりね、みんな。さて……急なことで、私もびっくりしたんだけど、今日から一組に新しい仲間が増えます。学校のこと、色々教えてあげて」

三年一組の面々は転入生の存在を今しがた知ったようで、俄かに騒ぎ立った。

「こんな時期に転校生……?」

「どこの中学から来たんだろーな」

 緊張とともに輪は息を飲んで、簡単に自己紹介を済ませる。

「えーと、初めまして。N中から来ました、真井舵です。下の名前は輪、で……ははっ、あんまりフルネームでは呼ばないでください」

 その台詞の意味を、クラスメートたちはすぐには理解できなかったらしい。

 ところが、窓際の女の子は急に席を立ち、それを口にしてしまった。

「まいだりんっ?」

 ダーリンという言葉の響きに、皆が驚く。

「え? 五月道さんの知り合いなの?」

「……あ、その……なんでもありません。続けてください」

 彼女は声のトーンを落とすと、何事もなかったように座りなおした。ほかのクラスメートも『それ』が輪のフルネームだったことに気付く。

「なるほど。マイダーリンな」

「五月道さんが『ダーリン』なんて呼ぶわけ、ないか」

 担任が名簿で軽く教壇を叩いた。

「まあ、そういうわけだから。席は……あぁ、後ろに足すしかないか。委員長、ちょっと手伝ってくれない?」

「了解でーす」

 クラス委員が立ちあがり、教師の指示を待たずに動き始める。

「理科の準備室に余ってたやつ、持ってきますね」

「さすが周防! 任せたわよ」

 彼には見覚えがあった。ARCケイウォルス司令部でオペレーターを務めていた、眼鏡の男子に違いない。そのことは秘密のようで、輪に『しーっ』と釘を刺す。

 しばらくして、最後列に机がひとつ加わった。

「ぼくは周防哲平。哲平でいいよ」

「サンキュ」

 転入生の真井舵輪を迎え、三年一組の二学期が始まる。

 

 始業式は放送で終わった。今日は授業もなく、皆で学園祭の出し物を相談する。

 右も左もわからない輪には、哲平が付き添ってくれた。

「高等部の学祭の一部、みたいな感じでやるんだ」

 彼が同い年にも『ですます調』で話すのは、仕事中だけらしい。

「いきなりオレが入って、大丈夫かな」

「そこは気にしなくてもいいんじゃない? 真井舵なら、すぐ馴染めるよ」

 クラスメートも輪には好意的で、おそらく歓迎はされていた。

 ただ、五月道澪という女子だけは、輪と目を合わせようとしない。席は近いものの、どことなく壁が感じられた。

「なあ、哲平。さっきの、あの子って……」

「五月道さん? あんまりしゃべらないんだよね、彼女」

 哲平がこそっと耳打ちしてくる。

「大きいでしょ?」

 五月道澪だけ、胸のサイズにおいては群を抜いていた。腕組みのせいもあって、大いに盛りあがり、魅惑的な曲線を描いている。閑や沙織にもひけをとらないだろう。

 長い髪はストレートに降ろされていた。ヘアバンドがさり気ないセンスを光らせる。

 端正な顔立ちは『可愛い』より『美人』の印象が強かった。窓際の席で肘をつき、空を眺めているだけでも、落ち着いた絵になる。

「……胸ばっか見てると、睨まれるよ? 女子全員に」

「そ、そういうつもりで見てたんじゃねえって」

 輪は黒板へと目を戻し、出し物は焼きそば屋に投票した。

 

「真井舵輪」

 帰ろうとすると、例の女の子に呼びとめられる。

「え、ええと……さつきどさん、だっけ?」

「五月道澪です。少しいいですか」

 彼女の表情にはありありと苛立ちが見えた。輪を睨むように見詰めながら、一の文字に引き結んであった唇を綻ばせる。

「本気なんですか?」

 質問の意味がわからず、輪は首を傾げた。

「本気って……あ、転校のことか? 三年のこの時期になんて、確かにないよな」

「そういうことではありません。わかるでしょう?」

「え? お前は何を……っと!」

 廊下の真中で立ち止まっていたせいで、クラスメートとぶつかる。

「悪い! 大丈夫か」

「こっちこそ、ごめん。考え事しててさ」

 その拍子にクラスメートは財布を落としてしまった。転校初日から印象を悪くしてはまずいと、輪は咄嗟に屈んで、財布へと手を伸ばす。

 ところが身体を起こそうとすると、おかしなものに視界を覆われた。

(……あれ?)

