忘却のタリスマン

第7話

 イーニアの朝はグレナーハ邸の一室から始まる。

 フランドールの大穴を探索するため、当主マルグレーテの厚意もあり、イーニアはここで世話になっていた。支度を済ませたら、マルグレーテとともに朝食の席につく。

「おはようございます。マルグレーテさん」

「ええ、おはよう」

 今朝のメニューはきつね色に焼けたトーストと、黄身のぷっくりとした目玉焼き。グレナーハ邸のシェフが腕によりをかけ、ポテトサラダも添えてくれる。

 窓の外はぽかぽかと陽気が満ちていた。週末にはうってつけの快晴ぶりで、散歩にでも行きたくなる。

「いいお天気ですね。マルグレーテさん、今日はどちらへ?」

「花壇でも弄って、ゆっくり過ごすつもりでしてよ」

 先日の演奏会を経て、白金旅団の件も落ち着いた。マルグレーテもようやく激務から解放され、穏やかな笑みをたたえている。

「ところで……イーニア、今日はあなたにやって欲しいことがありますの」

「なんですか?」

 マルグレーテは温かいミルクの香りを煽った。

「セリアス団のことですわ。私、まだセリアスさんやグウェノさんのことをよく知りませんから……あなたに一度、彼らの調査をお願いしようと思いまして」

 彼女の真意が読めず、イーニアはきょとんとする。

「……どうしてですか?」

「つまり……」

 マルグレーテによれば、スポンサーとして、セリアス団のメンバーのことはプライベートもある程度は把握しておきたいという話だった。お抱えの冒険者の素行に問題があるようなら、スポンサーの名誉にも関わってくる。

 ただしセリアス団には『互いに詮索はしない』というルールがあった。ハインが妻宛ての手紙で大陸寺院と連絡を取っているらしいことも、グウェノが何やら小遣い稼ぎしているらしいことも、メンバーの間では不問となっている。

「勝手に調べたりして、いいんでしょうか……」

「度を越えなければ問題ありませんわ。みなさんがどんなふうに休日を過ごしてるのか、それだけのことですもの」

 戸惑いはあったものの、彼女の依頼を居候のイーニアが断れるはずもなかった。

 それにイーニア自身、少し興味もある。

「そうそう。ついでに、ギルドにこの依頼書を出しておいてちょうだい」

「はい。わかりました」

 イーニアは依頼書を受け取り、席を立った。

 

 城塞都市グランツでも週末は大半の住人が休日を満喫している。

 大陸の西方諸国は週七日制であり、土曜の仕事は平日の半分、日曜は休日という習慣が当たり前となっている。行きつけの魔法屋も扉に『定休日』の札を掛けてあった。

 秘境から帰還してくる冒険者のため、ギルドは日曜日も営業している。とはいえ、受付の窓口がひとつ開いている程度で、冒険者も少なかった。

 常連の戦士がイーニアに声を掛けてくる。

「よう! セリアス団んとこの紅一点じゃねえか」

「おはようございます」

 最初の頃は『どこの小娘だ』と疎まれていたが、セリアス団の一員として実績をあげるうち、こうして話せるようになってきた。

「グウェノのやつが言ってたぜ。吟遊詩人に気があるんだって?」

「ジュノーのことですか? 考えたこともありませんけど」

 適当に相槌を打ちながら、イーニアは受付で依頼書の提出を済ませる。

「セリアス団のみんなは来ませんでしたか?」

「グウェノなら、さっきまでいたっけ。マーケットにだけ寄って、帰るってさ」

 セリアス団の情報通、グウェノの足取りは早くも掴めた。日曜は決まって彼が食事当番のため、マーケットで食材を調達するつもりだろう。

「ありがとうございます。それじゃあ」

「おう。不愛想な団長によろしく」

 不愛想という一言がツボに入り、噴き出しそうになってしまった。

(セリアスったら、もう……)

 われらがリーダーのセリアスは剣の腕前が一流で、サバイバル技術やスクロールの知識にも長け、とりわけ生存本能というべき勘に優れている。その一方で口数は少なく、誰に対しても仏頂面だった。

 それを傍で巧みにフォローしているのが、お調子者のグウェノ。

 イーニアはグウェノを追って、東通りのマーケットに向かった。道の両側では露店が所狭しと並び、呼び込みに精を出している。

「いらっしゃい! うちのフルーツはどれも新鮮だよー!」

「靴の修理でしたら、ぜひ当店へ!」

 グランツに来る前のイーニアは、ある魔導士とともに人里を離れ、暮らしていた。たまに近くの村に買い出しに行くくらいだったため、街というスケールは初体験となる。

(本当に大きなところね)

 十年前は前線基地でしかなかったグランツも、あちこちとパイプを繋げ、今では新鮮な食材が市場に並ぶほどになった。

 これではグウェノを見つけるのも難しい。

 そう思っていた矢先、イーニアは果物屋の露店で彼を見かけた。

「へえー。農園のほうは変わらずに済んだのかい」

「今回のは肝が冷えたさぁ、こっちも。撤退しちまったのもいるからねえ」

 買い物のついでに探りを入れるところが、いかにもグウェノらしい。

 悪いと思いつつ、イーニアは彼から露店ひとつ分の距離を取った。グウェノはイーニアに気付かず、オレンジを買って次の店へと進む。

(……あら?)

