忘却のタリスマン

第10話

 誰が何のために作ったのか。決して天然の洞窟ではない。それはひとの手によって掘り進められ、木材のアーチで等間隔に天井を押さえあげていた。

 細長いレールは闇の中まで延々と続いている。

 脈動せし坑道。いつからか、ひとびとはこの秘境をそう呼んでいた。

 浅いフロアは冒険者の出入りも頻繁なため、照明などが設置されている。しかし地下三階の半ばあたりから、坑道は闇に閉ざされていた。

「足元に気をつけろよー、イーニア」

「はい。大丈夫です」

 場所によってはレールがぐにゃりと曲がって、意外な障害物ともなる。

 セリアスたちはカンテラをかざしつつ、闇の中を慎重に進んだ。この階層のゴブリンは夜目が効くようで、暗闇はモンスターにだけ味方をする。

 奇襲に備え、ハインは前衛で警戒に当たっていた。

「こいつは骨が折れそうではないか。グウェノ殿、あとどれくらいで最深部なのだ?」

「オレも知らねえんだ。ここはグランツから近いっちゃ近いんだが……」

 未だに冒険者は誰も最深部には到達していないという。セリアス団にしてもコンパスと記憶地図がなければ、とっくに遭難していた。

「……………」

 最後尾ではザザがしんがりを務め、常に退路を確保している。

 灯かりの向こうで不意に何かが横切った。セリアスは剣を抜き、グウェノとともにイーニアの守りを固める。

「出たぞ!」

 ゴブリンの亜種、ホブゴブリンだった。骨を齧ることを習性としており、通常のゴブリンに比べ、より好戦的とされている。

 幸い、敵は二匹だけだった。右のホブゴブリンをハインが軽々と殴り飛ばす。

「迂闊なやつめ! ぬんっ!」

 並みのモンスターであれば、この一撃で恐れ慄き、残りは逃げ出すものだった。しかしホブゴブリンは一匹になろうと、棍棒を握り締め、じりじりと迫ってくる。

(こいつも普通じゃないな。ここは一体……)

 ところが、坑道に不気味な脈音が響くと、そんなホブゴブリンでさえ俄かに顔色を変えた。ありありと恐怖を露にし、闇の中へと逃げていく。

 グウェノは弓を降ろし、肩を竦めた。

「またこの音だぜ。脈動せし坑道、なあ……」

「おぬしらにもやはり脈の音に聞こえるのか。ただの坑道ではないのう」

 セリアスは今一度、耳を澄ませてみる。しかし先ほどの脈音は聞こえず、わずかに風の音を捉えるだけに終わった。

「……それにしても大した威力だな、ハイン。タリスマンは」

「うむ。加減にも大分、慣れてきたわい」

 ハインの右腕には琥珀色のブレスレットがあった。

 石でも金属でもない、奇妙な材質でできており、持ち主の腕に合わせてサイズを変えることすらある。これこそが『剛勇のタリスマン』だった。

 これを身に着ければ、イーニアでもハインを腕相撲で打ち負かすことができる。剛勇のタリスマンは持ち主の腕力を劇的に高めてくれるのだ。ただし威力が大きすぎるため、このような地下では加減も必要になってくる。

 怪力のせいで落盤、などという事故もありえるのだ。

「セリアス殿が使ってもよいのでは? 拙僧にはこの肉体がある」

 ハインは得意げに上腕の力こぶを膨らませた。しかしセリアスは苦笑いで流す。

「そんなに力が強くては、武器が持たんさ」

「上手くいかねえもんだよなあ。とにかく盗まれねえようにはしねえと」

 グウェノの口からは不満が漏れた。

「でもよぉ……タリスマンにしちゃ、ちょいと物足りなくねえ? 持ち主の筋力をアップします、ってだけじゃなあ」

 タリスマンの効力にはイーニアも疑問に思っているらしい。

「確かにパワーリングでも代替できますよね。効果は段違いでしょうけど……」

 現に似たようなアイテムは存在する。攻撃力を高めるパワーリングや、魔法の抵抗力をあげるレジストリングなどは、魔法屋でも売られていた。

 ハインが感心気味にタリスマンの腕輪を撫でる。

「そう結論を急ぐこともあるまい。まだ秘密があるやもしれんしのう」

「それを突き止めるのも今後の課題だな」

 その正体は定かではないものの、セリアスたちには『コンパス』があった。これを頼りに進んでいけば、いずれタリスマンの真相へと辿り着くことができるだろう。

 しかしイーニアはまだ、何やら険しい表情で考え込んでいた。

「私、それをどこかで見た気がするんです。割と最近のことだったと思うんですけど」

 剛勇のタリスマンは別段デザインが珍しいほどでもない。

「似たようなの、服屋で見かけたんじゃねえの?」

「かもしれません。あの……本当に少し気になっただけ、ですから」

 セリアスも『なぜ腕輪なのか』とは思っていたが、デザインについては気にも留めていなかった。メルメダも『地味』と一蹴しただけに、さしたる値はつかないだろう。

 ただ、イーニアの言葉は無視できるものでもない。

「何か思い出したら、教えてくれ」

「はい」

 その後もセリアス団は少しずつ、着々とルートを開拓していった。

 カンテラと照明の魔法だけが頼りとはいえ、ザザは暗闇をものとしない。隠し扉なども逸早く察知し、セリアスに合図を送った。

 隠し部屋を隈なく照らして、セリアスたちは溜息をつく。

「……外れのようですね」

「だな。見ろよ、あれ。多分ミミックだったんだぜ」

 宝箱は叩き潰されたようにひしゃげていた。ミミックだったのか、空っぽだったのか。何にせよ、この宝箱は冒険者の期待を大いに裏切ったらしい。

「やっぱ、どこも踏破されまってんだなあ……」

 フランドールの大穴で冒険者たちが探検を始めてから、何年もの時が過ぎている。後発のセリアス団が幾度となく煮え湯を飲まされるのも、当然のことだった。たまにゴブリンどもが新たに隠したらしい宝箱を発見しても、中身はがらくたばかり。

