閉ざされた冬の街~グウェノの青春~(前編)

 山間の街シドニオ。それは田舎にしては小さくなかったが、都会というほど大きくもなかった。主要都市の中継点に位置し、旅人に食事や宿などを提供している。

 街の北には寂れた古城が静かに佇んでいた。『シドニオの古城』と呼ばれるも、その歴史は街の住人でさえ知らない。

 地方領主が建てたもの――それが通説だった。

しかし一領主の別荘にしては豪奢なうえ、建築様式が大陸のものと一致しない。ある学者はこの城を二年も掛けて徹底的に調べあげ、こう結論づけた。

 

 ひとが住む城ではない。これは迷宮だ。

決して近づいてはならぬ。

 

 たまに好奇心旺盛な旅人が立ち寄るものの、モンスターが出る程度で大したものは見つかっていない。シドニオの住民も期待しておらず、調査はとっくに打ち切られた。

 だが半年前、何者かが古城に住み着いた。彼は偉大なる大魔導士マーガスと名乗り、シドニオへと魔の手を伸ばしてきたのだ。

 その邪悪な力によって、シドニオの気候は激変した。春が訪れず、冬のように寒い日が続く。作物は育たず、家畜が痩せ衰えるのも当然だった。

 モンスターも増え、シドニオは生活圏もろとも生存圏を脅かされつつある。

 住民はひとり、またひとりと街を去った。あちこちに空き家だけが残されている。

 そこでグランシード王国は大魔導士マーガス討伐のお触れを出した。

 マーガスを打ち倒した者には栄誉を与える、と。

 奇しくもシドニオはかの『フランドールの大穴』へのルート上にあり、旅人は後を絶たない。腕自慢の冒険者たちもまた街を訪れ、一度はお触れに目を向けた。

「へえ……肩慣らしにやってみっかな」

「やめとけ。それより大穴だ、急がねえと出遅れちまうぞ」

 しかし王国の予想とは裏腹に、彼らは古城に興味を示さない。

 お触れが出てからも状況は好転せず、二ヵ月が経った。

 

 大魔導士マーガスとやらのせいでシドニオは日がな一日冷え込む。

 街一番の酒場は暖炉を焚き、今夜も血気盛んな冒険者たちを迎えていた。街がこのような状況にあっても、旅人向けの宿泊施設や娯楽施設は例年になく繁盛している。

 それもこれも『フランドールの大穴』のおかげだった。今や大陸じゅうの冒険者が大穴へと集まり、成果を競いあっている。

 古の魔法が発見されたとか、珍しい鉱石が見つかったとか。フランドールの大穴については続々と新発見が報じられ、世間の関心も高まっていた。

 久しぶりに実家の酒場へと帰ってきた息子は、手伝いに駆り出される。

「グウェノ! それは1番テーブルだよ。あんた、うちの仕事を忘れちまったのかい?」

「わかってるって。……ったく、こういうのは『要領』ってのがあるじゃねえか」

 グウェノ、十九歳。

退屈な暮らしに飽きては故郷を飛び出し、何ヶ月かしたら戻ってくる――成人を前にしてもふらふらしており、これには母親も参っていた。

「マルコくんは王都で宮廷魔術師になったってのに、あんたは……そんな調子じゃ、今にメイアちゃんにも愛想尽かれちまうよ?」

一方で、父親は道楽息子を諫めることをしない。

「お前は一言多いぞ。グウェノにも考えがあるんだ、放っておけ」

「あんたがビシッと言ってくれないから、この子は……と、お鍋、お鍋!」

 グウェノが気軽に実家に帰ってこられるのは、父との関係が良好なおかげもあった。自分の息子にはいたずらに期待を掛けず、余所の子と比較するわけでもない。

趣味や嗜好は正反対にしても、グウェノはこの父が気に入っていた。

「うちを継ぐってんなら、それでもいいぞ? まあ、お前に酒の味がわかるようになってからだが……ゆっくり考えるといい」

「親父はまだまだ現役だろ」

 ひとり息子は父親に茶々を入れながら、手際よく酒を運ぶ。子どもの頃からこの酒場で手伝いをしていることもあり、愛想のよさには自信があった。

「兄ちゃん、フランドールの大穴へ行くってんなら、ついでに連れてってやるぜ?」

「大した距離じゃねえから、ひとりで大丈夫だって」

 大柄な戦士にも物怖じせず、気さくな笑みを浮かべる。

 その割に頭の中では計算が働いていた。

(どうせならもっと、なあ……)

 冒険者には見掛け倒しも多い。目の前の酔っ払いとともにフランドールの大穴に入ったところで、並み以下に埋没するのがオチだろう。

 それにグウェノに野望はなかった。フランドールの大穴とやらで一発を当てるより、堅実な方法で独立したい。そのことに父も気付いているからこそ、何も言わなかった。

(やっぱ前の港町かな。早いとこメイアを説得して、戻らねえと)

 すべては幼馴染みのため。恋人のため。

「そういや、スタルドはお姫さんが女王に即位したんだってな。なんつったっけ……」

「異変があったのって、三、四年前だよな? 結局、あれは何だったんだ」

 噂話に耳を傾けつつ、ふとグウェノは隅のテーブルに目を留める。

 そこでは冒険者が二対二でポーカーに興じていた。グラスの下には掛け金らしい紙幣が敷かれている。

「フルハウスだ! 悪ぃな、こいつもいただきだ」

「……ふむ」

 軽装のコンビは序盤こそ負けが込んでいたものの、徐々に勝ちをあげてきた。それに対し、強面の騎士と猫背の男という見慣れないコンビは、黙々とカードを眺めている。

「どうだ? ジャド」

「さっぱりだ。ついてねえ」

 猫背の男は勝負を捨て、カードをばらまいた。

「ご注文の蒸し焼きっすよー。冷めないうちに、どうぞ」

 酒の肴を提供するついでに、グウェノは彼らのカードを盗み見る。そして、やけに強気な男の『腕』にあるものを見つけた。

(やれやれ……兄さんら、イカサマされてっぜ?)

