こいつらアイドル幻想神話
第三話 オレたちの本音を聞け!
アパートの101号室にて夕食を済ませた後、明かりが落ちた。部屋には片付けの最中である聡子と、居残っている志岐のふたりきり。
一本のロウソクだけを頼りに、志岐がぶつぶつと語り出す。
「彼女は水ぶくれを侮っていた。
普通に靴下を履いて生活していたら、だんだん、だんだん痒くなってきて……。
でも、まさか? いやそんなことは、なんてふうに、受け入れることをしなかった。
そしたらさ、水ぶくれがみるみる黄ばんで、そう……腐って。
ヘンなニオイがするようになったんだ。
それでも彼女は恥ずかしがって病院に行かず、ついに引きこもった。
……そうさ、その時ならまだ綺麗に治療できたんだ。
けど水ぶくれはカタチを変え、そして。
ついに病院に連れていかれ、医師に宣告されてしまう……。
これ、水虫だね」
その唇がロウソクの火を吹き消し、暗闇に問いかけた。
「……霊、いますか?」
「いるわけねえだろ、馬鹿」
話し半分に聞いていた聡子も、語っていた志岐も跳びあがり、互いに抱きつく。
「うわああああっ! おおっ、おぉ、脅かすなよ、透!」
「びび、び、びっくりしたじゃないですか!」
透は明かりを点け、志岐の首根っこを掴みあげた。
「飯を食ったら、さっさと出る! 聡子ちゃんの部屋だっつってんだろ」
「いーじゃんかよー。さっちゃんだって、退屈してんだし」
内容はともかく怪談の話しぶりは上手だった志岐が、ずるずると引きずられていく。
退屈といえば退屈だが、それが問題だった。
弟からの電話が唯一の慰めかも。
『こっちは大丈夫だって。おれもう中二だぜ? ご飯も炊いてるし、簡単な料理くらいは作れるし。あ、食材は例のルートでそっちまわすから』
「ごめんね、あなたも学校とか忙しいのに」
『気をつけろよ? おれの学校でも話題になってるくらいでさ』
我ながらよく出来た弟に救われる。
「何かあったら連絡してちょうだい。じゃあね」
大阪マラソンの顛末はあっという間に全国に広がり、月島聡子の顔が週刊誌に乗っかる事態になってしまった。ボカシのひとつも入っていない。
見出しは『アークエンジェルにまさかのプリンセス?』である。
おかげで新学期が始まった高校に通うに通えず、校長からも『しばらく登校しないように』と念を押されている。友人から伝え聞くところによると、学校に白昼堂々マスコミが侵入して、警察沙汰にもなったとか。
RED・EYEに関しては、とうとう叔父までとぼけ始めた。
『ハハハ……れっどあい? なんてアイドルユニット、うちにいたかなァ?』
下手に関われば全責任を押しつけられるため、プロダクションの人間は誰も助けてくれない。聡子がマスコミから身を隠せる場所は、このアパートしかなかった。
無論、話題沸騰のアイドルと同居などと世間に知られれば、今度こそおしまいだ。
ここが最後の砦よ。絶対に見つからないようにしないと……。
まさか『防刃チョッキ』をインターネットで検索する日が来ようとは。RED・EYEのファンに会ったら冗談抜きで刺されかねない。
我に返った時には『生命保険』なんぞも検索していた。
何考えてもマイナス思考になっちゃうわ。
この調子では、精神面で病院送りになるのは、次こそ聡子かもしれない。
気分転換にテレビをつけると、八時からの歌謡番組と出くわした。
『さて今夜は皆さん、お待ちかね! 話題のダンスボーカルユニット、ノアです! では早速歌ってもらいましょう、ライジング・ダンス!』
お膳に新品の教科書を広げつつ、美少女アイドルの熱唱に聴き入る。
もうイケメンアイドルはうんざりで。
『自暴自棄なサスペンスもいいかもねぇー』
『ライジング・ダンス!』
心の保養には美少女のほかに、志岐たちが集めてくれたヌイグルミの群れ、ナナノナナ様の美声がお届けするラジオ番組も欠かせない。
「はあ……いっそ動物園で働きたいわ。そろそろ進路希望の提出もあるんだっけ……」
自分のことだけでも精一杯の時期なのに。
将来はとりあえず大学の経済学部を志望しているが、具体的なビジョンはなかった。自立したいという気持ちばかりが先行して、中身が決まらない。
進路希望のアンケートを広げたまま、番組を眺める。
ぼうっとしていたせいで、ノックに気付くのが遅れてしまった。
「……あっ、どうぞ!」
一連の騒動を起こしてくれた張本人が入ってくる。
「部屋からナナノナナ様のグッズがまた出てきてな。……ふっ、自分の愛の深さを再確認させられた。だが、それだけ真奈美への想いに自信がついてくる」
「はいはい。用が済んだら出てってください」
「お疲れのようだな、聡子。大天使が何かしてやろうか?」
アークエンジェルからの有難い申し出だが、彼には何もして欲しくない。
「結構です。……わかってはいるんですよ。決してタクト君のせいじゃありません」
聡子はテレビを消し、お膳に突っ伏した。
「このへんに置いておくぞ」
「どうぞ。ナナノナナさんって、可愛い人ですよね」
「今頃気付いたのか? まったく。もっと色々なものを見て眼力を養え」
タクトがグッズを追加で残し、真奈美との愛の巣に戻っていく。
マネージャーとして彼に注意はできても、怒りをぶつけるのは筋違いだった。そもそもあの状況で、タクトの行動は間違っていない。一般のランナーが大勢いる場所で、怪我人を放っておこうものなら、霧崎タクトの天使属性に傷がつく。
直感でわかるんだわ、多分。タレントとしてどう動けばいいのか……。
またファンの間で、タクトを支持する流れも大きくなってきた。
『タクト様はお優しいから、女性を見捨てたりできないの』
『あの子を僻むのは間違いだわ。本当のファンならタクト様を抑圧しないで』
と、日に日に勢いを増している。
ファンに庇ってもらうのって、こんなにも頼もしいのね。
アイドルには信者だのアンチだのの諍いが絶えず、それは不毛なことだと、今までの聡子なら一蹴していた。しかしファンは情熱を持っているからこそ、摩擦を生じるのだ。
このまま聡子がやさぐれていては、彼女たちに申し訳が立たない。
