傲慢なウィザード #3

ACT.18 楽園追放

 一度は昼夜が逆転してしまったが、休日を設け、生活のリズムを取り戻す。

 昼間は各自、部活や訓練に当たり、アンティノラの探索は夕方以降となった。今日も日中はケイウォルス司令部のトレーニングルームにて、緋姫は澪に手ほどきを与える。

 澪は炎のスペルアーツで特訓に励んだ。

「……あらっ?」

しかし何度やっても、コピー用紙を丸ごと燃やしてしまう。

 これを緋姫は、直径五センチ大の穴を空けるだけに留めることができた。やろうと思えば、もっと小さな穴も空けられる。

「まだまだ魔力が分散しちゃってるのよ。一点集中、ね」

「は、はい。次こそ……」

 五月道澪のスペルアーツは、広範囲に広がるものがほとんどだった。威力はあっても、狭い迷宮の中では使い勝手が悪い。

 また、敵に当たらない分の魔力は、無駄な消耗となった。

「これができるようになれば、アーツの威力が二、三倍になると思うわ」

 ホースで水を飛ばす際は、口を狭めるほど勢いがつく。それと同じことがスペルアーツにも言えた。できるようになるには、繰り返し練習するしかない。

 ようやくコピー用紙が残るようになってきた。

「その調子よ。頑張って」

「はい!」

 隣では輪が、よりによってデュレン=アスモデウス=カイーナに扱かれている。

「ぶべえっ!」

「情けねえ声、出してんな。……ったく、そっちの女は上達してきてるってのによォ」

 アンティノラのせいで地下鉄線が使えなくなり、魔王は地獄に帰れなくなった。暇潰しに真井舵輪のトレーニングを始め、憂さ晴らしのような指導に当たっている。

 輪は大の字になって倒れた。

「はあ、はあ……」

 まだ傷が完治していない。にもかかわらず、魔王は輪に容赦ない言葉を浴びせる。

「今のてめえの実力じゃ、アンティノラのレイには敵わねえ。てめえで女を助けたいってんなら、アーツをモノにするこったなァ」

「人間用のアーツを……オレが、どうやって……?」

「要はその『人間用』ってのを飛ばしゃいいんだよ。そいつができねえ限り、てめえはここでオレと永遠にお留守番だ」

輪とデュレンではあまりに実力に差がありすぎた。それでも輪は諦めず、ブロードソードを軸にして、ふらふらと立ちあがる。

「あんな思いは二度とごめんだ。やってやるさ」

「ヘッ、根性だけは認めてやるぜ。だがなァ、根性だけで勝てるほど、甘かねえぞ?」

 デュレンはこぶしに魔力を込め、輪のブロードソードを殴りつけた。

「ぐうっ!」

「ただ受け止めるんじゃねえ! おれの魔力を読みやがれっ!」

 数秒と耐えられず、輪はまたも転倒する。

 澪は自分のトレーニングを中断し、心配そうに輪の様子を眺めていた。

「輪くん……」

「いいのよ。あいつはあれで」

 しかし緋姫はあえて一蹴し、澪に次のコピー用紙を渡す。

 輪のレベルではアンティノラの戦いについていけないのは、残念ながら事実だった。この猛特訓で上達が見られなければ、戦力外とする、とは愛煌も決めている。

 頑張りなさいよ、輪!

 緋姫にできることは、特訓での傷を癒すことだけ。

「オレは絶対に、閑を……みんなを助けに行くんだっ!」

 輪の気迫は充分だった。

 

