スタルドの異変~若き日の戦い~(後編)

 城下町アイルバーンは大騒ぎになっていた。試練の塔が突如崩壊したため、ではないらしい。雨の中、あちこちで驚きと喜びの声が飛び交う。

「無事だったのかい、メアリー!」

「またお母さんに会えるなんて……助かったんだわ、私たち」

 元騎士団長のガウェインは城下の男らとともに誘導に当たっていた。うら若い女たちの給仕服を見て、ニッツは首を傾げる。

「ありゃあ、ひょっとして城の侍女じゃねえ?」

「どうしてメイドがこんなに……ガウェインさんに聞いてみよう」

 ガウェインはセリアスたちの帰還に気付くと、いそいそと杖を伝ってきた。

「冒険者殿! ものすごい衝撃だったぞ。大丈夫か?」

「まあ、なんとかな」

 セリアスは火傷を負い、ニッツはマントがずたずた。ウォレンも流血の跡を残し、消耗している。それでも塔の崩壊に巻き込まれずに済んだのは、運がよかった。

「あの塔では色々あったんだが……ガウェイン老、この騒ぎは一体?」

「わしも驚いたよ。城から女中たちが逃げてきおってな」

 騎士然とした風貌の女性が近づいてくる。

「ガウェイン様、そちらが例の?」

「うむ。とりあえずどこかで落ち着くとしようか。おぬしら、腹も減っただろう」

 ニッツはお腹を押さえ、参ったように苦笑した。

「今なら何だって入りそうだぜ。なあ? セリアス」

「ニッツに嫌いなものなんてあるのか?」

 かくいうセリアスも食事の提案にほっとする。塔での激闘を終え、生きて帰ってきたことに、だんだん実感が沸いてきた。

 セリアスたちは近くのレストランでガウェインのほか、三名の女騎士らと一緒に料理を囲む。彼女たちは手足に包帯を巻き、表情も沈むほどに弱っていた。

「ガウェイン老、こちらもスタルドの騎士団なんだろう?」

 ウォレンが尋ねると、中央の女性が起立で答える。

「われわれは四騎将エスメロード直属のスカーレット隊。……いや、それも一昨日までの話なのだが……」

 スカーレット隊は女性だけで編成され、その見目麗しさには国王スタルド4世も一目置いていたという。だが先日、エスメロードによって唐突に解散を言い渡された。

「あのお優しいエスメロード様が、急に豹変されてしまって……」

 スカーレット隊にとってエスメロードはよくできた指揮官だったらしい。セリアスたちは目配せで頷きあい、エスメロードの凶行については口を噤むことにした。

「まあ、おかげでゾンビ化は免れたってことだろ」

「それで……どこから逃げてきたんですか?」

 女騎士らは何も食べようとせず、少しずつ経緯を明かす。

 誰よりも早く危機を察したのは、カイン王子とのこと。彼はスカーレット隊とともに侍女らを連れ、王家にだけ伝わる秘密の通路を抜けてきた。

 あの絶壁の中には『洞窟』が通じているのだ。

 しかし追手に追われ、カイン王子はしんがりとして留まった。

「早く王子を助けに戻らねば……くうっ」

「無理をするな。その身体では満足に戦えやしないさ」

 スカーレット隊もまた侍女らを庇い、負傷したのだろう。塔で散々な目に遭ったセリアスたちよりも傷付き、疲弊している。

「いくらスタルドの至宝をお持ちとはいえ、おひとりでは……」

「……至宝?」

「そりゃまたご大層なモンがあるじゃねえの」

 意味深な言葉にセリアスとニッツは疑問符を重ねた。

 ガウェインが険しい表情で顎鬚を撫でる。

「スタルド王家に伝わる、聖なる星の盾。スターシールドだ」

 それこそが、スタルド王国が盾を象徴とする所以だった。国名もスターシールドから取ったようで、スカーレット隊のブレストプレートにも盾の紋様が刻まれている。

「そんなにすげえ盾なのかよ?」

「使うべき者が使えば、な。王子はスターシールドがお父上に対しての切り札となる、と判断されたのかもしれん」

 父の暴虐を食い止めるため、自ら行動に出た王子。そんな王子の勇敢さにスカーレット隊は感服し、付き従ったのだろう。

「僕たちが地下道で見つけた分を合わせれば、城の使用人は全員かな」

「若い女だけ取り残されていたわけか……」

 予想はついたが、あえてニッツは歯に衣着せずに言ってのけた。 

「大方、生贄にでもして『悪魔』とやらの機嫌を取るつもりだったんじゃねえの?」

「ニッツ! もう少し言い方ってのが」

 フォローしきれず、セリアスは顔を引き攣らせる。

 その一方で、スカーレット隊の面々は努めて冷静さを保っていた。

「そう気を遣わないでくれ。陛下が急に侍女の増員をご命令された時から、何かがおかしいと思っていたんだ」

 やはりスタルド4世には悪魔が憑いている。

 ただ、スカーレット隊はもうひとつ深刻な懸念を抱えていた。城の女性を助け出したにしては、重要な人物が足りない。

「ガウェイン様、報告が遅れましたが……姫様の行方がわからないのです」

「道理でミレーニア様をお見かけせんわけか。なんということだ……」

 スタルド王国の王女ミレーニア。父親が娘を手にかけるとは思えないが、到底楽観視などできなかった。最悪、生贄として捧げられる可能性すらある。

 ニッツがぼそぼそと声を潜めた。

「状況は悪くなる一方だぜェ? こいつは……」

「おれたちの話を合わせたら、もっとな」

 ウォレンの予感は間もなく的中する。

 スカーレット隊の報告が一段落したところで、ガウェインはこちらに視線を向けた。

「さて……次はおぬしらの番だ。あの塔で一体、何があった?」

 セリアスは躊躇いながらもバロンの手帳を差し出す。

「僕たちは塔で……四騎将のバロン、エスメロードと交戦しました」

「エスメロード様とっ?」

 俄かにスカーレット隊の顔色が変わった。

 彼女らの手前、正直に話すのは気が引ける。それを察してか、ニッツは詳細に触れることなく話を進めてくれた。

「そいつを読めば、大体のことはわかるぜ」

 ガウェインたちは順々にバロンの手記に目を通し、固唾を飲む。

「このサインは紛れもなくバロンのもの! で、では……陛下は本当に悪魔と」

