傲慢なウィザード #2

ACT.06 来訪者

 地獄の城で、彼は面白い話を聞いた。

「人間の女の子は恋をする?」

 話し相手の人形がきりきりと音を立て、瞳のパーツを転がす。

「そうじゃ。今では『大罪少女』などと呼ばれておるが、アンジュも、カエデも、ここで素敵な恋をしての。幸せになりおった」

「へえ……」

 彼は地獄に落ち、望んでもいない『死神』にされてしまった。罪人の魂を狩るという憂鬱な日々が、緩慢な苦痛となって、自分の首を絞めつつある。

 そんな状況に嫌気が差して、相談に来たところ、耳年増な人形は教えてくれた。

「おぬしも恋をすることじゃな」

 恋というやつをして、人間の女性と結婚すれば、幸せになれるらしい。

 およそ男性向けではないラブストーリーにも、彼は真剣に耳を傾けた。どこかにヒントがあるはずで、自分が幸せになるための手がかりを探す。

「……さて、そろそろお開きにしようかの。リィン、またな」

 長話が好きな人形も、やがて帰ってしまった。

 地獄の夜空を見上げ、青年はぽつりと呟く。

「人間の女の子と、恋……か」

 まだ相手さえいない片想いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 新しい春が来た。

 ケイウォルス高等学園の二年生になって、早一週間。親友(という建前の天使)とも同じ一組となり、幸先がよい。

 先週までは桜色だった並木道を、御神楽緋姫は早足で抜けた。

 先月の下旬まで冬の寒さが続いていたのが、嘘のように暖かい。陽も長くなり、午後の五時を過ぎても、空は青々と澄み渡っていた。

ミーティングで遅くなっちゃったわね。

 緋姫の所属している水泳部は、夏になるまで、体力作りがメインとなる。去年のうちはさぼり倒したものの、年が明ける前後から、積極的に顔を出すようになった。

 体力には自信がある。学業成績も常に上位にランクイン。

 ただし水泳部のくせに泳ぐのは大の苦手だったり、破壊的な音痴だったりした。どうも自分には残念な部分もたくさんあるらしい。

 異様に伸びやすい髪はボブカットで切り揃え、機能性を優先している。

 学園指定のブレザーには必ず黒のストッキングを合わせた。白よりは黒のほうが自分のイメージにしっくりくるようで、下僕(という建前の男友達)からの評価は高い。

 ケイウォルス高等学園の二年一組、御神楽緋姫。

 彼女は腕時計で現在時刻を確認しつつ、東西線の駅へと急いだ。

 ところが、不意に誰かの視線を感じる。それは決して気のせいではなく、いくつもの修羅場をくぐってきた、緋姫の闘争本能が敏感に嗅ぎ取った『殺気』だった。

「……誰なの?」

 緋姫はレンタルショップの前で立ち止まり、空を見上げる。

ビルの壁面には小さな人影が立っていた。垂直にもかかわらず、本来の重力を無視し、平然と『歩いて』降りてくる。

「気配は消してたつもりなんだけどなァ」

 小学生の男子にしては、ませた印象だが、中学生にしても背が低い。

「お姉さんがミカグラヒメ、だろ? ちょっとボクと遊んでよ」

「あたしと?」

 緋姫は構えもせず、しれっと肩を竦めた。

「悪いけど、お姉さんは忙しいの。あなたもさっさとお家に帰りなさい」

「へえ……ボクを見ても、あんま驚かないんだね」

 少年が幼い顔に酷薄そうな笑みを浮かべる。

 その唇が緋姫の素性を囁いた。

「知ってるよ? お姉さん、あのプロジェクト・アークトゥルスのロストナンバーってやつなんだってね。廃棄されたってことは、失敗作だったんでしょ?」

「あなた、どうしてそのこと……くっ!」

 緋姫に目掛けて、球体が高速で落下してくる。間一髪、真横に跳んで避けると、それは燕のような軌道で上空へと返っていった。

「自己紹介がまだだったっけ。ボクはシオン=チコリス。閣下の命令でね、お姉さんの実力を試しに来たのさ!」

 球体がふたつ、みっつと数を増やし、彼の周りを旋回する。

「アーツの力……あなたもイレイザーなのね!」

「ご名答、マジシャンのお姉さん!」

 緋姫は近辺に人気がないのを確認しつつ、身を隠せる路地へと駆け込んだ。

