閉ざされた冬の街~グウェノの青春~(後編)
シドニオに住む少年少女たち――。
腕白なグウェノはマルコとメイアを連れ、毎日のように街を駆けまわっていた。たまにケンカもするが、次の日には仲直りして一緒に遊ぶ。
こっそり北の古城へ探検に行ったことがばれ、怒られたのは先週のこと。さすがのグウェノも子どもながらに反省し、しばらくの間はおとなしくしていた。
「どうしたんだよ、グウェノ。いつもは先に行っちゃうくせに」
「あのなあ、オレだけ叱られたんだぞ? また城に近づいたなんてばれたら……」
「そんなに言うなら、戻りましょ」
マルコとメイアはからかうつもりで、強引にグウェノを連れ出したらしい。
その帰り道、少年たちは一匹の小さなモンスターを見つけた。罠にでも掛かったのか、後ろ足に傷を負っている。
メイアは屈んで、そっとモンスターに手を触れた。
「可哀想……手当てしてあげなくっちゃ」
「レッドパンサーの赤ちゃんだよ、これ。お母さんが捜してるかも」
マルコも興味津々に覗き込む。
けれどもグウェノは気が乗らず、なるべく距離を取った。
「放っとけって。赤ちゃんでもモンスターはモンスターなんだから、拾ったりすんなって言われてるだろ?」
大人たちは『モンスターの子どもを拾うな』『触ったりするな』とうるさい。赤ん坊でも鳴き声ひとつで仲間を呼び、親のモンスターが取り戻しに来るからだ。
触ったせいで病気になることもある。
「意気地なしね、グウェノったら。こんな子が怖いの?」
「こ、怖いんじゃねーよ。オレはただ……」
「早く連れて帰ろう。僕の家なら、見つからないと思うからさ」
マルコとメイアはモンスターの赤ん坊を抱え、街へと急いだ。グウェノはふてくされながらも、そのあとを追っていく。
「……ちぇっ」
少年たちはまだ心も身体も幼かった。
その日のことを思い出して、十九歳のグウェノは落胆する。
(なんてこった……オレがしっかり止めてりゃ)
大人たちの言葉は正しかった。あの時のレッドパンサーがガーゴイル病の病原体を持っていたのだろう。そうとは知らずに、メイアはその手で手当てを施している。
彼女は今、無言のままベッドに横たわっていた。
「……………」
部屋に暖炉はなく、夜はますます冷え込む。
「な、なあ、寒くねえか? 前に隙間風がどうのって……オレが修理してやっから」
物心がついた頃からずっと一緒にいるのに、まるで会話が続かなかった。メイアはそっぽを向き、真っ暗な窓ばかり見詰める。
「しっ心配すんなって! そうだ、王都の医者に診せりゃあ……」
「レオナルド先生は王都から来たのよ? 知ってるでしょ」
やっとの返答も素っ気なかった。
それほどに彼女は絶望し、気力を失っている。
ガーゴイル病は石化が始まってからおよそ二年で死ぬという。メイアの場合は爪先から徐々に症状が現れ、すでに足首まで達しつつあった。
レオナルド医師の見立てでは、今後一年のうちに膝のあたりまで石と化す。病魔はすでに全身に及んでいるため、仮に脚を切断したとしても意味がなかった。
そして石化が胴に達した時、メイアは短い人生を終える。
「なんで話してくれなかったんだよ? メイア」
「話せるわけないじゃない。あなたは……いつも将来のことで、夢いっぱいで……」
今度こそ彼女を説得して、シドニオを出ようと思っていた。景観の美しい港町で一端の夫婦に――ささやかな幸せを満喫しよう、と思っていたのに。
唐突に恋人の死期を突きつけられ、理解が追いつかない。
「……あ、諦めんなよ。薬とか……なんか方法があるかもしれねえだろ」
それでも望みを捨てきれず、グウェノはありったけの可能性を思い描いた。
「薬がねえなら魔法だ! ずっと東のほうじゃ、法力ってやつで病気も怪我も一発で治るらしいぜ? もっとでかい街に行きゃ、すげえプリーストも……」
「無理よ! これは治らないのッ!」
しかしメイアは声を荒らげ、涙を飲む。
「治らないのよ、グウェノ……わたし、知ってるの。ガーゴイル病になったひとは、ひとりも助からなかったって、み、みんな……最後は石像と混ざったみたいに……」
励ましの言葉など、彼女の耳や心に届くはずがなかった。
同じだけグウェノも心をすり減らされていく。
「メイア……すまねえ、オレ……」
もう恋人同士ではなかった。死がふたりを分かつ以前に、すれ違う。
メイアは窓に向かって呟いた。
「……別れましょう」
聞きたくなかった言葉がグウェノをさらに痛めつける。
「ま、待てよ! お前はそれでいいのか?」
自分に愛想が尽きたというなら、まだ納得はできた。しかし彼女は健康なグウェノに引け目を感じ、身を引こうとしている。
「あなたはもっと素敵なひとを探して。すぐに見つかるわ、きっと。わたしはあなたの恋人のままで死にたくないの。あなたに……あなたに、ちゃんと忘れて欲しいから……」
健気な彼女らしくも悲しい決意。
これにはグウェノも絶句し、何も言えなくなってしまった。
「……ちょっと外すぜ」
頭が逆さまになるくらいうなだれ、幼馴染みの部屋をあとにする。
外では雪が降っていた。夜空は厚い雲に覆われ、今夜も月は見えそうにない。
「うっ、うぅ……」
涙が冷たかった。両方の瞳からぽろぽろと、嫌になるほど溢れてくる。
「どうしろってんだよ! っきしょ……ちっきしょぉおおおおッ!」
涙まみれの慟哭が響いた。
☆