帰ってきたはずのディレクターは海外逃亡し、プロデューサーも長期入院した今、月島聡子しかいないのである。
「……よしっ! RED・EYEに集中しないと。プランだってあるんだもの」
マネージャーはぱんっと頬を叩き、気合を入れなおした。
☆
再び大阪へとやってきて、まずは先方に挨拶から。
RED・EYEの代表として、今日はタクトではなく、荒くれ者の透が頭を下げる。
「本日はご先達の皆さんの胸を借りたく、どうぞよろしくお願いします」
台本を読んでいる最中だった芸人は、感心気味に目を丸くした。
「挨拶に来てくれたん? いや~、イメージしてたんと大分違うなあ! ものすごく礼儀正しいやんか、キミら。ウチの若いもんと揉めたことあるっちゅー話やけど」
「その節はご迷惑をお掛けしました、ゴンマさん」
「あれはウチのほうが勝手に絡んだんやから、気にせんといて」
スターライト芸能プロダクションが頼りにならない以上、余所に協力を持ちかけるしかない。大阪のテレビ局は、RED・EYEの今回の飛び入りに快い返事をくれた。
男性タレントが集まって恥過去をカミングアウトする深夜番組、『明かそう夜』。聡子はそこに城ノ内透と周防志岐の出演を持ちかけたのである。
「なんか鉄道とプラモデルが好きなんやって? 今日はそっち系のオッサンを重点的に集めてあるから。大丈夫、キミらのイメージがダウンするような下ネタとか言わさんし」
色々と融通を利かせてくれた大物芸人に、マネージャーも真摯に頭を下げた。
「本当にありがとうございます。収録時間まで無理を言ってしまって」
「ええて、ええて。タクト君以外は未成年やもんな。それにわざわざ大阪まで来てくれたんやし。始まるまで楽屋で寛いでてや」
挨拶を済ませたら、用意してもらった控え室へとお邪魔する。
何事も礼に始まって礼に終わるべし。胡麻をすったつもりはないが、さっきの挨拶で先方には好印象を持ってもらえたようである。
「オレの出番はなしか」
タクトは椅子にどかっと座り、収録現場が覗けるモニターを見詰めた。
「ならオレまでここにいる必要はあるまい。せっかく第二のフロンティアに来たんだぞ」
「あとで遊ばせてあげますから。リーダーがいないと、透君たちの顔が立ちません」
いつものことながらタレント業に乗り気ではなく、日本橋を目的についてきたようなもの。仕事をする気はゼロだろう。
かくいう聡子もそれを餌にして、何とか同行させたのであって。
今日のメインはこっちのふたり、だけど……このままで大丈夫かしら。
透と志岐はまた別の意味で、今回の仕事に気が進まない様子で、腰が引けてしまっていた。椅子があるのに、志岐は床にぺたんと座り込む。
「本気なの? さっちゃん。カミングアウトなんてさぁ」
透も壁にもたれ、溜息を繰り返す。
「はあ……ファンの子にどんな目で見られるかって思うと、なあ?」
「ネガティブな被害妄想はそこまでですっ!」
敏腕マネージャーは人差し指をびしっと立て、念を押した。
「ゴンマさんはトーク番組のプロですから、RED・EYEのイメージは必ず守ってくれます。それにファンも、本当にあなたたちのファンなら理解してくれます」
城ノ内透と周防志岐は自分がオタクであることに悩み、それをひた隠すほど、自虐的に劣等感を抱いている。
そこで聡子はいっそのこと、彼らの趣味を公開してしまうことに決めた。
しかし志岐も透もカミングアウトの瞬間を恐怖し、委縮している。
「プラモばっか作ってるヤツって思われるよぉ……やっぱやめようよ、さっちゃん」
「諦めろよ、志岐。……俺だって、この仕事は潮時かなって思ってんだし」
青ざめ、芸能界からの引き際まで相談し始めた。
そんな彼らを発起させるのもマネージャーの仕事である。
「絶対に大丈夫です!」
それにアイドルを別にしても、聡子は今の状況に疑問を持っていた。
「大体あなたたちだって、不満に思ってるんでしょ? 何も悪いことしてないのに、後ろめたい気持ちのまま趣味に興じるなんて」
「そりゃ、本当はもっと堂々と撮影に行きたいけどさ……」
有名人だから隠れてコソコソ、ではなく、オタクだから隠れてコソコソ。それは年月を経て彼らに劣等感を植えつけ、卑屈にしていた。
「だから先輩方と思いっきり趣味のお話をして、何もかもオープンにするんです。ゴンマさんたちにもこれだけお膳立てしてもらってるんですから、ガンバりましょうよ!」
聡子はガッツポーズを作って、煮え切らないふたりを鼓舞する。
悩みのないタクトは、控え室にあった折りたたみ式の碁盤を開いていた。
「おい、マネージャー。その論理でなぜオレだけ外す?」
「え? ええと……タクト君の趣味はインパクトが強すぎますし……」
聡子はちらりと視線をずらし、はぐらかす。
「それにタクト君、劣等感とか全然ないじゃないですか」
言い訳としては苦しいかもしれない。
だが、さすがにタクトのアニメ趣味は公開に踏み切れなかった。神に選ばれし大天使がアニメの女の子にぞっこんとなっては、イメージはダウンどころか消滅する。
「……まあいい。オレはこいつらみたいに不自由はしていないしな」
やがて時間になり、スタッフが透と志岐を迎えにきた。
「ここまで来ちまったら、腹を括るしかねえ。行くぞ、志岐」
「わかったよ。も~、どうにでもなれっ」
聡子とタクトは碁盤越しに向かい合いながら、控え室で収録を見守る。現場ではスタッフが、身長差などを考慮し、タレントの配置を相談している最中のようだった。
準備はしばらく掛かるだろう。
「タクト君って囲碁もできるんですね」
「祖母に教わって、少しな」
前はマラソンの最中で、あんまり話せなかったものね。
タクトとふたりきりの今だからこそ、話題のテーマがあった。
「こないだ志岐君たちに聞いたんです。最初はスカウトされたって」
「ホビーショーの企画と間違えて応募したってやつだろう? まあきっかけはどうあれ、あいつらはディレクターに恵まれた」
「井上さん、ですね」
「なんだ、知っているのか」
雑談しながら、タクトが碁盤に石を並べていく。
