ダーリンのおぱんちゅ大作戦!

第二話

 愛煌司令に対し、輪は一歩も引かなかった。

「だーかーらー! わかんねえって。なんでスクール水着なんだよっ?」

 戦闘服としてスクール水着(女子用)を渡されたのだから、文句も言いたくなる。

 愛煌はしれっと同じ説明を繰り返した。

「守備力を安定して高めるには、なるべく毎回、同じ恰好のほうがいいの。それにこの白い水着なら、より身体にアーツをフィットさせやすいのよ。スキルアーツを用いた戦いでは、攻撃の性能も高めてくれるわけ」

「そこまではわかる。だったらせめて、男子用にしてくれ!」

 輪は自分用(なのに女子用)のスクール水着を突っ返す。

「男でも着れないことはないわよ」

「着れるかっ!」

 口論していると、司令部に五月道澪が降りてきた。

「こんにちは。愛煌司令、スキルアーツの調整の件ですけど……」

「あ、五月道! お前からも言ってくれよ」

 縋る思いでスクール水着を見せつけると、距離を取られる。

「……い、いいんじゃないですか? 変態デビュー、おめでとうございます」

「変態言うなっ!」

 フォローはしてもらえなかったものの、澪とのギクシャク感はなくなっていた。前回の任務で、フロアキーパーごと輪をタコ殴りにしたことを、気に病んだらしい。輪のほうからも改めて謝罪し、スカートの一件はお互い、水に流している。

 愛煌はやれやれと肩を竦め、妥協案を提示した。

「しょうがないわね。真井舵の分は、第四部隊の子の使用済みをまわしてあげるから」

「やめてくださいッ!」

 司令部に澪の怒号が反響する。

 結局、スクール水着(女子用)を押しつけられてしまった。溜息が重い。

「はあ……」

「それを着たら、あたしにはもう近づかないでくださいね」

 澪の視線は軽蔑を込め、冷めきっていた。

 

 土曜日の午前中は輪なりにトレーニングに当てている。

 寮の庭でブロードソードの素振りに没頭すれば、気分転換にもなった。

「ていっ! せやっ!」

 101号室の黒江は縁側のようなベランダで寛ぎながら、輪の練習を眺めている。

 夏の暑さはようやく和らいで、日差しを浴びるのも苦にならなかった。日向ぼっこには絶好の快晴で、空は青々と澄みきっている。

「ねえ、りん」

「ん? どうかしたのか、黒江」

 輪は素振りを中断し、汗を拭った。

 黒江の人差し指が、輪の腕にも大きすぎるブロードソードを指す。

「……プロテクトは?」

「え? ……あれ、そういえば……なんでだ?」

 手を離すと、ブロードソードはアーツ構成が解除され、一瞬のうちに消えた。

 街中や人前では発動できないよう、イレイザーのアーツには厳重なプロテクトが掛けられている。カイーナの外では一切のアーツが使えないはずだった。

 カイーナでは使えるため、プロテクトの開け閉めは必要ない。

「司令部で訓練したあと、掛け忘れちゃったのかもな」

「……そっか。それ、ありそう」

「きゃっ? 輪さん、おどきになって!」

 上の202号室から沙織の声が降ってきた。見上げるも、視界を何かに覆われる。

「なんだよ、沙織……うげえっ?」

顔からそれを剥がし、輪はぎょっとした。

 茶色で特大カップのブラジャーが、自分の手にぶらさがっている。

沙織は階段を駆け降り、大急ぎで中庭へとまわり込んできた。顔を真っ赤にしながら、ブラジャーを奪い返すように回収する。

「ちょっと、輪さん! さっきの『うげえっ』って、なんですのっ?」

「そういう意味じゃないって! びっくりして、つい」

 輪も顔を赤らめ、かぶりを振った。

 何も彼女のブラジャーに魅力がないわけではない。知らず知らずのうちにレディースの下着なんぞを掴まされれば、驚きもするだけのこと。

(沙織のはもっと派手な色かなって、思ってたんだけど……いやいや!)

 頭の中で浮かびそうになった扇情的なイメージを、輪は慌ててかき消した。無理やりにでも話題を無難なものに変える。

「そういやさ、沙織も前衛だろ。トレーニングとか、どんなのやってるんだ?」

「わたくし? 特にこれといったことはしてませんわ」

 沙織はブラジャーを後ろに隠しつつ、豊かな胸を張るように踏ん反り返った。

「鍛錬する獅子がいまして?」

 高慢なほど自信に満ちた、満面の笑みが浮かぶ。

 アーツの力に目覚めたところで、使いこなせるかどうかは、個々人の適正によるところが大きかった。スキルアーツに長けていれば、沙織の細い腕でも、重量級のハルバードを自由自在に振りまわすことができる。

 輪は自分の右手を見詰め、溜息を落とした。

「オレ、もっと軽い武器にしたほうがいいのかなあ……」

 沙織と黒江が一緒に首を傾げる。

「それもおかしい話ですわよ。本来は自分のスタイルに見合った、最適なスキルアーツを自然と習得するものなんですの。ねえ、黒江」

「うん。合ってない時点で、変」

 イレイザーはアーツの力に目覚めると同時に、自分専用の武器を創作するものだった。ところが輪のブロードソードは、いつぞやのカイーナで偶然、拾ったに過ぎない。

 使ってみても、ブロードソードの重さに振りまわされる一方で、思うようには戦えなかった。閑と出会った際にレイを一刀両断できたのは、まぐれだろう。

「オレだけのスキルアーツ、か……」

 神妙な面持ちで考え込んでいると、沙織が励ましてくれた。

「それを掴みさえすれば、輪さんも活躍できますわ」

「え……?」

 まさか彼女に応援してもらえるとは思わず、輪はきょとんとする。

 黒江が携帯を弄りつつ、ぼそぼそと口を挟んだ。

「沙織もね、最初のうちはオリジナルのスキルアーツがなくて、よわよわだったの」

「ちょっ、黒江さん!」

 沙織の美貌がわかりやすいほどに赤らむ。

 ふたりはじゃれ合うように揉みくちゃになって、ああだこうだと言い争った。

「何も輪さんにまでバラすこと、ないでしょう?」

「バレたって言ってる時点で……白状してるのと、おんなじ」

 第四部隊で一番最初にイレイザーとなったのは二景黒江で、二番手が一之瀬閑、そして三番手が三雲沙織だったらしい。四葉優希と五月道澪は、補充という形で加わった。

(そういえば沙織って、閑と黒江には譲るけど、優希と澪には強情かもなあ)

 意外に対人スキルは人並みらしいお嬢様に、親しみが湧く。

 黒江はあくびを噛みながら、沙織の裾を引っ張った。

「……それよりお風呂、行こ」

「こんな朝っぱらから、わたくしと? ひとりでお入りなさい」

「昨夜、入ってないの。髪、めんどくさいし……」

 真正面から密着するせいで、ふたりの胸が押し合いへし合いする。

「仕方ありませんわね、んもう。……輪さん、覗いたりしたら、シメますわよ」

「……覗きません」

 沙織お嬢様のヤンキー言葉に気圧され、輪は素直に頭を垂れた。

 しかし脳内ではピンク色の想像が膨らむ。

(あのサイズになると、お湯に浮いたりすんのかな……じゃなくてっ!)