 陰になっていても、白色なのがわかる。

 薄生地の感触はスウェットシャツに似ていた。幅の広い三角形で、下を向いている。

 少し視線を降ろすと、艶やかなフトモモと出くわした。むっちりと曲線がつき、張りもある。甘い香りがして、無意識のうちに輪は生唾を飲みくだした。

 ゴクリ……。

 フトモモがぷるぷると震える。

「どういうつもりですか。ま、い、だ、り、ん……?」

 あろうことか、財布を拾うついでに、五月道澪のスカートに頭を突っ込んでしまったらしい。輪は恐る恐るスカートから頭を抜き、青ざめる。

「い、いや、これはっ!」

 混乱している自覚はあった。とりあえず『パンツ』を見たわけではないと弁解する。

「スクール水着だから、大丈夫だって! な?」

 澪は唇を噛むと、スケベ相手に平手打ちを放った。

 バッチーン!

 放課後の廊下に乾いた音が響く。

(なんで……ス、スクール水着……?)

 横っ面を引っ叩かれ、輪は華麗なターンを披露するのだった。

 

 

 まっすぐ寮に帰っても、まだ午前の十一時過ぎ。

「今日は学食、やってねえのかな?」

 先ほど澪にぶたれた頬を押さえつつ、輪はもう一度出掛けようとした。そこへちょうど閑たちもぞろぞろと戻ってくる。

「輪、お昼まだでしょ?」

「ああ。学食でも覗きに行こうかなって、思ってたんだけ、ど……」

 面子を一瞥し、輪はぎくりと顔を強張らせた。

 今しがた学校の廊下で輪を引っ叩いた女の子、五月道澪がいるのだから、開いた口が塞がらない。向こうは黙ったまま目を伏せて、肩を竦めた。

(だから閑みたいに着てたわけか、スクール水着)

 赤らむ輪の顔を、幼馴染みの優希が前のめりになって覗き込む。

「そういえば、澪ちゃんと同じクラスになったんでしょ?」

「あ、あぁ……まあ」

 黒江は話題には興味がない様子で、あくびを噛んだ。

「……早くご飯」

 閑がぱんっと両手を鳴らす。

「そうそう! 今からみんなで輪の歓迎会をしようって話になって……どうかしら?」

 沙織は左手を腰に当てながら、麗しいロングヘアをかきあげた。

「全員で六人……ここのお部屋では狭くありませんこと?」

ひとによっては『偉そう』なポーズにしかならないものが、一流の気品を醸し出す。

「天気もいいし、お庭でいいんじゃない?」

「じゃあ準備はみんなに任せて、ボクらは買い出し行こっか、ダーリンちゃん」

 優希の発言に一同がぎょっとした。閑と沙織は今朝もいたからまだしも、黒江は目を点にし、澪は驚きの声をあげる。

「だっ、ダーリン? 優希さん、この男とそんな関係なんですか?」

「違うってば。ダーリンちゃんのあだ名ってだけ」

 優希はこれっぽっちも照れることなく、しれっと断言した。

(遊ばれてるなあ、オレ……)

 やるせない気持ちを引きずりながら、輪は優希と買い出しに出かける。

 ついでに近場を案内してもらうことにした。ドラッグストアやコンビニなど、何かと利用機会が多そうな店の場所を、優先的にチェックしておく。

「オレの歓迎会なのに、オレが買い出しって、なんかなあ……」

「女の子に荷物持ちさせるわけにいかないでしょ? はい、カゴ持ってね」

 スーパーでは適当にサンドイッチやお菓子を買った。

 子どもの頃、よく優希に買い物に付き合わされたのを思い出す。今も優希は色んなお菓子を見比べ、延々と決めあぐねていた。

「服じゃねえんだからさ。何なら、両方でもいいし」

「え~? これが楽しいのに」

 高校生になっても、根っこのところは小学生の時と変わらない。

(……そうだった。優希のやつ、ブラジャー買いに行くからって、オレを買い物に連れていくの、やめたんだよなあ)

 幼馴染みは発育がよく、胸をたわわに実らせていた。フトモモを擦り合わせる仕草も悩殺的になってしまって、目のやり場に困る。

「うーん、やっぱり両方にしようかな」

「ははっ、太るぞ?」

 うっかり口を滑らせてしまった。輪の足の上に、優希のカカトが落ちてくる。

「ボクが太りやすいの、知ってるでしょ? 怒るよ!」

「もう怒ってんじゃねえか……」

 昔はもっとぽっちゃりしてたよな、と言わなくて正解だった。

寮に戻った頃には、歓迎会の準備もできている。庭にはシートが敷かれ、フォークやグラスも一通り揃っていた。閑がてきぱきと仕上げに掛かる。

「え、サンドイッチにしたの? じゃあフォークはいらなかったわね」

 黒江は気怠そうに敷物の上で寝そべっていた。

「……お腹、空いた」

「起きなさいったら。始めますわよ」

 ブレザーのまま、寮の全員でサンドイッチを囲む。

向かいの席となった澪には、あからさまに目を逸らされてしまった。

(どっかで謝らないとな)

