お人形が見た夢

ACT.2 JACK DANCES

 カジノの大時計が短針を何周させたかなんて、誰も数えていない。それでも誰かがパーティー気分で動きだせば、ほかの面々もその気になり、どんどん準備が進められた。

 次に短針が真上に来る頃には、ダンスパーティーを開催できそうね。

 私はディーンと一緒に厨房にまわって、お料理を作っていた。

この朱鷺宮杏樹の十八番は、牛肉のカスレ。長い時間を掛けてじっくりと煮込み、味をさらに深めていく手応えが好きなの。

 人形の私には食べられなくても、ディーンが味つけを吟味してくれる。

「オレ好みになっちゃうよ。いいのかな」

「いいわよ。あなたのために作ってあげてるんだから」

 ディーンは嫌味のない苦笑を浮かべ、私にちらっと横目を投げた。

「冗談でしょ」

「もちろん。冗談よ」

 私も気楽に返して、はにかむ。

 でも、彼のための料理というのは嘘じゃない。食べてもらう相手にディーンを想像して作ったんだもの。エリザは食べられないし、ジニアスはマヨネーズをかけたがるし。

 充分に煮込まれたカスレが、濃厚な香りを漂わせる。

 食欲という欲求自体がないせいか、口に入れたい気持ちにはならなかった。それでも鍋を覗き込むディーンの、弾む表情を見るのは楽しい。

「美味しそうだ。じゃあ、持っていこうか」

「ええ。力仕事はお願い」

 料理の運搬は彼に任せて、私はエプロンを外し、一旦私室に戻ることにした。ダンスパーティーに参加するんだから、相応のドレスに着替えなくちゃならない。

 クローゼットにあるドレスの大半は、エリザから贈られたもの。派手な恰好に不慣れな私は、なるべく黒地のものを選ぶ。

 人形のボディーは形が変わらないおかげで、ウエストに悩まされることはなかった。ただしマネキンにでもなった気分。

 その身体にまずはシルクのコルセットを巻いて、ラインを調える。今夜のドレスはスカートが大きいため、前もってドロワも穿く。

 ドレスは背中が広く開いているデザインで、胸元の露出も大きい。女性の色香さえ慎みとする、貴族風のスタイルには、どうしても照れがつきまとった

 幸い私の身体は人形だから、肌が見えることへの妥協も容易い。それより関節の露出のほうが気になってしまう。

 長袖の先には薄手のグローブを嵌め、襟元にはレースのチョーカーを重ねた。

これで人形の関節はほとんど隠せたはず。

 一対のおさげが子どもっぽくもあるヘアスタイルは、弄ることができない。ここは割りきって、リボンつきの可憐なヘッドドレスを当て、ロリータファッションを強調する。

 仕上げにミュールを履いて、私は貴族令嬢へと華麗に変身を遂げた。

 人形の顔にお化粧はいらないわね。眉や睫毛は最初から調えられているし、人間の肌とは勝手が違うから、あとでお化粧を落とすのが大変なの。

 姿見の前で一回転し、不備がないのを確認したら、会場へと急ぐ。

 

 カジノのダンスホールは、すでに大勢の参加者で賑わっていた。シャンデリアがいつも以上に輝きを増し、地獄とは思えない、幻想的で眩い空間を作りだす。

 社交ダンスがメインのため、中央は広めに空けられていた。壁際には長方形のテーブルが並び、ご馳走や飲み物を山ほど集めている。

 逆三角形のグラスはピラミッド型に積みあげられていた。それがシャンデリアの白い光を浴びて、きらきらと水晶みたいに煌く。お酒のボトルもたくさんあるわ。

 天井は大時計になっており、長針や短針にぶつからないよう、シャンデリアを出したり引っ込めたりできる造りだった。

 ダンスホールにいるお客さんは今のところ、前にカジノでエリザの開会宣言を聞いた面々がほとんど。それ以外は給仕や飾りつけのお手伝いさんね。

ダンスパーティーは参加者が多いから、入場制限が設けられ、一般の客は大時計の長針が一周する間しか、メイン会場でのダンスを許されない。

 とはいえ、外でも同様にパーティーの準備が進められていた。優待券を持たない一般のお客さんでも、存分に楽しむことができる。

 ……ディーンが見当たらないわね。外にいるのかしら?