 トレーニングはこれくらいにして、そろそろ洗濯物を片付けることにした。快晴のおかげもあって、朝一で干した分はすでに乾いている。

 102号室以外のベランダには当然、閑たちの衣類が干してあるため、気を遣った。さっさと自分の洗濯物を籠に放り込んで、部屋に飛び込む。

「早起きして洗濯機まわした甲斐があったな」

 前回の任務で破れてしまったブレザーは、司令部で新調してもらった。とはいえ、来月から卒業までは冬服の期間であって、この夏服の出番はさほど残っていない。

 肌着の類を畳んでいると、その隙間から、とんでもないモノが出てきてしまった。

「……げええっ?」

 それは黒を基調として、紫色のフリルを飾りつけた、妖艶なショーツ。生地は薄く、下着としての機能があるのかも疑わしい。

 誰かの洗濯物が紛れ込んでしまったに違いない。

「そ、そうだ! 黒江か沙織に頼めば……」

 混乱している割に名案に思えたが、沙織たちは入浴中だった。

「いや……じゃあ、あれだ。適当に庭にでも落としとけば、いいんだよ」

 今度こそ閃きが冴え、中庭へと急ぐ。

 ところが庭では、澪と優希がトマトの出来栄えを眺めていた。食べ頃のようで、真っ赤な実が膨らんでいる。

「閑ちゃんにパスタとか作ってもらおうよ。調理部だし」

「いいですね! ……あら、輪くん?」

 咄嗟に輪はショーツを背中に隠し、作り笑いを引き攣らせた。

「よ、よう。どっか出掛けてたんじゃなかったのか?」

「女の子の買い物に詮索は禁物ですよ。それよりほら、美味しそうでしょう?」

 輪の挙動不審な言動にも、澪は気付かない。

 しかし幼馴染みの優希は鋭く、疑いのまなざしを向けてきた。

「どうかしたの? ダーリンちゃん。そんなに焦ったりしてぇ……」

「あ、焦ってねえって。さっきまでトレーニングしてたから、ちょっと疲れてるだけで」

 ふと、澪が危険な事実を口にした。

「そういえば……ご近所で聞いたんですけど、最近、この界隈で下着泥棒が出るらしいんです。この寮も女子ばかりですから、怖いですね」

 同じ寮に住む輪が、ショーツを隠し持っているタイミングで、恐ろしい。迂闊に手放すに手放せなくなり、パンツを握る手が力む。

 優希は能天気に笑った。

「ダーリンちゃんのパンツ干してれば、防犯になるんじゃない?」

「なるほど。輪くんでも役に立てることがありましたか」

「おっ、おう! オレがいるからには、泥棒なんかの好きにはさせねえって」

 次のチャンスを待つしかない。

 

 

 ところが月曜日の朝になっても、下着の件は話題にならなかった。閑たちは平然としている一方で、輪だけが困惑を抱えている。

「まだ着替えてないの? 輪。遅刻するわよ」

「す、すぐ行くって」

 高等部の面々は一足先にケイウォルス学園へと向かった。

 同じ中等部の澪も、輪にはあまり関心がない様子で、早々に歩き出す。

「今さら小テストの対策で焦ってるんですか? 覚悟決めて、登校してください」

「えっ、テストなんてあったっけ?」

 この週末はパンツのことで頭が一杯で、勉強にはまるで身が入らなかった。しかも今日は『当番』のため、女子用のスクール水着を着用していなければならない。

(体育のある日とか、どうすんだよ、これ……)

 躊躇いながらも着てみると、アレがコレでそうなった。

 着替えたあとは、問題のパンツを指先で摘んで、慎重に広げる。

「ん? ひょっとして……」

一昨日も昨日も、寮の女の子が『下着がなくなった』と騒ぐことはなかった。

とすると、このショーツは閑たちのものではなく、別のマンションなどから飛んできた可能性が高い。だが別の、もっと深刻な可能性も考えられた。

パンツのデザインがエロすぎて、言い出せないとか。

「……ここに置いてて、優希あたりに見つかっても、まずいしなあ……」

輪はスクール水着(女子用)の上から制服を着て、パンツを懐に忍ばせた。

 

 英語の小テストが始まっても、悶々とする。

 クラスメートの誰も、まさか、真井舵輪が制服の下に女子用のスクール水着を着ているとは思うまい。おまけに破廉恥なショーツまで隠し持っている。

 正真正銘の変態だった。

(落ち着け、オレ。誰のパンツか、考えろ……!)

 問題のショーツは、持ち主の部屋のベランダにでも投げ込むしかない。ただし間違えれば、騒ぎになってしまうリスクもあった。

 例えば沙織に返したとして、これが沙織のものではなかった場合。

『このぱんつ、どなたのですの?』

 そこから本来の持ち主が判明したとしても、

『ボクのだけど……なんで、それが二階にあるのぉ?』

 と、少なからず矛盾を生じかねない。

 それなら最初に思いついたように、庭にでも捨てておくのはどうか。しかしほかの面子に見つかれば、持ち主は大恥をかくことになる。

『……澪ってば、えっちなぱんつ……』

『こ、これは違うんです! こういうのに興味があったとかじゃなくて!』

 考えるうち、混乱してきた。

(ええと? 結局、どうするのが一番なんだっけ?)