 あの場で謝ることには謝ったが、印象は最悪に近い。おまけにクラスの女子からも白い目を向けられる羽目になり、新しい学校生活には早くも暗雲が立ち込めていた。

 閑が乾杯の音頭を取る。

「それじゃあ、輪の入居と、第四部隊への配属を祝って!」

「カンパーイ!」

 大きな声で応じてくれたのは優希くらいで、黒江は黙々と食べ始めた。紅茶は沙織が用意したものらしく、素人の輪にも香りのよさがわかる。

「ええと……これ、アッサムかな」

「あら、わかりまして? 意外に教養がおありでしたのね、輪さん」

 あてずっぽうだったが、沙織の受けは上々。

 閑は食べてばかりの黒江にお茶を勧めつつ、ハンカチを手に取った。

「ついてるわよ、口のとこ」

「……ありがと」

 黒江はじっとして、閑に拭いてもらうのを待つ。

 カロリーを気にしているのか、優希は積極的に食べようとしなかった。

「ねえ、自己紹介してこ? ダーリンちゃんが知ってるのって、ボクだけだし」

「でしたら、わたくしからいたしましょう」

 沙織が豊かな胸に左手を添え、宣言でもするように言い放つ。

「ケイウォルス高等学園の一年三組、三雲沙織と申しますわ。部活は吹奏楽部で……あなたもご存知の通り、第四部隊で前衛を務めておりますの」

沙織に続いて、閑も自己紹介を始めた。

「じゃあ、わたしも改めて。一年二組の一之瀬閑よ。調理部に入ってるわ」

「部活かあ……でもオレ、あと半年で中等部は出ちゃうしな」

「入ってみてもいいんじゃないかしら。あと、わたしはヒーラーだから、基本は後衛ね」

 輪は食事の手を休め、疑問符を浮かべる。

「前衛とか後衛ってのは?」

「それは――」 

 反射的に言いかけたのは澪だった。むっとした表情で、渋々と語り出す。

「イレイザーには前衛と後衛、ふたつのタイプがあるんです。前衛はスキルアーツをメインに戦い、後衛はスペルアーツをメインとします」

 カイーナを探索するにあたって、イレイザーの編成は役割分担を基盤とした。

 武具を精製する『スキルアーツ』に特化した者は、前衛に立ち、主に近接戦闘をおこなう。ハルバードを得物とする沙織は、こちらに該当した。

一方、魔法のような力『スペルアーツ』が得意な者は、後衛に位置する。さらにスペルアーツにはみっつの系統が存在した。

 ヒーラー系は治療、マジシャンは攻撃、スカウト系は補助を専門とする。

「怪我とかしたら、閑に治してもらえるってわけか?」

「レイから受けた傷はね」

「これくらいのことは司令部で教わってるはずなんですけど……」

 一通りの説明を終え、澪は改めて姿勢を正した。

「あたしが第四部隊のマジシャン、五月道澪。……あなたと同じ中等部です」

 やはり第一印象が最悪だったせいで、ぎこちない。しかし閑が少し首を傾げる程度で、自己紹介は黒江の番となった。

「暑いってば。優希」

「じゃあ、あとで一緒にお風呂だねっ」

 黒江には能天気な優希がしがみつき、離れない。優希にとっては、等身大のぬいぐるみを抱っこするのと同じ感覚らしい。

「この澄ましてて可愛いのが、二景黒江ちゃん! すっごく優秀なスカウトなんだー」

 そんな優希の抱きつき攻撃にも、黒江は戸惑うことなくマイペースを保った。

「……よろしく。りん」

「こ、こちらこそ」

 最後は輪に自己紹介の順番がまわってくる。

「オレは真井舵輪。変な名前であれだけど……オレだけ年下みたいだし、気軽に『輪』でいいからさ。あ、オレ、敬語使ったほうがいいのかな?」

「必要ないわよ。みんなも気にしないでしょうし」