翌日もグウェノたちの一行は古城を探索する。
東の塔で鍵のひとつを発見したため、次は西の塔へ。曲がりくねった回廊を抜け、塔の内部へと侵入を果たす。
そこでも奇怪なモンスターの群れに行く手を遮られた。
「そっちに二匹行ったぞ、ジャド!」
「チッ! 数だけはいやがるな」
甲殻が岩となったボーリングビートルが、すばしっこい動きでこちらのフォーメーションをすり抜ける。それをアネッサが防御結界で遮り、かろうじて食い止めた。
「後ろからも来てます! デュプレ、指示を!」
デュプレの号令が飛ぶ。
「結界を維持していろ! グウェノ、お前はアネッサのカバーを……」
「逃がさねえぞっ! モンスターは全部、オレが!」
しかしグウェノは耳を貸さず、闇雲に矢を放ってばかりいた。この矢によってもデュプレとジャドは分断され、陣形も乱れる。
「馬鹿野郎! てめえ、いつまで」
「あとにしろ! さっさと片付けるんだ!」
それでもデュプレが奮戦し、ひとまずモンスターを蹴散らすことはできた。
ジャドがずかずかとグウェノに迫り、襟ぐりを引っ掴む。
「これで何度目だっ! ひとりでもフザけたやつがいちゃあ、パーティーってのは」
「よせ、ジャド。俺がやる」
それを制しながらも、デュプレはグウェノのみぞおちを殴りつけた。
「ぐはあッ? ゲホッ、い、いきなり何しやが……」
グウェノはくの字に折れ、倒れ込む。
あまりの激痛に全身が痺れ、脂汗が浮かんだ。
「デュプレ! 何もそこまで……」
「俺もこいつの事情は知ってるとも。どうだ、グウェノ。少しは冷えたか」
そうして悶絶するさまを、デュプレは淡々と見下ろす。
「ジャドの言ったことは正しい。お前の独断専行は俺たちの全滅に繋がるんだ」
ベテランの冒険者ならではの忠告だった。おそらく『次』はない。
それほど今日のグウェノは荒れていた。アネッサのほうは探索にも慣れ、デュプレの指示をよく聞いていただけに、グウェノのスタンドプレーは悪目立ちする。
「出直すとしよう。立て」
「あ、ああ……」
ボディーブローは効いたが、おかげでいくらか冷静になれた。
頭に血を昇らせて、自棄になった自分が悪い。
その夜、グウェノは街の外れにある墓場を訪れた。来年か再来年にはここにメイアの墓ができるのかと思うと、やるせない。
祖父母の墓前で頭を垂れ、自嘲の笑みを浮かべる。
「何やってんだろーな、オレ……ほんとバカみたいだぜ……」
そんなグウェノを見かねて追ってきたのは、意外にもジャドだった。
「夜中に墓参りなんざ、するもんじゃねぇぜ。余計なもんまで見えちまうぞ?」
「ジャド……なんであんたが」
墓の前でも彼は姿勢を正さず、やにさがる。
「ちょいとお節介してやろうと思って、な。デュプレのブローは効いたろ」
「効いた、なんてもんじゃねえよ。殺されんのかと」
「あいつもあれで、お前の事情には参ってるみてぇだからなあ」
冷たい風が墓場を吹き抜けた。大魔導士マーガスによって、シドニオは八月になっても冬に閉ざされている。
「あいつにも昔、恋人がいたのさ。まだ騎士団にいた頃、プリーストの女とな。それ自体は別に珍しいことじゃねえし、祝福もされてた」
「……想像できねえな」
ジャドの言葉には含みがあった。少しずつデュプレの過去が語られる。
「けどよ……死んじまった。作戦中にデュプレを庇ったとかでな」
騎士団から去った理由を、彼は『組織的な腐敗に辟易した』と言っていた。だが本当は任務の最中に何らかの事故があり、恋人を失ったためらしい。
「だから、まあ……やつなりに思うところもあるんだろうぜ。お前のことでよ」
「……そうだったのか。デュプレが……」
自分だけが辛い目に遭っている、自分だけがどん底にいるものと思っていた。しかしこのような話を聞かされては、いつまでも駄々を捏ねていられない。
「心の整理がつかねえってんなら、お前は降りろ」
ジャドはボトルを逆さまにして、残りの酒を墓石に振舞った。
「ジャド、お前……」
「っと、柄にもねえことしちまったかな。あとはてめえで決めやがれ」
彼が立ち去ったあとも、グウェノはひとりで夜空を仰ぐ。
いつしか雪が降っていた。八月の雪。
「オレがあいつのためにしてやれること、か」
今夜のうちにメイアが死ぬわけではない。まだ時間は残されている。
グウェノの右手に力が戻った。
「あいつが悲しい思いしながら、ひとりぼっちで死ぬなんて、絶対に嫌だもんな。爺ちゃん、婆ちゃん。オレ、もうちょい頑張ってみっからさ」
塞ぎ込むのはこれきりにして、胸に誓う。
☆
翌朝、グウェノはパーティーの面々に開口一番、頭をさげた。
「昨日はすまねえっ! 二度とやらねえから、またオレを連れてってくれ」
ジャドはしたり顔で肩を竦める。
「だとよ。どうする?」
「俺は構わんさ。案内役はほかにいないんだ」
リーダーのデュプレはグウェノを諌めたりせず、あっさりと復帰を認めた。グウェノの勢いに気圧され、アネッサはまだたじろいでいる。
「ええと……じゃあ出発しましょうか」
「ああ。西の塔の途中だったな」
改めてグウェノたちの一行は北の古城を目指し、山道へ入った。
メイアの命を諦めたつもりはない。その一方で少し諦めかけているのかもしれない。ただ、昨日まではなかった目的意識が、今のグウェノを突き動かしていた。
(吠え面かかせてやるぜ。待ってろよ、大魔導士マーガス!)