 輪としては、輪が拾ったとばれない方法で、持ち主にこっそりと返してやりたい。今まさにパンツを懐に忍ばせていることも、隠し通さなければならなかった。

「どうすりゃいいんだよ、オレ~!」

「真井舵ー、静かにしろー」

 最後列の席で悶々としていると、携帯が緊急の出動要請を受信した。澪や哲平の席でも同じコールが鳴り出す。

「先生、例の件ですので、失礼します!」

「お、おう?」

 普段は優等生の澪が堂々と退室を始め、クラスメートを驚かせた。

「たまにああやっていなくなるよね、五月道さん」

「あいつのは家の都合でな。お前らはテストに集中しろー」

 教師が輪に目配せで『早く出ろ』と急かす。

ケイウォルス学園はARCと協力関係にあり、イレイザーの任務であれば、授業を抜けることも許可された。ただし、クラスメートには事情を伏せていなければならない。

いつの間にか哲平も消えていた。

(慣れてんだなあ……)

 輪はなるべく音を立てず、後ろのドアから教室を出る。

 

 地下のケイウォルス司令部では、すでに状況の分析が進められていた。司令の愛煌が見守る中、哲平が慣れた手つきで端末を操作し、データを更新する。

「今回カイーナが発生したのは、N中学です」

「なっ、なんだって?」

 輪は前のめりになって、壁面のモニターを凝視した。

 N中学は真井舵輪が最近まで通っていた学校で、ケイウォルス学園からそう遠くない。どうやら体育館がカイーナと化したようだった。

「周防! まさか、生徒が巻き込まれたなんてことは」

「残念ですが、体育館で授業中だったクラスがあったそうで……」

 焦燥感が鼓動を速める。あの日の自分のように、今まさに友達が迷宮に迷い込んでいるのかもれなかった。

 澪も顔を強張らせながら、出撃命令を催促する。

「急ぎましょう! 早く助けに行かないと」

「焦らないで。高等部のメンバーが揃ったら、ARCのヘリをまわすから」

 間もなく閑たちも司令部へと駆けつけた。

「遅くなって、ごめんなさい!」

 同じ学園の生徒だからこそ、合流も早い。

「閑! カイーナになったの、オレが前通ってた学校なんだ」

「そんなことになってるの? 愛煌さん、第四部隊、ただちに出撃します!」

 授業を抜け出す羽目になるなど、中高生がイレイザーでは、不都合が多すぎると思っていた。だが、隊のメンバーが迅速に集合できる、というメリットは大きい。

「屋上にヘリを呼んであるわ。わかってるとは思うけど、くれぐれもフロアキーパーには手を出さないようにね」

「了解よ。みんな、行きましょう!」

 第四部隊はリーダーの閑を先頭にして、高等部の屋上へと急いだ。

 屋上にはARCの輸送ヘリが待機している。初めて乗る輪のため、黒江が簡単に説明をつけてくれた。

「ヘリは小まわりが利くし、ホバリングもできる」

「ホバリングって、えぇと……空中で止まるやつだっけ?」

「うん。でも、うるさい」

 プロペラが騒音を立てるせいで、小さな声では聞き取りづらい。

 ふと澪が足を止めた。ヘリを前にして青ざめる。

「これに……の、乗るんですか?」

「だから屋上まで来たんだろ。……ひょっとして、怖いのか?」

「まま、まさかっ。これくらい、へ、平気に決まってます」

 虚勢を張るも、その声は完全に裏返ってしまっていた。

(可愛いとこもあるじゃないか、五月道も)

彼女らしくもない動揺ぶりに親しみを感じつつ、輪は気付かないふりで流す。

 第四部隊が乗り込むと、ヘリは間もなく浮きあがった。思いのほか揺れが大きく、ヘリに不慣れなせいもあって、メンバーは座っていてもバランスを崩す。

「うわっ?」

 輪は黒江の胸に頬擦りでもするような体勢になってしまった。豊かな弾力を内包した柔らかさが、制服越しに感じられる。

黒江は半目がちになって、スケベを冷ややかに軽蔑した。

「……………」

「ごご、ごめん! わざとじゃないんだ! その、き、急に揺れるから」

 輪は慌てて身体を剥がし、苦し紛れの言い訳で、言葉を噛む。

 彼女は冷淡な表情を変えず、抑揚なしに語り出した。

「みんなも気を付けて。今のがラッキースケベ。偶然や事故を装って、女の子の着替えを覗いたり、触ったりするの。だって、倒れた拍子に胸に当たるとか、ありえないし」

 とんでもない疑いを掛けられてしまう。

「ち、違うって! オレはそんなつもりじゃ」

「そういえば、前に引っ越しのお手伝いしてた時も、あなた……」

 しかも閑はフォローしてくれず、澪に至っては、ここぞと輪を責め立てた。

「この前も中等部で、クラスメートのスカートに頭を突っ込んだりしてましたよねぇ」

「んまっ! 本当ですの?」

 女の子たちからの疑惑と軽蔑に晒され、針のむしろに座らされる。ヘリを怖がっていた澪も、変態を罵るくらいの余裕は取り戻したらしい。

「オレの評価はどこまで落ちてくんだよ。なあ、優希? ……優希?」

 ただ、優希だけは尋問に加わろうとしなかった。神妙な面持ちで俯いている。

 

「大丈夫かな、みんな……」

 N中学は輪だけでなく優希にとっても母校だった。今年の春に卒業したとはいえ、馴染みの教師や部活の後輩など、彼女に近しい者は多い。

 任務の前から落ち込む幼馴染みに、輪はガッツポーズを見せつけた。

「オレたちで助けに行くんだろ? 全力全開で頑張ろうぜ」

「……うん! そうだよね、ダーリンちゃん」

 閑が双眸を細める。

「ふーん。優希にはやっぱり調子いいわよねえ、さっすがダーリン。別にわたしには関係ないけどね、どうぞ、お幸せに」

「だから違うって! オレと優希はそういう関係じゃ……」

 初心な輪は顔を赤らめ、否定に力を込めた。

むしろ優希を照れさせるか、怒らせるかしそうな流れに、はらはらする。

『か、からかわないでったら! ボクとダーリンちゃんは、まだ……ごにょごにょ』

『ちょっと、ダーリンちゃん? ボクが恋人じゃ、不服なわけ?』

だが、目の前の優希はけろっとしていた。

「年下で、中学生だよ? ダーリンちゃんが恋人とか、ありえないってばー」

 裏表のない笑みが、輪の自信も妄想も粉々に砕いてくれる。

(お、おかしいな? 優希ってこんなに遠かったっけ)

 そんな話をするうち、ヘリはN中学の上空へと辿り着いた。今は授業中のはずだが、教室の窓からは大勢の生徒が顔を出しており、ざわざわと騒がしい。

 体育館の周囲にはすでにARCの特殊車両が集結していた。輸送ヘリが着陸すると、突風がグラウンドの砂にも波紋を広げる。

「ここで降りたら、目立つよな」

「ARCが上手く誘導してくれるはずよ」

 ヘリの中で待っていると、授業を再開したのか、生徒らは窓から顔を引っ込めた。もしかすると窓際の席の者には見られているかもしれないが、時間も惜しい。

(友達に会ったりしないように気をつけないとな)

