皇子様はわたしの嫁だぞ

プロローグ

 大陸の北部で東西に伸び、広大な領土と強大な軍事力を有する国家、ゼノン。そこでは皇帝の血統が12代にも及び、実に二百年以上の支配が続いていた。

 一年を通して夏日が多いものの、空気は乾いており、蒸せるほどではない。西方諸国との境界線上にある山脈が、偏西風を妨げる影響らしい。

 首都である城下町は『帝都』と呼ばれ、民は聳え立つ巨城の雄姿を仰ぎながら、ゼノン帝国の繁栄を謳歌していた。

 今朝も城の訓練場では、帝国騎士団ことインペリアルガードの第三部隊が稽古に励んでいる。訓練の総括として、一対一の模擬戦も繰り広げられた。

「どうした! 守り一辺倒では勝てんぞ!」

 騎士服をまとった『彼女』がブロードソードを握り締め、果敢に攻める。

 相手の二刀流は、女騎士の猛攻を凌ぐだけで精一杯だった。間合いを取り直そうと迂闊にさがったところを、すかさず彼女の刺突が追撃する。

「でやあっ!」

 踏み込みとともに突きは勢いを増し、突風まで起こした。怒涛の一撃が二刀流の隙間をこじ開け、相手を軽々と弾き飛ばす。

その反動が女性騎士のロングヘアを波打たせた。

対戦相手が顔をあげ、打ち負かされたにしては爽やかにはにかむ。

「参りました、マドカ隊長」

「すまんな、ギュール。つい力が入りすぎてしまった」

インペリアルガード第三部隊隊長マドカ=ブライアントは、愛剣を鞘に納めてから、部下のギュールを引っ張り起こしてやった。

精悍な笑みが、女だてらに隊長の風格を高める。

「朝稽古は終わりにしよう。今日は昼からモンスター退治だしな」

 マドカは一息つくと、猫の絵が愛らしいフェイスタオルで汗を拭った。

「自分も同行させてください! 新米ですが、早く実戦を経験したいのです」

「そういう心意気なら大歓迎だ。ただし覚悟はしておけよ」

 新人の騎士らにエールを送りつつ、ひと足先に訓練場をあとにする。

(久しぶりに気持ちのいい朝だな。やはり雨は好かん)

 帝都は年に一度の梅雨を終え、長い夏に入りつつあった。すでに陽は高く、昨夜の雨はほとんど干上がっている。

 朝稽古の後は軽くシャワーで汗を流すのが、マドカの日課になっていた。濡れたストレートヘアをまとめてかきあげ、念入りに水気を切っておく。

 それから改めてマドカは騎士服をまとい、王侯貴族ご用達の庭園へと向かった。

 ブライアント家は代々騎士の家系であり、父の爵位は上から二番目の侯爵である。特権階級として『七色庭園』にも出入りを許されていた。

 その長女として生まれたマドカは、ぎっくり腰で引退した祖父に代わり、インペリアルガード第三部隊の隊長を引き継ぐことに。

 第三部隊の任務は主に帝都の治安維持と、近辺の魔物退治だ。メンバーは十代から二十代の、若い騎士で構成されており、いわば修行の場となっている。ここで経験を積んだ者から、不安定な国境の警備など、難しい任務に就くのが習わしだった。

第一隊や第二隊は大抵出払っており、特に近年は、緊張状態が続く西方で防衛線を維持している。そんな彼らに『若者だらけの留守番部隊』と笑われないよう、マドカは第三部隊の隊長として精力的に活動していた。

 回廊ですれ違ったメイドの一団が、マドカを囲む。

「マドカ様、おはようございます」

「あぁ、おはよう」

 メイドの大半は民間出身であり、騎士との結婚、つまり玉の輿を狙うもの。その布石として、彼女らは何かにつけて隊長のマドカ=ブライアントを誘いたがった。

 マドカが気さくで話しかけやすいため、でもあるらしい。

「あのぉ、今日は午後からお茶会をするんですけど、よろしければマドカ様も……」

「すまない。午後から討伐任務が入っていてな」

「そうでしたか……マドカ様、どうかお気をつけくださいね」

 好意を無下にしないよう柔らかい物言いで、マドカはメイドの包囲をかき分けた。

「帰りは遅くなる。騎士団のために、夜食でも作っておいてやってくれ」

「はいっ! もちろんです!」

 マドカなりに、彼女らが騎士団の男性とお近づきになれるチャンスも作ってやる。こういう役回りは嫌いではない。

 