「頼みの綱はイーニア殿のコンパスか」

 コンパスはずっと下を指している。

「どこかに降りる道があるんでしょうか……」

「……下か」

 ふとセリアスの脳裏で閃きが走った。

 コンパスが指し示すのはタリスマンとは限らない。風下の廃墟では当初、摩訶不思議なプレートに反応し、道を開いた。

 今回もプレートとするなら、見落としていたことになる。

「こうなったら、そこいらの落とし穴を調べてみるしか……なあ? セリアス」

「その前に床を調べなおそう。ここのプレートは水平になってるかもしれないからな」

 ハインが『なるほど』と頷いた。

「そうか! プレートが壁ばかりとは限らんわけだ」

「ああ」

 早速、皆で足元に注意を向ける。そのはずが、ザザは早々に踵を返し始めた。

「お、おい? どこ行くんだよ、ザザ」

「……………」

 相変わらず一言もしゃべらないものの、彼の行動には必ず意図がある。

「心当たりがあるらしいな」

 少し戻ったところには、前回の探索で調査済みの隠し部屋があった。その床の一部が平らになっており、カンテラを近づけると、例の文字が見える。

「こんなもんに気付いてたんなら、そん時に言えっての」

「こういうやつなんだ」

 ザザのおかげで、今回は難なくプレートへと辿り着くことができた。イーニアがコンパスをかざすと、ハクアの光がプレートを消滅させる。

 お調子者のグウェノはころっと機嫌をよくして、指を鳴らした。

「やりぃ! 大正解だったみたいだな」

「行ってみましょう! セリアス」

 久しぶりの進展にイーニアも声を弾ませる。

「焦ることはないさ。さて、何が出てくるか……」

 セリアスたちは細心の注意を払いつつ、いかにも脆そうな階段を降りていった。

 このエリアに足を踏み入れたのは、セリアス団が初めてだろう。だが、セリアスたちの目に思いもよらないものが映った。

「きゃ……!」

 イーニアは怯え、あとずさる。

 それは冒険者の成れの果てだった。ざっと見たところ、五人分の白骨が転がっている。どこからか迷い込んで、帰れなくなったらしい。

「じゃあ、ここまで降りて来る方法は、ほかにもあるってことか?」

「あるいは、どこからか落ちて戻れなくなったか……」

 モンク僧のハインが亡骸に祈りを捧げる。

「何とも哀れなことだ。骨の大きさからして、若者ばかりのようではないか」

 どれも成人のものではなかった。初陣で全滅したという少年少女のパーティーの話を、セリアスは確信とともに思い出す。

「あのパーティーが全滅したのは、風下の廃墟だと聞いたが……」

 グウェノは残念そうにかぶりを振った。

「ギルドには嘘をついて、出発したんだろうな。脈動せし坑道は危険すぎるからって、子どもだけじゃ許可が出なかった、とかでさ」

 当時は調査隊が風下の廃墟を散々捜しまわったが、見つからなかったという。それもそのはず、未熟な要救助者たちはここで遭難していたのだから。

「……怖いですね」

 イーニアの感想は月並みとはいえ正しかった。

 白骨死体はボロをまとっており、武器も錆だらけだが残っている。しかしモンスターに持ち去られたのでなければ、肝心のカンテラはひとつしかなかった。

 地下迷宮の類を探索するにしては、荷物も少なすぎる。

「これ、触媒の人参を食べたのかもしれません。毒性はありませんけど……」

「冒険小説のノリで来ちまったんだな。可哀相に」

 若き冒険者たちはスリルと興奮の代償を、己の命で払う羽目になってしまったのだ。セリアスとて失敗の経験はあるものの、これほどに準備不足のパターンは知らない。

「拙僧らも油断していては、こうなろう」

「ああ」

 彼らの眠りを妨げるつもりはなかった。セリアスは立ちあがり、カンテラを掲げる。

 しかしイーニアは冒険者たちの亡骸が気になるようだった。

「せめてお日様の当たるところで、弔ってあげるわけにはいきませんか?」

 そんな彼女をグウェノやハインがやんわりと諭す。

「そうしたいのは山々なんだけどさ、オレも。こいつらを抱えて帰れるほど、オレたちも身軽じゃねえからなあ……」

「引きずっていけんこともないが、今は探索を優先しようではないか、イーニア殿」

 意外に冷静なモンク僧を見上げ、セリアスは声を潜めた。

「大陸寺院の僧侶にしては、割りきってるな」

「時と場合によるとも。仏を背負っていては、まともに戦えん」

 亡骸をそのままにして、セリアスたちはさらに奥へと進む。だが、そろそろ夕刻のはずで、今回は探索を切りあげたくもあった。坑道の中でキャンプは避けたい。

「まだ先は長くなりそうだし、一旦戻ったほうがよくね?」

「拙僧も賛成だ。無理することもあるまい」

 グウェノやハインも潮時と考えているようで、イーニアの表情にも疲労が見えた。

 ところが、セリアスは道中ではたと足を止める。

「……………」

「どうしたよ? セリアス。ザザみたいに黙っちまって」

「帰る前に一仕事、手伝ってくれ」

 きょとんとするグウェノらに構わず、リーダーは方向を変えた。

 見間違いではなかったらしい。壁面の一部で青い鉱石が剥き出しになっている。

「ハイン、こいつを手頃な大きさに割れないか」

「そういうことなら任せておけ」

「すまないが、イーニアも手を貸してくれ。なるべく多く運び出したい」

 寡黙なセリアスが早口にまくしたてることで、グウェノはますます疑問を膨らませた。

「この青いのが、なんだってんだよ?」

「ミスリルだ」

 その一言がメンバーを驚愕させる。

「まっ、まじで?」

「本当なんですか、セリアス?」

 ミスリルとは希少な鉱石であり、軽い割に相当の強度があった。魔法の力とも親和性が高いため、イーニアの杖を作るには最適の素材となる。

「早く言ってくれっての! そんなら、矢はここに置いてくかな」

「次もここを通るんだ。今必要なものだけ持っていけばいい」

 剛勇のタリスマンがあるおかげで、ツルハシなどの工具も必要なかった。ハインに鉱石を砕いてもらい、全員が持てるだけ持つ。ザザがいるのは運がよかった。

「まだありますね」

「次でいいさ。戻るぞ」

 若き冒険者たちの亡骸は黙々とセリアス団の幸運を見守っている。

 

 城塞都市グランツへと帰還し、グウェノはマルグレーテにミスリル獲得の報告へ。セリアスとイーニアは魔法屋を訪れ、女店主を仰天させた。

「へえ、今度はミスリル鉱かい! こいつの純度を上げろって?」

「料金は武具屋に売った分で払うさ」

「それでいいよ。あんたたちには幸運の女神様でもついてんのかねえー」

 セリアスはふと女神像のことを思い出す。

 風下の廃墟の隠し部屋には、意味深な女神像が鎮座していた。徘徊の森の奥地、白金旅団のテントの近くでも同じものが見つかっている。

「この量だからねえ、週末まで待っておくれよ。ばっちり仕上げてやるからさ。……と、武器を作るってんなら、その分だけ先に拵えてやるけど」

「ああ。任せる」

 魔法屋の女店主はパイプを燻らせながら、イーニアに視線を向けた。プロだけあって、ミスリル鉱の用途には見当がついているらしい。

「イーニアの杖を新調するんだろ? なら、いいものがあるよ」

 セリアスたちへと差し出されたのはマジック・オーブだった。魔力のこもった宝玉で、魔法使い用の杖を作るうえでは欠かせない部品である。

ゴーレムのコアとして使われることもあった。

「セリアス団には世話になってるからねえ。安くしておくよ? どうだい」

「商売上手だな。見せてくれ」

 貴重品を融通してくれるのだから、またとないチャンスだった。セリアスはマジック・オーブを手に取り、まじまじと見詰める。

「属性はどうすんだい? イーニアなら『火』がいいんじゃないかねえ」

 魔法の杖には地水火風、いずれかの属性を付与することができた。

火属性にすれば、イーニアでも炎の魔法をいくらか操ることができる。地、水、風はすでに素質があるため、全属性をカバーできるだろう。

 しかしセリアスはあえて『水』を選んだ。

「これは俺の持論だが、短所を補うより、長所をもっと伸ばすほうが使えるんだ。火属性の魔法なら、スクロールなんかでも代用できるし、な」

「オーケー。そんなら、アクアマリンのオーブで決定だね」

 安いとはいえ、値は張る。あとでオーブだけ変更することもできないため、イーニアは自信がなさそうにマジック・オーブを受け取った。

「本当に『水』でいいのでしょうか……」

「どれを選んでもメリットとデメリットがある。要はお前次第さ」

 あとはミスリル鉱の精錬を待つのみ。

 

