スタルドの異変~若き日の戦い~(前編)

 前人未到の領域『フランドールの大穴』に挑むべく、冒険者たちは城塞都市グランツへと集う。剣士のセリアスもそのひとりとして、モンク僧のハイン、トレジャーハンターのグウェノらとともに秘境の探索を続けていた。

 その日も探索を終え、グランツのギルドまで無事に帰ってくる。

「それじゃあ、私はここで失礼しますね。セリアス」

「ああ。マルグレーテによろしく」

 魔法使いのイーニアが引きあげたところへ、別の冒険者たちが近づいてきた。

「セリアスだって? おまえ、ひょっとして『あの時』の剣士か?」

「間違いねえぜ、こいつぁ! そうか、テメエもフランドールの大穴へなあ」

 まるで旧友のように声を掛けられ、セリアスは目を点にする。

「……まさかウォレンに、ニッツか?」

 ふたりの冒険者は親しみのある笑みを浮かべた。

「気づくのが遅ぇっての! なあ、ウォレン」

「さっきのお嬢ちゃんが『セリアス』と呼ばなかったら、おれも気づかなかったさ」

「あいつに『お嬢ちゃん』は禁句なんだ。ほかの呼び方をしてやってくれ」

 話し込んでいると、ハインとグウェノが窓口のほうから戻ってくる。珍しく多弁なリーダーを目の当たりにして、仲間たちは唖然とした。

「こちらの御仁は知り合いか? セリアス殿」

「あれ、二年前にもいたよな? 確かタクティカル・アームズの」

 筋骨隆々としたウォレンが腕を組む。

「そうそう、当時はそんな名前のパーティーだった」

「ギースの野郎にも挨拶しないとなァ、ヘヘッ」

 やや猫背気味のニッツは愉快そうに笑いを含めた。嘲笑のようにも聞こえるが、これが彼なりの『穏やかな笑い方』だったりする。

 懐かしい記憶を辿りながら、セリアスは淡々と呟いた。

「あれから六年……いや、もう七年か」

「だな。おまえの顔を見てたら、時間の流れってのを実感したぞ」

「男前になりやがって。あん時のてめえは十八だったから……今は二十四、五か」

 立ち話で済ませるには話題が多すぎる。

 幸いにも明日は日曜で、セリアス団も休暇の予定だった。美味い肴を見つけたとばかりにグウェノが酒を提案し、上戸のハインも乗ってくる。

「どうだい? どっかに落ち着いて、ゆっくり話そうじゃねえか。オレもあんたらのことに興味があるしさ」

「拙僧も付き合わせてもらうぞ。さぁて、店はどうするか」

 ウォレンとニッツも相槌を打った。

「行きつけだった店があるんだ。挨拶ついでに、そこで飲もう」

「オレたちゃ昨日、グランツに戻ってきたばかりでねェ」

 酒の席があまり得意ではないセリアスも、今回は乗り気になる。

「お前たちと一杯やる日が来るとはな……」

「こっちの台詞だぞ、そいつは」

「ヘッヘッヘ! 面白くなってきたじゃねえか」

 一行は手頃な居酒屋へと場所を変え、七年ぶりの再会を祝うのだった。

 

 偶然にして、ロッティがギルドに来ていたのが運の尽き。興味津々に混ざってきて、ちゃっかりセリアスの隣をキープしてしまった。

「セリアスの昔話するんでしょ? あたしも聞きたい、聞きたい!」

「あんまり遅ぇと、また少佐に怒られちまうぜ? ロッティ」

「帰りは拙僧らで送ってやるとも。今さら仲間外れにもできんし、のう」

 この小生意気な少女は、セリアス団の妹分というポジションを確立しつつある。

 ニッツがにやにやと小指を立てた。

「もしかして、セリアスの『コレ』かい?」

 お約束じみてきたロリコン疑惑にセリアスは眉を顰める。

「十も下だぞ。考えたこともない」

 乾杯に遅れて、ようやく肴も運ばれてきた。

「おまえたち、この店は初めてか?」

「拙僧らの家からは遠いからのう。どれ、いただくとしようか、グウェノ殿」

「おう! 今日は戦いっ放しだったから、腹も減っちまってさあ」

 魚の揚げ物を摘みながら、グウェノが何気なしに問いかける。

「で、そっちは結婚してんのかい? どっちもオレより年上みてぇだけど……と、こっちのオッサンは三十路の妻子持ちなんだよ。なあ」

「ウォレン殿も拙僧とそう変わらんだろう」

 左手の薬指に指輪は見当たらないものの、ウォレンは大人びた雰囲気を漂わせていた。七年前にも増して落ち着き払っており、それとなしに余裕を窺わせる。

「嫁と二歳の子どもを連れて、グランツに移ってきたんだ。冒険者じゃなくギルドのスタッフとして働くことになってな」

「こいつ、まだ式を挙げてねえのさ。だから指輪も作ってなくてよぉ~」

「こっちで一段落したら、挙げるとも」

 セリアスたちのテーブルで拍手が響いた。

「その時は俺も参加させてくれ。賑やかしにはなるだろう」

「おいおい、てめえが『俺』だってぇ? カッコつけやがってよ」

 やがて話題は昔話へとシフトしていく。

「あたしのお姉ちゃん、セリアスは帰ってくるたび変わってくのが……みたいなこと、よくぼやいてたけど。七年前っていったら、セリアスも駆け出しの頃でしょ?」

「ああ」

 ウォレンやニッツもセリアスと同じ過去を思い返したに違いなかった。

「おれたちはスタルド王国で知りあったんだ」

「北のほうにある、寒くて小せぇ国さ」

 ロッティがアッと声をあげる。

「ちょ、ちょっと待ってよ! 七年前のスタルドって、例の『異変』があった?」

 グウェノやハインも驚きを露にした。

「聞いたことあるぜ。『スタルドの異変』ってやつだろ」

「大勢の者が命を落としたそうだが……大陸寺院にも詳しいことは伝わっておらん。一体、あの国で何があったのだ?」

 ウォレンたちはにやりと唇の端を曲げた。

「……そうだな。そろそろ話してしまってもいいか」

「どのみち避けちゃ通れねえ話だろォ? セリアスに会ったんだからな」

 当時の出来事がセリアスの脳裏にありありと蘇ってくる。

「七年前、俺は――」

 いつもは寡黙な口が開いた。

 

 

 大陸の内海に面した北の小国家、スタルド王国。

 列強諸国の脅威に晒されながらも、スタルドは独立を維持し、ささやかな繁栄を謳歌していた。決して裕福ではなくとも、民は穏やかな日々を過ごしている。

 北方に位置し、冬の間は港の海面が凍るため、さほど侵略価値がなかったことも幸いした。秋が深まる頃には、来訪者も少なくなる。

 若き剣士セリアスがスタルドに立ち寄ったのは、十月中旬のことだった。

 どうやら自分は人一倍、好奇心が旺盛らしい。それに剣の腕には自信があった。退屈でしかない故郷を出て、手配モンスターを退治しつつ、大陸各地を練り歩いている。

 十七歳から冒険を始めて早一年。彼はスタルドの宿で誕生日を迎え、十八となった。

 その翌朝のことである。外の異様な騒々しさに目が覚めてしまった。

「だめだ! 南の門からも出れねえぞ!」

「閉じ込められたってことか? なんで、こんなことに……」

 ただならない緊迫感が街に蔓延している。

 セリアスは剣を取り、早足で宿を飛び出した。そして『異変』を知る。

「こ、これは?」

 街の外壁が黒い茨で覆われていたのだ。

 門も茨によって硬く閉ざされ、男たちが総出で押しても、びくともしない。

 壁を乗り越えようとしても、やはり茨に阻まれた。切ろうと、燃やそうと、不気味な茨は無限に繁殖し、無数の棘を尖らせる。それは魔術的な結界でもあるのか、鳥も上を通過できずに落ちてきた。