 それでも二時間とトレーニングしていれば、限界にも達する。澪のほうも魔力が枯渇したため、休憩することになった。

 トレーニングルームを出てすぐの休憩室で、それぞれ適当な飲み物を選ぶ。

 デュレンは缶コーラを一気に半分、飲みくだした。

「ぷふゥー! ……なんだミカグラ、ブラックなんか飲むのかァ?」

「あたしはいつもこれよ。デュレンこそ、割と子どもっぽいの飲むじゃない」

「クハハ! 炭酸飲料ってのは、人間どもの大発明だと思うぜ? 最初にこいつを飲もうとしたやつぁ、どうかしてやがる」

 この魔王様は人間を見下す一方で、時に妙に評価することもある。

 緋姫はブラックコーヒーで一服しつつ、輪と澪のやり取りを眺めていた。

「大丈夫ですか? 輪くん」

「平気、平気。これくらいで、へばってられないだろ」

 輪を『スケベ』『ヘンタイ』と罵ってばかりいるようで、澪が彼を見詰める瞳は、柔らかな愛情に満ちている。

 デュレンが小声で緋姫にだけ囁いた。

「おい、ミカグラ。あいつら、どこまで行ってると思う?」

「下品ね。……でも、輪にそこまでの甲斐性って、あるのかしら」

「女ってのは容赦ねえな。ケケケ」

 冗談をかわすついでに、緋姫は話題を変える。

「それより輪の武器と、五月道さんの防具、なんとかならない? あなた、リィンの大鎌みたいなの、ほかにも持ってるでしょ」

「ん? あー、まあ……ねえこともねえ。そっちの女にゃ、いいモンがあるぜェ」

 デュレンの左手が手品のように一枚のディスクを取りだす。

「ミユキがすぐに捨てちまったやつだが、そいつにゃ、ちょうどいいだろ」

「くれるの? 助かるわ」

「使うかどうかは、サツキドー次第だが、なァ」

 そのディスクを緋姫に押しつけ、デュレンは休憩室を出ていった。

 新しいバトルユニフォームらしいアーツの結晶が、五月道澪の手に渡る。魔王からの贈り物であれ、彼女は大いに喜んだ。

「いいんですかっ? これで、あんな恥ずかしい恰好、もうしなくていいんですね!」

 第四部隊のメンバーは、輪を除き、白色のスクール水着をベースとしたスタイルで戦うらしい。そして実のところ、澪はその珍妙な恰好に戸惑っていた。

「使ってみたら? サイズなんかを確認しないと」

「はい! それでは……」

 早速、澪がユニフォームを具現化させる。それまで着ていた制服は粒子となって散り、まったく別の戦闘服が瞬く間に構成された。

 ところが見るも艶めかしい、ボンテージ風の黒ビキニになってしまう。

「え……ええええっ? ななっ、なんなんですか、これ!」

 へばっていたはずの輪がノータイムで起きあがった。

「さっ、五月道?」

「こっち見ないでください、ヘンタイ!」

 澪は我が身をかき抱いて、少しでも肌の露出を隠そうとする。困ったことに、彼女の胸にはビキニがやや小さくて、曲線に食い込んでしまっていた。

 ミ、ミユキだって、相当おっきいはずなのに……。

 第四部隊の巨乳率には緋姫も戦慄する。

 澪の顔は真っ赤になっていた。

「ここ、こんな恰好で、戦えるわけないじゃないですかっ! 御神楽さん!」

「し、知らないわよ、あたしは! 文句があるなら、デュレンに言って」

 破廉恥なユニフォームではあるが、それを着こなしてしまえる五月道澪の、グラマラスな身体つきには感心もする。

 さしもの輪も目のやり場に困っていた。

「まあ後衛だし、いいんじゃないか? 防御面はばっちりなんだろ」

「ばっちりじゃありませんっ!」

 澪の怒号が木霊する。

「緋姫さん、こっちですか? マリアンちゃんが、緋姫さんにお話がある、って……」

