皇子様はわたしの嫁だぞ
エピローグ
長かった夏はようやく終わり、秋が訪れた。
木々の紅葉ぶりを眺めながら、マドカは城下町でユーリとデート。今日くらいは激務から解放され、涼しい公園で穏やかな一時を楽しむ。年下の恋人と一緒に。
「涼しくなってきたな」
「そうだね。マドカにとっては、食欲の秋?」
「そ、そんなに食ってばかりいるか?」
女性らしい服装も板についてきた。街中なのでドレスではないものの、ワンピースにストールを重ね、髪には野菊のコサージュも着けている。
ユーリのほうはシックな色合いの紳士服を、ごく自然体で着こなしていた。高貴な身分であることは一目瞭然だが、皇子とまではわからないだろう。
マドカがいるのだから、護衛もいらない。
「騎士団の顔も、だいぶ憶えたみたいだな。またあいつらとバーベキューするか」
「大学の友達も誘っていいかな? アリエッタさんの妹だっているし」
インドア派だったユーリも、今では積極的に騎士団の稽古に加わるようになった。周囲の反対を押し切って帝国大学に通い、勉学にも励んでいる。
おかげでユーリの帝位継承に否定的な者も少なくなり、その将来を支える新体制が整いつつあった。マドカはユーリと婚約し、皇后の指導のもと、花嫁修業に励んでいる。
「母上が褒めてたよ。やればできる子だったってさ」
「それは褒めているのか? まあ、姫様も応援してくれてるしな」
ゼノン12世には女丈夫として気に入られているマドカだが、課題も多かった。最近はモニカ皇女の付き添いとして、パーティーに出向くこともある。
公園の屋台でクレープを買おうとすると、顔馴染みのカップルと鉢合わせした。
「あら、マドカ様とユーリ様ではありませんか! うふふ、ごきげんよう」
「た、隊長に、皇子……」
副隊長のギュールと、宰相の娘ソアラだ。ソアラは彼の左腕にしがみつき、べったりと甘えている。一方でギュールは辟易としている。
花嫁トーナメントは乱入騒ぎによって、第二試合で中止となった。同時にソアラが辞退し、ほかの二名も身を引いたため、勝負自体が無効となっている。
マドカとユーリはにやにやして、罪深い色男をなじった。
「これだけ愛されてるんだ。恥をかかせると、あとが怖いぞ? なあ、ユーリ」
「副隊長ならなおのこと、責任は取らなくちゃね」
セルゲイが魔物と化した時、ギュールが命懸けでソアラを守ったのがきっかけ。ソアラは愛しの騎士と新しい恋に燃えている。
「聞いてくださいよ、隊長。こいつ、買い物が長すぎるんです」
「のろけか? それならオレアノに聞いてもらうといい」
そんな彼女の我侭に振りまわされながらも、ギュールは律儀に交際を続けていた。文句の多さは照れ隠しで、まんざらでもないのだろう。
ギュールの競争率が高かっただけに、メイドたちは涙を飲んでいる。
ソアラの父セルゲイは、帝都の外を素っ裸でうろついていたところを保護され、現在は謹慎処分を受けていた。皇子を狙ったことは憶えていないらしい。
「ところで隊長。アリエッタ殿は騎士団には入らないのですか? あの強さですよ」
「ないな。あいつのことだ、儲からない仕事はせんさ」
アリエッタは相変わらず、万札を恋人扱い。持ち前のがめつさで妹の医療費と学費を荒稼ぎしつつ、マイホームの資金まで貯めている。
オレアノは外交官の仕事が忙しく、帝国領を西に走っては東に引き返す毎日で、今日も城にいなかった。この調子では、公爵家次男の結婚はいつになるのやら。
「行きましょ、ギュール様。ユーリ様たちのお邪魔になってはいけませんわ」
「では、オレたちはこれで。また明日の訓練でお会いしましょう」
そういった常識人や変人に囲まれながら、マドカとユーリは忙しくも平穏な日々を過ごしていた。おかしな現象も、あれから起こっていない。
けれどもユグドラシル・ガンマがもたらした、迷惑な奇跡に、マドカはほんの少しだけ感謝もしていた。
(粋なことをしてくれたのかもな)
ユーリになることで、彼を隅々まで理解できた気がする。
あの珍現象がなければ、いずれ結婚する運びになったとしても、パートナーを今ほど理解したうえで尊重することはできなかっただろう。
マドカは先にベンチに座って、ユーリからクレープを受け取った。
「思ったより大きいな……デザートは別腹ってやつか」
「そっちがチョコ味で、僕のはイチゴ味ね。ちょっとだけ交換しようよ」
交換と聞いて、入れ替わっていた時の『まどか』を思い出す。マドカ本人よりも、彼はマドカの引き立て方を知っていて、着こなしのセンスも抜群だった。今ではあれがマドカの目標となっているが、道のりは長い。
それでも周囲に『女らしくしろ』と価値観を押しつけられるのと違い、『ユーリのために女らしくなりたい』という願望は、大きな原動力となった。
「ギュールとソアラはお似合いだったな。身長差も恋人らしくて」
ユーリよりもマドカのほうが歳が上で、背も高い。そんな自分がユーリに相応しい恋人でいられるのか、不安になることもあった。
「僕たちほどじゃないけどね」
しかし小さな不安など、ユーリの無邪気な笑みが吹き飛ばしてくれる。
いつからか、彼の感情がダイレクトに感じられるようになってしまった。ユーリが喜ぶと、マドカも嬉しい。ただし頑固なマドカには、恥ずかしくもあるから困りもの。
「はい、マドカ。あーん」
「ここでやるのか? あ、あーん……」
クレープを食べさせあっていると、マドカの頬にクリームがついた。
それを見つけ、ユーリが愉快そうに囁く。
「ねえ、マドカ。キスしていい?」
「は? いきなり何を――」
答えるより先にクリームを舐め取られた。ついでに唇を塞がれてしまう。
(ユーリのやつ、当たり前みたいにこんなこと~!)
猛烈に恥ずかしい。そのはずが、マドカもユーリも目を見開いて、きょとんとした。
マドカの前に『まどか』の顔がある。
「……ま、まさか、これは……」
「ど、どういうこと? キスで入れ替わるの?」
どうやらユグドラシル・ガンマの奇跡はまだ健在らしい。唇を介することで、マドカとユーリは入れ替わることができる。むしろ、望むまいと入れ替わってしまう。
まどか(ユーリ)はクレープを落っことし、痛そうに頭を抱えた。
「これじゃあ、マドカとキスできないじゃないか!」
「それどころじゃない! これでは何も解決できてないぞ!」
ユーリ皇子(マドカ)も苦悩の声をあげる。
奇跡とやらはもう懲り懲りだった。
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