Slave To Passion ~妹たちは愛に濡れて~

SCENE 1

 北にタウラス帝国、南にキャンサー連合。

 帝国は軍事力をもって、連合は経済力をもって、大陸の二大勢力を誇っていた。その狭間にあるのが騎士の伝統を重んじる小国家、ジェミニ王国。

 帝国と連合の摩擦はこのジェミニ王国に集中し、数々の企ても謀られた。その都度ジェミニ王国の独立性は脅かされ、権限の委縮を余儀なくされている。

 開戦の火蓋が切られたのも、ジェミニ王国の与り知らないことだった。帝国軍と連合軍はまるで申しあわせたかのようにジェミニの城下へと迫り、火を放ったのだ。

 城も大混乱に陥り、もはや指揮系統は機能していなかった。爆音が響き渡る中、年端もいかない王家の兄妹は必死に隠し通路へと逃げ込む。

 だが一緒に逃げることは許されなかった。

「待って、お兄様っ! イヤよ、あたしもそっちに!」

「お聞き分けください、姫様! 今は二手に分かれ、あとで合流致しましょう!」

 逃走のルートはふたつ。兄と妹で別々の道を進めば、たとえ片方は捕まったとしても、もう片方は逃げのびられるかもしれない。

 合理的だが、幼い兄妹にとって非情な手段となった。

「スバル! 放してくれ、ぼくはスバルと一緒に逃げるんだっ!」

 どんなに手を伸ばしても、兄のルークスには届かない。スバル王女は老騎士に担がれたまま、必死に最愛の兄を呼んだ。

「お兄様! 行かないで、お兄様! お兄様ぁ!」

 その日のうちに城は陥落。ジェミニ王国は両軍を前に降伏し、国王は帝国に、王妃は連合によって拘束される。ゾディアーク暦716年、春のことだった。

 

 

 

 

 

 それから十年の月日が流れ、あたし――スバル=フォン=ジェミニは十七歳となった。ジェミニ王国は一国家としての権限をはく奪され、現在は『自治領』となってる。

「無理をしてはだめよ、スバル。あなたにもしものことがあったら……」

「もう一年よ? 心配しないで、伯母様。それじゃあ行ってきます」

 今朝もあたしは早めに屋敷をあとにして、三日ぶりの青空を仰いだ。ジェミニ自治領は大陸の西海岸に面し、六月になると一気に雨が多くなるの。

 夜遅くまで降ってたみたいだから、道路もまだ乾いてないわね。

 この城下町は十年前、帝国軍と連合軍によって半分近くを焼き払われてしまった。明け方に突如として始まった、両軍の奇襲作戦だったわ。

 どちらも一直線に城を狙ったから、逃げおおせたひともいる。だけど、少なからない民が炎の中で命を落とした。

 助かったにしても、生活を滅茶苦茶にされて……表向きは両軍の『保護』のもと、あたしたちは苛酷な日々を強いられた。あの時の屈辱は絶対に忘れられない。

 それでも、あたしたちは長い月日を掛けて街を再建し、復興を果たした。あたしはもう王女じゃなくなったけど、みんなは新しい時代を受け入れつつある。

 いつの日か、ジェミニ王国の再興を夢に見ながら……。

「おはようございます! スバル様。やっと雨があがりましたねえ~」

「ええ! 洗濯物も溜まってたから、メイドたちも喜んでたわ」

 あたしは自治警察に籍を置き、旧騎士団の面々とともにジェミニ自治領の治安維持に当たっていた。シルバーフォックス隊の『隊長』だなんて立派な下駄も履かされてね。

 警察署には朝から大勢の仲間が詰めている。

「スバル隊長! おはようございます」

「おはよう。今日も頑張りましょ」

 十年前の『あの日』にあたしを守り抜いてくれたのが、当時の騎士団。おかげであたしは帝国にも連合にも捕らわれず、こうして城下町に帰ってくることができた。

その縁があって、彼らと一緒に警察となったの。

 いつものようにあたしは挨拶を交わしながら、シルバーフォックス隊の詰め所へ。

 この『シルバーフォックス』っていうのも騎士団時代の名残ね。ジェミニ王国の伝統を忘れないためにも、あたしたちは騎士団の古風な習わしを好んだ。ほかにはグレイハウンド(灰色の狼)とか、レッドジャッカル(赤い狼)なんてのも。

……名前が長いから、ちょっと面倒だけど。

「ですから『SF隊』でいいんです」

 シルバーフォックス隊のベースでは頼れる相棒がコーヒーで一服してた。

「またここで朝ご飯? ちゃんとお家で食べなさいったら」

「あのラボで食べろだなんて、恐ろしいことを……」

「ラボじゃなくて、その隣にお家があるでしょ? 普通のお家が」

 アリス=フレアー。類稀な魔導の才能を持ち、あたしと一緒に自治警察となった、ひとつ年下の女の子。確かに優秀ではあるんだけど、私生活は少々乱れがちだった。

 トーストに目玉焼きを乗っけて食べるのが好きみたいね。

「もぐもぐ……」

 今朝も食堂のキッチンを無断で使用したに違いない。要領がいいというか、掴みどころがないというか……お説教したところで、高尚な反論が始まるのは目に見えていた。

「朝イチのかまどのチェックも兼ねてのことですから」

「はいはい。さっさと食べちゃって」

 あたしはジェミニ自治領の地図を広げ、昨日までの情報を整理していく。

もうじき北のタウラス帝国と南のキャンサー連合で会談が予定されていた。会場はこのジェミニ自治領で、城下の迎賓館で催されることになってる。

 当面のお仕事はこの警備ってわけ。

 当然、あたしにとっては我慢ならないことだった。城下のみんなも同じことを思ってるわ。十年前に街を焼き払ったような帝国と連合が、ここで『対談』だなんて……。

 だけどジェミニ自治領が今後も生き残るためには、帝国と連合の均衡を保っていくしかない。十年前のような惨事だけは、もう二度と繰り返したくなかった。

「今度の会談は大した議題もありませんし、すぐ落ち着きますよ」

「だと、いいけど……」

 両者の狙いは第一に『ジェミニ自治領での発言権を誇示する』こと。領有はしなくても影響下にあるんだってことを、ライバルと近隣諸国にアピールしたいわけね。

 タウラス帝国にしろ、キャンサー連合にしろ、十年前はジェミニの領土を支配下に置くことはできなかった。帝国がジェミニを獲得すれば、連合との全面戦争は避けられない。逆もまた然り。また近隣の反発もあって、早々に休戦協定が結ばれたの。