 しかし路地の角を曲がったところで、早くも見失ってしまった。

「オレをつけようなんて甘いぜ? イーニア」

「ひゃっ!」

 逆に後ろを取られ、冷たいオレンジを頬に当てられる。イーニアの尾行にはとっくに勘付いていたようで、グウェノは得意満面にやにさがった。

「もしかして最初から、ですか?」

「まあね。声掛けてこねえから、なんかあるなーと思ったわけ」

 まだまだ冒険初心者のイーニアが、ベテランの彼に敵うはずもない。ところが、グウェノもまた別の誰かに背後を取られ、固まった。

「……う、うおっ?」

「……………」

 彼の肩を叩いたのは、忍者のザザ。

 グウェノは慌ててザザから飛び退き、オレンジを落っことす。

「ててっ、てめえ! また出やがったな?」

 今日もザザは何も語らなかった。

「……………」

「ネタはあがってんだぜ? お前がマルグレーテの部下だってことはよぉ」

 グウェノに人差し指を突きつけられても、動じない。身振り手振りさえせず、腕組みのポーズであたかも石像のごとく固まっている。

「休日までイーニアの護衛ったあ、ご苦労なこったぜ」

「え? 私の、ですか?」

「そうじゃねえなら、オレたちの様子でも見に来たんだろ。なあって……ハア」

 おしゃべりなグウェノも終始無言のザザには匙を投げた。

「こんなの相手するだけ無駄か。で? イーニア、オレに何か用?」

「えっと、それは……」

 相手が悪いのはイーニアにとっても同じこと。降参し、尾行の理由を打ち明ける。

「実はマルグレーテさんが、みなさんの休日の様子を調査しなさい、と……」

「ザザがいるのにか? ふぅん」

 グウェノは嫌な顔ひとつせず、むしろ気さくに笑った。

「お前が魔法の勉強ばっかで、心配したんじゃね? 休みの日くらい、タリスマンのことは忘れて、好きにしろってことだよ」

「そうでしょうか……」

 彼の言うことが気休めにしか聞こえなくて、イーニアは首を傾げる。

 できることなら週末も活用して、修行をするなり、探索を進めるなりしたかった。しかしグランツの冒険者たちは日曜の休息を徹底し、セリアス団もそれに倣っている。

「マーケットの連中だって曜日別に休んでんだろ? 鳥や猿には必要ねえことでも、人間サマには欠かせねえのさ、休暇ってのは」

 拾ったオレンジを、グウェノは指でくるくるとまわした。

「それに全員でサボりゃ、誰もサボったことにゃならねえってな」

 言い包められたような気もする。

「イーニアも友達とお茶でもしてりゃ、いいんだって」

「そういう予定は特に……」

「じゃあ、ちょいとマーケットでもまわってみるか? 買い物をコツを教えてやるよ」

 グウェノの誘いもあって、とりあえずイーニアは彼と一緒にマーケットを散策することにした。後ろからはザザが足音もなしについてくる。

「どんなツラしてんだろうな、あいつ」

「ひょっとしたら、マルグレーテさんの召喚獣だったりして……」

「へ? イーニア、お前、冗談言ったのか?」

 グウェノはぶらぶらと歩きつつ、どうやら夕食の献立を決めあぐねていた。

「魚ばっかだし、ポークジンジャーにでもすっかなあ……。イーニアはグレナーハ邸で飯作ったり、しねえの?」

「いえ。お手伝いはしたいですけど、私なんかじゃ、かえって邪魔に……」

「んなこと言ってたら、上達しねえぞ? たまには茶菓子のひとつでも作ってやりゃ、マルグレーテも喜んでくれるぜ、きっと」

 グウェノの隣でイーニアも食材を眺めるものの、どれを買うべきかわからない。肉や野菜ならまだしも、小麦粉やバターなどは用途が見当もつかなかった。

 グウェノが白い歯を覗かせ、茶化す。

「ホットケーキあたりは簡単でいいかもな。ジュノーにご馳走してやりゃ、いいアピールになるぜ? へっへっへ」

「どうして、ここでジュノーの名前が出てくるんですか?」

 しかしイーニアは平然として眉ひとつ動かさなかった。彼の意図がわからず、『眉も動かせなかった』といったほうが正しい。

「……つまんねえの。まっ、いつでも相談に乗るぜ」

 その後はグウェノと、ついでにザザも一緒にマーケットを巡り。おかげで魔法学のメモ帳には新たにホットケーキのレシピが加わった。触媒は小麦粉と卵である。

 

 グレナーハ邸で昼食を取ったら、再び街に出る。

 グウェノの話では、ハインは午後から何やら大会に参加するとのこと。ロータウンの西にある公園では、冒険者の戦士らが一同に会し、胸筋の厚さを競っている。

「……?」

 何の大会なのか、すぐにはわからなかった。イーニアは首を傾げつつ、男だらけのステージの成り行きを見守る。

 戦士たちはパンツ一丁で台を挟み、向かいあった。

「ファイトッ!」

「ぬぬぬぬぬ~っ!」

 審判の掛け声とともに力を込め、相手の腕を倒そうとする。

 これはアームレスリングのイベントだった。腕相撲らしいことにイーニアも気付く。

(腕相撲なのね。だけど……)