 昨日までは何の変哲もなかった、のどかなヘルマの街が恐怖に包まれる。ひとびとは青ざめ、母親は我が子をひしと抱き締めた。

 セリアスとしても、これでは旅どころではない。

「……ほかに出口はないんですか?」

「城下町への地下道なら、あるんだが……今、調べてるところさ」

 たったひとつの脱出口は古い地下道だった。老朽化のため長らく立ち入り禁止となっていたようで、バリケードは先ほど撤去されたばかりらしい。

 そこから男たちが青息吐息の表情で飛び出してくる。

「うわあああっ! はっ、早く閉めろ!」

「化け物だ! 地下には化け物がいやがるぞ!」

 街はまたも騒然となった。突入したのは五人のはずが、ふたりしか戻ってこない。

やがて、三人目の男がふらふらと地下から這いあがってくる。

「ここは通れねえぞ……無理だ! ビッグスとウェッジはやつらに、ぐうっ?」

「しっかりしろ! だ、誰か、担架を持ってきてくれ!」

 脱出が不可能であることは、もはや誰の目にも明らかだった。街は茨に囲まれ、地下道には化け物が徘徊している。

 かくして山間の街ヘルマの平穏は今朝、唐突に終わりを告げた。ひとびとはただ恐怖に震えながら、勇敢な誰かに救われるのを待つほかない。

「すぐに王国騎士団が助けに来てくれるさ! そうだろ、な?」

「あいつらなら何日か前に部隊の再編だとか言って、引き上げてったじゃねえか。大体、地下道は化け物だらけなんだぜ?」

 そんな中、セリアスはまったく別のことを考えていた。

 ここで待っていても、状況の打開にはならない。誰かが地下道を突破し、城下町まで救援の要請に行かなくては。

(こんなことになってるのは、この街だけなのか?)

 その城下町にしても無事である保証はないのだが――ただ座して待つなど、セリアスという青年が我慢できるものではなかった。

「僕が行きましょう。モンスターには慣れてますから」

 名乗りをあげると、街のひとびとは半信半疑といった視線を返してくる。

「君が? いや、しかし……」

 十八歳の青年に何ができるものか、と思ったのだろう。

 だが、そんなセリアスに続いて、ふたりの冒険者も前に出る。

「だったら、おれも付き合うぜ。どうだい?」

「オレも混ぜてくれよ。魔法使いの力も必要だろ? ヒヒヒ」

 屈強な戦士や熟練の魔導士も声をあげたことで、住人たちはひとまず安堵した。

「お願いします。どうか、みなのためにも」

「ええ。任せてください」

 セリアスたちは意気投合し、ともに化け物だらけの地下道へ挑むことに。

 斧を背負っているのは戦士のウォレン。ニヒルな印象の魔法使いはニッツと名乗った。

「僕はセリアス。スタルドには船に乗ろうと思ってね」

「おれも似たようなもんさ。おまえも、港が凍る前に駆け込もうってクチだろ?」

「考えることは同じだなァ」

 街の男に比べれば、腕は確かだろう。セリアスたちは各々の宿で準備を済ませてから、地下道の入り口で合流する。

 年長者でもある戦士のウォレンが指揮を執った。

「さてと。おれは前衛でセリアスは中衛、ニッツは後衛で行くぞ」

「それで問題ないよ」

「ほかに隊列もねえだろうしなァ。ヘッヘッヘ」

 魔法使いのニッツはにやにやと愉快そうに笑みを浮かべる。

「街を脱出するのは当然として……ついでに儲け話のひとつでもありゃあなァ」

 その目的は私利私欲ではあるものの、正直ではあった。セリアスはウォレンとともに肩を竦め、油断のならない仲間に釘を刺しておく。

「分け前に納得できないからって、後ろから刺さないでくれよ? ニッツ」

「独り占めもな」

「へいへい。……ったく、善人面の兄ちゃんかと思えば、割と黒いじゃねーか」

 地下道の空気はひんやりと冷え込んでいた。かび臭く、思わず鼻を押さえたくなる。

 早速、先頭のウォレンがカンテラを左に持ち替え、斧を構えた。

「聞いた通りのようだぜ。おまえら、出やがったぞ」

 カンテラの灯に照らされ、闇の中からスケルトンの集団が姿を現す。

 さっきまで余裕めいていたニッツが表情を引き締めた。

「アンデッドか! タチが悪いねェ、こいつは」

 セリアスにとっては初めての、不死の化け物。アンデッドモンスターは倒したところでたちまち蘇るため、普通の武器や魔法で倒すことはできなかった。

 にもかかわらず、ここでも恐怖心よりも好奇心が上まわる。

(こんなやつらが本当にいるなんて……)

 ウォレンは斧で骸骨の兵を叩き潰しつつ、セリアスとニッツを急かした。

「相手にしてたら、きりがないぜ! 走れ!」

 セリアスも負けじとスケルトンと剣を交わし、力任せに押しのける。その後ろにニッツが続き、火炎の魔法をお見舞いした。

「これで追っちゃこれねーだろ」

 幸い地下道は単純な構造で、ほとんど一本道でしかない。道中のアンデッドモンスターを臨機応変にやり過ごしながら、セリアスたちは地下二階へと降りた。

「意外に落ち着いてるじゃないか、セリアス。もっとビビるもんと思ってたが」

「怖いさ。アンデッドモンスターなんて初めてだしね」

「ヒヒヒッ! オレなんて初めてん時ゃ、腰が抜けちまったもんだがねえ」

 即席のパーティーにしては、ツーカーで連携が取れる。ウォレンの判断が早くて的確なうえ、ニッツのフォローも巧みだった。

 世間話の余裕も出てくる。

「……てことは、俺が二十三で、ニッツは二十一。セリアスは十八か」

「田舎で退屈してたほうがよかったかもしれないぜ? セリアス」

「そんな気もするよ。この事態はさすが、に……?」

 ふとセリアスはひとの気配を察知した。ウォレンらと相槌を打ち、忍び足で、わずかに声のするほうへと近づいていく。

 そこは地下牢。鉄格子の向こうで囚人たちは普段着のまま蹲っていた。セリアスらに気付くや、藁にも縋るような表情で声をあげる。

「たっ、頼む! ここから出してくれ!」

「その前に食べ物を! そっちの部屋に何か、非常食くらいはあるはずだ」

 彼らが犯罪者であれば、牢から出すのは危険だった。しかし見たところ、エプロンを着けているような男もいる。

 何より今は情報が欲しかった。セリアスたちは手分けして牢を開け、食べ物を配る。

「どうして、こんなところに閉じ込められてたんですか?」

「私たちが聞きたいよ。ここにいる連中は、スタルドの城や塔で働いていただけの者さ。それが一昨日から昨日に掛けて、続々とここに放り込まれて……」

 ニッツはわかったふうに頷いた。

「見ちゃまずいもんを見ちまったんじゃねえのか? 地上での騒ぎといい、アンデッドモンスターといい、こいつは普通じゃないぜ」

「やつらに気付かれるとまずいな……くれぐれも大きな声は出さないでくれ」

 囚人たちは誰ひとりとして地上の出来事を知らなかった。

「街が囲まれた? 骸骨が歩いてる?」

「そうなんだ。おれたちは城下町まで、救援を呼びに行く途中なんだが」

 現状について聞かされ、がっくりと肩を落とす。

「スタルドはもうおしまいだ……」

「やっぱり国王陛下が乱心したっていう噂は本当だったんだ!」

 その言葉にセリアスとウォレンは顔を見合わせた。

「国王が乱心?」

 怯えながらも、彼らは噂を語る。

「ああ……城下町のほうでは噂になってんだよ。陛下の様子ががおかしいってさ」

「城じゃあ、陛下が化け物を呼んでたなんて話も……」

 半年ほど前から、国王スタルド4世の奇行が話題になっているようだった。

 満月の夜に外出を禁じたり、ネズミを飼えと命じたり、異様な命令が飛び交い、民の間では疑惑ばかりが広がっている。

(こいつは……地下道を突破したところで、終わりそうにないな)