 輪をよく知る優希が、口を滑らせた。

「ダーリンちゃんのお母さんってね、有名なファッションデザイナーなんだよー」

「えっ? そうなの、輪?」

 閑や沙織が興味津々に食いつく。

「真井舵……という名前のデザイナーは、ちょっと思い当たりませんわね」

「お母さんはハンドルネームでやってるの。ねっ、ダーリンちゃん」

 輪の母はカリスマデザイナーとして多忙な日々を送っていた。海外出張も頻繁にあり、あと一ヶ月は帰ってこない。

「ダーリンちゃんもデザインできるんだから。すごく上手なの」

「ちょっ、優希!」

 口止めする間もなく暴露されてしまった。閑が爛々と瞳を輝かせる。

「本当に? そんな特技があったのね、あなた」

「試しに何か描いてみてくださらない?」

 沙織にも期待を込められ、流しづらくなった。しかし披露するわけにもいかず、輪は苦し紛れの苦笑いでお茶を濁す。

「こ、今度な? 別にそんな大したもんじゃないし……」

 何度も目配せして、ようやく優希も察してくれたようだった。しまった、とばかりに口を押さえ、黙りこくる。

 確かに輪の母親は実力派のデザイナーだが、それはレディースの『下着』に限った話。輪はまだ分別もつかない幼少期、その技術を『お絵かき』として叩き込まれていた。

 つまり輪にデザインできるのは、ブラジャーやショーツばかり。

「それよりさ、イレイザーのこと、もっと聞かせてくれよ」

 強引に話題を変えても、沙織はさして気にしなかった。左手を腰に沿えたポーズで首を傾げ、ロングヘアを波打たせる。

「そうですわね。明日は輪さんにとって、初めての任務ですもの」

「だろ? オレ、ちゃんと戦えるのかなって……」

「あなたの出番はないでしょう。第四は、この五人で完成された部隊ですから」

 澪はまだへそを曲げていた。

 

 

 残暑は厳しく、陽も長い。それでも午後七時を過ぎると、街は夜の色で満たされた。

 輪と閑はいつぞやの地下街の入口で、メンバーが揃うのを待つ。

「ここであなたと会ったのよね。あの時はびっくりしたわ」

「驚いたのはオレのほうだって。いきなりあんな化け物が現れて、さ……」

 先月の夏祭りのあと、真井舵輪はこの地下道で怪異現象に巻き込まれた。人工の建物は何らかの条件が揃うことによって、複雑怪奇な迷宮『カイーナ』と化す。

 そしてカイーナには『レイ』という怪物が出現する。

 ARCは対レイ組織として、カイーナの調査とレイの殲滅を目的とした。イレイザーはARCに所属し、さまざまな任務を与えられる。今回はケイウォルス司令部の第四部隊、すなわち輪たちに、地下街の探索が命じられた。

 閑が険しい表情で考え込む。

「ちょっとおかしいのよね、今回のカイーナ。普通、地下で発生すると、規模が爆発的に広がったりするんだけど……」

「ふーん。まあ、深刻なことになるより、いいんじゃないか?」

 輪の意見は素人丸出しだったが、かえって閑の緊張は解れたようだった。

「それもそうね。レイもさほど強い個体は確認されてないみたいだし」

 時間があるうちに輪はメモ帳を開き、カイーナについての情報を整理しておく。

 カイーナの発生源となるのは、その迷宮でもっとも強力なレイだという。ARCはこれを『フロアキーパー』と呼び、討伐対象にするとともに警戒した。

 フロアキーパーさえ倒せば、カイーナは消滅し、正常な空間に戻すことができる。しかし大抵のフロアキーパーは妙な能力を持っており、一筋縄ではいかなかった。勇み足で挑み、悲惨な結果に終わったパターンもあったらしい。