 私はダンスホールを出て、回廊沿いにディーンを捜した。ビリヤード場に差しかかったところで、見知った顔と出くわす。

「ア~ンジュ! 君は優待券を持ってるんだって?」

「ジニアス? 怪我はもういいのね」

 ラボで爆発事故を起こしたばかりのジニアスだった。頬に絆創膏を貼っているけど、相変わらずピンピンしてる。

「発明にトラブルはつきものってワケさ」

 普段はくたびれた作業着でいるジニアスも、今夜はタキシードが整然と決まっていた。頓着がないだけであって、磨けば光る素質を持ってる。

「寝癖が残ってるわよ、後ろのほう。ところでディーンを見なかった?」

「ん? なるほど、ディーンねえ」

 ジニアスは跳ね返った毛先を直そうとせず、うなじを掻いた。にやにやと意味深な笑みを噛んで、ドライな私をからかおうとする。

「恋人同士のイベントだもんね。ディーンと踊りたいって?」

 ディーンが女性に触れられないことを知っているのは、私とエリザ、それからデュレンだけ。残念ながら、ディーンが私の手を取って踊ってくれることはない。

「……否定するのも馬鹿馬鹿しいわね。それでいいわ」

 誤魔化しつつ、私は視線を脇に逸らした。ジニアスはひとのトラウマを面白がるようなやつじゃないけど、わざわざディーンの女性不審を吹聴することもないでしょ。

「人形だっていいと思うよ、僕は。ひとを好きになってもさ」

 急にジニアスらしくもない言葉が出てきたせいで、私は首を傾げ倒す。

「あなた……まさか、私を口説いてるの?」

「違う、違う。君とディーンを応援してるってだけ。友人としてね」

 ジニアスは小粋に囁くと、ほかのお客さんらに視線を投げた。

 ダンスパーティーは恋人同士には打ってつけのイベントで、そこらに睦まじいカップルの姿がある。腰に手をまわしたり、寄り添ったりなんて、当たり前ね……。

 人目も憚らない熱愛ぶりに、傍目には呆れるしかない。

 でも呆れるように感じてしまうのは、私が人形だから、かもしれなかった。この身体には端正な美しさこそあれ、人間の肌ほどの温もりや柔らかさはないもの。

「事なかれ主義はよくないよ、アンジュ」

「そういうのじゃないってば。それじゃ、もう行くから」

 私は顔を背け、ついでに踵も返した。ジニアスに悪気がないのはわかってるけど、ディーンとの関係を変に持ちあげられても困る。

『ディーンをおだてて魔王にしろ。成功すりゃ、人間の身体を用意してやる』

 いつぞやの悪魔の囁きが、頭の中で密やかに響いた。

人間の身体が欲しい、取り戻したいという私の欲求は、おそらく強い。しかしディーンを傷つけるような方法だけは我慢ならなかった。

 結局ディーンを見つけることはできず、ダンスホールへと戻ってくる。

 あっ、いたいた……え?

 彼は王子様として、悪魔の美少女たちに囲まれてしまっていた。どの子も豊かな胸の谷間を見せつけるようにして、俯きがちなディーンを覗き込む。

「ディーン様ぁ、アタシと踊ってくれませんかあ?」

「わたしが先よ? ねっ、ディーン様!」

 優待券を持ってる面子じゃないわ。ここの時計で一時間しかいられないのに、準備のうちから入り浸る理由なんてない。つまりルールを平然と無視している。

 ディーンは青ざめながら、壁際まであとずさった。

「こ、困るんだけど……」

「イジワル言っちゃイヤですよお~」

 一方で女の子たちは前のめりになって、黄色い声をあげる。

 それだけディーンの容姿は群を抜いていた。整った目鼻立ちといい、切れ長の双眸といい、決め細やかな肌も、稀有な美貌を最大限に引き立てている。仮に王子様じゃなかったとしても、言い寄る女の子は多いでしょうね。