「バロン様がこうなってしまわれたのでは、エスメロード様も……」

 乱心したとはいえ、まだ心のどこかで王を信じていたのだろう。それだけにショックは大きいようで、スカーレット隊は涙さえ滲ませた。

「われらのスタルドは、もう……」

「な、泣いてる場合か! カイン様は今も……」

 しかしウォレンははぐらかさず、これからの『敵』を見据える。

「残りの四騎将もいずれ立ちはだかってくるだろう。ガウェイン老、あなたの一番弟子とやらも、おそらく」

「……うむ」

 ガウェインは長い深呼吸のあと、呟いた。

「苦しんでおるようなら、おぬしらの手で楽にしてやってくれ」

 決して望んだわけではない言葉からは、悔しさがひしひしと伝わってくる。

「いや、オルグのことだけではない。おぬしらには昨日『陛下を連れてきてくれ』と頼んだが……改めて頼もう。われらの王を、スタルド4世を倒してはくれぬか」

 スカーレット隊の面々は『まさか』と驚愕した。

「ガウェイン様っ? 陛下を殺して欲しいなどと、し、正気ですか?」

「正気でなければ、このようなことは言えぬ」

 セリアスたちは押し黙り、アイコンタクトを相談に代える。

 あの時、四騎将のエスメロードは誇らしげに宣言した。

『これより我が王は異界の魔王すら従え、完全無欠の支配者としてお目覚めになるの。私の役目はその儀式が終わるまで、誰ひとりとして城へは近づけないこと』

 おそらくスタルド4世は城に立てこもり、さらなる災厄の準備を進めている。四騎将はその防衛を命じられ、塔にバロン隊とエスメロード隊を配置した。

「王殺しか……」

 ウォレンが不安を漏らす。

 事情はどうあれ国家元首を殺害しようものなら、大罪とみなされるのは当然のこと。事件が解決したあと、用済みとばかりに罪に問われる可能性はあった。

 それを承知のうえで、ニッツはニヒルな笑みを噛む。

「ここで手をこまねいてたって、巻き添えを食うだけだぜ。殺られる前に殺るってのは懸命な判断だと、オレみてぇな悪党は思うけどねェ」

 おかげでセリアスの腹も決まった。

「僕もニッツに賛成だ。スタルドの民にできないのなら、僕たちの手で……」

「決まりだな。ガウェイン老、王殺しの依頼、引き受けよう」

 冒険者たちの覚悟を目の当たりにして、ガウェインらは頭を垂れた。

「すまぬ。おぬしらにばかり命を懸けさせてしまって」

「私たちからも頼む。陛下を止めてくれ」

 見ず知らずの冒険者に頼るしかない無念のほどが、場の空気をより重くする。

 そのうえガウェインにはロイの件も話さなくてはならなかった。

「ガウェインさん、あの、もうひとついいですか?」

「ロイのことだろう? わかっておるとも。おぬしらだけで帰ってきたのだからな」

 すでに老騎士も察していたらしい。

 まだロイは一応生きているのだが、『呪いで蛇にされた』と話しては、エスメロードの悪行まで曝露する流れになりそうだった。ニッツは肩を竦め、匙を投げる。

「ああなっちまったもんは、どうしようもねえさ」

「……そうだね」

 ウォレンは腕組みを解き、今後の作戦を立て始めた。

「ひとまず今夜は休んで、明日に備えるとしよう。もしかしたら、カイン王子も城下町まで逃げ延びてくるかもしれん」

「行き違いになっても面倒だしなァ」

 満身創痍で急いだところで、無駄な犠牲を出しかねない。それに、今日のうちにまだ状況が動く可能性もある。カイン王子と合流できれば、展望も開けるはずだった。

「明日は王家の隠し通路を通って、城を目指すわけだね」

「ああ。追手を差し向けたくらいだ、スタルド4世も部下を置いてるとは思うが……」

 明日になったら、城の真下にある洞窟へ。

「そんじゃあ、さっさと食べるとすっか。もう冷めちまってるけど」

「この状況なんだ。贅沢は言えないさ」

「しっかり食っておけよ。ニッツ、セリアス」

 これが最後の晩餐とならないことを祈り、ささやかに乾杯する。

 

 その夜もまたセリアスはなかなか寝付けずにいた。照明はとっくに消したものの、ウォレンやニッツも思うところがあるようで、静かな雨の音に耳を傾けている。

「港で船に乗るだけのつもりが、とんでもねえ大役を任されちまったなァ……」

「まったくだ。本当なら今頃、海の上のはずだったんだが」

 スタルド王国の騎士や衛兵はゾンビにされてしまったため、通りすがりのセリアスたちしか、まともに戦える者がいなかった。

 城下にも男はいるが、彼らは家族を守ってやらなくてはならない。

 それだけにセリアスたちに課せられた責任は大きかった。

「僕らで勝てるのかな」

 失敗すれば、国外への脱出はおろか、もっと大勢の人間を巻き込むことになる。

「ヘルマの街の連中も気が気じゃないだろうな」

「そういや、オレたちゃ『行ったきり』になってんだっけ」

 スタルド王国の命運は今まさにセリアスたちに委ねられていた。

「王国がこんな有様じゃあ、謝礼も期待できねえぞ?」

「しかし事態を解決しないことには、アイルバーンから出ることもできん」

「腹を括って、やるしかないね」

 明日も熾烈な戦いとなるに違いない。四騎将もまだ半分が残っている。

 要人の消息も気がかりだった。

「カイン王子と、ミレーニア王女か……」

「お姫様は十五だってなァ。セリアス、しっかり恩を売っとけよぉ」

「そんな余裕はないさ。ウォレンはどうだか知らないけど」

 冗談も交えて話し込むうち、眠気が強くなってくる。

 スタルドの城下で過ごす、二度目の夜。雨は一晩じゅう降り続き、ひとびとの不安と恐怖を満遍なく煽るのだった。

 

 翌朝、セリアスたちは絶壁の麓で問題の洞窟を覗き込む。

「これを通っていけってか? ひえぇ」

 舗装などは一切施されていなかった。天然の洞穴そのもので、まともに上まで繋がっているかも怪しい。現に昨日の侍女らは『道なき道』を越えてきたはずで、給仕服が汚れたり、擦り切れたりしていた。