 男が多い場所では大抵ギャンブルがおこなわれる。無論、タチの悪いイカサマが横行することもあった。下手に関わるまいと、グウェノは気付かないふりに徹する。

 ところが、騎士の男がいきなり対戦相手の左腕を締めあげた。

「あいてえっ? な、何すんだよ、てめ……」

 相棒はにやりと歯を光らせる。

「古典的な手じゃねえか。そんなこったろうと思ってたがなァ」

 ポーカーの相手は袖の中に強いカードを隠し持っていたのだ。エースにキング、はてはジョーカーまで。強面の騎士はぎりぎりと手に力を込める。

「素直に引きさがるなら、見逃してやる」

「わ、わかった! おれたちの負けだ、放してくれ」

 イカサマ犯たちは慌てて金を置くと、一目散に店を飛び出していった。

 騎士の男が戦利品の一部をグウェノに差し出す。

「やつらが飲み食いした分だ。取っておけ」

「あ、どうも……」

 一瞬の出来事にグウェノは呆気に取られた。

 イカサマ犯が反抗もせずに逃げたのは、彼にそれだけの凄みを感じたからだろう。猫背の男が笑いを堪え、強面の騎士はやれやれと溜息をつく。

「お前は気付いていたな? ジャド」

「余興だよ、余興」

 デュプレとジャド。彼らにはほかの冒険者にはない、余裕めいた貫録が感じられた。デュプレは女将(グウェノの母)を呼び、意外な注文をつける。

「おい! この小僧を借りるぞ」

「そんなら、もっと美味いもんをオーダーしてもらわないとねえ」

「ふ……じゃあ、今夜の勝ち分でボトルでも開けるとするか。ジャド、任せる」

「おうよ。いい酒もあるもんで気になってたんだ」

 店で一番高い酒とともにグウェノは席につくことになってしまった。

「オレ、未成年なんだけど……なんで?」

「飲めないのか。残念だな」

 デュプレとジャドだけで乾杯し、美酒を煽る。

「……いい酒だ。っと、お前には礼をしようと思ってな」

 香りの強い息を吐いてから、デュプレはグウェノを見据えた。

「賭けは暇潰し程度だったんだ、勝ち負けは考えていなかった。だが、お前の『視線』が俺にイカサマを教えてくれた。目は口ほどに……いや、口よりもモノを言うだろう?」

 確かにグウェノはイカサマに気付き、デュプレに『視線』を飛ばしている。

「違ってたら、どうする気だったんだよ?」

「間違いはせん」

 酒を飲むにしても、彼は腰に剣をさげていた。少し椅子を引き、いつでも剣を抜ける姿勢を保っている。相棒のジャドにしても隙がなかった。

(こいつらは『本物』みてえだな)

 酒場で数多の冒険者を見てきたこともあって、直感する。デュプレとジャドは力の誇示こそしないが、だからこそ秘めたる実力を確信せずにいられなかった。

「お前も好きなだけ食え。俺の奢りだ」

「自分の家なんだけどな、この店」

 グウェノの脳裏で計算が走る。

(こりゃあ、一流の冒険者にあやかるチャンスかもしれねえぞ?)

 下心はあった。とはいえ、デュプレたちもグウェノの腹には勘付いているだろう。

 肴を齧りながら話すうち、彼らの目的も判明する。

「あんたらもフランドールの大穴か、やっぱ」

「あとは護衛と、な」

 デュプレとジャドもまたフランドールの大穴を目指し、このシドニオには骨休めに立ち寄っただけだった。前の仕事ではかなり稼いだという。

「おまえはずっとここに住んでんのか?」

「出てったり帰ってきたりだよ。新天地を探してるっつーか……」

 グウェノのほうは言葉を濁し、はぐらかした。

 恋人と一緒にシドニオを出て、新しい生活を始めたい。そのために酒場の息子は隣町を転々として、コネクションを広げていた。接客業以外の芸も増えつつある。

「この街では退屈みたいだな」

「そりゃそうだって。なんもないんだぜ? シドニオは」

 マーガスの件を別にしても、若者がシドニオを出たがるのは当然のことだった。幼馴染みのマルコも王都で進学し、宮廷魔術師の道に進んでいる。

 早くもデュプレがグラスを空けた。

「マーガスが怖くて出ていくわけではないのか」

「怖いっつーより迷惑っての? うちや武器屋なんかは客が増えていいけどさあ」

 この酒場の掲示板にもグランシード王国のお触れが張られている。

 

   大魔導士マーガスを討伐せし者に地位と富を約束する。

 

 マーガスを討伐せんとやってくる冒険者も、いないわけではなかった。しかし彼らは一度か二度、古城に足を踏み入れただけで終わる。

 ろくな稼ぎにならないからだ。

「地位と富っつーても、胡散臭いもんだぜ」

「……だろうな」

 お触れにしても、グランシード王国の思惑は明らかだった。

 フランドールの大穴にひとが集まるにつれ、グランシード王国からは人材や資源が流出していくこととなる。それこそ大穴に『都市』でも完成しようものなら、タブリス王国が大陸の経済・交易を一挙に掌握する可能性もあった。

 そこに歯止めを掛けるべく、グランシードは大魔導士マーガスに目をつけた。このシドニオで冒険者を足止めし、フランドールの大穴の開発を妨げる腹積もりなのだ。

 そのためにシドニオには王国軍も派遣されず、八月でさえ真冬の寒さを強いられた。暖炉にくべられた薪が、ぱちっと火花を散らす。

「それはさておき……実を言うと、俺たちはこの街にも用があるんだ。グウェノ、お前はあの『城』へ行ったことはあるのか?」

「へ? ガキの頃に何度かな」

 シドニオの子どもであれば、一度は古城を探検していた。例に漏れずグウェノも幼馴染みのメイアやマルコを連れていき、両親にこっぴどく叱られている。

「あの城について知ってることがあるなら、教えてくれ」

「いいぜ。入り口はふたつあって……」

 やがて肴もなくなってしまった。ボトルの中身は半分ほど残っているものの、デュプレが栓をして、女将に『キープだ』と伝える。

「グウェノ……だったな。どうだ? オレたちと組まないか」

 思いもよらない提案を受け、グウェノは目を点にした。

「……オレと?」

「家の手伝いをしてるくらいだ、暇なんだろォ?」

「暇っつわれたら否定できねえなあ」

 古城の調査に当たって、どうやら地元の住民の手を借りたいらしい。城まで行き来するにせよ、物資を補充するにせよ、グウェノの協力があれば短時間で済む。

「いいぜ。あんたらとだったら、オレも損はしねえだろーし」

「決まりだ。明日は十時にこの店の前でな」

「ヒヒヒ! 夜更かししてんじゃねえぞ、小僧」

 デュプレとジャドが店を去る頃には、ほかの客も席を立ち始めていた。扉が開くと、粉雪の混じった夜風が吹き込む。

(こいつは面白くなるかもな。へへっ)

 屈強な騎士との出会い。酒場の息子は美味しい儲け話を期待し、やにさがった。

 