 あの子は多分、スカウト系のイレイザーだわ。

 後衛タイプのイレイザーには、ヒーラー、マジシャン、スカウトの三種類が存在する。スカウト系は浮遊したり、罠を解除するなど、支援的な役割を担うことが多かった。

反面、戦闘時の火力は低い傾向にある。しかしシオンの放つ球体は、おそらく鋼鉄並みの硬さを持ちながら、猛スピードで緋姫を追跡してきた。

「隠れたって無駄だよ。そこでしょ!」

 シオンの目元に半透明のバイザーが現れ、数列を走らせる。

 球体は物理法則を無視し、直角にさえ曲がった。次の通りへと出た緋姫に、同時に三方向から襲い掛かる。遠隔操作、らしい。

「あなた、アーツのセーフティーはどうしたのよ!」

「さあ? そんなことより、今はそいつをどうするか、じゃねーの?」

 緋姫は路上駐車の陰へと転がり込んで、球体を回避した。そのひとつが車のボディを一撃で粉砕し、無残なスクラップにしてしまう。

「ほらほら! ボクの『ビャッコ』からは逃げられないぞー?」

 スカウト系のアーツには、敵や味方の位置を把握したり、加速をつけるものがあった。それらを併用し、上手く攻撃に転用しているだろう。

「……あぁ、そういうことか」

 手品の種に予想がつく。緋姫はさして焦ることなく、鞄を投げ捨てた。

「誰でもいいわ。そうね、じゃあ輪のデータで……」

 自分の身体にアーツの力を反映させつつ、逃げる方向を変える。

 すると、球体はまるで緋姫を見失ったかのように直進した。落ちている鞄の周囲でまごついて、混乱ぶりを見せる。

「あ、あれ……?」

 垂直の壁に立ちながら、シオンは目を点にした。武器に指示を与えようと、右手を振りあげるが、球体は緋姫の追跡を再開しない。

 緋姫はにんまりと唇を曲げた。

「一時的にあたしのデータを『御神楽緋姫』じゃなくしたのよ。どうかしら?」

「へえ……やるじゃん」

 しかし少年はまだ余裕を崩さない。

「でも、ボクの手はそれだけじゃないよ。次は……」

「次はこっちの番でしょ、ボ、ク?」

 緋姫の右手が人差し指から一本ずつ、指を立てた。一本目はファイアボルト、二本目はアイスボルト、そして三本目はサンダーボルトのエネルギーを作り出す。

 調子に乗っていた少年が、俄かに顔を強張らせた。

「え……ど、同時詠唱?」

「えぇと確か、あなたがさっきやってたのは、こういう構成で……」

 三種類のボルトが緋姫の指先を離れ、シオンに狙いをつける。

 ファイアボルトがビルの壁面を駆けあがり、それをサンダーボルトが追いあげた。アイスボルトは少し遅れて、標的との距離を詰める。

「げえっ? あんた、ボクの真似を?」

「やってみれば、簡単じゃないの」

「いやいやいや、おかしいだろ! あんたはマジシャンじゃんかっ!」

 マジシャンがスカウト系のアーツを使えるはずがなかった。しかも緋姫は、三種類のボルトに加え、シオンを追跡するためのスカウト系アーツまで同時に操っている。

「ほらほら、早くお家に帰らないと」

「家までついてくるだろ、これ! こんなの聞いてないって!」

 シオンは慌てふためき、屋上へと逃げ込んだ。そこに三色のボルトも飛んでいく。

「ぎゃ~~~っ!」

 おそらく命中した。

緋姫はもう一度、誰も見ていないのを確かめてから、浮遊のアーツで屋上まであがる。そこではさっきの少年が、左足を氷漬けにされたうえ、右手に火傷を負っていた。

「ごめん、ごめん。ちょっとやりすぎちゃったわね」

「ひっ? く、来るな! 来るなって!」

 身動きできない彼に近づき、緋姫は優しく手を添える。

 治療のアーツを発動させると、火傷はみるみる形を失っていった。シオンがきょとんとして、反抗をやめる。

「ヒーラーのスペルアーツまで? あ、あんた、一体……」

「あたしの生い立ちは知ってるくせに、そこは知らないわけ?」

 左足の氷のほうは、威力を弱めたファイアボルトで溶かしてやった。

 スペルアーツにはヒーラー系、マジシャン系、スカウト系の三種類があり、通常はそのうちのひとつしか扱えない。現にこの少年にも、炎や氷を生み出すマジシャン系のアーツは、一切使えないようだった。