 囚人らの手前、口には出さなかったが、セリアスはこの事件が一筋縄では行かないことを悟った。城下町も同様の事態に陥っている可能性が高い。

「とりあえずさっきの街まで戻らないか、ウォレン。進むよりは安全だろう」

「そうだな。みんな、ついてきてくれ」

 セリアスたちは彼らを連れ、一旦脱出することに。

 

 その日のうちに改めて地下道へと突入し、城下町アイルバーンを目指す。

 アンデッドモンスターの亡骸は消えていた。活動を再開し、また地下道のどこかを徘徊しているのだろう。セリアスたちは息を潜め、敵の接近に気を配る。

「……っ!」

 アンデッドモンスターを警戒していたからこそ、セリアスはその殺気に勘付いた。連中は隠れることもせず――どうやら『できず』に、こちらに近づいてくる。

 ウォレンやニッツも眉を顰めた。

「お出ましか。残念だぜ、まったくよぉ!」

「助けようなんて思うなよ、セリアス! 楽にしてやれッ!」

 行く手に立ちはだかったのは、半ばゾンビと化した『人間』の一団だったのだ。

先ほどの囚人を捕らえた、衛兵の類らしい。彼らは両目を真っ赤に染め、ずるずると武器を引きずりながら、一斉に襲い掛かってきた。

「ウガァアアアッ!」

「悪ぃが、恨むんじゃねえぞ!」

 こちらも武器を構え、前衛のウォレンとセリアスで応戦する。

 敵は凶暴ではあるものの、動きそのものは鈍かった。先ほどのアンデッドモンスターと大差なく、攻撃も緩慢としている。

 容赦なしにウォレンが斧を振るい、衛兵を薙ぎ倒した。

「そっちにも行きやがったぞ、セリアス!」

「ああ!」

 セリアスも突撃し、正面の敵を貫く。

 彼らを救いたい気持ちはあった。だがここで情に流されては、こちらが殺される。

 ならば、せめて彼らが殺人鬼となる前に止めてやる――そうでも思わなければ、ひとを殺すことなどできなかった。

「怖気づいちまったかあ? セリアス」

「大丈夫さ。ニッツこそ、手が止まってるんじゃないか?」

「ヘヘッ! あとはオレが掃除してやらあっ!」

 ニッツの火炎魔法が吹き荒れ、敵の群れを飲み込む。

 狭い地下道では逃げ場もなく、衛兵たちはことごとく焼き尽くされた。ほかの完全なアンデッドモンスターとは違い、これで滅することはできたらしい。

(僕は今、ひとを……?)

 手にはおぞましい感触が残っていた。しかし、まだ『ひとを殺した』というほどの実感もなかった。この異常な状況に現実感がないせいかもしれない。

 焼け焦げた躯をウォレンが見下ろす。

「ゾンビ化か……こんな人数のは初めて見たぜ」

「見たところ、そんなに腐敗も進んでなかったな。まだ新しいみてぇだ」

 囚人を投獄した直後にゾンビ化したのだろうか。その後もセリアスたちはゾンビ兵を撃退しつつ、地下道を抜ける。

 城下町アイルバーンへと辿り着く頃には、陽が暮れかけていた。

 城は見当たらず、市街地の北には絶壁が聳え立つ。

「ふう。着いたことは着いたが……腹が減ったな」

「先に食事をしないか?」

「オレもセリアスに賛成だ。もう魔力も残ってねえし、一息つこうぜ」

 しかし食事をしようにも、店はすべて閉まっていた。

 それもそのはず、城下町もまた不穏な空気に包まれていたのだ。ひとびとは仕事どころではない様子で怯えきっている。地下道を抜けたからといって助かったわけではない――セリアスたちは自ずとそれを確信した。

 十中八九、ここも茨で囲まれているのだろう。

 れっきとした城下町にもかかわらず、衛兵や騎士は見当たらない。

「やれやれ。こいつは飯にありつけるかも怪しくなってきたか」

「ベッドは期待できそうにねえなァ、ヒヒヒ」

 ニッツの冗談はむしろ最悪のパターンを笑い飛ばしてくれた。

 宿を訪ねてみると、主人が驚きの声をあげる。

「ヘルマから地下道を通ってきたってえ? 確かにうちの住人じゃねえようだが」

「城下町はどうなってるんですか?」

「ち、ちょっと待っててくれ! 話のできるかたを呼んでくっから!」

 食堂で待たされること、三十分。ただ、夕食はすぐに用意してもらえたおかげで退屈はしなかった。

「セリアス、ちょいとコーヒー淹れてきてくんね?」

「しょうがないな……ん?」

 腹も膨れて一服していたところへ、宿の主人らが戻ってくる。

 セリアスたちの前で席に着いたのは、一際大柄な男だった。年老いており、杖を使ってはいるものの、その双眸にはぎらぎらとした意志の強さが宿っている。

「お初にお目にかかる。わしはガウェインと申す者。引退して久しいが、かつてはこの国の騎士団長だった男だ」

 こちらはウォレンが代表で挨拶に応じた。

「お会いできて光栄です。……おれたちに何かご用で?」

「うむ。おぬしらがあの地下道を抜けてきた冒険者だと、聞いてな」

 元騎士団長のガウェインは城下町で隠居じみた日々を送っているという。そんな世間話から始まり、セリアスたちは彼と情報を交換していった。

「なるほど……ほかの街でも同じことが起こっておる、と……」

「ここも脱出は不可能というわけですね」

 城下町のほうも今朝になって茨に包囲され、大混乱に陥ったらしい。

 門と外壁は茨で覆われ、近づく者を容赦なしに締めあげた。城下町にとっても、唯一の逃げ道はあの地下道だったのだ。無論、魔物と戦えないことには突破できない。

「待ってくれよ、ジイさん。城下町なら騎士団くらいいるだろ?」

 ニッツの疑問は当然のもの。元騎士団長がここにいて、騎士団がないはずもない。だがガウェインは押し黙り、無念の表情でかぶりを振った。

「城下に騎士はほとんど残っておらぬ。今となっては城の様子も……」

 スタルド城は一昨日あたりから沈黙しているとのこと。王国騎士団は大半が臨時の召集を受け、消えてしまった。

「お城で何かがあって、王国じゅうがこんな状態になったんでしょうか?」

「そちらの若者の言う通りだ。おそらくな」

 ウォレンのほうからもガウェインに質問を投げかける。

「前々から国王陛下のご様子が……という話を聞いたのですが」

「その噂はわしの耳にも届いておる。しかしお会いする機会もめっきり減ってしまってな……避けられていたのやもしれぬ」

 やはり怪しいのは『城』のほかになかった。

 ガウェインが祈るように両手を合わせる。

「おぬしらを男と見込んで、無理を承知で頼みがある! どうか城まで行って、陛下を連れてきてはくれぬだろうか」

 ニッツが目を点にした。

「……ん? ここは城下だろ、城なんて目と鼻の先じゃねえの?」

「朝になったら案内しよう。わしでは辿り着けんのだ」

 どうやら大変な事件に巻き込まれてしまったらしい。しかしセリアスたちに断るという選択肢はなかった。これを解決しないことには、王国を脱出できないのだから。

「相応の報酬はいただくぜ? ジイさん」

「わしの私財でよければ譲ろう。街のみなにも話を通しておくから、物資も好きなだけ揃えるといい」

 ガウェインの厚意もあって、今夜はスイートルームを借りることに。

 戦いは明日。夜の間だけの、つかの間の休息が訪れた。

 