 翌日には杖ひとつ分のミスリル鉱が精錬できたため、セリアスはイーニアとともに武器屋を訪れた。強面の鍛冶職人もミスリル鉱を見て、興奮を露にする。

「ほう! すげえもんを手に入れたなあ、兄ちゃん」

「残りは魔法屋で精錬中なんだ」

「そいつは忙しくなりそうだな。しかも精錬済みたあ、気が利くじゃねえか」

 ミスリル鉱の用途は多い。いずれグウェノの弓や軽鎧を作ってもらうもよし、売却で資金にすることもできた。

「戦闘用の杖を作って欲しいんだ。マジック・オーブもある」

「そっちの魔法使いの武器ってことかい。ちょいと、今使ってるのを見せてみな」

 店主はイーニアの杖(調合用)を手に取り、じっくりと吟味する。

「殴って使うことはあるかい?」

「え? えぇと……」

「それはない。普通のロッドで頼む」

 イーニアは非力ではないものの、物理攻撃は考えないほうが賢明だろう。下手に扱っては、デリケートなマジック・オーブに衝撃が伝わってしまう。

 店主はイーニアを一瞥しつつ、壁際を指差した。

「そっちに杖が何本か、置いてあるだろ? 右から順に取って、構えてみな」

「あ、はい」

 おずおずとイーニアは商品を手にし、上段や中段に構えてみせる。例のアニエスタ先生とやらには武器の扱いも教わったようで、それなりにさまになっていた。

 店主が二本目と三本目の杖を入れ替えては、イーニアに持たせる。

「長さはこれくらいがいいか。よし、決まりだ」

 やはりセリアスの目に狂いはなかった。この職人は信用できる。

 これから作られる魔法の杖は、イーニア専用の一品となるのだ。だからこそ、長さも重さもイーニアのために調整される。

「二日ほど待ちな。ミスリル鉱の礼だ、優先してやっから」

「ああ。期待してるぞ」

 かくしてイーニアの新しい杖は目処がついた。

 

 

 ソール王国の地下迷宮を彷徨う中、セリアスは幾度となく亡骸を発見する。

 迷宮からの脱出を試みた、冒険者の成れの果てだろう。彼らは半ば白骨化し、異臭を漂わせることさえなかった。セリアスと死者の間で沈黙だけが続く。

 セリアスとて、明日には同じ運命を辿るかもしれない。だから死者を弔う余裕などあるはずもなかった。無造作に屍を踏み越え、先へと進む。

 そうやって死者をないがしろにしてきたのだ、いずれは自分も――。

「……うっ?」

真夜中に悪夢から目覚め、セリアスは息を乱した。

「はあ、はあ……夢か……」

 あの地下迷宮からの脱出劇は、決して英雄のものではない。時には亡骸から罠の位置を知り、危機を逃れることもあった。死者の武具を借りたことさえある。

 彼らの犠牲なくして、セリアスの生還はなかったのだ。

 こんな夢を見たのは、脈動せし坑道で少年少女の亡骸を見つけたせいだろう。にもかかわらず、自分は彼らを置き去りにして、ミスリル鉱を持ち帰った。

「俺にも人並みの良心はあったか……」

 今さら罪悪感に苛まれ、セリアスは自嘲の笑みを浮かべる。

 

 

