傲慢なウィザード

ACT.04 ロストナンバー

 夏休みが終わり、ケイウォルス高等学園は二学期に入った。暑さも和らぎ、秋にしては陽気に満ちた、小春日和が続く。

中間考査の翌週には学園祭の準備が始まるという、アメとムチのスケジュール。一年一組でも放課後、担任の閂から全教科が返却され、クラスメートは一喜一憂していた。

近くの席の女子らが、緋姫の答案を覗き込む。

「数学、九十七点っ? あれ、御神楽さんって、こんなに成績よかったっけ?」

「えぇと……数学は得意だから」

 悪目立ちしたくなくて、今までは意図的に手を抜いていた。けれども、そうやって他人との関わりを避けることに、緋姫は疑問を抱きつつある。

「なー、御神楽。山本のやつ知らね?」

「後ろからこそこそ出てったわよ」

 クラスの男子とも少しは話すようになった。

 緋姫の答案を眺めながら、女子のひとりが感心したふうに呟く。

「御神楽さんって、雰囲気変わったよね。前はほら、近寄りがたい印象だったけど」

「だよね! 三組の子と、いつもお昼一緒に食べてるし」

 これもすべて沙耶のおかげだった。彼女と親密になったことが、大きな前進になっている、緋姫は気を緩め、無理のない笑みを浮かべた。

「学園祭はクラスのほうを手伝うわ。水泳部は何もしないそうだから」

「ありがと! じゃあ、早速なんだけどさあ」

「こらこら、ホームルームはまだ終わってないぞー」

 担任の閂が名簿で教壇を叩く。

 クラスメートは雑談を切りあげ、一旦、各々の席に戻った。

「まぁなんだ、いよいよ学園祭シーズンだ。みんな、怪我だけはしないようにね。あと金銭絡みのトラブルや、他校生との揉め事なんかも、絶対にないように頼むよ」

 一番前の席では、輪が机に突っ伏している。

「で、真井舵……どうしたんだ?」

 ところが閂が引っ張り起こした『それ』は、制服を着た藁人形だった。

「せんせー、真井舵、狙われてるから逃げるって言ってました」

「……忍者か、あいつは?」

 担任が輪の答案を見せびらかす。数学はたったの十九点。

「見かけたら、教師もお前を狙ってるって言っといてくれ。まったく……」

 緋姫は半目がちの表情になるほど呆れた。

 

 学園祭の準備が始まり、放課後はどこもせわしない。

 出し物はクラスごと、クラブごとでおこなうのが恒例だった。部活に所属している生徒は、必然的に両方に携わることになる。

 その点、水泳部は出店を辞退したため、部員は時間に余裕があった。

「うちはほら、夏しかメンバーが集まらないから……」

「うふふっ。緋姫さんもそうでしたもんね」

 緋姫は沙耶と一緒に、適当な差し入れの買い出しに向かう。

「ちょっと前まで夏休みだったのに……何だか、時間を早く感じちゃいませんか」

「それ、わかるかも。もう十月の半ばなのよね」

 夏休みのエンタメランドは二日目が臨時休園となってしまったものの、沙耶には後日のデートで埋め合わせをした。

 エンタメランドの爆発事故については、世間には『ガス管の損傷』と発表されている。しかし爆発の凄まじさから、陰謀などが噂された。実際、行方不明の支配人はあくどい真似もしていたようで、捜査が始まっている。

「お身体は大丈夫ですか? 緋姫さん」

「もう何ともないってば。いつの話をしてるの」

 そんな夏休みを振り返って、緋姫はやるせない自嘲を噛み締めた。

「……とうとう泳げるようには、ならなかったけどね。はっ」

「ど、どんまいです」

 緋姫のカナヅチぶりにはルイビスも諦めている。

(あれだけ練習して、ろくに浮身もできんとは。お前は金属でできてるのか?)

 うるさいわねっ。

 校舎一階の廊下を抜けていると、向こうから紫月とクロードがやってきた。紫月はともかく、クロードまで重そうなダンボール箱を抱えているのは、珍しい。

「やあ、お姫様。レディーもこんにちは」

「比良坂さん、クロードさん、ご無沙汰してます」

 甘いフェイスのクロードに、沙耶が屈託のない笑みを返す。

 紫月は足元に荷物を置いて、一息ついた。

「忙しそうね、ふたりとも。学園祭の準備?」

「ああ。こいつが、とことん派手にしたいと言い出してな。クラスの連中も、女子を呼びたいとかで、気合だけは入ってる」

 彼らの二年四組は男子のみのクラスであって、女子はひとりもいない。とはいえ学園の女子の間では、美男子が多いクラスとして、需要があった。

 教師の閂によれば、イケメンに女子を独占させないための、やむをえない措置らしい。この夏『も』女性に振られただけあって、僻みがストレートすぎる。

「二年四組は何をするの?」

 クロードは含みを込め、人差し指を唇に当てた。

「内緒。当日になってからのお楽しみさ」

「すまんな、姫様、九条」

 彼らのほうも、緋姫たちの出し物については触れず、ダンボール箱を抱えなおす。

「楽しみにしてるわ。またね」

 ふたりを見送ってから、緋姫と沙耶は下駄箱へと急いだ。

 どこも学園祭の準備のため、生徒の出入りが激しい。ところが靴箱には挙動不審な男もいた。腰の低い姿勢で、こっそり靴を履き替えようとしている。

 そんな輪を見つけ、沙耶がむすっと眉を顰めた。

「わたし、あのひと嫌いです」

 柔和な沙耶にしては辛辣な物言いに、緋姫は口元を引き攣らせる。

「そ、そお?」

「何人も一緒に交際したりして……女の子の敵ですっ」

 数股に及ぶ交際はあくまで噂にしても、輪が緋姫のセミヌードを目撃したことが、彼女の逆鱗に触れていた。もちろん、緋姫にも不埒な輩をフォローするつもりはない。

「あんなの放っときましょ」

「はい。ところで、緋姫さんの一組は何をするんですか?」

「お化け屋敷よ。……沙耶んとこは?」

「うふふっ。何だと思います?」

 可愛い沙耶を、女たらしには近づけたくなかった。

 

 

 週末、第六部隊はARCケイウォルス司令部ではなく、コートナー邸へと集合した。学園にひけを取らない敷地の広さで、屋敷の本邸も、端が見えないほど大きい。

 絢爛な食堂で、緋姫は緊張しつつ、ディナーのフルコースをご馳走になった。さすがにクロードは場慣れしており、ペースを乱さない。

「こっちもおすすめだよ、お姫様」

「いい味だ。シェフが作ってると、自慢するだけのことはある」

 肝が据わっている紫月も、動じることはなかった。

 輪と哲平は緋姫と同じように戸惑いながら、見様見真似で食事を進める。

 上座では愛煌=J=コートナーが悠々と寛いでいた。

「調子はどうなの? 御神楽」

「うーん……まだ、もうちょっと掛かりそうだわ」

 緋姫は握りこぶしを作ってみて、指が少しぎこちないのを確かめる。

 二ヶ月前、エンタメランドでスペルアーツを乱発したせいで、緋姫のアーツは大半が破損してしまった。ウィザードの力は規格外のため、人為的な補修もままならず、自然回復を待っている。不幸中の幸いか、日常生活には何の支障もない。

「派手にやったものね、あなた」

「オーバードライヴって、ぼくが考えた最強のスペルアーツってだけですよ? ほんとに使っちゃうなんて、びっくりしたんですから」

「理論上は可能だって言ったじゃない」

「それは単なるロマンっていうか……ああいう無茶はこれっきりにしてください」

 皆に心配される手前、緋姫は素直に頭をさげた。

「ごめん」

 けれども内心、オーバードライヴには手応えを感じている。

(構成から見直して調整すれば、お前の切り札として使えるだろうさ)