 リーダーの閑がきびきびと指揮を執った。

「ひとまずカイーナに入りましょう。本部との連絡は、黒江を通したほうが早いもの」

 イレイザーのアーツには一種のプロテクトが掛かっており、カイーナの外では発動できないようになっている。無用な混乱を避けるための措置だろう。

 しかしカイーナに入りさえすれば、自由に力を行使できる。偶発的にカイーナに巻き込まれた場合など、緊急の際はプロテクトが妨げにならないよう、配慮されていた。

 体育館に足を踏み入れた途端、平衡感覚の上下が逆転する。

「カイーナに突入。……回線、開け」

黒江や澪は華麗に着地を決めたものの、輪はべしゃっとうつ伏せに転んでしまった。

「何やってるんですか、輪くん」

「め、めんぼくな、ぎゃっ!」

 さらに上から優希が降ってきて、輪の背中で尻餅をつく。

「ごめん、ごめん。みんなのこと考えてたら、ひっくり返るの、忘れてたの」

「重いって、優希!」

「ちょっと、ダーリンちゃん? 重いってなによぉ、重いってえ!」

 輪と優希のじゃれ合い(輪にとっては一方的な暴力)を、閑は半目がちに眺めた。 

「……ここはもうカイーナなのよ? おふたりさん」

「閑さんのおっしゃる通りですわ。バトルユニフォームを解放しませんと」

 いの一番に沙織が戦闘スタイルへと『変身』する。

 ブレザーは花火のように弾けて消え、純白のスクール水着だけが残った。その上にセーラー服をモチーフとしたような襟元が現れ、リボンを結ぶ。

 武器をしっかりと握り締めるためのグローブも、アーツによって構成された。ニーソックスには金属めいた光沢があり、ブーツと一体成型となっている。

 さらに沙織は得物のハルバード『ニーズホッグ』を召喚し、自分の肩に立てかけた。

「みなさんも準備なさい」

「うん。じゃあ……」

 続いて黒江が変身しようとする。

 しかし澪に目隠しされたせいで、変身の瞬間は見ていられなかった。

「女の子の着替えですよ? セクハラは許しませんから」

「ハ、ハイ」

 メンバーは次々と『変身』を終え、澪の目隠しも手袋のものらしい感触になる。

「……もういいですよ。ただし、じろじろ見るようでしたら、死刑にします」

 彼女の両手が離れ、輪の視界を遮るものはなくなった。

 目の前には、白くて際どいスクール水着の恰好で、五人もの女の子が佇んでいる。しかも全員が全員、胸に豊かな果実を実らせていた。

(み、みんな、スタイルいいよなぁ……)

そのサイズは規格外に違いなく、スクール水着としてはデザインが破綻している。だからこそ、圧倒的なボリュームが強調され、生唾を飲みくださずにはいられなかった。

「死刑」

「みみっ見てない! じ、じろじろってほどには」

 輪はしどろもどろになりながら、そっぽを向き、澪の冷ややかな視線をかわす。

 閑はほかの誰より恥ずかしがって、胸の上でもじもじと指を編み合わせた。

「やっぱり変よね? これ……」

「でも、守備力は高いし」

 さしもの黒江も無関心を気取りつつ、ほんのりと頬を赤らめる。同級生の澪は輪をやたらと警戒する一方で、幼馴染みの優希は照れながらも、余裕を浮かべた。

「ダーリンちゃんがえろえろなのって、想像できないよ、ボク」

「優希さんはもっと注意するべきです! 黒江さんによれば、このひとには『ラッキースケベ』とかいうアーツ能力があって……」

「そんなアーツはないっ!」

 とんだ言いがかりに反論しようと、顔をあげると、沙織に人差し指を向けられる。

「あなたも早く変身しなさいったら」

「は? オ、オレも?」

 輪はぎくりと顔を強張らせた。

 バトルユニフォームのベースとなるスクール水着は一応、着用している。ただし女子用であって、まさか変態のさまを披露できるはずもなかった。

(落ち着け。上手く調節すれば……)

 そこで輪は変身しつつ、男子用の制服を残す。これなら中にリボンつきのスクール水着を着ていようと、外見は何の変哲もない、ケイウォルス学園の中等部男子だった。

「輪? それじゃ制服が」

「大丈夫だって。そんなことより早く行こうぜ。要救助者がいるんだろ?」

 閑の懸念は流し、黒江にデータの更新を急いでもらう。

「司令部との回線……オールグリーン。どうぞ」

『こちら司令部です』

 ケイウォルス司令部のほうでは哲平が今も情報収集に当たっていた。最新の情報が黒江を経て、第四部隊に伝えられる。

『表向きは不発弾の回収ってことで、手を打ちました。N中の生徒たちの避難もじきに始まるでしょう。ですが、問題は体育館で授業中だった、一年の女子です』

 体育館は逆さまの迷宮と化していた。床は上にあり、天井は下にある。足元の蛍光灯はどこからか電力の供給を受け、黙々と光を発していた。

 輪にとっては初めての救助活動となる。

「その子たちがどこにいるのか、わからないのか?」

『残念ですが、人数くらいしか……逃げ遅れたのは生徒が四名と、教師が一名です』

「わかった。あとは任せて」

 要救助者のデータを受け取ると、黒江は通信を切りあげてしまった。

 どうやら今回の要救助者は仲良しグループのようで、四人とも、教師と一緒に同じ場所にいる可能性が高い。

「こういうのって、手分けして捜せばいいのか?」

「そうじゃないのよ。っと、あなたには説明しておかないとね」

 時間も差し迫っている状況で、気が急く輪に対し、閑はあえて間を取った。

「カイーナではパーティー行動、つまり全員でいることが基本なの。例えば、ここで二手に分かれたら、片方はヒーラーのいないチームになるでしょう?」

「閑がいないほうは、回復が一切できないってことだな」

「そういうこと。状況を分析できるのは黒江だけだし、同じ前衛といっても、沙織と優希には得手不得手があるわ。まずはわたしたちが生き残らなくちゃいけないから」

 澪が横から釘を刺してくる。

「自己犠牲なんて考えないでください。そういうの、あたし、軽蔑します」

「死刑の次は軽蔑かよ……とりあえず、わかったぜ」

 輪は沙織や優希とともに前衛に立った。自分の力量には見合っていないらしいブロードソードを、それでも構え、迷宮を睨みつける。

(つい最近まで、オレもここでバレーボールとかやってたんだけどな……)