 やがて沙織と澪、優希と黒江も合流した。

「お待たせしましたわ」

「任務……めんどくさい……」

 ケイウォルス司令部のオペレーター、周防哲平から通信が入る。

『くれぐれも無理はしないでくださいね、一之瀬さん。真井舵さんにとっては初めての出撃ですし。それでは調査のほう、よろしくお願いします』

「わかったわ。回線は開いておいてね」

 第四部隊は一之瀬閑を隊長として、前衛には沙織と優希がついた。後衛はスカウトに黒江、ヒーラーに閑、マジシャンに澪となる。

「オレはどうするんだ?」

「あなたは前衛よ。そんなに前に出なくてもいいけど」

 真井舵輪は前衛で、優希の隣となった。幼馴染みの優希となら、息も合うだろう。

「ボクが守ってあげるよ、ダーリンちゃん」

「……頼もしいな、そいつは」

 冗談も交えつつ、第四部隊の一行はカイーナへと突入した。

 制服姿だったメンバーが、アーツを用い、バトルフォームにチェンジする。純白のスクール水着は胸の高さで盛りあがり、お尻には窮屈そうに食い込んでいた。

「え……えええええっ?」

 五人もの美少女の、豊満かつ無防備なスタイルを見せつけられ、輪は真っ赤になる。

 スクール水着だからこそ、閑たちのボディラインはありのまま晒された。付け根からの露出が際どいフトモモの、むっちりとした肉付きのよさも、輪を惑わせる。

 澪は我が身をかき抱くと、眉を顰めた。

「じ、じろじろ見ないでください」

「……ごめん」

 しかし澪から視線を外したところで、黒江や優希の水着姿に引き寄せられる。黒江は優希の背中に隠れ、優希は恥ずかしそうにフトモモを擦り合わせた。

「ち、違うんだよ、ダーリンちゃん? これにはちゃんと理由があって……」

 堂々としているのは沙織くらいで、腰に手を当て、豊かな胸を張る。

「第四部隊で試験的に実装された、立派な戦闘服でしてよ。スキルアーツを反映して、守備力とともに身体能力を極限まで高めますの」

「こういう身体にフィットするのが、いいらしいの。ねえ?」

輪の疑惑を孕んだ視線には、さしもの静も困惑していた。輪としても直視するには抵抗が強く、むしろ見ているほうが恥ずかしい。

「な、なあ……上から別の服を着ちゃ、だめなのか?」

「……あなたもやってみれば、わかるわ」

 恐ろしいことに、輪のユニフォームも用意されているらしかった。

 澪が屹然と仕切りなおす。

「ここはもうカイーナですよ。探索に集中しましょう」

「え、ええ。みんな、行きましょうか」

 真っ白なスクール水着を来た女の子たちは、歩くだけでも輪に誘惑を投げかけてきた。果実のような胸も四方で揺れ、ひとりしかいない男子を緊張させる。

(化け物と戦うのより、きついかも……)

 危険な迷宮で、悶々と過ごす羽目になった。

 地下街は上下が逆転し、天井は下に、床は上にある。早速、蛍光灯に躓きそうになり、澪から注意されてしまった。

「気をつけてください」

「あぁ……悪い」

 彼女とは依然として、ぎくしゃくとした空気が続いている。繰り返し謝ったところで、余計に気まずくなりそうで、なるべく会話自体を避けていた。

(閑にでも相談してみようかな、澪のこと)

 ひっくり返った地下道は蟻の巣のように枝分かれしており、早くも方角を見失う。

 スカウトの黒江は目元にバイザーを浮かべ、迷宮のスキャンに当たった。

「次のT字路、右……行ってない」

「じゃあ、そっちね。頼りにしてるわよ、黒江」

 スカウトの仕事は罠の解除や敵の識別など、探索面において多岐にわたる。司令部との通信が可能なのも、スカウトがいるおかげであり、生命線となった。

 T字路を曲がったところで、レイの集団と出くわす。

「みんな、戦闘開始よ!」

すかさず閑が号令を発し、前衛の沙織と優希が構えた。両手にナックルを装備した優希が、沙織のハルバードよりも素早く攻撃に出る。

「行くよっ、ファルシオン!」

 拳が命中すると、閃光が弾けた。蛙みたいな異形のレイが吹っ飛ぶ。

 沙織も負けじとハルバード『ニーズホッグ』を振るい、レイの群れを薙ぎ倒した。斬撃に突きを織り交ぜながら、スピードの緩急にも変化をつける。

「この程度の雑魚、相手になりませんわね!」

「沙織、優希、残りはスペルアーツで片付けるわ! さがって!」

 後衛の閑はレイピアを構えつつ、あくまで司令塔の役割に徹した。同じく後衛の澪が両手を交差させ、念を込める。

「フレイムっ!」

 どこからともなく炎が巻き起こって、レイを焼いた。

 かろうじて残った一匹が襲い掛かってくる。

「よし、こいつはオレが!」

輪はブロードソードを両手で握り締め、敵を見据えた。ところが、振りあげるよりも先に肉薄され、体当たりを食らいそうになる。

「うわっ――」

「ダーリンちゃん!」

間一髪、優希のまわし蹴りが間に合った。レイは跡形もなく消滅する。

 沙織はハルバードを降ろし、輪の戦いぶりを冷静に評価した。

「武器に振りまわされすぎですわ」

 重そうなハルバードを楽々と振るう彼女に言われては、ぐうの音も出ない。

「輪さんにこそ、戦闘服が必要みたいですわね。戻ったら、実装を急がせませんと」

「オレも着るのか、それ……」

 まだまだ足手まといであることを痛感し、輪は肩を落とす。

 このブロードソードで敵を千切っては投げられる、とまでは期待していなかった。だが実際は思った以上に戦えず、自信がなくなる。

「最初は誰でもそんなものよ、輪。あまり気にしないで」

 閑は一度も攻撃に加わることなく、剣を仕舞った。黒江もさっきは敵のスキャンだけをおこない、戦闘には関与していない。

「……次、行こ」

 黒江に急かされ、一行はカイーナの探索を再開した。

 