 午前十時まで待ってみたものの、カイン王子が出てくる気配はない。

「そろそろ行くか。セリアス、ニッツ、忘れ物はないな?」

「ああ。今日ですべてを終わらせよう」

「くれぐれも無理はするでないぞ。おぬしらには『逃げる権利』もあるのだ」

 ガウェインたちに見送られ、セリアスたちは洞窟へと足を踏み入れる。

 欠伸を噛みながらニッツがぼやいた。

「逃げる権利、ねえ……言ってくれるぜ、あのジイさん。今さらどこに逃げろって?」

「無関係のオレたちを巻き込んで、悪いと思ってるのさ」

 灯かりはセリアスが担当し、スクロールで手頃な光球を呼び出す。

 前方を照らすと、でこぼこの壁や天井が露になった。スカーレット隊にもらった地図を頼りに、セリアスたちはウォレンを先頭にして進む。

 後ろから意外な仲間が追ってきた。

「ん? ロイじゃないか」

 綺麗な緑色の蛇は、ガウェインの孫が変わり果てたもの。人間だった頃の感情や記憶がいくらか残っているのか、セリアスたちについてくる気らしい。

「好きにさせてやろうぜ。手は掛からねぇだろーし」

「だとさ。よかったな、お前」

 不思議と以前の彼よりも親近感が沸いた。

 蛇なら夜目が利くため、暗闇の中でも平気でいられるはず。この洞窟を突破するまで『保険』として連れ歩くのも、悪くない。

 改めてセリアスたちは前を向き、冷えきった空気をかき分けた。

「思った以上に入り組んでるな……足元に気をつけろよ、おまえたち」

「いい加減な地図描きやがって。縮尺も方角も滅茶苦茶だぜェ、こりゃあ」

 スカーレット隊にしても一度通り抜けただけの、秘密の通路。ゾンビ兵の待ち伏せはないようだが、魔物化したネズミやコウモリは巣食っていた。

 ニッツが魔法で火をかざし、コウモリを追い払う。

「この手の手合いは動物とそう変わらねえな」

「毒くらいは持ってるだろう。噛まれるんじゃないぞ」

 その後も無駄な消耗を避けながら、一行は少しずつ上へと登っていった。

「外の階段は地震でだめになったってのに……いきなり崩れたりしねえだろうな?」

「言わないでくれよ、ニッツ。僕まで不安になってくるじゃないか」

 何気ない会話の中、ウォレンが溜息をつく。

「地震があったのは、先月だそうだが……城下町も塔もさして影響はなかったようだな。おかしいとは思わないか」

 セリアスの脳裏でも閃きが走った。

「あの階段『だけ』が崩れた……ということだね、ウォレン」

「なぁるほど。そいつは『くせぇ』じゃねえの」

 階段が使えなければ、城までは塔を経由するほかない。それによって城の出入りを制限しつつ、スタルド4世は着々と準備を進めていたようだった。

「よくわからないな、この事件は……ゾンビ化してるのも騎士ばかりだし」

「ほかは戦力にならねぇからだろ。厨房のシェフをゾンビにしたところで、なあ」

 洞窟の中にいては時刻もわからず、距離の把握も難しくなってくる。地図の上では中間地点に近いようだが、実感はなかった。

 ウォレンが行く先で何かを見つけ、足を止める。

「あれはまさか……」

 セリアスとニッツも同じものをまざまざと見せつけられ、ひとつの望みが潰えたことを悟った。助けるつもりだったカイン王子の亡骸が横たわっていたのだ。

 彼はうつ伏せに倒れ、その背中を真っ赤な血で染めている。身体は硬くなってしまっていたが、まだ腐敗は進んでいなかった。死後一日といったところだろうか。

 惨たらしいさまから目を逸らさず、ニッツが検分を始める。

「魚の開きみたいにされちまいやがって、可哀想によ……こいつは即死だぜ」

 傍には王子のものらしい剣が落ちていた。

「ミスリルソードか。使えそうか? セリアス」

「どうかな……ここでいきなり持ち替えるのは、ちょっとね」

 そう言いつつ、セリアスは王子の形見を手に取ってみる。

 ミスリル製の武器は初めてで、その軽さには驚いた。ミスリル鉱は魔法との順応性が高いため、魔法剣も最大限に効果を発揮するだろう。

「城下の武具は騎士団が根こそぎ持っていきやがったからなあ……もらっちまえよ、セリアス。この王子様も納得してくれるさ」

「……ああ。この戦いが終わるまで、借りるとするよ」

 セリアスは眠れるカイン王子に黙祷を捧げ、ミスリルソードを受け取った。

 しかし肝心のスターシールドは見当たらない。

 ウォレンが周囲を警戒し、耳を澄ませる。

「それにしても妙だな。このあたりにはモンスターがいないようだが」

 背中の傷からしても、カイン王子は洞窟のモンスターに殺されたのではなかった。大きな刃物で、意図的に急所を『狙って』切り裂かれたらしい。その下手人がスターシールドを持ち去ったのだろう。

 ニッツが不敵な笑みで予告する。

「ヤバいやつが出てきたのさ。天敵が近づいてきたら、動物ってのはすぐに隠れたりするだろ? オレたち人間より生存本脳ってやつが敏感だからなァ」

 とはいえ蛇のロイはきょとんとするだけで、期待できそうになかった。

「ちゃんとついてきてたのか、こいつ……」

「そんなに怖がるなよ、ウォレン。ロイは噛んだりしないさ」

 ウォレンを茶化しつつ、セリアスは背後に異様な気配を感じる。

「……また『あなた』か」

 ウォレンとニッツもはっとして、その人物を包囲した。試練の塔でエスメロードの弱点を教えてくれた、あの老人がいつの間にやら佇んでいたのだ。

「神出鬼没とはこのことだな。塔では世話になったが」

「随分なご挨拶じゃのう、フォフォフォ」

 謎の老人は厚い眉の下で目を細め、セリアスを見詰める。

「おぬしは王子と同世代のようじゃの。次の四騎将は手強いぞ、心してかかれ」

 やはり四騎将はこの洞窟のどこかで待ち構えているようだった。

 ニッツが老人ににじり寄って、探りを入れる。

「テメエは何者だァ? 王子が死んでんのに、えらく淡白じゃねえか」

 この老人が味方とは思えなかった。確かに塔ではセリアスたちに有益な助言をもたらしたが、単にエスメロード打倒という利害が一致しただけかもしれない。王子の遺体には関心を示さず、セリアスらを戦わせたがる。 