ところが、すべてを自在に操る規格外も存在する。その名こそ。

「だって、あんたはマジシャン……」

「手品師と一緒にしないで。あたしは『ウィザード』よ」

 御神楽緋姫は勝気に微笑んだ。

 

 

 翌日の放課後、シオンは約束通りケイウォルス高等学園に現れた。

「……来てやったぜ、ヒメ姉」

 廊下でばったりと出くわし、緋姫は目を丸くする。

「ヒメ姉って、もしかして、あたしのこと?」

「それでいいじゃん。ミカグラ……って、言いにくいし」

 昨日の件が応えているのか、少年の表情はあからさまに不満を浮かべていた。

 その一方で、緋姫は気分をよくする。下僕の男どもときたら、緋姫のことを『お姫様』だのと、持ちあげ方が半端ではないせいだった。

「いいわね、ヒメ姉っていうの。なんなら、あたしの弟になる?」

「嫌だよ。……で? どこに行くのさ。まさかここで、ってわけじゃないんだろ?」

 やたらと生意気なのも、許容してやろうという気になる。

「ついてきて。なるべく静かにね」

 緋姫はシオンを連れ、エレベーターに乗り込んだ。

 端末に生徒証を重ねると、エレベーターが、表示にはない『地下』へと降りる。間もなく終点に着き、扉が左右均等に開いた。

 シオンがつぶらな瞳を瞬かせる。

「ふぅん……ここがあんたらのベース、かあ」

 そこには『ARC』のケイウォルス司令部が秘密裏に存在していた。一面にモニターが並び、オペレーターがノンストップでキーボードを叩いている。

 この近辺のイレイザーは、ここを拠点とし、活動していた。しかし学園の生徒は、この事実を噂程度にしか知らない。

金髪の青年が膝をつき、丁重に緋姫を迎えた。

「ごきげんよう、お姫様。お茶の準備ならできているよ、いかがかな」

「……はあ。いただくわ」

 頭が痛くなってくる。

 御神楽緋姫の第一下僕を自称するのは、三年四組のクロード=ニスケイア。大貴族の嫡子にして、甘いフェイスの持ち主であり、憧れる女子は多い。

 おかげで、御神楽緋姫が目の敵にされることもあった。何しろ学園一ともされる美男子が、緋姫の前でだけ跪くのだから、噂にもなる。

「寂しいよ。僕が三年になってから、まだ一度もデートしてないじゃないか」

「あなたが三年生になって、まだ一週間だし、あたしとあなたは別にデートなんてする関係じゃないでしょっ? まったく……」

 クロードは前髪をかきあげ、やにさがった。

「つれないねえ。まあ、そこがお姫様の魅力なんだけどさ」

「それくらいにしておけ、クロード。客がいるんだ」

 ミーティング用のデスクでは、別の三年生がひとりで将棋を指している。

 不愛想な印象の彼は、比良坂紫月。しかし見た目ほど冷たいわけではなく、寡黙なほうだが、情にあつい。クロードと同じ三年四組であり、剣道部の副主将として、その実力も今や皆が知るところとなっていた。