 翌朝、グウェノは薪を割りに行く。

 住民は減ったとはいえ、薪にできる木材も底を尽きつつあった。新たに森を切り開くにしても、シドニオの街にもはやそれだけの余裕はない。火を焚くのは食事を作る時か夜だけ、と皆で決めている。

「そろそろ王国軍が動いちゃくれねえかねぇ」

 にもかかわらず、グランシード王国はシドニオに救援を送ろうとしなかった。大魔導士マーガスが冒険者らの餌になる、と本気で思っているらしい。

(いざって時はメイアを連れて出るとして……親父と母さんはどうすんのかな)

 薪割りのついでにグウェノは幼馴染みの家を訪れた。ふたつ下で恋人のメイアは、今朝も花壇の手入れに勤しんでいる。

「この寒さじゃあ、咲くもんも咲かねえだろ、メイア」

「あら、グウェノ。別にいいじゃない。種はたくさんあるんだもの」

 家の手伝いをするか、街の子どもたちの面倒を見るのが、彼女の日課だった。教会学校の教師も街を去ったため、代わって子どもたちに読み書きを教えている。

「その顔……また面白いことでも見つけたの?」

「わかるか? へへっ、ちょっとな」

 グウェノにとっては自慢の恋人で、来年にもプロポーズするつもり。近隣の都市や港を飛びまわるのも、彼女と暮らす新天地を求めてのことだ。

(昔はあんなにオテンバだったのに、しおらしくなっちまって……)

 子どもの頃から一緒に過ごすうち、関係も進展した。昔の彼女にはなかった、落ち着き払った物腰が気に入っている。

「引っ越しの件、考えてくれたか? そろそろ『YES』って返事をくれよなあ」

「もう少しだけ考えさせて、グウェノ。街がこんなだから……」

 おとなしそうに見えて芯はしっかりしており、責任感も強かった。シドニオから『逃げ出す』ことをよしとせず、マーガスの件には胸を痛めている。

 だから、グウェノも強く出られなかった。

「ちぇっ。大魔導士だか何だか知らねえけど、邪魔しやがって。なあ?」

「もう半年だものね。いつまで冒険者任せでいるのかしら」

 事態は長引くとともに悪化し、限界は近い。最悪、マーガスのモンスターに街が襲われるような惨事も起こりかねなかった。

 グウェノがくしゃみを噛む。

「へっくし! ……寒いんだから、あんま出歩くんじゃねえぞ? メイアも」

「これが八月の気候だなんて、信じられないわ」

 花壇も土がならされるだけで、花が芽吹くことはなかった。

「そうだわ、グウェノ。町長さんの書状を持って、王都に要請してみるのはどう? 向こうにはマルコがいるはずでしょ」

「もう行ってきたさ。でも、マルコのやつが掴まんなくてよぉ……」

 グウェノたちには幼馴染みがもうひとりいる。

マルコはグウェノと同い年にして非凡な才能を持っていた。王都のアカデミーへと進学し、去年は十八という若さで宮廷魔術師に抜擢されている。

「オレもあいつに会ったの、もう二年前だぜ? オレたちのことなんて忘れて、ブイブイ言わせてんのかねえ」

「マルコはそんなに薄情じゃないわよ。あなたと違って」

「……へいへい。どうせオレは愛想だけが取り柄の男だっての」

 格の違いを感じながらも、グウェノはマルコの出世を喜ばしく思っていた。たまには顔を見せて欲しいが、忙しいのだろう。

「オレたちの結婚式にはあいつも呼ばねえとな」

「気が早いわね、もう」

 グウェノたちにとっては自慢の幼馴染みだった。

(マルコのことだし……ひょっとしたら、向こうで動いてくれてんのかも)

