忘却のタリスマン

 

第12話

 画廊の氷壁はふたつのエリアに分かれている。

 ほかの冒険者たちが『表』のルートを探索中とするなら、セリアス団はまさしく『裏』のルートを進んでいた。脈動せし坑道から続く、未踏破のエリアである。

 おかげで貴重な宝も先取りされることがなかった。氷結に耐性のあるレジストリングが手に入ったおかげで、寒さもいくらか和らげることができる。

「あとは念願のアイスソードを見つけるだけだな。ヘヘッ」

「……それを奪い取って、冥府に落ちた、なんていう昔話もあったな」

 ミスリル製の武具もあって、装備はかなり充実してきた。グランツの冒険者として、そろそろベテランの仲間入りをしたと思っても、自惚れにはならないだろう。

「風のマジック・オーブなんかも出てくると、いいんだけどさあ」

「そうだな。魔法屋のを買ってもいいんだが」

「はあ……」

 ただ、イーニアはすっかり活躍の機会を失ってしまっていた。

 もちろん水とは別の属性で杖を拵え、即戦力とする手もある。しかしセリアスはあえてそれを採用せず、彼女に努力と改善の余地を残した。

「スクロールの節約は考えなくていいんだぞ、イーニア。どんどん使え」

「あ、はい。そのつもりではあるんですけど……」

 誰しも上手くいかない時はある。それを乗り越えてこそ、成長できるのだ。いつまでもセリアスやグウェノが付きっきりというわけにもいかない。

 また、これはメルメダの指示でもあった。属性に振りまわされるようでは、魔法使いとして二流。プロならば不運を嘆くより、状況の打破を第一に考えるのだから。

 画廊の氷壁を探索しつつ、セリアス団はいつぞやの大部屋を訪れた。三角柱の氷塊が列を成し、挑戦者を待ち構えている。

「光で示せ。さすれば道は開けよう。……メッセージはこれだけです」

「光といったら、あれしかねえよなあ」

 入り口の近くには、ちょうどコンパスが納まる窪みがあった。そこにコンパスを嵌め込むと、ハクアの光が一直線に飛び、氷の斜面で反射する。

 要は氷塊の位置を変え、この光を出口の水晶体に当てればよいらしい。

 ハインは剛勇のタリスマンを用いるも、氷塊の『向き』は変えることができなかった。

「ぐぬぬ……! どうやら、ここのルールには逆らえんようだ」

「そう難しい仕掛けじゃないさ」

 この手の謎解きはソールの地下迷宮で散々こなしたため、お手のもの。セリアスはてきぱきと指示を出し、ハクアの光線を巧みに導いた。

 正面の扉が開くものと思いきや、床の中央が抜け落ちる。

「楽勝じゃねえか! まあ落ち着いてやりゃあ、子どもでも突破できそうだしなぁ」

「そういうことだ。コンパスを忘れるなよ、イーニア」

 ところが次のフロアでも同じような仕掛けが待っていた。ネタがわかれば簡単ではあるものの、肝心のハクアが残り少ない。

「こいつは困ったのう……」

 ハクアとは善行が生み出すエネルギーのこと。このためにセリアスたちは街で普段から善行を心掛け、コンパスにハクアを供給している。

「ちょっと思ったんだけどさあ。出直したら、上の階からやりなおしってわけ?」

「どうでしょうか……だとすると、もっとハクアがいりますね」

 しかし最近はグランツの周囲に手配モンスターがおらず、セリアスは成果を上げられずにいた。ハインも今月に入ってからは力仕事がメインで、診療所には詰めていない。

 ろくにハクアを集めないでいるのは、グウェノである。

「たまにはお前もコンパスを光らせてくれないか」

「オ、オレだって頑張ってるんだぜ? グランツの平和ってやつのためにさ」

 それにレジストリングなどの助けもあるとはいえ、氷壁での探索は時間が限られた。天候も変わりやすいため、頻繁に拠点まで戻らなくてはならない。

「セリアス、そろそろ……」

「ああ。身体も冷えてきたことだし、帰るとしよう」

 難関とされる秘境だけのことはあった。

 

 

 週末の夜は行きつけの酒場で情報交換がてら、集まることになった。酒は苦手なセリアスではあるが、今夜はジュノーも道連れにして、皆でテーブルを囲む。

「忙しいみたいだなぁ、ジュノー」

「ええ、まったく。グランツでは最初の学校となるわけですし」

 道理で『彼』が氷壁の探索には来ないわけだった。

 面子はセリアスとジュノー、グウェノのほかに、ロッティも参加している。彼女は未成年のため、ソーダを飲んでいた。

「こないだの女の子は来ないの? セリアス」

「グレナーハ邸は門限が厳しいんだ」

 イーニアに関しては適当な言い訳でやり過ごす。

 ちなみにハインはゾルバたちと飲むようで、今夜は欠席となった。三十三歳の彼にしてみれば、二十代がメインの会合ではいささか居心地が悪いのだろう。

「しっかしマルグレーテとジョージとで、学校の建設なあ……なんで、そんな組み合わせになっちまったんだ?」

「こう言ってはなんですが、誰もやりたがらなかったんです」

「なるほど。それで子爵にお鉢がまわってきたわけか」

 ジュノーがいるおかげで、探索以外のことでも話題が弾んだ。

 城塞都市グランツは一時、白金旅団の壊滅で荒れたものの、すっかり落ち着きを取り戻している。その陰にはジョージ=エドモンド子爵のささやかな健闘もあった。

「ジョージさんは全部、部下に任せるタイプのかたみたいですから。僕らとしてはあれこれ言われたりせず、助かってます」

「そのほうがいいかもな」

 演奏会以降、あの子爵の出番は増えつつある。

 ただ、それは別に有能だからではなかった。教育機関の創設にしても、勉強不足のジョージでは何もわからず、手も足も出ないのが実情だろう。

 しかし『口を出さない上司』こそ、現場の人間にとってありがたい。おかげでジュノーも音楽家としての仕事に大きなやりがいを感じているようだった。

 つまみが出揃ったところで、メルメダが店にやってくる。

「よう、メルメダ! こっちだぜ」

「遅れちゃって、悪いわね」

 彼女はセリアスと同じビールを注文し、御自慢のおみ足を組み替えた。

「ロッティも久しぶりじゃないの。グランツに来てたのねえ」

「セリアスがいるって聞いてねー。前々からフランドールの大穴には興味もあったし」

 ふとメルメダとジュノーの目が合う。

「初めまして、メルメダさん。僕は吟遊詩人のジュノーと申します。セリアスさんのお屋敷で部屋を借りてまして」

「ふぅん。むさいのばかりと思ってたけど、小奇麗なのもいるじゃない」

 目の前にいるのが例の忍者だとは、気付いていないらしい。

(黙っておくか)