「わしは城に行きたいだけじゃよ。老いぼれひとりが後ろにいようと、構うまい?」

「ヘッ、信用するわけにゃいかないね。テメエは普通のジジイじゃねえだろ」

 しかしニッツに詮索されようとも、彼は気さくな笑みを絶やさなかった。

「そうでなくては、この先の戦いで生き残れまいて。わしも応援しておるから、頑張ってくれい。フォッフォッフォ……」

 老人は杖をつきながら、小さなカンテラとともに闇に消える。

 どこからか『見られている』ような感覚は残った。

「次出てきたら、殺っちまうかァ? ウォレン」

「そう早まるな。こんなところをほっつき歩いてるんだ。こちらに殺気があれば、のこのこ出てくるような失敗はしないだろう」

 ひとまずカイン王子の亡骸に防腐処理だけして、セリアスたちは先へ進む。

 急な上り坂にはスカーレット隊が掛けたらしい縄梯子が残されていた。

「あれだけのメイドを連れて、よく突破できたもんだ」

「必死だったんだろ。城にいちゃあ何されるか、わかったもんじゃねえし」

 彼女らの痕跡を辿れば、道を間違えずに済む。

 上のフロアは通路が大きな円となっており、その内外に小道が枝分かれしていた。

「セリアス、方角のスクロールは持ってたな?」

「それが……さっきから試してるんだけど、だめなんだ」

「磁石も効果なしってことは、おかしな磁場に入っちまったか」

 さ迷い歩くうち、どちらが北かわからなくなってしまう。このあたりは手が加えられているのか、天然の洞窟にしては侵入者を惑わせる造りで、骨が折れた。

 灯かりはなるべく小さくして、警戒に神経を研ぎ澄ませる。

 突如、洞窟の中に獰猛な唸り声が響き渡った。

「ま、まさかっ?」

「前から来るぞ! 構えろ!」

 先に敵のほうがこちらを見つけたらしい。

 灯かりがぎりぎり届く距離で浮かびあがったのは、二メートルを優に超える巨体の戦士だった。全身の筋肉が膨張し、篭手や具足の留め具は外れかかっている。

 左の上腕には団長の腕章が見えた。四騎将にして現騎士団長のオルグが、鉈のような大剣を携え、じりじりと歩み寄ってくる。

「あいつがジイさんご自慢の弟子ってやつか!」

「ここじゃ狭すぎる。一旦さがって、様子を見ないか」

 地の利を活かすべく、セリアスたちはゆっくりと後退した。それと同じだけオルグのほうも前進し、間合いを保つ。

「……突っ込んでこねェぞ? どういうつもりだ?」

「まだ理性があるのかもしれん。が……言葉は通じそうにないな」

 オルグの剣は黒ずんだ血にまみれていた。カイン王子の背中を捌いたものに違いない。両目を赤々と光らせながら、口に入りきらない牙を剥く。

 その胸を覆っているのはブレストプレートではなかった。壮麗な盾が胸板へとじかに埋め込まれている。

「スターシールドはあそこだ!」

「王子を殺して、奪ったわけか。化け物のくせに知恵は働くようだな」

 あの位置は『心臓』にほかならない。

 さがっては詰められての睨みあいに、ニッツが痺れを切らせた。

「こうなりゃ先制だ! あの図体じゃかわせねぇだろ!」

 オルグに目掛けて得意の火炎魔法を放つ。

 炎が吹き荒れ、洞窟はみるみるオレンジ色に染まった。道が狭いせいで敵に逃げ場はなく、真正面から火炎が直撃する。

 そのはずが、炎のほうがオルグを避けた。燃やすものもなく宙に消える。

 ウォレンが眉を顰めた。

「スターシールドが障壁を張ってやがるんだ。こいつはまずいぞ」

「ん、んなのアリかよっ? 大事なお宝をよりによって……」

 オルグは低い声で唸りつつ、じりじりと迫ってくる。

 このフロアは構造が円になっているため、逃げる分には問題なかった。ぐるりと一周すれば、オルグをやり過ごして進めるかもしれない。だが、それでは別の敵と遭遇した時、挟み撃ちにされてしまう。

 何よりスターシールドを奪還する必要があった。悪魔との契約下にあるスタルド4世と戦うのなら、神秘の盾は欠かせないだろう。

「なんとか近づいて、剥がすしかないな。ニッツ、セリアス、フォローを頼む」

「おいおい、やつのデカい剣が見えねえのかよ? 刺身にされちまうぞ」

 ウォレンは意気込むも、ニッツは及び腰になる。

(……待てよ?)