 その夜、セリアスは真中のベッドで飛び起きる。

「ハッ? ……ゆ、夢か……」

 まだ心臓がばくばくと鳴っていた。ゾンビとはいえ『人間』を斬った、あの感触が生々しいほどに蘇ってくる。

「えらくうなされてたぜェ、セリアス」

 暗闇の中、右のベッドではニッツがまだ起きていた。

左のほうでも仲間が身体を起こす。

「地下道のあれ、だろう? ゾンビを殺ったのは初めてか」

「……ああ。動く骸骨も、話に聞いてただけで……」

 冒険者なら誰しも通る道なのかもしれない。

 ウォレンは身体を横にして、少しずつ昔のことを語り始めた。

「おれは殺したことがあるぞ、ゾンビじゃなく人間をな。ある商人の旅の護衛で……運悪く強盗に出くわしちまったんだ」

 ニッツが相槌を打つ。

「よくある話じゃねえか」

「まあな。三人組だった……近づいてくる前に、まずは弓でひとり。それから剣でもうひとり。すると、最後のひとりは武器を捨てて、命乞いを始めた。だが……」

 ウォレンは強盗を見逃さなかったのだろう。残酷なようだが、ほかの仲間とともに報復に戻ってくる可能性を考えれば、合理的な判断といえる。

「あの時のおれはひとを殺して、興奮してたのさ。多分な」

「……そうか」

 改めてセリアスはウォレンの強靭さを知った。単に腕っ節が強いだけではない。数々の経験や葛藤が彼をより逞しく、より屈強に育てあげている。

 それでもニッツは皮肉めいた笑いをやめなかった。

「ケケケ! そんならオレもひとつ、オマエに昔話を歌ってやるよ、セリアス。……オレにもあるのさ、人間を殺しちまったことがな」

 彼の口から衝撃の事実が明かされる。

「実をいうと、オレは逃げてる最中なんだ」

「……嘘だろ?」

「おっと、オレは冗談は言っても、嘘は言わねえぜ? まあ聞けって」

 長い深呼吸のあと、その物語は始まった。

「ダチとコンビ組んで、どこぞのご貴族様が忘れたっていう財宝を探してたんだよ。オレたちはご貴族様の依頼で、あちこちで情報を集め……マジで隠し場所を見つけちまった。そいつぁすげえ宝の山さ!」

 セリアスの脳裏でイメージが膨らむ。財宝を見つけてめでたしめでたし、とは行かなかったのだろう。豪勢な宝の山を目の前にして、ふたりの間で何かが起こった。

「そしたら、そいつが目の色を変えやがって……まあ、オレも裏切られる予感はあったから、返り討ちにしてやったんだが。おかげで宝は血まみれよ。誰かがそんな現場を見たら、オレが欲に目が眩んで殺った、ってふうに思うだろ?」

 さっきの仕返しとばかりに、今度はウォレンが笑いを含んだ。

「だから逃げたのか? ニッツ」

「おうよ。厄介ごとは御免だからなァ」

 ニッツも自嘲を込めて笑う。

「その結果がこれだぜ。船にも乗れず、もっとヤバいことに巻き込まれちまった。……まぁなんだ、こういうのに比べりゃ、今日のは人殺しのうちに入んねえさ」

「そうだ。気に病むことはないぞ、セリアス」

 人殺しの経験談とはいえ、人生の先輩たちに諭され、少しは楽になれた。

「ありがとう、ウォレン、ニッツ。明日もよろしく」

「それじゃあ今度こそ寝るとするか。おやすみ」

「目が覚めりゃ、全部夢だったーなんてことにはならねェかなぁ」

 スタルド王国の夜も更ける。

 

 翌朝、曇り空のもと、セリアスたちは北の絶壁を仰ぎ見た。

 この頂上にこそスタルド城があるという。しかし階段は先月の地震で崩れており、簡単には登れそうになかった。

「どうやって登れってんだよ? ジイさん」

「あれだ」

 ガウェインの指差すほうには、絶壁にも迫る高さの丸い塔が建っている。その最上階からは一本の橋が伸びていた。

「なんとも風変わりな景観だな……」

「騎士の試験などで使われておってな。わしらは『試練の塔』と呼んでおる」

 スタルド城へ辿り着くためには、この塔を昇らなくてはならなかった。ただし地下道と同じで『化け物』が出るとのことで、素人には突破できない。

 試練の塔の麓には大勢の民が集まっている。実力派の冒険者が城へ挑むと聞きつけ、応援に来たのだろう。その表情は期待と不安、両方の色を帯びていた。

「お願いです! 城には私の娘が……侍女をしておるのです」

「息子を助けてください! いつもはこの塔で働いてて」

 まだ城には騎士のほか、大勢の使用人も残っているらしい。

 セリアスたちは装備を点検しつつ、ガウェインの助言に耳を傾ける。

「四騎将を捜すがよい」

「……四騎将?」

「国王陛下の側近にして、スタルド王国の守りの要だ。わしの一番弟子で現騎士団長のオルグも、どこかで機会を窺っていよう。……無事であればな」

 セリアスは浮かない顔で押し黙るほかなかった。

(期待はできそうにない、か)

 それほどの実力者が健在であれば、すでに王国騎士団が総出で城下の守りを固めているはず。だが騎士団は塔や城へと雲隠れし、一向に出てくる気配がないのだ。

 四騎将もまた呪いに巻き込まれている可能性が高い。

「準備はいいか? セリアス」

「ああ、いつでも……」

 そこへセリアスとそう歳の変わらない、騎士の青年がずかずかと近づいてきた。後ろの部下たちも運よくゾンビ化を免れたらしい。

 ガウェインに向かって、彼は声高に主張する。

「お爺様! このような通りすがりの連中をあてにするなど、あってはなりません!」

「……ロイか。お前には南門の警備を指示してあったはずだが」

 元騎士団長の孫というだけあって、プライドの高そうな面構えだった。祖父の言葉には聞く耳を持たず、我こそはとまくし立てる。

「城へは私が行きましょう。必ずや陛下に真意を問いただしてみせます。それにミレーニア姫をお救いしなくてはなりません」

「待て、ロイ!」

「今日こそ証明してみせますよ。私は実力のうえでもあなたの後継者なのだと」

 ついには祖父の制止も振りきり、部下とともに塔へと入っていった。

 ガウェインは無念そうに肩を落とす。

「肩書きばかり気にしおって……血筋だけで団長になれるわけではないというのに」

「ありゃまた、随分と跳ねっ返りの強ぇお孫さんだなァ」

「いやまったく。どうも姫様に気があるようでな……騎士ならば王国の民のことを第一に考えよ、と教えてきたのだが」

 初対面のセリアスにもロイの思惑は想像がついた。王女の身を案じ、居てもたってもいられないのだろう。ただ、同時に名声を欲し、躍起にもなっている。

 ニッツがセリアスの背中を肘で小突いた。

「王女様だってよ。ヘッヘッヘ……狙ってみるか? セリアス」

「焚きつけるならウォレンにしてくれ」

 ウォレンは塔を見上げ、息を飲む。

「見殺しにもできない。おれたちも行こう」

「ああ」

 かくしてセリアスたちは試練の塔へと足を踏み入れた。

 この塔は騎士団の詰め所も兼ねており、有事の際は砦と化すとか。それが今回は仇となり、こちらの行く手を阻もうとしていた。一部の通路には鉄格子が降ろされている。

 壮麗な造りを目の当たりにして、ウォレンとニッツはほうと感心した。

「……大したもんだな」

「スタルド騎士団の総本山ってだけあるぜ、ケケケ」

 エントランスホールは天井が吹き抜けになっており、三階までを一目で窺える。まだ朝の十時過ぎにもかかわらず、壁面の照明は火を揺らめかせていた。

 真上のシャンデリアもこうこうと輝きを放つ。

「あれはどうやって火をつけてるんだ?」

「魔法だろーよ。火をつけたり消したりってのは基本だしな」

柱は見るからに頑丈な造りで、この巨大な塔をしっかりと支えていた。

 壁のあちこちには盾の紋章が刻まれている。

(盾の王国……か)