 ただ、パンツ一丁で対峙することの意味はわからない。

 屈強な男たちはビキニパンツをお尻に食い込ませながら、腕相撲で覇を競った。観客も男ばかりで、たったひとりのイーニアに真正面の特等席を譲ってくれる。

「誰かと思えば、イーニアちゃんじゃねえか! こっち、こっち!」

「は、はあ……」

 ギャラリーにイーニアが加わったことで、皆のボルテージもさらに高まった。

「こいつは面白ぇ! イーニアちゃんの前でハインをボロ雑巾にしてやろうぜえ!」

 いよいよステージにセリアス団のモンク僧、ハインが立つ。彼だけはビキニパンツではなくフンドシを巻き、威風を漂わせていた。

「笑止ッ! この拙僧に勝てるとでも?」

 それに対し、ゾルバも筋骨隆々とした老体で名乗りをあげた。

「手加減はしませんぞぉ、ハイン殿! この老兵を退けられますかな?」

「相手にとって不足なしとは、このこと! 参りますぞ!」

 しかしふたりともすぐには腕相撲の態勢を取らず、恍惚の表情で己の肉体美をまざまざと見せつける。上腕筋、背筋、そして腹筋……その雄々しさには観衆も見惚れた。

「ハ・イ・ン! ハ・イ・ン!」

「ゾ・ル・バ! ゾ・ル・バ!」

 ところが、そこへ第三の男がゆらりと巨体を持ち込む。

 ギャラリーの間でどよめきが走った。

「こ、今年も来やがったぞ! 大会二連覇のチャンピオン、アラハムキだーっ!」

「あのバーバリアン族の? すげえ……腹とか、熊みたいに毛深いぜ」

 豪傑アラハムキが両手をかざし、ハインらを挑発する。

「グッフッフ! 二連覇などというチャチな記録は、今からオレが三連覇に上書きしてやろう。さあ、掛かってくるがいい!」

「ほほお! このゾルバを相手に粋なやつよ。受けて立とうではないか!」

 今年のアームレスリング大会は異様なまでに盛りあがりつつあった。筋肉の祭典、敗者の背中には勝者のギャランドゥが襲い掛かる。

「ぎゃああああ~ッ!」

「……ん? イーニア殿は?」

「あれ? さっきまでいたんだけどなあー」

 すでにイーニアの姿はなかった。

 