「……そっちのが例の少年か? 姫様」

 ところが第二下僕を自負する彼もまた、緋姫のことを『姫様』などと呼ぶ。おかげで、特に剣道部の女子部員から、緋姫が警戒される羽目にもなった。

 シオンが意地悪そうににやつく。

「なんだよ、あんた、オヒメサマなんてふうに呼ばれんの? ひひひ」

「うるさいわね」

 緋姫はげんなりとしつつ、空いた椅子に腰掛けた。

 クロードのことも、紫月のことも、頼りにはしている。しかし世間からずれたところがあり、緋姫まで巻き込まれるのが、恒例のパターンだった。

 とはいえ、クロードや紫月はまだよい。もっと面倒な『男子』が、ここにはいる。

 まともな男子であるオペレーターの周防哲平は、暢気にお菓子を齧っていた。

「ねえ、哲平くん。……愛煌は?」

「じきに来ると思いますよ。生徒会の活動は、今日はないはずですし」

 しばらくして、エレベーターが降りてくる。

 現れたのは、可憐な美少女。ロングヘアが麗しい波を打つ。

「もう集まってたの? あなたたち」

 立ち居振る舞いは凛として、その指先まで、奥ゆかしい品性が感じられた。

「あぁ、緋姫? どうして生徒会に入らないのよ。どうせ水泳部は夏だけでしょ」

 以前は緋姫のことを『御神楽』と呼んでいたのが、今では『緋姫』に落ち着いている。しかし上から目線の呼び捨ては相変わらずで、居丈高だった。

 緋姫にとっては、誰よりも苦手な相手。

「あたしが生徒会やるような優等生に、見える?」

「成績だけなら、ね」

 生徒会長の愛煌=J=コートナーは、モニターの情報を一瞥し、眉を顰めた。

「街のほうに異変はないみたいだけど……そっちの子どもがそうなの?」

 名案でも閃いたのか、シオンが一瞬、笑みを含める。

 少年は愛煌の後ろにまわって、緋姫から距離を取ろうとした。演技にしては巧みに涙を浮かべ、愛煌をまじまじと見上げる。

「ボク、あのお姉さんに、無理やり連れてこられたんですぅ……」

 いかにも女性が弱そうな、愛らしい言動だった。それが計算によるものとわかっていても、怒る気になれない。だが、愛煌に通用するかは、また別のこと。

「相手が悪すぎるわよ、シオン。そのお姉さん、本当は『お兄さん』だから」

「……へ?」

 シオンがぎょっとして、愛煌の美麗な容姿に目を見張る。

「そんなわけないじゃん。こんなキレイなひとが、さ」

 疑うことをしない年下の『同性』に抱きつかれ、愛煌は辟易とした。

「あなた、ちょっとこっちに来なさい」

「ん? どしたの、お姉さん」

 少年を連れ、しばらく席を外す。それから一分もしないうちに、悲鳴が聞こえた。

「ぎゃあああああっ! ななっ、なんで? オカマかよ、あんたっ!」

「残念だったわね。お姉さんに甘えたいんなら、ほかになさい」

 戻ってきたシオンは、青ざめ、今度こそ本物の涙を浮かべている。

「バケモノ女の次はカマ男だなんて……」

「……バケモノって、あたし?」

 それでも、少年に反省の色は見られなかった。

 気持ちはわかるけどね。あたしもびっくりしちゃったもの。

 愛煌のようなレベルの女装を『男の娘』というらしい。腹立たしいことに、御神楽緋姫よりも華やかで、煌びやかで、本当の性別を知らない男子は簡単に恋に落ちた。

 緋姫にとってはファーストキスの相手でもある。

 返して欲しいわ、ほんと……。

 間違っても、愛しあって唇を重ねたのではない。強引に奪われた。

 なのに、愛煌のほうにそれを意識する素振りはない。

「哲平は生徒会、手伝う気ないかしら。人手が足りないのよ」

「考えさせてください。なんか、クラスのほうで委員の仕事もまわってきそうで……」

 緋姫は溜息を落としつつ、紫月のひとり将棋に乱入した。

「忙しそうね、みんな」

「学年が上がったばかりだしな。剣道部も、新入生の獲得でばたばたしてるぞ」

「水泳部もそんな感じ。……クロードの演奏部は?」

「あー、今思い出したよ。演奏部だったね、僕」

 クロードたちと近況を報告しあっていると、愛煌がぱんっと手を鳴らす。

「井戸端会議はあとよ、あと。この子について話があるんでしょ?」

 一同はミーティング用の席につき、改めてシオンを迎えた。

「もう帰りたいんだけど、ボク」

「ちょっとは我慢してったら。えぇと……」