 薪を抱え、グウェノは踵を返す。

「そんじゃあな、メイア。おばさんたちによろしく」

「ええ。あなたも無茶はしないでね」

 それから店の掃除などをするうち、十時となった。

デュプレとジャドが現れ、グウェノも準備を済ませたうえで出迎える。

「時間ぴったりじゃねえか、あんたら」

「俺の美徳のひとつさ」

 曇り空を見上げ、ジャドは白い息を吐いた。

「いつになったら晴れんだよ? ここは」

「晴れねえよ。マーガスが魔法で大気に干渉してんだと」

 日がな一日雲に覆われているせいで、シドニオの街並みは暗い。

「さてと。そんじゃ……」

「待て。もうひとりいるんだ」

 待つこと数分、最後のメンバーとやらも合流した。やけに長い前髪で目元を隠し、格好は粗末な割に、値打ちモノの魔導杖を携えている。

「こいつはアネッサ。宮廷魔術師でな、オレたちの今回のクライアントでもある」

「依頼人だって? この子が?」

 グウェノとそう歳の変わらない彼女は、申し訳程度に頭をさげた。

「……こんにちは」

「おう。オレはグウェノってんだ、よろしく」

 ひとと話すのが苦手らしい。前髪の隙間では瞳がやたらときょろきょろしていた。

「上司からの指示で、あの古城を調査したいんだとさ」

「そいつはまた……貧乏くじ引いちまったんじゃねえのか? それ」

 このような辺境に宮廷魔術師が喜々としてやってくるわけがない。デュプレらも断りきれなかったようで、それぞれの溜息が落ちた。

「適当なところで切りあげて、さっさと大穴へ行くとしようぜぇ、デュプレ」

「そのつもりだ。アネッサ、悪いが、俺たちにも都合があるんでな」

「構いません。私も時間を掛ける気はありませんので……」

 面子も体裁も関係なしのグウェノは、軽く伸びをする。

「さあ行こうぜ」

「うむ。とりあえずは正面から……」

「あぁ、グウェノ! ここにいたんだね!」

 そこへ街の母親らが血相を変え、駆け込んできた。狼狽した様子でまくし立てる。

「うちの子があの城に行ったかもしれないんだ! 助けておくれ」

「なんだって? おばちゃん、詳しく教えてくれ」

 グウェノの表情にも緊張が走った。

 問題の少年は昨夜『マーガスを退治してやる』と息を巻いていたらしい。そして朝に姿を消し、この騒ぎとなった。

「きっと城に行っちまったんだよ! モンスターに襲われでもしたら……」

 焦るほかない母親を、グウェノはどうどうと鎮める。

「わかった。城のほうはオレが当たるから、おばちゃんたちは街ん中を探してくれ。かくれんぼしてるだけかもしんねえしさ」

「あ、ああ……頼んだよ、グウェノ。あんたはモンスターにも慣れてるからね」

 シドニオの住民はグウェノを酒場のどら息子と知る一方で、火急の際には頼りにした。勉強はさっぱりだが、サバイバル技術に精通し、弓の扱いにも長ける。

「すまねえ、デュプレ。案内はほかのやつに……」

「話はあとだ。急ぐぞ」

 グウェノはパーティーを抜けようとするものの、デュプレは城へと歩き始めた。

「俺とてガキを見捨てられるほど冷淡な人間じゃないからな。ジャド、お前も付き合え」

「しょうがねえなぁ……アネッサ、お前はここで待ってろ」

「いえ、私も行きますので」

 グウェノたちの一行は街を出て、北の古城を目指す。

 山道はところどころに雪が積もっていた。その上には小さな足跡が残されている。

「……チッ。ビンゴみてぇだな」

「子どもの足では時間が掛かるはずだ。走れ」

 スピードをあげてさらに進むと、雪を蹴ったらしい形跡があった。ジャドが屈んでそれを調べ、方向に見当をつける。

「ここでモンスターに見つかったか……こっちのけもの道に入ったな」

 グウェノは耳を澄ませて『それ』を聞いた。

「いたぜ!」

 木々の合間を駆け抜けながら、愛用の弓に矢を番える。

 少年は大木を背にして、岩のようなモンスターの群れに囲まれていた。グウェノの矢が間一髪で横切り、モンスターを驚かせる。

「……なんだ、ありゃ?」

「上出来だ! あとは俺とジャドに任せておけ!」

 奇怪なモンスターを不思議に思いつつ、グウェノは少年の保護にまわった。デュプレの剛剣は岩の硬さをものとせず、力任せに砕き割る。

 ジャドのほうは敵をひっくり返し、剥き出しの腹部を斬り裂いた。あっという間にモンスターを蹴散らし、グウェノやアネッサの出番がない。

「ヒュウ! やるじゃねえか、あんたら」

「準備運動にもならん。……ガキの具合はどうだ?」

「擦り傷だけです」

 少年は緊張の糸が切れたように泣き出した。

「うわぁああんっ! 怖かった……怖かったよぅ、グウェノお兄ちゃん!」

「ったく……心配掛けやがって」

それをアネッサが抱きかかえ、よしよしと宥める。

「許してあげてください。これからお母さんにも怒られるんですから」

「……まあな。そいつはオレも経験あっから、同情するぜ」

「悪ガキばっかりかぁ? おれ以下はそういないと思うがなあ」

「同じにするな。俺は昔から優等生だったぞ」

 グウェノ、デュプレ、ジャド、アネッサ。パーティーを組んでからまだ一時間と経っていないが、それなりに息は合っていた。

 ただモンスターの正体は気に掛かる。このような怪物、以前は見かけなかった。

(何が起こってんだ? この街で)

 古城のほうから冷たい風が吹きつけてくる。

 

 

 少年を街に連れ帰ってから、改めて古城の探索を始める。

 正門がフェイクであることは、シドニオの住民なら誰でも知っていた。グウェノを先頭にして、一行は地下の隠し通路を抜け、エントランスホールの隅に出る。

「へぇ~。中は綺麗なもんだな、オイ」

「だろ? だからずっと、誰か住んでんじゃねえかってさ」

 何十年と放ったらかしにされているにもかかわらず、城は朽ちてなどいなかった。

風通しがよく、空が晴れてさえいれば、陽当たりも良好だろう。壁面のタペストリーは色褪せながらも原型を維持している。

「一国の王城並みのスケールですね、これは」

「それにしちゃ、辺鄙なとこに建ってんだよなあ」

 この城は壮麗な造りだが、王侯貴族が権力の誇示のためや、豪遊の一環で住むような土地ではなかった。不便な山中にあり、戦略的な価値も低い。

 だからこそ『なぜここに建っているのか』がわからなかった。

 柱には何枚か張り紙が張られている。冒険者たちの情報交換の場らしい。

「ほかの連中も出入りはしてるようだな」

「で、大したもんがねえから、とっとと引き上げてくわけさ」

 掲示板には城内の簡単な見取り図や、モンスターについての情報が残されていた。アネッサが熱心にメモを取る。

「急ぐことはないぞ、アネッサ」

「はい」

 警戒がてら、グウェノは宮廷魔術師の彼女に尋ねてみた。

「なあ、あんたも王都で働いてんだろ? マルコって魔術師を知らねえかな」

「マルコ……確か、このシドニオ出身の」

「それだよ、それ。前に王都に行った時は会えなくてさ」

 アネッサは手を止めて、思わせぶりに頷く。

「有名人でしたよ。十年に一度の天才と言われて、陛下がお声を掛けるほどでして」

「さすがだなあ……って、待てよ。『でした』ってのはどういう意味だ?」

「もう王都にいらっしゃらないんです。極秘任務だそうで……」

 意外な事実に唖然としてしまった。極秘の任務であれば、あの律儀な幼馴染みが自分たちに一言もなしに出発したのも、納得はできる。

(んな調子で大丈夫なのかよ、あいつ……真面目すぎんだよなあ、昔っから)