 そんな色気過剰な休憩室へ、沙耶がマリアンを連れてきてしまった。案の定、沙耶は澪の恰好に絶句し、マリアンはきょとんとする。

「……お姉ちゃん、なんで裸なの?」

「裸じゃありません!」

 澪は棚の陰に隠れ、身を小さくした。すっかり混乱してしまっている。

「五月道さん、制服に戻ったらいいのよ。落ち着いて」

「あっ! そ、そうですね。わかりました」

 改めて彼女はユニフォームを解除した。ところが、身体には下着だけが残され、制服は上も下もするりと剥がれ落ちる。

「きゃああああっ? りり、輪くんのせいですよ! 死刑になりたいんですかっ?」

「オ、オレじゃねえ! そういうアクシデントを全部、オレのせいにするな!」

 これが噂に聞く、真井舵輪の特殊アーツ『ラッキースケベ』らしい。

「あー、わかったわ。制服は変換の対象だけど、下着はそうじゃないから。そのへんで再構成がずれて、制服がちゃんと戻らなかったのよ」

「ってことは、御神楽、さっきのバトルユニフォームを使うんなら……」

 あらかじめブラジャーとパンツを脱いでおけば、ユニフォームの構成も解除も安定するはずだった。が、さすがにマリアンの前では言いだせない。

 沙耶がやんわりとマリアンに言い聞かせる。

「いいですか? マリアンちゃん。あの男のひとはとっても危ないですから、近寄ったりしちゃだめですよ。うふふっ」

 輪はおずおずと緋姫に耳打ちしてきた。

「なあ、御神楽……オレ、九条にすげえ嫌われてる?」

「女の敵って思われてるのよ。この前だって、女湯にいたでしょ」

 緋姫は額を押さえ、嘆息する。

 マリアンは緋姫の制服を掴みながら、つぶらな瞳で見上げてきた。

「緋姫お姉ちゃん、お願いがあるの」

 緋姫のほうが屈んで、目線の高さを合わせてやる。

「……なぁに?」

「クロードお兄ちゃん、迷路に連れていかないで」

 緋姫と沙耶ははっとして、顔を見合わせた。

幼いマリアンなりに、今回の任務が大いに危険であることを理解している。偽りの関係にせよ、兄の身を案じる妹の健気さには、胸を打たれた。

 緋姫の口調もより穏やかになる。

「マリアン。あなたのお兄さんはね、みんなを守ってくれる、無敵の盾なの」

「知ってる……アイギス、でしょ?」

 少女は盾の名を言い当てた。

「わたしにはアイギスが必要なの。どうしても……」

 これには沙耶も驚いたが、マリアンを宥め、帰そうとする。

「心配いりませんよ。クロードさんなら、マリアンちゃんも守ってくれますから」

「……うん」

 アンティノラの出現によって、クロードとマリアンの件は保留となっていた。ヤクモもマリアンについては『人形に魂が入っているみたい』と意味深な言葉を残している。

「さあ、お兄ちゃんのところに戻りましょうね」

 マリアンは肩越しに振り向きながらも、沙耶に連れられていった。

 緋姫は腕組みを深め、黙々と考え込む。

 クロードがマリアンを見つけてきたことと、アンティノラが広がったり、第四のメンバーが行方不明になったことって、ひょっとして関係が……?

 いたいけな少女を疑いたくはなかった。沙耶とて、マリアンの素性をヴァージニアの魔眼で見極めようとはしないだろう。

 いつの間にか、澪は制服に着替えていた。輪は自ら目隠ししている。

「絶対おかしいです。わたしだけ、恥ずかしい目に遭うパターンが多い気がして……」

「黒江が言ってただろ。そいつが五月道の特殊アーツ『ご都合主義』だってさ」

 休憩のあと、緋姫のスペルアーツを澪のビキニスーツにぶつけてみたところ、想像以上の防御値をマークした。残念ながら、使わないわけにはいかない。

 

 