 体育館は単純なはずの構造を、複雑な迷路に変えていた。入口からして靴箱がブロック状に並び、輪たちの行く手を阻む。

「女子更衣室なら、こっちのほうなんだけど……」

「もう普通の体育館じゃねえからな。黒江のスカウトが頼り、か」

 逆さまであっても、東西南北の方角は通用するようだった。東から入ったため、西を目安に進むことにする。南北のT字路では北に針路を取ってみた。

「……出やがったか!」

 天井がバスケットコートになっている空間に出たところで、レイの集団と出くわす。いつぞやの地下街で遭遇した、トカゲの怪物に似ていた。

 黒江の分析スペル『アナライズ』が走る。

「数だけ。大したことない」

「殲滅するわよ! 沙織は守備で、優希と輪は攻撃! 澪の詠唱時間を稼いで!」

 閑の気丈な号令がメンバーを鼓舞した。

「澪さん! わたくしの後ろで詠唱なさって!」

「そうさせてもらいます!」

 フォーメーションの前衛は一歩前に出て、後衛は一歩後ろにさがる。

 沙織はリーダーの指示には従い、あくまで守りに徹した。一方、優希は先手を打ち、正面のレイに強烈なレッグラリアートをお見舞いする。

「ほらほら、ダーリンちゃんもっ!」

「よし、オレだって……」

 二つ返事で応じたものの、自信はなかった。

 しかし思いのほか身体が動く。素振りでも手を痛めたブロードソードが、軽い。

「でやあっ!」

 横に薙ぐだけで、レイを紙みたいに引き裂くことができた。

「輪! 沙織と優希を巻き込んじゃだめよ!」

「あ、そうか。気をつけないとな」

 同じ前衛でも、優希はスピードに特化し、格闘戦をメインとする。沙織のほうは、速度こそ優希に及ばないものの、ハルバードならではのリーチの長さが利点となった。

 迂闊にその間合いに入ったレイが、串刺しになる。

「遠慮することはありませんわ、輪さん。存分に戦ってみてはいかが?」

「なら、やらせてもらうぜ!」

 輪はブロードソードを振りあげ、次のターゲットを狙った。

 前衛の攻撃が途切れるタイミングで、澪のスペルアーツが放たれる。

「ブリザードっ!」

 半数のレイは瞬く間に凍りついてしまった。輪の剣が当たると、粉々になる。

「すげえな、澪のアーツも……」

「伊達に何年もイレイザーをやってはいませんから」

 第四部隊への配属は遅くとも、イレイザーとしてのキャリアは、五月道澪がほかの面々よりも長いらしかった。

「残りも任せてください! 優希さん!」

「オッケーだよ、澪ちゃん!」

 優希がバク転で離れたところへ、火炎の波が流れ込む。

 それでもしぶとく残った、最後の一匹は、輪のブロードソードがだめ押しで沈めた。

 まだ経験の浅い自分がここまで活躍できたのは、例のバトルユニフォームのおかげだろう。女子用のスクール水着というデザインこそ最悪だが、抜群の効き目がある。

「この調子で行こうぜ、みんな!」

「もちろんよ。黒江、マッピングをお願いね」

「……りょーかい」

 引き続き探索を続けるうち、迷宮の地図も形になってきた。中央に大きな空白があり、何かがあると思わせてくれる。

「なあ……先にフロアキーパーを倒しちまうのは、だめなのか?」

 フロアキーパーさえ撃破すれば、カイーナは消滅し、要救助者もただちに正常な空間に戻ることができるはずだった。しかし澪はかぶりを振る。

「今回の任務は、第一に民間人の保護です」

「澪の言う通りよ。フロアキーパーと戦うには、情報の精査や編成の熟考が必要なの。勇み足でフロアキーパーに挑んで、全滅した、なんていうパターンもあるから」

 無意識のうちに逸っていたらしい気持ちを、輪は深呼吸で鎮めた。

(ちょっと調子に乗ってたかもな、オレ……)

 今は制服の中に着込んでいる、バトルユニフォームのおかげで戦えるに過ぎない。まだまだ経験が浅いことを自覚し、魔の迷宮を睨みつける。

「こう逆さまだと、歩きづらいよなあ」

 どこまで進んでも、床は上にあり、天井は下にあった。上ばかり眺めながら歩いていると、蛍光灯に躓いてしまう。

「お、おわっと!」

「ひゃああっ! ダーリンちゃん?」

 身体を捻ってバランスを取ろうとしたものの、悪あがきにしかならなかった。同じ前列の優希まで巻き込み、派手に転ぶ。

 そのはずが、柔らかいものに顔面を受け止められた。

「び、びっくりしたなあ、んもう……え?」

「もがもがっ!」

 一緒に転んだ優希は、自分の胸をクッションにしつつ、お尻を高くしている。そのお尻の渓谷に、どういうわけか、輪は顔を埋めていた。

(……まさか、これって……)

 間近で見ると、純白のスクール水着が曲線で張り詰めているのが、わかる。なだらかなラインは下に行くほど引き締まり、水着の色もあって、白い桃を思わせた。

 誘われるように嗅ぐと、甘い香りが。

「いや~~~っ!」

「グハッ?」

 する間もなく、視界の真下から顎を蹴りあげられてしまった。

 黒江がぼそっと呟く。

「ラッキースケベ……ほんとにあった」

 優希は真っ赤になって、スクール水着さえ艶めかしく着こなす豊満なボディを、恥じるようにかき抱いた。眉を吊りあげるが、涙目になっているせいで迫力はない。

「いつの間にこんなふうになっちゃったの? ダーリンちゃん……」

「今のは事故だって! 躓いただけでさ」

 弁明しようにも、女子は全員、これを『意図的なスケベ事故』とみなしつつあった。被害に遭ったことのある澪が、沙織の背に隠れる。

「……………」

「なっ、なんか言ってくれよ? 無言はやめろって!」

 黒江は淡々と輪の、ありもしない心境を代弁した。

「幼馴染みの成長ぶりに……ドキッ」

「だから違うって! 優希相手にそんなの、思うわけないだろ?」

 慌てふためく輪の言動に、優希がむうっと頬を膨らませる。

「ちょっと、ダーリンちゃん? それはそれで、ボクにすっごく失礼じゃない?」

 沙織は呆れ、ハルバードを担ぎなおした。

「輪さんを責めて差しあげるのは、あとにしませんこと? ここはカイーナでしてよ」

「そうね。気を引き締めましょ」

 スクール水着のレッグホールを調えながら、真面目な顔で閑が言いきる。

(少しは自覚してくれよ、閑も……)