 イーニアの杖を新調したところで、セリアス団は脈動せし坑道の探索を再開する。ほかの冒険者たちはまだ新しいルートに気付いていないようだった。

 グウェノは折り畳み式のカゴを持ってきている。キルドの冒険者らも、まさかセリアス団がミスリル鉱を発見したとは思いもしないだろう。

「あそこのミスリル鉱は採れるうちに採っておかねえとな」

「……そうだな」

 ミスリルという鉱物には『鉱脈』が存在しなかった。未だ解明されていないものの、どうやら魔法的な磁場において、まれにごく少量が生成されるものらしい。

 そういった条件が秘境では揃いやすいのだろう。タブリス王国がフランドールの大穴に資源を求め、開発に躍起になるわけである。

「そこのレールも曲がっておるぞ」

「おっと! ……どうなってんだろうなあ、この秘境も」

 先頭はハインが務め、カンテラで闇を払っていた。ザザは今回も同行し、しんがりを務めている。イーニアは隊列のもっとも安全な位置で、コンパスの向きを注視していた。

「ここでは矢印が黄色なんですよね……」

 風下の廃墟では黄、徘徊の森では青だった。

「……とすると、青がタリスマンなのかもしれんなあ」

 ハインの推測は当たっているかもしれない。

 これまでにコンパスは風下の廃墟で『記憶地図』を、徘徊の森で『剛勇のタリスマン』を指し示していた。この脈動せし坑道のアイテムは、前者と同じ類の可能性が高い。

 途中でセリアスたちは先日の、少年少女の亡骸とすれ違った。それを一瞥し、グウェノは声のトーンを落とす。

「ここを通るたび、目が合っちまうのもなあ……どうしたもんかね」

「折を見て、拾っていってやるのがよかろう」

 じきに周辺の地図が完成し、モンスターの傾向も掴めれば、余裕も出てくるだろう。彼らの亡骸を回収するのは、それからでも遅くはない。

 やがてセリアス団は広々とした空間に出た。やけに空気が冷え込んでいる。

「こいつはキャンプに使え……うおっ?」

 急に後ろのザザが手裏剣を投げ、グウェノは腰を抜かした。

「あ、危ねえじゃねえか! 投げるんなら先に一言……」

「待て、グウェノ! 向こうに何かいるぞ!」

 手裏剣が当たると、青い岩の塊がもぞもぞと動き出す。それは岩ではなく大きなムカデのモンスターだった。長い胴をくねらせて、セリアスたちに牙を剥く。

「こやつの縄張りであったか!」

「うっかり近づいちまうとこだったぜ。この野郎っ!」

 すかさずセリアスたちは『ワールウインド』の陣形を敷いた。両翼はそれぞれグウェノとザザが務め、攻撃は飛び道具を主軸とする。

 ハインは防御の姿勢で前方をカバー。後衛のイーニアは魔法の杖を握り締めた。

 セリアスは中央で照明を維持しつつ、指揮を執る。

「深追いはするな!」

 大ムカデは灯かりを避け、闇の中で蠢いていた。地面を抉る音や、岩の散乱する音が、あちらこちらから聞こえてくる。

「セリアス、スクロールをください!」

「ああ!」

 イーニアは照明の巻物をスパークさせて、一帯を光で満たした。セリアスたちは一瞬、目を眩ませるものの、これで敵を追うのは容易くなる。

「そこだっ!」

 グウェノが続けざまに矢を放った。しかし大ムカデの外殻に弾き返される。

 隙間を狙うにしても、大小の甲羅が順々に連なっているせいで、入り込めないのだ。ザザの手裏剣も狙いは正確無比だが、敵の肢体には届かない。

 大ムカデが天井へと這いあがり、セリアスたちの頭上で岩を噛み砕く。

「右に逃げろ!」

「虫の分際で、お利口さんじゃねえの!」

 岩の破片をかわしながらも、セリアスたちはワールウインドの陣形を維持した。大ムカデの動きを目で追ううち、グウェノがあることに気付く。

「……そうか! こいつ、レールには手を出さねえみたいだぜ」

 敵はどこもかしこも掘り返すようで、レールには近づかなかった。セリアスたちはそれを足場として、大ムカデの奇襲に備える。

「こうも動きまわられては、捕らえきれんぞ? セリアス殿」

「ああ……厄介だな」

 大ムカデは変幻自在の動きに加え、頑丈な外殻で身を固めていた。今から退却しても、狭い場所で追いつかれるのがオチだろう。

 ハインの衝撃波も外れ、地面を直線状に抉るだけに終わった。

「こうなったら、ザザの鋼線で締めるか……」

「……………」

 ザザは『長さが足りない』とかぶりを振る。

 ところが、急にイーニアが声をあげた。

「誘い込んでみます! セリアスは今のうちにスクロールで地雷を!」

 上手い作戦を閃いたらしい。ミスリル製の杖をかざし、魔法でハインと同じように地面をまっすぐに抉り抜く。これで広間に『溝』ができた。

 グウェノが意気揚々と弓を引く。

「なるほどな! 合わせろよ、ザザ!」

 グウェノの矢とザザの手裏剣をかわし、大ムカデはその溝へと逃げ込んだ。

 そこにセリアスは地雷のスクロールをセットし、飛び退く。

「みんな、伏せろっ!」

 モンスターはそれを踏むや、灼熱の炎に包まれた。苦悶し、のけぞったところへ、ハインの衝撃波が今度こそクリーンヒットする。

「でやあッ!」

 タリスマンの威力も合わさって、敵はばらばらに四散してしまった。

 ムカデには『壁際や隙間に沿って進む』習性がある。いかに素早く走りまわろうと、溝に入ってしまっては、進行方向を変えられなかったのだ。

「ヘヘッ! お手柄だな、イーニア」

「私もこんなに上手くいくとは思いませんでした」

 イーニアはほっと安堵の笑みを綻ばせる。

 ミスリルの杖も魔法の威力を瞬時に高めてくれた。彼女の杖を優先したのは、間違いではなかったらしい。

「こやつの甲羅もミスリル鉱のようだが……グウェノ殿?」

「だめだめ。不純物が多すぎらあ」

 周囲の安全を確認してから、セリアスたちは戦闘用の陣を解く。

 イーニアのコンパスは敏感に反応していた。

「かなり近いようですけど……」

 レールは途切れ、ここで終点となっている。とはいえ道中に分かれ道もあったため、レールは別のところで続いているのだろう。

 グウェノがぶるっと震えた。

「にしても、すげえ寒くねえ? 地下ってだけじゃねえぞ、こいつは」

「ああ……」

 さっきから冷たい風も吹いている。さらに奥へ進むと、謎めいた女神像があった。

 その向こうは『外』に繋がっており、照明もいらない。

「な、なんと……!」

 思いもよらない光景を目の当たりにして、先頭のハインが立ち竦んだ。セリアスやグウェノも真っ白な有様に目を見張る。

「雪か。道理で冷えるわけだ」

「脈動せし坑道は、この秘境と繋がってたってのか」

 フランドールの大穴には『難所』とされる秘境がいくつかあった。

そのひとつが画廊の氷壁。セリアス団は今、氷の地獄へと足を踏み入れたのだ。ひとまず坑道の中へと戻り、火を起こす。

「あの……グウェノ、画廊の氷壁って?」

「見ての通りさ。年がら年中、吹雪いてやがるんだ。こいつは難しくなってきたぜ」

 焚き火を囲みながら、セリアスたちは頭を悩ませた。

 画廊の氷壁を探索するのなら、相応の装備が必要となる。防寒具は無論のこと、スパイクなども欠かせないだろう。

 何よりの問題は、ここに来るだけでも丸一日は掛かることだった。坑道を突破するための装備も持っていくとなると、荷物だらけとなる。

「……このあたりに拠点を作るしかないな」

 セリアスの判断にはハインも頷いた。

「うむ。簡単に湯を沸かせるくらいの環境は、整えておかんと」

 幸い近辺にモンスターの気配はない。坑道のモンスターが寒さを嫌って、近づこうとしないのだろう。物資の搬入さえできれば、拠点の設営は容易い。

「何往復かしねえとなあ……。まあ、ついでにミスリルも回収してくか」

「あの、待ってください」

 拠点について相談していると、イーニアがコンパスを見せつけた。

「先にこれを確かめてからでも……」

「それもそうだな」

 依然としてコンパスはこの近くを指している。

それは先ほどの女神像で間違いなかった。神聖な佇まいにセリアスははっとする。

「……ハイン! 剛勇のタリスマンを見せてくれ」

「ん? どうかしたのか、セリアス殿」

イーニアやグウェノも同じことに気付いて、目を丸くした。

「そ、そうです! どこかで見たと思ったら」

「女神サマの腕輪とそっくりじゃねえか」

女神像の右手にはブレスレットが嵌められている。それが、ハインの右腕にあるものと瓜二つだったのだ。

驚きのあまり、イーニアは声を震わせた。

「タリスマンはこの女神の……?」

剛勇のタリスマンが『彼女』の装身具であるのなら、ほかのタリスマンもそうである可能性が出てきた。左足のアンクレットも怪しい。

「少しずつ真相に迫ってきておるようだな。多分、探索を続けていけば……」

「だったら、なおさら画廊の氷壁を突破しねえと。なあ」

 画廊の氷壁は難関とはいえ、セリアス団のモチベーションは向上しつつあった。

 女神像にコンパスをかざすと、ハクアの光が一本の羽根ペンを出現させる。それを手に取り、イーニアは首を傾げた。

「……なんでしょうか? これ」

見たところ、記憶地図の石板と同じ意匠が施されている。

女神像はまだ光を湛えていた。それに呼応してか、記憶地図も輝く。

「わかるか? イーニア」

「多分、この羽根ペンで記憶地図を操作しろってことだと、思いますけど……きゃっ?」

 羽根ペンの先が記憶地図に触れるや、セリアスたちは光の渦に飲まれてしまった。

「くっ! し、しま……」

「うわあああっ? ……あ、あれ……?」

 照明の魔法も焚き火もかき消され、周囲は闇に閉ざされる。ただ、それだけのことで、危険な気配は感じられなかった。むしろ暖かくなったほどである。

「セリアスー! どこですか?」

「こっちだ。待ってろ、灯かりをつける」

 女神像のもとでカンテラに火を灯し、セリアスたちは唖然とした。脈動せし坑道の中にいたはずが、いつの間にか、まったく別の場所にいたのだ。

 ハインが思い出したように坊主頭を撫でる。

「ここは風下の廃墟の地下ではないか? ほれ、その記憶地図のあった」

「そ、そうだぜ! オレたち、どうやってこんなところへ?」

 記憶地図の上には新たに女性のマークが増えていた。

 風下の廃墟の地下にひとつ、徘徊の森の奥地にひとつ。それから、脈動せし坑道の出口でも、おそらく女神像の場所を示している。

「イーニア、そのペンで森のほうの印に触ってみてくれ」

「はい」

 再び女神像が光を放った。セリアスたちは瞬く間に徘徊の森のテント付近へ。

 テレポートしたのだ。女神像の傍で羽根ペンと記憶地図を併用すれば、どうやら任意の女神像のもとへ瞬間移動できるらしい。

 グウェノが軽快に指を鳴らす。

「すげえじゃねえか! これがありゃ、氷壁まで一気に飛べるってことだろ」

「ああ。こいつはでかい」

 画廊の氷壁を探索するにあたって、これで脈動せし坑道を通過する必要はなくなった。時間の短縮のみならず、装備も少なくて済む。

 拠点を作るにしても、物資の搬送が格段に楽になった。

 また、女神像のもとまで来れば撤退も容易い。効率と生還率は跳ねあがっただろう。

「行きは風下の廃墟からが、近くていいんじゃね?」

「ひょっとしたら、ほかにもあるんじゃないですか? 女神像が」

 画廊の氷壁という難関を前にしても、光明が見えてくる。

(行き来は簡単になったか……)

 それならと、セリアスは口を開いた。

「坑道にあった亡骸も回収してやろう。テレポートを使えば、そう手間取らんはずだ」

このようなことに拘っていては、冒険者として二流かもしれない。しかし屍を無下に踏み越える真似は、なるべく避けたかった。

 イーニアがほっと胸を撫でおろす。

「私は賛成です」

「しょうがねえな。放っておくのも、なんだか目覚めが悪ぃし」

 グウェノもまんざらではない様子で、ハインは数珠を取り出した。

「実は拙僧も気になっておったのだ。ちゃんと街の墓場で弔ってやろう」

「なら、言ってくれてもよかったんだが」

 満場一致。ところが、面子がひとり足りていないことにイーニアが気付く。

「……あら? ザザは?」

 離れていたせいか、ひとりだけテレポートし損ねたらしい。百戦錬磨の忍者とはいえ、今頃は坑道の出口で途方に暮れていることだろう。

「迎えに行くか」

「あいつも意外にお茶目なとこ、あるじゃねえの。ハハッ」

 セリアスたちは女神像の力を借り、ザザのもとへ急ぐのだった。

 