 じゃあ調整しててよ、ルイビス。

 最近は紫月やクロードも任務を遂行できず、待機となっていた。何しろ緋姫がいないことには、スペルアーツはマジシャン系もヒーラー系もスカウト系も使えない。

「やっぱり御神楽だけじゃなあ。ヒーラーかスカウトはひとり、いるんじゃないか?」

「私のほうでも探してみるわ。なるべく御神楽と喧嘩しなさそうなヤツ」

「……あのねえ」

 この面子にしては和やかな笑いが起こった。

「そろそろ始めましょうか。周防」

「あ、はい。それじゃあ……」

 シャンデリアの光が消え、天井には非常灯のオレンジ色だけが残る。

「ちょっと? まだ食べてるんだけど」

「あとにしなさい。デザートも用意させてるから」

 壁の一方が開いて、スクリーンを露出させた。哲平のノートパソコンと繋がり、そのデクストップを大きく表示させる。

「これからお話することは、くれぐれも内密にお願いします」

 前々から愛煌と哲平は秘密裏に調査を続けていた。カイーナのフロアキーパーが人間であることを始め、ARCは何らかの重大な事実を隠している。

「まずはフロアキーパーの件からお話しましょう。調べてみたところ、カイーナが発生したポイントの近辺には、必ず行方不明者がいます」

「……その人物がフロアキーパーってこと?」

「推測の域は出ませんが、おそらく。それより、この行方知れずとなった人物には、ある共通点があったんです」

 哲平の解説を聞きながら、緋姫たちは視線を交わし、疑問符を浮かべた。

 スクリーンに行方不明者のリストが表示される。そこにはいつぞやのオフィスビルで対峙した、一年三組の中嶋の写真もあった。

 中嶋くんは『まじょにだまされた』って言ってたわね。

 遊園地ではフロアキーパーの傍に仮面の女がいたのを思い出す。

「行方不明者は魔女と関わりがあった、とか?」

「そこまではわかりません。僕が突き止めたのは……全員が大なり小なり、犯罪に手を染めていた、ということです」

 リストの中からエンタメランドの支配人がピックアップされた。この人物については、詐欺紛いの手法や横領が芋づる式に明るみに出て、世間を騒がせている。

「……中嶋くんは何をしたの?」

「コレクターだったそうです。そ、その……」

 言い淀む哲平に代わって、愛煌がしれっと吐き捨てた。

「女性の髪を収集してたそうよ。とんだ変質者がいたものね」

「あなたが言うの? それ」

 中嶋の常軌を逸した趣味にはぞっとしたが、緋姫は愛煌を茶化して、はぐらかす。

 カイーナを生み出すフロアキーパーは、全員が罪人だった。刑法に触れないまでも、中嶋のように、後ろめたい形跡を残している。

「これで何かがわかるってわけでは、ないんですけど……」

「つまりカイーナは、罪人が作り出した迷宮、か」

 紫月の率直な感想に一同は頷いた。クロードが意味深なことを呟く。

「カイーナには『地獄』という意味があったね。罪人と、地獄……なんだろう?」

「閻魔大王でもいるってこと?」

 ホラーじみてきた流れを、緋姫は軽い冗談で一笑に付した。

「わからないことをうだうだ話してても、時間の無駄よ。本題に入りなさい」

 哲平がスクリーンの表示を切り替え、仕切りなおす。

「は、はい。実は例の魔女について、出所を探っていたら、とんでもないものを見つけてしまったんです」

 スクリーンにそれらしいデータが映し出された。

「随分ともったいぶるんだな。そんなにやばい案件なのか?」

「輪、静かに。聞かせてもらいましょ」

 皆の手前、緋姫は平静を装いながらも、胸騒ぎがしてならない。緊張のせいか、自分の呼吸の音さえ大きく感じられる。

「ぼくらも驚いたんですが……なんというか」

 口ごもる哲平を差し置いて、またもや愛煌がはきはきと言い放った。

「イレイザーには軍事転用の企画があったのよ。今見せてるのは、頓挫したものだけど。アーツの力、確かに軍が使わない手はないでしょうね」

 企画の内訳には、大国との交渉など、きなくさいものが目立つ。

 クロードが怪訝そうな顔で口を挟んだ。

「待ってくれないか、愛煌さん。僕たちのアーツは、軍事利用はできないはずだよ」

「すべてのアーツには絶対の『不文律』がある……そう言いたいんでしょ?」

 ARCのプロテクトの有無にかかわらず、そもそもアーツは他人を傷つけるような犯罪行為には一切使えなかった。あくまで『人間がレイと戦うための力』らしい。

「不文律があるなら、わざわざプロテクトなどいらないと思うが……」

「制御下に置きたいのよ。あわよくば、不文律と差し替えたいんでしょうね。数年前に形になったっていうプロテクトも、この企画の副産物らしいわ」

 不文律に抵触しないような目的、例えば人助けのためであっても、アーツの私的な利用はプロテクトによって制限された。

「人目につくところで安易に発動してしまっては、大騒ぎになりそうだからねえ」

「好意的に解釈すれば、そうなるかしら」

 緋姫たちは一様に黙り込んだ。

(地獄の魔導を人間にも使えるように調整したのが、アーツさ)

 ルイビス、あなた……どこまで知ってるの?

 亡霊はそれ以上、語らない。

 紫月は腕組みを深め、スクリーンのデータを睨んだ。

「それでも軍はアーツを諦めきれず、開発を続けていた、というわけか」

「少し違うわね。開発っていうより……実験してたのよ」

 背徳的な真実を、愛煌が淡々と明かす。

「手頃なサンプルを集めて、ね」

 人体実験。その存在に一同は戦慄し、押し黙った。

 緋姫の全身に悪寒がまとわりつく。これより先は聞いてはいけない気がする。

 あたし、知ってる? この話……。

 幼少の頃、自分は何らかの事件に巻き込まれた。その後は施設にいたため、小学校には通っていない。人工呼吸器を当てられていた以前の記憶は、なかった。

「私たちイレイザーが、どうやって力に目覚めるかは、知ってるわね? 善玉の『レイ』にとりつかれることで、力を貸してもらってるの」

 紫月にはおそらく剣豪のレイが、クロードには騎士のレイが憑依している。

 そして緋姫にはルイビスが憑いていた。

「それを人工的に実用化しようとした計画があったんです。プロジェクト・アークトゥルス……概要はこちらになります」

 プロジェクト・アークトゥルスと銘打たれた計画書が拡大される。

 

 目的の一。われわれの意図に沿うイレイザーを人為的に作り出すこと。優秀な人材(かつ従順な者)に三のアーツの力を与えよ。

 目的の二。イレイザーによるアーツの私的な使用を制限せよ。例の不文律とは別に、われわれの論理でアーツを統制するための手段を構築すべし。また、これは、三のアーツによる暴走を抑制するためでもある。

 目的の三。不文律の影響を受けないアーツを開発せよ。

一で作り出したイレイザーに、三のアーツを与え、二の成果で制御する。これがプロジェクト・アークトゥルスの趣旨である。目的を明確とし、研究に励め。

 