 御神楽緋姫のA隊は今回も北西からアンティノラに突入する。

一階のフロアはなるべく戦闘を避け、次の階へと急いだ。緋姫のスカウト系アーツで正確にマッピングを進めつつ、地下三階へのルートを探す。

「帰りの分の時間も考えておかないとね」

「いざとなったら、ぼくがネメシスで、どこででもゲートを開いてあげるよ」

 リィンは見せつけるように、デュレンに借りたという大鎌を振るった。この『ネメシス』は次元を引き裂き、異なる空間さえ繋ぎあわせることができる。

早い話がテレポートだった。

 しかしカイーナ、もといそれ以上のアンティノラにおいて、テレポートを実行するのはリスクが高すぎる。まったく別の空間に飛ばされ、帰ってこられない可能性もあった。

 リィンと同じく前衛の紫月が、顎に手を添える。

「……おかしいとは思わないか、姫様。アンティノラは全長が十キロだろう? それにしては、小さい気がしてならん」

「あたしも気になってたのよ。体感でいったら、三キロくらいじゃない?」

 地上の物理法則は、地獄の迷宮では通用しなかった。現に二階建ての建物が、六フロアにも及ぶカイーナに変貌した事例もある。

 それでも広いことには変わりなかった。B隊との分担は欠かせない。

 中衛はミユキと凪が務めた。案の定、ミユキは迷宮の探索に飽きている。

「あーあ。アキラくんがいないんじゃ、つまんないなー」

「向こうは向こうで、面白いことになってるみたいだよ。うちの海音がさ、愛煌さんを女の子と勘違いしちゃって、口説いたりしてて」

 そんな海音に真実を教えずにいる凪の性根も、褒められたものではなかった。

 リィンが何気なしに割り込む。

「可愛いんなら男でもいいとか、なったりしない?」

「……………」

 一同は押し黙った。

各々が大変なものを想像してしまったようで、緋姫も顔を顰める。

「あたしの知らない愛煌になっちゃうとこだったわ。そういう冗談はもう禁止、ね」

 凪はリィンのせいにしながら苦笑した。

「キミとヤクモも怪しいけど。オレとしては、ミユキちゃんを応援するかなあ」

「えっ、ほんと?」

 ミユキが愛煌に好意を寄せているのは、通りすがりにも一目瞭然(愛煌の性別を知っていれば)。しかし凪の視線はミユキではなく、緋姫に向かった。

「愛煌さんのあれはさ、結構、ミユキちゃんを意識してると思うんだ。男の子は追いかけるより、追っかけられたい生き物だからさ」

「ナギって、いいやつじゃん! どうせなら、もっとミユキに協力してよー」

「いいよ? そっちのほうが面白そうだし……ねえ? フフフ」

 愛煌に対する嫌がらせか、それとも緋姫に対する妨害か。

 紫月が今になって掘り返す。

「愛煌といえば……鳥居のカイーナで、あいつは何を見たんだろうな」

「その話はやめましょ。あれ、たまに夢に出てくるのよ」

 雑談もそこそこに、緋姫たちはアンティノラの地下三階へと降り立った。侵入者を待ちかねていたかのように、レイの殺気が近づいてくる。

「やるか、リィン」

「プリンセスが分析するの、待ってあげて」

 ところが現れたのは、これまでのレイとは風貌が違いすぎていた。骸骨の人形がカタカタと関節を鳴らしながら、血まみれの曲刀を振りあげる。

「に、人形?」

「惑わされちゃだめだよ、ヒメちゃん! こいつらもレイさ!」

 凪の手裏剣が奇襲を仕掛けた。

 呪いの人形どもは奇怪な動きで、手裏剣をかわしつつ、続々と迫ってくる。それをリィンは大鎌で薙ぎ払い、紫月は刀で斬り捨てた。

「プリンセスには近寄らせないよ!」

「南無三っ!」

 そのはずが、半数は何事もなかったように起きあがり、けたけたと笑う。

 人形はトリッキーな動きで緋姫たちを欺いた。衣装の縞模様も目の錯覚を起こし、前衛の紫月たちから遠近感を奪ったらしい。

「あいつらの足を止めて! あたしのスペルで片付けるわ!」

 緋姫は高威力のスペルアーツを選び、詠唱に入った。紫月やリィン、凪は攻撃の手を休めず、人形の接近を食い止める。

 しかしミユキは鞭を振るうこともせず、両手で頭を抱えた。

「お、お人形さんはだめ……だめなのぉおっ!」

 俄かに錯乱し、緋姫の後ろまでまわり込む。

「どっ、どうしたの、ミユキ?」

「怖い……怖いのが、くるの……!」

 いつもなら喜び勇んでレイを狩る、好戦的なミユキとは思えなかった。

「プリンセス! 早く!」

「え、ええ……みんな離れて! ファイアストーム!」

 とにかくレイの殲滅を急ぎ、緋姫は炎と風の力を混ぜあわせる。分析の通り、人形は木製だったため、いとも簡単に火が燃え移った。

「ウッド・パペットってところね。お疲れ様、紫月、リィン」

「オレも頑張ったんだけどなあ」

 ふざけるだけの余裕が、凪にはある。

 しかしミユキはまだ頭を抱え、蹲っていた。よほど人形が苦手らしい。彼女の同僚で地獄に詳しいリィンが、異様な戦慄の理由を明かす。

「地獄ではね、人形は存在自体がタブーなんだよ。魂が入っちゃうから」

「それだけで、こんなに怖がるわけ?」

「やばいんだよ、人形は。ぼくらが死神になるより前、たったひとりの人間が人形を使って、地獄を滅ぼす寸前まで追い詰めたっていうしね」

 紫月は刀を納め、そっとミユキの肩に触れた。

「デュレンに聞けば、何かわかるかもしれんな。……立てるか?」

「ありがと、シヅキ。みんなもごめん、取り乱しちゃって……もうダイジョブだから」

 ミユキが起きあがり、燃え残った人形の残骸を、鞭で砕く。

「ねー、リィン。もしかすると……」

「かもね。戻ったら、デュレンに報告しよう」

 リィンとミユキは何らかの真相に勘付いていた。

 人形を使って、地獄を滅ぼそうとした……人間? 誰のこと?