 男たちの宴をあとにして、イーニアはセリアス団の屋敷を訪れる。

 庭に干している白い帯は、さっき見たハインの下着らしい。それが『フンドシ』という名であることを、少女はまだ知らない。

 セリアスはベランダで読書に耽っていた。イーニアを見つけ、その本を閉じる。

「イーニアか。どうした」

「あ、いいえ……近くまで来たものですから」

 秘境の探索以外では会うこともないせいか、少し緊張してしまった。

「退屈してるなら入ってこい。お茶くらいは出そう」

「それじゃあ、お邪魔しますね」

 セリアスの言葉に甘え、イーニアは屋敷の中へ。

 グウェノやジュノーは出払っているようだった。ふたりには大きいテーブルを、イーニアとセリアスだけで囲む。

 紅茶が香りのよい湯気を昇らせた。セリアスがそれに口をつけ、一息つく。

「ふう……」

 普段はコーヒーのイーニアも真似をして、肩の力を抜いた。

「セリアスはお休みの日、何をしてるんですか?」

 マルグレーテの指示があったから聞いているのではない。ただ、彼の休日の過ごし方に興味があって、質問せずにいられなかっただけのこと。

 セリアスが仏頂面なりにはにかむ。

「武具の手入れか、本を読むか……あとは本屋に行くくらいだな」

「本が好きなんですね」

「意外か? 身体ばかり使ってると、頭を使いたくなるのさ」

 筋金入りの冒険者である彼のことだから、鍛錬でもしているのかと思っていた。しかし今日の彼は冒険者の性分も忘れ、穏やかに時間を過ごす。

「それに俺が素直に休んでいれば、お前も休む気になるだろう? イーニア」

「あ……はい」

 そんなセリアスを見ていると、午前中グウェノが言っていたことにも納得できた。

『マーケットの連中だって曜日別に休んでんだろ? 鳥や猿には必要ねえことでも、人間サマには欠かせねえのさ、休暇ってのは』

 気負ったところで、フランドールの大穴が一週間やそこらで攻略できるわけでもない。実際、イーニアも気持ちが急くばかりで、能率が下がっているのを感じていた。

「でも、私……これといった趣味がないんです。お勉強ばかりで……」

「やれやれ。マルグレーテが心配してるんじゃないのか」

 おもむろにセリアスが席を立つ。

「女子のほうが楽しめるか……上に来てみろ」

「え? はい」

 飲みかけの紅茶を残し、イーニアも彼とともに屋敷の二階へとあがった。

 玄関のほうを向いているのがセリアスの部屋らしい。荷物や着替えは一ヶ所にまとめられ、窓際のベッドに広々と空間が与えられていた。

 本棚は半分ほど小説で埋まっている。

「さっき読んでのはこれだ」

 セリアスが手に取ったのは、淡いピンク色の一冊だった。題名からして女性向けの恋愛小説だろう。ほかにも恋愛小説ならではのタイトルが目立つ。

「こういうのを読むんですか? セリアス。……なんというか、意外ですね……」

「似合わないか?」

 セリアスは自嘲の笑みを浮かべた。しかしイーニアにとって、セリアスという渋い男性と甘い恋愛小説は、なかなか繋がるものではない。

「いえ、そんなこと……ただ、あなたなら歴史物や戦史物のほうが」

「そういったジャンルは苦手なんだ。話のスケールがでかいのは」

 下の段も恋愛小説がほとんどだった。

「俺はもっと、ひとりひとりの関係や心理を掘りさげる作品のほうが……となれば、恋愛小説のほうが面白いというわけさ。もっとも俺自身、大した経験はないがな」

 そんな本棚を眺めつつ、イーニアは何気なしに尋ねる。

「……恋人とか、いないんですか?」

「昔はな。放ったらかしにしてたら、愛想を尽かれてしまった」

 それ以上は聞かずとも読めた。

「さては冒険ばっかりしてたから、ですね」

「そういうことさ。次に故郷に帰ったら、あいつの子どもを見せられるんだろう……」

 笑い声が響き渡る。

 イーニアが適当な本を開くと、セリアスが肩越しに覗き込んできた。

「気になるものがあったら、好きに持ちだしてくれて構わん。どうせグウェノもハインも読まないからな」

「じゃあ、何冊か……あ、これはシリーズ物なんですか」

「ああ。……っと、お茶が冷めてしまうな」

 彼と探索以外の話をしたのは初めてかもしれない。

 グウェノにしても、ハインにしても、イーニアは仲間のことを何も知らなかった。最初は後ろめたかったものの、マルグレーテのおかげで、少し彼らに近づけた気がする。

「グウェノが今度、私にホットケーキを教えてくれるそうです。甘いものなんですけど、セリアスは大丈夫ですか?」

「大歓迎だ。ホットケーキなら、酒も無理に飲まなくて済むしな」

 城塞都市グランツで過ごす、休日らしい休日。

 この日からイーニアはセリアス邸へと足しげく通うことに。セリアスには小説の感想を語りあい、グウェノにはお菓子作りを習い、ジュノーにも楽器を教わるのだった。

 

 

 同じ日曜の夜、マルグレーテはイーニアの報告書に目を通しながら、溜息をつく。

「これでは素行調査ではなく日記、ですわね……」

 彼女には難しい仕事だとは、わかっていた。無口にもほどがあるザザのフォローも最初から期待していない。問題のザザはデスクの向こうで黙々と膝をついている。

 もとより今回の依頼はセリアスたちを調べるためのものではなかった。そういった調査であれば、目の前の忍者がいる。

休日も勉強浸けでいるような少女に、気分を変えて欲しかったのだ。

 だから、報告書の出来はどうでもよい。しかしそれはそれとして、イーニアの報告書は主旨が理解できておらず、内容も短すぎた。

 

グウェノ

 市場でお買い物のコツを教えてもらいました。

ホットケーキは簡単だそうです。

 

ハイン

 男のひとたちと裸で踊ってました。

 

セリアス

 小説を貸してもらいました。昔の恋人とは別れたそうです。

 

 これが十五歳の作成したレポートかと思うと、眩暈がしてくる。セリアスの報告に至っては、大胆なまでにプライバシーを侵害していた。

「……まあ、セリアスさんやグウェノさんとは仲良くやってるようですし。あとはハイタウンの女子ともこれくらい打ち解けられたら、いいのですけど」

 イーニアには教えなければならないことが山とある。平然とすっぴんで出歩くことについても、そろそろ教育するつもりでいた。

 だが、その前に最優先でやるべきことがある。大事なイーニアの前で裸踊りなんぞをやらかした大男には、グレナーハ家の名のもと、鉄槌をくださなくてはならない。

「ハインさんを連れてきてちょうだい、ザザ。今すぐですわ」

「……………」

 ザザは頷き、姿を消した。

 その夜、ハインに何があったのか知る者はいない。

 

 

第8話

 

 

 徘徊の森の入り口付近では大勢の冒険者がたむろしていた。さして人気のある秘境ではないにもかかわらず、地図を広げ、何かの目星をつけている。

「どうしたんでしょうか? こんなにたくさん……」

「満月が近いからさ」

 グウェノは日中の空を見上げ、にやりと口角を曲げた。

「オレたちも探してみっか。マンドレイク」

「ええっ!」 

「……はて? まんどれーく?」

 イーニアとハインとでまったく違った反応になる。

 マンドレイクとは魔法に使う触媒のひとつで、その効果には目覚ましいものがあり、魔導士に重宝されていた。攻撃魔法にしろ、回復魔法にしろ、高レベルのものほどマンドレイクが欠かせない。ただし滅多に手に入らず、希少価値が高かった。

 群生している場所を見つけたとしても、『満月の夜』でなければ採取できないためだ。

 そのマンドレイクが徘徊の森で見つかるという。冒険者らはマンドレイクで一稼ぎするべく、満月に先んじて行動を開始していた。

 珍しくイーニアが興奮して、前のめりになる。

「先生と一緒に採りにいったことが何度かあるんですけど、月が出なかったりして……調合室も、いつもマンドレイクだけほとんど残ってなかったんです」

「イーニアは採取方法を知ってるんだな」

「はい。この人数なら、充分な量が採れますよ、きっと」

 優先すべきは魔具の捜索だが、このチャンスを逃す手もなかった。セリアスたちもマンドレイクの群生地を念頭に置いて、徘徊の森へと出発する。

「どうせ今日も迷うだろう。ついでだ」

「それでマンドレイクが見つかっても、複雑だなあ」

 グウェノのぼやきは切実だった。

 