 その後も度重なる戦闘を経て、最深部を目指す。しかし新人の輪では、一体のレイさえ撃破することが叶わなかった。

 負傷してしまった右腕に、閑の手が触れる。

「うっ?」

「輪、じっとしてて」

 グローブ越しに彼女の繊細な指遣いが感じられた。ヒーラーならではの、治療のスペルアーツが発動し、痛々しい傷口を徐々に塞いでいく。

(すげえ恰好だよ、ほんと)

 その間は不可抗力として、彼女の豊満な胸が近くなった。スクール水着の内側まで、柔らかそうな谷間が覗けてしまい、輪は赤面する。

 腕は二分ほどで完治した。動かしてみても、もう痛みはない。

「サンキュ。すごいな、スペルアーツってのは。オレも使えたらいいのに」

「スキルアーツに特化してるイレイザーには、無理なのよ。ごくまれに愛煌司令のような例外もいるみたいだけど」

 改めて輪はブロードソードを握り締めた。

(トレーニングしないとな……)

 上腕や指の感覚が鈍っており、力が入りきらない。技術以前に身体がついてきていない証拠だった。ブロードソードの重さも原因だろう。

「……なんか変」

 マッピングを進めていた黒江が呟く。その地図を澪が横から覗き込んだ。

「ズレでもありましたか?」

「ううん。こんなに広いのに、フロアはひとつだけ。上がない」

 カイーナは通常『上』へ行くほど深くなる(逆さまになっているため、実際には下に向かうことになる)。ところがこの地下街には、階段に当たるものがなかった。平坦な迷宮がひたすら水平に広がっている。