 

第11話

 

 

 セリアス団は屋敷の居間に集まり、思案顔を向かいあわせていた。

「う~ん……」

 それぞれペンを手に取っては、唸るのを繰り返す。

 本日の議題はセリアス団の『エンブレム』について。脈動せし坑道の出口で拠点を作るにあたって、それがセリアス団のものと一目でわかる目印が必要となったのだ。

 ハインは毛筆を繰り、ありがたい仏像を何枚も描きあげる。

「どうだ? ご利益はあると思うぞ」

「そりゃオッサンはなあ……」

 それをグウェノは一蹴し、イーニアの作品にもかぶりを振った。

 イーニアが描いたのは可愛らしいウサギのイラスト。女子がトレードマークとする分にはもってこいだが、セリアスやハインが使うには厳しい。

「ウサギなら、ほかのパーティーに使われることもないかと……」

「まあ獅子や馬ほどじゃねえけど、さあ」

 セリアスが描いたのはオーソドックスに『剣と盾』だった。これではありきたりで、余所の冒険者ともろに被ってしまう。

「そういうグウェノはどうなんだ? 見せてみろ」

「へ? ええっと……」

 文句ばかり達者なグウェノにしても、適当に星やらを描いただけ。

 意外な案件で苦戦し、セリアスたちは一様に顔を顰めた。

「カシュオンのとこは『杯』だってよ」

「聖杯というわけか」

「メルメダさんがつけてました。勲章みたいで、ちょっとかっこいいですよね」

 そこへ吟遊詩人のジュノーが帰ってくる。

「ただいま戻りました。……おや? みなさん、お揃いで……」

「忙しいようだのう、ジュノー殿」

「はい。グランツで子どもたちのために学校を作ることになりまして、音楽の授業はできないものかと、マルグレーテさんから相談を受けてるんです」

「へえ~。そいや、街にチビも増えてきたよなあ」

 城塞都市グランツはまだ子どもが少ないとはいえ、着々と増えつつある。商業圏とするからには、将来的には教育機関も欠かせなかった。

「ところで、みなさんは何を?」

 ジュノーが興味津々にイーニアの落書きを覗き込む。

「実はセリアス団の紋章を作ることになりまして……今、案を出してるんです」

「なるほど。面白そうじゃないですか」

 今回は『芸術家』の知恵を借りるのも、いいかもしれない。

「ジュノーは何かないか? あったら聞かせてくれ」

「そうですね……」

 それに『彼』もセリアス団の一員。エンブレムを発案するだけの資格はあった。

 

 

 坑道せし坑道は次なる秘境、画廊の氷壁と繋がっていた。

 氷壁を突破するため、セリアス団は坑道の出口付近に拠点を設けることに。必要な物資を搬入しつつ、脈動せし坑道の未踏破エリアの探索も進めていく。

「ザザのやつ、坑道には毎回ついてくんのな」

「こいつの得意分野なんだ」

 ザザがいれば、暗闇の中でホブゴブリンに奇襲されることもなかった。むしろセリアスたちのほうが先制し、ホブゴブリンの群れに仕掛ける。

 セリアスは防御の構えでイーニアをカバー。

「ハイン、ザザ! 中央に集めてくれ!」

「任せておけ!」

 巨漢のハインと俊敏なザザに翻弄され、ホブゴブリンどもはあとずさった。そこへイーニアが杖を向け、魔法の水鉄砲を炸裂させる。

「えいっ!」

 ホブゴブリンは水流に飲まれ、でこぼこの壁面へと叩きつけられた。

 残りのホブゴブリンは逃走を始めるものの、グウェノの矢が一匹たりとも逃さない。

「遅ぇぜ! そこだ!」

 セリアス団の先制攻撃が功を奏し、ホブゴブリンの群れは呆気なく全滅した。

 グウェノが意気揚々と新品の弓を掲げる。

「こいつはすげえよ、セリアス! こんなに軽いのに、威力がでけえ」

 彼の弓も先日のミスリル鉱で拵えた逸品だった。

セリアスもミスリルシールドを撫で、装備の一新に手応えを感じる。

「属性付与はおいおい考えるとしよう」

「イーニアが『水』なら、俺は『風』かねえ? やっぱ」

 ハインはセリアスの盾を眺め、ふむと頷いた。

「前々から思っておったが、セリアス殿は盾を使いまくるタイプのようだのう」

「ああ」

 どちらかといえば、セリアスは攻撃よりも防御を重視している。

 そのため盾は必ず『円』の形を採用した。これならどんな体勢・どんな角度であれ、いつもと同じように使うことができるのだ。

 それに接近戦にはハインがおり、射撃にはグウェノがいる。このパーティーであれば、セリアスは防御にまわるのがもっとも効果的だった。

 おかげで戦闘の面はさして問題ない。しかし探索のほうは振るわなかった。

「うわああっ?」

 またしてもグウェノが不意を突かれ、慌てて宝箱から飛び退く。

 今回の宝箱もミミックだったのだ。

「こやつめ、味な真似を!」

 すかさずハインがミミックを殴り飛ばし、箱ごと破壊する。

 グウェノは尻餅をつき、やれやれと冷や汗を拭った。

「助かったぜ、オッサン。にしても……さっきからミミックだらけじゃねえか」

 画廊の氷壁へと続くこのルートは、セリアス団が初めて踏み込んだようで、どこも手付かずとなっている。そしてセリアスたちを期待させるだけの宝箱が、数だけはあった。

 ところが、どれもこれも宝箱に擬態したモンスター、ミミックばかり。

「もう触らないほうがいいんじゃないでしょうか……」

 イーニアの率直な意見に頷きたくもなる。

 しかしセリアスの脳裏ではひとつの推測が成り立とうとしていた。

「これが脈動せし坑道の『特色』かもしれないな」

「……特色ぅ?」

 グウェノは呆れた声でぼやくも、このミミックの多さには何か意味がある。

「徘徊の森では『木が歩いた』だろう。ひょっとしたら、ミミックはこの坑道と関係してるんじゃないかと思うんだ」

 セリアスとて勘に過ぎず、確証はなかった。

 ドクン、ドクン……と、闇の向こうから不気味な脈音が響いてくる。

「なら、この秘境もタリスマンが作り出したってか?」

「あるいは聖杯、が……」

 徘徊の森では長老の大樹が『聖杯』とやらの影響を受け、タリスマンの力を暴走させていた。今なお木々が歩きまわっているのも、その余波が残っているからである。

「ミスリル鉱を食べる洞窟のお話なら、聞いたことがありますけど……」

「おとぎ話で定番のやつだな。俺も知ってる」

 つまり脈動せし坑道でも、何者かの悪意が働いている可能性があるのだ。ただ、現時点では推測の域を出なかった。

 画廊の氷壁へのルートを切り開いてからは、目立った成果もない。

「コンパスも反応がねえし……どうよ? セリアス。ここらで坑道は切りあげるのは」

「そうだな……」

 拠点のほうは形になってきた。画廊の氷壁という難関の突破に向け、そろそろ雪上の歩行訓練などを始めるべき頃合いだろう。

「ミスリル製の防具が全部仕上がったら、氷壁に進むとしよう」

「オレとイーニアの分だな。オッサンはいらないわけ?」

「ミスリルであれば気功術の邪魔にはならんが、拙僧は構わぬ。それよりも氷壁の寒さをいかにして凌ぐか……」

 イーニアがもぞもぞと両手を擦りあわせる。

「お腹を冷やさないようにしないといけませんね」

「そんなレベルの寒さじゃねえって……」

 我らが魔法使いの天才少女にはまだまだ不安があった。

 