その視線が、ちらっとモニターに差し掛かった。何だかんだでリーダーとして無関心ではいられず、仲間のことが気になるらしい。
「……志岐のやつは相当固まってるな」
映像の中では透も志岐もすっかり小さくなっていた。
それを一笑に伏したタクトのまなざしが、今度は聡子を見詰める。
「聡子、お前はオレをどう思う?」
「どうって、ええと……」
真っ先に頭に浮かんだのは『変な人』だった。
さすがに怒るわよね、タクト君も。
意味を取り違えそうになっていると、タクトが付け加える。
「タレントとして、という意味だ。どうせ変人くらいに思ったんだろう、今」
「ご、ごめんなさい。そうですね、タレントとしてのタクト君……ですか」
ステージに立った霧崎タクトは、まさしく『天才』の二文字が相応しい存在だった。歌もダンスも上手く、こと表現力に関しては、ほかの追随を許さない。アクシデントさえ、持ち前のパワーで強引に自分の流れにしてしまう。
「すごいと思います。さすがRED・EYEのセンターだな、って」
「世辞が真実になってしまうのも罪深いな。だが、それもあいつらのサポートがあってのものだ。レッスンではよく差を感じる」
「差を……って、タクト君が?」
その言いまわしは、タクトが透や志岐のレベルに届かない、という意味合いだった。聡子はきょとんとして、自信過剰なくらい自信家である美男子を見詰める。
「まずは歌。ボーカルは透のほうが音域が広い。肺活量もオレや志岐とは段違いだ」
城ノ内透は水泳で身体を鍛えていたこともあり、人一倍の体力があった。砲丸のような超重量を上げ下げする呼吸法が、歌唱力も高めているのだろう。
「で、志岐は身体の軽さだ。あいつがいるからこそ、オレたちにはダンスがある」
周防志岐はフットワークを活かし、いつでもステージを狭しと跳びまわる。サッカーの経験が最大限に活かされているに違いない。
「ボーカルとダンスは、オレにはないあいつらの武器さ」
RED・EYEのリーダーはメンバーの技能を正確に把握し、認めていた。そこに彼らの絆を感じ、聡子は柔らかく微笑む。
ちゃんとリーダーしてるじゃない。だから、透君たちも着いてくるのね。
「じゃあ、タクト君の武器は?」
率直な質問に対し、タクトは自慢の顔立ちを指でなぞった。
「カオ」
身も蓋もない答えだが、アイドルにビジュアル性は絶対に欠かせない。
「無論、オレは歌もダンスも充分上手いぞ。ただ、透と志岐では華やかさがない。あんな汗臭いだけの兄弟ユニットが売れるか」
さっきまでメンバーを褒めていたのに、てのひらを返すように平然とこきおろす。
……やっぱり不安かも。この人がリーダーでいいのかしら?
聡子の頭が少し痛くなった。『胃が痛くなる』ようになったら病院に行きなさい、と無責任な叔父に釘を刺されている。
「じゃあタクト君はビジュアルでスカウトされて、芸能界に? ……あっ、オフィシャル情報は非公開の部分が多いみたいですから、話しにくいことならいいです」
霧崎タクトの出自には謎が多く、熱心なファンでも『ファッション雑誌のモデルからスタートした』程度にしか知らなかった。
「ああ、あのプロフィールな。平凡すぎるから伏せてるだけだ。普通のサラリーマン家庭からアークエンジェルが生まれていたら、興ざめだろう」
「た、確かにそうですね……神の遣いですし」
透も志岐も、そしてタクトも、本質的なところは普通の男の子と変わりない。
「タクト君は年長者として、気をつけてることってありますか?」
「当然だ。あのふたりは未成年だからな、酒と煙草はオレが近づけさせん。……思い出した。ここの連中と揉めたってのも、向こうが煙草を勧めてきたからで」
日頃の傍若無人な振る舞いとは裏腹に、リーダーは責任感を持ち、年下のメンバーを監督してくれていた。
「そうだったんですか。ちょっとカッコイイです」
「透が暴れて、暴れて。オレが直々に急所を蹴ってやった」
「……それはカッコ悪いです」
そんな話をしているうち、収録の段取りが完了する。
「本番5秒前、4、3……」
ギャラリーのエキストラが拍手を合わせ、番組のスタートを盛りあげた。
「さて今週もこの時間がやって参りました、明かそう夜! 今夜はゲストになんと、あのRED・EYEのおふたりを招待しとりますー」
カメラを向けられた透と、続いて志岐も起立し、ぎこちない面持ちで挨拶する。
「こ、こんにちは。本日はお招きありがとうございましたっス」
「ちょっと透、これ深夜番組だってば。こんばんはー!」
どっと笑いが起こり、掴みは上々。
ゴンマさんを信じてないわけじゃないけど、ちゃんと上手く行くかしら……。
鉄道ファンやモデラーはオタクといっても、大衆に理解されやすいほうだろう。だが、いかんせん透たちが緊張しすぎてしまっている。
それを先輩タレント陣が自然な流れでフォローしてくれた。
「こないだの大阪マラソン、タクト君の抱っこがえらい噂なってるけど。おれ、ふたりがゴールするのちゃんと見てたで。あの人数で上位三十名に入ってたやんか」
「おいおい、当日同じマラソンで三百位だった伊藤さんが見てるぞ!」
さすが年季の入ったタレント勢だ。
幕開けは平穏に、おかげで透たちの緊張もいくらか和らぐ。
「なんだか私がソワソワしてきちゃった……タクト君、これで一局いいですか?」
「いいぞ。聡子が黒を持て」
控え室のマネージャーは気を鎮めるため、碁盤に石を打ち込んだ。
番組の収録は、司会の軽快かつ痛快なトークにぐいぐいと引っ張られていく。
「……じゃあ、そろそろ聞かせてもらおかな。なんや今日は、キミらの本当の趣味を教えてくれるって? まずは透くんからカミングアウトしてみよか」
設定上は悪魔であるにもかかわらず、今日の透は姿勢正しく座っていた。熟年のプロに囲まれ、萎縮してしまっているのであれば、まだ構わないのだが。
後ろめたい趣味を告白するため、がちがちになっている。
「ええっ、ええと。実は俺……て、鉄道が好きなんスよ。よく写真も撮ったりしてて」