 ダンスのための燕尾服は、軍服のようにショルダーループを付け、優雅さと力強さを兼ね備えていた。胸元にクラバットを結び、貫録を持たせることにも成功してる。

「ごめん、今日は先約が……ひとを待たせてるんだ」

「え~? 聞いてませんよ、そんなこと~」

 男性にしては少々長めの髪は、丁寧に櫛を通されており、爽やかな印象だった。黒髪には艶やかな光沢があり、前髪をかきあげる仕草ひとつも艶めかしい。

眉目秀麗なディーンの存在感は、否が応にも周囲の視線を惹きつけた。

「こういう席で拝見しますと、なるほど、お父上に似てますな」

「ああ、罪人の女に惚れ込んだという、例の……とすると、ディーン様は人間とのハーフだったりするのですか?」

 しかし容姿よりも、後ろめたい話題性のほうが、彼らの興味を引いている。

 ディーンの父親は魔王殿で罪人を裁く立場にありながら、罪人の女性に一目惚れしてしまった。当時は魔王一族の間で戦いさえあったというわ。

 それは恥ずべき歴史として、地獄の住人らの記憶に留まっていた。ここで息子のディーンが女性恐怖症だ、などと知れ渡ったら、魔王の名に新しい傷がつくことになる。

そうとは知らず、女の子たちは和気藹々とディーンを囲んでいた。

「二次会はアタシたちと遊びましょ! い~っぱいサービスしちゃうっ!」

「ちょっとぉ? あなた、さっきからディーン様に馴れ馴れしいのよ」

 腕を組まれそうになって、ディーンが反射的に身を捩る。

「そういうの、いらないから……」

異性に対する恐怖心のせいか、強気に拒絶できず、退く一方にならざるを得ない。

「緊張なさってるの? や~ん、カ、ワ、イ、イ!」

 助けてあげるつもりだったのに、私は二の足を踏んでしまった。胸の中の時計にちくりと痛みが生じ、後ろ暗い戸惑いをもたらす。

 ……何よ、あいつ。やっぱりモテるんじゃないの。

 ディーンのトラウマを知りながら、そんな残酷なことさえ思った。

 私が人形だから?

 ディーンの視線は怯えの色を秘めつつも、彼女らの容姿を気に掛けている。私には決して向けることのない、期待と遠慮をない交ぜにしたまなざしで。

 私はそっぽを向き、彼を視界の外に追いやった。

 なんだか、あの子たちに嫉妬しちゃってるみたい……。

 自己嫌悪に駆られながら、何気なしにパーティー会場を見渡す。

私の作ったカスレの傍には、お婆さんの魂が佇んでいた。ここにいるということは、カジノで優待券を貰ったはず。……こんなお婆さんが、カジノなんかに?

「こんばんは、お婆さん」

 歩み寄って声を掛けると、老婆の顔におぼろげな笑みが浮かんだ。ほかの魂よりも形がはっきりしているのは、穢れるほどじゃない、ささやかな未練があるからでしょうね。

「あの世がこんなに楽しいところだったなんて、知らなかったよ」

「……あの世、ではないんですけど」

「そうなのかい? まあ、何でもいいさ。スロットなんて初めてで、数十年ぶりにアツくなっちまったよ。先立っちまった主人にも遊ばせてやりたかったねえ……」

 このお婆さんはおしゃべりが大好きみたい。私から話しかけなくても、少し興奮した調子でどんどん語ってくれる。

「わたしも若い頃はさ、都会の暮らしに憧れて……でも戦争が始まっちまってね」

「くろがねの世界大戦、ですか?」

「ああ、そうさ。でも家族みんなで乗り越えて、気付けば百も近くになって。友達もたくさん死んじまったけど、わたしにとっては、悪くない人生だった」

 悪くない人生と言いつつ、お婆さんは顔を曇らせた。

「ただ、ただね……ひとつだけ心残りがあるんだよ。旦那やみんなが忘れちまっても、わたしは憶えてる。十年ぶりに帰ってきた親友が、人喰い鬼になっててさ……」

 シャンデリアのもと、私の髪が銀色の光を弾く。これは人喰い鬼の王女の髪を切って、植毛したものらしいわ。

「わたしはあの子に言っちまったんだ。化け物、ってね」

 人形の私も、人間の基準でいったら充分『化け物』だろう。おそらくお婆さんは、話し相手が人形であることに気づいていない。

「ここに人喰い鬼がいりゃ、あの子のことを聞けるかと思ってね」

「……私が伝えておきますよ、そのひとに。会えたら……の話ですけど」

 お婆さんはにっこりと微笑んだ。

「じゃあ、お願いしようかねえ。わたしもそろそろ……はあ、疲れちゃったし……」

 その姿が端のほうから少しずつ消えていく。穢れていない限り、いずれ魂はこうして消滅するの。その先のことは、地獄の私たちにもわからない。

「あぁ……辛かったけど、やっぱりいい人生だった。あんたも……いいひとと結婚して、家族を作るんだよ。温かいのはさ……とっても、いいからね……」

 そう言い残し、お婆さんの魂はいなくなってしまった。

 自分でも驚くほど、悲しみは湧いてこない。むしろ最後に話せてよかった、と思う。

 しかしお婆さんの言葉が優しかったからこそ、私にはわだかまりが残された。

 人形は結婚なんてできないのに……。

 もし誰かが私を愛してくれても、私は何も返してあげることができない。

自然の死によって肉体と分かたれたのなら、さっきのお婆さんのように消えるだけ。死神に刈り取られたのなら、罪人の魂として罰を受ける。

でも、私はどちらでもなかった。

じゃあ……どうして人形になってまで、生きてるの……?