 

 城塞都市グランツにて、久しぶりにセリアスは訓練場を訪れる。

 街の北にある訓練場には一通りの設備が揃っていた。ただ、セリアスにとっては手頃な練習相手がいないため、普段は敬遠している。

 これならグランツの周辺で手配モンスターでも狩るほうが、運動になった。

 しかし今日は木刀を持ち、イーニアの相手を務める。

「なかなか筋がいいじゃないか」

「そうですか?」

 イーニアはミスリル製のレイピアを握り締め、刺突の動きを繰り返した。

 魔法の先生には護身用として剣術も教わったらしい。十五歳の少女にしては人並み以上に体力があるのも頷ける。

 この先、魔法が通用しないモンスターに遭遇するかもしれない。呪文禁止エリアに踏み込むこともあるだろう。気休め程度とはいえ、イーニアにも武器は必要だった。

 軽量なミスリル製の小剣なら、さして邪魔にもならない。

「休憩にするか」

「はあ、はあ……はい」

 ほかの冒険者らも各々のペースで稽古に励んでいた。若者も多いが、最年少となるのはおそらくイーニアで間違いない。

 無論、剣を稽古する魔法使いなど、イーニア以外には見当たらなかった。

 魔法使いが剣技を習得すれば、ゆくゆくは『魔法剣』も可能となる。しかしそれには剣と魔法、両方の修練が必要であり、あまり現実的ではなかった。

 多少は剣の見込みがあるイーニアにしても難しいだろう。

 ちなみにセリアスとメルメダの奥の手『魔陣剣』も、これに該当する。

 休憩していると、傍の戦士が声を掛けてきた。

「お前が訓練場にいるなんて、珍しいじゃないか、セリアス。調子はどうだい?」

「ああ。……少々赤字だ」

 ミスリル鉱の獲得で稼いだつもりが、あれもこれもと武具を注文したせいで、大した収入にはならなかった。人数分の防寒具で出費も重なったうえ、坑道の宝箱が軒並みミミックだったのも痛い。

 戦士が神妙な面持ちで声を潜める。

「そういや、お前らも脈動せし坑道を出入りしてんだろ。……聞いたか?」

 てっきり新しいルートが発見されたのかと思い、構えてしまった。念のため、プレートのあった場所はカムフラージュしてあるものの、時間稼ぎにしかならない。

「何のことだ?」

「トロッコだよ、トロッコ。たまに走ってんだとさ」

 セリアスとイーニアは首を傾げあった。

 脈動せし坑道ではレールが縦横無尽に伸びている。しかしレールが『脈動』し、うねるせいで、ものを走らせることはできなかった。王国調査団も探索の効率化を図って、自前のトロッコを製作したものの、徒労に終わっている。

 そのはずが、冒険者の間では今『走るトロッコ』が噂になっているらしい。

「おーい、スコット! お前んとこのパーティーも例のトロッコに遭遇したって?」

「ああ! 見た見た」

 脈動せし坑道を駆け抜ける、謎のトロッコ。

「詳しく聞かせてくれないか」

「いいぜ。つっても、おれも大して知らねえんだけど……」

 噂によれば、トロッコはすれ違いざまに毒液をまき散らす。とはいえ積極的に冒険者を狙ってはおらず、毒の程度も知れているとのことだった。

「脈の音がでかくなったら、来るんだ」

 セリアスの頭の中で少しずつイメージが膨らむ。

(あのレールの上をどうやって……)

 そのトロッコは特殊な車輪をつけているのだろうか。もしくは、トロッコの走行時だけレールがまっすぐに伸びるのかもしれない。

「坑道はしばらく様子を見たほうがいいぜ。王国調査団に知られたら、調査だ何だでまた駆り出されるだろーしよ」

「ああ」

 幸いにして、ほかの冒険者たちは脈動せし坑道を敬遠していた。当分の間はセリアス団のもとまで誰かが追いついてくることもないだろう。

 

 翌日には再び脈動せし坑道を訪れ、拠点の仕上げに取り掛かる。

「女神像様々だよなあ、ホント」

 テレポートのおかげで設営も短期間で目処がついた。水は雪を溶かせば手に入る。

 テントには最後にセリアス団のエンブレムを飾りつけた。ジュノーが描いた竪琴の紋章が、これからはセリアス団のトレードマークとなる。

「さまになってきたじゃねえか。ヘヘッ」

「……………」

 ザザは腕組みのポーズで押し黙っていた。

 ミスリル製の防具も明日には仕上がる見込みだ。画廊の氷壁に挑むにあたって、準備は万端に整ったといえる。

 ただ、心残りはあった。まだ脈動せし坑道の謎を解いていない。

「俺たちはトロッコに遭遇せず終い、か……」

 夥しいミミックの数にしても、この坑道との関連は依然として不明である。

「トロッコにはモンスターが乗ってるんでしょうか?」

「かもな」

 コンパスが反応しているわけではないとはいえ、イーニアも気掛かりらしい。一方、ハインやグウェノは後顧の憂いとまでは考えていないようだった。

「気にせずともよかろう。見当がつくまで、ほかの冒険者に調べてもらうのも手だぞ」

「オッサンの言う通りだぜ。それよか、そろそろ氷壁の探索も進めねえと」

 ひとまずセリアス団は脈動せし坑道の調査を終了。

 向こうには次なる秘境が待ち構えていた。

 

 