 スタルド王国は『盾』を象徴とし、攻めることよりも守ることを美徳とした。古くには魔王の侵攻にも屈さず、この地を守り抜いたという。

 ただ実際のところは、さして強みのない北方の小国家である。近隣諸国を刺激せずにいようとする一種の厭戦観が、防衛一辺倒の対外政策に表れていた。

「ご挨拶はなしか。騎士団は上みたいだなァ」

「油断するなよ。地下道と同じなら……」

 二階に上がって早々、ウォレンの予感は的中する。

 栄えあるスタルド騎士団の面々は白目を剥き、苦しげな呻き声をあげていた。もはや自我すらない様子で、剣を引きずりながら、塔の中をふらふらと彷徨っている。

 セリアスたちは柱の陰で息を潜めた。

「どうする? ウォレン。さすがに三人でこの数は……」

 おそらく彼らは三階や四階でもたむろしているだろう。正面から挑んだところで、数の差で押しきられるのは目に見えていた。地下道の衛兵と違い、装備も充実している。

 とはいえ動きは緩慢として鈍かった。目や耳の機能も怪しい。

「少し探ってみよう。戦いが始まったら、それどころじゃなくなるからな」

「ヒヒヒ! うっかりやらかして囲まれるのだけは、ごめんだぜぇ?」

 上へ進むのはあとまわしにして、セリアスたちはまず二階を調べてみることにした。ガウェインにもらった地図を確認しつつ、武器庫などを探っていく。

「お宝部屋は城だよなァ、やっぱ」

「火事場泥棒したとして、売るあてはあるのか? ニッツ」

「足がつくような真似はしねえさ。それに……こういうブツなら、売らずに自分で使うって手もあるだろ?」

 ニッツは立派な槍に目をつけ、得意げに構えた。

 それをウォレンが鼻で笑う。

「そいつはレプリカだぞ、ニッツ。布団も貫けないな」

「おっと? やべぇ、やべぇ……」

 この状況で冗談が言えるほど、ふたりは肝が据わっていた。おかげでセリアスも緊迫感に囚われ過ぎず、冷静でいられる。

「……ロイはどこへ?」

「あいつはここの騎士だろう? この塔の構造には詳しいはずだ」

 突然、武器庫の外が騒がしくなった。ゾンビ兵らのおぞましい悲鳴が聞こえる。

「あの坊やが見つかっちまったかァ?」

「いや、これは……まさか!」

 同時に振動が響いてきた。セリアスたちははっとして、武器庫を出る。

 通路の向こうから異様なものが転がってきた。ゾンビ兵をことごとく踏み潰しながら、セリアスたちのほうへ迫ってくる。

「まずいぞ、走れ!」

 ウォレンの号令とともにセリアスとニッツも駆け出した。

 その後ろを転がりながら追ってくるのは、身体が異常に肥大化してしまったらしい、中年の騎士。手足は短すぎて、ブレーキにもならない。

 さしものニッツもおどけていられず、狼狽する。

「なんだよ、ありゃあっ?」

「ほかのゾンビとは格が違う! あいつは危険だ!」

 大型の魔物は柱に激突するも、すぐにスピードをあげた。こちらを狙っているのは間違いなく、反射や反動を利用して、みるみる距離を詰めてくる。

「ウォレン、ニッツ! 上に逃げよう!」

「ああ! 遅れるなよ、おまえら!」

 セリアスたちは階段を駆けあがり、三階へと逃げ込んだ。体力の差でニッツは遅れがちなものの、必死に追いあげてくる。

「ハアッ、ハア……こ、ここまで来りゃあ……げえっ?」

 ところが魔物は階段さえ勢い任せに転がり、昇りきってしまった。

 胸に埋もれている男の顔が、慟哭めいた咆哮を轟かせる。

『ナゼダ……ナゼ! マダ生キテル奴ガイルッ!』

 その巨躯が再び猛烈な回転を始めた。

 セリアスたちは脇目も振らず、ゾンビ兵の真っ只中を駆け抜けていく。

「止まるなよ! 少しでも止まったら、こいつらの仲間入りだ!」

「だ、だからって、いつまで走んだよっ? ゼエッ、オレはもう持たねえぞ!」

 追いつかれ、無惨に轢かれるのも時間の問題だった。どこかで勝負に出るしかない。

 ふとセリアスの脳裏に閃きが走った。

「右に曲がってくれ、ウォレン!」

「なんだって? ……そうか! 冴えてるじゃないか、セリアス!」

 セリアスの作戦にウォレンも勘付いたらしい。右に曲がって、まっすぐに走り、次のT字路は左へと切り返す。

「あと少しだ、ニッツ! 頑張れ!」

「ゼエ、ゼエ……な、なるほどな……くおおおっ!」

 土壇場でニッツも気合の走りを決め、追跡者をあるポイントへと誘い込んだ。

 そこはエントランスホールの真上。ウォレンとニッツは左右に分かれ、あとは身軽なセリアスだけで敵をおびき寄せる。

「跳べ、セリアス!」

「ああ!」

 セリアスは吹き抜けへと身を投げ、シャンデリアに飛び移った。

 獲物を轢き殺すつもりの魔物も止まらず、ボールのように弾む。だが、シャンデリアはすでにセリアスを乗せ、その反動で遠ざかっていた。

 魔物だけが真っ逆さまに落ちていく。

 下のほうでズシンと音がした。セリアスが通路へと戻ったところで、ウォレンがブーメランを投げ、シャンデリアの留め具を断つ。

「こいつもオマケだ、とっときな!」

 さらにニッツの魔法を受け、シャンデリアは炎をまといながら落下した。それが魔物の脳天を直撃する。

 身の毛のよだつような断末魔が響き渡った。

『ツマトムスメヲサシオイテ、生キルナド……グアォオオオオッ!』

 やがて炎も消え、黒焦げの亡骸だけが残される。 

「なんとか振りきったな。……大丈夫か? セリアス、ニッツ」

「僕はなんともないよ。走っただけだしね」

「ちょっと休ませてくれ。ハア、ハア……でねぇと、オレは降りるぜ?」

 さっきの魔物がさんざん暴れたせいで、三階のフロアは滅茶苦茶になっていた。ただ、おかげでゾンビ兵も一掃され、安全の確保は容易い。

「まさかよォ、今のがジイさんの弟子ってことは……」

「違うと思いたいが、並みの騎士ではないはずだ。四騎将だったのかもしれんぞ」

 呼吸を整えてから、改めてセリアスたちは三階の調査を始めた。

 先に入ったはずのロイ一行は見当たらない。敵の目を盗んで上へ行ったのでなければ、引き返したのだろう。

「ウォレン、セリアス! こいつが怪しいぜ」

 大きな扉に耳を当てながら、ニッツが手招きした。

 そこらじゅうに破壊の跡が残っていたり、ゾンビ兵の躯が横たわっているにもかかわらず、この扉の一帯は小奇麗に保たれている。

「……誰もいないようだな。よし」

 まずはウォレンが慎重に扉を開け、セリアスとニッツも足を踏み入れた。