 ふてくされる彼を宥めつつ、緋姫から切り出す。

「この子の名前はシオン=チコリス。昨日の帰り、いきなりあたしを襲ってきたのよ。それもアーツで、ね」

 紫月は腕組みを深め、そっぽを向いている少年を、じろりと見据えた。

「セーフティーはどうしたんだ?」

「シオンのアーツには、まだついてないみたいなの」

 イレイザーが地獄の迷宮で魔物と戦うための力が、アーツ。街中などで発動させてしまわないように、アーツには平常時、セーフティー・ロックがかかっている。

 だがセーフティーを解除したところで、アーツを私利私欲や暴力行為のために使うことは、不可能だった。

アーツには『犯罪には使えない』という絶対の不文律が存在する。

 ところがシオンのアーツは、迷宮の外で、しかも『御神楽緋姫を襲うため』に発動してしまった。この少年にさして邪念は感じられないものの、見過ごせることではない。

「お姫様のアーツと同じ、いわくつき、ってことかい?」

「わからないわ。でも、この子……プロジェクト・アークトゥルスのことまで知ってたのよ。あたしがロストナンバーだってことも」

「……なんですって?」

 かつて、不文律を解明し、アーツを軍事転用しようとする計画もあった。それは失敗に終わり、アーツは依然として『魔物と戦うためだけの力』となっている。

 愛煌は肩にかかったロングヘアをかきあげ、首を傾げた。

「まあ……セーフティーは以前のプロテクトほど強固じゃないし、外すのは難しいことではないから、それはいいわ。アーツで他人を攻撃できたってことのほうが、問題ね」

「でも、たまにトレーニングで、アーツでやりあったりしてない?」

「あれは出力を抑えて、訓練用に調整してあるから。形だけで、威力は皆無」

 クロードは難しく考えていないようで、声も軽い。

「そもそもトレーニングは『犯罪』じゃないだろうからねえ」

「もしや、『決闘』であれば許されるということか? ……まさかな」

 紫月の発想には、一同が溜息を揃えた。

 オペレーターの哲平が、ノートパソコンの画面を眼鏡に映す。

「待ってください。セーフティーについては、ちょっと気になることがあるんです。自宅でうっかり発動した、なんて報告が、先週もいくつか……」

「単にロックをかけ忘れただけ、じゃないかな」

 クロードは冗談のようにてのひらをひっくり返した。

 一方、紫月は険しい表情のまま、腕組みを解こうとしない。

「迷宮に入ればひとりでに解除され、外に出たら自動でロックが掛かるのだろう? 手動で切り替えでもせん限り、ミスは起こりえんように思うが」

「そのはず、よね」

 緋姫たちの視線が少年に集中した。シオンは腕枕のポーズで身体を反らす。

「言っとくけど、ボクのアーツにも、セーフティーってやつはついてると思うよ。ARCと同じ調整のはずだからさぁ。つまり、アーツが発動するのは……」

 突然、警報がけたたましく鳴り響いた。

「な、なんなのっ?」

 哲平がモニター前の指定席へと戻り、高速でキーボードを叩く。

「……えっ? そんな、これは一体……」

「どうしたの、哲平くん」

 胸騒ぎがした。緋姫たちの知らないところで、何かが始まっているのかもしれない。

「レイです! カイーナじゃありません、ま、街にレイが出現したようです!」

 一同に驚きの波が走った。愛煌も哲平の肩越しにモニターを覗き込む。

「近くのカイーナから出てきた個体じゃないの?」

「その痕跡が見当たらないんですよ。迷宮で出てくるみたいに、急に湧いてきたとしか」

緋姫はすっくと立ちあがり、第六部隊のメンバーに指示を飛ばした。

「ここから近いわ。すぐに行くわよ!」

「仰せのままに、お姫様」

 クロードが席を立ち、了解の会釈を振舞う。

 司令部を出るついでに、紫月はシオンの手を引いた。

「お前も来い。まだ話は終わってないからな」

「捕まえてなくったって、逃げやしないって。あんたらの実力も見ておきたいしさ」

 ケイウォルス司令部の指揮官であるはずの愛煌だけ、出遅れる。

「ちょっと、緋姫? 待ちなさいったら!」

「あなたは来なくていいわよ。ここで指揮に当たってて」

「まったくもう……向こうに着いたら、ちゃんと回線を開きなさい」

 緋姫の予感は確信に変わりつつあった。

 新しい戦いが始まる。

 