 ジェニミ自治領にしても犯罪の抑止力になるから、帝国や連合との関係は維持していきたい。さすがに少数の自治警察だけでは手が足りなかった。

 ジェミニの軍だった騎士団は解散させられ、自治領に武装は認められていない。三年ほど前に東方のマフィアが入り込んだ時も、帝国・連合の力で撃退した。

 ……と、表向きはね。

 帝国に捕まったお父様は王権を放棄し、連合に捕まったお母様も自治領への不干渉を条件に保護されてる。

ジェミニ自治領が王国として再興を果たすなら、あたしを持ちあげるほかないわ。だからこそ、帝国と連合はあたしに一定の権限を与え、逆に抱え込もうとしていた。

「そろそろタウラスとキャンサーから花婿の候補でも紹介されるんじゃないですか? どっちも相手に対抗して、超絶の美形を送ってきますよ。ひゅーひゅー」

「他人事だと思って……はあ」

 アリスの冗談が冗談に聞こえず、あたしは重い溜息を漏らす。

 確かにアリスの言う通り、縁談を進められてもおかしくない時期だった。会談のついでに美男子を送り込んでくる可能性だってあるわ。

 ただ……あたしにはひとつ、どうしても捨てきれない希望があった。

 お兄様のルークス=フォン=ジェミニが生きてるかもしれない。もしそうなら、ジェミニは正統な王位継承者を取り戻すことができるのだから。

 あの日以降、お兄様は行方が知れず、今では生存さえ疑問視されている。それでもあたしはお兄様の帰還を信じ、その時のためにもジェミニ自治領を守りたかった。

 警察に入ったのだって、理由の半分はお兄様を探すため。

 ひとりで思案に暮れてると、アリスが訝しげな視線を投げてくる。

「……またルークス様のことをお考えで?」

「え、ええ」

 この子もあの日、不運にも戦禍に巻き込まれ、絶体絶命の窮地に陥ったらしいわ。そこに駆けつけたのが、あたしのお兄様。

 それがあの日の『いつ』だったのか、疑問は残ってた。あたしと一緒に逃げる前だったのか、離れ離れになったあとなのか。アリスの当時の記憶も曖昧で、はっきりしない。

「そういえば……ちょっと懸念すべき案件があるんです」

 アリスは別の地図を広げ、赤い線を指でなぞった。

「フェンリル団がジェミニ自治領に向かってるという噂がありまして……」

「フェ、フェンリル団って、あの傭兵部隊のっ?」

 その名にあたしは青ざめる。

 どの国家にも属さず、金次第でどんな仕事もこなすという戦いのプロ。彼らは『フェンリル団』と名乗り、大陸じゅうで暗躍していた。

 彼らは国家間の『戦争』にだけは決して加担しない。普段はモンスターの討伐を専門とし、場合によっては盗賊団やマフィアを攻撃対象とするのみ。

 でも一国を滅ぼせるくらいの力があるものだから、タウラス帝国やキャンサー連合でさえ、フェンリル団の動向には神経を尖らせていた。現に犯罪組織とつるんでいた国家は完膚なきまでに叩きのめされてる。