 青空のもと、白銀の世界が輝く。

 記憶地図で天候が把握できるため、吹雪の中を歩かずに済むのは助かった。セリアスたちは『画廊の氷壁』に足を踏み入れ、その壮麗でさえある景色に息を飲む。

「すごいですね……」

 この秘境は巨大な断崖となっていた。壁面には大小さまざまな足場があり、冒険者らはそれを伝ってのみ往来できる。

 妙なことに、足場のところどころは『階段』で繋がっていた。つまりここは天然の秘境のようで、ひとの手が加えられているのだ。

「あんま端っこは歩かねえほうがいいな。足を踏み外したら、一巻の終わりだぜ」

 足場が狭いのは無論のこと、雪で滑る危険もつきまとった。セリアスとイーニア、ハインとグウェノで命綱を共有し、腰のフックに掛けておく。今回ザザはいない。

「この中で雪山の経験があるのは、拙僧とセリアス殿だけか……」

「今日のところは早めに切りあげるぞ」

 とにもかくにも『雪』に慣れないことには始まらなかった。スパイクつきの登山靴は滑りにくいものの、思った以上に足を取られる。

「大丈夫か? イーニア」

 初心者のイーニアは案の定、四苦八苦していた。

「こんなところでモンスターに襲われたら、たまりませんね」

「なるべく戦闘を避けるしかないな」

 セリアスは首筋にコートのファーを押しつけ、真っ白な息を漂わせる。

 何より寒すぎた。保温の魔法などを併用しても、氷点下の冷気は遮断しきれない。

「コンパスは反応ねえのか? イーニア」

「……はい。多分、もっと進んでみないことには」

 やがてセリアスたちは横穴を見つけ、断崖の裏側へと入り込んだ。

 まさに氷の洞窟。だが、ここの氷は不思議と光を蓄えており、中は充分に明るかった。外のように落下の心配もないため、命綱を外す。

「街で聞いた通りだなぁ……」

 ここはグウェノも初めてで、これまでのように案内はできないらしい。

 画廊の氷壁――その名の意味するところを、セリアスたちは目の当たりにした。肝の据わったハインさえ驚愕し、うろたえる。

「こ、これは面妖な……」

 壁の一面では数多の死者が氷漬けにされていたのだ。等間隔に額縁まで備えつけられ、まさしく『画廊』を気取っている。

 ある者は無念の表情、またある者は憤怒の形相で氷に閉じ込められていた。

「ご丁寧にタイトルまでついてやがるぜ。読めねえけど」

「一体、誰がこんなことを……?」

 グウェノやイーニアとともにセリアスも顔を強張らせる。

「悪趣味なやつがいるようだな」

 ざっと見たところ、冒険者らしい犠牲者の姿は見当たらなかった。防寒具を着込んでいるセリアスたちとは対照的に、薄着の者が目立つ。

 子どもがいれば、老人まで。

「これだけ氷漬けだと、腐敗もしねえんだろ? ひょっとすっと、シビトの災厄時代より前のもあるんじゃねえ?」

 どうにも計算が合わなかった。

 フランドールの大穴からシビトの脅威が去ったのは、およそ五十年前。

徘徊の森がタリスマンと聖杯によって『秘境』と化したのは、それから二十年後のことで、今からすれば三十年ほど前となる。

それと原因が同じなら、この画廊も三十年前からのものでなくてはおかしい。

「彼らがいつ氷漬けになったのかが、わかれば……」

「死者の冒涜にもなりかねんが、調べさせてもらうとしよう」

 だが画廊を調べようにも、どこからともなく唸り声が響いてきた。体毛の白い小柄な猿のモンスターが三匹、奇声とともに襲い掛かってくる。

「チッ! 外は断崖絶壁、中はモンスターの巣窟ってことかよ!」

「構えろ!」

 ザザがいないために先手を取られそうになったが、グウェノの弓のほうが早かった。先頭の一匹は膝を撃ち抜かれ、転倒する。

「恐れることはない! 大した敵ではないぞ」

 野生の獣じみた突撃など、ハインには通用しなかった。逆に相手を捕まえ、力技でめきめきと折り曲げてしまう。

 セリアスは盾でモンスターの奇襲を凌ぎつつ、イーニアのカバーに徹した。

「撃て、イーニア!」

「はいっ!」

 イーニアは得意とする『水』の魔法で、敵に水圧の弾を叩き込む。そのつもりが、杖のマジック・オーブがみるみる凍りつくせいで、不発に終わった。

「……え?」

「セリアス、イーニア! 動くなよ!」

 それに逸早く勘付き、グウェノが機転を利かせる。

 セリアスの真正面でモンスターは矢に貫かれ、あっさりと絶命した。画廊の氷壁では初めてとなる交戦を切り抜け、セリアスはふうと息をつく。

「……参ったな」

 杖を握り締め、イーニアは唇を噛んだ。

「ここでは水属性の魔法が力を発揮できないみたいですね……」

 杖のカスタマイズで『水』の属性を選んだことが、まさかの裏目に出たのだ。

この冷気の中では水は凍ってしまう。

「水と氷って同じ力じゃねえの?」

「いえ、冷気は『風』でして……確かに冷という意味では『水』でもあるんですけど」

「……ん? どういうことなのだ? イーニア殿」

 そもそも『地水火風』という四大元素の括りは便宜上のもので、正確ではなかった。

 正しくは『温・冷・湿・乾』が本来の元素であり、そのうちふたつが結びつくことで、地水火風の属性が成り立つ。

 温・湿は地、冷・湿は水、温・乾は火、冷・乾は風。

 水と風は『冷』において同じ性質を持っている、とイーニアは言ったわけだ。また、これこそが火と水、風と土とが互いに相反する理由でもあった。

 グウェノがフード越しに頭を掻く。

「専門的すぎて、わかんねえっての。とにかく『火』がねえことには、なあ」

「俺も次が氷壁の探索とは思わなかったからな」

 火属性の魔法は使えない以上、イーニアは当面、風や地の魔法で凌ぐしかないだろう。セリアスは手持ちのスクロールを確認し、火属性のものはすべてイーニアに渡す。

「こういうこともあるさ」

「あ、はい……」

 イーニアは困惑するものの、セリアスにとってはそう深刻な事態でもなかった。ほかにやりようはあるわけで、知恵を絞ればよいだけのこと。

「これだけ寒い場所なんだ。噂のアイスソードなんかが見つかれば、溶岩地帯とやらの探索は楽になるんじゃないか?」

「いいねえ! このへんはまだ誰も歩いてねえだろうし」

 セリアス団の氷壁デビュー、出だしは決して悪くはなかった。

 