 問題の現場は東西線の中継点だった。ケイウォルス高等学園から最寄りの駅であって、逃げ惑う民間人には、学園の生徒も多い。一抹の不安が緋姫の脳裏をよぎる。

まさか、沙耶が巻き込まれてるなんてこと……。

 緋姫たちはARCの専用車両で駅へと突入した。すでに協力体制にある警察が、バリケードを敷き、民間人を遠ざけている。

「ARCの第六部隊よ。通してもらうわ」

 緋姫は彼らにイレイザーの手帳を見せつけ、駅の構内へと入った。クロードと紫月、それから今日は愛煌の代わりにシオンが追ってくる。

「あー、やべ。ゲーム機持ってるんだった」

 シオンがポケットの中身を、通り掛かったロッカーの中に放り込む。『レイ』に近づいたことで、電子機器は誤動作を起こしつつあった。緋姫の携帯もブラックアウトする。

「おっと、ここはカイーナじゃなかったわね。今、セーフティーを……」

「その必要はなさそうだぞ、姫様」

 紫月は緋姫より前に出て、スキルアーツ『朝霧』を実体化させた。薄白い霧をまとった刀が、ぎらりと鋭利な光を弾く。

 クロードも片手で無敵の盾『アイギス』を張った。

どちらのスキルアーツも百パーセントの性能を発揮している。

「……どういうことだい? これじゃ、カイーナの中と変わらないじゃないか」

「簡単なことだよ。この街はカイーナに『落ちかけてる』んだからさ」

 シオンがしれっと答えた。

 カイーナとは、地獄の迷宮のこと。大抵はビルなどの建物が、複雑怪奇な迷路と化し、そこに『レイ』という化け物を放つ。

 カイーナの中であれば、セーフティーが自動で解除され、イレイザーは敵と戦えるようになっていた。ところが今はカイーナの外にいるにもかかわらず、クロードたちのアーツのセーフティーは、どうやら機能していない。