スクリーンに透手製の鉄道写真が浮かびあがった。赤い車体に夕焼け色が差し掛かる、とっておきの一枚だ。
タレントたちが目を見開き、声を揃えて感嘆する。
「おおお~! 自分これ、写真ごっつ上手いで! なあ、写真家の亀島さん」
「いいねえ。若い子がこういうの撮ってくれると、励みになるよ」
話題は写真から、次第に鉄道へとシフトしていった。
「朝イチでってことは、普段からも割と早起きなんやね。……えっ、四時半起き!」
「始発が好きなんスよ。電車だけ撮れますし」
「通勤ラッシュなんか撮っても面白ないもんな。って、さっきから鉄ちゃんの中谷さんがソワソワしてて、見てられんわ」
「透くん! 大阪の沿線やったらどれが好きかな?」
「やっぱ近鉄ですね。サンドブラウンの特急、マジでカッコイイっス!」
趣味の話になると、透の表情も生き生きしてくる。RED・EYEの悪魔、というイメージとは違って朗らかになってしまったが、許容の範囲だろう。
「近鉄! こんなところに同志がおった!」
「野球とちゃうでー。でも最近、マナー違反も目立ってるよなあ。線路にカメラ置いて撮ろうとするアホもおるっつー話やで」
「何考えとんかな? ああいうの。良し悪し以前に、まずできんやろ」
トークの最中に透が俯き、拳を握り締めてわななく。
碁盤に石を打ちながら、タクトが呟いた。
「爆発するぞ、アイツ」
「え? まっ、まさか……」
座っているだけのはずだった透が唐突に立ちあがり、カメラに荒々しく吼える。
「俺はなあ! 踏み切りの煙草とか許せねえんだよッ! 絶対すんじゃねえぞ! それが同じ鉄道ファンだったりしたら、もう俺、腹が立って!」
台本にない流れでも、すかさずタレントからフォローが入った。
「せや! よう言うた! ひとりがマナー破るせいで、ファン全員が偏見の目で見られたりな。あれはほんま許せんわ」
「確かに踏み切りらへんは酷い。煙草とか、ゴミだらけで」
皆して単なる本音かもしれないが。
司会が透をどうどうと鎮めつつ、締めに入る。
「これはな、鉄道ファンだけの問題じゃないねん。みんなの問題。説教臭い話になってまうけど、個人的な趣味かて社会的な行動なんやから。ネットかてそうやんか」
「は、はい。俺もそう思います」
透は素直に頷き、大物芸人のトークに聞き入っていた。
「また上手いこと言って、ゴンマぁ~。自分の株上げようとすんなよ」
「アッハッハ! ほな、次は志岐君の話も聞かせてもらおかー」
とうとう出番のまわってきた志岐が、ごくりと息を飲む。
「ぼぼ、僕は……な、なんていうか」
緊張してしまっているのが目に見えて、聡子も囲碁どころではない。
「しっかりしろよ、志岐。ファンにわかってもらえなくても、ゴンマさんたちはわかってくれるって。さっきの俺みたいに」
「う、うん。わかった」
しかし兄貴分の透に背中を押され、深呼吸するだけの落ち着きを取り戻した。
「ふう~っ。僕、プラモデルが大好きなんです」
トーク会場に志岐手製のプラモデル『大阪城』が運ばれてくる。
タレント勢はまたも目を見開き、その壮麗な仕上がりように見入った。
「えええええ~! これ、ほんまに自分が作ったの?」
「大阪城を見下ろすなんてこと、できるんやなあ」
プラモデル談義になり、男だらけのトークが台本から離れて盛りあがっていく。
「普段はロボットのプラモ作ってるんですけど、スキルアップになるから、スケールプラモも好きで。この城も勉強になりました」
「プラモって、最近のはすごいよな! 接着剤なくても組むだけで」
「田島はわかってないなあ……パチ組みに頼りきった商品展開が幅を利かせて、ユーザーのスキルが低下してんねんぞ」
「まあまあ、組み方は人それぞれやないか。なあ志岐くん、ロボットって例えば?」
「こないだはヴァリアントファイヴの参式とか作ってました」
「最近また曲線の多いロボットが増えたんよな。オッサンらが子どもの頃は、丸っこいロボットばかりやったんやけど、だんだん直線のラインが多なってきてー」
「それって曲面だと金型の成型が難しいからなんですか?」
「確かにそういう考え方もできるなあ」
「へえ~、ウェザリングも丁寧に入ってるやん。このへん、雨の跡ってことでしょ」
「玩具いうヤツもおるけど、立派なアートやんなあ! 教育にもええって」
「今日新井がおらへんのが残念やなあ。あいつ、こういうのごっつ好きやのに」
男たちの熱い激論は、女子の聡子には難しすぎた。
「ぜ、全然わからないわ……タクト君はわかるんですか?」
「オレも全部はわからん。それより、そんなとこ打っていいのか」
タクト相手に局面を逆転させるのも難しい。
司会がぱんぱんと手を叩き、トークを一旦落ち着かせる。
「はいはいはい! 全員、カメラ忘れとるやろ。せっかく語ってもろたけど、今んとこ早送りになるかもしれんで。ゲストよりオッサンが喋りすぎや!」
「ワハハハハッ!」
ところが一言、肝を冷やす場面があった。
「霧崎タクト君も、ほんまはすごいマニアやったりしてな」
透と志岐が顔を強張らせ、聡子も碁石の打つ場所を間違えてしまう。
「特撮とかな!」
冷え切った背筋に体温が戻った。
ほっ。冗談ね……。
綱渡りでも終えた気分で、安心はできても心臓に悪い。
番組収録はつつがなく終わり、あちこちで満足そうな声が上がった。
控え室の囲碁も終局し、聡子のボロ負け。
「……降参です。すごく強いんですね、タクト君って」
「いや、すぐツナごうとするお前の手が悪い。睨み合いはもっと粘らないとな。手堅いというより、守りの面でせっかちが過ぎる」
「それはあるかも……つい固めたくて、小さくなっちゃうんです」
タクトが碁石を並べなおし、攻防のやり取りを解説する。
「ツナぐにしても、急所だけを的確に押さえておけばいい。この場合はどうする?」
「え、ええっと。こう、ですか?」
容赦はないものの、プラモデル談義に比べれば遥かにわかりやすかった。おそらく祖母にこうして教わったのだろう。
囲碁を指南するタクトの怜悧な相貌が、聡子を惹きつけた。
もしかして……この人、すごくカッコイイのかしら?
