忘却のタリスマン

第5話

 白金旅団の壊滅――その報は城塞都市グランツに激震を走らせた。王国調査団は無論、グランツの貴族や資産家らも対応に追われている。

 唯一の生還者は逃亡してしまったため、タブリス王国は捜索を断念した。

 しかも、奇しくもフランドール王国から『大穴から手を引け』と再三警告を受けていた矢先の出来事だったのだ。フランドール時代の『かの災厄』が再び引き起こされるような事態になれば、タブリス王国の国際的な権威は失墜を免れない。

 そのため本国では大穴の開発について、真っ二つに意見が割れた。軍部は兵力の増強を訴え、近隣諸国にも緊張が広がりつつある。

 城塞都市グランツは当面の秘境探索を禁止。スポンサーも二の足を踏んでおり、後ろ盾を失うパーティーまで出始めていた。ついには調査隊や軍、貴族らの間で責任の押しつけ合いにもなり、紛糾している。

 収拾の目処がつくまで、セリアスたちは屋敷で待機するほかなかった。

 グウェノが気怠そうに欠伸を噛む。

「ふあ~あ……もう起きてんのかよ、オッサン、セリアス?」

「グウェノ殿が遅いのだ。もう九時だぞ」

 ハインは庭の一部を改装し、トマトを栽培していた。セリアスは洗濯物を干しながら、青々とした空を仰ぐ。

「いい天気だな」

グウェノも同じ青空をぼんやりと眺めた。

「まあなあ……白金旅団の件で街が荒れまくってんのが、嘘みたいに清々しいぜ」

「午後は釣りでもせんか? 酒場の友人にいい場所を教えてもらってのう」

 コンパスに光が溜まったのだから、早く風下の廃墟に行きたい。しかし秘境への出入りが解禁されないことには、動きようもなかった。

「ごめんくださいな」

 誰かが屋敷を訪れ、鐘を鳴らす。

 グウェノは寝癖も直さず、迎えに出た。

「へいへーい! こんな朝っぱら、どこの暇人だよ? ったく……げ!」

 あとからセリアスも続いて、意外な客の来訪に驚く。

「マルグレーテ! イーニアもどうしたんだ?」

「うふふ、実はあなたたちとお話したいことがありまして。よろしいかしら」

 マルグレーテ=グレナーハ。城塞都市グランツの名士にして、セリアスにこの屋敷を融通してくれた、名うての若き当主である。今朝はイーニアも一緒だった。

「おはようございます、セリアス」

「ああ。立ち話もなんだ、あがってくれ。……あなたの家でもあるが」

「この物件はお譲りしましたのに。律儀なかたですのね」

 セリアスはふたりをリビングへと招き入れる。

「そ、そいじゃ、オレはお茶でも淹れてくっかなあ」

(……逃げたな)

 マルグレーテを『暇人』呼ばわりしてしまったグウェノは、いそいそと席を外した。入れ替わるようにハインが入ってきて、マルグレーテと挨拶を交わす。

「おお、マルグレーテ嬢であったか! ろくなもてなしもできず、かたじけない」

「よしなに。……グウェノさんを待ちましょうか」

 彼女はさっきの『暇人』発言でグウェノを面白半分に揺さぶるつもりらしい。セリアスはあえてフォローせず、お茶を待った。

「ど、どうぞ……」

「あら? ダージリンではないなんて……がっかりですわねえ、イーニア」

「ふふっ、マルグレーテさんったら。許してあげてください」

 すっかり青ざめているグウェノは放って、セリアスのほうから話を切り出す。

「……白金旅団の件、か?」

「いいえ。お話というのは別のことですの」

 マルグレーテはたおやかに微笑んだ。

「私、ぜひともセリアス団と契約を結びたいのです」

 グウェノがはっと顔をあげる。

「それって、オレたちのスポンサーになるってことか? ……いや、ことですか?」

「ええ。秘境探索のサポートをさせていただけましたら、と」

 中堅以上の冒険者パーティーには大抵、スポンサーがついていた。

 冒険者は城塞都市グランツで生活の基盤を築いたうえで、初めて秘境に挑むことができる。セリアスたちも当初は今より仕事をこなし、宿代などを稼いでいた。

 スポンサーがいれば、そういった生活費の工面からは解放される。同時に自前の資金は探索につぎ込めるため、成果も段違いとなった。

「メリットは多いと思いますけど。いかがかしら?」

「ふむ……」

 しかしセリアスは慎重に徹し、デメリットのほうに悩む。

 スポンサーがいては、探索の成果を逐一報告しなくてはならなかった。マンドレイクやシルバー鋼を獲得しても、その所有権はスポンサーのものとなる。

 かといって、下手に隠すのもまずい。契約の不履行として、これまでの援助金の返還を強要されたり、このグランツで信用をなくす恐れもあった。

 それだけならまだしも、コンパスや魔具について打ち明けるのは、気が引ける。

「すまないが、俺たちは自由にやりたいんだ」

「それで構いませんわ」

 セリアスは断るつもりで口を開いたものの、マルグレーテには一蹴されてしまった。

「探索で得たものを差し出せ、なんて言うつもりはありませんので。もちろん、のちの利益を見越してのことではありますけど……スポンサーの肩書が必要なんです、私」

 冒険者のスポンサーを務めることは、このグランツにおいて一種のステータスとなる。ジョージが躍起になっていたのも、貴族の沽券に関わるためだった。

 ところがグレナーハ家は名門にかかわらず、未だにどこの冒険者も支援していない。これでは発言力も弱く、城塞都市の運営には干渉できなかった。

 グウェノがようやく調子を取り戻す。

「でもよぉ、グレナーハ家だったら、冒険者もよりどりみどりでしょ? 逆に冒険者のほうからスポンサーになってくれって、話が来てたりするんじゃないですか?」

「拙僧も同感だ。われわれはグランツに来て、まだ日も浅い」

 かのグレナーハ家が支援するには、セリアス団は実績が低すぎた。新進気鋭のパーティーといえば聞こえはいいものの、せいぜい盗賊を捕まえた程度に過ぎない。

 セリアスも疑惑を拭いきれず、グウェノらと口を揃える。

「わざわざこの時期にというのも、わからないな」

 白金旅団の一件で、今はどこもスポンサーの新規契約どころではなかった。むしろ既存の契約について摩擦を生じ、足並みを乱してさえいる。昨日もあるスポンサーが冒険者にノルマを課していた問題で、ギルドが仲裁に入っていた。