シドニオから春も夏も奪ったマーガスを、この手で倒す。そうすれば、メイアは生まれ故郷から追い立てられることもないだろう。
何しろ彼女は足を病んでいるせいで、走れない。逃げられないのだから。
「なあ、デュプレ。ジャドとアネッサも聞いてくれ。急にこんな話も何だけどよ」
「どうした?」
「オレさ、マーガスの野郎は絶対にぶちのめしてやりてえんだ。けど、オレひとりじゃあ返り討ちに遭うのが関の山だろ。だから、その……力を貸してくれ」
デュプレは足を止め、強面にも笑みを浮かべた。
「俺にも好きな酒がある。この件が片付いたら、お前に奢ってもらうとするか」
「おう! 派手にやろうぜ」
通りすがりの冒険者とはいえ、自分には心強い仲間がいる。
「アネッサも来いよ。飲めなくったっていいからさ」
「は、はあ……」
「てめえも飲めねぇだろーが。ケケッ」
結束を固めつつ、やがてグウェノたちは古城へと辿り着いた。昨日と同じルートで回廊を西に抜け、塔の麓までやってくる。
「東とおなじ構造なら、苦労せずに済むんだが……期待できそうにないな」
古城の内部は複雑に入り組んでおり、隠し扉などの仕掛けも多かった。
そもそも城という建造物は『要塞』や『砦』に当たる。つまり軍事基地であって、それを王家の象徴として飾りつけたのが昨今の宮殿だった。そのため、自軍の防衛行動は妨げないような造りになっている。
ところが、この古城の構造は侵入者を惑わせることに終始していた。兵の詰め所や武器庫などは見当たらず、階段の位置も不便に過ぎる。
探索を進めつつ、アネッサが率直な疑問を口にした。
「どうしてマーガスはこの場所を選んだんでしょうか……」
「ん? 隠れるのによかったんじゃね?」
考えなしに即答すると、デュプレにもジャドにも鼻で笑われる。
「ちったあ頭を使えよ、グウェノ」
「この城はどこにある?」
「……あ! そーいうことか」
シドニオはタブリス王国への交易ルート上にあり、旅人や輸送隊の宿場として収入を得ていた。その街から山上の古城は丸見えであり、旅人なら必ず一度は目に留める。
「モンスターの合成なんて研究をするなら、もっとほかにあると思うんです」
「確かにな……」
にもかかわらず、マーガスは古城をねぐらとし、疚しい研究に没頭していた。おまけにシドニオを巻き込み、王国から討伐のお触れまで出されている。
デュプレは難しそうに顎を撫でた。
「そいつは俺も気になってたんだ。マーガスには何か……この街でなければならない『理由』があるのかもしれん」
一方で、ジャドはアネッサに視線を送りながら仄めかす。
「案外、王国もグルかもしれねぇぜ? 合成モンスターをモノにできりゃあってな」
「あえてマーガスを泳がせている可能性もある、か」
アネッサの手には今回の調査メモがあった。モンスターの生態や行動パターンについて山ほど書き込まれ、この数日のうちにノートは半分以上も埋まっている。
「あ、あの……私は何も……」
その意味するところを、おそらく彼女は理解していなかった。
グランシード王国は腹に一物抱え、マーガスを探っている。そこで勉強熱心なアネッサを派遣した――ほとんど邪推とはいえ辻褄は合う。
「安心しろ、依頼は依頼だ。ちゃんと仕事はこなしてやる。……が、お前もマーガスの二の舞になりたくなければ、己の立場というやつは把握しておくんだな」
「……私の立場、ですか」
「そのへんにしとこうぜ。妙な空気だ」
困惑するばかりのアネッサを見かねて、グウェノは適当に話を逸らした。
壁の穴をくぐって、野犬のようなモンスターが二匹、三匹と現れる。いつぞや挿絵でも見かけた合成モンスターのケルベロスだった。
「げえっ! マジで出やがった!」
「なんだ、グウェノ。気配を察知したんじゃなかったのか」
挿絵と違って頭はふたつずつだが、数が多い。
ひとまずグウェノは野犬除けの粉末を撒き散らした。
「今のうちだぜ!」
「ここで迎え撃つぞ! ジャド、お前は右だ!」
「おう! 準備運動になりゃいいがな」
デュプレの剛剣が唸る。
また翌日、翌々日と塔の調査を続け、ようやくグウェノたちは最上階へと迫った。
「思った以上に掛かっちまったなぁ」
「あの隠し扉にもっと早く気づいていればな。ジャドもヤキがまわったか」
「おれだけのせいにするなよ。お前らも疑わなかっただろ」
この五階に来るまでには、四階の落とし穴で一旦下のフロアへ降りてから、外壁の階段を経由している。ジャドがマップを描き間違えたせいもあり、苦戦してしまった。
そのうえ塔には妙な魔法が掛かっているようで、いつの間にか方角がわからなくなる。冒険者の間では『回転床』と呼ばれ、嫌われていた。
(もう三日もメイアと会ってねえのか……)
恋人のことを不安に思いながらも、グウェノは最後の階段を見上げる。
「そろそろ行くとすっか」
「気をつけろよ。何が出てくるか、わからんからな」
「とっとと片付けて、飯だ、飯」
身軽なジャドが先行し、その後ろにほかのメンバーが続いた。
それを見つけ、アネッサが口を押さえる。
「……っ!」
全長が四、五メートルもあるモンスターの群れだった。大きな顔を並べて眠りこけており、グウェノは肝を冷やしつつもほっとする。
(驚かせやがって……鍵だけいただいて、ずらかろうぜ)
(そうだな。グウェノ、ジャド、お前たちは怪物の背面を探してくれ)
眠れるモンスターを刺激しないように、メンバーは抜き足差し足に徹した。
ところが寒さのせいか、アネッサがくしゃみを鳴らす。
「くしゅんっ!」
(やべえ!)
どきりとしたが、幸いにしてモンスターどもは動かなかった。グウェノは胸を撫でおろし、肺の中身を一気に吐き出す。
(びっくりさせんなっての……ん?)