 女の子たちの水着姿に悶々とすること、十数分。要救助者は発見できず、中央の空白部分を確かめてみるしかなくなった。周囲の壁を調べていくうち、隠し扉を発見する。

「さすが黒江のスキャンね。ビンゴじゃないの」

「これくらい楽勝」

 黒江のスカウト系スペルアーツは、探索においてこそ真価を発揮した。地図の更新のみならず、罠の解除や、落ちている破損アーツの識別など、仕事は多い。

「みんなはここで待機してて。わたしと輪で様子を見てくるわ」

「オレも? いいけど……要救助者がオレたち見たら、びっくりするんじゃないか?」

 輪の素朴な疑問を、黒江は一笑に付した。

「ふ。個人を特定できないように、私のスキルアーツでジャミング、かけるから」

「へえ……じゃあ、カイーナん中なら、知り合いに会っても大丈夫なのか」

 黒江のうんちくに頷きながら、輪は閑とともに空白のエリアへと足を踏み入れる。

そこは目に見えるほどの瘴気が蔓延していた。体育用具が下の『天井』に散乱し、足の踏み場もない。

「あれ? バスケのゴールなんかは、上でひっくり返ってたよな?」

「誰かが触ったりすると、こんなふうに落ちてくるのよ」

 それを越えた先で、体操着姿の女子らは簡単に見つかった。だが、平均台に腕を縛りつけられた格好で、怯えるように身を寄せ合っている。

「おい、どうし……」

「待って、輪! 向こうにもいるわ」

 そして体育教師の女性は、ある人物に首輪で繋がれ、屈辱的な四つん這いの姿勢を強要されていた。しかも生徒と同じ紺色のブルマを穿いている。

「い、言うことなら聞きますから、生徒たちは解放してください……校長先生」

「ぐふふっ! 可愛い生徒に見られてるのが、いいんじゃないかァ」

 男はニタニタと下卑た笑みを浮かべた。

「校長だって?」

 驚きのあまり、輪はつい大声をあげてしまう。

 初老の風貌が典型的でもある校長が、ぎょろっと目玉を転がした。

「……誰かね、キミたちィ? 今は大事な授業中なんだ、出ていきたまえ」

 怒気を孕んだ声が、輪にプレッシャーを掛けてくる。

 カイーナの中で校長は、生徒を人質に取り、女教師に何やら悪戯を強いていた。閑は嫌悪感を露わにしつつ、瞳を強張らせて慄く。

「あなた、人間じゃないの……?」

 校長の下半身はワニのようなレイと同化していた。

 輪の脳裏に閃きが走る。

「あいつがフロアキーパーだ!」

 その断言を、閑は突拍子のない空想とでも思ったようだった。

「な……何を言ってるのよ、輪? 人間がカイーナを作り出せるわけ」

「アーツってやつの力があれば、できるんじゃないのか?」

 考えれば考えるほど、状況に符合する材料が揃った。

「前のカイーナでもそうだったんだよ。行方不明になってるやつが、実は化け物になってて、カイーナを広げてるんだ」

 地下街のカイーナでは、フロアキーパーを撃破した際、一ヶ月ぶりの行方不明者を発見している。その行方不明者がフロアキーパーだったとすれば、辻褄は合った。

「フロアキーパーを倒したら人間が出てきた、なんて話、一度も聞いたことないわ」

「なんで前回に限って出てきたかは、オレにもわかんねえけどさ……」

 いかがわしい遊びを邪魔された校長が、業を煮やす。

「出ていけと言ったはずだぞ? 教師の言うことは、聞けッ、キケケケェ~!」

 かろうじて人間の形だった上半身も、化け物へと変貌してしまった。耳まで裂けた口が開くと、上下の牙が涎を伸ばす。

「そんな、まさか……」

 混乱する閑に代わって、輪は仲間を呼んだ。

「みんな、来てくれ! 要救助者とフロアキーパーを発見した!」

 沙織と優希、黒江が駆けつけてくる。次の指示も輪がはきはきと放った。

「沙織と黒江はあの子たちの保護を頼む! 先生のほうは、優希とオレで助ける!」

「了解ですわ! いい判断でしてよ」

 沙織が女子生徒らのもとへ急行し、ニーズホッグを構える。間合いの広いハルバードだからこそ、四人の要救助者を一度に守備の範囲に収めることができた。

 黒江は沙織を盾にしつつ、状況の分析と報告を急ぐ。

「司令部、応答して。要救助者の発見と同時に、フロアキーパーに遭遇」

『この規模のカイーナですから、フロアキーパーも相当、手強いはずです。要救助者を救出次第、離脱してください!』

 フロアキーパーはさらに巨大化し、尻尾を振りおろすだけで、迷宮を揺らした。獰猛な雄叫びが響き渡り、女子生徒らを戦慄させる。

「いやっ! 助けてぇ!」

 女教師は首輪で繋がれているせいで、自力では逃げられなかった。それでも教師としての意地か、悲痛な声で輪に懇願してくる。

「お願いします! 生徒を連れて、逃げてください!」

「全員、助けてみせます! ……しっかりしてくれ、閑! リーダーはお前だろ!」

 動揺していた閑も、凛々しい戦闘態勢を取った。

「……ええ。今は戦いに集中するわ!」

ジェダイトの切っ先をフロアキーパーに向けながら、双眸に闘志を宿す。

(五月道は……やってくれるよな?)

 輪は渾身の力を込め、フロアキーパーに斬りかかった。だが魔物の皮膚は鋼鉄のように硬く、刃が通らない。

「ぐっ? こいつ、硬すぎるぞ!」

「ボクに任せて!」

 輪の背中を踏み台にして、続けざまに優希も突撃した。

 右の鉄拳も頑丈な皮膚に阻まれる。しかし衝撃は貫通し、敵を怯ませた。

「思ったより鈍いのかも、ダーリンちゃん」

「さっきまで人間だったからな。身体の動かし方が、わかってねえんじゃないか?」

「……人間?」

 あてずっぽうにしては、的を射た推測の気もする。

 魔物は尻尾を振りまわすか、咆哮をあげるくらいで、動きそのものは鈍重だった。とはいえ、教師が懐に捕らわれているせいで、こちらも手を出しづらい。

「輪さん、優希さん! 踏み込みすぎですわよ!」

 要救助者が多いため、こちらの戦力も分散しがちとなった。沙織は女子生徒らの守りに徹するほかなく、黒江はフロアキーパーの分析で忙しい。

「っ! スペルアーツの詠唱を確認!」

 フロアキーパーが開ききった口の中央で、魔方陣が浮かびあがった。

 放たれた炎が幕となって、輪たちの接近を拒む。

「うわっち?」

「待ってて、火炎耐性を上昇させるわ。レジストファイア!」

 閑の防御スペルが輪と優希の全身をコーティングした。おかげで高熱が遮断され、炎をかいくぐるのが容易くなる。

(みんな、こんなの使ってたのか)