「とにかく敵を片付けるのが先よ。ちょっと待ってて」

 緋姫はマジシャン系と同等に得意とする、スカウト系のスペルアーツで、ケイウォルス司令部の愛煌とコンタクトを取った。

「着いたわよ、愛煌」

『さすがに早いわね。こっちで確認した限りでは、敵は一体だけよ。ただし、それなりの大型だから、充分に注意なさい。まずは要救助者の捜索を急いで』

「オッケー。聞いた通りよ、シオン」

 切迫する緋姫たちとは対照的に、シオンは渋々といった調子でぼやく。彼もまたスカウト系のアーツを用いて、駅構内に検索を掛けた。

「はいはい……っと、東口のほうに何人か残ってるなあ」

「こっちからだと、逆じゃないの。交戦は避けられそうにないわね……」

 もどかしさに緋姫は眉を曲げ、小さく舌打ちする。

 どのような相手であれ、負ける気はなかった。しかしここは街のど真中で、どこの誰が見ているとも知れない。クラスメートにでも見られたら、ややこしくなる。

 それでも進まないわけにもいかず、緋姫たちは駅のホームを駆け抜けた。前衛の紫月とクロードがほぼ同時にブレーキを掛け、線路上の巨影を睨みつける。

「……あいつか!」

「こいつは、また……悪趣味だねえ」

 電車にしては高さのないそれは、赤黒い巨大なムカデだった。大抵の化け物には免疫のある緋姫でも、露骨に顔を顰め、舌を吐きたくなる。

「もっとこう、見た目にも気を遣ってもらえないものかしら」

 クロードも直視したくないのか、顔を背けた。

「同感だよ、お姫様。僕もあれは御免だ」

「そうか? うちの道場だと、夏場によく出るぞ」

 紫月だけは平然として、朝霧を奇襲向けの下段に構える。

「片付けてしまうか? 姫様」

 敵はまだこちらの接近に気付いていないようだった。カイーナのフロアマスターのように、知能が高い個体ではないらしい。

 緋姫はちらりとシオンを見て、少し決めあぐねる。

 この子を連れてきたのは失敗だったかも……。

 もしシオンが『敵』なら、戦闘中に背後から刺される可能性もあった。とはいえ当の本人は、両腕を頭の後ろにまわし、戦いには加わろうとしない。

「そんな警戒しなくても、何もしないって」

「……わかったわ。信じてあげる」

 緋姫はヘアピンを拳銃『アーロンダイト』に変えた。

「紫月は頭のほうから攻めて! あたしとクロードは、尻尾から削るわ!」

「心得た! 行くぞ!」

 紫月がひとりで先行しつつ、魔物の前方へとまわり込む。刀が一閃を放ち、ムカデの足を何本もまとめて斬り飛ばした。

 ムカデがのたうちまわって、ホームに縦長の胴体をぶつける。

「これは終日運休だね。帰りは送っていくよ、お姫様」

「そうさせてもらうわ。今日だけ、ね!」

緋姫たちのほうは尻尾を叩きつけられそうになったものの、クロードの盾、アイギスが難なく防いだ。お返しに緋姫は両手をクロスさせ、その交差点からアーツを放つ。

「ウインドカッター!」

 風の刃が、ムカデのうねる胴体をなぞった。無数の足が千切れ飛ぶ。

 しかし紫月の朝霧が頭部を両断しようと、緋姫のアーツが火を放とうと、魔物はまだ不気味に蠢いていた。緑色の血液は強力な酸らしく、線路が溶ける。

 開きっ放しの回線にシオンの声が割り込んできた。

『ヒメ姉! 真中のほうにさ、色の違うとこあるじゃん?』

「なるほどね。助かったわ、シオン」

 ウィークポイントを探そうとしていた緋姫は、即座に攻撃系のアーツに切り替える。

 一発のサンダーボルトがムカデを追い抜くように飛んだ。

「行ったわよ、紫月! そいつをぶち込んでっ!」

「任せておけ!」

 そのサンダーボルトを、紫月の朝霧が受け止め、刀身に青白い雷光を宿す。

 紫月はムカデの背を駆けあがり、ウィークポイントへと迫った。刀を逆手に持ち替え、魔物の急所を貫く。雷撃は内部へと伝わり、スパークした。

 巨大なムカデが全身で煙を噴きながら、ようやく絶命する。おぞましい姿は幻だったかのように消え、異臭もやがて薄れていった。

 クロードがアイギスの防御を解く。

「図体の割に呆気なかったね。でも、お姫様、どうして紫月に任せたんだい?」

「あたしのアーツじゃ威力が大きすぎて、駅まで滅茶苦茶になっちゃうもの。紫月に一点集中で決めてもらうほうが、被害も少ないってわけ」

「あぁ、そうか。カイーナじゃないもんねえ」

 紫月も朝霧を納め、戻ってきた。

「とりあえず、勝つには勝ったが……まさか、こんな街中で出現するとは」

「だから、さっきも言っただろ? このあたりは全部、カイーナになってきてるって」

 観戦していただけのシオンが、意味深ににやつく。

 彼の目元にはスペルアーツによるバイザーが浮かびあがっていた。これで緋姫たちの戦力を分析していたらしい。

 少年はまず、長身の紫月を挑発的に見上げた。

「ヒラサカシヅキ、ARCケイウォルス司令部の第六部隊に所属。スキルアーツは刀の朝霧。攻撃を専門とし、その速さにおいては、ほかの追随を許さない……って感じかな」

 次に彼の視線はクロードに向かう。

「クロード=ニスケイア。同じく第六部隊に所属。スキルアーツのアイギスによって、絶対無敵の防御力を誇る。攻撃も可能だが、編成上、その必要がない」

 最後にシオンは緋姫を見詰め、にんまりと笑った。

「そして……第六部隊の隊長、ミカグラヒメ。あんただけは規格外みたいだね。ありとあらゆるスペルアーツを使い、同時詠唱までこなす。スキルアーツの拳銃……アーロンダイトだっけ? そいつは護身用だろうけど」

「ふぅん。ただ眺めてただけってわけじゃ、なかったのね」

 緋姫の人差し指がシオンの額を小突く。

 ここでデータを取りあげることもできたが、少し調べれば、誰でも掴める程度のものでしかなかった。しばらく好きにさせて、様子を見ることにする。

「ヒメ姉の強さはちょっと反則だけど、これなら、ボクの隊のほうが強いよ」

「……ほう? そいつは面白いな」

 少年の小粋な挑発を、紫月は一笑に付した。

「お前にも仲間がいるのか」

「まーね。第十三部隊として、来週からケイウォルス司令部に入るのさ」

 どうやら相当、自信のある面子らしい。

 緋姫はシオンに対する警戒をやめ、はにかんだ。

「要救助者だけ拾ったら、帰りましょ。長居は無用だわ」

「おっと、そうだね。まだ任務の途中だった」

 クロードと紫月も続く。

 その最後尾で、シオンはぽつりと呟いた。

「ウィザードのミカグラヒメ、か。こいつは面白くなってきたかも」

 