 資源は欲しい。だが冒険されても困る。そんなスポンサーの本音が今回の件で剥き出しになり、冒険者らと軋轢を生じているのだ。

 それでもマルグレーテはしれっと言ってのける。

「今だからこそ、ですわ。この混乱に乗じてしまえば、グレナーハ家がセリアス団を選んだとしても、有耶無耶にできるでしょう?」

「まあ……な」

 前々からグレナーハ家の出資先は注目の的になっていた。それが新顔のセリアス団に決まったとしても、このタイミングなら話題にすらならないだろう。セリアス団にとっても無用な悪目立ちを避けられる。

「……話はわかった。だが、金だの利益だのでひとを信用できないことは、あなたもご存知のはずだ。あえて俺たちのパーティーを選んだ理由を聞かせて欲しいな」

 これはまさしくセリアスからの挑戦だった。

 冒険者との契約が出資者に利益をもたらすのは、当然のこと。しかしそれならセリアス団に固執せずとも、ほかに選択肢がある。それでもなおセリアス団でなくてはならないところに、マルグレーテの真意を感じた。

 マルグレーテが不敵に微笑む。

「あなたがたは白金旅団にないものをお持ちだからですわ」

「……それは?」

「生き延びる勘。特にリーダーのあなたには、心当たりがあるのでなくて……?」

 彼女の含みにぴんと来た。

(俺のことは調査済みというわけか)

現にセリアスは数ヶ月前、ソール王国の地下迷宮から奇跡的な脱出を果たしている。あのザザはグレナーハ家に雇われ、セリアス団を偵察していたのかもしれなかった。

そもそもマルグレーテはイーニアの保護者なのだから、コンパスや魔具のことを知っている可能性が高い。

「少し時間をくれないか。仲間と相談してから、返事を決めたい」

「もちろんでしてよ。急なお話ですものね」

 やがてマルグレーテは席を立ち、イーニアをこの場に残して去っていった。

 降って湧いたような話にセリアスたちは頭を悩ませる。

「受けちまってもよかったんじゃねえのか?」

「スポンサーがつくなんてことは、俺にも経験がないんだ。今後にも関わることだから、みんなの意見を聞いておきたくてな」

 ハインはマルグレーテの人柄に感心していた。

「マルグレーテ嬢は代理人をよこさず、自ら出張ってきたろう? 大事な商談は自分でやらなくては気が済まない、気高い人物に思える。ならば……」

「オレも賛成だぜ。いずれどっかと契約するんだ、グレナーハ家は上等じゃねえ?」

 マルグレーテほどの上流貴族からじきじきに誘われたのだ。これを無下にしては、彼女と契約できるチャンスは二度とないだろう。

「イーニアは彼女のところで世話になってるわけだからな。反対はできんか」

「はい。それにスポンサーとか、あまりわかりませんし……」

「あとでお前の先生とマルグレーテの関係だけ教えてくれ。……明日になったら、こっちから正式に返事に行くとするか」

 セリアスは腹を決め、メンバーのひとりに釘を刺した。

「ダージリンを忘れるなよ、グウェノ」

「んなもんグレナーハ邸に山ほどあんだろ……ハア」

 こうして翌日には、セリアス団とグレナーハ家の間で対等な契約が成立する。それは大したニュースにならず、冒険者たちは秘境開放の報せに胸を躍らせるのだった。

 

 

 久しぶりのギルドは落ち着いていた。秘境の探索が解禁された割に、ひとが少ない。

顔馴染みの冒険者がセリアスに声を掛けてくる。

「よう! お前もたまにはギルドの会合に顔出せよ。いつもグウェノじゃねえか」

「すまない。次は出るとも」

 白金旅団の件をきっかけに、何割かはグランツから撤退したようだった。貴族や資産家らの関心事も、秘境の調査から街の開発へとシフトしつつあるらしい。

「酒場の女将がぼやいてたよ。客が減っちまったってさ」

「やれやれ。そっちにも顔を出さないといかんのか」

 これによって城塞都市グランツの経済成長は大幅に減退してしまった。だが、ベテラン冒険者らの表情はさして沈んでいない。

「……これでよかったのさ。フランドールの大穴はただの穴じゃねえ。若い連中が英雄気取りで死にに行くようなことも、なくなるだろ」

「そうだな……」

 フランドールの大穴は『一獲千金の秘境』として有名になりすぎていた。冒険者の中には技量が備わっていないにもかかわらず、博打感覚で難関に挑む愚か者もいる。

 一発当てさえすれば、勝てる――そんな甘い考えで命を落とす者が、跡を絶たなかったのだ。そういった触れ込みでタブリス王国もグランツにひとを集めている。

 白金旅団の壊滅はその風潮に警鐘を鳴らすこととなった。

「あとは王国の連中がこれ以上ギルドに介入してこねえのを、祈るくらいか……」

「まだまだ尾を引きそうだな、こいつは」

「待たせちまったなあ、セリアス! 行こうぜ」

 セリアス団は出発のサインを残し、風下の廃墟を目指す。

 