 しばらくしてアネッサが作業を終え、一行は探索を再開した。

 さっきも外で遭遇したモンスターが行く手を遮る。

「またこいつらか。いくぞ、ジャド」

「ちっ。面倒くせえなァ」

 前衛はデュプレとジャドが務め、敵を寄せつけなかった。グウェノは後ろから弓で援護し、アネッサはトルネードの魔法を放つ。

「撃ちますッ!」

 モンスターの群れは暴風に晒され、転がるようにひっくり返った。

デュプレは剣を突き立てるまでもなく、豪快に蹴り飛ばす。

「いい判断だったぞ、アネッサ。モンスターは初めてというわけでもないのか」

「専攻は魔物学ですから、少しは……それより気になりませんか?」

 敵を一掃してから、アネッサはモンスターの亡骸を注意深く覗き込んだ。

「おそらくこれは『合成』で作られた魔物です」

 岩と蜘蛛を合わせたような怪物は、自然に発生するものではない。何者かが人為的・魔導的に手を加え、作り出されたものだった。

 デュプレが眉を顰める。

「だとすると……ほかの連中は深入りを避けて、シドニオを離れたか……」

 自分では考えもしなかった事実にグウェノは面食らった。

「待ってくれよ! じゃあ、なんだ? こいつらをマーガスが?」

「そう考えるのが妥当だろう。やつはここでモンスターの『合成』に夢中らしいぞ」

 博識なアネッサもデュプレに口を揃える。

「モンスターの合成は禁忌とされています。これを研究したくて、マーガスはこんなところに居を構えたのかもしれません」

「なるほど……」

 おかげで、グウェノにも事件の全貌が見えてきた。

 この城で大魔導士マーガスは禁断の領域に手を出している。それは魔物を合成し、異形のモンスターを作り出すというものだった。

「でも、まさかな……何もシドニオみたいな田舎で、んな大それたこと」

 真に受ける気にはなれず、グウェノは能天気にぼやく。

 すると、ジャドがグウェノの耳元で声を潜めた。

「思ったことをまんま口にするんじゃねえよ、グウェノ。アネッサはグランシードのまわし者かもしれねえんだぜ?」

「……!」

 マーガスの所業を本国が未だ把握していない、とも限らない。

とすれば、アネッサの『調査』には黒い思惑も見え隠れした。何にせよ、彼女の前で下手なことは言わないほうが利口だろう。

 グウェノは笑みを作り、話題を切り替えた。

「……にしても、デュプレもジャドも強ぇじゃねえか」

「お前の弓もなかなかのものだ。正直、戦力としては期待してなかったんだが」

 デュプレのフルプレートには一角獣の紋章が刻まれている。聖騎士『パラディン』の証のひとつで、まさしくエリートならではの称号だった。

 そのはずが、彼は正規の騎士団を離れ、冒険者稼業などに勤しんでいる。

「あんた、グランシードの騎士様だよな? なんだってまた……」

「フッ……お国のための騎士道が馬鹿馬鹿しくなったのさ」

 パラディンには弱きを助け、悪を挫くというイメージがあった。少年なら誰しも一度は憧れるものであり、グウェノにもマルコと騎士ごっこに興じていた幼少期がある。

 だが、現実のパラディンは世知辛いものらしい。

「見栄っ張りの貴族に『ああしろ、こうしろ』と命令されるだけの日々でな。上では責任転嫁と事なかれ主義が横行し、しわ寄せは下にやってくる。やっとのことでパラディンになったところで、何も変わらなかった」