 ふとセリアスの脳裏にカイン王子の亡骸がよぎった。

 王子はスターシールドを装備していたはず。背中を斬られたということは、敵は聖なる盾を正面から破れなかった可能性が高い。

「待ってくれ、ウォレン。僕らであいつを挟み撃ちにして、背中を狙おう。真っ向勝負よりは分があると思う」

 セリアスの作戦にウォレンとニッツも乗った。

「そいつに賭けよう。セリアス、お前はこの道を一周して、やつの反対側にまわれ」

「背後を取ったほうが攻めるってわけだな。やってやろうじゃねぇか」

 幸い敵の動きは鈍く、走り寄ってくる気配もない。肥大化しすぎた筋肉のせいで、四肢の機能が損なわれているらしい。

「ウォレンとニッツはあいつを引きつけててくれ!」

 身軽なセリアスはウォレンらと別行動を取り、洞窟を反時計回りに駆け抜ける。

 そしてオルグを挟んで再び合流した時、状況は一変していた。ウォレンたちの前には鉄格子が降りている。

「逃げろ、セリアスッ! 嵌められたのはおれたちのほうだ!」

「な、なんだって……?」

 さらにオルグは壁のレバーを引き、セリアスの後ろにも格子を降ろした。セリアスはオルグとともに閉じ込められる形に。

 ニッツが忌々しそうに鉄格子を蹴りつける。

「チイッ! ご丁寧にアンチマジックが掛かってやがる!」

 これでは彼の魔法もオルグの背中には届かない。

 図らずもセリアスは四騎将オルグとの一騎討ちを強いられてしまった。オルグは大剣を正眼で構え、唸るように名乗りをあげる。

「ワレ……ワレコソハ騎士団長ノおるぐ。イザ尋常ニ、勝負……!」

 彼の物言いにセリアスは違和感を覚えた。セリアスを罠に嵌めておきながら、四騎将のオルグは正々堂々と『決闘』の様式を重んじる。

「あなたは、まさか……」

「よせ、セリアス! 体格に差がありすぎる!」

 ウォレンに制止されるも、セリアスはミスリルソードで決闘に応じた。

「勝ち目がないわけじゃない。行くぞ!」

 戦いの火蓋は切って落とされた。

 オルグは大剣を振りかざし、力任せに叩きつけてくる。その一撃ごとに地鳴りのような音が響き、洞窟は揺れた。しかし動きはセリアスのほうが速い。

「てやあっ!」

 セリアスの剣がオルグの左足を掠める。

 そんなセリアスの善戦ぶりにニッツは声を高くした。

「いいぞ、やっちまえ!」

「左手のほうを狙え! 近づきすぎるなよ!」

 鉄格子の向こうでウォレンも応援に熱を込める。

 おぞましい容貌にさえ惑わされなければ、オルグに仕掛けるのはそう難しいことではなかった。剣のある右手のほうは避け、常に左手の側へまわり込む。

 しかし同じ戦法は二度目で対応されてしまった。オルグは左へ、左へとまわり、セリアスを必ず正面で迎え撃つ。

 オルグの大剣とセリアスのミスリルソードが交差した。

「くっ……!」

 単純な腕力においてはオルグのほうが強く、スタミナもある。徐々にセリアスは追い詰められ、攻撃よりも防御のターンが多くなってきた。

「ニッツ、まだ開けられないのかっ?」

「急かすなっての! オレはトレジャーハンターじゃねえんだぞ」

 ウォレンたちの合流には時間が掛かる。

 とうとうセリアスは弾き飛ばされ、洞窟の壁面へと叩きつけられた。

「ぐはぁ? ……し、しまった!」

 そこへオルグが猛然と追撃を掛けてくる。

 死に直面したせいか、身体が竦んで動けなかった。だが、オルグのほうが不意に動きを止め、血濡れの剣を震わせる。

 蛇のロイがオルグの右腕に巻きつき、締めあげたのだ。

「あいつ、この土壇場でやってくれたぜ!」

「今だ、セリアス! 決めろ!」

「ああっ!」

 すかさずセリアスはオルグの背後にまわり、その背中を掻っ捌いた。

 手前にはスターシールドがあったため、奇しくもカイン王子と同じ致命傷に。オルグの巨体は血を噴き出しながら萎縮し、並みの大きさとなった。

 満身創痍のセリアスの前でくずおれ、仰向けに倒れ込む。スターシールドは剥がれ、がらんと足元に転がった。

 ようやくウォレンとニッツが鉄格子をこじ開け、駆け込んでくる。

「怪我はないか? セリアス」

「今のは際どかったなァ。テメエも悪運は強ぇじゃねえの」

「なんとかね。ロイもありがとう、助かったよ」

 セリアスは剣を収め、オルグの容態を覗き込んだ。

「お、おい? 危ないぜ」

「いや……彼は大丈夫だと思う。多分、ずっと正気だったんだ」

 騎士団長オルグは襲い掛かってきたものの、その行動には一貫して知恵や理性が働いている。セリアスたちを分断したのも、彼の意図的な作戦にほかならなかった。

 かろうじてオルグが口を開く。

「若き戦士よ、礼を言う……これで、ハア、カイン様の名誉をお守りできる……」

 ウォレンも屈み込んでオルグに問いかけた。

「あなたも王の取引に応じたようだな。その代償は一体?」

「名誉、だ。我に返った時、私は……敬愛するカイン王子をこの手で殺していた。それも後ろから斬りつけるようなやり方で……団長の私が」

 騎士は戦いにおいても美徳を重んじる。オルグは次代の主君を最悪の形で手に掛け、無惨な有様としてしまった。背中の傷は『敵前逃亡』の証にもなりうる。

 しかしセリアスに『成敗』され、彼もまた背中に辱めを受けた。これによって、カイン王子の戦死には一応の格好がつく。

「城へと行くつもりなら、止めはせん。その盾も持っていけ……」

 オルグは最期の力を振り絞り、セリアスの手を取った。

「剣士よ。どうか姫様を……」

「わかりました」

 セリアスはしかと頷き、彼の手を握り締める。

「あなたが初めて殺した相手で、よかった」

 間もなくオルグは事切れ、血のにおいだけが漂った。最期だけとはいえ王の呪いを克服できたのだから、まだ浮かばれるほうかもしれない。

 ウォレンは黙祷を捧げ、ニッツは炎であたりを隈なく照らす。

「四騎将もこれで、あとひとりか。……こりゃあ、王ってやつのツラを拝まねぇことには帰れねえなァ」

「城は近いはずだ。行くぞ、ふたりとも」

 セリアスもスターシールドを拾い、立ちあがった。

「ここまで来たんだ。王は僕らの手で、必ず」

 いよいよ死闘は最終局面を迎える。

 

