ダーリンのおぱんちゅ大作戦!

プロローグ

 高校受験を控えた、中学三年生の夏。

 夏祭りで見かけた占い屋で、勉強運を見てもらったはずだった。なのに結果には、でかでかと赤い字で『女難の相あり』と書いてある。

「またなー、真井舵。今度の実力テスト、忘れんなよ」

「おう。週末な」

 気の知れた悪友らと別れ、輪は少し長い家路についた。

 受験生だからといって、長期休暇に勉強ばかりできるはずがない。そもそも真井舵輪の学業成績は残念ながら『下の上』が精一杯だった。

 とはいえ、近所の平々凡々な高校なら入れるだろう、と気楽に構えている。何しろその高校は去年、定員割れを起こし、ほぼ全員を合格にせざるをえなかった。

「あと半年、姉貴のお小言に耐えりゃ……」

 友人らと寄り道したこともあって、東西線をくぐるため、帰りは地下街を通る。

時刻はまだ二十時を過ぎたところで、どの店もすでにシャッターを閉めきっていた。人気のない通路を、真っ白な蛍光灯が黙々と照らす。

(遅くなっちまったか)

 さして深く考えず、輪はいつもの六番出口を目指した。

 そのはずが、出口がない。それどころか、南北に一直線に伸びているだけの地下道は、いくつも枝分かれし、迷路と化していた。

「……おいおい、どうなってんだ?」

来た道を走って戻るうち、方角さえわからなくなってしまう。

携帯で現在位置を確認しようにも、『圏外』としか表示されなかった。

「誰かー! いないのか? 聞こえたら、返事してくれ!」

 通りかかった店のシャッターを叩いても、返事はない。この迷路にいるのが、どうやら自分だけらしいことを、寒気とともに認識する。

「とにかくどっかから、外に出ねえと……げえっ?」

 しかも輪は見てしまった。

 全長が二メートルはありそうなトカゲが、後ろ足だけで人間のように立ち、徘徊している。魔物は赤い目で輪を見つけると、奇声をあげ、俊敏に襲い掛かってきた。

「うっうわああああッ!」

 驚きのあまり、輪は腰を抜かす。

 目を閉じた瞬間、身体じゅうに衝撃が走った。体当たりでも食らったらしい。

 しかし痛みはさほどでもなく、上半身を起こすだけの余裕もある。輪は顔をあげ、おかしな光景に唖然とした。

「……は?」

 地下道は上下が逆さまとなり、天井は足元に、床は頭上にある。

 それだけでも異常なのに、目の前には、奇抜な恰好の女性が立っていた。

「大丈夫? 運がよかったわね、あなた」

 麗しいロングヘアが波打って、輪の視界をくすぐる。

 彼女はスクール水着に大きなリボンを重ねるような、摩訶不思議な恰好だった。おまけにスクール水着は色が白い。

「あ、あんたは?」

おかげで、彼女が剣を持っていることに気付くのが、遅れてしまった。細身の刀身で化け物の爪を防ぎつつ、押し返しさえする。

「頭を低くしてなさい! ……この程度でっ!」

 スクール水着の女性は小慣れたように剣閃を放ち、魔物を水平に両断した。

 怪物は塵となって消滅し、小さなディスクを残す。

「スキルアーツの断片ね」

 一度は拾ったそれを、彼女は興味がなさそうに捨ててしまった。そのディスクが、座り込んでしまっていた輪の手元まで、転がってくる。

 彼女の口元でインカムが伸びた。

『黒江? まだ民間人が残ってたわ。……ええ、そうなの。入ってくるにしても、出入り口は警察かARCが封鎖してあるはずでしょう』

 呆然とするしかない輪に、そっと手を差し伸べてくる。

「怪我はないようね。立てるかしら」

「あ、ああ……なんとか」

 頭の中はパニックになっていたものの、ひとまず彼女の言葉は理解できた。輪は何気なしにディスクを手に取ってから、立ちあがる。

「さっきの化け物はなんなんだ? コレは? ……つーか、どうなってんだ?」

 実際に立ってみることで、地下街が丸ごとひっくり返っているのが、確信できた。夢にしては意識がはっきりしており、尻餅をついた痛みも残っている。

「そんなに一辺には答えられないわよ。それに、悪いけど民間人には……」

 彼女の後方で何かが動いた。

「危ないっ!」

魔物がもう一匹いることに勘付き、輪は咄嗟に飛び出す。

右手に握り締めていたディスクが、瞬時に形を両刃の『剣』へと変えた。その重量を直感し、両手持ちに切り替える。

「てえぇやああっ!」

 無意識だった。両刃の剣を振りおろし、魔物を一刀両断する。

(……あれ? オレ、どうして……)

 どうやら自分が敵を倒したらしいことは、わかった。

一部始終を目の当たりにした彼女が、驚いたように瞬きを繰り返す。

「まさか、あなた……イレイザーだったの?」

「ええっと……じ、じゃあな!」

 これ以上おかしな事態に巻き込まれるつもりはなかった。輪は駆け足で離脱し、逆さまの地下道を、勘だけを頼りに走り抜けていく。

 ようやく地上への出口を見つけ、脱出することができた。

 ところが『立ち入り禁止』のテープが何重にも張られ、両脇に警官も立っている。

「き、君? いつの間に入ったんだい?」

「ええっと、すみません!」

 まずいと思いつつ、輪はテープをくぐり抜け、逃げきった

充分に離れたところで、息を切らせる。

「はあ、はあ……わけわかんねえ。化け物は出るし、変な女はいるし……」

 右手はさっきのディスクを握りっ放しだった。魔物を剣で引き裂いた時の感触が、ありありと残っている。

「……夢、じゃねえのか」

 ふと、彼女の艶めかしい水着姿を思い出してしまった。スクール水着の胸元が、これみよがしに膨らんでいたのも、網膜に焼きついている。

「と、とっとと帰るか。熱っぽいし」

 中学三年の男子は悶々としながら、今度こそ家路についた。

 