 風下の廃墟では雨が降っていた。

セリアスたちは例の隠し部屋へと降り、謎めいたプレートと対面する。

『資格を示せ。さすれば、汝の望みし真の道が開けよう』

 期待はあった。セリアスは逸る気持ちを抑えつつ、イーニアを前に進ませる。

「試してみてくれ」

「はい。それでは……」

 グウェノとハインも緊張気味に押し黙る中、イーニアはゆっくりとコンパスを掲げた。するとコンパスから眩い光が溢れる。

 プレートはすうっと姿を消し、さらに奥への通路を露にした。

「やったぜ!」

「ああ」

 これを解いた冒険者はいなかっただろう。セリアスたちは期待に胸を躍らせながら、前人未到のエリアへと踏み込む。だからこそ、慎重になりすぎることはなかった。

「ちょいと待ってな。罠がねえか、確かめねえと」

「じゃあ、私は天井をサーチしてみます」

 じっくりと時間を掛け、通路の安全を確認しつつ進む。

 幸い罠はなく、モンスターも現れなかった。ひんやりと冷えきった空気の中、カンテラの炎が赤々と揺れる。

 やがて大きな広間へと辿り着いた。

「イーニア、照明の魔法で全体を照らせないか」

「できますよ。スクロールをひとつ使いきってしまいますけど」

 イーニアが照明のスクロールを掲げると、ホールは隅々まで明るくなった。風下の廃墟でありながら、どこも壊れておらず、昔の姿を保っている。

 向こうには祭壇のようなものがあった。グウェノは得意満面にやにさがる。

「いよいよお宝かねえ!」

「ああ」

 ここに来てセリアスも笑みを綻ばせた。何か重要なものが隠されているに違いない。

 ところが、不意にハインが声を張りあげる。

「妙な気配だ! 何かいるぞ!」

「う、上です!」

 イーニアもそれに勘付き、天井の真中を指差した。

 そこからいくつも岩が落ちてきて、ひとの形へと組みあがっていく。

「やべえ、ゴーレムかよ?」

 ついには脚より腕が大きい、ゴリラのような形態になった。合体を統括しているらしい結晶体は岩で覆われ、鉄壁の守備を見せつける。

「敵は一体だ、うろたえるな。ハンターシフトで行くぞ!」

 セリアスとハインは前衛で、グウェノとイーニアは後衛で配置についた。

この陣形では前衛のふたりが左右に分かれ、後衛の射撃を妨げないとともに、敵を挟撃する。作戦通り、セリアスとハインはゴーレムに挟み撃ちを仕掛けた。

「こいつの弱点はコアだ!」

「心得た! まずは岩を剥がさんとな」

 ハインのほうを向いていたゴーレムが、腰を独楽のように回転させて振り返る。

「ぐっ!」

 ひとの形とはいえ、ゴーレムに関節は存在しない。それを失念していたセリアスは、横に飛び退いてから、左腕へと斬りかかった。

 しかし頑丈な岩に阻まれ、刃がまったく通らない。

「セリアス殿、ここは拙僧が!」

 それに対し、ハインの拳はゴーレムの背中にクリーンヒットした。背面の岩がばらけ、コアがわずかに露出する。ただ、それではグウェノが狙えない。

 ゴーレムは瞬時に身体を再構築し、復活を果たした。

 セリアスとハインは間合いを取りなおす。

「攻撃の起点はハインだ! イーニアはグウェノのカバーを頼む!」

「はいっ!」

 物理攻撃には線・点・面の三種類があった。セリアスの剣は線で、グウェノの矢は点、ハインの拳は面に該当する。こういった防御の硬い敵には、面の攻撃で衝撃を与えるのが効果的なのだ。ハインを主軸にすれば、勝てない相手ではない。

 だがゴーレムは見かけによらず俊敏で、なかなか隙を見せなかった。いつぞやのコウモリのように分裂もこなし、セリアスたちを翻弄する。

「チッ! あいつ、コアを守ってやがらぁ!」

 弱点のコアは常に岩の向こうにあった。腹部で露出しても、回転されては狙えない。

 ゴーレムは矢を察知し、グウェノとイーニアへ迫りつつあった。イーニアが真正面から旋風の魔法を浴びせるも、びくともしない。

「セ、セリアス!」

「俺のほうにまわり込め!」

 セリアスは岩の境目に剣を突き立てたが、痛覚すらないゴーレムは止まらなかった。グウェノが煙幕を張っても、正確にこちらの動きを追尾してくる。

「こんなに高性能なゴーレムは初めてだぜ? どんな魔導士が作ったんだよ!」

「落ち着け。距離を保っていれば、大丈夫だろう」

 ただ、コアからそう遠くには岩を飛ばせないようで、こちらが射撃に晒される心配はなかった。セリアスはグウェノ、イーニアとともにゴーレムの挙動に注意を払う。

 その一方で、ハインはまたもゴーレムの後ろを取った。

「拙僧が相手だ、こっちに来い!」

 しかしゴーレムは振り向きもせず、セリアスたちのほうにばかり気を取られている。

(なぜやつはハインの攻撃だけ、まともに食らう?)