「そんで嫌気が差して退団、ってわけか……」

「まともなやつなら、それでも我慢するんだがな。俺の性には合わん」

 自由を求めることが『まともでない』あたり、王国騎士団でも組織的な腐敗は進んでいた。そのために優秀な人材を流出させているのだから、呆れもする。

「ジャドは? あんたは別にエリートコースだったわけでもないんだろ?」

「話すようなことじゃねえ。詮索屋は嫌われるぜ」

「っと、それもそっか」

 その後も探索を続け、グウェノたちの一行は大きな壁画へと辿り着いた。中央で縦に割れており、開く仕組みらしいことはわかる。

「こんな絵があったのか……蛇だらけだぜ。わかるか? アネッサ」

 右にはおぞましい形相の女性と、無数の蛇がうねうねと描かれていた。

「これはメデューサという怪物ですね。フランドールの大穴では目撃もされています」

 対し、右には大盾を持った戦士が描かれている。

「目を合わせたら石になってしまう、とかいう話だな。だから、この男は盾でメデューサの顔を見ないようにしてるんだ」

「ふーん。そーいや、マルコがそんな話してたっけ……」

 ふと一対の窪みが目についた。何かを嵌め込むものらしい。

 壁画にはメッセージも記されている。

『ふたつの鍵を揃えよ。さすれば門は開かれん』

意味深な壁画を見上げ、デュプレは腕組みを深めた。

「……気にいらんな」

「何がだよ?」

「これ見よがしだと思わんか。わざわざこうして侵入者を案内するか?」

 城に立てこもるつもりなら、敵にヒントを与えるはずがない。それこそ隠し部屋にでも身を潜め、やり過ごそうとするだろう。

そもそもこの壁画の向こうにマーガスがいなかったり、鍵自体が存在しない可能性もあった。城の仕掛けを利用せずとも、潜伏の方法はある。

「もう少し調べてみて、ほかにルートがないようなら、こいつに当たるとするか。しっかりマッピングしておいてくれ、ジャド」

「言われるまでもねぇよ。そいつがおれの仕事だからなァ」

 ジャドは見取り図を描き加えながら、慎重に壁画を調べまわった。

 戦士タイプのデュプレ、魔法使いのアネッサ、トレジャーハンターのジャド。古城の探索にあたって、編成はバランスが取れていた。

「トレジャーハンターかあ……」

 何気なしに呟くと、デュプレが強面なりにはにかむ。

「お前も向いてると思うぞ、グウェノ。ジャドの仕事をよく見ておけ」

「ケケケ! 簡単に真似されちゃあ、おれも立場ねえっての」

 ひとまず壁画は後まわしにして、一行は城を東へと進んだ。壁画のメッセージを鵜呑みにするつもりはないが、当面は『鍵』を探すことに。

 細長い回廊にて、小さな人影がグウェノたちの前に現れた。

「ん? ありゃあ……まさかゴブリンか?」

 人型タイプのモンスターとは戦闘経験がないグウェノは、敵の姿にたじろぐ。

 知恵を持ち、武器を扱うというだけでも、人型タイプは厄介な相手だった。デュプレも油断せず、警戒を怠らない。

「気をつけろ。一匹とは限らん」

 ゴブリンは小鬼とも呼ばれ、人間に本能的な敵愾心を持っていた。しかし目の前のゴブリンは丸腰のうえ、襲ってくる気配はなく、苦しそうに喉を押さえる。

「ウッ、ウウウ……助ケ、テ……助ケテクレェ……!」

「様子が変です。もっと離れてください」

 グウェノは弓を引き、奇妙なゴブリンへと狙いをつけた。

 ところが急にゴブリンの背中が裂け、得体の知れないシルエットが飛び出す。

「なっ、なんだあ?」

 驚いた拍子に力が抜け、矢は外れてしまった。

「やるぞ、ジャド! お前はゴブリンを片付けろ!」

「黒いやつは任せたぜェ、デュプレ!」

 続けざまにジャドが低い姿勢で駆け、ゴブリンの片足を撥ねる。それでも真っ黒な魔物は動じず、魔法の詠唱を始めた。

 アネッサが呪文封じを重ねるも、弾かれる。

「だめです! 抵抗されました!」

「構わん! この手のモンスターには……こいつが効く!」

 そんな正体不明の敵にも臆さず、デュプレは両刃の剣を突き立てた。パラディンならではの光の力が剣を通じ、魔物を直撃する。

 黒い影は霧散し、ゴブリンの亡骸だけが残った。

「なんだったんだ? さっきの……ゴブリンってのは、あーいうもんなのかい?」

「まさか。俺もこんなやつは初めてだぞ」

 アネッサがはっとする。

「これも……合成モンスターじゃないでしょうか」

「かもなァ。デュプレ、こいつは『失敗作』なんだろうぜ、多分」

 ゴブリンは合成実験のために連れてこられた。そして廃棄された。そう考えると、辻褄が合ってしまうのが恐ろしい。

「マーガスって野郎はここで、そんな真似を……」

「思ったより深刻な事態のようだ。夏を冬に変えるだけのことはあるぞ」

 グウェノとて故郷や家族を想う気持ちはあった。シドニオには大切な恋人もいる。

 よほどのことにならない限り、王国軍は今後も動かないだろう。冒険者たちは巻き添えを食うまいと、無視を決め込んでいる。

 この事件を解決できるのは、自分たちだけ。

「なあ、アネッサ。お前の調査ってやつ、オレにも付き合わせてくれねえかな」

「……グウェノ?」

 アネッサは戸惑い、前髪で隠れがちな顔をあげた。

 グウェノの言葉が力を込める。

「知りたいんだよ、オレも。この城で何が起こってんのか、なんでオレの街がこんな目に遭ってんのか、その真実を……いいや、知らなくちゃならねえんだ」

 柄にもないのはわかっている、それでもシドニオを守るために。

 デュプレが破顔した。

「熱くなるのも結構だが、今日のところは引きあげるぞ。限界だろう? アネッサ」

「え? 私はまだ大丈夫です」

 ジャドはチッ、チッと指を振る。

「素人はプロの言うことを聞くもんだぜ。朝からずっと歩きっ放しだからなァ」

 これから街まで、来た時と同じ距離を戻らなくてはならなかった。旅慣れしているグウェノは余裕があるものの、インドア派のアネッサは体力面に不安がある。

「一日や二日ではまわりきれんさ。なぁに、焦ることはない」

「そうですね……わかりました」

 グウェノたちは無理せずに引きあげ、一日目の探索を終えた。

 

 夜は実家の酒場で、仲間たちに得意の手料理を振る舞う。

「ほう……大したものだ」

 具だくさんのシチューを前にして、デュプレは感心気味に目を見開いた。アネッサも驚き、どれから手をつけるべきか迷っている。

「これ全部、本当にグウェノが作ったんですか?」

「おう! 昔っから店の手伝いしてたし、ひとりであちこちまわってるうちに、な」

 料理には自信があった。各地でレシピを集めるのも、今では趣味となっている。

 また、酒場は何かと冒険者が集まるため、食材の仕入れなどは王国の輸送隊が融通してくれていた。おかげで、この状況下でも実家は営業を続けていられる。

「そこの鍛冶屋の腕も悪くない。魔法屋がないのは残念だが……」

「前はハーブ屋が売ってたんだよ。旅人にさ」

「まあ、街がコレじゃなあ」

 八月だけあって陽は長いものの、外は冷え込んでいた。

暖炉が赤々と炎を揺らし、酒場を温める。

「――そんなわけでさ、親父、母さん。オレ、しばらく店を抜けるぜ」

 決意表明を伝えると案の定、母のほうは嘆息した。

「この忙しい時に……マーガスなんて、通りすがりの冒険者に任せりゃいいじゃないか」

「誰かがやらなきゃいけないんだよ。グウェノを信じてやろうじゃないか」

 しかし父は応援してくれる。

「お前も怪我せんようにな。息子を頼むよ、デュプレさん」

「了解だ」

 食事の席にはグウェノも加わり、今後の作戦を相談することに。

 古城は正面のルートが壁画によって塞がれていた。破壊して突入することは可能かもしれないが、その奥にマーガスが潜伏しているとは限らない。

「とりあえず『鍵』ってのを探そうぜ」

「まだ調べてないところも多いしな……明日以降の探索次第か」

 城の東西には塔もあった。まずは東の塔に目星をつけ、準備を進める。

「足らない触媒があるなら早めに言え。アネッサ」

「今のところは大丈夫です。さすがにマンドレイクは少ないですけど……」

 ああだこうだと相談していると、馴染みの客がやってきた。

「こんばんは、おじさん、おばさん」

「おやまあ、メイアちゃん!」

 恋人のメイアがグウェノを見つけ、よろよろと両手で包みを運ぶ。

「お城を探検してるって聞いたから。うちにあったスクロール、持ってきたの」

「いいのかよ? つーても、オレは使えねえんだけどな」

 それを受け取り、グウェノはアネッサとともに中身を確認した。メイアの父親が冒険者時代に集めた巻物のほか、マルコからの土産もある。

「無理はしないでね」

「そればっかだな、お前は。心配すんなって」

「でも胸騒ぎがするのよ。あのお城を見てると……」

 メイアはグウェノの手を握り、祈るように力を込めた。

 酒場の真中で居たたまれないのを、グウェノは苦笑いで誤魔化す。

「あ、あのよぉ……みんな見てっから」

「えっ? あ、ごめんなさい!」

 彼女も周囲の視線に気づき、顔を赤らめる。

 メイアは椅子の足に躓きながらも、早足で酒場を出ていった。ジャドが頬杖をつき、にやにやとグウェノをからかう。

「見せつけてくれんじゃねーか。ええ? 色男さんよォ」

「い、いいだろ? 別に。十九なんだから、そーいう相手がいたって……」

 デュプレは酒を味わいつつ、自嘲の笑みを浮かべた。

「俺は二十六だが、そんな相手はご無沙汰だぞ」

「素直に縁談を受けてりゃよかったんだよ、てめえは。団長の娘、だったんだろ?」

「そんなのと結婚したら一生、退団できんだろうが」

 ひとりだけ女子のアネッサは首を傾げる。

「私は十八なんですけど……そういうことには縁がなくて……」

「ひとそれぞれじゃねえの? マルコもそっち方面は疎かったしなあ」

 着の身着のままで研究に没頭する幼馴染みの姿が、ありありと目に浮かんだ。このアネッサにしても器量はよさそうなのに、容姿にまったく頓着しないのがいけない。

「で? さっきから笑ってるジャドは、どうなんだよ」

「面白ぇ話があると思うか?」

 ジャドはやにさがって、つまみを噛んだ。自分のことは話したがらない性分らしい。

「さてと。明日もあるし、そろそろお開きにすっか」

 シチューを平らげ、グウェノは先に席を立つ。

 それをデュプレが呼び止めた。

「グウェノ。少し気になったんだが……」

「なんだよ? デュプレ」

しかしはっきりとは言わずに口ごもる。

「……いや、なんでもない。矢の補充を忘れたりせんようにな」

「お、おう」

 ぎこちなさを不自然に思いつつ、グウェノは二階の自室へと戻った。

 

 