 その問いに答えはなく、心に虚無が広がる。時計の音で誤魔化したところで、私の胸には大きな穴が空いていた。

「ここにいたの? アンジュ。助けてくれればよかったのにさ」

 いつの間にかディーンが隣にいて、私に愚痴を零す。

「と……ごめんなさい。さっき来たところなの」

「嘘ばっか。ちょっと前からいたじゃん」

 やっとのことで女の子たちを振りきってきたらしい。間もなく天井の大時計が、短針と長針の向きをひとつに揃える。

 ダンスホールの一角で、楽隊がトランペットの音色を響かせた。

 檀上に支配人のエリザ=キリエムが現れ、大時計に向かって右手を掲げる。

「よくぞ集まってくれた、みなの衆。今宵は宴じゃ、好きに騒ぐがよい」

 私たちは一様に片膝をついて、支配人に敬意を表した。

 だけどみんな、気になっているに違いない。今夜のエリザは『左腕』をつけ、袖口から銃口のようなものを覗かせていた。ジニアスの新発明だわ、たぶん。

「馳走も酒も、思いのままじゃぞ」

 さらに違和感が増える。紅茶愛好家のエリザは飲み物をまとめて『茶』と呼ぶはずなのに、今夜に限って『酒』と限定するのも怪しい。

「さあ、そなたら、わしに最高のダンスを見せておくれ!」

 緩やかにジャズの旋律が流れ始めた。次に長針が動く頃には、壮年の夫婦から軽快なステップを踏みだす。ネヲンパークのダンスパーティーでは、若者が踊るのは二番手以降、という暗黙のルールがあるの。