 そこは豪勢な一室で、足元には美々しい絨毯が敷かれている。肩章のようなタペストリには『盾』の紋様が描かれ、部屋の格式をスタルド風に高めていた。

 ベッドの上に人影を見つけ、セリアスは咄嗟に剣を抜く。

「だ、誰だっ?」

「落ち着け、セリアス。……よく見てみろ」

 だが、それはもはや人間ではなかった。

 白骨死体がふたつ、まるで母と子のように寄り添いあっている。

奇妙なことに『彼女ら』は華やかなドレスを身にまとい、香水の香りさえ漂わせた。鏡の前には化粧品まで揃っている。

 その鏡を手に取り、セリアスは先ほどの魔物を思い出した。

「妻と娘……」

「じゃあ、さっきのが旦那のなれの果てってかァ。どうなってんだ? 一体」

 この事件はすでに常人の理解を超えており、ニッツはお手上げとばかりに肩を竦める。一方でウォレンは気を抜かず、一冊の手帳を発見した。

「こいつは……! セリアス、ニッツ、わかったかもしれないぞ」

「ひょっとして、この部屋の主が?」

「うむ。ここだ、おまえたちも読んでみてくれ」

 最初のほうは仕事のメモが綴られている。ところが途中から字が乱れ、『いやだ』『くるしい』などといった怨嗟の言葉ばかりが滅茶苦茶に書き殴られていた。

 そして最後の数ページには悔恨と懺悔が残されていた。

 

 三日ほど前、スタルド4世国王陛下がわれわれ四騎将をお呼びになった。

 そこで陛下はこう仰ったのだ。

 ――わしに忠誠を誓え。さすれば、わしの力の一部をそなたらにも授けよう。ただし力の代償として、もっとも大切なものを失うことになろうが――と。

 陛下への忠義以上に大切なものなど、あるはずもない。たとえ陛下がおかしなまじないに手を染め、急変されようと、われらの心は決まっている。

 私は陛下の命に従い、すべてを受け入れた。

 だが、それは取り返しのつかない過ちであった。力の『代償』として、私は最愛の妻と娘をこのような形で奪われてしまったのだ!

 ふたりの身体はみるみる溶け崩れ、骨だけとなった。あの美しい妻が、あの可愛い娘が……私は自らの愚かしさを呪うとともに、ようやく気付いた。

 陛下は悪魔と取引をしたのだ、と。

 しかし気付くのが遅すぎた。私も悪魔の力に飲まれ、狂わずにはいられない。

 スタルド王国はじきに崩壊するだろう。せめて、ひとりでも多くの民が難を逃れ、生き延びてくれることを切に願う。

 今これを読んでいる諸君、どうか民にこの危機を伝えてくれ。一刻も早くスタルドを離れ、あとはすべてを朽ちるに任せるのだ。決して関わってはならぬ!

 蠍の月、十一日。 四騎将バロン、ここに記す。

 

 手記を閉じ、セリアスたちは白骨死体の妻子に黙祷を捧げた。

「王国がガタガタになってるわけだぜ……」

 発端はスタルド4世が誘惑に屈し、悪魔とやらの取引に応じたこと。王は手駒を欲してか、配下をも巻き込んだ。

 ウォレンは険しい表情で腕組みを深める。

「四騎将だけじゃない。騎士団もほぼ全員が巻き添えを食わされて、あんな姿に……」

「地下牢にいたシェフなんかは助かったみてぇだけどなァ」

 セリアスは手記を懐に入れ、すっくと立ちあがった。

「急ごう。ロイたちが心配だ」

「あいつらを回収したら、一旦戻るぞ。ガウェインに報告しないとな」

「へいへい。尻尾巻いて逃げるってんなら、オレも文句ねえよ」

 バロンの遺言を無駄にしないためにも、セリアスたちはこの手記を持って帰らなくてはならない。四騎将との交戦を踏まえて、作戦を練りなおす必要もあった。

 階段を昇り、塔の四階へと踏み込む。

 三階までは騎士の歴史と伝統を思わせる、重厚な造りだった。それが四階ではがらりと様式を変え、窓枠や燭台に至るまで、鮮やかな花で彩られている。

「こりゃあ、ご令嬢でもいらっしゃるのかねえ?」

「確か四騎将には女性がいたはずだ。エスメロード、だったか……」

 このフロアの支配者は女性と考えると、しっくりきた。

 下層では吹き抜けのあった場所まで来て、セリアスたちは柱の陰に身を隠す。

「ウォレン! このままじゃ彼が……」

「わかってるさ。チャンスを待て」

 前方ではロイがたったひとりでゾンビ兵の一団と相対していた。仲間はすでに殺られたのか、彼の足元でぴくりとも動かない。

 ゾンビ兵の中央で妙齢の女魔導士がほくそ笑む。

「ウフフフ! ここまでのようね、坊や。観念なさい」

「エスメロード! どういうつもりだ? なぜ僕の邪魔をする!」

 ロイは強がるものの、明らかに動揺していた。まさか誉れ高い四騎将が『敵』として立ちはだかるとは思わなかったのだろう。

「陛下に仇なす者は万死に値する……それだけよ」

「ぼ、僕は陛下を裏切ったつもりなどない! 貴様こそ、これは陛下がお認めになったことだとでもいうのかっ?」

 まるで逆賊のように扱われ、わなわなと肩を震わせる。

 柱の陰でウォレンが声を潜めた。

「おれがブーメランであの女の気を引く。その隙にセリアスはロイを」

「ああ。タイミングはウォレンに任せるよ」

「あとはオレが目くらましに魔法をぶっ放してやっから」

 カウントダウンを待ちながら、セリアスはダッシュの体勢となる。

「さっきも言ったはずよ。私に逆らえば、あなたは」

 エスメロードに挑発され、ロイはとうとういきり立った。

「そんなハッタリで僕を止められると思うなっ! そこをどけ、エスメロード!」

 剣を振りかざし、真正面から飛び掛ろうとする。

「……うわっ! なんだ?」

 その瞬間、ロイとエスメロードの間をブーメランが横切った。ところがブーメランは意外な方向に曲がり、窓にぶち当たる。

「ぐううっ?」

 ウォレンは苦痛に顔を歪め、膝をついた。左の上腕から赤い血が流れる。

「大丈夫か、ウォレン!」

「そ、そいつだ……気をつけろ、セリアス……!」

 一匹の蛇がしゅるしゅると柱を這い降り、逃げていった。

 エスメロードの高笑いが木霊する。

「ホホホホッ! それで隠れてるつもりだったのかしら? おバカさんたち」

 とっくに勘付かれていたらしい。セリアスとニッツはふたり掛かりでウォレンを抱え、冷や汗をかいた。

「ちょいと美人だからって、調子に乗りやがってぇ……」

「あら? あなたは正直ね。でも残念、私のタイプじゃないわ」

 セリアスたちに驚きながらも、ロイは意地を張り、エスメロードに剣を向ける。 

「貴様の相手は僕だぞ! どこを見て……なっ?」

 その身体が不意にびくんと跳ねた。剣を落とし、頭を抱えて蹲る。

(ま、まさか?)