「ジェミニ自治領はモンスターが多いですから、狩りにきただけかもしれません」

「それならそれで、挨拶しなくちゃいけないわね。……伯母様が」

「未来の女王が情けないこと言わないでください」

 おかげで気が重くなった。

だって、荒くれ者の集団でしょ? あっちでもこっちでも喧嘩に明け暮れ、狩りのあとは酒場でどんちゃん騒ぎ……なんてイメージがあるもの。

「シルバーフォックスもフェンリルも似たような動物ですし、仲良くできます。多分」

「向こうは狼で、こっちは狐でしょ……」

 アリスと準備に取り掛かっていると、隊員のひとりが慌てて駆け込んできた。

「スバル隊長! 城下の近くでモンスターが出没しました!」

「すぐに行くわよ、みんな!」

 あたしは隊長としてシルバーフォックス隊を率い、警察署を飛び出す。

 タウラス帝国もキャンサー連合もジェミニ自治領に軍を常駐させておきながら、モンスターの討伐には消極的だった。下手に軍を動かしたら、相手を刺激するからって。

 それにモンスターは犯罪者ではないから、多少放ったらかしにしても、体裁が悪いこともない。危険に晒されたり不満に思ったりするのは、自治領のみんなだけ。

 これで表向きは『自治領のモンスターを共同で掃討』なんてふうに発表するんだもの。自分たちの領内だったら、そんな真似はしないんでしょうに。

「早く乗って、アリス!」

「了解です」

 あたしは自分の馬に跨り、後ろにアリスを乗っけた。

早朝の城下をまっすぐ東に駆け抜け、イーストロードに出る。

 平地にもかかわらず、そこではワニのようなモンスターの群れが唸り声をあげてた。野良犬を噛み殺し、その血肉を貪ってる。

「あんな魔物がどこから?」

「詮索はあとです。片付けましょう」

 あたしたちは馬を降り、魔物の群れを間合い充分に取り囲んだ。

モンスターの一匹が怒ったように火球を吐き出す。

「怯んじゃだめよ! マルコは右、ジオルグは左のやつを狙ってちょうだい!」

 シルバーフォックス隊は時計まわりに位置を変えながら、モンスターの隙を探った。相棒のアリスが敵の行動パターンを把握し、作戦を決めてくれる。

「後ろからだと、尻尾が邪魔です。側面から攻めちゃってください」

「わかったわ!」

 あたしはレイピアを抜き、正面の一体を見据えた。

 敵の火炎はアリスがレジストファイアの障壁を張って、すかさず防ぐ。まずはマルコが得意の槍でモンスターを貫き、ジオルグも斧で尻尾を斬り落とした。

 あたしも前に駆け出し、モンスターの横っ腹にレイピアを突き立てる。

「えいっ! ……あ、あら?」

 しかし皮膚の鱗に遮られ、レイピアでは貫通できなかった。逆に尻尾で反撃されそうになり、アリスがアイスボルトを急行させる。

「さがってください! スバル!」

「ご、ごめんなさい」

 まだモンスターは半数が残ってた。シルバーフォックス隊は間合いを取りなおし、敵の出方を慎重に窺うとともに息を飲む。

「スバルさんの神聖魔法で一気にカタをつけましょう。詠唱に集中してください」

「集中しろって言われても……来るわよ、さがって!」

 こうしてあたしが戦線に参加できるのは、王家相伝の神聖魔法のおかげだった。今度はアリスに代わってレジストファイアの防壁を張り、モンスターの火炎を凌ぐ。

 協力ではあるんだけど……これを『攻撃』に転用するのが、苦手なのよね。あたしとお兄様とで半分ずつ継承したうえ、修行も中途半端になってるせいで……。

「……えっ?」

 間合いを計りなおしてると、どこからともなく矢が飛んできた。

 それがモンスターの尻尾を貫くどころか、刃物のように引き裂いてしまったの。次の矢で喉笛を切り裂き、絶命させる。

「キャハハッ! これがジェミニの騎士団? 弱っちいの」

「……やれやれ。この程度のモンスターをそれだけの人数で囲んでおいて、なぁ」

 現れたのは男女のペアだった。整然とした元騎士団のあたしたちと違い、着の身着のままの恰好で得物だけ抱えてる。

 さっき矢を放ったのは女の子のほうみたいね。背丈ほどある大きな弓を、地面と水平に構え、矢を番えるの。腕はほっそりとしてるのに、信じられない力だわ。

 それから男のひとのほうは――あたしと同じ色の髪だった。

「あとはおれに殺らせろ、シェラ」

「いいよー。残りは全部アニキにあげる」

 その右手が壮麗な剣を抜き、青白い輝きを放つ。

 あたしは驚愕せずにいられなかった。

「あれはまさか! ジェミニの聖剣カストゥールっ?」

 ジェミニ王家の宝だったのよ。何度も見たことがあるもの、間違いない。

 彼は涼しげな顔でモンスターの群れへと突っ込んだ。そして鱗の硬さをものとせず、果物でもスライスするみたいに両断してしまうの。

 最後の一匹とはすれ違いざま、ステップひとつでターンしただけ。

モンスターは口の脇から胴まで裂け、濁った血を噴き出した。騎士の流派じゃない。もっと攻撃的で実践的な技なんだわ。

 後ろでアリスが淡々と状況を読みあげる。

「標的の全滅を確認。手伝ってもらいましたが、ミッション・コンプリートです」

 ひとまずあたしたちは剣を納めた。

マルコやジオルグが倒した魔物はまだ原型を留めてる一方で、彼らが倒したものは『肉片』と化してる。その強さには安心するよりもぞっとした。

「助かったわ。あなたたちは?」

 あたしのほうから歩み寄ると、彼は気さくな笑みを浮かべる。

「おれたちゃ、ただのしがない傭兵さ。……フェンリル団なんて名前はあるけどね」

 シルバーフォックス隊のみんなは顔を強張らせた。さっきも話題に挙がったばかりで、あたしとアリスは驚きの視線を交わす。

でも、それだけじゃない。

「その剣はどこで手に入れたのかしら。ジェミニの聖剣だと知ってて?」

「これかい? 城から逃げる時、伯母様に持たされたのさ」

 あたしはもう一度、この目を疑った。目の前にいるのは悪名高いフェンリル団のメンバーで、どういうわけかジェミニ王家の聖剣を持っていて。

 あたしと同じ色の髪で……『城から逃げる時』なんてことを言った。

 彼があたしをまじまじと見詰め、はにかむ。

「綺麗になったじゃないか、スバル」

「お……お兄様、なの……?」

 あの日以来、行方知れずとなっていた王子様がいた。

 ルークス=フォン=ジェミニ。ジェミニ王国の王子にして、あたしのお兄様。

 本当に本物なら、十年ぶりの再会になる。

「どっ、どうして急にジェミニへ? 今までどこにいたの?」

「見ての通りさ」

 だけど、お兄様はそれ以上あたしに答えようとはしなかった。自前の馬を呼び、もうひとりの女の子と一緒に脇を抜けていく。

「おれは傭兵なんだ。おまえが雇うってんなら、また兄貴に戻ってやるよ」

「あれがアニキの言ってた、妹のスバルぅ? ふーん」

 あたしたちシルバーフォックス隊は呆然と立ち竦むほかなかった。

普段は冷静沈着なアリスも動揺を隠せない。

「ルークス様がご帰還を……」

 生き別れになった兄姉の、感動の再会には程遠かった。

 

 