 ゴーレムに目や耳はないはず。

「わかったぞ! ハイン、こいつにはお前が見えてないんだ!」

「なんとぉ?」

 試しにセリアスが明後日の方向に剣を投げると、ゴーレムはそれに釣られた。

 自分自身が鉱物だけに、金属を感知して動くらしい。グウェノは矢を、イーニアは杖を持っているせいで、ゴーレムに狙われる。

 その点、ハインは素手だった。気功術を活用するため、鎧もいらない。

「そういうことなら、拙僧に任せておけ! 粉砕ィ!」

 気功をまとったハインの鉄拳が、ゴーレムの右腕を打ち砕いた。続けざまに左腕をへし折り、ゴーレムの動きを止める。

「離れてください、ハイン!」

 そこへイーニアの氷の魔法が飛び掛かった。

つららがゴーレムの合体を妨げ、コアを完全に露出させる。そのコアがグウェノの矢に貫かれるまで、三秒と掛からなかった。

「チェックメイト!」

 ゴーレムは機能を停止し、ただの岩の塊と化す。

 連携が功を奏した、チームワークの勝利だった。セリアスも表情を緩める。

「いい判断だったぞ、イーニア。グウェノもさすがだな」

「みなさんのおかげですよ。それに」

「いい勘してるよなあ、セリアスは。ヘヘッ!」

 ハインはコアの残骸を調べていた。

「グウェノ殿ぉー! これは魔法の道具か何かに使えるのでは?」

「おう、今行くぜ! オッサンもわかってきたじゃねえの」

 ゴーレム程度ならもはや敵ではない。セリアス団は着々と戦力を充実させていた。

 ゴーレムも片付いたところで、セリアスたちは意味ありげな祭壇へと近づく。そこには女神像が物静かに佇んでいた。

「はて……大穴には女神信仰の風習があったのか?」

「どうかな」

 フランドールの大穴ではまれに女神像が発見されるらしい。しかし決まって僻地にあるせいで、調査は一向に捗らなかった。

 女神像の前には宝箱がひとつ。

「さあって、鬼が出るか蛇が出るか……」

 グウェノが念入りに罠の有無を調べ、蓋を開ける。

 見つかったのは一枚の石板だった。何も記されておらず、一同は首を傾げる。

「ふむぅ……これは一体?」

「ただの石板じゃないはずだ。イーニア、触ってみろ」

「はい。……あっ!」

 イーニアが触れると、石板にみるみる何かが映し出された。一部はもやが掛かっているものの、どこかの場所を現しているらしい。

「ひょっとして宝の地図ってか? 続きは帰ってから、じっくり調べようぜ」

「魔具とやらの在り処かもしれんぞ! 面白くなってきたではないか」

 グウェノとハインは大喜びでハイタッチを交わした。

 イーニアも達成感を笑みにして、まじまじと石板を見詰める。

「これでようやく一歩、前進ですね」

「ああ……」

「あ~~~~~っ!」

 ところが、水を差すように誰かの叫び声が響き渡った。ホールの入り口ではカシュオンとゾルバが驚愕の表情で立ち竦んでいる。

 彼らも隠し部屋のプレートを調べに来たのだろう。

「おかしな道が開いておると思えば……そなたら、どうやってここへ?」

「どういうことですか? セリアスさん!」

 ここで鉢合わせしては、誤魔化しようもなかった。グウェノは石板を隠し、セリアスはやれやれとかぶりを振る。

「仕方がない。見せてやれ、イーニア」

「えぇと、では……」

 イーニアにコンパスを見せつけられ、カシュオンは目を丸くした。

「まっ、まさかイーニアさんもそれを? そんな……」

「わかったら、お前もコンパスはもう見せるな」

 セリアスに指摘されると、はっとした顔で自分のコンパスを懐に仕舞い込む。

「思いもしませんでした。僕のほかにも『聖杯』を探してるひとがいるなんて……」

「……聖杯?」

 秘密の調査がばれてしまったのは、彼らとて同じこと。カシュオンたちは諦めたように秘境探索の目的を話し始めた。

「僕らは聖杯を探すため、フランドールの大穴まで来たんですよ。……あれ? ああ、噂のタリスマンとは別物だと思います」

「いや、そうじゃなくて……コンパスで探してんのは『魔具』だろ?」

「は? なんですか、それ」

 ところが彼の話はセリアスたちの認識と食い違う。

 こちらが探しているのは魔具であって、彼らが探しているのは聖杯。これにはイーニアも神妙な面持ちで考え込んでしまった。

「先生は『聖杯』とは一言も……同じものでしょうか?」

「ううむ……ニュアンスのうえでは、同じであっても不思議ではないのう」

 カシュオンらと話が噛みあわない。

(……気になるな)

 魔具と聖杯が同一のものである可能性はあった。だが、そもそもセリアスたちは魔具の正体を知らず、タリスマンも謎に包まれている。

 しかしカシュオンにとっては、ライバルの存在のほうが大問題らしい。少年は背伸びもしてセリアスへと詰め寄った。

「そ、それより、手を引いてもらえませんか? 申し訳ありませんが、聖杯を渡すわけにはいかないんです。その……そうだ、お金ならお支払いしますから」

「ガッハッハ! カシュオン様のお小遣い程度で納得していただけますかなあ?」

「ゾルバも出すんだよっ! 聖杯は絶対に守らなきゃ……」

 別段、邪魔というほどの存在ではないが、子どもの目線で相手をするのも面倒くさい。セリアスは肩を竦め、舌先三寸で定評のあるグウェノに助けを求めた。

「なんとかできないか?」

「任せとけって。イーニア、ちょっとこっちに」

「……はい?」

 グウェノがイーニアにだけ耳打ちする。

「え? 私がお願いを……髪を? はあ、わかりました……」

 改めてイーニアはカシュオンに向かい、前のめりになった。少年の顔を間近で覗き込みながら、耳周りの髪をかきあげる。

「あなた、私のことが嫌い?」

「エッ?」

 抑揚のない淡々とした台詞だったが、初心な少年には効果てきめんだった。カシュオンはみるみる赤面し、開けっ放しの口をわななかせる。

「えええっ、えぇと! その、僕は……」

「だったら私たちと同盟、組んでくれますよね?」

「そそ、そりゃあもう!」

 あっさりと同盟が成立した。

少年はセリアスたちに背を向け、ぎくしゃくとした調子で歩き出す。

「き、今日のところは見逃してあげましょう。かかっ、帰るよ! ゾルバ!」

緊張のあまり、右手と右足が同時に出てしまっていた。ゾルバは空気を読まず、豪快な大笑いとともに去っていく。

「それではわしもこれで。ハイン殿、また飲みましょうぞ!」

「はっはっは! もちろんですとも」

そんなコンビを指差しながら、イーニアは口元を引き攣らせた。

「あのぉ……カシュオンってどこか悪いんですか?」

「患ってるんだろう。色々な」

「あれで顔立ちはいいからなあ……もうちょい大きくなったら、化けるんじゃね?」

 少年の恋の行方は、神のみぞ知る。

 

 