 レイの新手が現れないうちに、緋姫たちは先を急ぐ。

「三階も一筋縄ではいきそうにないわね。みんな、慎重に進みましょ」 

 その後も従来のレイに混じって、人形との交戦が幾度となく繰り返された。手強い個体もおり、紫月やリィンが軽傷を負う。

 ヒーラー系のスペルアーツも出番が多くなった。

「じっとしてて、紫月」

「すまんな」

 心なしか、紫月にはいつものような覇気が感じられない。

 アンティノラ攻略のため、比良坂紫月は剣道の大会を辞退した。剣道部は副将に別の実力者を置いて、それなりの好成績を収めている。

 しかし三年生の紫月にとっては、最後の大会。苦々しい結末となってしまった。

 リィンがぽんっと紫月の背中を叩く。

「頑張ろ、シヅキ。前衛のぼくらが倒れたら、ミユキやプリンセスが危ない」

「……ああ。お前の言う通りだ」

 同じ前衛で一緒に戦ううち、紫月とシオンの間には連帯感が芽生えつつあった。しかも以前は緋姫にだけ固執していたリィンが、周囲を思いやるだけの配慮を見せる。

「リィンのくせにミユキを心配するとか、気色悪ぅ……」

 そう言いながら、ミユキは頬を赤らめた。

 それを凪は何やら深読みしている。

「面白いよね、ケイウォルス支部って。こういうとこなら、オレも辞めなかったのに」

 話の流れに乗って、緋姫は凪に探りを入れた。

「精霊協会ってのは、今回の事態をどう認識してるのかしら」

「そりゃ神経質になってるさ。アンティノラ級の迷宮なんて、初めてのことだし」

 凪ははぐらかそうとせず、やけにあっさりと口を開く。

 精霊協会がARCと同様にアンティノラを注視しているのは、間違いなかった。だが緋姫の脳裏には、デュレンに聞いた、ある計画の名が刻み込まれている。

 プロジェクト・エデン。

 地獄に対しての天国……ってことなの?

 治療を終えたところで、司令部から通信が入った。今回は沙耶ではなく哲平が、向こうで大声を張りあげる。

『御神楽さん、愛煌さん! 応答お願いします! し、司令部が!』

 尋常ではない緊迫感が伝わってきた。

緋姫は焦燥感に駆られながらも、インカムを押さえ、問い返す。

「ど、どうしたの? 哲平くん」

『敵が司令部に、いえ……学園が襲撃を……デュレンさんも……閑さんに……』

 緋姫たちの顔に驚愕の波が走った。

 同じ回線にB隊の愛煌が割り込んでくる。

『戻るわよ、緋姫! 全員、ただちに脱出しなさい!』

「わ、わかったわ!」

 緊急事態は唐突にやってきた。だが、アンティノラの地下三階から地上まで戻るには、早くとも三十分は掛かる。

 そうはさせまいと、人形の群れが現れた。紫月は朝霧を抜きつつ、顔を顰める。凪も手裏剣を構えはしたが、重心は後ろに傾いていた。

「どうする、姫様? 相手していてはきりがないぞ」

「オレも同感。あんなのと遊んでる場合じゃないよね、これ」

 リィンが大鎌を振りあげる。

「ネメシスでゲートを開いて、脱出しよう。それが一番早いはずだよ」

「でも……次元の狭間に落ちたりしたら」

 ハイリスクな賭けだった。ネメシスで司令部と空間を直結させれば、時間は数秒と掛からない。しかし失敗すれば、緋姫たちは異次元に放り出されてしまう。

 ミユキはばたばたと両手を振りまわした。

「もーそれでいいじゃん! 地獄に落ちたら、ミユキが案内してあげるからさ!」

「……オッケー。頼んだわよ、リィン。司令部に連れてって!」

 緋姫は覚悟を決め、A隊の命運をリィンに託す。

 リィンは頷くと、大鎌で音もなく空間を引き裂いた。いの一番にミユキが飛び込んで、凪も続く。緋姫は紫月と一緒にゲートへと身を投げた。

「俺に掴まってろ、姫様!」

「ええ!」

 人形が曲刀を投げつけてくると同時に、リィンもゲートに滑り込む。

 いちかばちかのテレポート。暗闇の向こうで光が見えた。

 