 ルークス王子によるジェミニ自治領への、実に十年ぶりとなる帰還。これについては当面、かん口令が敷かれる運びとなった。この判断にはあたしも納得してる。

 凱旋さながらの華々しい帰還だったら、発表するまでもないわ。城下の民は総出でルークス王子を迎え、ジェミニ自治領は歓喜に震えたはず。

 けれどもお兄様はフェンリル団の部隊長として、帰ってくるのではなくやってきた。

 あの後、続々と物々しい連中が城下に入ってきたの。帝国と連合の許可を取ることもせず、彼らは旧マフィアの豪邸を占拠し、堂々と居座ってしまった。

 帝国と連合がお兄様に気付くのも、時間の問題でしょうね。

 シルバーフォックス隊の詰め所にて、あたしは延々とボードの前をうろうろしてた。情報が入ってくるたび、落胆の色も濃くなる。

「先ほどエリザベート様のもとへ書状が届いたようです。フェンリル団はしばらくの間、ジェミニ自治領を拠点とする。滞在の分はモンスターの掃討で返す、と……」

「文句をつけるなってことよね、それ」

 アリスは落ち着きを取り戻したようだけど、あたしはまだ無理ね。

 エリザベートっていうのはあたしの伯母で、あの日一緒にお城を脱出したひと。ジェミニ自治領で二期に渡って『領主』を務め、自治警察の設立にも尽力してくれたわ。

 フェンリル団の来訪には、城下の民も戸惑ってるみたい。モンスターから街を守ってはくれるにしても、その見返りとして、あれこれ要求されるかもしれないもの。

「実際のところ、フェンリル団ってどうなの?」

「さすがに街を襲ったなんて話はありませんけど……彼らによって壊滅させられた盗賊団やらマフィアやらは酷いものですね。皆殺しが前提ですから」

 ぞくりと背筋に悪寒が走った。

 もしルークス王子がその作戦に参加してたら、お兄様はその手でひとを殺してることになる。聖剣カストゥールも血で汚れてしまってる可能性があった。

「フェンリル団はそれを『必要悪』だと言いますね」

「必要悪だなんて……無茶苦茶だわ」

「ですけど、彼らによって大勢のひとが救われているのも事実です」

 フェンリル団が悪賢い連中を叩き潰すことで、それ以上の被害は抑えられる。ただ、彼らのやり方はやっぱり容赦がなさすぎるわ。

「帝国や連合にとっては面白くないでしょうね。属国でフェンリル団を歓迎する動きになれば、立場も悪くなりますし」

「属国にしたって、それじゃ他力本願じゃないの」

 ジェミニ自治領が独立の気運を高めるにしても、フェンリル団との共闘はなかった。

 あたしは今夜の予定を変更し、お兄様のもとへ行ってみることに決める。

「ごめんなさい、アリス。今日の帰りはサーレントに寄る約束だったけど……ちょっとお兄様と会ってくるわ」

「でしたら、私も行っていいですか?」

「ええ、いいわよ。なんなら議事録も取っておいてちょうだい」

 とにもかくにも本人に会ってみないことにはね。

 まだ嬉しさは込みあげてこない。あたしの胸では不安ばかりが膨らんでいた。

 