 愛煌やクロードは不快感を滲ませながらも、計画の大筋に整合性を認めてはいた。

「二番目の目的は半ば達成されてるわ。ARCにちょっかいを掛けられても、プロテクトのせいで、私たちはアーツを対抗手段にできないってわけ」

「愛煌さんが許可をくれれば、僕らは自由に戦えるんじゃないかい?」

「私が許可を出すための許可ってのが、必要なのよ。エンタメランドで第四部隊に許可を出す時も、骨が折れたわ」

 愛煌がやれやれと大袈裟な身振りをつける。

 紫月は息をつき、腕組みを深めた。

「随分と大がかりに研究を進めていたようだが、なぜ頓挫した?」

「詳細は不明ですが、被験体のひとりが暴走したそうです。ARCの研究所は壊滅、研究員もほぼ皆殺し、となってしまったみたいでして……」

 緋姫はおぞましい不安を感じ、押し黙る。

「……………」

 そんな緋姫に遠慮するふうに説明しつつ、哲平がページを切り替えた。

「次に行きますよ? 御神楽さん。このプロジェクト・アークトゥルスで被験体にされたのが、この子たちで、おそらく件の魔女も……」

 スクリーンにずらっと幼い子どもの写真が整列する。

 その中の一枚にぎくりとして、緋姫は無意識のうちに立ちあがった。

「ま、まさか……?」

愛煌と哲平はすでに知っていたらしく、沈痛な表情で口を噤む。紫月やクロードも驚愕の真実を目の当たりにして、言葉を失っていた。

幼い頃の自分の写真が、目の前にある。

 

被験体ナンバー721。

 レイの憑依後、第二段階まで順調に進行。第三段階において自我を崩壊、廃棄。

 

 ゴミ処理場のような光景がフラッシュバックした。淀んだ空気の中を漂っているのは、被験者らに憑依していた霊魂かもしれない。

もしくは、哀れな子どもたちの成れの果てか――。

 輪が立ちあがり、声を荒らげた。

「御神楽は廃棄なんかされてない! こうして生きてるだろっ?」

「わからないのは、そこよ。廃棄処分されたサンプルが、生きていて、イレイザーになってる。……しかも、ウィザードなんていう桁外れの力を引っ提げて、ね」

「……ッ!」

 聞いていられず、緋姫は俯きながら食堂を飛び出す。

「おいっ、御神楽?」

「よしなさい、輪。下手な慰めは逆効果よ」

 頭の中がぐちゃぐちゃになった。

 

 秋の夜は肌寒い。

夜空を見上げながら、緋姫はあてもなくコートナー邸の中庭を散策した。髪が短いなりに風に乗って、細やかに波打つ。

「あたしは廃棄物、か」

 己の真実に失望しつつ、心のどこかで納得もしていた。

小学校に通ったことがないのも。初めてレイと遭遇した時、恐怖もなしに力に目覚めたのも。経緯を知れば、不思議ではない。

知ってたんでしょ、ルイビス?

(……まあな。お前は実験の末、捨てられた。それを私が拾ったのだ)

 少しずつ記憶が蘇ってきた。

 ルイビスの力を借りて、地下の廃棄物処理場から這いあがったこと。炎とともにARCの研究施設を闊歩し、数多の兵を葬ったこと。

『被験体721を捕捉! 攻撃を開始しま……うわあああっ!』

『な、なぜこんなことに、アーツが使えるんだ?』

 あの時、ルイビスは研究者たちを血祭りにあげ、データベースを破壊した。

(地獄の女王から、プロジェクト・アークトゥルスとかいう悪ふざけを潰せ、と依頼が来てな。肉体を探していたら、死に損ないのお前を見つけたのさ)

 ルイビスの声が今までになくはっきりと聞こえる。

(霊魂をオモチャにするなど、いい度胸だ)

 緋姫は池のほとりで腰を降ろし、小石を手に取った。それを投げ込むと、小さな水面に波紋が揺らめきながら広がる。

 地獄、ね……。

 いつか沙耶に聞かれたことを思い出した。

『緋姫さんは、地面の下にあると思いますか? ……地獄、って』

彼女の顔を浮かべると、少しは気持ちも落ち着いてくる。

「……御神楽?」

ふと、後ろから声を掛けられた。振り返ると、追ってきたらしい輪と目が合う。

 輪はもどかしそうな表情で、緋姫の隣に座った。

「放っといてくれないのね、あなたは」

「放っとけるわけないだろ」

 緋姫はリラックスするように肩を竦め、お人好しすぎる彼を茶化す。

「口説きにきたわけ?」

「違うって。まあ、その……オレも偉そうなこと言えないが、元気、出せ」

 輪も石を拾って、池に投げ込んだ。水面に映った月が揺らめく。

「もうすぐ学園祭だろ? クラスのやつらとも上手くやってるみたいだし……そうそう、お前のお化け役、聞いて納得したぞ」

「呪い殺すわよ」

緋姫も負けじと石を投げ、水面を荒らした。今も自分の素性には愕然としている。それでも、輪と無意味な遊びに興じていると、気が紛れた。

「……びっくりしたでしょ? あなたも」

「そりゃあな。オレ、お前には普通に家族がいるもんだと思ってたし」

「ひとり暮らしなの。中学の時は、親戚のところにいて……」

 沙耶にしか、それも漠然としか話したことがないものを、輪に打ち明ける。

 誰かに聞いて欲しかったのかもしれなかった。ただ、沙耶に聞いてもらうには、あまりに闇が深すぎる。ルイビスの意志とはいえ、緋姫は大勢の人間を殺したのだから。

(気にするな、緋姫。すべて私が殺したのだ)

 緋姫は俯き、一筋の涙を流す。

「うくっ……」

 涙がこんなに熱いものとは、知らなかった。

泣き顔を輪に見られるのが悔しい。

「だ、誰にも言わないでよ?」

「言わないって」

 小石を握りながら、緋姫は袖で涙を拭く。

プロジェクト・アークトゥルスにおいて廃棄されたロストナンバー、御神楽緋姫。にもかかわらず生き長らえた少女は、魔導の使い手『ウィザード』となった。

(今は泣くがいい。好きなだけ)

 悪霊にしては穏やかな慰めの言葉が、心に沁みる。

慟哭は今夜限り。目が痛くなるまで、緋姫は涙で頬を濡らした。

 

 

 ケイウォルス高等学園の学園祭は、二日間に渡って開催される。金曜日の夜にぎりぎり準備を終え、土曜の朝、いよいよお祭りの幕が開けた。

 学園じゅうが派手に飾りつけられているせいで、目がちかちかする。

 グラウンドには雑多な屋台が並んで、声高に呼び込みを競いあっていた。体育館のほうでは朝一から演劇部の舞台が演じられている。

 校舎では教室ごとにクラスの出し物や、文科系のクラブの展示が賑わっていた。

 緋姫の一年一組はお化け屋敷。

御神楽緋姫は狼娘の役なんぞを押しつけられていた。ケモノの耳をつけ、薄暗いお化け屋敷で客を待つ。一匹狼のイメージに合わせてのもの、らしい。

「はあ……」

 クラスメートと打ち解けてしまっては、さぼるという選択肢もなかった。

(中学の修学旅行は無断欠席した、お前がなぁ)

 保護者面しないでったら、もう。

 顔も見えないルイビスの親気取りに、狼娘は苛立つ。

 傍には妖怪『ぬりかべ』もいた。不動の壁と化し、気配を消したがっている。

「あなた、脅かす気あるの?」

「オレはここにいない。誰かがオレを捜しに来ても、誤魔化してくれ」

 第四部隊の誰ともデートを決められず、逃げてきたに違いない。緋姫は視線にじとっと軽蔑を込め、女たらしの窮地を鼻で笑った。

「見境なく手を出すからでしょ。それも同僚に……はっ」

「だから、そういうんじゃないって! お前まで噂を鵜呑みにしてんのか?」

 手作り感満載のお化け屋敷へと、客が興味津々に迷い込んでくる。

(私が脅かしてやってもいいぞ)