 セリアスは口を噤んで、聞き手にまわった。

「そんじゃあ面子も揃ったし……ロッティ、だっけ?」

「うん! 楽しみにしてたんだよね、今夜の。イーニアに会えないのは残念だけど」

 ロッティが待ってましたとばかりに話を切り出す。

「あたしはロッティ。フランドールの調査隊ってことで、派遣されてきたの」

 白金旅団の一件もあって、タブリス王国は逆風に曝された。そのためフランドール王国の調査隊を受け入れることで、緊張の緩和を図ったのだろう。

 ロッティは若いとはいえ、考古学者としてそれなりに実績もある。

「あたしがセリアス団のオブザーバーになったげるから、期待しててよ」

「ヘヘッ! そいつは頼もしいじゃねえか、なあ? セリアス」

 しかし考古学者といえ、十五歳の少女。

「……で、イーニアってセリアスのなんなわけ?」

興味本位の質問はセリアスの表情を一瞬にして苦くさせた。メルメダも乗ってきて、セリアスにあらぬ疑いを掛けてくる。

「ロッティといい、イーニアといい……あんた、やっぱりロリコンなんでしょ」

「……はあ」

 セリアスは呆れるものの、グウェノの追及は止まなかった。

「ロッティとはどういう関係なんだよ? 白状しろって」

「ソール王国の遺跡調査で護衛をしただけだ」

 面倒くさいことこのうえないが、ロッティの口を塞ぐことはできない。

「セリアスって、あたしのお姉ちゃんと付き合ってたのよ。でもさあ、数年ぶりに帰ってきたら、お姉ちゃんは新しい彼氏と一緒に住んでたわけで……」

「ええっ! まじで?」

 ジュノーはセリアスに気遣い、神妙に声を落とした。

「そ、それは……気の毒でしたね」

「俺が放ったらかしにしてたせいなんだ」

 一方、グウェノとメルメダは『してやったり』と意地悪な笑みを浮かべる。

「なーるほど。ロッティの護衛は、故郷を出る口実にもなったってか」

「恋人……じゃなかったわね、元・恋人に頼まれたのよ。妹の面倒を見てやってって」

 当時は十四歳だったロッティをソール王国に派遣するにあたっては、故郷の皆からもセリアスに依頼があった。街が誇る天才少女を守ってやって欲しい、と。

「そんなわけで、あたしはセリアスと一緒にソールにいたの。……まあ、セリアスは行方不明になっちゃうし、クーデターがあったりもしたんだけどさ」

 グウェノが同情気味にセリアスの肩を叩く。

「オレが女を紹介してやろっか?」

 だが、セリアスとて攻められっ放しではいなかった。

「そういえば、グウェノ……お前、賭けの負け分はいつ払ってくれるんだ?」

「賭けだあ? んなもん、どこで……ああっ!」

 思い出したらしいグウェノが青ざめる。

 前にイーニアがジュノーに惚れたかどうかで、セリアスとグウェノは別々に張った。イーニアはまるでジュノーに靡かないため、セリアスの勝利が決まりつつある。

「お前の態度次第では、このまま忘れてやってもいいんだが……」

「の、飲もうぜ、セリアスさん! どうぞ、どうぞ!」

 メルメダは舌を吐くようにかぶりを振った。

「ったく、男ってやつは……どうせ、くだらないことに賭けてたんでしょ。ジュノー、だっけ? こいつらと付き合ってたら、あなたも『三枚目』になっちゃうわよ」

「ははは……」

ジュノーは気まずそうに苦笑いを浮かべる。

 ロッティとしてはやはり同世代のイーニアが気になるようだった。

「あたしのことはいいからさあ、イーニアのこと、教えてよ」

「ん? そうだなあ……」

 セリアスたちは順を追って、城塞都市グランツでの出来事を打ち明けていく。

セリアス、ハイン、グウェノの三人でこの街に到着したこと。徘徊の森でイーニアと出会ったこと。魔法使いがいなかったため、セリアスは彼女をパーティーに加えている。

 グウェノは頬杖をつき、心配そうにぼやいた。

「最近はちょいと調子が悪ぃみたいだなあ、イーニアのやつ……」

「実力がついてきた証拠さ」

 しかしセリアスは肩を竦め、彼の心配事を一笑に付す。

 それなりに場数を踏んで、垢抜けてきたからこそ、イーニアは伸び悩んでいるのだ。セリアスの指示に従うだけで成長できる時期は、もはや過ぎた。

これからは自分で決断してこそ経験となる、そんなレベルに達したのである。

「あいつは長い目で見てやらないとな」

「あらあ? 私とは随分、扱いが違うじゃないの」

「お前はベテランだろ、メルメダ」

 それにメルメダもいる。戦闘においてイーニアの動きに無駄がなくなってきたのは、ほかでもないメルメダの教えの賜物だった。

 ところがイーニアの話題にもかかわらず、ロッティは不満げに口を尖らせる。

「そーいうんじゃなくってさあ……セリアスとの関係とか、聞きたいわけ」

 さっきまで面白半分でいたグウェノが、がっかりと肩を落とした。

「それがよぉ……イーニアのやつ、てんで男を意識してねえんだよ。カシュオンにしてもそうだし、ジュノーん時も無反応でさあ」

「さては僕をけしかけましたね? グウェノさん」

 セリアスたちのテーブルで笑い声が響く。

「どうなんだよ、メルメダ? カシュオンのほうは……」

「相変わらず『イーニアさん』にはご執心みたいよ。でも……ねえ?」

 この場にいないカシュオンのことが少し哀れに思えてきた。

 酒の席では欠席者こそネタにされるもの、と相場が決まっている。カシュオンのおかげで今回、ハインは難を逃れた。

 不毛な恋愛トークが一段落したところで、セリアスは慎重に声を潜める。

「……ロッティ、実はお前に相談したいことがあるんだ。秘境について、なんだが」

「待てよ、セリアス。メルメダもいるんだぜ?」

 グウェノは待ったを掛けるものの、メルメダが察してくれる。

「私のことなら気にしないで。グランツでは稼ぎたいだけだから、あんたたちの情報をカシュオンに流したりはしないわ」

「助かる。ジュノーも適当に聞き流してくれ」

「わかりました」

 改めてセリアスは考古学者の少女に、これまでの探索の成果を打ち明けた。

 ロッティが小さな身体で腕組みを深める。

「すっごい面白そうじゃないの、それ。剛勇のタリスマンに、女神像……」

「王国には黙っといてくれよ?」

「わかってるってば。……ねえ、その女神像なんだけど、スケッチとかないの?」

 とりわけ彼女は『女神像』に関心があるらしい。

「あれは辺鄙な場所にしかねえって話だからなあ。王国調査団にしても、実物を見たことはないんじゃねえ?」

 フランドールの大穴には謎めいた女神像が点在していた。セリアスたちも風下の廃墟や脈動せし坑道で数体を発見している。

 考古学者の見解はぜひとも聞いてみたかった。

「なら、実際に見てみるか? そのほうが早いだろう」

「いいのっ? うん、うん!」

 冒険者としては素人のロッティが同行することとなり、グウェノが釘を刺してくる。

「大丈夫かよ、セリアス? それなりに歩かせることになんだし……」

「どうせ一度はついてくる気なんだ。体力勝負に持ち込んで、追っ払おう」

 早いうちにロッティを探索から遠ざけたいのも、本当のこと。興味本位で首を突っ込むには、フランドールの大穴には危険が多すぎた。

「あんな女神像を調べたくらいで、なんかわかるもんなのかねえ?」

「あたしに任せてったら。大船に乗ったつもりで、ネ!」

 次回の探索は高尚な講義になるに違いない。

 

 