 洞窟を抜けると、雲の分厚い昼間の空が見えた。

 ついに絶壁を登り詰め、スタルド城へと辿り着いたのだ。目の前には荘厳な王城が我が物顔で聳え立っている。

 防衛に当たっていたらしい騎士団の面々は躯と化していた。

殺されてしまったのか、それともゾンビ化に身体が耐えきれなかったのか。

「この戦いで何人、死んだんだろうな」

「オレたちが生きてんのが不思議なくらいだぜ……なあ」

 いつの間にか『死者の世界』へと足を踏み入れたのかもしれない。

 城門はかんぬきが壊されていた。

「もしかすると、彼らはここで戦ってたんじゃ?」

「そうみたいだな」

 エントランスホールも荒れ果て、壊れた武具やスクロールなどが散乱している。

 その威風堂々とした造りからして、真正面のルートこそ謁見の間に通じているようだった。セリアスたちは覚悟を決め、スタルド城の中を突き進む。

 行く先で、一際豪勢な扉がひとりでに開いた。

 そこから見覚えのある老人が現れ、ニッツは舌打ちする。

「……ケッ。また出やがったな、ジジイ」

「フォフォフォ! 騎士団長は敗れたようじゃのぉ。さあ、入ってくるがよい」

 老人は含み笑いを浮かべつつ、セリアスたちを謁見の間へと招き入れた。

 壇の向こうの玉座では、厳かな風貌の男が瞑想に耽っている。

「やつがスタルド4世か!」

 セリアスたちは臨戦態勢で構え、老人の動向にも目を光らせた。ここまで来た以上、ウォレンやニッツにも油断はない。

「いい加減、白状しやがれ。テメエが糸を引いてんじゃねえのかよ?」

「いかにも。わしは……私は四騎将のサマエル。お前たちの言う『悪魔』さ」

 ローブを投げ捨て、老人は手品のように姿を変えた。額に角を生やし、背中でも一対の羽根をはためかせる。まさしく正真正銘の悪魔が、そこにいた。

 ウォレンも息を飲む。

「最後の四騎将が悪魔とは、な……」

「フフフ! 言っておくが、私は少し力を貸しただけのこと。スタルド4世は自ら異界の門をこじ開け、我らが魔王と邂逅を果たしたのだ」

 サマエルは躊躇いもせず、これまでの秘密を明かした。

 肉体を失った魔王のため、スタルド4世を『器』として拵えたこと。スタルド4世は今、新たな魔王として目覚めつつあること。

「お前たちは魔王の力の一部を掠め取った四騎将を片付け、スターシールドを取り返してくれた。おかげで、スタルド4世は真の魔王としてこの世界に君臨できよう」

 そこまで話し、サマエルはセリアスたちに取引を持ち掛けてきた。

「……どうだ? 私と組まないか。そう悪い話でもあるまい。手始めにその盾を海にでも捨ててきてくれれば、最高の日々を約束しよう」

 じきにスタルド王国は幕を閉じ、魔の時代が始まる。

 ここで望みさえすれば、セリアスたちはありとあらゆる贅を貪ることができた。これ以上はない『儲け話』にニッツは歯を光らせる。

「オレたちを新しい四騎将にしようってか? ヘヘッ」

「そういうことだ。そっちはセリアス、だったな。お前にはミレーニアをくれてやる」

 怒りを堪えながらも、あえてセリアスはサマエルに調子を合わせた。

「だったら、先に王女に会わせて欲しいね」

 依然としてミレーニア王女は敵の手中にあるのだ。ここで先走っては、王女の身にも危険が及びかねない。

「いいだろう。見るがいい」

 サマエルの合図に従い、可憐な少女が袖のほうから歩み出てきた。

 傷つけられたような形跡はない。しかし表情は虚ろで、目の焦点も合っていなかった。腰には一振りのレイピアをさげている。

 ニッツがにやりと唇を曲げた。

「幻影や人形の類じゃねえ。本物のお姫様だぜ」

「よし。なら、もうこいつに用はないな!」

 あっという間にウォレンが跳躍し、サマエルの脳天へと斧を振りおろす。

「おっと! そう来ると思ってたさ。お前らは騎士道なんて意に介さないからな」

 しかしサマエルには読まれ、難なくかわされてしまった。

 邪悪の王を目前にして、セリアスたちとサマエルで火花を散らす。セリアスもカイン王子の形見を抜き、悪魔を睨みつけた。

「僕たちの返事は『NO』だ。お前なんかと取引するつもりはない」

「悪魔との取引で破滅したやつってのを散々、見てきたしなァ」

 ウォレンのブーメランが玉座の脇に突き刺さる。

「デーモン族ごときにビビると思うなよ。おまえは使い魔が関の山だろう?」

「ハッハッハ! 吹くじゃないか」

 三対一で、こちらにはスターシールドの加護もあった。にもかかわらず、サマエルは酷薄な調子でせせら笑う。

「まったく残念だよ。仕方ない……やれ、ミレーニア」

 サマエルの命令にミレーニア王女がびくんと反応した。レイピアを抜き、その切っ先をセリアスたちへと向けてくる。

「なんだってぇ? そりゃねえぜ、お姫様よぉ!」

「やってくれたな。どんな暗示を掛けたんだ」

 ニッツもウォレンも迂闊には手を出せず、あとずさった。

 サマエルの笑声が木霊する。

「強いショックを与えれば、正気に戻せるとも。死ぬようなショックを与えればね」

「外道め……どこまでもふざけた真似を」

 多少の手段は選ばずに実行できるセリアスたちとはいえ、さすがに一国の王女を斬り伏せるわけにはいかなかった。ミレーニアにしても操られているだけで、命をやり取りするほどの覚悟はないはず。