スペルアーツの支援効果が高まるのも、バトルユニフォームの恩恵だった。

「オレと『あいつ』で隙を作る! 優希は先生を!」

「うんっ!」

 再び火炎を放とうとした魔物の口に、輪がブロードソードを水平に叩き込む。両刃の剣は牙でがっちりと受け止められてしまったが、敵の注意を引きつけることはできた。

「――フリーズ!」

 フロアキーパーの真後ろで、青白い冷気が巻き起こる。

 魔物の尻尾と後ろ足がたちまち凍りついた。伏兵の澪が奇襲に乗じて、氷結のスペルアーツをさらに重ねる。

「輪くん! このまま挟み撃ちにします!」

「わかってる! でやあっ!」

 負けじと輪もブロードソードで化け物の顔面を殴りつけた。硬い皮膚は斬れなくても、衝撃は伝わるようで、氷漬けのフロアキーパーが首を反らせる。

その隙をついて、素早く優希が敵の懐に飛び込んだ。拘束具を力任せに引きちぎり、女教師を回収しながら、離脱する。

「オッケーだよ、ダーリンちゃん、澪ちゃん!」

 黒江が敵にもう一度、アナライズを掛けた。

「かなり弱ってる……チャンスかも」

 原則として、準備不足のうちにフロアキーパーと交戦してはならない。しかし輪たちは今、確実に敵を追い詰めつつあった。

 ひとりとなった前衛の輪に、閑が支援のスペルを重ねがけする。

「全員を守りながら逃げるより、ここで倒しましょう!」

輪の腕に力が漲った。

 先んじて澪が雷撃のスペルを放ち、魔物の巨体を感電させる。フロアキーパーはのけぞり、苦しそうに口を大きく開いた。

「任せろっ!」

 その大口に目掛けて、輪のブロードソードが突撃する。

 口の中からであれば、貫通できるはずだった。ところが相手が人間だったことを思い出して、輪は躊躇い、攻撃を中断してしまう。

「どうしたんですか? 輪くん」

「こいつは、この学校の校長先生なんだよ。殺しちまうのは……」

 フロアキーパーの両目が赤く光った。尻尾で氷を砕き、後方の澪を牽制する。

「きゃああっ!」

「輪さん、戦いに集中なさい! 民間人もいますのよ!」

 氷のつぶてが飛んでくるのを、沙織は冷静にハルバードで弾き落とした。

 フロアキーパーの正体を目撃したのは、輪と閑だけ。一度はフロアキーパーの撃破を判断した閑も、撤退に指示を切り替える。

「……仕切りなおしましょう! 沙織と黒江は、その子たちを連れて、早く! えぇと、優希は先生をお願い!」

 二転三転するせいで、全員の足並みも乱れ始めた。

 要救助者が五人もおり、フォローがまわらない。そのうえ、敵の背後にまわり込んでいた澪は、分断されてしまい、合流できなかった。

(オレが尻込みしたせいで……!)