 ……洒落になんないから、やめて。

 客足が途切れないうちは、ふたりともお化け役に徹した。狼娘の目つきの悪さに、園児が泣いてしまうというハプニングはあったものの、お化け屋敷は概ね好評。

 少し間ができたところで、ぬりかべは声を潜め、尋ねてきた。

「なあ、御神楽。その……九条とは仲いいのか?」

 緋姫は狼娘の目つきを凶悪にして、釘を刺す。

「紹介はしないわよ、絶対」

「違うっての! あいつは、まぁ……」

 輪は口ごもるばかりで、はっきりしなかった。ちょうど次の客もやってくる。

「ダーリンさ~ん! いらっしゃいませんのー?」

「……………」

 ぬりかべは壁と化した。

 

 交替の時間となり、お化け屋敷を出る。

「あっ、御神楽さん! ダーリンちゃ……真井舵くんはいないの?」

「中でぬりかべやってるわ。殴ったら反応するから、どうぞ」

 水泳部の能天気な先輩をあしらいつつ、緋姫は一年一組を離れた。聞き覚えのある悲鳴が聞こえたような気もするが、振り向きはしない。

 狼娘の恰好でグラウンドに出て、屋台のひとつに沙耶を見つける。

「沙耶、お待たせ!」

「いらっしゃいませ、緋姫さん! おひとついかがですか?」

一年三組は教室ではなく、屋外でタコヤキ屋を出店していた。エプロン姿の沙耶が拙い手つきでタコヤキをひっくり返し、緋姫の分を詰めてくれる。

「お料理は好きなんですけど……」

「わかってるってば」

 少し潰れてしまったタコヤキに、むしろ愛着が湧いた。食べるのがもったいない。

「あれ? 御神楽さんじゃないですかあ」

 同じタコヤキ屋に並んでいた哲平が、緋姫に気付く。

「哲平くんも自由時間?」

「アニ研は展示だけですから、暇なもんですよ。で、そっちは……?」

 哲平の顔つきが一瞬、強張って見えた。沙耶はきょとんとして、首を傾げる。

「どうかしましたか? あ、わたし、九条沙耶です」

「……え? あぁ、ごめん。ぼくは一年二組の周防哲平」

 タコヤキを頬張りながら、緋姫は眼鏡系の男子へと瞳を転がした。

「哲平くんっへ、四組ひゃなかったっへ?」

「女の子が食べながらしゃべらないでくださいよ、もう。男クラはほら、あれですよ、美男子でないと入れないって話です」

 冗談を交えつつ、哲平が重たい溜息を漏らす。

「そうそう、二年二組にも顔出してあげてください。あのひと、あとで拗ねますから」

「もぐもぐ……あなたが愚痴を聞かされるわけね。わかったわ」

 あのひとが誰なのか、聞くまでもなかった。愛煌の高慢ちきな性格を知りながら、彼にだけ苦労を掛けるのも、忍びない。

緋姫は二年二組にも寄ることを約束し、哲平と別れる。

「ぼくは友達を迎えに行きますんで」

「またね。明日の夜会には出るんでしょ?」

 間もなく沙耶も休憩に入り、しばらく一緒にまわることになった。お祭り気分でいたいのか、彼女はエプロンを外さない。同じく、緋姫の頭にもケモノの耳が生えっ放し。

「どこから行きますか?」

「そうね、とりあえず二年四組……紫月たちのとこかしら」

「あっ、クロードさんのクラスですね」

 口数の少ない仏頂面の紫月より、愛想のよい優男のクロードのほうが、女子の記憶に残りやすいらしい。沙耶がクロードに口説かれはしないか、心配になる。

 二年四組の教室を訪れ、緋姫は顔を引き攣らせた。

「……なるほど」

 クロードたちの出し物は、執事喫茶。学内有数のイケメンが集まるという男子クラスならではの、逆ハニートラップだった。

 ナンバー2の紫月が、恭しいお辞儀で出迎えてくれる。

「ようこそ、姫様、お嬢様」

「あたしも『お嬢様』でいいじゃないの」

 お洒落に決まりすぎているヘアスタイルといい、執事ではなくホストに近かった。ほかの執事が手を鳴らし、御神楽緋姫の来店を高らかに報告する。

「我らがプリンセスがいらっしゃったぜ、キング!」

「オーケー!」

 クロードはナンバーワンとして、つかつかと店の奥から現れた。緋姫の前で跪き、淫靡な笑みとともに、真っ赤なバラを差し向けてくる。

「今宵、僕は情熱に溺れ、堕天使となるだろう。……お姫様、君だけのために」

 急に疲れが出てきた。緋姫は額を押さえ、突っ込むか悩む。

「堕天使が淹れるコーヒーって、どんなよ」

「でも素敵ですよ、緋姫さん!」

 沙耶は執事喫茶を早くも気に入っていた。

案内されるままテーブルにつき、緋姫はブラックを、沙耶は抹茶を注文する。

「抹茶なんてあるの?」

「九条さんが前に好きだと言ってたからね。用意したのさ」

 執事喫茶は絨毯を敷き詰めてあるほどの凝りようで、客は女子ばかりだった。美男子揃いの執事たちが、占いなどのサービスを提供している。

 緋姫らの分のドリンクは紫月が運んできた。

「なかなか繁盛してるじゃない」

「二組と勝負してるからな。愛煌のほうは……なんだったか、冥府喫茶か?」

「メイド喫茶って言いたかったの? お化け屋敷じゃないんだから」

 クロードもやってきて、注文した憶えのないクッキーを置く。

「ほかのみんなには内緒だよ。どうぞ」

「ありがと」

 緋姫たちでナンバーワンとナンバーツーを独り占め。

ふたりも席について、お嬢様がたの機嫌を取ってくれた。クロードが緋姫の『お耳』に注目し、ぽんぽんと撫でる。

「こんな狼になら、襲われてしまいたいよ。なあ、紫月?」

「ああ。可愛いと思うぞ」

 紫月の気取らない感想に照れてしまい、緋姫は顔を赤らめる。

「か、可愛いとか……やめてってば」

 沙耶はらしくない腕組みのポーズで、ふんぞり返った。

「みなさん、遅すぎです。お耳がなくったって、緋姫さんはとっても可愛いんですから」

 御神楽緋姫の評価においては、妙に手厳しい。

「あっはっは! そうだったね。ごめんよ、レディー」

「機嫌をなおしてくれ、くじょ……お嬢様」

 紫月とクロードにちやほやされるうち、コーヒーもなくなった。緋姫は席を立ち、執事の手は取らずに、自分で出口に向かう。

「そろそろお暇するわ。ほかにも見たいのあるし」

「周防のアニ研はおすすめだぞ」

「え? 紫月、アニメなんて見るの?」

 沙耶のほうはクロードの手を取って、丁重にエスコートしてもらっていた。

「レディー、足元に気をつけて」

「はい。うふふっ、楽しかったです、クロードさん。比良坂さんも」

「俺のことも『紫月』で構わんぞ、九条」

「そういえば『ニスケイアさん』って、聞かないわね」

 また長話にならないうちに、二年四組の執事喫茶をあとにする。

 次は愛煌のメイド喫茶と思ったが、連続でコーヒーを飲む気にはなれなかった。遠まわりして、アニメ研究会の展示などにも寄っていく。

 