 緋姫たちは司令室ではなく、ケイウォルス学園のグラウンドへとなだれ込む。

 リィンはけろっとした顔で起きあがった。

「あ、ごめん。座標がずれたみたいだ」

「冗談じゃないわよ! リィンのアホっ!」

 ひっくり返ったミユキが、顔を真っ赤にして、がなる。

 危なかったようだが、おかげでアンティノラから一瞬のうちに脱出できた。緋姫は紫月や凪とともに背中合わせになって、夜空を見上げる。

 時刻は午後八時半をまわったところ。それにしては、空は異様に黒すぎた。

「あっちだ!」

 凪がグラウンドの一角を指差す。

 そこには哲平と、沙耶までが倒れていた。そのうえデュレンは深手を負い、唇の端から血を流している。

 考えるより先に緋姫は駆けだしていた。リィンとミユキも追ってくる。

「沙耶っ! 哲平くん! 何があったの?」

「デュレン! どうして、あんたが」

 ミユキはデュレンの傍で蹲り、瞳に涙を滲ませた。

「なんで閣下が? 地獄で一番強いのに……誰が、こんなこと」

「ヘヘッ……『光』の力ってのは、今も昔も、おれの一族の弱点だからなァ……」

 血に濡れながらも、デュレンは気丈な笑みを絶やさない。

「見ろ、やつらだ。とんでもねえぞ」

 彼の右手がかろうじて指した屋上には、複数の人影があった。

 大きい影がよっつと、小さい影がひとつ。宙に浮かび、緋姫たちを見下ろす。その一団へと真横から仕掛けたのは、輪と澪のコンビだった。

 しかし攻撃を躊躇したために、容易く撃墜されてしまう。澪を庇う形で、輪は下敷きになって墜落してきた。

「ぐはっ! ……ぶ、無事か? 五月道」

「わたしは大丈夫です。でも……今のはやっぱり、第四のみんな……?」

 敵に違いないらしい『彼女ら』の顔には、緋姫も見覚えがある。

「そんな、嘘でしょ?」

 アンティノラで消息を絶った、第四部隊のメンバー。彼女たちは純白の甲冑をまとっていた。あたかも天使のように翼を広げ、輝きを放つ。

そして四人の守護者に守られているのは、ひとりの少女だった。

「マリアン……」

緋姫は愕然として、少女の名をうわごとのように呟く。

哲平はふらつきながらも、紫月に肩を借りて起きあがった。

「しっかりしろ、周防! どうしたというんだ」

「地下の司令部は壊滅しました……第四部隊が襲ってきて、はあ、マリアンちゃんを連れ去ろうと……デュレンさんは、たった一撃で、あんなふうに……」

 突然の事態におそらく彼も混乱している。

 あとから駆けつけた緋姫には、第四部隊がマリアンをさらったようには見えなかった。むしろマリアンが彼女らを従え、守護者の配置につけている。

マリアンの声が一帯に響き渡った。

「クロード=ニスケイアはどこですか? わたしにアイギスを渡しなさい」

 まるで別人のような言葉遣いで、緋姫たちを圧倒する。

 緋姫の中にあるルイビスの記憶が、『彼女』の名を言い当てた。

「……フィオナ!」

「気付いたようですね、ルイビス。そう……わたしは『ナンバー0』のフィオナ」

 かつて七人の死神をまとめあげ、数々の指令を与えていた、亡国の王女。彼女はマリアンの姿を借りて、この時を待っていたのだろう。

「クロードの妹じゃなかったのね」

 緋姫はこれまでになく怒りを込め、フィオナを睨みあげた。

「はい。この姿はクロード=ニスケイアを導くためのもの……そのために、マリアン=ニスケイアに似せて、この人形……ホムンクルスを作りあげたのです」

 リィンとミユキも武器を構え、上空をねめつける。

「限りなく人間に近い人形……か」

「バッカじゃないの? ちゃんとした身体じゃないと、すぐおかしくなっちゃうのに」

 しかしフィオナは意に介さず、凪を一直線に見下ろした。

「ホムンクルスは精霊協会が研究に研究を重ね、開発したものです。あなたには感謝していますよ、斉賀凪。地獄さえ欺き、わたしを現世に解き放ってくれたのですから」