 セリアスたちの目の前で彼はみるみる小さくなっていった。騎士服だけが残り、その中からグリーンの蛇が飛び出してくる。

「綺麗な色の子ねぇ! ウフフ、気分はどう? 前騎士団長のお孫さん」

 ロイは一匹の蛇となってしまったのだ。蛇はエスメロードもセリアスたちも避け、ゾンビ兵の足元をすり抜けていく。

 セリアスは青ざめ、ごくりと息を飲んだ。

「彼に何をしたんだ? あなたは……」

「言っておくけれど、チャンスはあげたのよ? 私に逆らわない限り、あの子は人間の姿でいられたんですもの。なのに、おいたが過ぎるから……フフフ!」

 エスメロードは酷薄な笑みを浮かべ、今にも崩れそうなウォレンを見下す。

「そっちの彼にも、ね。もちろん、あなたたちは私に逆らったりしないでしょけど」

「テメエ……やりやがったな」

「あなたたちが陛下の敵でなければ、いいことでしょう?」

 どうやら先手を打たれてしまったようだった。

 ウォレンはエスメロードの蛇に噛まれ、ロイと同じ呪いに晒されている。彼女に歯向かえば、その罰として、身体を醜い蛇に変えられてしまうのだろう。

「セリアス、ニッツ……お、おれに構うな。おまえたちだけでも逃げろ……」

 それでもウォレンは仲間の身を案じ、気丈にはにかむ。

 そんな彼に肩を貸しながら、セリアスはエスメロードに問いかけた。

「あなたはバロンと違って、理性を保ってるようだが……城下町で、いや王国じゅうで大騒ぎになってるのを、知らないわけじゃないだろ?」

「ええ。陛下の乱心だなんだと、根も葉もない噂が流れてるようね」

 あくまでもエスメロードにとって『王は正義』らしい。

「これより我が王は異界の魔王すら従え、完全無欠の支配者としてお目覚めになるの。私の役目はその儀式が終わるまで、誰ひとりとして城へは近づけないこと」

 エスメロードが手をかざすと、ゾンビ兵らは一斉に武器を構えた。

「冒険者風情が首を突っ込むべきではなかったわね。悪いけど、死んでもらうわ」

 セリアスとニッツはウォレンを担ぎつつ、その場を退く。

「ウォレンがこれじゃあ、戦えねえ! ここは一旦退却するぜ、セリアス!」

「ああ! やってくれ!」

 ニッツの火炎魔法が真っ黒な煙を巻きあげた。聖なる灰を触媒としたため、邪悪なゾンビ兵どもは近寄れずにたじろぐ。

 その隙にセリアスたちはエスメロードから距離を取った。

「ウフフ! 無駄なことを……逃がすと思って?」

 彼女もゾンビ兵も追いかけてこない。

 なんとか三階には戻ってこられたものの、二階への階段は結界で封鎖されてしまっていた。外壁の窓にも同じ障壁が張り巡らされている。

 ニッツは苛立ち、柱の根元に蹴りを入れた。

「あのアマッ! オレたちなんざ、いつでも簡単に料理できるってか」

「まずいな……」

 エスメロードとの力量差を痛感させられ、セリアスの顔も曇る。

 とりあえずウォレンを休ませるべく、バロンの部屋へ。悪いと思いつつ骸骨の妻子をベッドからのけ、彼を寝かせる。

「すまない、ふたりとも……おれとしたことが」

 その表情は疲れ果て、額に玉の汗を浮かべていた。蛇に変化せずとも、呪いによって精神的な消耗を強いられているのだろう。

 四騎将のエスメロードとは、ウォレン抜きで戦わなければならない。

 セリアスは水筒に口をつけ、ふうと息をついた。

「さっきから気になってたんだが……なぜ彼女はあんなにも悪魔の力を使って、自我を保ってられるんだ?」

「バロンの書き置きによりゃあ、ヤツも何か失ってんだろォ?」

 四騎将はスタルド4世に唆され、力と引き換えに大きな代償を支払っている。そのために先ほどのバロンは最愛の妻子を奪われ、狂ってしまった。

 同じことがエスメロードにも当てはまるはず。

「それでも陛下のため、なんていう健気なタイプじゃねえよなァ、あれは」

 彼女はロイと顔見知りのようだったが、まるで容赦がなかった。エスメロードにそうまでさせるものが、忠誠心だけとは思えない。

「フォッフォッフォ! お困りのようじゃの、お若いの」

 不意にしわがれた声がした。セリアスとニッツはぎょっとして振り返る。

「あ、あなたは?」

「何者だい、ジイさん」

 そこには粗末なローブをまとった、うらぶれた老人がひとり。彼は真っ白な眉の下で目を見開き、とりわけセリアスの顔つきをまじまじと眺めた。

「わしが誰であろうと、今は構わんじゃろう? それよりエスメロードの弱点を教えてやろうと思うてな。どうかね? フォフォフォ」

 セリアスはウォレンを庇いつつ、剣に手を掛ける。

 只者であるはずがなかった。この老人はセリアスたちの今の状況を知っている。しかし信用できるかは別として、エスメロードの弱点とやらは無視できなかった。

 ニッツが投げやりに肩を竦める。

「聞くだけ聞いてやるぜ。話してみな」

「うむ! 年寄りの言うことはちゃんと聞くもんじゃ」

 老人は顎鬚を撫で、思わせぶりに鼻を鳴らした。

「鏡じゃよ。あのベッピンに鏡で、自分の顔を見せてやってみい」

 呆気に取られ、セリアスとニッツは顔を見合わせる。

「……鏡って、これですか?」

 バロンの部屋には妻子のためのものらしい鏡が置いてあった。そこに老人の、年老いながらも気さくな笑みが映り込む。

「おぬしらがエスメロードを倒せるとすれば、それしかあるまいて。健闘を祈るぞ」

 彼は杖で身を起こし、よたよたと部屋を出ていった。その言葉を鵜呑みにできるほど、セリアスたちは迂闊でいるつもりはない。

「どうする? ニッツ」 

 今なお苦悶するウォレンを一瞥し、ニッツはにやりと唇を曲げた。

「そりゃ、潮時ってこったろ? オレはテメエらと一緒に死ぬ気はねえ」

 期待はあっさりと裏切られる。

「……本気か?」

「テメエこそどうなんだよ。ここで死ぬつもりかァ?」

 もとよりセリアスにしても、見ず知らずのスタルドの民のために命を賭しているわけではなかった。この国の港に用があった、それだけのことに過ぎない。

「ちょいと癪だが、オレはあの女につくぜ。じゃあな、セリアス、ウォレン」

 ニッツは悪びれもせず、セリアスたちに背を向けた。

 