麗しい美貌といい、首筋の色気といい。扇情的な艶めかしさに溜息が出る。
「次は勝てそうな気がしてきました。また相手してくれますか?」
「構わん。アニメの待ち時間にでも打ってやる」
「……やっぱりタクト君ですね」
ふと聡子は眼鏡を外し、俯きながらレンズを拭いた。
「おい? 聡子……」
「このケースですか? この間、日本橋で透君がくれ――」
顔を上げると、いきなり眩い光に襲われる。
「きゃあああっ!」
室内にもかかわらず、向かい風が吹いた。あまりの眩しさに聡子は片目を閉じ、その目元に手で影を作りながら、どうにか前方を確認する。
近眼であるはずの視界に、真っ白な光の正体が鮮明に浮かんだ。
白い羽毛が散るように舞う。瞬く間に小さな控室は羽根で埋め尽くされた。その中央で神々しい姿が一対の翼を広げる。
それは霧崎タクトだった。
聡子は天使の存在に目を見張り、驚愕する。
まさか、これがタクト君の……だだ、だっ、大天使フェロモン!
これまで眼鏡でシャットダウンしていた、彼の魅力が成せる技らしい。恋愛経験は近所のお兄さんに少し憧れた程度でしかない聡子には、刺激が強烈すぎる。
「あ、あの……タクト君? あっち向いてもらえませんか?」
光の量に気圧され、聡子はおずおずとあとずさった。
ところが、大天使のほうが驚いたように聡子の素顔を指す。
「おおっ、お、お前は、真奈美じゃないかっ!」
幻想的な光景に亀裂が走った。呆気なく割れてしまい、正常な控え室が戻ってくる。
「……え? タクト君……?」
「なんということだ、3Dの時代は終わったものと……いつオレの部屋から飛び出してきたんだ? どうして本物の人間になれることを黙っていた!」
タクトは碁盤の白と黒をごちゃ混ぜにして、興奮気味に立ちあがった。テーブルを乗り越え、眼鏡のない聡子にずかずかと詰め寄る。
「オレの愛が奇跡をもたらしたのか?」
彼は素顔の聡子を、アニメの真奈美と完全に誤解していた。迫られるせいで、それまでぼやけていた彼の真剣な表情がはっきりと見える。
「ちょちょっ、ちょっと! わたしは真奈美ちゃんじゃありませんったら!」
「いいや、間違いない。オレの真奈美が、今本当にオレのモノに!」
真正面から抱き締められてしまった。タクトの手が聡子の背中を撫で、感慨深そうに襟足から髪をかきあげる。
「真奈美、よく出てきてくれた……!」
抱擁は情熱的なのに、聡子の心は寒かった。全身で鳥肌が立つ。
「やめっ、やめてください! 誰か! この人をどうにかしてえ~っ!」
「たっだいま~。どうなるコトかと思ったけど、楽しかったよ! さっちゃ……」
このタイミングで志岐たちが戻ってきた。
まさかの情事を目撃し、透も志岐もひっくり返りそうになる。
「なっなな、ななな……何してんだよ、タクト!」
「真奈美は渡さん! これはオレの嫁だ!」
「さっちゃんがタクトの嫁なわけないだろ! 離れろー!」
聡子を囲んで、取っ組み合いに。
透と志岐のふたり掛かりでも、タクトの暴走は抑えきれない。
「落ち着いてください、タクト君! 私は真奈美じゃなくて、聡子です!」
かろうじて透を盾にしつつ、聡子は声を荒らげた。
現実に気付いてしまったらしいタクトが、猛進を止める。
「……声が違う。誰だ? 貴様は」
「月島聡子ですっ!」
聡子が眼鏡を掛けなおすと、タクトは愕然としてうなだれた。自分の席に戻り、碁盤に肘などついて哀愁を漂わせる。
「オレとしたことが……三次元のツンデレ失敗作が、愛する真奈美に見えてしまうとは。かなり疲れが溜まっているな、こいつは」
それだけ嫁への愛が深いのなら、見間違えないで欲しい。
どうやら眼鏡を外した聡子は、彼の真奈美ちゃんと瓜二つみたいである。
タクト君の前では眼鏡を取らないようにしよう……。
恐るべきは大天使フェロモン。熱狂的なファンは、あれを目の当たりにしてしまったのだろう。聡子の胸はまだ高鳴っている。
「で、一体どうしたんだよ?」
「あとで説明しますね。収録はどうでした?」
ほとぼりが冷めたところで、志岐と透は和気藹々と笑みを弾ませた。
「今日の仕事はよかったよ! もっと喋りたかったくらい」
「二十歳になったら一緒に飲みに行こう、って誘われたぜ。あと一年かあ~」
「いいなあ、透は。僕なんてまだ十七なんだぞ」
週録前の不安はどこへやら、顔つきが生気に満ちている。
マネージャーとしても手応えがあった。
「どう? 秘密にしてた分、スッキリしたでしょう」
「最高だったぜ! 鉄道マニアって芸能界にもいたんだな」
放送はしばらく先だが、大成功の予感がする。
帰る前に、聡子たちはトーク番組の関係者に謝礼してまわった。
司会の芸人は満足そうに収録テープを眺めている。
「本日はお世話になりました。ゴンマさん」
「いやいや、礼を言うのはこっちのほうやで。この番組、毎回同じような面子でオッサンが昔話するだけやったから、今日はいい刺激になったし。また一緒に仕事しようや」
「はい! 是非よろしくお願いします」
挨拶はすべて透が自ら担当し、礼で始まった仕事を礼で終わらせた。
「よし、終わった。これからがオレのメインステージだ」
タクトが歩みを早め、第二の楽園へと急ぐ。
「待ってよ、タクト! 僕も行く!」
「ちょっとー! 郵送はしないって約束、忘れないでくださいよ!」
志岐もあとを追っていったが、透はまだ聡子の隣にいた。思い詰めたような表情だが、深刻さは感じられない。
「……どうしたんですか? 透君」
「なんつーか、今日は色々驚いちまって。俺と志岐は相槌打つくらいしかできなかったのに、持ちあげてもらってさ。この道のプロはマジですげえんだな、って」
ベテランの技量に透は素直なほど感嘆していた。