その拍子にまったく別のモンスターと目が合った。子どもくらいなら丸呑みにできそうなサイズの蛇が、獲物を見つけ、涎まみれの牙を剥く。
「ま、まじぃぞ! 起きてるやつが……違う! 騙されたんだ、オレたち!」
「離れろ、デュプレ、アネッサ! 動き出すぞ!」
ジャドも同じものを見て、敵の正体を悟った。
モンスターの頭みっつと尻尾の蛇は、すべてひとつの胴と繋がっていたのだ。一斉に目覚めるとともに羽根を広げ、暴風を起こす。
「キマイラです!」
「こいつも合成モンスターだったか!」
間一髪でジャドに拾われ、グウェノは蛇に噛まれずに済んだ。
「キマイラだってぇ? な、なんてデカさだよ」
「ビビるのはあとにしやがれ!」
頭は山羊・蜥蜴・獅子で、皮膜のある羽根は蝙蝠だろう。そして大蛇を尻尾とし、獰猛な咆哮を何重にも轟かせる。
獅子の頭が炎を吐いた。デュプレがラージシールドを前に出し、直撃を防ぐ。
「俺の後ろまでさがれ、アネッサ! すぐにレジストファイアを!」
「それだけじゃだめです! あ、あれを!」
だが、今度は蜥蜴の頭が強酸を吐くように放った。グウェノらは合流を妨げられ、フォーメーションを組みなおせない。
さらには山羊の頭が呪文の詠唱を始めた。
「させるか!」
ジャドの投げナイフが山羊の巻き角を掠め、それを途切れさせる。
たまらずグウェノは声を荒らげた。
「どっどうするよ、デュプレ! 逃げっか?」
「悪くない判断だ……が、やるしかないようだぞ」
唯一の逃げ道である降り階段は、鉄格子によって閉じきられてしまった。敵はグウェノたちをおびき出し、ここで料理するつもりだったらしい。
キマイラの巨体が暴れ、塔の最上階を揺らす。
「踏み潰されるなよ、お前たち!」
「無茶しやがる! こいつ、ここをぶっ壊す気かァ?」
獅子の火炎が途切れても、蜥蜴のブレスが降り注いだ。山羊は魔法を放ち、蛇は獲物を噛み殺すべく追跡する。
何とか合流できたものの、グウェノたちは劣勢に追い込まれた。
百戦錬磨のデュプレさえ声に焦りを滲ませる。
「一度に四体を相手にするのと変わらんな」
その言葉にグウェノはぴんと来た。
「ならよ、こっちも四人で向こうも四体、全員で『一対一』ってのはどうだ?」
デュプレの口元に好戦的な笑みが浮かぶ。
「……なるほど。作戦がシンプルなのはいいことだ」
炎に煽られて散開すると同時に、力強い号令が飛んだ。
「俺は真中のライオンをやる! ジャドは蜥蜴、アネッサは山羊の頭、グウェノは後ろの蛇だ! アネッサは引きつけるだけでいい、とにかく時間を稼げ!」
「了解ッ!」
真っ先にジャドが蜥蜴の頭に飛びかかり、牽制を仕掛ける。負けじとグウェノもキマイラの背後にまわり、弓を引き絞った。
「てめえはオレが遊んでやるぜ。こっちに来な!」
矢が大蛇の横っ面を掠める。
すると蛇は目の色を真っ赤に変え、真正面からグウェノに襲い掛かってきた。地面を這わずとも、キマイラの背中にぶらさがって宙を弾む。
(普通の蛇の動きじゃねえ!)
グウェノはバク転も織り交ぜ、大蛇の牙をかわし続けた。
キマイラの正面ではデュプレとジャドが果敢に戦っている。アネッサも山羊頭の魔法を障壁で必死に遮り、踏ん張っていた。
「デュプレ、このままでは……」
「持ち堪えろ! 俺かジャドがすぐ行く!」
むしろキマイラの背後にいる自分のほうが安全かもしれない。
(モンスターの尻尾と鬼ごっこなんざ、カッコ悪ぃよな。けどよ!)
子供の時分に憧れた、勇者や英雄には程遠かった。それでもグウェノは美意識をかなぐり捨てて、キマイラの尻尾を相手に汚い手段に出る。
四方八方に逃げまくるグウェノを、大蛇も縦横無尽に追いかけた。そうするうちに蛇の身体がもつれ、解けなくなる。
「掛かりやがったな! もらったぜ」
すかさずグウェノは矢を放ち、大蛇の上あごを貫いた。
すると、蜥蜴の頭が奇声をあげ、山羊の首も苦しげにのたうった。キマイラの頭部はすべて痛覚を共有しているらしい。
「お手柄だなァ、グウェノ! おれもいただきだ!」
ジャドの斬撃が蜥蜴の首を落とした。山羊は白目を剥き、獅子も喘ぐ。
「とんだ失敗作だな、こいつは」
デュプレは猛然と剣を振りおろし、獅子の顔面もろともキマイラの本体を真っ二つに仕上げた。合成モンスターはひしゃげ、単なる『部品』の山と化す。
「グウェノの一発が効いたか」
「へへっ! オレも割とやるもんだろ?」
「調子乗ってんじゃねえよ。最初に『逃げよう』っつったのは、どいつだ?」
生きるか死ぬかの緊迫感から解放され、アネッサは尻餅をついた。
「動物の尻尾には神経が集中してるとも言います。そのおかげで、キマイラは全部の頭が激痛に見舞われたのかもしれません」
「合成モンスターにも思わぬ弱点があったわけだ」
鉄格子の解除はジャドに任せて、グウェノは目的の鍵を探す。
「……っと。ちょいと汚ねぇが、あったぜ」
キマイラの亡骸の中に青く光るものがあった。東の塔で見つけたものと同じ三角形で、対になる。これで鍵は揃った。
鉄格子も開き、ジャドが先に降りようとする。
「もう用はねえだろ? さっさと街に帰って、休もうじゃねえか」
「ああ。……どうした? アネッサ」
しかしアネッサは合成モンスターの亡骸を見詰め、思案に耽っていた。
「いえ、その……少し気になったんです。この城に出てくるモンスターは、大別するとふたつのタイプがあるみたいでして。ひとつめはマンティコアやキマイラで……」
東の塔のマンティコアは獅子と蠍を、先ほどのキマイラは獅子と山羊と蜥蜴とさらには蛇と蝙蝠まで合わせて、作られている。ケルベロスも同系統の合成と言えるだろう。
「もうひとつは岩と融合したようなタイプです」
グウェノの表情に驚きの波が走った。
「じゃあまさか、ここのやつらはガーゴイル病をっ?」
「ガーゴイル病を発症したモンスターの事例は聞いたことがありません。ですが、無関係とは思えないんです」
ガーゴイル病で石化するのは人間だけ。恋人のメイアは人知れず発症し、すでに爪先から足首まで石化が進行していた。
「確かに……どうにも臭うな、そいつは」