 バルザック少佐が派遣されてきたことで、グランツ常駐の王国軍は徹底的に編成を見なおされた。フランドール王国の調査隊(ロッティら)も手厚く歓迎されている。

 手始めにバルザック少佐はいくつかの規制を撤廃し、ギルドとの融和を図った。冒険者の独立を尊重し、秘境の調査からは一歩引いている。

「ふむ……噂通りの切れ者のようだな」

「まっ、オレたちが関わるこたあ、そうねえだろ」

 またバルザック少佐の王国軍は、冒険者と王侯貴族らとの緩衝材ともなった。白金旅団の一件以降、何かと摩擦が絶えなかったのも、最近は落ち着きつつある。

 本日のセリアス団は風下の廃墟へ、女神像を調べるためにロッティを連れていた。素人の同行を気にしてか、ザザもフォローに駆けつけている。

 ロッティはイーニアに声を掛けてばかりいた。

「やっぱり同い年なんだー? あたしのことも『ロッティ』でいいからね、イーニア」

「は、はい。よろしくお願いします」

 イーニアは緊張気味ではあるものの、安堵の色も見られる。同世代、同性の相手にはそれなりに親近感も湧くのだろう。

「ハイキングじゃないんだ。ロッティ、仕事をしてくれ」

「はいはい。もぉ、ほんと野暮なんだから」

 道中はセリアスとザザでイーニアらの守りを固めつつ、ハインとグウェノでモンスターを一掃していく。風下の廃墟なら大したモンスターも出現しなかった。

「セリアスは戦わないわけ?」

「こうやってお前のガードに徹してるじゃないか」

 やがて廃墟の砦が見えてきた。ロッティが壁へと近づき、毀れた部分に目を凝らす。

「聞いてた通り、かなりの古さね……。フランドール王国の記録によれば、この街並みは三百年前のものらしいわ」

「そんなに古いのかよ? へえー」

「タブリスの実地調査でも、同じような結論に達したはずよ」

 この街が廃墟となったのはシビトの災厄による、との見解が通説だった。ほかの秘境についても予習済みのようで、ロッティは得意満面にまくしたてる。

「徘徊の森がそう呼ばれるようになったのは、タブリスの調査が始まってからね。それ以前……災厄時代は、木が歩いたりはしなかったの」

 森については長老の大樹の話とも一致した。

「じゃあよ、タリスマンってのは?」

「それはねえ……」

 しかしタリスマンのことになるや、ロッティはつまらなさそうにふてくされる。

「存在自体が疑わしいのよ、あれ。災厄以前の記録には『タリスマン』なんて記述、どこにもないし。フランドール王国のほうじゃ、タリスマンはタブリスの自作自演なんじゃないかって言われてるほどにね」