「流れを作った……いや、支配したんだよ。タクトみたいに」
「タクト君が?」
その延長線上に、我らがリーダーの名前が出てくる。
「あいつ、コンサートでいつもこれをやってたんだ。大天使フェロモンだけじゃねえ。タクトは最高のリーダーだぜ」
聡子にとっては自分のことではないのに、聞いているだけでくすぐったい。
「タクト君にも言ってあげてください」
「い、言えるわけねえだろ! ……あいつには内緒な」
透はかあっと赤面し、人差し指で鼻の下を擦った。
互いに尊敬し、認め合うことで、チームはより結束を固くする。そんな道徳の教科書にでも書いてありそうなことが、目の前で現実になりつつあった。
そういえばタクト君、透君がキレるのを読んでたわね。
歌とかダンスでは仲間を頼りにしてるみたいだし。
RED・EYEはまだまだ成長する。その真価は今に証明されることだろう。
すでにプランは出来ていた。
「透君も頼りにしてますよ。RED・EYEはひとりでも欠けたら、意味がないんです。これからどんどん忙しくなるんですから」
マネージャーは眼鏡の端をくいっと上げ、不敵に微笑む。
「これから……?」
「ふふっ、私に任せてください!」
今日の仕事で下準備は整った。
☆
関西の深夜番組『明かそう夜』にRED・EYEのふたりが出演したことは、関東でも話題に。イケメンアイドルたちの本音は多方面で反響を呼んだ。
「さっちゃん、さっちゃ~ん!」
志岐が聡子の部屋まで降りてきて、最新のファンレターを見せびらかす。
「見てよ、さっちゃん! ファンの子からこんなに!」
女の子の間ではプラモデルが、大きいものではないにせよブームになりつつあった。
『プラモデルって面白いです! でもちょっと難しいかも……志岐クン、初心者の私にもわかりやすく教えて~!』
『プラモが好きな志岐くんって可愛い! ますます好きになっちゃったかも!』
周防志岐の新しい一面を知ったことで、ファンは盛りあがっている。
『今まで芸能界に興味はなかったんですが、周防くんの大阪城には驚きました。もっと作例を見せて欲しいです。一緒にスキルアップしましょう!』
しかも従来のプラモデルファンまで周防志岐に注目し始めた。これまでのアイドル活動では拾いきれなかった、潜在的なファン層を開拓できたのである。
「すごいですよ! 芸能界に興味ないって言ってる人まで、志岐君にこうやってお手紙を送ってくれてるんですから」
この快進撃には聡子自身も驚かされた。
志岐は嬉々としてガッツポーズを作り、手応えを堪能する。
「く~っ! モデラーが増えてくれて嬉しいよ。大阪のブキヤも、女の子の客が増えたのは志岐くんのおかげ、ってさあ」
カミングアウトの効果は上々の滑り出しだ。
「おーい、志岐! 聡子ちゃ~ん!」
透も志岐に勝るとも劣らない数のファンレターを抱え、笑顔でやってくる。
「男性から今日もこんなに! たくさんいるんだよ、鉄道ファンは!」
透へのファンレターは男性からのものがほとんどだが、年齢層が広かった。中学生も団塊世代も、鉄道ファンの心はひとつ。
『テレビでああいうふうに言ってくれる有名人がいると、すごく嬉しいです』
『鉄道ファンだけで掃除していたら、ほかの人も手伝ってくれるようになりました。駅がとても綺麗になりました。ありがとう、透くん!』
透と志岐がハイタッチを交わし、ファンレターを交換して読む。
「なんだよ志岐~、モテモテじゃねえか」
「透だって、一気にファンが増えてるじゃん」
ふたりの機嫌がよいうちに、聡子は本命の仕事について切り出した。
「透君、志岐君。この調子で趣味を仕事にしませんか?」
志岐がにやけつつ、かぶりを振る。
「えっ? ムリムリ! 上手い人は僕なんかよりメチャクチャ上手いんだし。僕、プラモのコンテストに出しても一次がやっとなんだよ?」
「今から勉強したって、俺の頭じゃ国鉄は……難しいんだぜ? あれ」
透も否定で済ませようとしたが、興味がないはずはない。
「あなたたちはタレントなんですよ? ですからタレントにこそできる、タレントにしかできない方法で、ホビー業界や鉄道ファンに貢献すればいいんです」
マネージャーは企画書を広げ、その紙面へとふたりの視線を誘い込んだ。
ひとつめはホビー誌の企画で、女性向けのコーナーを作ること。キャラクターに周防志岐を起用し、女性視点で、プラモデルをわかりやすく解説する。
小さな仕事といえばそれまでだが、志岐にとっては大きな魅力だろう。
「僕がホビー誌の企画を……す、すげえ」
そしてふたつめは、鉄道会社から車内マナーの啓蒙について。こちらが持ち込むまでもなく、先方から『ぜひ城ノ内透を使わせて欲しい』と依頼が舞い込んできた。
あとは透の返事ひとつで、CMの撮影がいくつも確定する。
「俺なんかでも鉄道ファンの……いや、電車に乗るお客さんのために」
透も志岐も仕事の内容に震えるほど感激した。
「やろうぜ、志岐! こうなったら、全国の線路という線路を制覇してやらあ!」
「僕も漲ってきた! さっちゃん、僕たちやるよ! いいえ、やらせてくださいっ!」
マネージャーに向かって、ふたりして勢いよく頭をさげる。
まさか頭まで下げられるとは思わなくて、聡子は少したじろいだ。
「じゃあオーケーってことで進めておきますね。ふたりとも、期待してます」
「まっかせてよ! こりゃ次のライブも気合入れないと……透、レッスン行こう! 新作のダンス、まだ全然練習してないじゃないか」
「ダンスの次はボイトレもいくぞ! おーい、タクトぉ!」
善は急げとばかりに、透たちは階段をあがって203号室のドアを叩いた。
これは私も忙しくなりそうだわ!