 徘徊の森の真っ只中で、ハインは腕組みを深める。

「ふむ。……わからん」

 セリアスたちは記憶地図と普通の地図を照らしあわせながら、現在の位置と方角を入念に確認していた。嫌になったらしいグウェノが両手で頭を抱え、苦悶する。

「だーもうっ! どうなってんだよ、この森は!」

 セリアス自前の手書きの地図も修正だらけで、とても読めたものではなかった。記憶地図とコンパスがなければ、とっくに遭難していただろう。

 徘徊の森。この秘境は今、セリアスたちの前で複雑怪奇な大迷宮と化していた。

「空でも飛べりゃ早いんだけどなあ……」

「……参りましたね」

 森の深部を探索するのは今日で三回目だが、なかなか進展しない。

 いつの間にか『木が動く』のだ。あちこちで頻繁に木の位置が変わるせいで、すぐに道がわからなくなる。

「方角自体は太陽の向きで読めるが……うぅむ」

「オッサンは唸ってるだけで、全然、考えてねーじゃねえか」

 地面は何度も掘り返され、草花の根っこがひっくり返っていた。足の生えた木が散々歩きまわった跡らしい。まさに言葉通り『徘徊』の森である。

 木に目印をつけても、動かれては意味がない。

 ただ、木の移動には何らかの法則性があった。侵入者に対し、決まった動きしかしないようで、試行錯誤を繰り返すうちに進めることは進める。

 幸いモンスターも少なかった。

「ザザのやつ……ここは退屈だからって、今回は来なかったんだぜ」

「あいつはあてにしないほうがいい」

 警戒はハインに任せて、セリアスはイーニア、グウェノとともに頭を捻る。

 コンパスは依然として『西』を指していた。木々の隙間を直進する手もあるが、その道中で毒キノコのガスに巻き込まれたり、底なし沼に落ちる危険もある。

「こりゃあ、まとも道がねえのかもなあ……」

「いや。おそらく『正解』が用意されているはずだ」

 セリアスには、この難関が自分たちを試しているように思えてならなかった。

風下の廃墟でも仕掛けを解き、資格を示したうえで、番人のゴーレムと戦っている。同じように徘徊の森や脈動せし坑道でも、何かが待ち構えている予感がした。

「上下はないんだ。平面でだけ考えればいい」

「けどよぉ、総当たりで進むのもいい加減なあ……なんか手はねえか? イーニア」

「やはり法則性を見つけるしか……」

 イーニアが記憶地図を拡大させ、これまでの道筋を辿っていく。

「とにかく試せるだけ試して、グランツで分析しましょう」

「ああ。ルート探しは家でもできるからな」

 その後も迷子になりながら、セリアスたちはやがて一本の脇道へと外れた。

 このあたりの木は動かないようで、草がまっすぐに生い茂っている。泥で淀みきった沼もあり、木々のせいで、そこだけ日光が当たりにくくなっていた。

 先頭のハインが鼻を摘む。

「飲めそうにはないな……何のにおいだ?」

 決して腐臭ではないが、強烈な香りが漂っていた。魔法店で扱われている薬品のものに似ているかもしれない。イーニアがあっと声をあげる。

「このにおいはマンドレイクです!」

「……本当か?」

 魔法使いの彼女が言うのだから、間違いなかった。まさかの発見にセリアスたちのモチベーションも息を吹き返す。

「やりぃ! 迷ってもみるもんだなあ、オイ」

「深夜の作業になるのだろう? ザザ殿も来てくれれば、助かるが」

 イーニアは記憶地図をセリアスに預け、早くも実地の測定に取り掛かった。マンドレイク発見の喜びのほうが大きく、魔具のことは忘れているらしい。

「すごい広さですから、たくさん採れそうですよ。魔法屋さんも喜んでくれます」

「……そんなに広いのか」

「はい。こんな条件のいい群生場所があるなんて……」

 ところが、そこへ何者かが近づいてきた。グウェノが残念そうに舌打ちする。

「ちぇっ。先客がい……って、あぁ、あんたは!」

 グウェノとともにセリアスも目を見開いた。

「白金旅団の……」

 イーニアとハインは憶えていないようで首を傾げる。しかしセリアスとグウェノは街のギルドで無茶苦茶に喚き散らしていた彼のことを、忘れるはずもなかった。

『おおっ、お前らも秘境の探検なんて、やめちまえ! いいか? やめるんだッ!』

 怪我はまだ癒えていないのか、右腕に包帯を巻いている。その表情は落ち着いてはいたものの、かつての覇気はもはや残っていなかった。

「お前らは確か、最近グランツに来た……」

「セリアス団だ。この四人でフランドールの大穴を探索してる」

「警戒しないでくれ。お前らと事を構えるつもりはない」

 彼が左手で『こっちだ』と急かす。

「立ち話もなんだ。マンドレイクを採取するなら、休める場所も知っておきたいだろ」

 ひとまずセリアスたちは彼に従い、沼を離れた。

 少し行った先にはテントが張られている。

「自己紹介が遅れたな。おれの名はキロ。白金旅団で僧魔法を担当していた」

「俺はセリアス。それから、こっちが……」

 このテントは白金旅団がマンドレイク採取の際、使っていたものだろう。テントの中には寝袋のほか、スコップやバケツなど、道具も一通り揃ってあった。

「そっかあ……さっきの群生地は白金旅団のだったのか」

「探索のルールは知ってるだろ? その時採取できたやつのものであって、おれたちが独占してたわけじゃない。……ここのは、おれたちしか知らない穴場だったらしいが」

 キロの言葉は節々が過去形になっている。白金旅団は彼を残し、全滅したのだ。

「ここまで来るとは大した連中じゃないか。……っと、適当に座ってくれ」