「びっくりしましたね」

「くだらないことを思いつくものだわ」

 アニメ関連の展示と思いきや、アニメ研究会はプロレス同好会とのコラボで『アニキ研究会』と化していた。雄々しい筋肉の芸術をまざまざと見せつけられ、溜息も出る。

 改めて二年生のフロアに戻り、今度こそ二年二組のメイド喫茶へ。 

 ところが看板には『ドS喫茶』と書いてあった。

「お帰りなさいませ、お嬢さ……あっ、来たわよ、愛煌!」

「すぐに捕まえなさいっ!」

 メイドたちが緋姫にまとわりついて、あれよあれよと店の奥まで運んでいく。

「ち、ちょっと? いきなりどうしたっていうのよ!」

 案の定、愛煌=J=コートナーはメイド姿で威張り散らした。

「随分と待たせてくれちゃって。あなた、先に四組に行ったんじゃないでしょうね?」

「紫月たちの喫茶店でしょ? 行ったけど……」

「はあっ?」

 愛煌のブロンドが優雅に波打つ。

 とても正体が男子とは思えなかった。端正な小顔は眉を顰めていても愛らしい。センスも抜群で、フリルいっぱいのメイド服を華やかに着こなしている。

 あとから沙耶も追ってきた。

「何だか……変わったお店ですね」

 二年二組の喫茶店には異様な雰囲気が漂っている。メイドは客を罵ったり、足蹴にすることもあった。にもかかわらず、大いに盛況している。

「ドSって、どういう意味なんですか?」

「御神楽みたいな子のことよ」

 愛煌は意味深なまなざしで緋姫を見据えた。

「……へ?」

「間抜けな声出してないで。さあ、これに着替えなさい」

 愛煌の仲間がメイド服を見せびらかす。危機を察した時には、すでに両手両足を掴まれていた。緋姫は青ざめ、とにかく首を横に振りまくる。

「う、嘘でしょ? 無理、無理無理無理っ!」

「やるわよ、あなたたち! 九条だっけ? あなたも手伝って!」

「ちょっと! あ、愛煌はおと……」

 メイドたちに容赦はない。

 

 噂を聞きつけた紫月とクロードが、二年二組のメイド喫茶に乗り込んできた。

「助けに来たぞ、姫様!」

「愛煌=J=コートナー! お姫様を返してもらおうか!」

 緊迫した空気が立ち込め、二組と四組でトラブルにもなりかねない。

 そんなふたりの前へ、新米のメイドがしずしずと歩み出た。頬を赤らめて、涙ぐむほど恥じらいながら、ご主人様たちを迎える。

「お、おぉ……お帰りなさい、ませ、ご、ごしゅじん、さま……」

 緋姫の清楚可憐なメイド姿を目の当たりにして、紫月もクロードも絶句した。

「……ふっ。そういうことか、お姫様」

 クロードが客として空席につき、長い脚を組む。

 紫月も同じテーブルについて、メニューを手に取った。

「この件は水に流そう。姫様、注文いいか?」

 緋姫の脳天から湯気が出る。

「ちちっ、ちょっと! 空気読んで、帰ってってば!」

「あれ? もっと辛辣に罵倒してくれるんじゃなかったのかい」

「いつも真井舵にやってるやつだな」

 執事たちは悪乗りして、メイドの緋姫をからかった。普段なら悪態のひとつでもついてやれるのに、恥ずかしすぎて、緋姫はそっぽを向くばかり。

「一組の御神楽が、メイドぉ? なんかの間違いだろ、それ」

「すっごい可愛いんだって! 早く行かなきゃ、サービスタイム終わっちゃう!」

 一年生の野次馬も続々と集まってきた。

 新入りは厨房へとまわるたび、しゃがみ込んで、真っ赤な顔を両手で覆う。

「サイアク。なんであたしが……」

 落ち込む緋姫の頭を、沙耶がよしよしと撫でた。

「元気、出ましたか?」

「……え?」

 緋姫は顔をあげ、瞳を瞬かせる。

「緋姫さんの元気がないって、みなさん、心配してたんですよ。きっと」

 心当たりはあった。プロジェクト・アークトゥルスの廃棄ナンバーという真実を知らされてから、何をしても、どこか上の空になっていたかもしれない。

 愛煌は頬を染めながら、しれっと通り過ぎた。

「あなたがおとなしいと、私も調子が狂うのよ。ふん」

「……ありがと。愛煌」

 気恥ずかしさとともに嬉しさが込みあげる。

 それでも耐えきれず、新入りメイドは隙を見て逃走した。

 

 

 学園祭の二日目は、夕方から講堂でダンスパーティーが催される。生徒会長の愛煌=J=コートナーが企画し、大多数の指示を得て、今年初めて実現した。

 午後四時にはどの出し物も片付けに入り、夜会に参加希望の生徒は、更衣室で正装に着替える。ドレスの貸し出しも利用された。

「一年生の御神楽さんと九条さんですね? コートナーさんから、おふたりにおすすめのドレスを預かってますよ。どうぞ、こちらへ」

「え、ええ……」

緋姫は沙耶と一緒にドレスを借りて、準備を始める。

「なんだか愛煌が友好的で、怖いわ」

「そんなふうに言っちゃ、だめですよ。素敵なひとだと思います」

さすがに『男子』の愛煌は、女子更衣室にはいなかった。

 緋姫には漆黒のドレスが用意されている。沙耶のドレスは純白の色合いが美しい。

 ドレスなど初めてのせいか、姿見で確認しても、しっくりとこなかった。沙耶とは色違いの、お揃いの髪飾りを左につけ、慎重に手を離す。

「ど……どうかしら?」

「似合ってますよ、緋姫さん。これで『お姫さま』です」

 昨日はメイド服を経験したおかげで、フォーマルなドレスには平気でいられた。

 目立たないところにハンカチなどを仕舞えるポケットがあり、この恰好でも携帯電話を持ち歩ける。緋姫のアドレス帳にもすっかり面子が増えた。

「お待たせしました」

「オッケー。じゃあ行きましょ」

 沙耶も支度を終え、講堂のメインホールへと向かう。

ほかの生徒たちもドレスアップして、優美な雰囲気を醸し出していた。

「みなさん、綺麗ですね。男の子も格好いいですし」

「沙耶って面食いなの?」

 廊下の隅では哲平がタキシードを着て、ネクタイの形を整えている。

「やあ、御神楽さん」

「お疲れ様、哲平くん。ネクタイ、なおしてあげるわ」

 不慣れな本人に代わって、緋姫は正面から彼のタイに触れた。指先にルイビスの意志が反映され、ネクタイを綺麗に締めなおす。

「御神楽さんって、ほんと器用ですよね。ありがとうございます」

「どういたしまして」

 ルイビスの力を借りることに、前ほど抵抗はなかった。

 ARCの研究所で大勢の人間を殺戮した、圧倒的な破壊の力。たとえそうであっても、些細な気遣いまで躊躇う理由にはならない。

(ダンスも教えてやるさ。ぶっつけ本番でな)