「たまにありますね、こういう珍しいパターンが」

「だとすると、上を目指せばフロアキーパーが見つかるってわけでもないんだな」

「はい。探し出すのは骨が折れそうで……」

 会話の相手が輪だったことに気付き、澪は口ごもった。

 輪は声に弾みをつけ、気まずいのを誤魔化す。

「そっ、そろそろ行こうか! 怪我も治してもらったことだし、さ」

「うーん……どうかしら。撤退する頃合いかもしれないわね」

 リーダーの閑は黒江のマップを確認しつつ、曲がりくねった通路を見遣った。

 マップはそれなりに出来上がっているものの、まだ全貌が見えてこない。未踏破の領域へと歩を進めるには、往復分の時間も必要となった。

 黒江がお腹を押さえる。

「ご飯……」

「わたくしも帰還するべきと思いますわ。ここまで地図が描けたんですもの」

 沙織は壁にもたれ、一息ついた。閑が探索の切りあげを決定する。

「輪もいることだし、今夜は帰りましょ」

「そうだね。ボクらはまだまだ余裕あるけど」

「決まりですわね。早くお風呂に入りたいですわ、わたく……?」

 ところが戻ろうとした矢先、沙織の後ろでシャッターが開いた。第四部隊は反射的に臨戦態勢を取り、黒江が素早く索敵に入る。

「……いるよ。大きいやつ」

 向こうから触手が何本も伸びてきた。シャッターの出口に掴まり、本体を引きずるように運んでくる。ありふれた人間や動物の形ではなかった。

 あまりの気色の悪さに、前衛の優希があとずさる。

「ウワァ。ボクの苦手なタイプ……」

「誰だって苦手ですわよ! こ、こんな不気味なレイは」

 沙織も顔を引き攣らせ、距離を取ろうとした。前衛がさがった分、後衛も後ろにさがって、フォーメーションを維持する。

「輪? フロアキーパーよ、あなたも早く!」

 しかし輪だけ遅れてしまった。

「へ? ……げえっ!」

迂闊に振り返ったせいで、隙だらけとなった背後を取られる。

触手はしゅるしゅると獲物を絡め取り、シャッターの内側へと引きずり込んだ。全身を舐められるような錯覚がして、鳥肌が立つ。

「うわあああっ! しっ、閑、優希!」

 手足には触手がうねうねと絡まり、逃げられなかった。服の中にまで侵入され、生理的な嫌悪感を逆撫でされる。生温かいヌルヌルが気持ち悪い。

「沙織、黒江! 助けてくれ!」

 必死に助けを乞うものの、女の子たちは触手を恐れ、近づこうとしなかった。ただ、澪だけは前に出て、スペルアーツの詠唱を始める。

「待っててください、輪くん! 何をやってるんですか、みなさんも手を貸して!」

「え、ええ! 触手の数を減らすのよ!」

 だが、閑たちが救援に入るよりも、輪が『食われる』ほうが早かった。

「まさか、オレ――」

 触手が渦を巻きながら、獲物を頭まで飲み込む。

 レイの巨体がどくんと胎動した。本体らしい肉塊の中心で、人影がおもむろに起きあがる。それがほかでもない『自分』であることに、輪は驚愕した。

「ど……どうなってんだ?」

 レイと融合してしまったようで、触手を自在に動かせてしまう。むしろ人間の身体よりも器用かつ俊敏な動きができる。

 閑たちは攻撃を始めるに始められず、愕然とした。

「輪、あなた……」

 真井舵輪は醜い触手モンスターと化してしまったのだ。これまでの、まだ十五年ほどでしかない人生のダイジェストが、走馬燈となって脳裏をよぎる。

 すべてが終わった。今の自分にできるのは、触手をいやらしく動かすことだけ。

「ははは……みんな、頼む……殺してくれ」

 うぞうぞと触手の大群を差し向けると、彼女らは戦慄の悲鳴をあげた。

「いやああああああ~っ! こ、こないでったら!」

「なんで触ろうとするんですか!」

 とりわけスクール水着に触手のエキスが染み込むのが、我慢ならなかったらしい。輪に構わず、真っ先に全力で攻撃を始めてしまったのは、澪だった。

「いやいやいや! フレイム! フレイム! フレイム~~~ッ!」

 沙織は逆上し、ハルバードを荒々しく振りまわす。

「汚らわしいっ! わたくしを誰だと思って?」

 おかげで触手は燃えるか千切れるかした。その中を優希が猛然とかいくぐってくる。

 幼馴染みの彼女なら、助けてくれる気がした。

「ゆ、優希……」

「気持ち悪いってば、もうっ!」

 ところが優希にも容赦はなく、輪の下半身(モンスター部分)に鉄拳が食い込む。

 後方の黒江が、とどめとばかりにバズーカらしい大筒を構えた。

「グラシャラボラス、起動。システム、オールグリーン……ファイア!」

「ちょっと、ちょっと! あれは輪……」

 閑の制止も間に合わず、無慈悲な砲弾が放たれる。

 地下道に爆音が轟いた。

 

 柔らかいものの上で、輪はゆっくりと意識を拾いあげる。

「う、うぅん……?」

しばらくの間、失神していたらしい。仰向けの姿勢なのに、閑と目が合う。

「大丈夫、輪? よかった……」

頭の下には彼女の膝枕があった。あられもないフトモモを枕にしている状況に、輪は顔を赤らめながらも、ほっと安堵する。

「助かったんだな、オレ」

「ええ。怪我も一通り治ってるはずよ」

 起きあがる分にも問題なかった。閑の膝枕は名残惜しいが、頭をもたげる。

 澪たちは横一列になって、申し訳なさそうに俯いていた。

「ご、ごめんなさい、輪くん。あなたが取り込まれたのに、攻撃してしまって……」

 真剣に謝ってくれる澪がいれば、開きなおってしまう沙織もいる。

「まったくもう……もたもたしてるから、あんなことになったんですわ」

「ごめんねぇ、ダーリンちゃん」

優希は両手を合わせて、ぺろっと舌を出した。あまり誠意は感じられないが、それだけ今回は無事で済んだと言える。

いつの間にか、地下街は正常な空間に戻っていた。天井は上に、床は下にある。

カイーナを脱したことで、メンバーも普通の恰好に戻っていた。

「ひょっとして、さっきのやつを倒したから……?」

「フロアキーパーを倒せば、こうしてカイーナも消滅しますの」

 一仕事を終え、沙織がロングヘアをかきあげる。

黒江はフロアキーパーの亡骸を調べていた。

「……誰、これ?」

その傍に要救助者らしい男性が転がっていることに、皆も気付く。

失神しているだけのようで、目立った外傷もなかった。澪が慎重に要救助者を確認し、安心しながらも首を傾げる。

「大丈夫です。ですけど……このひと、どこから迷い込んだんでしょうか」

この地下街は一ヶ月ほど前、カイーナと化した夜から、ARCによって厳重に封鎖されていた。仮に一か月前には発見できなかった要救助者であれば、生きてはいまい。

「詮索はあとよ。とにかく出ましょ」

リーダーの閑がすっくと立ちあがった。

「輪、歩けるかしら?」

「ああ。そっちはオレが運ぶよ……あれえっ?」

輪は破れた袖を捲り、制服がぼろぼろになっている事実に驚く。

かくして第四部隊は今夜、カイーナの攻略を果たした。

 

 