「さあ、ミレーニア! やつらのスターシールドを取りあげろ!」

 サマエルは爆炎の魔法を詠唱しつつ、機会を窺っていた。少しでも隙を見せれば、王女もろとも一網打尽にされてしまうだろう。

 セリアスたちはスターシールドを掲げながら、じりじりと後退していく。

「どうするよ? ぶん殴ってみるか? セリアス」

「今、盾を放すわけには……」

 後ろでばたんと扉が閉まった。もはや逃げることもかなわない。

「ハーハハハッ! なんなら、ひとりだけ生かしてやってもいいぞ?」

「……生憎だが、オレたちは全員で生き残るつもりでな」

 突如、サマエルの首筋をブーメランが襲った。

「グハアッ?」

「騙し討ちは得意でねェ!」

 先ほどウォレンが投げたものには、ニッツの魔法が掛かっていたらしい。その奇襲によってサマエルの催眠術は途切れ、ミレーニアの動きが止まる。

「今だ!」

 すかさずセリアスはミレーニアを抱き寄せ、スターシールドで防壁を張った。

 それ以上はサマエルの術を寄せつけず、ミレーニアは正気に返る。

「……わ、わたしくは何を……あなたは?」

「心配いりません。僕らはあなたを助けにきたんです」

 形勢は逆転し、今度はサマエルがこちらのスターシールドに怯えた。

「小賢しい真似を……だが、才も資格もない人間ごときに、その盾が応えるとでも?」

「やってみないことには、わからないさ」

 セリアスたちとサマエルの間で睨みあいが続く。

 息の仕方も忘れそうなくらいの緊迫感の中、凄みのある声が響き渡った。

「もうよい。サマエル、所詮、貴様はその程度の使い魔よ」

「お、お父様っ?」

 娘のミレーニアが呼びかけるも、王は冷笑を浮かべるのみ。

「魔王様! よくぞお目覚めに……」

「聞こえなかったのか? 貴様のような小物がしゃしゃり出るでない」

 スタルド4世の影が床を走るように伸び、怪腕と化した。その手がサマエルを鷲掴みにして捕らえ、ぎりぎりと苛烈に締めあげる。

「なっ、なぜ私を……魔王様! 私はあなたのために、がはぁ、ずっと……」

「見えすいたことを……われを利用しようと企んでおったくせに。言い訳はあの世で『魔王』に聞いてもらうのだな」

 使い魔はぎくりと顔を強張らせた。

「まさかお前はスタルド4世っ? そんなバカな、術式は確かに……ギャアアアッ!」

 サマエルの身体は雑巾のごとく握り潰され、紫色の液を噴く。

 悪魔ならではの所業にミレーニアは青ざめ、セリアスにしがみついた。

「剣士様、父を……どうか父を止めてください! あれはもう父ではありません。恐ろしいまじないに手を染め、暗黒の力を手に入れたのです」

「ご存知だったのですか? 姫」

 ウォレンは果敢に戦斧を構え、前に出る。

「やれやれ。報酬は上乗せしてもらわんと、割に合わんぞ」

 一方で、ニッツは戦う前から逃げ腰になっていた。

「こいつにゃ勝てねえだろ……全員で逃げてもいいと思うけどねぇ、オレは」

 瞬く間にスタルド4世の姿が膨れあがる。それは『魔王』の名に恥じない異形を誇り、どす黒い瘴気を蔓延させた。

 口は耳まで裂け、鋭い牙をぬめ光らせる。

「ミレーニアの血肉を喰らってこそ、われは人間の心と決別し、完全なる王として新生できよう。さあ、娘を返してもらおうか、冒険者ども」

 セリアスは王子の剣を握り締め、スタルド4世に啖呵を切った。

「あなたの思い通りにさせるものか!」

 セリアスとともにミレーニアがスタルドの秘宝を掲げ、叫ぶ。

「星の盾よ! 邪悪を打ち払う力を今こそ、われわれに貸し与え給え!」

 スターシールドが眩い光を放った。セリアスたちは温かいエネルギーに包まれ、ウォレンの斧やニッツの両手が輝く。

「これは光の力……なのか? そんな資格がおれに?」

「勝てる! 前言撤回だ、この力がありゃ、やつにだって勝てるぜ!」

 まざまざと奇跡を見せつけられ、スタルド4世は激昂した。

「守るだけの力で、われを倒せるだと? 笑わせるでないわッ!」

 暗黒の波動を放ち、謁見の間をひっくり返す。

 しかしセリアスたちはスターシールドの加護を受け、闇の力には飲まれなかった。

「守る、だと? おれたちはおまえをブチのめすために来たんだぜっ!」

 ウォレンが渾身の力で戦斧を振りおろし、衝撃波を走らせる。それは光のエネルギーを伴って渦を巻き、スタルド4世の右腕を一撃のもとに消し飛ばした。

「グオオッ? バ、バカな……」

「オレの魔法もサービスだ、取っときな!」

 ニッツの火炎も光のエネルギーで色を変えつつ、魔人の左腕を焼き尽くす。

「剣士様、とどめを!」

「……ああ!」

 一気呵成に攻められるうちにセリアスも駆け出した。魔法剣の要領でミスリルソードに光の力を収束させて、暗黒の瘴気もろとも王を切り裂く。

「てやあぁああっ!」

 スタルド4世は真っ赤な目を剥くほどに驚愕した。

「こっ、こんなはずでは……貴様らは一体……オオオオオオオッ!」

 胴だけの巨体が真っ二つに裂け、光の中で塵と化していく。

 王は滅び、やがて瘴気も霧散した。セリアスたちは力を使い果たし、倒れ込む。

「はあ、はあ……これでガウェイン老の依頼は達成だ。ニッツ、立てるか?」

「そんな余裕があるよーに見えるかぁ? 光の魔法で全身の力を持ってかれちまった」

 満身創痍になりながらも、ウォレンとニッツは勝利の色ではにかんだ。

 ミレーニアは空っぽの玉座へと歩み寄る。

「お父様、どうして……」

 その疑問に答えられる者は、もはやいなくなってしまった。

 スタルド4世がなぜこのような暴挙に出たのか、今となっては知る術もない。ただ、彼の野望のためにスタルド王国は甚大な被害を蒙った。

 やっと蛇のロイが追いついてくる。

「こいつ、さては隠れてやがったな? ちゃっかりしてやがらぁ」

「そんなやつがひとりくらい、いてもいいさ」

 セリアスたちはミレーニア王女を連れ、呪われた城をあとにした。

 黒い雲はばらけ、夕焼け色の空が覗ける。

「なあ……ひょっとして、帰りもあの洞窟を通ってくわけ?」

「ほかに道があるとでも? セリアス、お前は王女をエスコートしてやれ」

「……僕が?」

 のちに『スタルドの異変』と呼ばれることになる事件は、こうして幕を閉じた。

 

 次の日の夜、城下町アイルバーンでは犠牲者を弔ったあと、ささやかな宴が催された。命懸けで戦った冒険者たちのため、そして王国の新しい出発のために。

 ウォレンは街の男たちと杯を交わしながら、スタルドの行く末を憂えている。

「地方の騎士がわずかに残っただけ、か……厳しいな」

 スタルド4世が倒れたことで、領内のゾンビ兵はすべて活動を停止した。城下町を囲っていた茨も消え、ヘルマの街とも行き来が可能になっている。

 だが王国騎士団はほぼ壊滅し、治安維持にさえ陰りが見えつつあった。ミレーニア王女を国家元首として統治を徹底するには、相当の時間が掛かるだろう。この事態を知れば、近隣諸国も干渉してくるに違いない。