 ふふっ、頼りにしてるわよ。

 今夜のダンスパーティーは上級生にとっても初めてのイベントであるため、日中の学園祭以上に浮ついたムードが漂っていた。初々しいお誘いなども見受けられる。

 哲平も会釈のポーズで頭をさげ、沙耶に声を掛けた。

「九条さん、よかったら、ぼくと踊りませんか?」

「いいですよ。でも、わたしが一番に踊るのは、緋姫さんとですから」

「可愛いでしょ? 自慢の恋人なの」

 メインホールのほうでは、演奏部の面々が雅やかなジャズを奏でている。バイオリンを弾いているのは、クロード=ニスケイア。

さすが貴族の息子だけあって、ほかの誰よりも燕尾服がスマートに決まっていた。曲が変わったところで楽隊を抜け、緋姫たちのもとに歩み寄ってくる。

「こんばんは、お姫様、レディー。ふたりとも、花の妖精のように魅力的じゃないか。どっちを誘うか迷ってしまうな」

 緋姫と沙耶のドレス姿を見比べるように眺め、クロードは感嘆の溜息を漏らした。

「あなたは愛煌と踊るんじゃないの?」

「お姫様……それならまだ紫月と踊るよ、僕は」

「俺がどうしたって?」

 名前の出てきた面子も集まってくる。

比良坂紫月もクロードにひけを取らない、凛然としたスタイルを誇った。ふたり揃って背が高く、眉目秀麗な容姿も相まって、大いに目立つ。

「あなたたちと踊ったら、刺されそうだわ」

「うふふ、緋姫さんったら」

「まだ始まってもないのに、賑やかね」

 紫月と一緒に愛煌=J=コートナーが現れたのは意外だった。今夜は鮮やかなバイオレットのドレスをまとい、そこいらの女子よりも可憐な見目姿を実現している。

 男の子のくせに……。

 愛煌は緋姫の、闇夜のような色合いのドレス姿を、まじまじと見詰めた。

「この私が見立てただけのことはあるわね。似合ってるわ、御神楽」

「あ、ありがと」

 率直に褒められ、くすぐったい。

 沙耶は歩み出て、愛煌ににっこりと微笑みかけた。

「ドレスを貸していただいて、ありがとうございます、愛煌さん」

「いいのよ。私の視界に入るんだから、あなたにも綺麗でいてもらわないと」

 愛煌らしい無茶苦茶な物言いに、緋姫はむっと唇を曲げる。

「あなたね、そんな言い方……」

「はいはい! 今夜はパーティーなんですから」

 慌てて哲平が割り込んできた。沙耶も気にしてはいないようで、柔らかく微笑む。

 クロードは演奏に戻り、紫月や愛煌は挨拶まわりのため、一旦は解散となった。緋姫は沙耶を適当な席で待たせてから、忍び足で隅っこのテーブルへと近づく。

 テーブルクロスを捲ると、丸まった背中があった。

「……何やってるのよ、輪」

「なんでここにいるって、わかったんだ?」

「勘よ。勘」

 この女たらしは、また恋人たちから逃げまわっているらしい。その割に、こうして律儀にダンスパーティーに参加しているのだから、わからなかった。

「帰っちゃえばよかったのに」

「そんなことしてみろ。殺される……」

 怯える彼の背中に呆れつつ、緋姫は容赦なしに釘を刺す。

「そうそう。沙耶の視界には入らないでね。あの子、あなたのことが大嫌いだから」

「……お、おう」

 さっきの愛煌と大差ない物言いに、自覚はあった。相手が輪だと、どうにも加減が利かない。緋姫はテーブルクロスを元に戻し、そこから離れる。

 あたしの口の悪さって、ルイビス、あなたのせいじゃないの?

(とんだ言いがかりだな。お前の性格だ)

 やがて陽も暮れ、開会の時間となった。外は暗いせいか、シャンデリアの輝きがいっそう眩しい。皆の期待がざわめきとなる中、生徒会長の愛煌が屹然と壇にあがる。

「これより第三十一回ケイウォルス高等学園、学園祭のフィナーレとして、生徒会主催、ナイト・ダンスパーティーを開催するわっ!」

 歓声とともに大きな拍手が起こった。

 学園祭の実績で表彰などがおこなわれてから、いよいよパーティーが始まる。楽隊の奏でるワルツに合わせて、気の早いペアからステップを踏み出した。

「お手をどうぞ、沙耶」

「はい。お手柔らかに、お姫さま」

 緋姫も沙耶の手を取って、女の子同士でダンスに興じる。

花のようなフリルのドレスが、ささやかに揺れた。緋姫は闇の色で、沙耶は光の色。対照的な色合いだからこそ、コントラストも際立つ。

 沙耶は満面の笑みを弾ませた。

「緋姫さん、わたしと結婚してください。……なんちゃって」

 彼女の手を導くように引きながら、緋姫も軽やかにステップを踏む。

「構わないわよ。男の子と結婚するより満足できそう」

「本気にしちゃいますよ? うふふっ」

 胸の中が温かいもので満ちるのを感じた。沙耶の小さな手を、そっと握りなおす。

 こうやって踊れるのも、あなたのおかげよ、沙耶。

 もう孤独ではなかった。下手に気をまわして、悪目立ちを避けることもない。沙耶とのワルツはたおやかに、雅やかにリズムに乗った。

名残惜しいうちに曲は終わり、パートナーの入れ替えなどがおこなわれる。

紫月が襟元を正しつつ、緋姫へと手を差し伸べてきた。

「俺とも踊らないか、姫様」

「ええ。喜んで」

 緋姫は淑女のように会釈して、その手を取る。

沙耶のほうも哲平の誘いに応じ、二曲目に入った。皆、前の曲で弾みがついたらしく、拙いなりにワルツを堪能する。

 紫月のステップはぎこちなかった。それを緋姫のほうでリードする。

「すまない。なかなか感覚が掴めなくてな」

「いいんじゃない? こうやって、ちょっと揺らしてるだけで」

 紫月は申し訳なさそうにはにかむと、緋姫の背に触れた。あくまでダンスのために。

 身長差のせいで、緋姫の笑顔は上目遣いになる。

「ほらね。さまになってきたでしょ」

「ああ。悪くない」

 お互いリラックスし、穏やかでいられた。紫月との適度な距離感が心地よい。

 それでも緋姫の胸は、いつにも増して高鳴っていた。こうして肩に触れていると、彼も男性なのだと意識してしまう。

 こんなの、調子狂っちゃいそうだわ……。

 バイオリンの奏者が巧みなソロを奏でながら、近づいてきた。

「紫月ばかりずるいよ、お姫様。僕とも踊ってくれないと」

「おっ、おい? クロード」

 クロードがバイオリンを無理やり紫月に預け、代わりに緋姫を奪い取る。

「いいだろ、紫月? 僕たちのお姫様なんだから」

「……しょうがないな」

 お次はクロードとのワルツ。小気味よいステップで、今度は緋姫のほうがリードしてもらえた。ただ、強引に腰を抱かれる。

「君はどんどん魅力的になっていくね。それが僕のためのことだったら、いいのに」

 気障な台詞にいつものおどけた調子はなかった。真剣な表情で緋姫を見詰める。

「冗談やめてってば。勘違いする子だって、出るわよ?」

「おや? お姫様は勘違いしてくれないのかい」

爽やかな笑みが無性に小憎らしくなった。緋姫は赤面し、わざとらしく目を逸らす。

「て、哲平くん! 踊りましょ」

「はい? いいですよ」

 煌びやかなダンスパーティーに誰もが酔いしれていた。

 