 そんな日常茶飯事をやり過ごしつつ、やがてマドカは七色庭園へと辿り着いた。

 中央では一本の巨木が枝を広げ、瑞々しい青葉を満開にしている。それを囲む円形の花壇には、色とりどりの花が咲き乱れ、季節ごとに七つの色を揃えていた。

 ただしマドカには花の名前がほとんどわからない。

「多分ここに……おい、ユーリ!」

 ベンチで読書に耽っている青年は、マドカに気付くと、分厚い本に栞を挟んだ。

「やあマドカ。朝の稽古はもう終わったの?」

「終わったの、じゃないだろ……お前も顔を出さないか」

 彼こそがゼノン帝国の帝位継承者、ユリシーズ=ゼノンファルスそのひと。

中性的な顔立ちで、男性にしては睫毛が長い。その背丈は155センチであり、167センチのマドカよりも目線が一段低かった。

歳もひとつ下であり、マドカにとっては弟の感覚に近い。

「ずっと雨だったからね。ここの花も気になってさ。ほら、アジサイが綺麗でしょ」

「アジサイ、アジサイ……どれがアジサイなんだ? ユーリ」

「……そっちの紫のやつだよ」

ユリシーズ=ゼノンファルスは『ユーリ』という愛称で慕われていた。マドカも幼馴染みとして、そう呼んでいる。

 根っからの読書家であり、七色庭園は彼にとって憩いの場所だ。ごく一部の王侯貴族でなければ足を踏み入れられないため、読書には最適な静けさに満ちている。

 今日もマドカは腕組みを交え、インドア派の皇子に忠言した。

「いずれお前はゼノン13世になるんだぞ? 少しは剣技を身につけておかんと。皇帝陛下もお前くらいの頃には、もう大型モンスターを狩ってたというじゃないか」

「そりゃ父上は体格がいいし、力も強いし……」

「体格の問題じゃない。心構えのことを言ってるんだ」

 立場上はユーリ皇子に敬語を使わなければならないのだが、彼が皇帝に側位するその日まで、こうして傍で鼓舞するつもりでいる。

「何も若かりし頃の皇帝陛下みたいに、どこぞの山でドラゴンを仕留めてこい、と言ってるんじゃない」

 ユーリにはゼノン帝国の13代皇帝として、自覚を持ち、モンスターの一匹でも倒してきて欲しかった。ところが数々の武勇伝を持つ父とは対照的に、息子のユーリはなよなよしてばかり。この手の話になると目を逸らし、ばつが悪そうに頬を掻く。

「あんなのをひとりでやっつけちゃう父上は、どうかしてるよ」

「それに関してはわたしも同意見だが……戦神の息子として、だな」

 付き合いは長いのだから、ユーリが武芸ごと全般に不向きであることくらい、わかっていた。マドカとて、何も無理強いしたいわけではない。

 しかしゼノン帝国は『軍事国家』なのだ。

 領土は広いが地味が貧しく、乾燥気味な気候のせいもあって、作物の収穫は今ひとつ。海に面していないため、海上貿易で利益を上げることもできない。

帝国が自給自足できる資源は鉱物だけである。

 その鉱物で武器を作り、隣国へと政治的・軍事的に介入して利権を得るのが、二百三十年も続くゼノン帝国の生存戦略だった。

 となれば、指導者である皇帝自らが剣を持ち、戦場に出る局面もある。

 そのような国家で唯一の皇子でありながら、ユーリは武芸ごとを好まなかった。

「僕は別に、父上のやり方が間違ってるとは思わないよ。ただ、僕には僕の考えっていうか、やり方があって……」

 やれやれとマドカは額を押さえ、溜息を漏らす。

「お前のやり方があるというなら、一人前になってから見せてくれ」

 将来は我が主君となる人物が、側位の前から弱腰とは情けない。これを矯正することはマドカにとって、騎士の名誉を賭した使命、といっても過言ではなかった。

「そうだ、今日は何の日か憶えてるか?」

「え? 何だったかな」

「お前の誕生日じゃないか。プレゼントも用意してある」

 マドカに一年遅れて十八歳となるユーリが、瞳を輝かせる。

「マドカが僕に? 嬉しいよ!」

 あどけない表情は十八歳にしては幼く、手の掛かる弟に思えた。母性をくすぐる風貌はメイドたちからも『お可愛い』と評判がよい。

けれども一国の主が『お可愛い』では困るわけで。

「稽古用のグローブだ。わたしのと同じ素材で、上質なんだぞ」

 自信満々にマドカは彼に一組のグローブを差し出した。甲の部分にゼノン帝国の紋様が刺繍されている特注品で、値打ちモノ。

 それを受け取ったユーリが、どことなく残念そうに視線を落とす。

「……マドカらしい贈り物だね。ありがとう」

「心がこもってないぞ? お前にはまだわからんかもしれんが、本当にいいモノなんだ。マメができにくいし、力が入りやすいし……うむ。是非使ってみてくれ」

 相変わらず武芸ごとに乗り気ではないユーリの肩を、マドカはとんっと叩いた。

「これも帝国のためだ」

「帝国の……」

 本人は渋々といった面持ちだが、ゼノン帝国が権威を保つためには、彼の成長は欠かせない。肉体的にも精神的にも、今のユーリでは不安定すぎる。

 極端な話、タチの悪い貴族に利用され、政情を混乱させてしまう危険もあった。強大な軍事力を持つが故に、内乱ほど恐ろしいものはない。

 皇帝には誰より強くあって欲しい。それは帝国の民も願うところ。

「期待してるぞ、ユーリ」

  帝国のため、彼のため、マドカは今のうちから訓練メニューを練っていた。

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