 己の浅はかさを恨みながら、輪はブロードソードを振るった。しかし力が足りなかったようで、呆気なく牙で受け止められ、噛み砕かれる。

「そ、そんな?」

「ダーリンちゃん! 逃げてえっ!」

 魔物の口から火炎が溢れた。輪の視界が高熱の色に染まる。

「うわ――うわあああああッ?」

 絶叫とともに、全身に電流が駆け巡るのを感じた。先ほど閑に掛けてもらったレジストファイアが、さらに効果を高め、火炎を払いのける。

 閑たちは目を見開いて、驚愕した。驚きながらも、澪は口元を引き攣らせる。

「へ、へ、ヘンタイ……!」

 輪が頭に被っているのは、紫色のレースをあしらった、妖艶な黒のショーツ。ただの布きれに過ぎないものが、輪の『スキルアーツ』として真価を発揮する。

「……わかるぞ? こうすりゃ、閑みたいに!」

 考えずとも、身体が勝手に動いた。左手をかざすと『スペルアーツ』まで発動する。

 強固な結界が沙織たちを包み込んだ。

「これは閑さんの、シールドのスペル……? スキルタイプのあなたが?」

「なんとなくわかるんだよ。この力があれば、きっと!」

 輪は瞬時にブロードソードを再構成し、今度こそフロアキーパーの喉を貫く。さらに手を無理やり突っ込んで、魔物の口から校長の身体を引きずり出した。

 フロアキーパーが断末魔をあげ、消滅していく。

「よし、あとは……」

 校長は青ざめ、心臓が停まりかけていた。

輪は見様見真似で閑のスペルアーツを使い、蘇生を試みる。やがて校長は咳き込むとともに、かろうじて息を吹き返した。

真井舵輪の怒涛の活躍ぶりに、第四部隊のメンバーは声も出ない。

黒江のバイザーはエラーで真っ赤になっていた。

「ぱんつ被っただけで、すごく強く……」

 フロアキーパーを撃破したことで、体育館が正常な空間へと戻る。本来の床が『下』となり、一同は要救助者を庇いつつ着地した。

 閑たちのスクール水着が、ケイウォルス学園のブレザーによって包まれる。

「……ん? なんだ、これ」

 しかし輪はまだ問題のショーツを被っていた。頭に違和感があり、触ってみて、初めてその非常識な使い方を自覚する。

「げえええっ!」

 今朝から懐に忍ばせていた、誰かの下着だった。己の変態ぶりに輪は真っ青になる。

 すべてが終わった。女の子たちの視線は冷たく、刺さるほどに痛い。

「い、いや、これには理由があって……話を聞いてくれ!」

 黒江がショーツを指差して、淡々と呟いた。

「あのえろぱんつ、誰の?」

 女性の目から見ても破廉恥なデザインらしい。ほかの誰でもなく『閑』が赤面し、わなわなと肩を震わせる。

「まさか……これ、閑のだったのか……?」

 ところが彼女は怒ることをせず、ぽろぽろと大粒の涙を零した。

「酷い……! ぐすっ、わたしのパンツ、そんなふうに使うなんてぇ……」

 泣き顔を両手で覆い、嗚咽を漏らす。

 澪や沙織は閑を慰めながら、変態を辛辣に責め立てた。

「ちょっと、輪くん! 謝りなさいよ!」

「最っ低ですわ! 女の子の下着を盗んで、被ったりしてっ!」

 女子ならではの刺々しい嫌悪感が、輪の心を抉る。

「ち、違うんだって! こいつは」

 優希と黒江も聞く耳を持つはずがなかった。軽蔑のまなざしで輪を遠ざける。

「近づかないでったら、ヘンタイ! 閑ちゃん、もう行こ?」

「……ご愁傷様」

 要救助者の女子らも、輪のアブノーマルな恰好には驚いていた。

 輪と校長だけ、体育館に置いてきぼりにされる。

「お……おい、待ってくれ! これは洗濯物が混じってただけで、なんていうか!」

 慌てて追いかけ、外に出ると、N中学の生徒に囲まれてしまった。昼休みに入ったようで、元クラスメートも何人かいる。

 カイーナの外では、黒江のアーツで正体を誤魔化すこともできなかった。

「真井舵? お前……」

「た、高井? 誤解しないでくれ! オレは」

 頭のパンツを外そうとした矢先、制服がびりびりと裂ける。

 バトルユニフォームの強化作用に、どうやら制服では耐えられなかった。女子用でしかも白色のスクール水着を着た、輪のすべてが、衆人環視の真っ只中で曝け出される。

「うわああああ! ななっ、なんだよ、こいつ!」

「ウソ? 真井舵くんって、こういう趣味があったのォ?」

 観衆は全員、波が引くようにあとずさった。

「お前がケイウォルスに転校したのって、まさか、その水着が目当てで……」

「そうじゃない! 本当に違うんだ!」

 見るに堪えない姿らしく、皆して目を逸らす。だが、ひとりが携帯でシャッターを切ると、次々と撮影がおこなわれた。

 輪の脳内で一足先に新聞部の号外が配られる。

『N中学に変質者! 元生徒の異常な性癖にドン引き!』

(お、終わった……何もかも……)

 嘲笑を浴びせられながら、変態はくずおれ、絶望の味を思い知るのだった。

 

 

 翌日、ケイウォルス司令部にて、輪のアーツ能力に関する検証がおこなわれた。トレーニングルームで輪は、色んなパンツを被る羽目に。

 その珍妙な一部始終は、愛煌と哲平だけがモニターしていた。

「市販のパンツではまったく効果がありませんね。ど、どういうことでしょう……?」

「女の子の使用済みじゃないと、力が発揮されないのよ。……言わせないで」

 新品のショーツを被ってみても、あの時のようなパワーは沸いてこない。ほかにも理事長(愛煌の祖父)のブリーフなど、恐ろしい実験もおこなわれたが、成果はなかった。

「次は五月道のを被ってみなさい」

「……マジかよ」

 輪は顔を赤らめて、澪のものらしい水色のショーツを、遠慮がちに掴む。

 今回の検証のため、愛煌は澪から下着を借りた。中等部で同じクラスの哲平は、理不尽に巻き込まれた形になる。

「どうして五月道さんのにしたんですか? 僕まで白い目で見られたんですから」

「あぁ、そうだったわね。周防の分はフォロー入れとくから」

「オレのフォローもしてくれよ……」

 澪の軽蔑に満ちた視線は、当分、忘れられそうになかった。

 なるべく息を止め、下着の裏面は見ないように目を瞑る。

(ごめん、五月道!)

 割りきって頭に被せると、全身に電流が走るような感覚があった。いつものブロードソードを握って念じれば、刀身が炎を宿す。

 いわゆる『魔法剣』の完成に、哲平が目を見張った。

「す、すごいですよ! おそらく五月道さんのフレイムが反映されて、あんなふうに」

「パンツの持ち主と同じアーツ能力が使えるようになる、ってわけね。三雲や四葉の下着だと、どうなるのかしら……」

 愛煌は腕組みを深めながら、輪のバトルスタイルをまじまじと眺める。

「でも見た目は最悪だわ。女のパンツなんか被って、楽しいわけ?」

「お前が『被れ』って言ったんだろ!」

 輪の悲痛な叫びが木霊した。

 何しろ女子のスクール水着を着たうえで、ショーツを被った真性の変態ぶりを、前の学校の面々に披露してしまったのだ。真井舵輪の評価は地に落ちている。

 寮にも怖くて帰れず、昨夜は哲平の世話になった。

 そうやって人間の尊厳を失いながらも、手に入れたのが、オリジナルのアーツ。

 輪はパンツを被ることで、持ち主のアーツ能力を行使することができる、と判明した。ただし、輪がよく知る人物であることや、女性であることが条件らしい。

「この能力に名前をつけるとしたら……」

「ヘンタイパンツでいいんじゃないですか? わかりやすいですし」

「……もうちょっとソフトな言いまわしを考えましょ」

 輪はショーツを外し、溜息をついた。

「好き放題言いやがって……オレだって、こんなアーツで戸惑ってんだぞ?」

「はいはい。そろそろ終わりにしましょうか」

 一通りのデータが取れたところで、愛煌がテストを切りあげる。

「周防、今回の件、上層部には伏せておいてちょうだい」

「かなりすごい能力だと思いますけど……」

「だから、よ。全員のパンツを真井舵に持たせろ、なんて指示が来たって、一之瀬たちの協力が得られるとは思えないでしょう? 殺されるわよ、こいつ」

 イレイザーの能力としては稀有に違いないものの、セクハラ上等にも程があった。

「何かリスクもあるかもしれないし」

「パンツ借りてる時点で、社会的なリスクがすごいっての……」

 精神的な疲労に参りながら、輪はとぼとぼとトレーニングルームをあとにする。

 廊下に出たところで、閑が待っていた。

「あ、輪……」

「閑っ? ご、ごめん! オレ」

 彼女と目を合わせる度胸など、あるはずもない。土下座で頭を急降下させる。

「洗濯物に混じってて……本人に返そうと思ったら、あんなことになっちまって。本当に本当なんだ! オレ、盗んだとかじゃなくって」

言い訳がましい自覚はあった。隠し持っていたことはまだ説明できても、パンツを頭に被るという『悪ふざけ』には、弁解の余地などない。

 けれども閑の言葉は穏やかだった。

「土下座なんてやめて、輪。帰りづらいんだと思って、迎えに来たのよ」

「……閑?」

 輪はおずおずと顔をあげ、彼女の顔色を窺う。

「昨日のは、その……男の子にあんなことされたの、初めてで、びっくりしちゃって」

 閑は柔らかく微笑むと、輪に手を差し伸べてくれた。

「それにわたし、フロアキーパーが人間だって知って、動揺してたでしょ? 代わりに指揮を執ってくれたの、すごく頼もしかったわ」

「あ、あの時はオレも夢中で……」

 彼女の手を素直に取って、輪はおもむろに立ちあがる。

「リーダーって、責任感がないと務まらないもんな。すごいと思うぜ、閑はさ」

「わたしなんて、みんなに支えてもらってばかりよ。あなたにも、ね」

一日ぶりに心から笑えた。そんな気がした。

(オレ、あんな酷いことしたのに……閑の優しさに甘えてて、いいのか?)

いつになく閑のことが綺麗に思える。

「……どうしたの?」

「い、いや、なんでも。……みんなは許してくれっかな」

「どうかしらね。しばらくラッキースケベは自重したほうがいいんじゃない?」

「なんとでも言ってくれ。ハア……」

 溜息とは裏腹に、足取りは軽くなった。

前へ     次へ

※ 当サイトの文章はすべて転載禁止です。