 ケイウォルス司令部にて、司令の愛煌は暢気に爪を研いでいた。

「……で、真井舵のやつは戦えたの?」

「それがおかしいんですよ」

 更新されたばかりのデータを、オペレーターの哲平が眼鏡越しに睨む。

「報告によれば、真井舵さんはフロアキーパーのレイに一度は憑依されたものの、撃破とともに救出に成功、とありまして……」

「はあ?」

 愛煌は眉をあげ、哲平の後ろから同じモニターを覗き込んだ。

「そんなはずないでしょ。イレイザーには必ずレイが憑依してるものなのに」

 イレイザーにアーツの力を与えているのは、善玉の『レイ』である。つまり霊的な存在に憑依されているのが、イレイザーにとって正常なステータスだった。

 にもかかわらず、真井舵輪は一時的にとはいえ、敵のレイに乗っ取られてしまった。

「どうやら真井舵さんには、なにも憑依してないようなんです」

「……はあっ?」

 愛煌の驚きがさらにトーンをあげる。

「だったら、あいつ、どうしてアーツが使えるのよ?」

「わかりません。ただ、戦力としては微妙だったみたいですけど」

 真井舵輪はイレイザーとして、単純に弱かった。後衛タイプよりもスキルアーツの威力が低いうえ、スペルアーツが使えるわけでもない。

 愛煌の勘も、真井舵輪にはさしたるものを感じなかった。

「それにしても……こいつ、第四部隊にボコボコにされて、よく生きてたわね」

「悪運は強いんでしょう。悪運だけは」

 哲平は呆れつつ、眼鏡を拭く。

 真井舵輪の評価はしばらく保留となった。

 

 

 一週間後、輪は閑を誘って、例の地下街を訪れた。まだシャッターで閉めきられた店舗が目立つ。それでも、いくつかの店は戻ってきて、営業を再開していた。

「悪いな、付き合ってもらって」

「いいわよ。わたしも少し気になってたから」

 馴染みのあるラーメン屋で、チャーシューメンを注文する。

 両親が不在がちなため、この店はたびたび利用していた。店主も歓迎してくれる。

「久しぶりだなあ、真井舵くん! 転校したんだって?」

「はい。おじさんのほうも大変だったみたいですね」

「そうなんだよ。ここらが崩落の危険があるとかで、追い出されてさあ」

 カイーナについては、世間一般には伏せられていた。店主にとっては、ある日突然、理不尽に営業を止められたことになる。

 にもかかわらず、店主はけろっとしていた。

「実はねえ、今年になってから、おれたちを立ち退かせようっていう輩がいてね。そいつの仕業なんじゃないかと、みんなで噂してたんだ」

「オレもさっき、学校で聞きましたよ。なんか捕まったらしいですね」

「そうなんだよ! 詐欺だかで、あくどく稼いでたみたいでねえ」

 フロアキーパーを撃破した際に救出した男性は、長らく行方不明だったらしい。この地下街に目をつけ、権限を独占しようと画策していたことも、明るみとなった。

 そんな人物がなぜカイーナにいたのか。なぜレイに襲われもせず、無事でいたのか。疑問は残っているものの、地下街は少しずつ活気を取り戻しつつある。

 香ばしいラーメンが運ばれてきた。

「ほらよ、真井舵くんがチャーシューで麺硬め、そっちの子は醤油だったね」

 それを味わって、輪はやっと、事件を解決できたことを実感する。

「このラーメンのために戦ったのかもな、オレ。役には立てなかったけど」

「いいんじゃないかしら? そう思っても」

 閑もラーメンを啜り、満足そうに一息ついた。

 輪は声を潜めつつ、自分を戦いへと招いてくれた彼女に、問いかける。

「聞いてもいいかな。閑は、その……なんでイレイザーになろうって、決めたんだ?」

 本当は自分の気持ちこそ知りたかったのかもしれない。輪はまだ、イレイザーを志すほどの明確な理由や決意を、持ち合わせていなかった。

 閑の瞳には強い意志が宿っている。

「わたしも最初はあの現象に巻き込まれて……その時、アーツの力に目覚めたの。わたしのはほら、回復系のアーツじゃない? ひとを救えたことに感激しちゃって」

 そんな彼女を尊敬しつつ、輪は溜息に自嘲を込めた。 

「恥ずかしいよ、オレ。そういうのがなくて」

「だから、あなたはそれでいいのよ。誰もが使命感を抱いて戦えるわけじゃないわ」

 閑がからかい半分に輪の頬を突っつく。

「わたしたちは街を守った。今はその結果だけで充分よ、ダーリン」

「閑まで、勘弁してくれよ……」

 気さくな店主が早とちりして、笑い飛ばす。

「なんだい、真井舵くんの彼女かい? 隅に置けないねえ」

「あー、輪とはそういう関係じゃないんです、おじさん。単なる後輩ですから」

 彼女候補には真顔で、冷静かつ淡々と否定されてしまった。

「だって……彼氏に中学生って、ねえ?」

「あと半年したら、オレも高校生になるんだぜ」

「もしかして口説いてるの? ラーメン屋さんで、お姉さんを?」

 お姉さんの評価は手厳しい。

 

 

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