 翌日、翌々日と古城の探索は続く。

 東の塔の最上階で鐘を鳴らすと、地下への道が開かれた。下の階は書庫となっており、本棚には山ほどの書物が無造作に詰め込まれている。

 照明の魔法で照らしつつ、アネッサが適当な一冊を手に取った。

「魔物学の本ばかりですね……モンスターの研究に使ってるのでしょう」

 モンスターの生態調査、気候と魔物の関係、オークの戦史……など、タイトルからしても魔物の専門書であることが窺える。

「こっちのほうは割と新しいみたいだぜ」

 入り口に近い棚の本は、まだそれほど埃を被っていなかった。文字は読めないが、奇妙な図が内容を物語る。

「こいつは……犬を三匹合わせた場合ってことか?」

 その犬は頭がみっつもあった。合成モンスターの類と見て、間違いない。

「正気の沙汰とは思えねえなァ……何が楽しくて、こんなもんを調べてやがんだ?」

「ただの趣味なら結構だが。この事件、きな臭いものを感じるな」

 書庫の奥にはさらに下への階段があった。

グウェノたちは腹を括り、慎重な足の運びで降りていく。

「アネッサ、照明をもっと前へ」

「わかりました」

 グウェノも松明に火をつけようとするのを、ジャドが制した。

「やめとけ。上の本が燃えでもしたら、逃げ道がなくなっちまうからなァ」

「あ、そうか。悪ぃ」

「地下ではガスが漏れてることもあるし、粉じん爆発なんて例もある。英雄気取りの若い連中は、そんな凡ミスで命を落とすのさ」

 グウェノには考えも及ばなかったことで、感心させられる。

 デュプレやジャドは腕っ節が強いだけではなかった。的確な判断力を持ち、常にパーティーの安全を最優先とする。

「地下の装備は足らんな……少し早いが、戻るか」

「ああ。そうしようぜ」

 通路の途中でグウェノたちは踵を返した。

 ところが、何か大きなものが一行を追跡してくる。アネッサも勘付き、声を潜めた。

「デュプレ……後ろにモンスターが」

「わかっている。ここでは不利だ、急げ」

 早足で階段を昇り、最初の書庫まで戻ってくる。

 同じ階段を異形のモンスターも駆けあがり、咆哮を轟かせた。グウェノたちは反射的に振り向き、こわごわと目を強張らせる。

「な……なんだ、ありゃ?」

 それは獅子のようで、背中に巨大な蠍の尻尾がくっついていた。鋭利な牙とともに敵意を剥き出しにして、ぐるると唸る。

「マンティコアです!」

「説明してる場合かよ! 走れ、お前ら!」

 ジャドはアネッサを抱え、一目散に逃げ出した。

 マンティコアの尻尾が本棚を薙ぎ倒す。

「ジャドの判断は正しい。俺たちも逃げるぞ、グウェノ!」

「お、おう!」

 いかんせん地下の書庫では場所が悪すぎた。しんがりはデュプレが務め、スクロールでマンティコアを足止めする。

「デュプレ! ここの本は……」

「注文の多い依頼人様だ。心配するな」

 分厚い氷が壁となった。マンティコアの体当たりにも一度は耐える。

 その隙にグウェノたちは塔の一階へと脱出を果たした。それぞれが攻撃の体勢で、隠し階段の出口を取り囲む。

「やつが出てきたら、グウェノとアネッサで仕掛けろ」

「わかったぜ。……来やがったか!」

 マンティコアが頭を覗かせた瞬間、グウェノの矢が風を切った。

アネッサも躊躇わず、火炎の魔法で攻める。

 だが、グウェノの矢はマンティコアに牙で受け止められてしまった。アネッサの魔法は尻尾が奪い取って、逆に炎を帯びる。

「こ、こいつ……!」

「並みのバケモンじゃねえ、もっとさがれ!」

 マンティコアは後ろ足で地面を蹴り、跳びかかってきた。

尻尾の炎に気を取られ、こちらは逃げが多くなる。

「とにかく動きを止めんことには……ジャド、お前は後ろにまわれ!」

「期待はすんなよ、デュプレ!」

 広い場所へ逃げたことで、かえってマンティコアを捉えられなくなってしまった。四つ足ならではの俊敏さに加え、動体視力にも優れており、またも矢を弾かれる。

「どうなってんだ? 人間技じゃねえぞ」

「人間じゃねえだろーが!」

 ジャドは敵の背後を取るも、炎の尻尾に煽られては近づけなかった。

 正面ではデュプレがマンティコアの爪を捌いて、凌ぐ。

「なんという力だ! 俺も長くは持たんぞ!」

「生き物であることは変わらないはずです。急所さえ攻撃できれば、きっと……」

 アネッサの言葉にグウェノはふと閃いた。

「そうだぜ、見てくれはバケモンでも動物と同じ……。アネッサ、お前は『下』から攻めてくれ。オレは『上』からだ!」

「グウェノ? 何を」

 頭上へロープを投げ、中二階へと最短で飛び移る。

 その意図が伝わったのか、デュプレは大袈裟な動きで敵の目を引きつけてくれた。ジャドも右へ左へと動きまわり、マンティコアの注意をグウェノから逸らす。

「グレイブで突きあげんだよォ、アネッサ!」

「っ! わかりました!」

 やっとアネッサも敵の弱点に気付いた。

グレイブの魔法が地面を這い、マンティコアの真下へと潜り込む。それは尖った岩となって起きあがり、モンスターの腹部を奇襲した。

四つ足の獣は『平面』でしか獲物を補足できない。そのためにグレイブに対処できず、マンティコアは姿勢を崩した。

「今だ、グウェノ!」

「おうよ! 食らいやがれッ!」

 すかさずグウェノは狙いをつけ、マンティコアの尻尾の付け根を矢で貫く。

 蠍であれば、急所はその位置にあるはず。マンティコアはビクビクと痙攣し、つんのめった。その脳天に目掛けて、デュプレが大剣を振りおろす。

「ふんっ!」

 奇策が功を奏し、ようやくマンティコアを沈めることができた。

へなへなとジャドが尻餅をつく。

「なんとかなったか……ケッ。とんでもねえモンスターを作りやがって」

 グウェノも一階へ降り、両手を膝についた。

「こいつもマーガスの『作品』ってか」

「こんなもの、何のために……あら? これは……」

 マンティコアの亡骸からアネッサが赤い宝石を見つけ、拾い取る。この宝石でモンスターを制御していたのかもしれない。

「その形はひょっとすっと……アネッサ、オレにも見せてくれ」

 平たい三角形は壁画の窪みと一致しそうだった。

「鍵だぜ。こりゃあ」

「ふむ……そういえば、こいつの額にその宝石があったぞ」

 マンティコアが偶然拾って取り込んだ、とは考えにくい。おそらく大魔導士マーガスが合成の際、この宝石も混ぜたのだろう。

「……どういうこった?」

 グウェノたちは険しい表情を向かいあわせて、考え込む。

 どうやらマーガスは侵入者を壁画の向こうへ誘い込もうとしていた。東の塔に鍵の片方があったのだから、もう片方は西の塔にあるものと、見当もつく。

「直接聞いてみるしかないな」

 とにもかくにも次は西の塔と決まった。

「下の本はどうするんだ? アネッサ」

「何冊か持って帰ろうかと……すみません、お願いします」

 地下の書庫で書物を回収してから、グウェノたち一行は帰路につく。

 