 駅を出たところで、一番の大親友に迎えられる。

「緋姫さん! お怪我はありませんか?」

「沙耶? 来てたのっ?」

 九条沙耶は緋姫を見つけるや、柔和な笑みを弾ませた。

 同じプロジェクト・アークトゥルスの生き残りであって、現在は緋姫と一緒に住んでいる。去年は彼女を巡って、大きな戦いもあったが、近頃は平和なものだった。

「電車で帰ろうとしたら、こんなことになって……緋姫さんが来ると思って、待ってたんですよ。クロードさんと紫月さんも、大丈夫ですか?」

 クロードは愛想のよい面持ちで応え、紫月も少しは仏頂面を緩めた。

「春休みに会って以来だね、レディー。お姫様と同じクラスになったんだって?」

「ということは、周防とも一緒で、真井舵は別になったわけか」

 沙耶の笑みが一段と眩しくなる。

「はいっ! おかげで、緋姫さんを毒牙から遠ざけることができましたよぉ」

 普段は屈託のない性分にもかかわらず、真井舵輪という男子にだけは、とことん手厳しかった。彼が緋姫のセミヌードを目撃した件を、未だに根に持っている。

 にこやかに笑みを振りまきながら、沙耶は初対面の少年がいることに気付いた。

「……ところで、そちらの男の子は?」

 シオンが『今度こそ』と彼女に近づき、あどけないふりをする。

「は、初めまして、お姉さん。ボク、シオンっていいます」

 小さな手がおずおずと、沙耶のブレザーの裾をきゅっと握った。大抵の女子なら、これだけで篭絡されてしまうに違いない。

「あの、ボク、年上の男のひとって苦手で……」

「あらあら。クロードさん、こんな子いじめちゃ、だめじゃないですか」

「ええっ? 紫月じゃなくて、僕がやったことになるのかい?」

 沙耶は屈んで、シオンの頭をよしよしと撫でた。

「困ったことがあったら、なんでも、お姉さんに言ってね」

「は、はいっ!」

 シオンの小顔に笑みが咲く。

 だが、沙耶お姉さんの目は少しも笑っていなかった。

「ただし……緋姫さんとお友達以上の関係になったら、わたし、許しませんよ?」

無垢な少年を見据え、脅迫さえする。

「わかりましたね? ボ、ク」

「ひいいっ!」

 シオンは沙耶から飛び退くと、大慌てで緋姫の背中にまわった。沙耶の据わった目つきがよほど怖かったらしく、がたがたと震える。

「あっ、あんたの友達、おかしいって! オカマの次はガチレズかよ!」

「自分から近づいてったくせに……」

 緋姫はやれやれと肩を竦めた。

 手頃な味方もいなくなり、シオンがふてくされる。

「もうホテルに帰るよ、ボク。閣下に報告もしなくちゃだし……」

 ……閣下?

 それを尋ねるより先に、紫月が顰め面で口を開いた。

「ホテルだと? お前はどこに住んでるんだ」

「だから、このへんのホテルだってば。お金なら閣下が出してくれるしさあー」

 ひとりで帰ろうとする少年の後ろ襟を、紫月の手が強引に掴みあげる。

「待て。お前のような子どもがホテルなど、関心せんな。俺の道場に来い」

「はあ? い、嫌だよ、男の家なんて!」

「安心しろ。姉さんがお前の面倒を見てくれるさ」

 シオンは拒絶するものの、ずるずると引きずられていってしまった。緋姫とクロードはきょとんとして、顔を見合わせる。

「……いいのかしら?」

「いいんじゃない? 詠さんなら、無茶はしないだろうしね」

 シオンの今後が想像できてしまった。今夜は剣道場で座禅でも組まされるのだろう。

「愛煌さんがお待ちかねだ。戻ろうか」

「そうね。沙耶も一緒に行きましょ。帰りはクロードが送ってくれるから」

「はい! クロードさんなら、安心ですね」

 緋姫はケイウォルス司令部へと戻り、今回の報告を済ませた。

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