「拙僧にはちょいと窮屈だのう。もう少し詰めてくれんか、グウェノ殿」

「へいへい。……さて、と」

 全員で両脇に詰め、中央にハインを迎える。

 普段は口達者なグウェノも押し黙り、セリアスに目配せした。一行のリーダーとして、セリアスはおもむろに口を開く。

「……聞いていいのか?」

「そのつもりで来たんだろ? いいさ、おれも聞きたいことがあるんだ」

 キロは俯き、痛々しいくらいに唇を噛んだ。今度はグウェノが慎重に問いかける。

「あんたはもうグランツを出てったものと思ってたぜ」

「逃げても、すぐに捕まると思ったのさ。ほとぼりが冷めるまで、身を潜めていようってな。……ここなら、しばらくは過ごせるだろ」

 徘徊の森ならグランツから近く、大したモンスターも出なかった。それでいて、大抵の冒険者は木々に惑わされ、ここまで辿り着くことはできない。

物資も充分にあり、隠れ場所としては最適だった。グランツから逃亡した者が、まさか秘境に潜伏しているとは、誰も思わないだろう。

「街のほうはどうなってる?」

「オレが話すぜ。多分、あんたも想像してんだろうけど……」

 キロは目を瞑り、グウェノの話に黙々と耳を傾ける。

 白金旅団の壊滅によって、城塞都市グランツに激震が走ったこと。王国調査団や軍部、貴族の間で長らく緊張が続いたこと。

 一時はタブリス王国が近隣諸国から責任を問われる事態にもなった。

 キロが突然、笑い声をあげる。

「はーっはっはっは! タブリス王国の連中め、ざまあねえな!」

 セリアスたちは一様に目を点にした。仲間を失ったばかりの冒険者が、こうも能天気に笑えるはずがない。

「……キロ、何がそんなにおかしいんだ?」

「いいぜ、お前らには教えてやるとも。城塞都市グランツの真実ってやつをな」

 ひとしきり笑ってから、彼は声のトーンを落とした。

 この地はかつて未曽有の災厄に見舞われたという。大穴から這い出てきた、生ける屍――彼らは『シビト』と呼ばれ、大陸じゅうのひとびとを恐怖に陥れた。

そして大穴を領有していたために、フランドール王国は防衛ラインとして、シビトとの熾烈な戦いを強いられたのである。

近隣諸国もフランドール王国への援助を惜しまなかった。無論、それはフランドール王国を『盾』としたかっただけのことだろう。

フランドール王国がシビトを滅ぼすことに成功したのは、五十年ほど前のこと。

「子どもの頃、昔話で何度も聞かされたさ。英雄キースがシビトの王を倒した、とな」

「あんたはフランドールの出身なのか」

 その甲斐あって、フランドール王国は大穴に関して強い発言力を持ち、『大穴に関わってはならない』と諸国を抑制し続けてきた。

しかし長い年月を経て、ひとびとはシビトの恐怖を忘れてしまった。

「タブリスも大穴とは昔から隣接してたからなぁ……これだけの土地だぜ? フランドールが引くんなら、チャンスだと踏んだんだろ」

「そう。まさに『咽から手が出るくらいに』ってやつさ」

フランドール王国に代わって、北東のタブリス王国が大穴の権限を掠め取り、今の状況ができあがっている。その目的は第一に資源であり、大穴の西方面でゆくゆくは海上交易も視野に入れていた。城塞都市グランツはそのための足掛かりとなる。

キロが口元に人差し指を添えた。

「……おかしいと思わねえか? 災厄の当時は『大穴にタリスマンがある』なんて、誰も知らなかった。噂が流れ出したのはほんの十年前だ」

セリアスの脳裏で点と点が繋がり、線となる。

「冒険者はタリスマンを求め、グランツに集まる……なるほどな」

「え? どういうことですか?」

 まだイーニアはそこまで推測できていないらしい。ハインは神妙な面持ちで、今まさに皆が思っている結論を口にした。

「タリスマンの伝説はタブリス王国のでっちあげ、ということだ。イーニア殿」

 すべてはフランドールの大穴にひとを集め、開発を進めるため。

 タブリス王国が大穴へ派兵し、本格的に制圧を進めようものなら、近隣諸国の反感を買うことになる。そこでタブリス王国は冒険者らに目をつけた。

 冒険者が自由に探検する分には、タブリス王国の関与するところではない。だからこそ表向きはギルドに権限を与え、好きにさせている。このほうが他国出身の冒険者も集まりやすいうえ、タブリス王国が兵力や人材を損耗することもなかった。

「そうとなりゃ、大穴で見つかったっていう『宝石の剣』も怪しいぜ?」

 グウェノの推察にキロが頷く。

「おれたちもこの五年間、馬鹿正直に探検してたわけじゃない。王国を探って、掴んだのさ。……あの剣はタブリス王家に代々伝わる、秘密の宝だってな」

 タブリス王家の宝剣が元・フランドール王国領から出てくるはずがない。彼らは宝剣の存在が秘匿されていることを利用し、さも大穴で見つかったかのように演じたのだ。

「俄かには信じられんな……よもや、裏でそのような策謀があったとは……」

「信じるも信じないも、お前らの自由さ」

 かくしてフランドールの大穴には大勢の人間が集まり、城塞都市グランツはなおも発展を続けている。それだけに、白金旅団の一件はタブリス王国の出鼻を挫いた。

 馬鹿馬鹿しそうにキロが肩を竦める。

「だからよ、タブリス王国の口車に乗せられて、命を粗末にするこたぁねえ。タリスマンなんてものは存在しない。……いいじゃねえか、それで」

「で、でも……」

 イーニアは困惑しつつセリアスに目配せした。

(コンパスは反応しているんだ……魔具はあるのか?)