その奇病と、石と合わさったモンスター。点と点を結ぶ線はあるかもしれない。
「レオナルド先生に報告しねえと! えぇと……な、なんだっけ?」
「お前も一緒に行って、代わりに説明してやれよ、アネッサ」
「そうですね。グウェノ、私に任せてください」
収穫はあった。グウェノたちは塔を降り、シドニオへと帰還する。
レオナルド医師のもとで報告を終えてから、グウェノは恋人のもとを訪れた。しかし部屋の扉を開けるに開けられず、その前で立ち竦む。
(会えねえよな。やっぱ……)
結局、ノックするだけの勇気も出なかった。
無理に顔を会わせたところで、お互い傷付くだけ。それがわかっているからこそ、安易には踏み出せず、たった一枚の扉を分厚いものに感じる。
あの時の彼女の言葉が蘇ってきた。
『あなたはもっと素敵なひとを探して。すぐに見つかるわ、きっと。わたしはあなたの恋人のままで死にたくないの。あなたに……あなたに、ちゃんと忘れて欲しいから……』
「……忘れろ、だって?」
会いたくても会えない。会ってはならない、ひとりぼっちの夜が続いた。
☆
翌日の昼過ぎには壁画のもとまで辿り着く。
「じゃあ、行くぜ」
三角形の窪みに鍵を嵌め込むと、壁画の中央が割れるように開いた。新たなフロアへの下り階段が現れ、一行は固唾を飲む。
「地下か……照明は任せるぞ、アネッサ」
「はい。離れないでくださいね」
マーガスは近いはず。
細長い階段の先には、石造りの重たい扉が待ち構えていた。デュプレとジャドがふたり掛かりで押し開くと、冷たい空気が溢れてくる。
「さぶっ! なんだよ、一体」
「……どうやら、長すぎる『冬』の原因はこいつらしいな」
そこでは数多のモンスターが氷付けにされていた。動物もおり、氷の中で苦悶の表情を半永久的に保存されている。
「合成モンスターの素材ってことか……?」
「趣味の悪いやつだぜ。こういうマッドなインテリにゃ、関わりたくねえもんだ」
このために城は冷気を発し続け、シドニオを冬で閉ざしてしまったのだろう。街の気候さえ左右する大魔導士の魔力に、アネッサは不安を募らせる。
「私たちで勝てるんでしょうか? マーガスに」
「会ってみんことにはな」
さらに進むと、凍りつくほどの寒さはましになった。
しかし照明の魔法が照らすものは、より異質かつ異様なものとなり、グェウノたちの心胆を寒からしめる。
大きなビーカーの中では等身大の生き物が培養されていた。
「見ろよ、デュプレ、グウェノ! いくらなんでもヤバすぎらぁ」
ジャド以上にグウェノは目を見開き、慄然とする。
「ダットさんっ? ダットさんじゃねえか!」
アネッサも顔を強張らせた。
「どうして……ひ、ひとが……?」
ビーカーの中には人間が閉じ込められていたのだ。ほかのビーカーも同様で、シドニオから逃げたはずの住民が捕らわれている。
そのうえ、彼らは手足をモンスターのものと差し替えられていた。
さしものジャドも吐き気を堪える。
「ふ、普通じゃねえ……人間を実験台にしてやがる」
「まさか……こんなことのために合成モンスターを……」
シドニオの街を襲った危機。その背後には、大魔導士マーガスの狂気じみた人体実験が隠されていた。変わり果てた住民を目の当たりにして、グウェノは怒りに震える。
「ベティおばさんまで……ちくしょう! 絶対に許さねえッ!」
デュプレも発奮し、ビーカーを叩き割った。
「同感だ。外道に生きる資格はない」
大魔導士マーガスの所業はもはや人間の道を外れきっている。
奇怪な展示室を抜け、やがてグウェノたちは研究所らしいホールへと辿り着いた。悪魔を模った楼台が火を灯し、侵入者の一行を迎える。
「妙な場所ですね。一体、何のために……」
「さあな。遅れるなよ、アネッサ」
このホールは地下の闘技場だったものを改装したらしい。
向かって右には書物が、左には触媒や薬品が乱雑に積みあげられていた。地下とは思えない広さで、ゴブリンの上半身と下半身がばらばらに吊るされている。
「マーガスの野郎はどこだ?」
グウェノたちは背中合わせの陣形で神経を尖らせた。
「……逃げやがったか?」
「それなら、俺たちとどこかですれ違うだろう。裏口でもない限りには……」
扉は大きいものと小さいものがひとつずつ。
しかしどちらを開けるまでもなく、ゆらりと人影が現れた。思いもよらない人物と出くわし、グウェノは目も口も丸くする。
「マ、マルコっ? お前、マルコじゃねえか!」
黒縁の眼鏡が似合う青年。彼は王都で宮廷魔術師を務める自慢の幼馴染み、マルコに間違いなかった。マルコのほうも穏やかな笑みを綻ばせる。
「ふふふ。久しぶりだね、グウェノ」
「どうしたんだよ? こっちから連絡しても全然、掴まらねえでさぁ」
しかし駆け寄ろうにも、デュプレに妨げられた。
「待つんだ、グウェノ。こいつがここにいる理由を考えてみろ」
「へ? なんだよ、そりゃ」
ジャドやアネッサもマルコに疑惑のまなざしを向け、口を噤む。
グウェノはひとり首を傾げつつ、幼馴染みを紹介した。
「そう警戒すんなって。こいつはマルコってやつで……っと、そうだった! 暢気に話してる場合じゃねえ、メイアが大変なんだ!」
ところがマルコは驚きもなしにしれっと答える。
「ガーゴイル病でしょ? 知ってるさ」
その一言で、二年ぶりの再会の喜びは霧散してしまった。
グウェノは愕然としてあとずさる。
「……マルコ? お前」
「僕はもう宮廷魔術師のマルコじゃない。きみの幼馴染みでもない。半年ほど前に生まれ変わったんだよ、グウェノ。……大魔導士マーガスとしてね!」
突如、悪魔の楼台が火を噴いた。
デュプレはグウェノを庇って後退しつつ、炎の向こうを睨みつける。
「やはり貴様がマーガスか!」
「ハハハッ! よくここまで来られたものだね。きみたちはいい実験台になりそうだ」
マーガスとして高笑いを響かせているのは、紛れもなくマルコの声だった。
信じられない。信じたくもない。
「嘘だろっ? あのマルコがこんな真似するわけ……」
だが、マルコは酷薄な笑みで野望を語る。