城塞都市グランツへと帰還し、夕食のあと。リビングで剣の手入れをしていると、グウェノがイーニアとともに興奮気味に駆け込んできた。

「すげえぜ、セリアス! この地図はよ!」

「やはり地図だったか」

「そうだけど、そうじゃねえんだ! おーい! オッサンも来てくれ!」

 ハインも揃ったところで、イーニアが石板を作動させる。

 その隣でグウェノが広げたのは、未完成とされるフランドールの大穴の地図だった。山や湖の形や位置が、石板のものと一致している。

「大穴の地図か!」

「おうよ。この辺とか、まだ誰も行ったことがねえあたりだぜ? しかもほら、現在位置もわかんだよ。グランツはここだろ?」

 この石板には大穴のありとあらゆる地形が浮かびあがっていたのだ。イーニアもいつになく高揚し、石板の映像に掛かっているもやを指差す。

「これは多分、雲なんです」

 風下の廃墟のあたりは特に大きなもやで覆われていた。つまりこの石板があれば、大穴において、天候の予測さえ可能となる。

「こいつはでかいな」

「うむ! 急な大雨や嵐は回避できそうだ」

 おまけに任意の場所を拡大して映すこともできた。そのうえ、これまでセリアスたちが踏破した場所は、すでに地図が完成している。

「コンパスを併用すりゃ、位置と方角はいつでも掴めるってわけさ」 

 これは探索のみならず、『生還』の確率を大幅に上げてくれた。道に迷って消耗し、遭難するような事態は避けられる。

「こいつがあれば、徘徊の森は突破できそうだな」

「おう! 次のターゲットは決まりだぜ」

 セリアスたちはこの石板を『記憶地図』と呼ぶことに。

 スタートは五年遅れでも、この日からセリアス団の快進撃が始まった。

 

 

 

第6話

 

 

 

 グレナーハ邸に用事もあって、セリアスとグウェノはハイタウンを訪れていた。

「オッサンは二日酔いだってよ。ったく……奥さんがいねえからって」

「ゾルバと飲んでたんだろう。あの老人、相当強いらしいからな」

 歩いていると、どこからともなく楽器の音色が聞こえてくる。公園の一角ではイーニアが珍しそうにアーティストの演奏ぶりを見物していた。

「ここにいたのか、イーニア」

「あ、セリアス。グウェノもこんにちは」

 奏者は眉目秀麗な青年で、ハーブに手を添えるのが、何とも絵になる。

「ふーん。楽器に興味があるのかい?」

「いえ……あんなに綺麗な男のひともいるんだなあ、って……」

 イーニアの瞳はハープの彼を熱心に見詰めていた。

 グウェノが声を潜める。

「これってさ、あれじゃね? イーニアもお年頃だし、一目惚れってやつだろ」

 恋する乙女の視線――しかしセリアスには、そうは見えなかった。とはいえ、今後の展開によってはグウェノの冗談が本当になるかもしれない。

「オレは惚れてるほうに10賭けてやるぜ」

「ないな。俺はそっちに20だ」

 そんなイーニアの恋路を賭けの種にしながらも、セリアスは内心、反省していた。

 むさ苦しい男が三人で囲っているのだ。屋敷の庭には男物の下着も干しており、十代の少女を幻滅させるには、充分な威力といえる。

 これでは彼女が余所の色男に惹かれるのも、当然の結果だった。グウェノもその自覚はあるようで、応援するのは面白半分のほか、罪滅ぼしでもあるらしい。

「気になるんなら、ちょいと声掛けてみたら?」

「え? でも迷惑じゃ……」

「お前なら、向こうも嫌な顔はしないさ」

 イーニアは戸惑いつつ、おずおずと彼に近づいた。

「あのぉ、お上手ですね。グランツへは……えぇと、どちらからいらしたんですか?」

「ああ、これはこれは。前はソール王国にいたんですけど」

 青年は演奏の手を休め、爽やかに微笑む。

「僕はジュノーと申します。……あなたは?」

「わ、私はイーニアです。それから、こちらがセリアスとグウェノで……」

 見守るだけのつもりだったセリアスたちも、イーニアの自己紹介に巻き込まれてしまった。初対面の男性を相手にひとりでは心細いのだろう。

「よろしく。ジュノーだったな」

「はい。みなさんは冒険者のようですね。……ということは、イーニアさんも?」

「セリアス団の魔法使いなんです、私」

「で、オレがトレジャーハンターってわけ。そっかあ、ソールからねえ」

 おしゃべりなグウェノも加わって、それなりに会話が弾んできた。

 ジュノーは大陸の各地を転々としつつ、ハープを披露しているという。今回は貴族の招待もあって、ここグランツへとやってきた。

「大した娯楽がねえからなあ、この街は。あんたもよく来たよな」

「冒険者のかたがたにも僕の演奏を楽しんでもらえたら、と」

 ふとイーニアがジュノーの右手にあるものに気付く。

「ジュノーさん、それは?」

 その手には痛々しい傷跡が残っていた。刃物がてのひらを貫通したらしい。

「ご心配には及びません。もう治ってますので」

「あ、そうだったんですか。変なこと聞いちゃって、ごめんなさい」

 セリアスの脳裏で何かが蘇りそうになる。

(あの傷……)