 これは白金旅団の生き残り、キロにも聞いたことだった。

 だがタリスマンは実在し、セリアスたちはそのひとつを手に入れている。

「ここまでは拙僧らの掴んだ情報と、そう変わらんな」

「まあまあ。本番はこれから、でしょ?」

 廃墟の検分はほどほどにして、セリアス団は例の隠し部屋へ。カンテラを掲げながら、地下の通路を抜け、意味深な女神像のもとまで辿り着く。

「もっとよく照らしてよ? 見えないったら」

「待て。明るい場所に移る」

「……へ?」

 イーニアが羽根ペンで記憶地図に触れると、瞬く間に周囲の景色が森となった。

 まさかのテレポートに驚愕し、ロッティはあんぐりと口を開く。

「ほほ、ほんとに聞いてた通り……ワープしちゃった……」

「ザザもいるな? 始めてくれ、ロッティ」

 ここなら日中は明るく、気候も穏やかなため、女神像を調べるにはうってつけだった。考古学者の少女は件の女神像を見上げ、瞬きを繰り返す。

「……おかしいってば。絶対おかしいでしょ、これ」

 ハインとグウェノは首を傾げた。

「そうなのか? ロッティ殿」

「そりゃそうよ! ええと……なんで、これを『女神』って呼んでんの?」

「さあ? なんとなく女神っぽいから、じゃねえ?」

一方、イーニアは相槌を打つ。

「待ってください。この石像を『女神』と呼ぶことに、確かに根拠はないのでは……」

「イーニアは気付いたみたいね。ほら、よーく周りを見て」

 女神像の一帯は閑散としていた。しかしセリアスもよくわからず、眉を顰める。

「……教えてくれ」

「ちょっとは考えてよ、もう。……信仰の対象にしては、この女性はろくに祀られてないのが、おかしいってこと」

 ロッティはスケッチブックに大雑把な祭壇を描きあげ、持論に力を込めた。

「普通ならこんなふうに、格式高い感じにするじゃない? ちゃんと屋根で囲うとか、東西南北に番人の像を置くとか、さあー」

 信心深いモンク僧も口を揃える。

「なるほど。言われてみれば、その通りだ。女神を雨曝しにしてよいはずがない」

「でしょ? これじゃ、ただの『道案内』なんだよねー」

 つまり冒険者たちは便宜上『女神像』と呼んでいるに過ぎず、信仰や畏怖があったとは言い切れないのである。

 さらにロッティは虫眼鏡をかざし、女神像の表面を注意深く調べていった。

「それにさあ……これ、割と新しいんじゃない?」

 ここでずっと雨曝しになっていたにしては、汚れが少ない。

イーニアも像に触れ、魔力の波長を感じ取る。

「自浄作用があるのかもしれません。ひょっとしたら、モンスターが近づかないのも」

 神秘的な女神像は無傷のまま、黙々と時を数えていた。

「ちゃんと調べないと、正確には言えないけど……造られてから、まだ二、三十年ってとこじゃないかしら」

「三十年前っつったら、タリスマンが大穴にやってきた頃だぜ、そりゃ」

 この女神像はタリスマンとともに外からやってきた――としても、辻褄は合う。

 ハインが右腕のタリスマンを見せつけた。

「これと似たものを、その像もつけておるだろう?」

「そうね……同じものと考えて、間違いないわ」

 ハインと女神像の腕輪を見比べながら、ロッティは真剣な表情で考え込む。十五歳の少女とはいえ、考古学者としての知識と洞察力には、セリアスも期待していた。

「森の木のお爺さん、だっけ? 謎の人物にタリスマンを預けられたって話だったわね。そのひとは女性だったのかもしれない」

「……女?」

「そう。この石像のモデルが、自分の持ち物を預けに来たんじゃないかってこと」

 この森の大樹は三十年ほど前、何者かにタリスマンを託されている。そして一年後、同一人物か別人かは定かではないものの、聖杯を見せつけられた。

「大陸各地の女神伝承も当たってはみるけどさあ、そっちじゃないと思うのよ、あたし。それより三十年前に絞って、魔女なんかを調べたほうがいいかなって」

 グウェノがぱちんと指を鳴らす。

「なーるほど! よくよく考えてみりゃあ、この石像を『女神』と結びつけるほうが、飛躍しちまってるってことか」

「でしょ? 鍵になるのは『三十年前』でしょうね」

 こうしてロッティを連れてきただけの甲斐はあった。さすが天才と称される考古学者、セリアスたちでは到底考えが及ばないような発想にも、ほんの数手で辿り着く。

「ねえ、セリアス。ほかの女神像も見てみたいんだけど」

「わかった。イーニア、坑道の出口へ頼む」

 続いてセリアスたちは画廊の氷壁の入口付近へ。

「さ、さむっ?」

急に風が冷たくなり、薄着のロッティはぶるっと震えた。セリアスは拠点のテントから予備のコートを引っ張り出し、彼女の小さな背中に被せてやる。

「ありがと、セリアス」

「ああ。ハイン、すまないが、湯を沸かしてくれないか」

 そんなセリアスとロッティを見詰め、イーニアはきょとんとしていた。

 愉快そうにグウェノが茶々を入れる。

「セリアスー! ほら、イーニアも寒いってよぉ」

「……わかった、わかった」

 ロリコン扱いは下手に相手をせず、適当に流すのが賢明だろう。

 ロッティはすっかり学者気質を全開にして、女神像をまじまじと眺めていた。こうなってしまっては、誰の声も届かない。

「グウェノ、この像、これにスケッチしといてくんない?」

「へ? オレが?」

 指名を受け、グウェノは渋々とペンを手にする。しかしザザがそれを横から取り、すらすらとラフを仕上げていった。

「あっ? て、てめえ!」

「……………」

 ロッティはグウェノを押しのけ、ザザのほうに注文をつける。

「上手いじゃない! 背面と、側面もお願いね」

 調査が一段落するまで、セリアスとイーニアは焚き火を囲っていた。ハインにお茶を淹れてもらい、一服する。

「すごいですね、ロッティさんって」

「あれでもフランドール王国では一流の学者なんだ。お前より勉強家だぞ」

「大したものではないか。ご両親も鼻が高かろう」

 その間もグウェノはロッティにこき使われ、彼女の踏み台になったりしていた。恨みがましそうな視線をこちらに向けてくる。

「替わってくれよぉ、セリアス」

「なんだ? 好きでやってるんじゃないのか」

 やがてロッティはザザからスケッチブックを回収し、焚き火の傍へと寄ってきた。

「うぅ~、さぶさぶっ! こんなとこで探検なんて、よくやるわ」

「こ、これに懲りたら、もうついてくんじゃねえぞ?」

 セリアスたちは横に詰め、グウェノとザザも火に当たらせてやる。

 ザザのスケッチは上出来だった。音楽家だけあって、芸術全般に強いらしい。

「何かわかったか?」

「急かさないでったら。ほかの資料と照らし合わせて、じっくり検証してみないことにはね。……ただ、現段階で言えるのは……」

 ロッティの人差し指に全員の視線が集まる。

「二、三十年前にフランドールの大穴で『何か』が起きたってこと。そして、その時に新しい秘境が増えちゃったってこと」

「……増えた?」

 ロッティは自信満々に笑みを含めた。

「氷壁や溶岩地帯なんかは、ずっと前からあったのよ。でも誰かが『聖杯』を使って、ほかにも秘境を作った……徘徊の森や脈動せし坑道なんかを、ね」

 これが本当なら、秘境は二種類が存在する。

 シビトの災厄以前から前人未到の難所だったものと、三十年ほど前、聖杯によって意図的に作り出されたもの。

さらにロッティは『ちょっと思っただけ』と念を押しながらも、持論を展開した。

「タリスマンを預けたのを『白の使者』、聖杯を持ってきたのを『黒の使者』とでも呼ぶとして……黒の使者は誰にもタリスマンを渡すまいとして、聖杯を使ったのかも」

 グウェノは反射的に疑問を返す。

「んなもん、自分で確保しちまえばいいだけだろ」

「それが『できなかった』としたら?」

 しかし考古学者の少女は動じず、付け加えた。

「黒の使者は白の使者がどこにタリスマンを隠したのか、わからなかった。だからフランドールの大穴のあちこちを手当たり次第、簡単には立ち入れない場所にしちゃったの」

 あくまで推測とはいえ、ハインは感心したように頷く。

「邪悪な者が神聖な品々に触れられないという話は、大陸寺院の伝承にもある。あながち外れてはおらぬやもしれんぞ」

「ああ」

 セリアスもロッティの説には手応えを感じていた。

「そんなら、聖杯が関わってねえ昔からの秘境にタリスマンがあったとしても、不思議じゃねえってことか。……聖杯ってのは相当、やばいブツみてえだな」

「カシュオンが『誰にも渡すわけにはいかないんです』と言ってたのも……」

 依然としてタリスマンの正体は不明だが、真相の一部は見えてくる。

 三十年前、白の使者はタリスマンをフランドールの大穴へと隠した。ここであれば、ひとびとはシビト時代の災厄を恐れ、いたずらに近づかないと踏んだのだろう。

「だが徘徊の森にタリスマンを隠すのは、ちと……グランツの目と鼻の先ではないか」

「オッサン、オッサン。そん時はまだ街はなかったんだからよ」

「おお、そうであったか! 拙僧としたことが」

その一年後、黒の使者はタリスマンを世間のひとびとからさらに遠ざけるべく、聖杯の力で新たな秘境を作り出した。

 しかし大勢の冒険者が今、城塞都市グランツへと集まり、フランドールの大穴を探検している。この状況を白の使者や黒の使者が予測していたかどうかは、わからない。

 とにもかくにもロッティのおかげで、今回は予想以上の進展があった。彼女に三十年前の出来事を洗ってもらえば、また新しい真実も浮かびあがってくるだろう。

「頼りにしてるぞ、ロッティ」

「うんうん!」

 こうしてセリアス団は心強いオブザーバーを獲得。

 セリアスのロリコン疑惑はまたしても膨らむこととなった。

 

 

 タブリス王国軍の情報部を束ねるのは、バルザック少佐。彼は幼馴染みにして部下のケビンとともに城塞都市グランツを訪れ、改革に着手している。

 バルザックは紅茶を好まず、夜でもケビンにはコーヒーを淹れさせた。

「また眠れなくなりますよ? 少佐」

「なら、お前とチェスでも打つさ。相手をしてくれるんだろう?」

「はあ……わかりました。お付き合いしますとも」

 ケビンは『休め』のポーズで傍に控えている。上司と部下とはいえ同期の桜、堅苦しいことはやめろと言っているのだが、この生真面目な男は少しも聞き入れなかった。

 バルザックの当面の仕事は、改めてグランツをタブリス王国の制御下に置くこと。白金旅団の突然の壊滅によって、前任者はこれに失敗した。

 後任のバルザックにとっては、マイナスからのスタートとなる。

 だからこそ、本国の将校は誰も引き受けようとはしなかった。誰しも失敗続きのプロジェクトに関わって、責任を押しつけられたくはない。

おかげでバルザックが志願したところ、一両日中にはグランツへの派遣が決まった。ロートルの貴族らとしても、台頭しつつある若手のバルザックを遠ざける、またとない機会となったのだろう。

 だが、王国軍の主導でグランツを立てなおせば、バルザックの評価はますます不動のものとなる。彼らはバルザックにむしろ絶好のチャンスを与えてしまったのだ。

「いかがですか? 少佐。グランツの冒険者は」

「そうだね……」

 悠々自適にコーヒーを味わいながら、バルザックはギルドの資料に目を通していた。

 探索関連の報告書には、カシュオン団のリーダーはまだ十三歳とある。

「これはまた若い冒険者がいるじゃないか」

 ケビンが控えめながらに口を挟んだ。

「どうでしょう? 十代の冒険者には研修を義務づけては」

「もっともだ、ケビン。採用することになりそうだよ」

 バルザックとて前々から考えていたことだが、親友の手前、『私も同じことを思った』とは言わない。成果を上げられるのなら、誰のアイデアであってもよいのだ。

 それに、脈動せし坑道では少年少女のパーティーの遺体が発見されたばかり。王国としては何らかの対策を講じないことには、体裁が悪かった。

「ほかに十代の冒険者がいるのは?」

「セリアス団でしょうか。確か魔法使いが十五歳だったはずです」

 バルザックはセリアス団の報告書を手に取り、有能な部下に相槌を打つ。

「ああ、本当だ。ふむ……画廊の氷壁を攻略中か」

「一筋縄ではいかない秘境と聞いております」

 リーダーの剣士が凄腕らしいことは、フランドール王国調査隊のロッティからも聞いていた。あのソールの地下迷宮を突破したのだから、ゴブリン程度には眉も動かさない筋金入りのベテランだろう。