 

 その夜、グウェノは恋人の部屋で寛いでいた。

「――って感じでさ」

探索の進捗を報告しつつ、柔らかい膝枕を堪能する。

「モンスターの合成だなんて想像できないわ。本当にあの城で、そんなことが?」

「ああ。早いとこ片付けねえと、街も寒いだけじゃ済まないぜ」

 シドニオにはかつてない危機が迫っていた。それはメイアも肌で感じているようで、真剣に耳を傾けてくれる。

「研究……もしかしたら、今も実験がおこなわれてるんじゃないかしら」

「だろうなぁ」

 おそらく城のどこかでマーガスは研究を続けていた。

すなわち、それはまだ研究が『完成』していないことを意味する。

「目標があるのよ、きっと。恐ろしい目的が……」

 メイアの言葉は確信に満ちていた。

 グランシード王国がどこまでマーガスの研究を把握しているかも、気に掛かる。王国軍を派遣しないのは、彼に好きなだけ研究させるため――といった邪推も成立した。研究が完成したところで、奪うこともできるのだから。

 いずれにせよ、シドニオを舞台とされるのは気に食わない。

「マーガスなんざ、さっさと追い出してやるよ。そしたら、お前の親父さんもオレのこと一人前って認めてくれんだろ」

「うふふ、グウェノったら。お父さんは意地を張りたいだけよ」

 別れの挨拶程度にキスをして、グウェノはすっくと立ちあがった。

「そんじゃあな。ちゃんと温かくして寝ろよ」

 メイアも起きあがろうとする。

「あ、そこまで送るわ。下にお父さんたちもいるし……きゃっ?」

ところが不意にバランスを崩し、倒れてしまった。

「何やってんだよ? しょうがねえなあ」

「……………」

 おっちょこちょいな恋人のため、グウェノは手を差し伸べる。しかし彼女はそれを取ろうとせず、青ざめた。右のくるぶしを押さえ、わなわなと瞳を震わせる。

「お、お前! ちょっと見せてみろ」

「だっ、だめ! なんでもないの、み……見ないでっ!」

 その足から毛糸の靴下を引っぺがし、グウェノも顔面蒼白になった。

 彼女の右足は石のように変わり果てていたのだ。左足でも同じ症状が進行している。

「おばさん、おじさん! すぐ来てくれ、メイアが……メイアの足がっ!」

 下の階から彼女の両親も駆けつけ、大騒ぎとなった。

「こ、これは……どうしたんだい、お前!」

「グウェノくん! きみは先生を呼んできてくれ!」

「お、おうっ! わかった!」

 グウェノは町医者のもとへ急ぐ。

「先生! メイアは? メイアはどうなんだよ?」

「お前は廊下で待っておれ」

 診察の間も気が気でならなかった。まさか、そんなわけがないと自分に繰り返し言い聞かせるも、強迫的な不安に押し潰されそうになる。

 廊下で待っていると、母親のものらしい嗚咽が聞こえてきた。

 部屋から老医者だけが出てきて、扉を閉ざす。

「せ、先生! オレも」

「今はそっとしておいてやれ。それより、お前にも話しておかんとな」

 グウェノとメイアが恋人同士であることは、医者の彼も前々から知っていた。だからこそ、残酷な現実をグウェノには突きつけられないと、口を開きかけては噤む。

「話してくれ、先生。覚悟はできてる」

「わかった。あの子は……ガーゴイル病を患っておるのじゃ」

 聞き覚えのない病名だった。

 ひとまずグウェノは彼の病院へと場所を変える。

「なんだい? そのガーゴイル病ってのは」

「どこじゃったか……お、この本じゃ。これを見てみい、グウェノ」

 医者は厚い医学書を開き、グウェノにあるページを読ませた。

 ガーゴイル病。それはモンスターから人間にのみ伝染する奇病で、身体が徐々に石化していくらしい。潜伏期間が長く、症状は突如として現れる。

「感染しても、一週間以内に適切な処置をすれば、問題はないのじゃが……」

「ひとからひとへは感染らねえんだな」

 潜伏期間はおよそ八年。石化が始まる頃には『手遅れ』だという。

 グウェノは頭を抱え、必死に八年前の記憶を辿った。

(モンスターから感染だって? んなこと、メイアがいつ……)

 そして十歳前後の頃のある思い出に行きつく。

 メイアは昔、怪我をしたモンスターの子どもを拾ったことがあった。グウェノは気味悪がって触らなかったが、マルコと一緒に手当てを施し、野に帰したのだ。その数日後、彼女は急に高熱を出して寝込んでいる。

「あの時か……!」

「心当たりがあるようじゃな」

 ガーゴイル病に感染したとすれば、ほかになかった。当時はこのレオナルド医師もまだ街におらず、ガーゴイル病の対処は何も施していない。

「こいつは治らねえのかっ? 先生!」

 一縷の望みを懸けて、グウェノは老医師に縋った。けれども医者は無念そうにかぶりを振り、言葉を絞り出す。

「ああなってしもうては、もはや不治の病じゃ。あの子も自覚はあったようでな……特にお前には、本当のことを言い出せなかったんじゃろうて」

 がつんと頭を殴られたような衝撃だった。

 メイアが自分と一緒に街を出たがらなかった理由も、これで察しがつく。

「オレのために、あいつはずっと……苦しんでたってのかよ……」

 なのに、自分は恋人との新生活に浮かれてばかりいた。その態度が彼女をどれだけ追い込んだか、想像するだけでも胸を締めつけられる。

「なんか方法があんだろ? 先生! なんだってやる! 教えてくれ! 頼むから教えてくれよ、あいつを助ける方法を!」

「……………」

 無言の医師に対し、いつしかグウェノは喚き散らしていた。

「嘘だと言ってくれよ、先生! なんでメイアなんだっ! なんで……なんでっ!」

 悲しみが心を涸らす。

 その夜も冷え込んで、八月なのに雪が降った。

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