RED・EYEのモチベーションはかつてないほど上がっている。今ならどんな規模のコンサートでも楽々とこなせそうで、マネージャーは武者震い。
しかし肝心のリーダーは、ドアの隙間からブルーな面持ちを覗かせた。
「……レッスンだと? 勝手に行ってこい」
「お前も来るんだよ。センターがいねえと、練習にならねえだろ」
同じRED・EYEのメンバーでありながら、温度差が激しい。
聡子はまずいことに気付き、固唾を飲んだ。
そうよね……タクト君は何も解放されてないんだもの。
霧崎タクトだけ『明かそう夜』に出演せず、オタク趣味は秘密のままなのだ。
しかしもっとも女性ファンの多い彼が、実は毎晩アニメの美少女と添い寝気分となっては、トップアイドルのイメージが崩壊してしまう。
「ごめんなさい。でもタクト君には、アニメのキャラクターより、女の子のファンのほうを優先して欲しくて……」
歯切れの悪い言い方は、余計に雰囲気を気まずくした。聡子が自分の判断を正当化するほど、彼のオタクとしての立場は軽んじられる。
タクトは激昂し、声を荒らげた。
「いい加減にしろ、聡子! 真奈美はアニメのキャラクターなんかじゃない!」
「そ、そうですよね。タクト君にとっては本当の」
「ゲームのキャラクターだっ!」
バタン、と勢いよくドアを閉め切られる。
「……はい?」
聡子は放心し、目を瞬かせた。アニメとゲームで何がどう違うのか、わからない。
後ろでは志岐と透が首を傾げあった。
「可哀想だよ、やっぱり。僕たちだって同じ境遇だったんだし」
「だよなあ。なんとかならねえか? マネージャー」
このままタクトだけ放っておくわけにはいかないだろう。
ひとまずマネージャーはふたりをレッスンへと促した。せっかくメンバーの三分の二が張りきっているのだから、、無駄にする手はない。
「タクト君は何とか私が説得してみます。透君たちはレッスンに行ってください」
「悪ぃな、聡子ちゃん。頼んだぜ」
透と志岐を見送ってから、改めてタクトの部屋をノックする。
深呼吸を挟んで、もう一回。
「さっきはごめんなさい、タクト君。……少しだけ入れてもらえませんか?」
しばらく返事はなかったが、やがて内側から鍵が開いた。
「好きにしろ」
拒絶されてはいないことに、内心ほっとする。
タクトの203号室はナナノナナのグッズがなくなった分、真奈美のグッズが増えていた。まさにタクトと真奈美、ふたりだけの愛の巣である。
ポスターも真奈美のものが飾られ、同棲気分を演出していた。透といい、志岐といい、ここまで趣味に没頭できるのが羨ましい。
タクトはテレビゲームで、実際に『真奈美』とコミュニケーションを取っていた。
ゲームのキャラクターって、こういう意味だったのね。
どうやら『彼女』は恋愛シミュレーションゲームのヒロインらしい。
『タクトくんったら。でも嬉しい、ありがとう!』
しかもナナノナナの声で、タクトの名前を自然かつ正確に呼んだ。イントネーションにも違和感がなく、臨場感に驚かされる。
ちょっと面白そう……。
遠慮がちに適当なスペースを探し、聡子も腰を降ろした。
タクトはゲームに集中している様子もなく、黙々とボタンを押している。
「ねえ、タクト君。カミングアウトしたいですか?」
「当たり前だ。オレはずっと、こんなことはおかしいと思ってる」
作業的にボタンを押すだけの行動に対し、テレビ画面の彼女は照れたり笑ったり。
次第にタクトの苛立ちが大きくなる。
「オレたちの趣味は皆に軽蔑される。キモいだの、モテないだの、現実逃避だの……犯罪者の部屋にこの手のゲームやアニメがあったら、すぐ槍玉にあげられる」
とうとう彼はコントローラーを投げ、聡子に振り向いた。
「おかしいじゃないか! オレたちは何か悪いことをしているか? なぜオレたちがこんなふうに隔離されてなくちゃならないんだ!」
真正面から怒号を浴びせられる。
聡子は正座のまま委縮し、俯くしかなかった。
「……ごめんなさい」
ファンに知られてはイメージダウンは免れないから、といって、自分もタクトの趣味を『隔離』したのだ。それが彼にとって苦痛であることを考えずに。
わたし、とても酷いことしたんだわ……。
そんな自分自身が情けなくて、腹立たしくて、てのひらに爪が食い込む。
「いや……すまん。今のはオレが大人げなかったな」
タクトはふと穏やかな顔になり、聡子の頭をそっと撫でた。
「大天使ともあろうものが、女に怒鳴ってしまうとは。誰でもいいから聞いて欲しかったのさ。単に怒りをぶつけたかったのかもしれん」
聡子に責任を感じさせないよう、あえて自分の立場を悪くする。
「映画で泣くやつは感受性が豊かだ、と言われるだろう。だがどうだ? 漫画やアニメで泣くやつは薄気味悪い、と叩かれる。こういうゲームもだ」
タクトの表情は憂いを帯びていた。いつもの演技じみたものではなく、言葉の節々にも真剣さが滲んでいる。
「感動することが、どうしてこうも差別される? それがエンターテイメントか?」
タクトは埃を被っている自分のサインを手に取った。
「オレたちのファンだってそうじゃないか。オレの歌を聴いて、泣くやつがいる。それを外の連中は、気色悪いだのと嘲る」
「タクト君……」
彼のプロ意識は決して低くはなかった。
霧崎タクトの名に恥じない、正当な憤りだ。ファンが受ける非難中傷に心を痛め、マネージャーに今、それを赤裸々に打ち明けている。
「オレはこの歪んだ世界を変えたい。そのためにアークエンジェルになったんだ」
彼の崇高な決意を前にしては、RED・EYEの人気しか考えていなかったマネージャーなど、ちっぽけな存在だった。素人とプロで、意識の差を痛感する。
「……ありがとうございます、タクト君。話してくれて」
タクトは背中を向け、ゲームに戻った。
「久々に熱くなってしまったか。まあ、お前の言うこともわからんでもない」
照れ隠しにしては無愛想だが、言葉遣いは優しくなっている。
「しばらくひとりにしてくれ」
聡子は席を立ち、去り際に慰めの言葉を掛けた。
「ナナノナナさんのグッズは置いてありますから。いつでも取りにきてください」
「……余計なお世話だ」
ゲームの邪魔にならないよう、静かに203号室をあとにする。
狭い部屋の中で、人気アイドルの器の大きさを見せられた気分だった。新米マネージャーでは想像もつかない域に霧崎タクトは達している。
やっぱりリーダーはタクト君しかいないわ!