「合成モンスターはキマイラでひとまず完成したからね。次は人間をベースにと思って、手頃なサンプルを集めてたんだ。でも街のみんなじゃ、実験に耐えられなくてさあ」
「やめろ! やめてくれっ!」
グウェノは耳を塞ぎ、必死に拒絶した。それでも悪魔はマルコの顔で、マルコの声でグウェノを裏切る。
ジャドは躊躇うことなく剣を抜いた。
「大魔導士マーガスがグウェノのダチだったとはなァ。ちょいと気の毒だが……てめえの好きにされちゃあ、迷惑するやつが多いんでな」
アネッサも魔導杖を握り締め、果敢にもマーガスと対峙する。
「行方不明のあなたがこんなところにいるなんて……」
「お、おい? お前、マルコは極秘のって」
「グウェノには黙ってましたけど……マルコさんは半年ほど前、王都の魔導研究所から本や薬品を盗んで、行方知れずになってたんです」
「そいつがここに潜伏していたわけか」
デュプレの剣が地面を貫くと、衝撃波が走った。マルコには届かなかったが、悪魔の像は崩れ、炎の中へと沈む。
「グウェノ、お前はじっとしてろ。俺が片をつけてやる」
「う、ぁあう……」
声が声にならなかった。グウェノは動揺から立ちなおれず、ひとり竦む。
マルコを殺されて、いいはずがなかった。しかしマルコは大魔導士マーガスであり、シドニオのひとびとを実験台にしている。
「やれやれ、もう僕に勝った気でいるのかい?」
マルコが壁のレバーを引くと、大きいほうの扉が重々しく開いた。その闇の向こうから巨人のような合成モンスターが現れ、グウェノたちを見下ろす。
「人間をベースに作って成功した、第一弾さ。開発コードはヘラクレス!」
「……切り札のお出ましか!」
優に五メートルはある巨躯は、見る者を圧倒した。両手に鉈のような剣を持ち、がりがりと地面を削る。
マルコは自信満々にまくし立てた。
「正真正銘の化け物だよ、こいつは。人間の血を見るのが大好きなやつでね……せっかく集めたサンプルを殺しちゃうものだから、閉じ込めておいたんだ」
「チッ! こりゃ完全に狂ってやがるぜ」
さしものジャドもヘラクレスの異様に息を飲む。
「フン、でかけりゃいいってものじゃない。それを証明してや……む?」
ところがヘラクレスはデュプレの挑発に乗らず、マルコのほうを向いた。金具のめり込んだ顔でニタリと笑い、彼へと迫る。
「ハハハッ! そうさ……こいつは僕の言うことなんて……」
強烈な蹴りがマルコを直撃した。
「マ、マルコォッ!」
マルコの身体は弾き飛ばされ、薬品の山へと突っ込む。
「構えろ、グウェノ! こっちに来るぞ!」
「お……おう!」
デュプレの指示を受け、ようやくグウェノも弓を構えた。ヘラクレスの巨体を見据え、逃げるためではなく射撃のために間合いを取る。
(マルコのことはあとだ! 集中しろ!)
ヘラクレスが二本の剣を振りあげ、猛然と襲い掛かってきた。しかしすぐには大剣を叩きつけず、紫色のブレスを吐き出す。
「あれは毒です! みなさん、もっと離れてください!」
「ここは地下だぞ? どこに逃げろってんだァ?」
おそらくヘラクレスには人間並みの知恵があった。グウェノたちの頭上は猛毒のガスで覆われ、視界も奪われる。
にもかかわらず、デュプレは毅然と前に立った。
「パラディンの十八番ってのを見せてやろう。これが『我聖方陣』だッ!」
デュプレの盾が真っ白な輝きでパーティーを包み込む。そのフィールドによって猛毒のブレスは遮断され、後ろのグウェノらも凌ぐことができた。
「アネッサ、トルネードを!」
「はい!」
アネッサの魔法がつむじ風を起こし、残ったガスを払いのける。
ヘラクレスは今まさに剣を振りおろしつつあった。
「散開しろ! ジャド、お前は背後から狙え!」
「任せときな!」
阿吽の呼吸でメンバーは散り、ヘラクレスの巨体を包囲する。
ジャドのヒット・アンド・アウェイと一拍の間を置き、グウェノも矢を唸らせた。
「てめえと遊んでる暇はねえんだよ!」
高速の矢がヘラクレスの首筋や上腕を掠める。
「当たって!」
アネッサは杖に念を込め、ヘラクレスに目掛けて氷の槍を放った。それは剣で砕かれるも、敵の身体に冷気をまとわりつかせる。
「もう一発だ、やれ!」
「わかりました! アイシクル・エッジ!」
そこに同じ魔法を重ねることで、一帯の冷気が凝固した。
ヘラクレスの半身が氷結し、動きを鈍らせる。
「見掛け倒しもいいとこだぜェ!」
すかさずジャドが跳躍し、ヘラクレスの右手を斬り落とした。左の脇腹にはグウェノの矢が続けざまに命中し、ヘラクレスが蹲る。
「フ……相手が悪かったな」
盾を投げ捨て、デュプレは両手で大剣を握り締めた。我聖方陣と同じ聖なる力を剣に込め、敵の正面へと飛び込む。
「おおおおおッ!」
ヘラクレスの身体は脳天から股まで、真っ二つに裂けた。
紫色の血液が噴き出すも、毒素は我聖方陣によって浄化されていく。
「……ふう。片付いたか」
アネッサは胸を撫でおろし、ジャドは勝利に酔った。
「すごいんですね、パラディンって……びっくりしました」
「お前の魔法もなかなかのモンだったぜ。わかってきたじゃねェか」
一方、グウェノは幼馴染みのもとへ急ぐ。
「マルコ! しっかりしろっ!」
「ゲ、ゲホッ!」
グウェノに抱き起こされ、マルコは血のあぶくを吐いた。
どう見ても助かりそうにない。それでもグウェノはデュプレに懇願する。
「頼む! 治療を……アネッサでもいい、早く!」
「い、いいんだ……グウェノ」
消え入りそうな声だった。血まみれのマルコがグウェノを見詰め、懸命に微笑む。
「きみたちならヘラクレスを倒してくれると……あとは、がふっ、僕が罪を……わかっていたんだ。僕は禁忌を……はあ、犯してしまったんだって……」
隣でデュプレも屈み、マルコの顔を覗き込んだ。
「こうなるとわかって、ヘラクレスを解き放ったのか」
「その通りです。僕は、恐ろしいものを……」
彼の左手が石化しているのを見つけ、グウェノははっとする。
「お前もガーゴイル病だったのか?」
考えないようにしていただけで、その可能性はあった。マルコもあの日、メイアと一緒にモンスターの赤ん坊を世話したのだから。