 セリアスは意を決し、白金旅団の唯一の生存者であるキロに尋ねる。

「そろそろ教えてくれないか。このフランドールの大穴で白金旅団は……何を見た?」

「……いいだろう。遭遇しちまったんだよ、おれたちは……やつに」

 いよいよ核心に迫りつつあるのを予感し、皆も息を飲んだ。

 長い沈黙のあと、彼の口から意味深な呟きが零れる。

「……首なしの牢屋……」

 何を言っているのか、まるでわからなかった。

「は? なんだ、それは……」

「そうとしか言えないんだ。首のない牢屋、としか」

 キロは頭を抱え込んで、がたがたと震える。それは『恐怖』によって引き起こされる、生物の防衛本能としての震えにほかなかった。

「あれはモンスターなんかじゃねえ。デモン族よりもっと危険で、おぞましい……正真正銘の『悪魔』だった。なのに、おれたちは挑んじまった……挑んじまったんだ」

 首なしの牢屋。想像を絶するような化け物が大穴に潜んでいるらしい。

「おれ自身どうやって逃げたのか、わからない。仲間を見捨てて、気がついた時には……こうして生きてるのが不思議なくらいさ」

 そう話すだけで、彼の顔は真っ青になってしまった。

「悪いことは言わねえ。お前らも秘境の探索はここらで切りあげな。好奇心で命を捨てることになっちまうぞ」

「で、ですが私たちにも事情があるんです。魔具……いいえ、タリスマンを……」

 彼の教訓はイーニアに有無を言わせない。

「だったら、なおさらだ。……ここの地図はあるな?」

「ん? おう」

 キロはグウェノから地図を借り、番号や矢印を書き足していった。

「これで森の最深部まで行けるはずだ」

 正解のルートにセリアスたちは目を見張る。

「……なぜ教えてくれる?」

「一番奥っつっても、でかい木があるだけさ。何もねえってことがわかったら、そこのマンドレイクでも土産にして、とっととグランツを出ていきな」

 白金旅団が潰えたことで、投げやりになっているようにも思えた。それでも探索中のセリアス団にとっては有益な情報となる。

「行ってみましょう、セリアス」

「ああ……」

 気の逸るイーニアを、グウェノが制した。

「待て待て。疑ってるわけじゃねえが、このルートはしっかり精査したほうがいいぜ。それに明後日は満月なんだ、採取の準備に一旦帰ったほうがよくねえ?」

 直行するつもりだったセリアスも『確かに』と顎を撫でる。

 マンドレイクを採取できるのは明後日の夜であり、それを逃がせば、次のチャンスは約一ヶ月後となる。天候が悪ければ、さらに遠のくだろう。

 一方で、徘徊の森の最深部は逃げたりしない。

「そうだな……スコップやらはここのを借りるとしても、カゴくらいは」

「だろ? ひとまず先にマンドレイク狙いってことで」

 今後のスケジュールは決まった。

「すまないが、キロ、明後日はこのテントを使わせてもらっていいか」

「好きにしな。その代わりといっちゃなんだが……まともな食い物と、少しでいい、酒を持ってきてくれないか」

「了解だ」

 話がまとまったところで、おもむろにキロが立ちあがる。

「そこまで水を汲んでくる」

 彼の足音が充分に遠ざかってから、セリアスたちは内緒話のように声を潜めた。

「……どう思うよ? さっきの話」

「拙僧には嘘とは思えんが……」

 自棄になってデタラメを吹いたにしては、話に破綻がない。かといって、初対面の相手の言葉を鵜呑みにするほど、思慮が浅いつもりもなかった。

 彼の言葉が真実なら、タリスマンなどは最初から存在しないのだろう。しかしコンパスは『何か』の場所を指し示しているのだ。

 イーニアが神妙な顔つきで記憶地図を覗き込む。

「どうして道を教えてくれたんでしょうか?」

 キロの言動は矛盾していた。セリアスたちに『秘境の探検はやめろ』と警告しておきながら、徘徊の森の突破法を教えてもいる。

 そんな彼の胸中に察しはついた。セリアスは視線を落とし、一言だけ呟く。

「……未練があるのさ」

 かれこれ五年も大穴の探索を続け、名声を不動のものとした白金旅団。だが、その武勇伝は呆気ない幕切れとなった。

一瞬にして、彼は仲間も地位もすべて失ったのだから。

「何かを残したいんだろう。きっと」

「それでオレたちにアドバイス、ってか……わかる気がするぜ」

 セリアスやグウェノの憶測にハインも頷く。

「下手に同情しても、彼を傷つけるやもしれん。これ以上は触れずにいてやろう」

「そうですね……」

 何にせよ、キロの助言を活かせるかは自分たち次第だった。

 タブリス王国に踊らされながらも、城塞都市グランツの発展に貢献するのか。それとも正真正銘のタリスマンを見つけ、フランドールの大穴の謎を解き明かすのか。

(タリスマンはタブリス王国の自作自演……そう決めつけるのは早計か)

 当然、セリアスとしては後者でありたい。

「一旦グランツに帰って、キロに教えてもらったルートを精査しよう。あとはマンドレイクを採取するための準備だな」

「マンドレイクのことなら、私に任せてください」

「このテントを借りるのだ。食べ物と酒も忘れてはいかんぞ」

 ひとまずは二日後に出なおすことに。

 

 