 ところがバルザックは不可解な数字に気付き、眉を顰めた。

「……ケビン。画廊の氷壁へはグランツからどれくらい掛かるかな」

「編成や天候にもよりますが、最短でも半日は掛かるかと。往復なら一日でしょう」

 しかし報告書には出発から帰還まで、ほんの一日か、せいぜい二日としか記されていない。これでは、氷壁の探索はしていないのも同然だった。

「セリアス団が行き先を誤魔化している可能性は?」

「考えられません。先日、行き先を偽ったために救助されえなかった、あのパーティーの遺体を見つけたのは彼らですので。同じ轍は踏まないものと思われます」

「ふむ。そうか……」

 バルザックの口元に不敵な笑みが浮かぶ。

 王国の介入を嫌い、大半の冒険者が報告を怠っていることは、想像に容易かった。スポンサーと結託し、成果を偽るような輩もいるだろう。

 だが、その中に『真実』に迫っている者がいるとしたら――。

 彼には社交辞令の挨拶だけで済ませるつもりだったが、気が変わった。

「少し探ってみようか。セリアス団を」

「……御意」

 今回の任務は面白くなるかもしれない。タブリス王国軍・情報部のバルザック少佐は夜のコーヒーに味を占めた。

 

 

 

第13話

 

 

 

 画廊の氷壁を攻略中のセリアス団は、今度の出撃を見送ることにした。

 記憶地図で見るに、フランドールの大穴に大きな雲が掛かりつつあったのだ。これでは氷壁に着いたところで、猛吹雪に見舞われる。ほかの秘境でも激しい大雨となっているようで、冒険者たちは続々とグランツへと帰還していた。