 唐突な降伏を受け、エスメロードは眉をあげる。

「ニッツとか言ったわね。本当に私のもとで働きたい、と?」

「おう。魔法に関しちゃ、そこいらの連中に負けない自信はあるぜ」

 ニッツはマントを広げ、触媒やスクロールの数々を披露した。冒険家だけに実戦的な魔法を揃え、いつでも撃てるようにしている。

「急にどうしてかしら?」

「急も何も、なあ……どうせなら勝つほうに味方して、オイシイ思いをしたいじゃねえか。城下の連中には義理もねえんだしよ」

 あくまで自分は通りすがりの冒険者、くだらない正義感で儲け話をふいにするつもりはない。それがニッツの主張だった。

「おっと、ゾンビにはしないでくれよ? オレは自分が可愛いんだからさ」

 あえて私利私欲を曝け出し、要求を続ける。

「……まあいいわ。スカーレット隊も解散させたことだし」

 エスメロードは艶かしい唇を指でなぞりつつ、ニッツの降伏を認めた。しかしまだニッツの言葉を全部は信用しておらず、条件をつけてくる。

「ただし……あとのふたりをあなたが殺すことができたら、ね」

「ヘッ! お安い御用だ」

「待て、ニッツ!」

 交渉成立を目前としたところへ、セリアスがやってきた。

 ついさっきまで仲間だったはずのふたりが、真っ向から火花を散らす。

「ウォレンを見捨てて、自分だけ助かろうなんて……見損なったぞ」

「テメエにどう思われようが関係ねえ。それよか、捜す手間が省けたってもんだぜ」

 ニッツは右手に火球を浮かべ、ターゲットを見据えた。

「オレがエスメロードの部下になるには、テメエの命がいるんだ。覚悟しやがれ」

「ウフフッ! その子は顔を傷つけずに殺しなさい、ニッツ」

「へいへい。任せときなって!」

 セリアスに目掛け、火球が次々と飛び掛かってくる。

「させるかっ!」

 それをセリアスは剣で受け止め、霧散させた。修行中の『魔法剣』とはいえ、この程度の芸当はできる。

「やるじゃねえか。まだまだ行くぜっ!」

 しかしセリアスの剣は一本に対し、ニッツの火球はどんどん数を増やした。三方向、さらには四方向から同時に攻められては、捌ききれない。

「くっ!」

 前転で火球をくぐりつつ、セリアスは柱の傍へと位置を変えた。

「手出しすんじゃねえぞ、エスメロード! オレが引導を渡してやんだからよぉ!」

「好きになさい。……ウフフフ! なかなか面白くなってきたじゃないの」

 エスメロードは椅子に腰掛け、ふたりの戦いを悠々と眺めている。周囲のゾンビ兵は微動だにせず、次の指示を待っていた。

 セリアスはスクロールで氷の魔法を放つも、ニッツの火炎に阻まれる。

「いい筋してやがるぜ、テメエはよ。でも甘えッ!」

「……し、しまった?」

 真正面の撃ちあいに気を取られ、頭上の守りが疎かになっていた。いつの間にかニッツの炎は天井を駆け抜け、セリアスの真上まで来ている。

 かわす間もなくセリアスは炎に巻かれた。

「うわあああっ!」

 転げまわって火は消せたものの、もはや起きあがる力もない。

 やっとのことでウォレンが駆けつけた時には、すでに決着はついていた。

「セリアスっ? ニッツ、おまえというやつは……」

「悪く思わないでくれよ? オレだって生き残りたくて、必死なんだ」

 ニッツが勝利を確信してか、ずかずかと歩み寄ってくる。

「熱いだろぉ? 今、楽にしてやるぜ」

「……それはこっちの台詞だ!」

 次の瞬間、セリアスの剣が唸った。

「テ、テメエっ!」

 奇襲に狼狽しながらも、ニッツはエスメロードのもとまでさがる。

 セリアスの剣は彼を掠めるも、マントを引き裂いただけに終わった。ところがニッツの背中に『鏡』が現れ、エスメロードは驚愕する。

「なっ、なんですって?」

「かかりやがったな! こいつがお嫌いらしいじゃねえの、エスメロードさんは」

 ニッツがエスメロードに取り入ったのも、セリアスが憤ったのも、すべては演技。エスメロードに魔法を使わせず、隙を突くためのものだった。

 エスメロードは頬に爪を立て、もがき苦しむ。

「よくも! よくも、よくも……よくも私に鏡を見せたなあッ!」

 その美貌がみるみる歪んで、ヒキガエルのようになった。吹き出物も大量に浮き出て、膿さえ滲ませる。これこそが、エスメロードが悪魔の力と引き換えに失ったもの。

「犠牲となったのは、あなたの『美しさ』だったか」

「同情はしねえぞ!」

 すかさずニッツはエスメロードに魔法を浴びせた。セリアスには手加減もあったらしい火炎が、彼女を真っ赤に包み込む。

 エスメロードは半身を焼かれ、くずおれた。

「ハアッ、ハア……ち、力が……これくらいの炎で、こ、この私が……?」

 そこへ一匹の蛇――ロイが忍び寄る。蛇となっても怒りの感情は残っているのか、彼はエスメロードの身体に巻きつき、ぎりぎりと苛烈に締めあげた。

「はっ、放せ! 放し、な……ギャアアアアッ!」

 呪った相手に殺される。それは無惨な絵図となったが、外道の最期だけに、同情の念は込みあげてこなかった。

 ウォレンの背後から黒い影のようなものが剥がれていく。

「た、助かったのか? おれは」

 セリアスの火傷は大したこともなかった。

「本当に殺されるんじゃないかと思ったよ、ニッツ」

 演技派のニッツがはにかむ。

「テメエらに裏切られねえ限り、オレも絶対に裏切らねえ。そいつが……正当防衛とはいえ、ダチを殺しちまったオレなりの罪滅ぼしってやつなのさ」

 おかげで強敵をくだし、ウォレンを救うことができた。

 ウォレンはしげしげと鏡を覗き込む。

「バロンといい、エスメロードといい、悪魔の力には勝てなかったわけだ」

「まあ、女が顔をあんなにされちまってはなァ。ロイを蛇に変えたのも、腹いせのつもりだったんじゃねえ?」

 セリアスは剣を収めつつ、ある疑惑に駆られた。

(あの老人は一体……?)

 おそらく例の老人はスタルド4世が乱心したことも知っている。今回の助言はセリアスたちに有益なものとなったが、今後も彼に油断はできなかった。

 この塔にほかの四騎将はいないらしい。屋上まで昇れば、橋が使える。

「とりあえず一旦、下の街まで引き返すとして……うお?」

 しかし階段を使う間もなく、急に塔が揺れ始めた。

「まさか崩れるのか?」

「そこの窓から出ろ! おれのロープを使え!」

 エスメロードが頭をもたげ、不気味な笑い声を響かせる。

「おめおめと城へ行かせるものか! おまえたちはここで私と……グギャッ!」

 その顔面にウォレンのブーメランがめり込んだ。

「さっきの礼はさせてもらったぜ。急げ!」

 揺れに足を取られながらも、セリアスたちは塔の四階から飛び出す。

 間もなくして試練の塔は積み木のごとく崩れだした。六階が五階もろとも潰れ、城への橋はばらばらに落ちていく。

 揺れが止まった時には、四階のフロアが屋上となっていた。ゾンビ兵はことごとく瓦礫の下敷きとなったようで、もう敵はいない。

 昼過ぎの空は黒ずんだ雲に覆われ、冷たい雨が降っていた。

 下のほうではニッツが外壁の窪みに掴まり、必死の形相で慌てふためく。

「ややっやべえ! 落ちる、落ちる!」

「こいつに掴まれ!」

 ウォレンとセリアスは上からロープを投げ、ふたり掛かりでニッツを引きあげた。さしものニッツも九死に一生を得て、腰を抜かす。

「ゼエ、ゼエ……助かったぜ。ありがとうよ、ウォレン、セリアス」

「お互い様さ。おれもおまえたちには助けてもらったからな。……にしても、よく崩壊に巻き込まれずに済んだものだ」

「運がよかったんだよ。悪運ってやつがね」

 昨日今日会ったばかりにもかかわらず、自然と意志疎通ができた。ニッツをロープで引っ張りあげるにしても、ウォレンからセリアスに指示があったわけではない。

 ただ、このルートでは進めなくなってしまった。

「ガウェインさんに報告して、次の作戦を立てよう」

「ああ。エスメロードの結界も消えただろうし、さっさと降りるとするか」

 引き返そうとした矢先、瓦礫の隙間から蛇のロイが飛び出してくる。

 ニッツはあっけらかんと笑った。

「ハハハッ! コイツも悪運だけは強ぇみたいだなァ」

「この雨の中で置き去りにするのもね。連れてってやろう」

 セリアスたちはロイを回収し、塔の麓へ。

 

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