 連続で踊るうち、息もあがってくる。沙耶はまだ紫月やクロードとダンスに興じているものの、緋姫はくたびれ、休憩に入った。

「……あら?」

 メインホールのどこにも、愛煌の姿が見当たらないことに気付く。

 彼女を探すついでに涼しい空気が吸いたくて、緋姫はひとりで外に出た。講堂の裏手のほうから、愛煌の話し声が聞こえる。

「ええ、頼んだわよ。やつらには気取られないようにね」

 愛煌は通信を切りあげ、緋姫のほうに振り向いた。

「どうしたの? こんなところで。パーティーの真っ最中でしょ」

「こっちの台詞よ、それ。主催者がいないものだから、ちょっと気になって……」

 ほかに人気はない。それでも緋姫はあたりを警戒しながら、声を潜める。

「……やつらって、ARC?」

 ふたりの間を、涼やかな夜風が吹き抜けた。

 愛煌は『勘がいいわね』と肩を竦め、白状する。

「その通りよ。プロジェクト・アークトゥルスは、まだ動いてるみたいなの」

 緋姫の脳裏にひとつの計算が走った。

 プロジェクト・アークトゥルスの機密はすべて、ルイビスが消去している。ところが先日、コートナー邸で緋姫らは、被験体のリストを閲覧した。

「やっぱり、生き残ったやつがいるのね」

「ええ、端くれの研究員がひとり」

 ぞっと悪寒がする。子どもたちにレイを憑依させる、などという狂気の沙汰は、まだ決着していなかった。前々からARCは御神楽緋姫をマークしてもいる。

「あなたがナンバー721だってこと、連中は把握してるかもしれないわ」

 アーツにはARCのプロテクトがあるうえ、不文律も存在した。にもかかわらず、被験体ナンバー721は圧倒的なアーツの力をもってして、ARCの施設を殲滅している。

戦争行為には使えないはずのアーツで『殺戮』をおこなったのだ。

それほどの力は、どこの国家や組織であれ、先んじて手に入れたがるだろう。

「あなた、今はスペルアーツが不調だし、狙われる可能性が高いのよ」

 愛煌は前のめりになって、ずいっと緋姫に迫った。

「だから、もう私の屋敷で暮らしなさい」

 唐突な提案に緋姫は戸惑い、両手で『待った』を掛ける。

「……え? でも、それは」

「ひとり暮らしなんてされてたら、守りづらいの。言うこと聞きなさいったら」

 彼女の言い分も理解できなくはなかった。ろくに戦えない状態で、無防備な生活を続けていては、格好のターゲットとなる。

 とはいえ、異性と一緒に暮らすことには、さすがに抵抗があった。

「ちょっと待って? あたしとあなたは、男と女でしょ。誤解だってされちゃうし」

「うちは広いから、大丈夫よ。私のことも女と思えばいいじゃないの」

 困惑する一方の緋姫に、愛煌はさらに美貌を近づけてくる。

女装しているくせに、彼の悩ましい色香は、緋姫の鼓動を跳ねあがらせた。華奢な腕を左右に張って、緋姫を壁際へと追い詰める。

「それとも……こっちのほうが、いいのかしら?」

 不意に唇が重なった。愛煌のキスが緋姫の唇を、強引に塞ぐ。

「ンッ? ――ぷはっ、な、ななな」

 緋姫は真っ赤になって動転し、瞳をわななかせた。しかし愛煌のほうは悪びれた様子もなく、余裕たっぷりにアッカンベーを見せつける。

「これで私のモノになったんだから、屋敷に来るのも当然でしょ」

「そ、そういうことじゃなくてっ! キス!」

「あぁ、初めてしてみたけど、別に大したことないわね」

 恥ずかしさと怒りがどかんと火を噴いた。

「大したことないって、何よ? 返してってば、あたしのファーストキスっ!」

「誰かのために取っておいたわけでもないんでしょ? オヒメサマ」

 愛煌のしれっとした態度が、緋姫の神経を逆撫でする。

「あっ、あなたねえ――」

「おやおや、女の子同士で痴話喧嘩とは。いや、片方は男だったかなァ?」

 緋姫と愛煌が言い争っているところへ、何者かが割って入ってきた。

 世界史の教師で、一年一組の担任でもある、閂浩一郎。

「僕は独身だっていうのに、羨ましい限りだ」

 愛煌は緋姫を庇いつつ、『彼』から不自然なほど間合いを取る。

「そっちから出てきてくれるなんてね、手間が省けたわ。ネタはあがってるのよ」

「残念だよ。君たちが卒業するまで、見守っていたかったんだけどねえ」

 緋姫は『まさか』と、はっとした。

 ARCの閂浩一郎はケイウォルス高等学園を始め、外部との折衝を担っている。学園のほかと関わりがあったとしても、おかしくはない。

「二十代っていうのは嘘でしょう? 男の若作りは、歳がわからないものね」

「もう三十後半に差し掛かってるよ、これでも」

 閂の後ろから、防護スーツで全身を覆った兵の一団が現れた。一様に銃を構え、緋姫たちを取り囲む。その中央で閂は、気さくな教師のものとは思えない、嘲笑を浮かべた。

「君たちは知り過ぎてしまったのさ。おとなしく投降したまえ」

「ふん。末端の研究者が、お偉くなったじゃないの」

 気丈な愛煌が閂を睨みつける。

 閂はプロジェクト・アークトゥルスの一員だった。これまでも優しい教師を演じつつ、愛煌や緋姫の動向を逐一監視していたのだろう。

「じゃあ、哲平くんが見つけてきたっていうデータは……」

 黒幕を前にして、緋姫は初めて口を開いた。

「僕のデータを持ち出したのさ、彼は。おかげで、こうして君たちの尻尾が掴めた」

「尻尾を掴んだのは、こっちのほうよ。何の対策もしてないと思ったわけ?」

 愛煌が背中越しの携帯に、最速で指を走らせる。

「おっと、そうはいかない」

 ところが閂が何かを掲げると、愛煌の身体は金縛りに遭ったかのように強張った。

「……くっ? どうなってんのよ、これ」

「忘れたのかい? 君のマジシャン系スペルアーツは、ARCで人工的に加えたものだ。つまりプロジェクト・アークトゥルスの遺産だよ。わかるだろう?」

 おそらく愛煌のアーツ構成には、ARCのための仕掛けが組み込まれている。反抗的な愛煌に司令を任せたのも、強固な『首輪』を繋いである余裕かもしれなかった。

「これくらい、で……うぅぐ?」

 閂の杖がグロテスクな目玉を剥き出し、愛煌の苦悶を見詰める。

 その大きな瞳が、緋姫に強烈な既視感をもたらした。

「それは、あの魔女が持ってた……?」

「この『ヴァージニアの魔眼』を侮ってはいけないよ? 被験体ナンバー721」

 忌々しい番号で呼ばれ、心臓がぎくりと怯える。

 閂はあたかも己の偉業であるかのように、高らかに語った。

「プロジェクト・アークトゥルスには成果もあってねえ。イレイザーを制御下に置くことなら、ご覧の通りさ。クククッ、残念だったね、コートナーくん」

 目玉の杖が妖しい眼光を放つ。

「こっ……この私に、小賢しいやつ……!」

 しかし、研究で散々手を加えられているはずの緋姫には、影響がなかった。

「……やはり御神楽くんには効果なしか。研究所で大暴れできたわけだ」

「その教師面、やめなさいったら」

 吐きたくなるほどの嫌悪感に、緋姫は唇を噛む。

「当初は全スペルアーツを操る特異なサンプルとして、目をつけてたんだが……まさか君が、あの時の被験体だとは思わなかった」

「ARCも最近まで把握してなかったのね。あたしが……ナンバー721だってこと」

 被験体ナンバー721が御神楽緋姫だと判明したことで、閂は直接的な行動に出たようだった。馴染みのある担任の顔が、卑劣な笑みを浮かべる。

「悪いことは言わない、僕のもとに来たまえ。お友達も待っている」

「……友達?」

 目の前で嵐のような旋風が生じた。

今度は緋姫が愛煌を庇いながら、片目を伏せる。

この気配、どこかで……?