 疑惑の視線が凪に集中する。

「凪……あなたが?」

 凪は悪びれず、単なる冗談がばれたかのように、肩を竦めた。

「参ったね。でも本当のことさ。オレと海音は研究中だったホムンクルスを持ちだして、あのカイーナに隠した。彼女はクロードの関係者だってことも踏まえて、ね」

 紫月が鬼の形相となって、朝霧を裏切り者に向ける。

「貴様が仕組んだことだというのか!」

「概ね、そうなるかな。オレたちの目的は……彼女の解放さ。でもまさか、オレたちまで彼女の『見てくれ』に騙されていた、なんて」

 緋姫はもうひとりの自分、ルイビスとなって、かつての主人に問いかけた。

「見えてきたぞ、プロジェクト・エデンの全容がな。穢れなき魂のための楽園……罪人の魂を切り捨て、この世の理を捻じ曲げるつもりか、フィオナ」

「捻じ曲げるのではありません、正すのです。このマリアンを『神』として」

 守護者のひとりが前に出て、剣を掲げる。

 輪と澪が声を荒らげた。

「やめろ、閑っ! 黒江も沙織も、優希も、何してんだ! 閑を止めてくれっ!」

「聞こえないんですか、閑さん! わたしです、五月道澪です!」

 だが一之瀬閑の瞳には、輪も澪も映らない。膨大なエネルギーを剣に集めながら、グラウンドの緋姫たちを、単に攻撃対象として見下ろす。

 デュレンが血を吐いてなお、叫んだ。

「ただの剣じゃねえ……鋼の精霊エクスカリバーだ! てめえら、逃げろ!」

 一之瀬閑が渾身の力を込め、エクスカリバーを振りおろす。

「ファイナル・グランドクロス!」

 運動場に十字の亀裂が走った。誰も彼も、防御も回避も間に合わない。

「リィン! ゲートを……」

「無理だ、プリンセス! ぼくらは……」

 無数の稲妻が直撃したかのような衝撃だった。爆風が広がり、学園の外壁を、あたかも積み木のごとく砕いてしまう。

 もうもうと黒い煙が立ち込めた。月も星も隠れ、グラウンドは闇に包まれる。

「う……あ、あたしたち……?」

 にもかかわず、緋姫にダメージはなかった。紫月やリィン、ミユキも直撃は免れたようで、裾が焦げる程度で済む。

「こいつは……クロードが来たのか?」

「違うみたいだね。あいつらだ」

 前方で仁王立ちになっているのは、凪と海音だった。愛煌のB隊も今しがた戻ってきたようで、第六と第十三のイレイザーが全員、集結する。

「そっちは随分と早いじゃないの、緋姫!」

「リィンのネメシスで……それより、凪たちは?」

 凪も海音も傷だらけで、見るからに満身創痍だった。一之瀬閑のファイナル・グランドクロスを防いだのは、彼ららしい。

「はぁ、はあ……『光』の力は、そっちの専売特許じゃ、ないんだよ?」

「つ、次はねえぞ? 悪ぃ、凪……おれは限界だぁ……」

 海音は仰向けに倒れ、凪も膝をついた。

「凪くん! 海音くん!」

 まだ戦える緋姫、愛煌、紫月の三人は武器を構え、上空のフィオナを見据える。

「こっちからも攻めるわよ! もう一回撃たれたら、おしまいだわ」

 しかしクロードだけは妹の姿に困惑し、たじろいだ。

「なぜマリアンが……これは一体?」

「しっかりして、クロード! アイギスを張って!」

 見目姿は彼の妹そのものであっても、マリアンは守護者らを率い、緋姫たちに猛烈な攻撃さえ仕掛けている。あとから来たヤクモやシオンも、敵の正体に戸惑った。

「……あれ、クロードの妹?」

「何がどうなってんだよ? 閣下までやられちゃってるしさ」

 輪はブロードソードを構え、澪はスペルアーツの詠唱に力を込める。

「オレにもわけがわからないんだ。いきなり閑たちがやってきて……マリアンがあんなふうになっちまってさ」

「せっかく特訓したのに、相手が閑さんたちじゃ」

 一方、フィオナは守護者に迎撃の体勢も取らせなかった。

「アルテミスで一之瀬閑を貫けますか?」

 守護者は第四部隊のメンバーであるために、愛煌も紫月も躊躇する。