 満月の夜、セリアスたちは再び森の沼を訪れた。

「少々肌寒いのう……みんな、風邪をひいたりせんようにな」

「オッサンも沼に落ちんじゃねえぞ?」

 マンドレイクは毒性が強いため、それぞれ軍手を嵌めておく。燃えると猛毒ガスが発生することから、カンテラも仕切りの厚いものにした。

 夜中の探索は今回が初めてとなる。

「何時くらいでしょうか、今」

「月や星の位置で大体はわかるんだ。例えば……月の左に赤い星があるだろう?」

「あれ? 魔法でもわかるんじゃなかったっけ?」

 ホットココアで身体を温めつつ、星を眺めるうち、二十二時をまわった。

月明かりのもと、沼の一帯で土がもこもこと盛りあがってくる。

「あ! 出てきました!」

 土の中から次々と、ひからびたニンジンのようなものが起きあがってきた。今にも叫びそうな人面があるせいで、気色が悪い。

「こいつがマンドレイクか……触媒じゃなかったら、触る気にもなんねえな」

「う、うむ。なんとなく目が合ってしまうような……」

 グウェノやハインには不評だった。しかしイーニアのほうは瞳を輝かせている。

「こんなにたくさんのマンドレイクが……本当にすごいです! 先生のところでも、この半分もありませんでしたから」

 マンドレイクがもぼこぼこと起きあがってくる不気味な光景が、魔法使いにとっては感動的なシーンらしい。

 ハインが両手の指をごきりと鳴らした。

「それでは始めるとしよう! どれ、拙僧はこのあたりから」

「あ! 待っ……」

 イーニアが制止するより先に、モンク僧の大きな手がマンドレイクを引っ掴む。

 ギャアアアアアアアアアアッ!

 夜空に絶叫が木霊した。

あまりのボリュームにハインは目をまわし、グウェノも全身を痙攣させる。

「こっ、これは? マンドレイクが叫びおったのか?」

「なんつー声だよ! み、耳が……っ!」

 マンドレイクは引っこ抜かれると、金切り声の悲鳴をあげるのだ。グウェノが沼に投げ捨てて、ようやく静かになる。

「昨日もイーニアが気をつけろって、言ってたじゃねえか。頼むぜ、オッサン……」

「す、すまん……すっかり忘れておったわい」

「……で? お前らはなんで、そんなに離れてんだよォ?」

 薄情な剣士と魔法使いは木の後ろへと避難していた。

「どっちかがやると思ったんだ」

「……ごめんなさい」

 信用されていなかったことに、グウェノはがっくりとうなだれる。

「息が合ってきたじゃねえの、お前ら……ハア」

「始めるぞ」

 セリアスたちは早速、手分けしてマンドレイクの採取に取り掛かった。

「どうすればいいわけ?」

「見ててくださいね。まずはこうやって……」

 悲鳴をあげさせずにマンドレイクを採るには、手順がある。

1、周りの土ごと掘り出す。

 2、ひっくり返して、マンドレイクの人面を埋める。

 3、飛び出している根っこを切って、回収する。

 この方法なら、地中の頭部が新たな根となって、次の満月の夜に再び生えてくるのだ。また、マンドレイクの首を切り落とすような感触もない。

あとは毒性に注意しつつ泥を落とし、専用の袋に詰めるだけ。

「自然乾燥だと魔力が弱くなってしまうんです。なるべく早めに魔法屋さんへ……」

「さすがに詳しいな、イーニア」

 イーニアの助言もあったおかげで、充分な量が収穫できた。念のため、ハインが気功術でメンバーの手を順々に浄化していく。

「セリアス殿、マンドレイクの件はマルグレーテ殿に伝えておくべきでは?」

「ハハハッ! なあなあ、マンドレイクとマルグレーテって、ちょっと似てね?」

 セリアスは真顔でグウェノの冗談を流し、ハインのほうに相槌を打った。

「そうだな」

「……悪かったよ。つまんねえこと言って……」

 希少価値の高いマンドレイクは貴族らも商談に使える。セリアスが個人で魔法屋に売るより、スポンサーに任せたほうが大きな額を期待できるだろう。

 仮にマルグレーテには隠し、利益を独占しようとしても、ザザの目は誤魔化せない。

「朝になったら帰るとしよう。見張りはイーニア以外で二時間ずつだ」

「オレから見張りに立つぜ。テントにゃキロもいるけどな」

 セリアスたちはテントまで戻り、朝を待った。

 

 翌日、魔法屋の女店主は声を弾ませた。

「よく見つけてきたねえ! まったく大したもんだよ、あんたは」

 セリアスとイーニアは目配せとともに笑みを交わす。

「やりましたね、セリアス」

「ああ」

マルグレーテにも報告したのだが、急な話だったため、今回は秘境探索の資金に当てて欲しいとのこと。

「ほんと助かったよ! いつもは白金旅団に採ってきてもらってたんだけど、あんなことになっちまっただろ? 来月はギルドに依頼でも出そうかと思ってたとこさ」

その白金旅団と同じ場所から採取してきたことは、伏せておいた。店主は上機嫌にイーニアから包みを受け取り、中のマンドレイクを確認する。

「あんたらが使う分は別にして、買い取らせてもらうよ。いいかい?」

「もちろんだ。値段はこれくらいで……」

商談はすぐにまとまった。

 店主がマンドレイクを倉庫に置いて、戻ってくる。

「そういやあ、昨日だったか……すごい美人の魔法使いが来てねえ。『セリアスって剣士を知らないか』っていうんだよ。あんただろ? セリアスってのは」

 美人の魔法使い。そのたった一言がセリアスを硬直させた。

 隣のイーニアが小首を傾げる。

「セリアス?」

「……ああ。そいつが俺の名前だったな」

 重々しい溜息をつくほかなかった。店主のほうはにやにやと探りを入れてくる。

「痴情のもつれってやつかい? ありゃ、かなりの腕前だよ。さっさと謝ることだね」

「そんなに色っぽい男に見えるか? 俺が……」

 再会は近いらしい。

(うるさい女は嫌いなんだが)

 それが痴情がもつれるような相手であれば、まだよかった。

前へ     次へ

※ 当サイトの文章はすべて転載禁止です。