 自治警察のお仕事は早めに切りあげ、アリスと一緒に旧マフィアの豪邸へと向かう。

 マフィアの物件だけに転用の目処がつかなくて、半ば放置されてたのよ。事後の調査にも時間が掛かったりして……取り壊すって話も宙に浮いてる。

 そのうち何かに使えるかもっていう意見もあったりね。

 でもまさか、今日になってフェンリル団に占領されるとは思わなかった。長らく放置していたことについて、帝国と連合で責任転嫁の応酬になるのは間違いないわ。

 伯母様の苦労が増えるかも……はあ。

 あたしたちは馬車も使って、ようやく旧マフィアの豪邸へ。

 門の前にはフェンリル団の兵士らが張っていた。ルークス王子に取り次いでもらうように頼むと、『そいつは無理だ』と返される。

「……え? いない?」

 会えるものと緊張してたから、拍子抜けしてしまった。

「どこに行ったか、わかりませんか?」

「さあなあ。ここは隊長の故郷だっていうし、実家にでも帰ってんじゃねえの?」

 フェンリル団のメンバーにしても、お兄様の素性は知らないわけね。あの子……シェラとかいう女の子は事情に詳しそうだけど。

「困りましたね……スバルさん、どこか心当たりはないんですか」

「あたしもお兄様も、お城から出ることはなかったから……」

 お兄様の行き先なんて見当もつかなかった。六月だけに陽は長いとはいえ、今から探してまわっていたら、帰る頃には夜になっちゃいそう。

「……お城かしら」

「ダメもとです。行ってみましょう」

 あたしとアリスは馬車に乗り、かつてのジェミニ王宮へと針路を取った。

 お城は城下の真中にあり、無残な形で今も残ってる。十年前、帝国軍と連合軍は南北から奇襲を仕掛け、火を放った。黒ずんだ焦げ跡があたしに軽い動悸をもたらす。

 あたしたちのお城だったのに……。

 ざっと見渡したところ、ひとの気配はなかった。

「いませんね」

「お手上げだわ。出なおすしかないみたいね」

 ここじゃつらいことばかり思い出す。あたしはアリスとともにジェミニ王宮を離れ、あてもなく城下をくだっていった。

「予定が狂っちゃったけど、この際だし、お夕飯を食べていかない?」

「でしたら、今からサーレントへ?」

「どこでもいいわよ。ふふっ、ご馳走するわ」

 城下の西、港に近いほうは賑やかな歓楽街になってる。

 ジェミニ自治領の海岸線は三日月の形で、船の出入りに適していた。おかげで西区は活気があって、夜も賑やかなの。

これが帝国と連合にとっての『侵略価値』でもあるんだけどね。

「……スバルさん、あれを」

「警察が見ないふりもできないわね。はあ……」

そこで適当にお店を探してると、何やら騒ぎが起こっていた。帝国カジノでトラブルがあったみたいだわ。あたしたちは肩を竦め、馬車を降りる。

 歓楽街のひとびとは浮かない顔をしてた。

「ちょっとごめんなさい。どうしたの? トラブルでもあった?」

「これはこれは、スバル様! 実はその、フェンリル団が押しかけてきたそうで……」

 すぐにも事情は読めてくる。

荒くれ者のフェンリル団が我が物顔でカジノを占拠したってわけね。帝国大使館の面々は追い出されたのか、逃げるように出てきた。

「あいつらめ、どういうつもりで……われわれ帝国と事を構える気かっ?」

「よせ。どこで連中の仲間が聞いてるか、わからんぞ」

 アリスが小声で呟く。

「ザマミロです」

 そもそもここには帝国が劇場を建設するはずだった。だからジェミニ自治領も反対はせず、工事を見守っていたのよ。ところが、カジノなんかが出来上がっちゃって。

 タウラス帝国はあくまで『舞台があるから劇場だ』の一点張り。

 要はジェミニ自治領に常駐してる帝国の重役たちが、遊び場を欲しただけ。今となってはここで遊ぶ民もいるから、こっちも強く出られなかった。

 でも……フェンリル団のメンバーなら、お兄様の行き先を知ってるかもしれない。さっきの門番もガラが悪いってほどじゃなかったし。

「行ってみましょ、アリス」

「そう言うと思ってました。正直、興味もありますから」

 あたしとアリスは覚悟を決め、帝国カジノへと足を踏み入れた。

 中は意外に格式高い雰囲気で、装飾も凝ってる。エントランスホールの左右で半円状に階段が伸びているのが、いかにも帝国風だった。

 これで奥がちゃんとした舞台だったら、『劇場』としての説得力はある。

「よろしければ、ご案内致しましょうか?」

 店員も執事といった出で立ちね。

「フェンリル団が入ってきたでしょ? どこにいるの?」

「恐れ入りますが、当店で騒ぎになるようなことは少々、ご遠慮いただきたく……」

「隊長さんを探してるだけですから、ご心配なく」

 あたしがスバル=フォン=ジェミニだったこともあって、入場はパスできた。アリスと一緒に大きな扉をくぐって、メインのゲームホールへと踏み込む。

「帝国大使が逃げ出しても、営業は続けるんですねえ」

「商魂逞しいってこと」

 ゲームホールは黒を基調として、絨毯が敷き詰められてあった。ゲームだけを照らす照明の配置のせいか、視界に明暗があって、ムーディーな雰囲気で満たされてる。

 お客さん相手にカードを切ってるディーラーは女性で、美人ばかりね。

「バニーガールはどこでしょう?」

「何をしに来たのよ、アリス。目的を忘れないで」

 ルーレットのコーナーには、この場に不似合いな恰好の一団が居座ってた。屈強な戦士らとともに、お兄様とシェラって子がゲームに興じてる。

 シェラはお兄様の膝の上に座ってた。

「アニキってば、大して強くないじゃん。にひひっ」

「流れを読んでるんだよ。勝てると踏んだら、一気に取り戻すさ」

「まったまた~。言い訳っしょ? それ」

 ちくりと胸に痛みを感じつつ、あたしはアリスとともに向かい側に腰を降ろす。

「こんなところにいたのね、お兄様」

 お兄様はあたしたちに気付き、眉をあげた。

「ん? スバルじゃないか。それから、そっちの子は……」

「アリス=フレアーです。ルークスさんとは一応、面識があるんですけど」

 険悪ではないにしても、気まずい雰囲気が立ち込める。シェラはお兄様の膝から降り、テーブル越しに前のめりになった。

「悪いけどさぁ、ルークスはもうアタシの兄貴なんだよね~。諦めてくんない?」

「……どういうことなの?」

「さがってろ、シェラ。いいさ、スバル。話くらいなら聞いてやる」

 今度こそ十年ぶりの対面ね。

緊張感で押し潰されそうになりながらも、あたしは口を開く。

「あの日は――」

 お城が炎で包まれた『あの日』がすべての始まりだった。九歳のお兄様と七歳のあたしは伯母様や騎士団に連れられて、隠し通路へ逃げ込んだの。

 あたしのほうは幸いにして敵に追われることもなく、イーストロードへと逃げおおせることができた。そして東で体勢を整え、一年後にはジェミニへと戻ってこられたわ。

 しかしお兄様のほうは西の海に逃れるはずが、海上でも追われることとなった。帝国軍と連合軍はあらかじめ逃走ルートを想定し、海にこそ包囲網を敷いていて……。

 そこに介入し、ルークス王子を掠め取ったのがフェンリル団だった。

 お兄様はフェンリル団の一員となって、数々の作戦に参加したらしい。そうして力をつけ、一部隊の隊長にまで昇り詰めた。

「……帰ろうとは思わなかったの? ジェミニへ」

「最初のうちはね。けど、おれはおれで、フェンリル団でやりたいこともあったのさ。王国はもうなくなっちまったんだし、せっかくの自由を手放すのは嫌でね」

 一国の王子とは思えない無責任な発言に、あたしは耳を疑う。

「本気で言ってるの? お兄様」

「ああ、本気さ。父さんと母さんだって好きにしてるだろ」

 お兄様は嘲るように笑った。

「父さんなんて母さんの侍女と浮気して、隠し子まで拵えてたんだぜ? スバル、お前と同い年のな。そりゃ母さんが愛想を尽かすわけさ」

「――ッ!」

 一瞬にして、あたしの頭に血が昇る。

「おっお父様が浮気だなんて! でたらめ言わないで、お兄様!」

 それでもお兄様は涼しい顔のまま、しれっと言ってのけた。

「しょうがないじゃないか、本当のことなんだから。その子が『王子』だったら、大事になってただろうなァ」

 お兄様の言葉があたしの心を荒らし、動揺させる。

 ……お父様に隠し子……? 王子じゃないなら、王女があたしのほかに……?