 風が止んだ時には、閂の傍にひとりの少女が佇んでいた。純白のドレスを身にまとい、虚ろな表情で、閂から魔導の杖『ヴァージニアの魔眼』を受け取る。

 彼女は、九条沙耶。

「ど……どうして、沙耶、が……」

 信じられない、信じたくない真実の有様に、緋姫は愕然とした。全身から血の気が引いてしまって、震えている自覚もない。

沙耶との思い出が色褪せて、走馬灯のようにフラッシュバックする。

 緋姫にとって、初めての友達。お弁当を分けてもらったランチタイム。一緒に過ごした夏休み。かけがえのないすべてが、ピエロの仮面で覆われる。

 沙耶は仮面をつけ、魔女と化した。

「沙耶っ? あたしよ、緋姫よ! わかるでしょ?」

「無駄さ。こうなったら、沙耶には僕の命令しか聞こえない。最近は何かと反抗も多い、難しい年頃だったけどねえ」

 沙耶が以前『兄がいる』と言っていたのを思い出す。

「こっちに行ったぞ、クロード!」

 沙耶を追ってきたらしい紫月やクロード、哲平も、この場へと駆けつけてきた。

「紫月! 会場のみんなは?」

「踊ってるさ。こんなことになってるとは知らず、な……」

紫月が閂を鋭く睨みつけ、吐き捨てる。

「閂先生……本当にあなたが裏で糸を引いてたのか」

「僕も先生には騙されたよ。演劇部の顧問のほうが向いてるんじゃないかい?」

 クロードもまなざしに怒りを込め、哲平は固唾を飲んだ。

「やっぱり九条さんが、カイーナの魔女……」

 仮面を被った魔女の正体を、彼らは確信している。

 動けない愛煌に肩を貸しながら、緋姫は薄情な仲間たちを責めた。

「ど、どうして沙耶だってわかるのよ?」

 哲平がおずおずと口を開く。

「あのドレスを見れば、一目瞭然です。それに……先日のリストにあったんです。御神楽さんのほかに、九条さんとしか思えない女の子の写真も」

「周防を責めてんじゃ、はあっ、ないわよ。あなたに黙ってたのは、私の判断で……」

 緋姫の傍らで、愛煌が苦渋の表情を浮かべた。自身の素性を知って間もない緋姫に、九条沙耶の真実まで伝えるのは、酷だと判断したらしい。

「……ごめん、みんな」

 自己嫌悪に駆られながら、緋姫は閂を戒めるように睨んだ。

「研究所から沙耶を連れて、逃げのびたってわけ?」

「違うよ、僕がこの子を『保護』したのさ。貴重な成功例だったからねえ」

 沙耶は何も言わず、魔導の杖を振りあげる。

「さあ、君たちのパーティーはおしまいだ。やれ、ナンバー666」

 ヴァージニアの魔眼が禍々しい気配を強めた。目玉がぎょろっと夜空を見上げる。

 月が血の色に染まった。

「さっさと逃げなさいっ、緋姫!」

 愛煌が力を振り絞って、くずおれながらも、緋姫を突き飛ばす。

「あ、愛煌?」

 携帯電話も押しつけられた。

「急げ、姫様! やつの狙いはお前なんだぞ!」

 走るに走れない緋姫の手を、紫月が強引に引っ張る。愛煌を助けようとする哲平も、クロードが無理やり制し、全力で駆け出した。

「コートナー家のご子息なら無茶はされないよ。何より愛煌さんは男だ、ごめん!」

「む、むかつくやつね……正論なのが、余計、腹立つわ……」

 愛煌の乾いた笑みが遠のく。

 後ろから兵が続々と追ってきた。魔女に操られているようで、言葉を発さない。緋姫やクロードの足元を狙って、マシンガンの弾をばらまく。

「僕らを守れ、アイギス!」

 すかさずクロードが光の盾を展開するものの、いつもの堅固な輝きはなかった。銃撃に一秒と耐えきれず、薄氷のように割れてしまう。

「ちいっ! 本当に使えないのか?」

 こちらのアーツにはプロテクトが掛かっているため、効力を発揮できなかった。

「あいつらを操ってる力も、アーツじゃないの? 不文律はどうしたのよ!」

「詮索はあとだよ、お姫様!」

紫月も朝霧を実体化しようとするが、刀身が形にならない。

「丸腰で戦える連中ではない! 止まるんじゃないぞ、お前たち!」

「と、とにかく講堂を離れましょう! ほかの生徒まで巻き込まれます!」

 御神楽緋姫は無傷で捕らえろ、とでも命令されているのか、緋姫とクロードのほうにはほとんど銃が向けられなかった。一方で、紫月たちは容赦なく撃たれる。

「うああっ!」

 闇夜の中で、銃弾が哲平の足を掠めた。

「て、哲平くん?」

 緋姫は振り返り、クロードと繋いでいないほうの手で、ヘアピンから拳銃を呼び出す。緋姫のアーツはどこでも発動し、アーロンダイトの銃口が光った。

 これで足止めくらいは……。

 しかし撃ち返そうにも、トリガーを引くのが怖い。操られているだけの人間を、まさか撃ち殺せるはずもなかった。人差し指が震え、力なく銃を落とす。

 哲平は蹲って右足を押さえ、激痛に顔を歪めた。

「しっかりしろ、周防!」

「す、すみません……ぼくのことは、いぃですから、行ってください……ッ!」

「馬鹿を言うな! 仲間を見捨てるなど、二度は御免だぞ!」

 紫月が立ち止まり、哲平を担ごうとする。

 まずいわ、このままじゃ……。

 その間にも敵は押し寄せてきた。絶体絶命の窮地に立たされ、緋姫は息を飲む。

 ところが先頭の敵兵が、真横から奇襲によって突き飛ばされた。ブロードソードを振りきりながら、輪が緋姫たちのもとへ滑り込む。

「……り、輪っ?」

「悪い、遅くなった! ここは任せろ!」

 彼のスキルアーツは百パーセントの性能を発揮していた。

「オレのアーツはカイーナじゃなくても使えるんだよ。心配すんなって」

「すまない、真井舵! 無茶だけはしてくれるなよ!」

 好機と判断し、紫月が哲平を背負って走り出す。

 輪はしんがりとなって、敵兵らの前に立ちはだかった。走り出そうとしない緋姫の背中に、怒号のような指示を浴びせる。

「いいから行けっ、御神楽!」

「……ごめん!」

 緋姫は前を向き、クロードたちとともに走った。後ろでけたたましい銃声が鳴り響いても、振り返ったりしない。

前方の夜空から、突風とともに一機のヘリが近づいてきた。

敵の新手かと思いきや、クロードが大きく手を振る。

「いい判断だ、ゼゼーナン! みんな、乗れ!」

 ヘリはぎりぎりまで降下し、縄梯子を投げ込んでくれた。スカートに構わず、緋姫から先にあがって、クロードもすぐに続く。

 哲平を背負った紫月が梯子に掴まったところで、ヘリが上昇した。

「落ちないでよ、紫月!」

「大丈夫だ! クロード、発進させてくれ!」

 辛くも講堂から脱出を果たす。

「とりあえず僕の屋敷に行こう。そこで、今後の対策を……」

「きゃああっ?」

 そのつもりが、不意にヘリがぐらりと揺れた。ひっくり返りそうになった緋姫を、クロードが片腕でもしっかりと抱きとめる。

「ゼゼーナン、どうした?」

「わかりません! 操縦が利かないのです!」

 頭の中でルイビスが叫んだ。

(もっと離れろ! この距離では、学園のカイーナ化に引きずり込まれるぞ)

「学園がカイーナに?」

 緋姫の独り言になってしまった言葉に、クロードが蒼白になる。

「ゼゼーナン、マイクを貸せっ!」

 ケイウォルス高等学園の夜空に、大音量で警告が反響した。

『僕の声が聞こえるか? みんな、ただちに建物の中に入れ! 外には出るな! 繰り返す、絶対に外に出るんじゃない! 落ちるぞ!』

 重力の反転に翻弄され、ヘリがふらつく。

 必死の思いで緋姫は縄梯子を握り締め、叫んだ。

「紫月、早くヘリに!」

「無理を言うな、姫様! 周防を抱えるだけで精一杯だ!」

 学園がどす黒い瘴気で覆われていく。煽りを食らったヘリは、弾き飛ばされそうになりながらも、間一髪で飛行を維持した。

 かつてない地獄が、開く。

 地鳴りとともに、地の底から怨念の群れが、狂ったように溢れ出す。

「沙耶……」

 長い夜が始まった。

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