 そんなある日のこと。セリアス団の屋敷では、グウェノとハインが気ままに昼下がりを過ごしていた。ハインは穏やかなまなざしを一通の手紙に向け、口元を緩ませる。

「奥さんから? なんだって?」

「ちゃんと栄養のあるものを食べてるの、飲みすぎてないの、と……食事はともかく、酒は少し控えんと、妻に会わせる顔がないわい」

「オッサンの場合は面子が濃すぎんだよ、面子が。ゾルバにサラス団、だろ?」

 その手紙を横から覗き込み、グウェノは小さな笑いを吹いた。

「ぷっ! 六歳にしちゃあ下手すぎねえ? それ」

 二枚目の紙面いっぱいに描かれているのは、ハインの似顔絵らしい。しかし目も鼻も位置が大きくずれ、まさしく東洋の『福笑い』のような異彩を放っていた。

「この芸術性がわからんとは……グウェノ殿もまだまだ青い」

「へいへい。ご立派な息子さんじゃねえの」

 そこへセリアスが帰ってくる。

「……………」

「ん? どうしたよ、セリアス。またザザの真似なんかしちまって」

この屋敷の主にして、セリアス団の頼れるリーダー。そのはずが、今日は持ち前の精悍さもなりを潜め、すっかり青くなっていた。

「両手に花、だったんじゃねえの?」

「そう思うなら、次は替わってくれ、グウェノ」

 セリアスは居間のソファに腰を降ろし、重々しい溜息をつく。

「ロッティ、イーニアと一緒に喫茶店でケーキだぞ? どれだけ居心地が悪かったと」

 甘いものは嫌いではなかった。苦手な酒をやり過ごせることもあり、以前にもイーニアのホットケーキを進んで平らげている。

 だが、ハイタウンの洒落た喫茶店で可愛いケーキは、さすがにきつかった。女性客の中でセリアスだけ浮きまくっていたのは、言うまでもない。

 ハインは同情の色で苦笑する。

「まあまあ。優秀な考古学者といっても、ロッティ殿は十五の少女。親元を離れれば、馴染みのある者の傍にいたがるのは、道理であろう」

「上手いこと言うねえ、オッサンは。それもお得意の『説法』ってやつかい?」

 年長者のアドバイスにはそれだけの説得力があった。セリアス自身、ロッティのことは心配しており、優先的に気には掛けている。

「で、ふたりは?」

「マルグレーテの侍女だかと合流して、女子会だとさ」

 グウェノは例の羽根ペンで記憶地図を弄りながら、頬杖をついた。

「そーいやよぉ、さっきギルドで小耳に挟んだんだけど……王国からの指示でよ、十代の冒険者には試験を受けさせるって話が持ちあがってるらしいぜ」

「……試験?」

 未熟な冒険者が自惚れ、実力以上の難関に挑むことは、前々から問題視されている。

 知識の不足、経験の不足、準備の不足……それは時に命さえ奪うこともあった。現にセリアス団は脈動せし坑道で、そんな少年少女の成れの果てを発見している。

「秘境を探索できるかどうかってのを、風下の廃墟あたりで試すんだとさ。……まっ、すぐに形骸化するもんとは思うけどね、オレは」

 グウェノは一笑に付す一方で、ハインは頷きに力を込めた。

「いいや、拙僧は大いに有意義なことに思うぞ。確かに目に見える成果は小さいかもしれん。が、だからといって、それを『やらない』理由にしてはならぬ」

「……そうだな」

 セリアスの意見もハインに近い。城塞都市グランツで何かしらの改善がなされないことには、悲惨な末路を辿ってしまった、あの少年少女の犠牲が無駄になるだろう。

「王国の指示ということは、いつぞやの少佐殿が?」

「おう。お手並み拝見だな、こりゃ」

 王国としても、彼らの犠牲に報わなくては、沽券に関わる。グランツでの足場を固める狙いもあって、バルザック少佐は改革に着手したようだった。

 バルザックは切れ者の情報将校との噂。すでに冒険者のデータを網羅したうえで、今後を見据えているに違いなかった。

「だとすると、イーニアも試験を受けるわけか……」

「イーニアなら心配いらねえって。肩慣らしにもならねえんじゃねえの?」

「問題はむしろカシュオン殿か」

 ジュノーの部屋からはハープの音色が聞こえてくる。

 王国軍の動向などを話しあっていると、玄関の鐘が鳴った。

「お? 客みてえだなァ……」

 グウェノが迎えに出て、あっと声をあげる。

「ど、どうしたんだよ? あんたがオレたちんとこに来るなんて……」

 セリアス団の屋敷を訪ねてきたのは、かのジョージ=エドモンド子爵だったのだ。今日は傍に執事の姿はなく、ひとりで出てきたらしい。

「グウェノ殿ー! 立ち話もなんだ、あがってもらっては?」

「そうだなあ。こっちだぜ、ジョージ」

 セリアスたちは首を傾げながらも、グランツの名士を屋敷へと招き入れた。

 ジョージ=エドモンド。子爵にして、セリアスと同じ二十五歳。以前は秘境探索に一枚噛もうと、傲岸不遜な物腰で冒険者を勧誘していた。

 しかし最近は城塞都市グランツで教育機関を創設するべく、マルグレーテとともに精力的に活動中とのこと。それについて、別段悪い噂は聞かなかった。

「……………」

 そんな彼が今日は神妙な面持ちで黙り込む。

「いかがなされたのだ? ジョージ殿。拙僧らに用があって、来たのだろう?」

「ひょっとして、学校の件で行き詰まってるとか、か?」

 ハインやグウェノに再三促され、ようやくジョージは口を開いた。

「いや、その……」

 それでも一言、二言呟くのがやっとで、また口を噤む。

 そこへジュノーが竪琴とともにやってきた。

「言いにくいようでしたら、セリアスさんたちには僕からお話しましょうか? ジョージさん。……『彼女』のことでしょう?」

「ジュ、ジュノー殿っ? だが、吾輩はまだ心の準備が……」

「ジョージさんの名誉を傷つけるような言い方はしませんので。任せてください」

 口下手なジョージに代わって、吟遊詩人のジュニーがはきはきと切り出す。

「みなさんもご存知の通り、ジョージさんは今、学校の創設に尽力してらっしゃるんですよ。グランツの未来のために」

 セリアスたちは目配せとともに肩を竦めた。

「こっちにゃ大した情報は入ってこねえけど、そこそこ順調なんだって?」

「ええ。マルグレーテさんが存分に手腕を発揮してらっしゃいます」

 グランツの貴族や資産家らは学校の建設にさして関心を向けていない。それもそのはず利益が見込めないからであり、タブリス王国からの要求にも尻込みしていた。

 にもかかわらず、いの一番に名乗りをあげたのがマルグレーテである。そしてジョージは半ば周囲から押しつけられる形で、彼女の補佐となった。

「ジョージさんの仕事は教員の確保なんですよ」

「それでジュノーにも声が掛かったわけか」

 時同じくして、グランツへはバルザック少佐が派遣されている。彼はすぐにもマルグレーテと意気投合し、教育機関の創設のため、本国の援助を後押しした。

 おかげで開校も現実味を帯びつつある。

 ジュノーは持ち前の美貌に爽やかな笑みを綻ばせた。

「本題はここからです。実は……国語教師として、グランツにマチルダという女性のかたがいらっしゃいましてね」

 そこまで聞いて、グウェノが相槌を打つ。

「なぁるほど! その美人にジョージは心を奪われちまったわけだ」

「そそっ、それは!」

 小心者のジョージは赤面し、おろおろと慌てふためいた。

「た、確かに? 気になるといえば、きっ、気になるのだが……ごにょごにょ……」

 頻繁に口ごもり、視線をでたらめに惑わせる。

 ハインは感じ入るように頷いた。

「恥ずかしがることはないぞ、子爵殿。男なら誰しも通る道ではないか」

「いっいや、しかし……この吾輩が恋愛などと言っては、笑われるのがオチでは」

 グウェノもはやし立てたりせず、ジョージにフォローを入れる。

「自分だけじゃどうにもならねえから、俺たちを頼って、ここまで来たんだろ? 誰も笑ったりしねえよ、なあ? セリアス」

「ああ。執事の爺さんには相談できんだろうしな」

 あの自惚れの塊のような子爵が、プライドを捨ててまで、セリアスたちの力を借りたがっているのだ。それを無下にできるほど、セリアスはドライではない。

 情にもろいハインが自ら胸を叩いた。

「よし! ここは拙僧が一肌脱いでやろう!」

 一方でグウェノは慎重に徹し、意気込むハインに釘を刺す。

「おいおい、オッサン? 安請け合いすんなって……そりゃあ、オレだって力になってやりたいとは、思うけどよぉ」

 ジョージはすっかり意気消沈してしまっていた。お茶にもまだ手をつけておらず、縋るようなまなざしでセリアスを見上げる。

「セリアス殿……」

「僕からもお願いします。せめてジョージさんの気持ちに整理がつくまで」

 セリアスは前髪をかきあげ、やれやれと息をついた。

「……わかった。やれるだけのことはやろう」

「おお! ほ、本当か!」

 他人の恋路に関わったところで、大きなお世話となるのが関の山。とはいえ、同世代のジョージを見捨てるのは忍びなかった。

「あまり期待はしないでくれ。……グウェノ、何か案はないか?」

「で、オレにお鉢がまわってくるわけか……ハア」

 果たして子爵の片想いの行方や、いかに。

 

 翌日、セリアスはグウェノとともに『敵情視察』に出た。ハイタウンには去年、立派な図書館ができたようで、そのスケールにグウェノが目を点にする。

「へえ……すげえじゃねえの」

 この図書館の建設がマルグレーテの初仕事だったらしい。書庫とは別に勉強室や休憩所なども設けられ、、市民の憩いの場となっていた。

 ジョージが焦がれてならないという噂の女性は、お昼はここの休憩所でお弁当を食べているとのこと。マチルダは窓際の席でささやかなランチの一時を過ごしていた。

「いたぜ。あれだろ?」

「……多分な」

 何でも教員を志しているものの、親が教会の信者であるため、タブリス王国の本土では教壇に立てないという。そこで彼女は活躍の場を求め、グランツへとやってきた。歳は二十一で結婚の適齢期に入っているが、しばらくは仕事のほうが大事だろう。