「ジュノー君! 調子はどうかね?」

 そこへ執事とともに現れたのは、自称グランツの名士・ジョージ=エドモンドだった。チョビ髭を弄りつつ、ジュノーに発破を掛ける。

「頑張っとるようだねえ! チミのハープで吾輩の心も洗われるようだ」

 ジュノーは立ちあがって姿勢を正した。

「お世話になっております、子爵」

「楽にしてくれたまえ。……お? そっちはセリアス殿ではないか」

 今日のジョージ子爵はすこぶる上機嫌で、セリアスに怯えることもない。

「聞いたぞ? あのグレナーハ家がチミたちのスポンサーになったとか。上手くやりおって、うんうん! 吾輩も鼻が高い!」

 グウェノはげんなりとした顔でセリアスに耳打ちした。

「なんでジョージが鼻高々になんだよ? なあ」

「どうもおかしいな。機嫌がよすぎるぞ」

 ジョージは好き放題に笑いながら、ジュノーの肩をばんばんと叩く。

「頑張ってくれたまえよ! 今度の演奏会はチミの腕に掛かっておるのだ」

「ええ。あとは当日の天気がよいことを祈るのみです」

「吾輩は生粋の晴れ男だから大丈夫だとも。ワッハッハッハ!」

 セリアスたちはきょとんと顔を見合わせた。

「……演奏会?」

「あれ、ご存知ありませんでしたか? 週末、ここでフェスタが催されるんです」

 ジュノーがハープをひと撫でするだけで、美しい音色が響く。

 血の気の多い冒険者だらけの城塞都市グランツで、演奏会など、正気の沙汰とは思えなかった。ハイタウンの貴族にしても、わざわざグランツで芸術に勤しむ真似はしない。

 ジョージの執事がセリアスに歩み寄り、ぼそぼそと事情を明かす。

「このたびの演奏会、実はジョージ様の発案でして、大多数の賛成を得て実現したのでございます。ジョージ様は演奏会に全力投球の構えでいらっしゃいまして……」

「なるほどな」

 どういうわけか、今度のイベントはジョージの主導で進められていた。さらに執事は頭を下げ、セリアスに『何卒』と懇願してくる。

「当日はジョージ様にご友人が多いところなど、アピールしていただけますと……」

「あんたも苦労してるんだな。わかった、挨拶くらいはしてやるとも」

 演奏会にはさして興味がないものの、街とイーニアのため、週末の探索は延期することにした。フェスタに協力すれば、ハクアも集まるかもしれない。

「何をしとる? セバスチャン。吾輩は忙しいのだぞ」

「申し訳ございません! ただいま」

 ジョージは生き生きと胸を張りながら、ハイタウンの大通りを闊歩していった。グウェノは呆れ、ジュノーに慰めの言葉を掛ける。

「大変だなあ、あんたも。無理難題とか押しつけられてんじゃねえの?」

「ジョージさんはそんなに悪いひとではありませんよ。よくしてもらってます」

 城塞都市グランツで、まさかの演奏会。楽器は触ったことがないうえ、まともに歌えるかもわからないセリアスにも、思うところはあった。

「……ハクアを集めるチャンスかもな。俺たちも出場するか」

「へ? ま、まじで?」

「俺がカスタネットをやる。グウェノはタンバリン、イーニアはハンドベルだ」

「えっ! わ、私もですか?」

 グウェノとイーニアは呆然とする。

「……冗談だろ?」

「冗談だ」

 セリアスという男の冗談はわかりにくいらしい。真顔で言ったのがいけなかった。

 

 

 週末には好天に恵まれ、ハイタウンの公園でフェスタが開催される。

 城塞都市グランツはハイタウンとロータウンの二層構造とはいえ、それは身分や貧富の差によるものではなかった。噂を聞きつけ、ロータウンからも大勢が集まってくる。

「すごいハープの名手がいるんだって?」

「タブリス王都の楽隊も来てるらしいよ。どんなかなー」

 主催者のジョージはすっかり鼻高々になっていた。

「見ろ、セバスチャン! これが吾輩の人望というやつだよ。ハッハッハ!」

「このセバス、感激のあまり涙が……うぅ」

 その様子を遠目に眺め、グウェノはやれやれと肩を竦める。

「えらくご機嫌じゃねえの、子爵サマは。にしても、よくあいつの案が通ったよなあ」

「もちろん、理由はありましてよ」

 セリアス、ハイン、グウェノのもとへマルグレーテが歩み寄ってきた。グランツの名士として、今日は深紅のドレスで華麗に決めている。

 ハインが感嘆の声を漏らした。

「ほほお! こいつは拙僧の妻の次にお美しいですなあ」

「お上手ですのね。奥様へのお手紙はちゃんと届けておきましたので、ご心配なく」

「で? 理由ってのは何なんです?」

 早々に本題に入ろうとするグウェノには、セリアスが軽く肘を入れる。

「少しはマルグレーテのドレスを褒めろ。また減点されるぞ」

「そっ、そうそう! すんげえ綺麗ですね!」

 グウェノは慌てふためくものの、マルグレーレは意に介さなかった。無視ともいえる。

「……実は白金旅団の件以降、街の上層部は議論が紛糾する一方でして」

 今日の演奏会にはマルグレーテたちの思惑が絡んでいた。

 白金旅団が壊滅したことで、城塞都市グランツの屋台骨は今までになく揺らいでいる。そのせいで王国調査団、軍部、ギルド、上流貴族、資産家は幾度となく衝突した。ついには一触即発の緊張状態にも陥ったという。

 そんな折、ジョージ=エドモンド子爵から暢気な提案が上がった。

『子爵は何か意見はないのか? ずっと黙りっ放しではないか』

『わ、吾輩は……そうだ! こういう時こそ、音楽で心を癒してはどうかな?』

いつもなら誰も相手にしないが、今回に限っては、殺伐としたムードを払拭するにはもってこいだったわけである。

「要はこのイベントを落としどころにして、全員で水に流そうという算段か」

「ええ。これ以上議論しても、進展はなさそうですし……っと。辛気くさいお話はこれまでにしましょうか。せっかくのフェスタですもの」

 マルグレーテは扇子を広げつつ、本日の従者を呼びつけた。

「いつまで隠れてるおつもり? 観念して出てきなさい。イーニア」

「は、はい……」

 後ろのほうからイーニアがおずおずと姿を現す。彼女はライトグリーンのドレスを身にまとい、髪にも清楚なコサージュを添えていた。

 グウェノが口笛を鳴らす。

「ヒュウ! 似合ってんじゃんか。なあ? セリアス」

「ああ。見違えたぞ」

 普段はすっぴん、服装は芋くさい(グウェノ談)イーニアが、美麗なまでに変身を遂げていた。ほかの客も美少女が気になるようで、ちらちらと視線を向けてくる。

(……驚いたな)