それこそ彼のカリスマ性なら、オタクのイメージを改善することも不可能ではない、と期待してしまうほどに。
何よりファンの気持ちを真剣に考えていることが、意外であり、マネージャーとしても誇らしかった。RED・EYEのサポートに聡子もより熱心になれる。
「よーし! 今夜は美味しいもの作ってあげなくちゃ!」
聡子は袖を捲り、101号室のキッチンで腕を振るうのだった。
☆
カミングアウト以降、透と志岐は毎日のようにレッスンに励んでいる。趣味を活かせることで、練習にも仕事にも意欲的になった。
来月の下旬にはドームコンサートを控えており、レッスンもハードだ。とはいえ今のふたりには、厳しいくらいが、かえってやり甲斐を感じられるらしい。
だが聡子も、透も志岐も、物足りなさを振りきれずにいた。その空白感は、ほかのものでは決して埋めることのできない。
居残っての練習が一段落したところで、聡子はふたりにタオルを差し出した。
「お疲れ様。今日はこのくらいにして、帰ったら夕飯にしましょう」
放っていてはオーバーワークになりかねない練習量のため、時間がある時はなるべく見守ることにしている。
志岐たちは息を乱しつつ、タオルで汗を拭き取った。
「透、最近よく声が出てるよね」
「お前も動きにキレが出てきたと思うぜ」
日に日に練習の成果が見えるようになり、コーチのお墨つきも貰っている。
ここまで成長する以前から、彼らには素質があった。それを見抜いて育てあげたという初代ディレクターの手腕には、感心どころか感服する。
こんなにやりがいがある仕事だったなんて。
わたしにも……できるかしら。
バイト程度の真似事ではなく、いつか自分もタレントを育成し、世に放ってみたい。そんな欲求が聡子の胸で膨らみつつあった。
「……さっちゃん、どうかした?」
「ううん、なんでも」
そのためにも、RED・EYEを完全復活させなければならない。
あれからタクトは部屋にこもりがちになり、今日も『気が乗らない』といってレッスンをさぼってしまった。RED・EYEの仕事も透と志岐だけでこなすことが多い。
透がスポーツドリンクを飲み干し、ぷはっと息を吐く。
「やっぱ、タクトがいねえと締まらねえな」
「ダンスだって、センターがいないと練習になんないもんね」
志岐も珍しく真剣な表情で、リーダーの帰りを待ち侘びていた。
このふたりは仕事が楽しくなっている一方で、タクトはずっと不満を抱いている。その温度差が気まずい空気を作ったかもしれない。
しかし聡子は彼の帰還を信じていた。
「タクト君なら大丈夫ですよ」
普段の振る舞いは唯我独尊としていても、タクトには透や志岐の才能を認めつつ、監督するだけの責任感がある。
いつまでも部屋で腐っているのも、大天使の彼らしくない。今に持ち前の破天荒な勢いを取り戻し、翼を広げてくれるはず。
「もう一回説得に行くか。俺と志岐だけじゃあ、単なる兄弟コンビだぜ。なあ?」
「うん! タクトは絶対に必要だよ。タクトがいないと始まんない!」
その時は近いだろう。
リーダーを奮起させるべく、聡子たちは急いでアパートに戻った。
夕飯の前に全員でタクトの203号室を訪れる。
「タクト~! おい、いねえのか?」
ノックしても反応がない。鍵は掛かっていなかった。
透が扉を開け、続く志岐が照明を点ける。
「なんだ、いるじゃん。電気もつけないで何やってんのさ?」
ふたりを追って、聡子のタクトの部屋に足を踏み入れた。いつもはほのかに漂っているラベンダーの香りが、今日はしない。
部屋の主は、電源の落ちたテレビの前で呆然としていた。
「……………」
来客にも気付いておらず、放心したまま、視線を宙に泳がせている。
彼の行動は普段から異常だが、それはあくまで『行動』、アクションだ。しかし今回は『何ひとつ行動しない』という消極性が、不気味な雰囲気を醸し出していた。
何があったのかしら……すごくイヤな予感。
志岐が冗談にならない不安を口にする。
「ま、まさかゲームのやりすぎで、廃人ってやつに……?」
逆に透は声を荒らげ、タクトの胸ぐらを掴みあげた。
「おら、聞いてんのか! リーダーがいつまでもヘコんでんじゃねえぞ!」
「暴力はだめです! 透君、落ち着いて」
あわや一触即発と思いきや、タクトはまだ一言も発しない。
「お願いだよ、タクト! タクトがいないと、僕たちはこれ以上進めないんだ。……わ、わかった! こないだ言ってたガレージキット、作ってあげるからさ」
志岐が最後のカードを切ることで、やっと指がぴくりと動いた。
「真奈美の、声が……」
神の救いでも求めるかのように、その手が上に伸びる。これは尋常ではない。
聡子たち三人は顔を見合わせ、一様に眉を顰めた。志岐と透の視線がマネージャーへと集中し、タクトに声を掛けてくれ、と困ったふうに急かす。
恐る恐る聡子はタクトの顔色を覗き込んだ。
「真奈美ちゃんがどうしたんですか?」
「そうじゃない、真奈美の……こ、こえが、今さっき、発表で」
彼の声はうわごとじみていて、ひどく弱々しい。
「ナナノナナさん? グッズでしたら、ちゃんと私が……」
タクトの両目から大量の涙が溢れ出した。聡子が驚く間もなく洪水になり、頬をびしょ濡れにしてしまう。
「聞いてくれ! 一大事だ! ナナノナナ様が……ナナノナナ様が!」
「うおっ、なんでこっちに来るんだ? テメエ、離れろっての!」
タクトは聡子ではなく、透の逞しい胸板へと飛び込んだ。そして泣きじゃくる。
「前に競演した声優と結婚するっていうんだぁあ~ッ!」
透も志岐も盛大にひっくり返った。
「はっ、はあぁ?」
「それで落ち込んでたのぉ?」
聡子も眩暈に不意打ちされ、大天使の嘆きに幻滅する。
あーもう、この人! めんどくさい!
人気声優が結婚という一報に、彼の繊細なハートは粉々に砕かれたらしい。
「あの、結婚って……タクト君、ナナノナナさんじゃなく真奈美ちゃんを選ぶって、前に言ってましたよね?」
「貴様がさっさとグッズを捨てないからだ! どうしても気になってしまって、ズルズル引きずって、その結果がこれだぞ! 後ろ髪を引かれてしまったがために!」
タクトの失恋は、なぜか聡子のせいにされてしまった。
ずれそうになった眼鏡を調えながら、マネージャーは溜息を漏らす。
「もう真奈美ちゃん一筋でいいじゃないですか……」
透も志岐も呆気に取られ、リーダーの慟哭を聞き流していた。
「すまない、ナナノナナ様! オレはもうアークエンジェルになれない。ひぐ、裁くことも許すこともできない、ただの哀れな罪人になってしまったんだぁ~!」
せっかくの美貌が涙と鼻水でグチャグチャ。
「うおおおおぉおおおおおおんっ!」
コンサートの歌声よりも低く、嗚咽の混じった叫びは、間違いなく近所迷惑だった。
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