 ちなみにジョージは今、訓練場のほうでハインと体力トレーニングに励んでいる。

「教師になりたくてグランツへ、なあ……行動力あるじゃねえの。そんなところにジョージも惹かれちまったのかねえ」

「あいつは左遷も同然で来たからな」

 物陰からマチルダの様子を窺っていると、イーニアが合流した。

「お待たせしました。……どうして隠れてるんですか? ふたりとも」

「静かに。実はちょいと頼みがあんだよ」

 息を潜めつつ、グウェノが彼女に耳打ちで作戦を伝える。

「――ってふうに。できるか?」

「それくらいでしたら……ですけど、そんなことを調べて、どうするんですか?」

「まあまあ。あとでちゃんと説明すっからさ」

 イーニアは半信半疑といった顔のまま、おずおずとマチルダへと歩み寄った。

 ジョージの片想いを応援するにあたって、ひとつ確かめておかなくてはならない。マチルダに恋人がいるかどうか、である。

 仮に恋人がいるようなら、ジョージには諦めてもらうしかないだろう。それを条件として、セリアスたちはジョージに手を貸している。

「もっと近づかねえと、聞こえねえな……」

「あとでイーニアに聞けばいい」

「まあまあ。オレたちには作戦を見守る義務があんだから、さあ」

 やはり面白半分の相棒に呆れつつ、セリアスは身を屈め、忍び足でターゲットの傍まで寄った。仕切りの向こうで、イーニアが緊張気味にマチルダに声を掛ける。

「こ、こんにちは。ええと……マチルダさん、ですよね?」

「あら? あなたはよく図書館で見かける……」

「初めまして、イーニアと申します」

 マチルダは警戒せず、柔和な笑みを綻ばせた。

「うふふ、ご丁寧にありがとうございます。私のことをご存知ということは、学校関係のかたかしら? どうぞ、座ってください」

「あ、いえ。すぐに済みますので」

 しかしイーニアは挨拶もほどほどに、いきなり直球で質問を投げかける。

「マチルダさんって、恋人とか、好きなひとはいるんですか?」

「……はい?」

 会話に微妙な間が空いてしまった。その陰でセリアスとグウェノは面食らう。

「不自然すぎんだろ、イーニア……」

「そう言ってやるな。あいつなりに一生懸命なんだ」

 マチルダは首を傾げつつ、質問に答えた。

「いませんけど……」

「わかりました。ありがとうございます」

 イーニアは丁寧に頭をさげ、早々に踵を返す。

 とりあえず、これでマチルダがフリーであることは確認できた。イーニア相手に嘘をついた可能性も低いだろう。

 セリアスたちはこそこそと彼女から離れ、廊下でイーニアと合流する。

「あれでよかったんでしょうか? 私」

「ああ。あとは俺たちでやるさ」

「へえ~。なぁーにを~?」

 ところが、セリアスとグウェノの間に面倒くさいのが割り込んできた。フランドール王国の天才考古学者ことロッティが、つぶらな瞳を輝かせる。

「て、てめえ! なんでこんなとこに……」

「こっちの台詞だってば、それ。ここは図書館、あたしのテリトリーだもん」

 確かに図書館にいるはずがないのは、セリアスやグウェノのほうだった。

 十五歳の少女は興味津々らしい。

「ねえねえっ! さっきから何やってんの? あたしも仲間に入れてってばあ~」

「……はあ。どうする? グウェノ」

「オレに投げんなっての……わかった、わかった」

 仕方なくセリアスたちはロッティを加えつつ、念を押した。

「秘密は厳守しろよ? この案件にゃ、子爵の名誉が掛かってんだからな」

「はーい」

 少々不安は残るものの、女性の意見を取り入れるチャンスでもある。

 ジョージ子爵の片想いについて聞き、ロッティは得意そうにやにさがった。

「だったらカッコよく決めて、デートに誘わないとっ! でしょ?」

「まあ、そうだなァ……」

 マチルダに彼氏がいないことで安堵していては、進展もない。分の悪い博打になりそうだが、小心者のジョージがやる気を出しているうちに、勝負に出るべきだろう。

「それじゃ、服とか髪形を新調しないとネ!」

 意地悪な笑みを堪えるロッティの一方で、イーニアはきょとんとする。

「なんでしたら、私からマチルダさんにお伝えしましょうか?」

「やめてくれ」「やめろっての!」

 セリアスとグウェノの声が重なった。

 

 ハインとのトレーニングでへとへとのジョージを、手頃な服屋へと放り込む。

 エドモンド子爵のご来店に店員は驚きながらも、次々と紳士服を持ってきた。ジョージ=エドモンドも一端の貴族であって、上客は逃がすまいと判断したらしい。

「これなどはいかがでしょうか? 緑色で爽やかに」

「そっちもいいなあ~」

「恰幅のよさを、こう……貫録にできるといいんだけどな」

 ロッティやグウェノに囲まれ、ジョージはおろおろしてばかりいた。

「わ、吾輩はもっと暗い色のほうが……」

「だめだめ。明るい色で印象アップしなくっちゃ」

 ファッションにさして頓着のないセリアスは、イーニアと一緒に店内をぶらつく。

「紳士服の店ではお前も退屈だろう」

「いえ……勉強になりますから」

 向かいの店は女性向けのブティックだった。ロータウンでは考えられないような店も、ハイタウンでは普通のようで、別の街に来た錯覚さえする。

「マチルダさんと上手くいくんでしょうか? ジョージさん……」

「さあな。あまりプレッシャーは掛けてやるな」

 こればかりは当事者同士の問題であって、セリアスたちにできるのはフォローまで。それ以上は余計なお世話になりかねず、最悪、台無しにしてしまう恐れもあった。

 やがてジョージのドレスアップも仕上がり、店員は太鼓判を押す。

「よくお似合いですよ! ええ、とっても」

「そ、そうか……?」

 ジョージは戸惑っているものの、グウェノもロッティも満足そうに頷いた。

「悪くねえな。思ったより引き締まったんじゃねえの?」

「あとはヘアスタイルね! 七三分けにしてもさあ、もうちょっと……」

 髪型も見栄えをよくし、イメージアップを尽くす。

 姿見をしげしげと眺め、ジョージも少しは気持ちを前に向けた。

「……う、うむ! これなら」

「その意気だぜ。じゃあ、マチルダさんとこに行くか」

 やるべきことはやった、あとは祈るしかない。

 