今になって彼の目的も見えてくる。
「ずっと……ガーゴイル病の治療法を、探してたんだ……それで石のモンスターを作ってみたりして、ごほっ、新しい手足になればと、合成の分野にも……ぅぐ?」
「も、もう喋るな……喋らないでくれ、マルコ」
グウェノの瞳から大粒の涙が溢れた。メイアの苦しみとマルコの無念が、まるで十字架のように自分の背中へと圧し掛かってくる。
その右手が震えながらもグウェノの胸元を掴んだ。
「大事なことなんだ、聞いてくれ。向こうの部屋に、ふ、復元中のエリクサーがある。完成にはまだ三十年、掛かるけど……症状の進行を止めることはできるかもしれない」
声はどんどん小さくなっていく。
「あれをメイアに……そして、僕の代わりにフランドールの大穴へ」
「大穴に? あそこに何があるってんだ?」
「完全純度のエリクサーがあれば、メイアの石化もきっと……なぉ、る……」
不意に手から力が抜けた。デュプレが彼の瞼をそっと伏せてやる。
「……眠らせてやれ」
その死が信じられず、グウェノは弱々しくかぶりを振った。
「じ、冗談だろ? マルコが……いきなり帰ってきて、ガーゴイル病で、死んで……目ぇ開けてくれよ、マルコ! おじさんやおばさん……メイアになんて言えってんだ」
視界が涙の海に沈む。
「勝手に死んでんじゃねえよ、マルコォおおおおおっ!」
いくら声を張りあげても、幼馴染みはもう何も答えてくれなかった。
シドニオの空が晴れていく。
午後の七時を過ぎても、八月の空はまだ明るかった。古城の傍でグウェノとデュプレは焚き火を囲み、アネッサらが引きあげてくるのを待つ。
「少しは落ち着いたか? グウェノ」
「……悪ぃな。みっともねえとこばっか、見せちまって……」
「気にするな。俺もお前くらいの頃はそうだった」
グウェノの手には壊れた眼鏡と、マルコの手記があった。
それにはガーゴイル病を発症したこと、メイアも同じ運命を辿るであろうことが、悔恨とともに綴られている。大魔導士マーガスとして禁断の研究に明け暮れたのも、ガーゴイル病の治療法を求めてのことだった。
モンスターを石と融合させたのも、奇病のメカニズムを解き明かすため。そもそもガーゴイル病の症状は肉体と石の『合成』に近いという。
さらには四肢の移植を実現しようと、狂気じみた実験までおこなってしまった。街を出たはずのひとびとは城に捕らわれ、無残な姿に変わり果てている。
無論、マルコは『自分が助かりたい』というだけで非道に手を染めるような男ではなかった。おそらくは同じ奇病に冒されたメイアを救うために。
(あいつもきっとメイアのこと……)
つくづく自分の鈍さを思い知らされ、グウェノは焚き火の前でうなだれる。
「じきに気候も戻るだろう」
「ああ……暖炉の掃除しねえとな」
だが、十年にひとりの天才と称されたマルコでさえ、ガーゴイル病の治療法を確立することはできなかった。この半年を費やして、成果はエリクサーという霊薬の復元のみ。
デュプレが低い声に躊躇いを含めた。
「友人のことは残念だったが……この事件、どうにも腑に落ちんことがある」
「……なんだい? そりゃ」
「ひとりの魔導士に、夏を冬に変えるような真似ができると思うか?」
半年に渡って気候を変化させるなど、並みの芸当ではない。いくら魔導士として才能が抜きん出ていようと、不可能に違いなかった。
つまり今回の事件には何かしらの『裏』がある。
「あの研究所にしても、ひとりでどうこうできる代物ではない。……もっとも、こうなってしまっては確かめる術もないが」
「……だな。真実はマルコのみが知る、ってことか……」
やがてアネッサとジャドが荷物を抱え、戻ってきた。
「回収してきましたよ、グウェノ。これが『エリクサー』です」
マルコの手記によれば、もとはフランドールの大穴で見つかったものらしい。それがグランシード王国に渡り、魔導研究所に長らく保管されていた。
残念ながら経年劣化が見られ、効力も落ちている。しかしマルコによって、エリクサーは本来の純度を取り戻す工程の最中にあった。
ただし完全に復元するには、あと三十年も掛かる。
これで今すぐメイアの命を救えるかどうか、確率のうえでは五分五分だった。だからこそマルコは少しでも成功率を上げるべく、復元を進めていたのだろう。
だが仮に治ったとしても、石化した足は二度と戻らない。
親友の最期の言葉が脳裏で蘇る。
『あれをメイアに……そして、僕の代わりにフランドールの大穴へ』
『完全純度のエリクサーがあれば、メイアの石化もきっと……なぉ、る……』
唯一の希望はフランドールの大穴にあった。マルコの病んだ身体では行けずとも、グウェノなら完全純度のエリクサーを見つけ出せるかもしれない。
『フランドールの大穴では、これより純度の高いエリクサーも見つかってる。まだどこかに保存状態の良好なものもあるだろう』
手記にはそう記されていた。
焚き火の傍でジャドがいそいそと腰を降ろす。
「とにもかくにも任務は達成だな。研究所のあれはどうする? デュプレ」
「破壊するとも。いいな、アネッサ」
「はい。ですが……私の任務はまだ終わってません」
アネッサは押し黙り、報告用のノートを火にくべてしまった。
「……お前?」
「これで任務は失敗ですね」
大魔導士マーガスの研究の成果をグランシード王国に渡すわけにはいかない。使い走りのような彼女でも、今夜は己の正義に従った。
「安心してください。エリクサーの復元方法は引きあげましたので」
「……そっか。ありがとうな、アネッサ」
グウェノは夜空を仰ぎ、久しぶりの月に見惚れる。
「デュプレも、ジャドも。お前らのおかげだよ」
「フ……礼を言うには早いぞ。早く街に帰って、お前の恋人を助けてやらんとな」
「腹も減ったし、急ごうぜぇ」
あとはマルコの形見にすべてを託すのみ。
☆
翌朝にはメイアの緊急手術が始まった。
グウェノは酒場で必死に祈りながら、結果を待つ。
(もう充分だろ? 神様よぉ! メイアの命だけは持ってかねえでくれ!)