 そんなウォレンらの一方で、ニッツは子どもたちを相手に今回の戦いを面白おかしく語り聞かせていた。

「四騎将の身体から悪魔が出てきたんで、言ってやったのさ。テメエ、ほっぺに朝飯のケチャップがついてるぜ、ってな」

 誇張あり、冗談ありの作り話がほとんどだが、子どもたちは夢中で耳を傾けている。

 ニッツとしては沈痛な雰囲気の中、大人を相手にしたくないだけのこと。しかし本音はどうであれ、意外に面倒見のよい一面があった。

 未成年のセリアスは酒など飲まず、静かに焚き火を見詰める。

 そこへミレーニアが近づいてきた。

「隣、よろしいかしら?」

「ええ。どうぞ」

 自分は彼女の兄を救えなかったうえ、父を殺している。これを『成り行き』の一言で済ませられるほど、責任感が希薄なつもりはなかった。

 ミレーニアの横顔も焚き火の色に染まる。

「……大勢の民を巻き込んで、お父様は何がしたかったんでしょうか……」

「あなたに心当たりがないのなら、きっと、もう誰にも……」

 国王の乱心が引き起こした、大陸史上でもほかに類を見ない悲劇。この数日のうちにスタルド王国は機能不全に陥ってしまった。

 栄えある王国騎士団に至っては、ゾンビにされ、その死さえ辱められている。

 これを一から立てなおすことが、若き王女に課せられた使命だった。

 せめて兄のカイン王子が生きていてくれたら――その言葉を飲み込んで、セリアスは焚き火に枯木を放り込む。

「僕らは明日の朝、発ちます」

 淡々と伝えると、ミレーニアは瞳を瞬かせた。

「もう行くのですか? でも……」

「冬になったら、港が凍ってしまいますから」

 スタルド王国へは港に用があって寄っただけのこと。

 それにセリアスのような剣士が残ったところで、国造りの役には立てそうになかった。通りすがりは通りすがりらしく、このまま去るべきだろう。

 しかしミレーニアは縋るようにセリアスを見詰め、言葉に女の熱を込めた。

「でしたら、せめて春まで……わたくしの傍にいてくださいませんか」

 セリアスはたじろぎ、返答に迷う。

「王女、僕は……」

「今夜は『ミレーニア』とお呼びになって? セリアス」

 王国を救った剣士と、救われた姫君。

 さしものセリアスも少しだけ『運命』とやらを信じてみたくなった。

 

 翌朝、ウォレンとニッツは城下町アイルバーンを去る。

「とんだ寄り道になったもんだ」

「ほんとになァ……まあ、お互い生き残れてよかったじゃねえか」

 港で船に乗るだけのことで、命懸けの戦いとなってしまった。王国がこの有様では報酬を丸ごと受け取るわけにもいかず、せいぜい朝一で旅の物資を補充しただけ。

「ニッツは構わなかったのか? ガウェイン老の宝を持っていかなくて」

「復興にゃあ金が掛かるからなぁ。その代わりと言っちゃなんだが……ほらよ」

 得意満面にニッツは二冊の魔道書を見せびらかす。

「あの城にあったんでね。おっと、お姫様の許可はもらったぜ」

「抜け目のないやつだ」

 このニッツにしろ、セリアスにしろ、ウォレンにないものを持っていた。行き当たりばったりのパーティーとなったが、相性は抜群によかったらしい。

 しかし今セリアスの姿はない。

「……あいつはここで騎士になるのかねェ」

「王女にも気に入られてたようだしな。チャンスを棒に振ることはないさ」

 ウォレンもニッツもミレーニアの女心には勘付いていた。いずれは救国の英雄としてセリアスを婿に迎え、スタルドを盛り立てていくだろう。

「やっぱ女は顔、か……」

「おれのほうが男前は上のはずなんだが……なあ」

 二十代の男同士でぼやいていると、後ろのほうから声が飛んできた。

「待ってくれ! ウォレン、ニッツ!」

 セリアスが合流し、ウォレンたちは目を丸くする。

「はあ、はあ……僕だけ置いていくなんて、水くさいじゃないか」

「お前、王女はどうした?」

 若き剣士はばつが悪そうにはにかんだ。

「僕じゃカイン王子の代わりにはなれないし……ツリ目の女はちょっと、ね」

 男たちの笑い声が空まで響く。

「ハハハッ! 気の強ぇお嬢様は苦手ときたか!」

「どれ、追手が来ないうちに逃げるとしよう」

 船出の朝は眩しかった。

 

 

 ストーリーが一段落した頃には、酒も肴もなくなる。

「そうして……おれとニッツ、セリアスは船に乗り、スタルドを発ったんだ」

 ウォレンはシリアスに締め括ろうとするものの、ニッツの茶々が入った。

「その途中で寄った島も傑作だったんだけどなぁ……覚えてるだろ? セリアス」

「もちろん。ウォレンが言い寄られた、あれだな」

「……おれは今の嫁さんで満足してるんだ。思い出させるんじゃない」

 グウェノが残りの酒を飲み干す。

「そいつも面白そうだが、今夜のところはお開きとすっかねえ」

「セリアス殿の昔話が聞けて、拙僧も楽しかったぞ。……ロッティ殿、起きてくれ」

「ふえ? ……あっちゃ~、あたしってば!」

 ハインに揺すられ、ロッティはようやく目を覚ました。十五歳の少女にはいささか退屈な話になってしまったらしい。

「また上手いこと触りやがって……逮捕されても知らねえぞ? オッサン」

「そ、そういうつもりではっ! 拙僧はただ、なんだ……うぅむ」

「あとにしてくれ。先に解散しよう」

 遅くならないうちに会計を済ませて、席を立つ。

「嫁さんに土産のひとつでも持って帰ったほうが、いいんじゃねえの? ウォレン。旦那だけこんな時間まで飲んでたなんて、面白くねえだろうしさ」

「それもそうだな……」

「あれ? 部屋借りてんのって、オレだけかよォ?」

「ロッティ殿は拙僧が送ろう」

「はぁーい。そんじゃあね、セリアス! みんなもばいばーい」

 酒が入っているせいもあって、賑やかな解散となった。一足先にハインがロッティを連れ、ハイタウンへの階段をあがっていく。

 改めてウォレンはセリアスと固い握手を交わした。

「これからもよろしくな。セリアス団」

「ああ。こちらこそ」

 ニッツが皮肉めいた笑みを噛む。

「しばらくはお手並み拝見と行くかねェ。ヘヘッ」

「おっと。ぼやぼやしてっと、オレたちに先を越されちまうかもしれねえぜ?」

 よき仲間であり、よきライバルでもある――それがグランツの冒険者。

 今夜の七年ぶりの再会もまた、いずれは酒の肴となるだろう。珍しくほろ酔い気分に浸りながら、セリアスは家路につくのだった。

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