「どこにいるのかと思えば、あんなやつの言いなりになってるなんて……あいつはマリアンじゃないんでしょ? だったら、どこのどいつなのよっ!」

「俺にもよくわからんが、フィオナとかいう女らしいぞ」

 再び閑がエクスカリバーを振りあげた。

 それを制しつつ、フィオナがある交換条件を投げかけてくる。

「クロードをこちらに渡してください。でしたら、この場は見逃しましょう」

 クロードの横顔が強張った。

「……僕、が?」

「迷うことはありません。わたしの目的は、魂の楽園を作ること。あなたはマリアンの兄として、安らぎを得ることでしょう……」

 緋姫も紫月も必死になって、声を枯れそうなほどに荒らげる。

「騙されないで、クロード!」

「そうだ! あれがお前の妹であるものか!」

 クロードは前に歩み出たものの、思い留まるようにあとずさった。

「ぼ、僕は、でも……」

 彼がフィオナに従ったとしても、相手がエクスカリバーをさげる保証はない。しかし何より、クロードが騙されるのを、傍観してなどいられなかった。

「クロード、アイギスを! あなたの盾なら対抗できる!」

「気をしっかり持たんか! あれはもう、お前の妹じゃないんだっ!」

 聡明な彼もおそらくわかっている。だが、次第にクロードの足は前へと進んだ。

 幼い頃に失った、妹のもとへと。

「僕がそっちに行けば、お姫様たちには危害を加えない。そうだな、マリアン」

「約束しましょう。エデンの御名のもとに」

 クロードの心の隙を巧みに突く、フィオナの卑怯なやり方が憎らしい。緋姫は右手にも左手にも魔力を込め、神気取りの少女を睨みあげた。

「フィオナ、あなたはっ!」

 しかし右手は輪が、左手には澪がしがみついて、離れない。

「落ち着け、御神楽! お前がやったら、閑たちまで吹き飛んじまうだろーが!」

「抑えてください! お願いします!」

 クロードは最後に振り向き、儚い笑みを浮かべた。

「リィン、紫月、お姫様を頼んだよ。僕は……マリアンを守りたいんだ」

 フィオナの手に導かれるまま、彼の身体が浮きあがっていく。

 紫月が叫んだ。

「クロードッ! この馬鹿者が!」

「だめよ! フィナオが欲しがってるのはあなたじゃない、アイギスなの!」

 緋姫の悲痛な声も、クロードには届かない。

 フィオナはクロードの手を取ることで、アイギスを手中に収めた。完全無欠を誇る無敵の盾が、フィオナたちを包み込む。

「これよりプロジェクト・エデンは最終段階に入ります」

 それどころかアイギスは、遥か上空で水平に広がった。数多の雲を分断し、地平線の先まで、全方位に伸びていく。

 かくして天と地は分かたれた。クロードのアイギスによって。

「マリ、ア……ン……」

 妹の腕の中で、クロードはこと切れるように気を失った。

「目を覚ましなさい、クロード!」

 愛煌がアルテミスを放つも、堅固なアイギスに阻まれ、フィオナには届かない。

「手を貸してくれ、ミユキ! 俺ももう我慢ならん!」

「う、うん! ここに乗って!」

紫月はミユキの、ケルベロスの鞭を弓の弦のように使って、自らを夜空へと放った。全身全霊の力をまとった朝霧が、アイギスの表面を斬りつける。

だが勝ったのはアイギスだった。朝霧は呆気なく折れ、紫月も墜落する。

「クロードーーーッ!」

 そんな……クロードと戦うなんてこと……。

 もはや緋姫は戦意を喪失していた。たとえ最大火力のオーバードライブを放ったとしても、アイギスを破ることはできない。

 震えるしかない緋姫を、リィンがそっと抱き寄せる。

「これがきみの答えだっていうのかい? クロード……プリンセスを頼む、だって?」

「クロード……」

 プロジェクト・エデンは全貌を露わにしつつ、目的を成し遂げようとしていた。

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