 画廊の氷壁も何度か挑むうち、要領が掴めてくる。スパイクつきの靴にも慣れた。

 やはり記憶地図で天候を予測できるのが大きい。風向きが怪しくなってきたため、セリアス団は洞窟の中で吹雪をやり過ごすことに。

 しかし外が雲で覆われると、画廊のほうも薄暗くなった。セリアスは照明のスクロールを広げ、光球を浮かびあがらせる。

「ここなら風がねえから、焚き火も楽だぜ」

 グウェノは火を焚き、その傍で寒そうに身体を縮めた。

「それにしても、なぜ洞窟の中まで明るくなったり、暗くなったりするのだ?」

「多分、太陽の光が氷に反射して、入り込んでるんじゃないかと……」

 残酷な氷の絵画にばかり目が行きがちだが、この秘境も奇妙かつ不可解な点は多い。ただの寒冷地であれば、水属性の魔法もさほど制限は受けないはず。

 外の階段にしても、洞窟の中にはひとつも見当たらず、場所によってはピッケルを用いなければならなかった。天候次第では、むしろ外のほうが楽かもしれない。

「ほんとにどーなってんだろうなあ、秘境ってやつは……。セリアス、ここも『侵入者を試すため』の構造だって思うのか?」

 焚き火を見詰めながら、セリアスは眉を顰めた。

「……わからない」

 この氷壁に『主』がいるにせよ、自慢の画廊を客に披露するつもりはないらしい。

 氷漬けの犠牲者たちはそれこそ絵画のような構図で、時間の流れから置き去りにされていた。戦慄の表情は何を見たものだろうか。

 イーニアの溜息が真っ白に染まる。

「セリアス、火のスクロールがもうあんまり……」

「頻繁に使うからな」

 画廊の氷壁に入ってからというもの、火属性の魔法は出番が多くなった。しかしイーニアは火の魔法が使えないため、巻物で代用しなければならず、消耗も激しい。

 地と風の魔法で切り抜けるにしても、ここでは条件が悪すぎた。

「今だけのことだ、イーニア殿」

「そーそー。じきに氷壁も抜けるんだしさ」

 それでも魔法の力は欠かせないため、ハインとグウェノも納得している。

「誰しも得手不得手はある。苦手な局面は仲間に頼っていいんだ」

「はい……」

 イーニアを励ましていると、グウェノが愉快そうに歯を覗かせた。

「セリアスの苦手な場面ってのは、どんなだよ? やっぱ女性関係かねえ?」

「わっはっは! セリアス殿は奥手のようだからのう」

 頭が痛くなってくる。

 それもこれも酒の席でメルメダがべらべらとしゃべったせいである。あのうるさい魔法使いに比べたら、終始無言のザザには俄然、好感が持てた。

「さて。そろそろ行くぞ」

 さらに洞窟を進むと、広い空間に出る。

 そこには同じ形の氷塊が向きだけ変え、所狭しと並んでいた。直角の三角柱という積み木にありそうな形状で、平たい斜面が輝きを放つ。

「眩しいですね」

「シェードなんかもあったほうが、いいかもなあ」

 先の扉は固く閉ざされていた。

「ふむ……何か仕掛けがあるようだが……」

 ハインが腕を組むと、右手のタリスマンで氷の光が反射する。

「もういっそ、そいつで扉を壊しちまえば早いんじゃねえ? オッサン」

 それも方法のひとつではあるものの、セリアスは慎重に徹した。

「無暗に破壊して、洞窟が壊れても敵わん。おとなしく謎を解いたほうがいいだろう」

「そうだなあ……謎解きで今後のヒントが得られるかもしんねえし」

 風下の廃墟での例もある――正面の扉こそが正解である保証は、どこにもない。

 扉の傍らでは赤い水晶体が露出していた。廃墟にあったのと同じ文字も刻まれている。

「これを読んでくれんか、イーニア殿」

「待ってくださ……きゃっ?」

 それを読もうと、イーニアがコンパスを手に取った瞬間だった。

 今まで反応のなかったコンパスが、青色の矢印をくっきりと浮かびあがらせたのだ。興奮気味にグウェノがそれを覗き込む。

「あ、青だぜ! 徘徊の森ん時と同じ矢印が出やがった!」

「だとしたら、ここにもタリスマンが……?」

 ついにコンパスがふたつめのタリスマンを捉えてくれた。この氷壁のどこかに次なるタリスマンが眠っているのだろう。

 叡智のタリスマンか、はたまた慈愛のタリスマンか。

「あとは何だっけ? ええっと……」

「無限、だ」

 ハインは難しい顔で顎を押さえ、何やら考え込んでいた。

「剛勇、叡智、慈愛……ふと思ったのだが、こいつは寺院の教えに似ておるぞ」

「……どういうことだ?」

 セリアスたちは顔を見合わせてから、勤勉なモンク僧の説法に耳を傾ける。

「われらにとっての『時間』という概念についてだ。過去は肉体、現在は魂、未来は知識の領域とされておってのう。ひとが動物と異なるのは、そのみっつによるらしい」

 しかし抽象的すぎて、グウェノは一番に匙を投げた。

「そーいうのはパスだぜ、パス! セリアスとイーニアに任せらあ」

「俺に丸投げされてもな……正直、俺もなんと答えていいのか」

 セリアスも溜息をつくものの、イーニアはハインの説法からヒントを探ろうとする。

「剛勇とは肉体、叡智とは知識、慈愛とは魂……多少強引な気もしますけど、共通してるふうにも思えますね」

「だろう? このタリスマンにしても、単に『剛勇』と名付けられたわけではない」

 ひとは肉体をもとにして(過去)、魂によって決断し(現在)、経験や知識を積み重ねていく(未来)生き物。こじつけのようにも聞こえるが、ふたりは真剣だった。

「大陸寺院の教義とタリスマンは、どこかで繋がっているのでしょうか」

「拙僧もそこが気になってな。先ほどのみっつの領域が調律されることで成り立つ、ひとにとっての時間……それを寺院では『永遠』とも呼ぶのだ」

「……無限、ということですね」

「意外にインテリなんだな、ハインは……」

 とりあえずタリスマンがよっつ存在することには、何らかの意味があるらしい。

氷塊だらけの大部屋を見渡し、セリアスは今後の探索に見当をつける。

「まずはこの部屋の謎を解くとしよう」

「だな。タリスマンが手に入りゃ、また色々わかるさ」

 第二のタリスマンは近い。そう思いたかった。

 

 

 セリアス団は城塞都市グランツへと帰還し、報告のためギルドへ立ち寄る。

「なあ……オレたち、氷壁を行き来してるにしちゃ、帰ってくるのが早すぎねえ?」

 グウェノの懸念はもっともだった。

 女神像でテレポートできるため、ほかのパーティーに比べて、往復の時間が異様に短くなってしまうのだ。これではとんぼ返りとも思われかねない。

 しかしセリアスは行き先も日時も誤魔化さず、報告書を仕上げた。

「これだけ冒険者がいるんだ。いちいち読まないさ」

「……それもそっか」

 遭難などの問題を起こさない限り、事務的な手続きを睨まれることもないだろう。セリアス団は悠々と報告を済ませて、ギルドをあとにする。

 街の雰囲気が少し変わっていることに、イーニアが気付いた。

「あれはタブリス王国の旗ですね」

「ん? あー、王国軍が新しい将校を派遣したとかで、大規模な異動があったんだよ。そのうち……ほら、あれだな」

 タブリス王国の正規軍が大通りを闊歩し、セリアスたちとすれ違う。

 白金旅団の件で再編成となったのだろう。ギルドや冒険者たちは、また必要以上に干渉されるのではないかと、王国軍の動向を注視していた。

「……あれぇ? セリアスじゃん!」

 騎士の一行から小柄な少女が飛び出してくる。

 馴染みのある幼い顔つきに、セリアスはやれやれと額を押さえた。

「ロッティか? まさか、お前までグランツに来るとは……」

「おっ? セリアスの知り合いかよ」

 案の定、グウェノがにやにやと探りを入れてくる。こうなっては諦めるほかない。

「同郷の子でな。ソール王国で面倒を見てたんだ」

 考古学者の卵、ロッティ。イーニアと同じ十五歳にして、この少女はフランドール王国の大学に在籍し、博士課程を進めていた。故郷の皆も自慢する『天才少女』である。

 ただしセリアスにとっては『昔の恋人の妹』だったりもした。

「みなさん、ひょっとしてセリアスのお仲間さんなの? 秘境を探検してるんだー?」

 ロッティがつぶらな瞳を興味津々に輝かせる。とりわけ自分と同い年のイーニアのことが気になるようで、積極的に声を掛けてきた。

「ねえねえっ! そっちの子は?」

「え? 私……ですか?」

 セリアスは間に割って入り、ロッティに『待て』と手をかざす。

「あとにしろ。お前は王国軍と一緒じゃないのか」

 ロッティの単独行動を見かねて、王国騎士らもセリアス団のもとへ歩み寄ってきた。リーダーらしい人物はセリアスに劣らず精悍な顔立ちで、豪奢な剣を腰にさげている。

「こらこら、ロッティ君。勝手に隊列を離れてはいけないよ。君は大切な『お客様』なんだからね」

「ごめんなさーい。バルザックさん」

 その名にグウェノはあっと声をあげた。

「バルザックって、王国情報部のバルザック少佐っ?」

「おや、ご存知のようだね」

 タブリス王国軍で情報部を束ねるエリート将校、バルザック。しかし彼はセリアスたちのような冒険者にも礼儀を欠かさず、握手を求めてきた。

「お初にお目にかかる、私がバルザックだ。君たちはロッティ君の友人かい?」

「俺だけ、な」

 セリアスも素直に握手に応じ、バルザックと真正面から視線を交わす。

「そうか、君がロッティ君の言っていた……。今日は急ぎの用があるので、すまないが、後日にでも機会を設けさせてくれたまえ。ぜひとも話を聞かせてもらいたくてね」

「ああ」

「そんじゃあね、セリアス! ばいばーい」

 社交辞令のような約束だけ取りつけて、彼はロッティとともに隊列へと戻った。

 グウェノとハインが声のボリュームをさげる。

「生粋の切れ者だって噂だけど、別に悪いやつじゃなさそうだな」

「拙僧らは一介の冒険者に過ぎんからな。彼にとっては取るに足らんのだろう」

 だが、セリアスはバルザックという男に一種の違和感を覚えていた。

(情報部の将校、か……)

 おそらくセリアスの素性も調査済みのはず。わざわざロッティを連れてきたのも、こうして自分に接触するため、かもしれないのだ。

「さっきの子、あとで紹介してくれよなあ、セリアス」

「なんだ? グウェノ、年下に興味があったのか」

「……そういう意味じゃねえっての」

 それ以前にロッティが城塞都市グランツへやってきたことで、頭が痛い。

「セリアスの妹さんかと思いました。なんとなく雰囲気も……」

「遠い親戚だからな」

 昔の恋人の妹――セリアスにとってはメルメダの次に会いたくない人物だった。

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