 

 実力テストは答え合わせをする必要もないくらい、散々だった。名門女子大生の姉にまた怒られそうで、結果が出る前から、気が滅入る。

「真井舵、どうだった?」

「聞くなよ。いつも通りだって」

 勉強に集中できなかった理由は、山ほどあった。単純に勉強が嫌いで、テキストを広げているだけでも、猛烈に眠たくなってくる。

 それにここ数日は、地下街で出会った、彼女のことが気になってならなかった。際どい水着姿が夢にも出てくるほどで、男子の性分が恨めしくなる。

(白色のスクール水着なんて、売ってんのか?)

 例の地下街は立ち入り禁止になっており、その理由は明らかにされていない。自力で調べてみたところ、地下にあったラーメン屋などは軒並み移転か、閉店となっていた。

 試験会場を出る途中で、友人が珍しそうに声をあげる。

「おい、見てみろよ。なっげー髪」

 今日の受験生の中に一際、目立つ女性がいた。髪がやたらと長く、毛先はくるぶしまで届いている。屹然とした印象で、いかにも近寄り難かった。

「変な女って、どこにでもいるんだなぁ」

「ん? 何の話だよ、真井舵?」

「あーいや、夏祭りの帰りにさ、ちょっと……」

 長髪の受験生から目を逸らした先で、輪は見覚えのある顔を見つける。

 まさしく夏祭りの夜に出会った、あの女性だった。今日はブレザーを着用し、受験生にしては大人びた雰囲気を醸し出している。

 友人も同じ人物に興味を示した。

「あれ、ケイウォルス高の制服じゃね? ほら、ここらで一番でかいとこ。確か……そうだ、スクール水着が白色ってんで、女子がドン引きしてたやつ」

「それだっ!」

 輪はあっと声をあげる。

 高校生らしい彼女もこちらに気付き、歩み寄ってきた。

「こんにちは。この前は急にごめんなさいね。……今、いいかしら?」

 友人らの疑惑の視線が、裏切り者を責める。

「おっ、お前! こんな美人の女子高生と、いつどこで知り合ったんだよ!」

「そ、そういうんじゃないって! 悪ぃ、先に帰っててくれ」

 慌てふためきながら、輪は彼らの背中を押し、どうにか遠ざけた。

「喫茶店でいい?」

「ああ……」

 彼女に誘われるまま、駅前通りの喫茶店で一息つくことに。

 

 コーヒーが揃ったところで、彼女は自己紹介を始めた。

「まだ名乗ってなかったわね。わたしはケイウォルス高等学園の一年一組、一之瀬閑。気軽に『閑』でいいわ」

 こちらも名乗るのが自然な流れになる。

 しかし輪は躊躇した。当たり障りのない偽名でやり過ごすことも、考えてしまう。下手に本名を明かして、妙な詐欺に引っ掛からない、とも限らなかった。

「……あなた、名前は?」

 それでも腹を決め、正直に白状する。

「オレは真井舵、輪。……まいだりん、だ」

 閑がきょとんとした。輪のフルネームを鸚鵡返しにして、一息に噴き出す。

「マイダー、リン……? ぷっ! あはっ、あはははは!」

 静の笑い声が店じゅうに響き渡った。ほかの客がこちらのテーブルを覗き込んだり、店員がおろおろする。ひとしきり笑って、ようやく彼女は落ち着いた。

「ご、ごめんなさい。その、ツボに入っちゃって……」

 真井舵輪をカタカナにすれば、マイダーリン。この滑稽な名前に関して、輪はとっくに諦めている。むしろ涙目になるほど爆笑してもらえて、清々しくさえあった。

「大抵のやつがそういう反応すっから、慣れてるよ」

「本当にごめんなさいね。もう憶えたから」

 忘れられるはずもないだろう。閑はコーヒーで一息つくと、輪を呼んだ。

「輪……で、構わないかしら?」

「オレは『閑先輩』って呼んだほうがいいのか?」

「堅苦しいのはなしで結構よ。気にしないで」

 女難の相とやらが、現実のものになりつつある気がする。

(面倒事はちょっと、なあ……)

 しかし閑の見目麗しい容姿には、どきりとした。高校一年生にしては発育のよい胸が、輪の視線を否応なしに吸い寄せてしまう。

(あんなサイズでも、学校の水着に入るんだなぁ)

 輪のまなざしに気付いたのか、閑は頬を赤らめ、我が身をかき抱いた。

「い、言っとくけど、今日は非番だから『着てない』わよ?」

 スクール水着を着用するのは当番制らしい。

 下手に触れても気まずいため、輪は意図的に話題を変えた。

「……にしても、よくオレが今日の模試受けてるって、わかったなあ」

「それっぽい男の子を同僚に捜してもらったの。あ、気を悪くしないでね」

 閑が手慰みに髪をかきあげ、肘をつく。

「実は……あなたをスカウトに来たのよ、輪。ケイウォルス学園で、わたしたちと一緒にイレイザーのお仕事、してみない?」

「いれいざあ?」

 

 あまりに唐突な誘いだった。

 

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