 セリアスも顔には出さないものの、度肝を抜かれた。

 ドレスはマルグレーテが見繕ったのだろう。普段は素朴でしかない少女が、社交界のレディーさながらの品格を漂わせている。

「おなごはそれくらいお洒落してるほうが、普通だぞ? はっはっは」

「いっいえ、私……こういう恰好は、は、初めてでして……お断りしたんですけど」

 ただイーニア本人は恥ずかしがるばかりで、すっかり赤面していた。馴染みのセリアスたちが相手でもしどろもどろになって、しきりに言葉を噛む。

「ご、ごめんなさい! マルグレーテさん」

 ついにはマルグレーテの背中に隠れてしまった。

そんな彼女を見かねて、マルグレーテは早々に踵を返す。

「しょうがありませんわねぇ。では、私たちの席はあちらですので」

「ああ。またな、イーニア」

 ハイタウンの貴族らは専用のスペースを設け、日傘も差していた。一方で、冒険者用のものは組み立て式の椅子を並べただけだが、数は充分にある。

 フェスタに乗じて屋台も繁盛していた。

「先に腹ごしらえでもせんか? グウェノ殿」

「そーだなあ。セリアス、フランクフルトでも食おうぜ」

「ああ」

 ところが、不意に大きな叫び声が反響する。

「どどっ、どなたか、手を貸してくだされ! カシュオン様がぁ~!」

 声の主は老戦士のゾルバだった。ぐったりとしたカシュオンを抱え、狼狽している。

 カシュオンは真っ赤な顔で目をまわしていた。

「イーニアしゃんが……」

 憧れの女性のドレス姿を目の当たりにして、一気に熱をあげたらしい。初心な少年の今後を思い、セリアスとグウェノは落胆する。

「こいつは見込みなしじゃね? イーニアも全然気付いてねえし」

「そう言ってやるな。俺もフォローはできんが」

「失恋も結構。そうやって男子は大人になってゆくのだ」

 ハインに至っては、カシュオンの恋は実らないものと決めつけていた。

 

 バイオリンやフルートの音色が響き渡る。

 演奏会は大いに盛りあがっていた。王立楽団によるオープニングを皮切りに、続々とアーティストが腕を披露していく。

 当初は半信半疑だった冒険者らも、優雅な旋律に魅了されていった。

 主催者のジョージ=エドモンドは特等席の真中で悠々とふんぞり返っている。

「ジョージのアイデアにしちゃ、いい感じじゃねえか」

「これで少しは街の空気も変わるだろうさ」

奇しくも子爵のひとり勝ちとなったが、おかげで城塞都市グランツは久しぶりに和やかな雰囲気で満たされた。

「……お? 次はジュノーの番だぜ」

「グウェノ殿の知り合いか?」

「そういやオッサンは会ってなかったっけ。演奏家で、何日か前にな」

 いよいよジュノーが舞台にあがり、観衆にお辞儀から始める。

 彼のハープも美しい音色を奏でた。定番のクラシックらしいが、音楽に疎いセリアスには『上手い』程度にしかわからない。

 それでも演奏を聴くうち、安らかな気分になってきた。

(たまには悪くないな)

 戦うことしかできない自分にも、人並みの感性が備わっていることに安堵する。

 ジュノーのハープにも拍手喝采が浴びせられた。セリアスたちも手を鳴らし、彼の演奏を心から称賛する。

「よかったぜ、ジュノー!」

「うむ! 何とも素晴らしい一曲だったぞ」

 その後も演奏会は続き、美麗なメロディが響き渡る。

 この日は城塞都市グランツにとって穏やかな週末となった。

 

 陽が暮れてから、セリアスたちは男だけで酒場のテーブルを囲む。イーニアはマルグレーテと一緒に淑女の集いに参加するらしい。

 グウェノが陽気に音頭を取った。

「カンパーイっ!」

 セリアスとハイン、それからジュノーもグラスを重ねる。

「急に誘って、すまなかったな。ジュノー」

「いいえ。僕も冒険者のかたからお話を聞きたいと、思ってましたから」

 ゾルバにも声を掛けたものの、今夜はカシュオンの看病で手が離せなかった。少年の恋煩いは深刻な域に達している。

「イーニアさんにもお会いしましたよ。今日はとても綺麗でしたね」

「うちの大事な魔法使いに手ぇ出すなよ? ハハハッ!」

 グウェノは早くも気持ちよさそうに酔っていた。

「イーニアもああやってると、普通の女の子だよなあ……もったいねえの」

「……まあな」

イーニアのことはセリアスも少し心配している。詮索するつもりはないが、かといってハーフエルフの生い立ちに無関心でいられるほど、薄情にはなれなかった。

 おしゃべりなグウェノと笑い上戸のハインがいるおかげで、ジュノーもすぐに馴染む。

「ジュノー、オレのひとつ下だったのかよ? もっと若く見えるのに」

「父さんは会うたび家業を継げ、継げ、と……息子が音楽家では不満のようです」

「拙僧もいつか息子にそんなことを言うのだろぉなあ」

 家族の話題から始まって、セリアスたちはグランツへ来た経緯などを語りあった。今夜はセリアスもほろ酔い気分になって、口が緩む。

「じゃあ、ジュノーとセリアスはどっちもソール王国から来たってことか」

「俺の生まれはフランドールなんだ」

「拙僧には、このあたりの国は全部、同じに見えてしまうのだが」

 とりわけソール王国での話は受けた。セリアスの失敗談をグウェノが笑い飛ばす。

「ハハハハッ! でかい岩が転がってきたって、まじかよ?」

「本当なんだ。何か踏んだと思ったら……」

 ジュノーは慣れた手つきでローストビーフを切っていた。その爪には小さなヒビが入っており、指の皮も白化している。

「ジュノー殿、その指……もしや楽器で?」

「はい。ああ見えて、ハープの弦は硬いですから。腱鞘炎も経験があります」

 日々の練習で酷使しているのだろう。一見すると優雅なようで、ハープの演奏とやらはなかなか苛酷らしい。

(フッ。上手い言い訳だな)