 呆然とするあたしに代わって、アリスがはきはきと言い返した。

「今のはジェミニを真剣に思ってるスバルさんへの侮辱ですよ。ルークスさん、ちゃんと謝ってください」

「言うねえ。きみみたいな気の強い子は嫌いじゃない」

 お兄様は手持ちのコインを『黒』に賭け、不敵な笑みとともに頬杖をつく。

「おれと勝負しないか? アリス」

「生憎コインがありません」

「じゃあこうしよう。きみが勝ったら、おれはスバルに謝る。でもおれが勝ったら……そうだな、きみには今夜、おれと遊んでもらおうか」

 はっとして、あたしはルーレット台に両手を張った。

「だめよ、アリス! 挑発に乗っちゃ」

 けれどもアリスは盤上のコインを一枚借り、赤のマスへとBETする。

「それでいいです、ルークスさん。私は『赤』に賭けますから」

「オーケー。なら一発で勝負がつくね。おれは『黒』だ」

 ルーレットには赤と黒の二色しかない。あたしとアリスを固唾を飲み、お兄様とシェラは小粋な笑みを浮かべながら、ルーレットを見詰めた。

 ボールが快音とともに跳ね、『赤』で止まる。

 シェラは噴き出し、自信満々だったらしいお兄様はふてくされた。

「アハハッ! アニキってば、また負けてやんのぉ~!」

「ちぇっ。今夜はツキに見放されたかな」

 お兄様のコインは全部、アリスの前へと運ばれる。

「こ、こんなにいらないです」

「きみが勝ったんだ。それにコインがあれば、また遊びに来てくれるだろ?」

 アリスの勝利にあたしは胸を撫でおろした。

 おもむろにお兄様が席を立つ。

「約束は約束だ。スバル、お詫びに夕食でもご馳走するよ」

「え? あたしはそんな……」

「おいおい、十年ぶりに会ったのに冷たいじゃないか。ほら、アリスも」

 十年ぶり――その言葉で、やっと実感が湧いてきた。

 お兄様が帰ってきてくれたんだわ。

 

 

 帝国カジノの後は連合が経営してる一流の高級レストランへ。

 フェンリル団ってそんなに儲かってるのかしら? そこでもお兄様とシェラは着の身着のまま、悠々とディナーを満喫してしまった。

 あたしとアリスは戸惑いっ放しで、何を食べたのかも憶えてない。お兄様たちと別れ、レストランをあとにする。

「シェラさんって意外にテーブルマナーに精通してましたね」

「お兄様が教えたんだと思うわ。あの子、すごく懐いてるようだし……」

 ただシェラの言葉はよく憶えてる。

『本当のアニキがヘマして、死んじゃってさあ。そん時、ちょうどルークスが来たから、新しいアニキになってもらったんだよねー』

 おかげで、あたしたちはますます唖然としてしまった。

 お兄さんが亡くなったっていうのに、それを平然と話すんだもの。フェンリル団では死ぬこと、殺すことが日常茶飯事なのかもしれない。

 お兄様だって『変わる』はずだわ。

 六月の陽も暮れ、空は真っ黒に染まりきってた。街灯かりによって、うっすらと雲が掛かってるのはわかる。この雲行きだと、明日はまた雨でしょうね。

おぼろげな月を見上げ、アリスがつぶらな瞳を瞬かせる。

「スバルさん! ひとがいます」

「え? どこに?」

 その視線の先にあるものを追いかけ、あたしも屋根の上に人影を見つけた。マントを靡かせながら、月に吸い込まれるかのように消えていく。

 屋根の向こうで悲鳴があがった。

「うわあああっ? し、死んでる……ひとが死んでるぞ!」

 あたしとアリスは俄かに顔を強張らせて、ただちに現場へと急行する。

「スバルさん!」

「ええ! 急いでっ!」

 ほどなくして自治警察の面々も集まってきた。

「もういらしてたのですか? スバル隊長」

「たまたま通り掛かっただけよ。あなたたちはすぐに聞き込みを開始して」

 殺人事件だなんて穏やかじゃない。街のみんなも怯えた様子で捜査を見守ってる。

 一体、誰がこんなこと……?

 まさかフェンリル団が何かを企んで?