 よく晴れた午後、マチルダは決まって遊技場にいた。学校建設に先んじて、マルグレーテが開放したもので、日中は子どもたちの遊び場となっている。

 これをロータウンに設けたのは、街の上下で余計な格差意識を生み出さないための配慮だろう。また、ロータウンのほうが土地にも余裕がある。

 マチルダは和気藹々と子どもたちに囲まれていた。

「先生ぇ、ドッジボールしようよー!」

「だめよ。マチルダ先生はこっちで、おはなをおせわするんだから」

 男の子からも女の子からも引っ張りだこにされ、人気者の先生は苦笑いを浮かべる。

 あとずさろうとするジョージの背中を、グウェノが押した。

「ほら、頑張れっての! なんかあったら、オレらもフォローすっからさ」

「ほほっ、本当だな? 頼むぞ?」

 ジョージとて一端の貴族、ここまでお膳立てされては、逃げるわけにいかない。彼はネクタイをぐっと締めなおし、マチルダの傍へと歩み寄った。

 セリアスたちは少し離れて、様子を見守る。

「マチルダさんって美人だよねー。ジョージさんで大丈夫なわけ?」

「……散々けしかけておいて、それか?」

 これはもう失敗に終わる気がした。今夜くらいは子爵に酒を奢ってやろうと思いつつ、セリアスは息を飲む。

 ジョージは完全にあがってしまっていた。

「こここっ、こ、ここ……」

 こんにちは、の一言さえ出ず、しどろもどろにうろたえる。

「はい? ……あら、ジョージさんではありませんか」

 幸いマチルダのほうから声を掛けてくれた。

 子どもたちは不思議そうにジョージを見上げる。

「おっさん、だれ?」

「こらこら。このかたはもうすぐ学校を作ってくれるんですから」

「えー? こないだのきれいなお姉さんじゃないのぉ?」

 綺麗なお姉さんというのはマルグレーテで間違いない。ジョージは子どもの数に圧倒され、マチルダとのきっかけを掴めずにいた。

「子どもが邪魔だな。……来てくれ、イーニア」

「あ、はい」

 セリアスはイーニアを連れ、子どもたちの輪へと割り込む。

「あら、あなたはさっき図書館でお会いした……そちらはお兄さんかしら?」

「突然ですまない。この子が街の女の子と遊んでみたい、と言ってな」

 そのような紹介をされ、イーニアは瞳を瞬かせた。

「……あの、セリアス?」

「お嬢ちゃんたちもどうだ? このお姉さんは、花のことなら何でも知ってるぞ」

 少女たちはマチルダから離れ、イーニアのもとに集まってくる。

「ほんと? どーやってそだてるか、わかる?」

「え、ええ……マンドレイクに比べたら、とっても簡単です」

 セリアスに促されるまま、イーニアは女児らとともに花壇のほうへ向かった。さらにセリアスは少年勢を見下ろし、提案を投げかける。

「ドッジボールなら、両方のチームに大人が入ったほうがフェアだろう? そっちのジョージにも付き合ってもらうといい」

「お兄ちゃんはしないの?」

「しない」

 ひとりで全員は相手にできないためか、マチルダも乗ってきた。

「面白そうですね! ……あ、でもボール遊びですから、お洋服が汚れるのでは……」

「いっ、いやいや! 吾輩も教育に関わる以上、慣れておきたいのだよ」

 フォローの甲斐あって、ジョージは少年らを交え、マチルダと遊ぶことに。

 グウェノとロッティは呆気に取られていた。

「セリアス、お前……そんなに気遣い屋だったか?」

「普段はトーヘンボクのくせに、ねえ」

「好きに言ってろ。ロッティ、イーニアを手伝ってやってくれ」

セリアスはグウェノとともに腰を降ろし、ドッジボールの観戦にまわる。

少年たちは容赦なしにジョージに目掛け、ボールを投げつけた。

「それー! やっつけろー!」

「ひいっ! あ、危ないではないか」

「ドッジボールなんだぜ? とーぜんだろー」

相手が大人であれば思いきりやっても構わない、と踏んだらしい。マチルダのほうも敵チームの少年から、勢い任せにボールを投げつけられる。

「やったわねえ? えい!」

 手加減しつつ、マチルダもボールを投げ返した。

 その一方でジョージはボールを受け止めもせず、逃げまわるばかり。ぶつけられては外野にまわり、息を切らせていた。

「ぜえ、ぜえ……」

「やったあ! かわりにもどっていーよ、おっさん」

「へ? ど、どうして吾輩が?」

 ローカルルールなのか作戦なのか、外野の少年は敵にボールを当てても、内野に戻ろうとしない。ジョージは何度もコートの中へと戻り、絶好の的とされる羽目に。

 そんなドッジボールをセリアスとグウェノは暢気に眺めていた。

「懐かしいなぁ。お前もガキの頃はやったろ?」

「ああ」

 子どもたちは疲れも知らず、元気いっぱいにはしゃぐ。

 やがて空が橙色に染まってきた。結局、ドッジボールにはセリアスとグウェノも巻き込まれ、身体じゅうが土だらけに。

「……やっべ! 今日の夕飯、まだなんも用意してねえぞ」

「たまには外で食べるとしよう。ロッティも、な」

 イーニアとロッティは途中から観戦にまわっていた。

「男の子はこんなふうに遊ぶんですね」

「そんで探検ごっこが行きすぎて、セリアスみたいになっちゃうわけ」

 運動不足のロッティも混ぜてやればよかったかもしれない。

 そしてジョージは地べたに座り込んでいた。二時間ほどのドッジボールで満身創痍、せっかくの一張羅にはボールの跡が残っている。

(この恰好でドッジボールはまずかったか……)

 残念ながら、もう彼にマチルダを夕食に誘えるだけの余裕はない。

 マチルダは遊技場のゲートで子どもたちを見送っていた。

「寄り道せずに帰るんですよー」

「はぁーい! 先生、さよーならー」

 それを遠目に見詰めながら、ジョージは溜息をつく。

「……吾輩の認識が甘かった。子どもの相手とは大変なのだなあ、セリアス殿」

「そうだな。俺も子守を押しつけられたら、心が折れそうになる」

「ちょっとぉ? それ、どーいう意味?」

 子どもたちと一緒に遊んだのは、マチルダに近づくため。しかしジョージは自嘲の笑みを浮かべながらも、吹っきれたように語った。

「情けない話だが、吾輩は彼女のことを何も知らなかったのだよ。教師がこれほど大変な仕事とは正直、考えもせんかった。それでも彼女はやりがいを感じておるのだなぁ」

「……ああ」

 セリアスたちは押し黙り、ジョージの独白に耳を傾ける。

「吾輩が好意を押しつけても、今は彼女の邪魔になるやもしれん。……マチルダ殿には教師になってもらってから、改めて伝えようと思うのだが、どうだろうか?」

「そんなら、いい学校を作らねえとな。あんたも」

 ジョージの気持ちは思いのほか純粋だった。マチルダに想いを寄せているからこそ、彼女の仕事を尊重し、応援してやりたいのだ。

 マチルダが小走りで戻ってくる。

「ジョージさん! 大丈夫でしたか? ごめんなさい、やんちゃな子ばかりで……」

「いやいや。これくらい、どうってこと……つっ?」

 ジョージは自力で起きあがろうとするものの、傷みに顔を歪めた。ボールで突き指してしまったようで、右手の中指が腫れあがっている。

「まあ大変! 早くこちらへ」

「マ、マチルダ殿?」

 マチルダはジョージを水飲み場へと連れていった。土だらけの手を水で洗い、その中指に包帯を巻いていく。

「あとで病院で診てもらってくださいね」

「う、うむ……」

 ジョージは顔を赤らめ、陶然としていた。

「オレたちはお邪魔みたいだな。退散しようぜ、セリアス」

「ああ。今日は付き合わせてしまって、すまなかったな。イーニア」

「いえ。私も楽しかったですから」

 ふたりを残し、セリアスたちは遊技場をあとにする。

「ちぇー。もっとロマンチックなやつ、期待してたんだけどー」

「余計なことはするなよ? ロッティ」

 悪戯好きの妹分に釘を刺しつつ、セリアスはいつかの恋人を思い出した。

 

 

 エドモンド邸に帰ってからも、ジョージは右手を見詰めてばかり。

「はあ……マチルダ殿……」

 それには彼女の温もりが残っているように感じられた。女性の手とはああも柔らかいのだと、初めて知り、高鳴る胸の鼓動を抑えきれない。

 執事は怪我の具合を気に掛けていた。

「大丈夫でございますか? ジョージ様。ご不便などありましたら、私に……」

「どうってことはない。それよりセバスチャン、お前も今夜は早く休め。明日からまた忙しくなるのだからな」

「……はて? と、おっしゃいますと?」

 子爵は得意満面に髭を撫でる。

「教員の確保に決まっておるではないか。候補者には片っ端から当たるぞ」

「は、はい! このセバス、どこまでもお供いたします!」

 執事に発破を掛け、ジョージは寝室へと戻った。

右手を抱いて眠れば、今夜は素敵な夢を見られるだろう。そのつもりが、ベッドの上では恐るべき人物が待ちかねていた。

「き……貴様は!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビキニパンツの雄々しい巨漢、アラハムキ。

城塞都市グランツには秘密結社が存在する。その名は『HIMOTE』――もてない男たちによる、悲しくも世知辛い組織があったのだ。

「HIMOTEのメンバーでありながら、よもや女性と手を繋ぐとはな……ジョージ=エドモンド、貴様は結社の鉄の掟を破り、オレたちの誇りを傷つけた」

 それはまた、互いを監視しあい、抜け駆けを許さないコミュニティでもある。

 ジョージは真っ青になり、アラハムキの巨体ぶりに戦慄した。

「ま、待ってくれ! 吾輩は交際を始めたわけでは……」

「問答無用。貴様の右手にある女の感触など、このオレのギャランドゥで徹底的に上書きしてくれよう。食らうがいい!」

しかしアラハムキは憤怒し、耳を貸さない。ジョージの右手を捕まえ、それを己の下腹部、天然物のギャランドゥへと強引に擦りつける。

「よせ! それだけは……ぐあああああッ!」

「ハーッハッハッハッハ!」

 縮れた剛毛がジョージの右手にまとわりついた。指の叉まで侵食し、マチルダの温もりを奪い取っていく。

 残酷にして残忍、陰湿にして非情。それがHIMOTEの制裁だった。

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