 セリアスのてのひらも何十回とまめができ、硬くなっていた。

 ハインが酒を置き、一息ついでに腕を組む。

「ところでジュノー殿はこれからどうするのだ? 演奏会は終わってしまったが」

「実はグランツのかたがたから、楽器を教えて欲しいと頼まれまして。しばらくはグランツに滞在して、作曲もしようかなと思ってるんです」

「へえ……そいつをジョージんとこで?」

 温和なジュノーも苦笑いした。

「ジョージさんは飽き性という噂ですから……手頃な部屋でも借りようかと」

「それなら」

 セリアスが口を挟む。

「俺たちの屋敷に部屋が余ってるんだ。どうだ? 安くしておくぞ」

 グウェノやハインは目を白黒させた。ジュノーは冒険者ではないにもかかわらず、部屋を提供しようというのが、信じられないのだろう。

「いいのかよ? セリアス」

「試しに部屋を貸してみたくてな。ご近所が何も言ってこなければ、ハープの練習も好きにしてくれて構わん」

 とはいえ、無駄になっている空き部屋をひとに貸し、家賃を回収するのは利口な手段でもあった。良心的な金額を提示すると、ジュノーは遠慮しながらも乗ってくる。

「本当にいいんですか?」

「いくつか雑用と、探索中の留守番はしてもらうが」

「ええ! それでお願いします」

 商談もまとまったところで、彼はおもむろに席を立った。

「では、僕はそろそろ……滞在の件について、子爵にもお話しておきませんと」

「明日でもよいのではないか? 子爵も今頃、好きに飲んでおろう」

「居候の身で遅くなっても、ご迷惑ですから」

 ジュノーは酒で少し顔を赤らめながらも、慎ましやかに去っていく。

「そいや、あいつ……屋敷の場所は知らないんじゃねえの?」

「明日にでも俺が迎えに行くさ」

 面子は減ってしまったが、グウェノやハインはまだまだ勢いを持てあましていた。

「にしても……今日のイーニアはいい線行ってたと、思わねえ? もうちょい歳が近かったら、オレもなぁ~」

 この手の話題は、ジュノーの前では遠慮していたらしい。

「セリアスもそう思ったろ?」

「……まあな」

 素っ気ない顔で返してやると、グウェノは口を尖らせる。

「ちぇっ、カマトトぶりやがって。お前だって女がいたことくらい、あるんだろ?」

「まあまあ、グウェノ殿。興味本位で女性関係を根掘り葉掘り聞くものでは……なら、セリアス殿はどういった女子が好みなのだ?」

 フォローしつつ、ハインも結局は興味本位の追及にまわった。

 酔っ払いふたりに囲まれては観念せざるをえない。

「……うるさくない女だ」

「ほう。おしとやかなおなご、か」

 確かにそれは『おしとやか』とも言える。だが、セリアスにとっては『うるさい女は嫌なんだ』という意味合いが強かった。

(ザザが来てるんだ。メルメダのやつも多分……)

 やがて酔いもまわってくる。セリアスは少しふらつきながらも立ちあがった。

「すまないが、今夜は飲みすぎたようだ。俺もそろそろ」

「ひとりで歩けっか? セリアス」

「問題ない。お前たちはゆっくり楽しんでくれ」

 おぼつかない足取りで店を出て、涼しい夜風に当たる。

「ふう……」

 どうにも酒というやつは苦手だった。一口目、二口目までは美味しいと感じるし、皆の冗談を聞いてやるのも悪くない。しかしグラスを空ける頃には、息が乱れてしまう。

 残念ながら自分は酒に弱い。

 その自覚があるからこそ、今夜も早めにあがらせてもらった。

(付き合いの悪いやつとでも思われたか……?)

 ただ、女性の話が嫌で逃げたようなタイミングでもある。今頃はグウェノとハインで下世話な想像を膨らませていることだろう。

 不意に空気が張り詰めた。

「……っ!」

 妙な気配を察し、セリアスは腰の剣に手を掛ける。

 ロータウンの夜道はしんと静まり返っていた。カンテラ風の街灯は道沿いに少しある程度で、真っ黒な地面は色さえわからない。

 ひとまずセリアスは家灯かりを頼りにしつつ、手頃な塀を背にした。息を潜め、この数秒のうちは酔いを堪える。

 しかし『彼』が塀の上に立っていることには、とうとう気付かなかった。

「……お前か、ザザ。脅かさないでくれ」

 セリアスは負けを認め、仏頂面に苦笑いを浮かべる。

 覆面を被った忍者、ザザ。任務のためなら冷酷無比になれる非情の戦士であり、その素顔は誰も知らない。ソール王国ではセリアスと敵対し、刃を交えたこともあった。

 あの時、セリアスは忍者刀を奪い、彼の右手を刺し貫いている。

「……………」

 ザザは何も語らず、人差し指をチッチッと振った。それだけで、用件は済んだとばかりに跳躍し、夜の闇へと消える。

「フッ……やつに案内はいらんか」

 かつての好敵手が今回は敵ではないらしいことに、セリアスは安堵した。

 

 

 翌週には屋敷にジュノーを迎え、セリアス団は秘境の探索へ。

「今日も徘徊の森の続きですね」

「昼飯は拙僧手製のおにぎりだぞ。期待しててくれ」

「子持ちのオッサンの粗末な手料理で、誰が喜ぶっつーんだよ……ハア」

 出発の前にギルドへ寄ると、意外な人物が待っていた。グウェノがあっと声をあげる。

「てめえ、こないだの忍者じゃねえか! なんでこんなとこに」

 ザザは質問を意に介さず、覆面越しに無言でセリアスを見詰めていた。

「……………」

「そうか。わかった」

 セリアスは肩を竦め、改めて彼を皆に紹介する。

「今日はオレたちと一緒に来る気らしい。邪魔にはならんはずだ」

「こいつが? どういう風の吹きまわしだよ」

 ハインやイーニアもザザの急な参入には戸惑っていた。

「え、ええと……ですけど」

「拙僧も構わんのだが、黙りっ放しでいられて、まともに連携が取れるのか?」

ザザのことをほとんど知らないため、不安も大きいのだろう。しかしセリアスはザザという男の実力が比類ないことを、我が身をもって思い知らされていた。

「放っておけば、勝手に上手くやってくれるさ」

「ま、まあ……今日の働きを見てから、判断すっか」

 こうしてセリアス団はザザを臨時メンバーとして迎えることに。

 セリアスがザザに耳打ちする。

「留守番はどうした」

「……………」

 その素顔を知る者は、きっと少ない。

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