 あたしたちが駆けつけた時には、被害者はすでに事切れていた。殺人事件なんて三年前の、東方マフィアの騒動以来のことで、あたりは緊迫感に包まれる。

 検分に当たってた部下が、神妙な面持ちで報告に戻ってきた。

「スバル隊長、大変なことがわかりました。遺体を確認したところ、背中に……その、キラル海賊団のタトゥーがありまして」

「な……なんですって?」

 その事実にあたしは絶句し、瞬きさえ忘れる。

 ジェミニ自治領に海賊が入り込んでたのみならず、殺されてたんだもの。

「われわれの騎士剣よりも鋭利なもので、後ろからいきなり斬られたようです。タトゥーは真っ二つにされていました」

「これ見よがしですね。海賊を退治したんだぞっていう」

 ふと、さっきの人影が脳裏をよぎった。

闇夜に紛れての犯行と、おそらく『刀』に違いない武器の切れ味。三年前の事件との共通点には街のみんなも気付き始めたのか、あの名を口にする。

「羅刹だ……あの羅刹が帰ってきたんだ!」

「嘘だろっ? もう三年も音沙汰なしだったやつが、なんで今頃……」

 三年前、ジェミニ自治領は東方のマフィアによって脅かされていた。帝国も連合も事を荒立てようとせず、それどころかマフィアと結託さえする始末だったの。

 しかしマフィアの重役が次々と暗殺され、その勢力はみるみる弱まった。結果的には帝国と連合がマフィアに撤退を許さず、全滅させたけど、城下のみんなは知っている。

 羅刹という名のアサシンがたったひとりで戦ったことを。

 ジェミニ自治領で犯罪者にだけ制裁をもたらす、謎めいた暗殺者。羅刹は忽然と姿を消し、いつしかみんなの記憶からも薄れていった。

 それが本当に戻ってきたのなら……心強い一方で不安も大きくなる。

 同じことをアリスも推測したようね。

「ひょっとすると、羅刹はフェンリル団と戦うために……?」

 その通りならお兄様が危なかった。モンスターを一撃で仕留めるほどに強くなったお兄様とはいえ、相手が悪すぎるもの。

「早くお兄様に報せないと!」

 気が逸るあたしを、アリスは冷静に制してくれた。

「待ってください。自治警察のスバルさんが昨日の今日でフェンリル団と共闘なんてことになったら、体裁悪すぎです。帝国も連合も黙ってませんよ」

「あ……ごめんなさい」

 確かにそうね。傍目にはあたしがフェンリル団を呼びつけ、タウラス帝国とキャンサー連合に対抗するようにしか見えなかった。

 フェンリル団は国家間の揉め事には関与しないけど、海賊が相手なら容赦しない。

 帝国、連合、フェンリル団、海賊、それから羅刹。ジェミニ自治領のトータルバランスはいよいよ崩れつつあった。

 あたしと自治警察だけで守りきれるの? このジェミニを……。

 月は雲に覆われ、ぽつぽつと冷たい雨が降ってくる。

 王国ではなくなったこの地で、弱肉強食の生存競争が始まった。

 

 

 週に二回はジェミニ準女学院に顔を出す。

 もとは国立の由緒ある女子校だったけど、ジェミニが王国ではなくなったため、『準女学院』に降格となってしまったのよね。卒業するには、帝国の試験と連合の試験の両方をクリアしなくちゃいけない。

 ここでもジェミニは権限を奪われているの。

 でも城下のみんなは昔と同じように『ジェミニ学院』と呼んでいた。いつか帝国・連合によるアンフェアな試験を撤廃して、教育面の独立も取り戻さなくっちゃ。

 あたしはアリスとともに学院の中等部を卒業し、今は高等部に籍だけ置いてる。こういうのはよくないんだけど……去年からは自治警察のお仕事を優先させてもらってた。

 三年前のマフィアの件では、自治警察は右往左往するばかりで、ほとんど成果を上げられなかったの。羅刹がいなかったら、事態はもっと深刻になったに違いない。

 その失敗を繰り返さないためにも、あたしは自治警察のお仕事を優先し、ジェミニ自治領を駆けまわっていた。

でも時間に余裕があれば、なるべく顔を出すようにしてる。

「ごきげんよう、スバル様」

「ふふっ、おはよう」

 あたしとアリスは朝の挨拶を交わしつつ、高等部の教室で席についた。

昨日までの雨もあがり、窓の向こうには青空が広がってる。しかし連日の『事件』のせいで、生徒のみんなは顔を曇らせていた。

「昨夜は連合大使館の近くだったそうよ。また海賊が……」

「怖いわ。お父さんは帰りが遅いから、巻き込まれたりしないといいけど」

 ジェミニ自治領はタウラス帝国とキャンサー連合の狭間にありながらも、西海岸に面してるため、交易の拠点になりうる。

しかし帝国と連合の足並みが揃わず、商業圏としての発展は二の足を踏んでいた。そのせいで法整備が遅れ、マフィアや海賊に狙われてしまうのよ。

 羅刹にしても、城下のみんなに『正義の味方』とは扱われてなかった。彼がやっているのは殺人であって、その手口には慈悲の欠片もない。昨夜の被害者だって、鋼線で首を吊られて絶命していたんだもの。

 正体を見たら殺される――そんな噂もあるわ。

「焦っちゃだめですよ、スバルさん。自治警察だって三年前とは違うんですから」

「ええ。でも羅刹は捕まえないと……」

 自治警察の仕事は第一にジェミニ自治領の治安維持。いくら羅刹の標的がマフィアや海賊とはいえ、自治領、それも城下で殺人の横行など、見過ごせるはずがなかった。

 ……会って話がしてみたいわ。羅刹と。

「浮かない顔ね。悩みの種はフェンリル団かしら? スバル」

 クラスメートに声を掛けられ、あたしは顔をあげる。

「リーリエ! ごめんなさい、気付かなくって」

「いいのよ。大変なんでしょう? 今」

 あたしと同い年で高等部から一緒になったのが彼女、リーリエ=ナシャーダ。奥ゆかしい物腰で言動は控えめ、そこがなんとも女の子らしい、自慢の友達だった。

 アリスがあたしのフォローを彼女に丸投げする。

「スバルさんのストレスが激ヤバなんです。癒してあげてください」

「うふふっ! お店に来てくれたら、サービスするわよ」

 リーリエは柔らかく微笑んで、綺麗な髪をかきあげた。相当の器量よしなんだけど、住み込み先がレストランだから、お化粧なんかは遠慮してるみたい。誕生日に香水をプレゼントしても、断られちゃったのよね。

 アリスが爛々と瞳を輝かせる。

「今日こそサーレントに行きましょう、スバルさん。厚意を無駄にしてはいけません」

「わかったから、あなたはそろそろ自分のクラスに戻りなさい。一年生でしょ」

 あたしの隣にはアリスに代わってリーリエが座った。

 授業が始まっても、あたしは自治領のことを考えてばかり。帝国、連合、羅刹……そしてお兄様のフェンリル団。悩み始めたら、ほんとにきりがない。

 