一時間ほどして、レオナルド医師が酒場へとやってきた。
「ふう……年寄りには応えるわい」
「せ、先生! メイアは?」
焦るしかないグウェノに対し、老医師はやり遂げた顔で微笑む。
「まったく素晴らしい薬を見つけてきおったのう。経過を見てみんことには、確かなことは言えんが……もう大丈夫じゃろうて。早ぅ行ってやれ」
「本当かよ? ありがとうな、先生!」
期待を胸に、グウェノは恋人の部屋へ急いだ。
「メイア!」
メイアは少しやつれながらも、柔らかい笑みを綻ばせる。
「グウェノ! 信じられないの……あんなに重かった足が、急に軽く……ちゃんと感覚も戻ってきて、夢みたいだわ……!」
彼女の足首は依然として石化したままだった。それでも症状の進行は止まったらしい。
「ほら、見て? 小指ならちょっとだけ動かせるのよ」
「すげえ……すげえよ、ハハッ! 治ったんだよ、こいつは!」
嬉しさが込みあげ、涙が溢れた。
マルコのひたむきな情熱が最後の最後で実を結んだのだ。メイアは歩けなくなってしまったものの、一命を取りとめ、もう石化に怯えずに済む。
喜びながらも、メイアは視線を落とした。
「……ごめんなさい、グウェノ。私、あなたにとても酷いことを……なのに、私のためにすごい薬まで見つけてくれて」
「いいじゃねえか、もう。助かったんならそれで」
そんな彼女を仰向かせて、グウェノは優しいキスを捧げる。
(メイアには話せねえよな。本当のことは……)
エリクサーはマルコがメイアのために復元したもの。ただし、そのために彼は外道に手を染め、殺戮を繰り返した。それを知れば、メイアは深く傷つくとともに、罪悪感に押し潰されてしまうだろう。
メイアが自分の足首を撫で、ぽつりと呟く。
「足はこのままなのね。私……あなたの重荷になったりしないかしら、グウェノ」
「何言ってんだよ、負い目を感じるのはなしだぜ。……それによ」
未完成とはいえ霊薬のおかげで、彼女の命は救われた。しかしここで終わっては、マルコの最後の望みを無下にすることになる。
「聞いてくれ、メイア。その足……ひょっとすっと元に戻せるかもしれねえんだ。もっと純度の高いエリクサーがありゃあな。で、そいつはフランドールの大穴にある」
「グウェノ? あなた、それって……」
覚悟は今、決まった。
「待っててくれ。オレ、フランドールの大穴に行ってくるぜ」
グウェノの決意にメイアは顔を強張らせる。
「だ、だめよ! あんな危険なところに……私の足なら、もういいから」
フランドールの大穴には数々の『秘境』が待ち構えているという。冒険者たちの中には命を落とす者、帰ってこない者も多かった。
それでもグウェノは行かなければならない。親友との約束を果たすために。
ただ、今回の探索で有意義な経験もした。デュプレのようなベテランに比べれば、自分はまだまだ未熟者であって、これからも学ぶべきことは多い。
「心配すんなって。オレだって闇雲に探したりはしねえ。まずは力をつけて、情報を集めて……そんで、仲間も集めるんだ」
「本気なのね……グウェノ」
「ちょくちょく帰ってくっから、しょげんなって。あと」
寂しがり屋の恋人を抱き締め、グウェノは誓った。
「足が治っても治らなくっても、結婚だ。オレはお前じゃないとだめなんだからさ」
「……ふふっ、そうね。私もあなたとじゃないと、絶対に嫌だわ」
シドニオにもやっと夏が訪れる。
そして出発の朝がやってきた。
グウェノは薄着で荷物を抱え、デュプレらとともに八月の朝日を拝む。
「悪ぃな。オレまでついてくことになっちまって」
「構わんさ」
フランドールの大穴を目指して。今日からグウェノも一介の『冒険者』となる。
見送りには両親とレオナルド、もちろんメイアの一家も来てくれた。メイアはグウェノの亡き祖母の車椅子を借り、アネッサに押してもらう。
「無理しないでね、グウェノ」
「おうよ。アネッサ、メイアをよろしくな。当分はシドニオにいるんだろ?」
「お城務めは懲り懲りですから。メイアさんの経過も気になりますし、このたびの報酬を元手にして、ここでハーブ屋を開こうかと」
半年にも及ぶ冬を経て、シドニオは大魔導士マーガスから解放された。住民はすっかり減ってしまったものの、交易ルートの中継として、いずれ活気も戻るだろう。
グウェノたちはマーガス討伐の功労者として、グランシード王国より褒美をもらった。とはいえ『はした金』だけで、勲章のひとつもない。
そのうち自分の取り分を、グウェノはメイアの両親に譲った。
「本当にいいのかい? グウェノくん。きみの報酬なのに」
「メイアのために活用してくれよ。家の改装だって必要だろーしさ」
旅立つ自分が恋人にしてやれるのは、この程度。
結局、大魔導士マーガスを倒したのは自国の元騎士と宮廷魔術師、民間人だった。優秀な人材を確保したいという王国の思惑は空振りに終わっている。
それどころか、領内の逆賊を半年も放置したことで、信用を落としてしまった。タブリス王国の二番煎じは大失敗となる。
「必ず生きて帰ってくるんじゃぞ、グウェノ」
「……ああ。約束する」
レオナルド医師にだけは今回の真相をすべて話した。いずれメイアたちには、彼の口から『マルコは事故で亡くなった』と伝えてもらうことになっている。
古城の方角を見上げ、グウェノは亡き親友に誓った。
(オレに任せとけって、マルコ。霊薬のひとつやふたつ、すぐ見つけてやっからさ)
いつまでも故郷と名残を惜しんでいると、ジャドが急かす。
「そろそろ行こうぜ、グウェノ」
「おう! じゃあな、メイア! みんなも元気で!」
追いかけられない分も込めて、メイアが声を張りあげた。
「あなたもね! 私、待ってるからぁー!」
夏の朝、ひとりの青年が旅立つ。
その後も彼はシドニオとフランドールの大穴を行き来しつつ、霊薬の情報を集める。トレジャーハンターとしての技術も身に着け、やがて一人前となった。
そして二十二の春、運命的な出会いを果たす。
「よう、兄さんたち! 手配モンスターで一稼ぎってんなら、オレも混ぜてくれよ。オレはトレジャーハンターのグウェノってんだけどさあ……」
大柄なモンク僧と不愛想な剣士。彼らもまたフランドールの大穴を目指していた。
「拙僧の名はハイン。よろしくな、グウェノ殿」
「……俺はセリアスだ」
冒険者は集う。
汝、タリスマンを求めよ。
富を欲すなら、その手を伸ばせ。名声を欲すなら、その手で掴め。
To Be Continued ~忘却のタリスマン~
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