 放課後は自治警察のお仕事に合流し、空が夕焼け色に染まった頃、あたしとアリスは今日こそサーレントを訪れた。

ジェミニの城下で東方のお料理が楽しめるといったら、ここよね。アリスがメニューを開き、あたしの分までまとめて適当に注文する。

「餃子が二人前で、麻婆豆腐と……あと塩焼きそばも」

「少々お待ちくださいね、アリスちゃん」

 エプロン姿でオーダーに応えてるのは、クラスメートのリーリエ。彼女は親元を離れ、ここに下宿しながら、ジェミニ女学院に通っているの。

 しばらくして、香りのよいお料理が次々と運ばれてきた。唐揚げはサービスね。

「お待たせしました。冷めないうちに召しあがれ」

「ありがと、リーリエ」

 食いしん坊のアリスがいそいそと餃子を頬張る。

 美味しそうなお料理を眺めてると、あたしもお腹が空いてきちゃった。

「美容と健康にも東方料理は欠かせませんよ。スバルさんもろーぞ、ろーぞ」

「食べながらしゃべらないで。それじゃあ、いただき……」

 ところが新たにペアのお客さんが入ってくる。

「あっちじゃないの? アニキ」

「仲間に入れてもらおうじゃないか」

 まさかのお兄様とシェラだった。こちらに気付いて、同じテーブルを強引に囲む。

「今日もお仕事かい? スバル。……それにしちゃ服があれだね」

 学院の帰りでもあるから、あたしとアリスは制服のまま。

「こんな時間まで寄り道してて、いいのかい?」

「う。……お、お兄様には関係ないでしょ」

 シェラは注文も待っていられず、あたしのお箸で餃子を掠め取ってしまった。

「これ、ちょーだいね!」

「あっ! それは私が食べようと……」

 アリスは愕然として、シェラを相手に火花を散らす。

「いーじゃない。どうせアニキが追加で頼んでくれんだしさあ」

「まあね。ここからはおれが持つよ、そっちも好きなのを頼むといい」

「……では、水餃子を一人前」

 お兄様が大人の対応を見せてくれたおかげで、不毛な争いは回避できた。

「面白いね、その子。大人顔負けの魔導士なんだって?」

「シルバーフォックス隊のブレーンなのよ。確かにちょっと変わってるけど……」

 あたしは手頃なお椀で麻婆豆腐をシェラにも分けてあげる。

「そっちはまたカジノで遊んでたの?」

「今日は勝ったさ。連合の大使殿から存分に巻きあげてやってね」

 帝国のカジノに連合の大使がいるのも問題だけど、お兄様の放蕩癖にはすっかり幻滅させられた。昔は優しくて、賢くて、幼いなりに素敵な王子様だったのに。

「ご注文はお決まりですか?」

 エプロン姿のリーリエを見て、お兄様の目がきらりと光った。

「ええと、なんだったかな……水餃子と、小籠包と……あとは『きみ』を一人前で」

「はい? ……きゃっ!」

 その手が素早くリーリエの腰を抱き寄せる。

 思いもよらない悪戯を見せつけられ、あたしは言葉を噛みそうになった。

「ちち、ちょっと! お兄様っ?」

「冗談だよ、冗談。おれ好みで可愛い子だったからさ」

 お兄様はあっさりリーリエを解放して、ウインクで詫びる。

「ごめんね」

「い、いえ……それでは少々お待ちください」

 リーリエは戸惑いながらもオーダーを受け、さがっていった。十年ぶりに再会した妹を尻目に、ほかの女の子にちょっかい出すなんて……。

「ねえ、シェラちゃん。お兄様ってどこでも『こう』なの?」

「さあ? アニキの一番はいつもアタシだしさぁ」

 そんなお兄様にシェラは嬉しそうにしがみつき、ごろごろと甘えた。

 お兄様もシェラの頭を撫でてあやす。

「そう怒るなって、スバル。おまえがもう少し素直になってくれりゃ、おまえのことも可愛がってやるから。な?」

「素直に、って……何をさせようっていうのよ、お兄様」

「もちろん。フェンリル団に特例のひとつやふたつ、許してくれればね」

 無茶にも程があるわ。

フェンリル団は城下の一部を無断で占拠したうえ、武装までしていた。今のところ城下の民と目立ったトラブルはないようだけど、緊張は続いてる。

 あたしたち自治警察も衝突を避け、なるべく敬遠するように心がけてた。帝国や連合も迂闊には踏み込もうとせず、虎視眈々と様子を窺ってる。

 この状況で大胆に動いていられる、お兄様の肝っ玉が信じられない。

「……女学院か。行ってみるか? シェラ」

「どんなことすんのぉ? そこで」

「好きにすればいいさ。スポーツなんかも盛んなんだろ?」

 あたしはアリスと目配せして、ひとつくらいはと肩を竦めた。

「体験入学って形でいいなら、融通してあげるわよ。アリスと同い年でしょ?」

「いいのっ? そんじゃあ、見に行ってみようかな~」

 この子にしたって、まさか学院の中で暴れたりはしないでしょ。むしろ、こちらが彼女を観察する分には都合がいいわ。

「仲良くしてやってくれよ、アリス」

「わかりました」

「それじゃ、おれはちょっと外すよ。みんなは食べててくれ」

 シェラの件が一段落したところで、お兄様が席を立つ。お手洗いかしら。

「学院に通うからには、シェラさんにも制服を着てもらいますので」

「えぇ~? ヤダなあ、動きづらそ~」

 アリスとシェラで仲良くできるか、心配になってきた。

 

 

 東風レストラン・サーレントの裏手にまわって、ルークスは独り言のように囁く。

「いるんだろ。おれに手を貸してくれるな? 羅刹」

「……はい。兄さん」

 どこからか返事があった。女性の声がルークスを『兄さん』と呼ぶ。

「いい子だ。作戦を伝えるから、あとで屋敷に来てくれ。首尾よく行ったら、望み通りの報酬だってくれてやるさ」

 ルークスは不敵な笑みを浮かべ、彼女に問いかけた。

「何が欲しい?」

 数秒ほどの沈黙ののち、告白が返ってくる。

「……愛を。抱き締めてください」

「恐ろしいことを言うね。兄が妹を抱け、って? まあいいさ」

 ジェミニ王国の陰で秘匿されてきた、もうひとりの姫君。

 ひとりの王子とふたりの王女が織り成す、倒錯の愛憎劇がひっそりと幕を開けた。

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