 私もディーンも一応ダンス用の服装だけど、大手を振って踊るつもりはなかった。お客さんのお皿にお料理を盛りつけたり、飲み物を勧めたりする。

「カクテルの注文はこちらでよろしいの?」

「こちらでお作りしますよ。お願い、ディーン」

 カクテルのシェイクはディーンの担当ね。未成年だし、飲むわけではないけど、王子様のシェイキングはロイヤリティの雰囲気が出るから。

「まあ! ディーン様に作っていただけるなんて光栄ですわ」

「で、では、すぐに……」

 女性相手に少し動揺しつつ、ディーンが慣れた手つきでシェイカーを構える。

「待て、ディーンよ。わしに任せてはもらえぬか?」

 ところが、そこへエリザが近寄ってきた。人形なりに自信満々といった顔つきで、妙ちくりんな左手(と呼ぶしかないわね)を掲げ、一同に見せつける。

 恐る恐る私は全員の疑問を代弁した。

「ねえ、エリザ。それは何?」

「ふふふ。聞くがよい。これぞジニアスの最新作、『全自動カクテル製造機』じゃ!」

 嫌な予感がする。むしろ嫌な予感しかしない。

 エリザは不敵にやにさがり、注文にあったワインを右手に取った。それを左手の、銃口みたいな穴に注ぎ込む。

「よぅく見ておれ? あっという間じゃぞ」

 その蓋が閉まるや、左手がドリルのように回転を始めた。

カクテルをシェイク……してるんだと思う。怖いもの見たさで上戸なお客さんが集まる中、エリザ謹製、全自動カクテルの出来上がり。

グラスに注がれたそれは、ライトブルーの色味が沈殿することなく行き渡っていた。ひとまず見た目には及第点だけど、問題は味ね。恰幅のいい紳士が味見を申し出る。

「私がいただいてよいかな? ま、まあ色は問題ないようだし」

 ほかの面子は内心、ほっとしたはず。支配人が作ってくれたカクテルを、怖いので、と飲まずに済ませるわけにもいかないでしょ。

私たちも固唾を飲んで見守った。

「う、うぅむ……飲めないことはありませんが、今ひとつ……ですなあ」

味見役の紳士が顔を顰める。

「なんじゃと? これはどういうことじゃ……」

傍らで私はふと、あることに気付いた。

「ジニアスってお酒を飲むかしら? 確か、ビールも無理って言ってなかった?」

あっ、という声がいくつも重なる。

つまり全自動カクテル製造機は、酒類の知識がまるでない人物が開発したせいで、まっとうなカクテルを作れないわけ。

結果に納得できないらしいエリザが、危険な左手を振りかざす。

「い、いや待て! まだこっちにもボタンがあるのじゃ」

「それは自爆ボタンでしょ!」

慌てて私はそれを制し、おかげでダンスパーティーは事なきを得た。いい加減、ジニアスには『発明品には必ず自爆ボタンを搭載する』ポリシーを改めて欲しいわ。

「じゃあ、オレが作るよ」

 代わってディーンがシェーカーを繰り、婦人の注文に応えていく。

 シェーカーを振るうエレガントな王子の姿は、それだけで絵になった。機能的で単調な動きのはずが、素人の私にも技の冴えを思わせるほど。

 グラスの三分の一に、まずは赤いカクテルが注ぎ込まれた。沈殿は一切見られず、全体が均等に澄みきっている。

 続いて三分の二まで緑色を、最後に青色のカクテルが追加された。色が少しも混ざることのない、綺麗な三段重ねの出来栄えが、観衆の拍手を巻き起こす。

 すごいわ、ディーン!

 ディーンはね、人間のほうの祖父がナイトバーを経営しているそうで、カクテルの妙技もお爺さんに教わったもの。今では彼の大事な『人間の部分』になっていた。

 敗北を察したエリザがくずおれる。

「そ、そうじゃった。わしは全自動の魅力にばかり気を取られ、肝心肝要なことを忘れておった。カクテルとは香りや味だけでなく、出来合いの芸術性を楽しむもの。女性に好まれるのも、そこが大きいっちゅうのに……失念しておったわ……」

 口達者なおかげで、お酒の知識がない私でも概ね理解できた。確かにディーンのカクテルなら、ちょっと飲んでみたくなっちゃうかも。

 緊張気味にディーンが自前のカクテルを婦人に差しだす。

「ど、どうぞ、マダム」

「ありがとうございますわ、ディーン様」

 触られることさえなかったら、ディーンだって女性と会話くらいできるのよね。私が彼を独占できるわけじゃない。

「よろしければ、あとで私と踊りませんか? うふふ」

「いえ、すみません」

「ほんの冗談でしてよ。ディーン様にも恋人くらい、いらっしゃいますものね」

 ディーンのシェイクが好評を博し、しばらく列が跡を絶たなかった。その間に楽隊は二曲目を終え、お次はリズムの小気味よいマーチを奏で始める。

大体の注文に応えて、ディーンもひと休み。

「お疲れ様。大人気だったわね」

「取り柄が少ないからさ、オレ。これとバイオリンしかできない」

 ダンサーの顔ぶれも入れ替わっていた。まだジニアスは来てないみたいね。

「……っ!」

 軽やかに踊る紳士淑女の向こう側に、私はある集団を見つけてしまう。ディーンも気づいたらしく、顔色を俄かに曇らせた。

 デュレン=アスモデウス=カイーナよ。あいつが、さっきディーンを囲っていた美少女のグループに、何やら不穏な指示を出している。

 私と同じように、ディーンの篭絡を命じられて……?

「あいつら、デュレンの差し金だったのか」

 遠目に見る限り、彼女らが叱られている様子はなかった。むしろ陽気にはしゃいで、誰が一番に手柄をあげるか、盛りあがっているのかもしれない。

 ほんの一瞬、デュレンがディーンを冷ややかな視線で挑発した。にんまりと唇の角を吊りあげ、王子を言葉なしに侮辱する。

 てめえは女と踊らねえのか、と。

 沈むしかないディーンの隣で、私はカチンと来た。

「……踊りましょ、ディーン。今夜はすっごくあなたと踊ってみたいの」

「え? で、でも……」

「振りだけでもいいから! あいつらの好きにさせて、いいわけ?」

 強引にでも発破を掛けると、ディーンがぐっと唇を噛む。

「そりゃ……オレだって」

 行進曲が間奏に入ったタイミングで、私とディーンは前に踏みだした。一度はお互い、掴むのを躊躇った手を、思いきって繋ぐ。

 きっと大丈夫。

……私は人形だし、手袋だってしてるんだもの。

 ディーンがぎこちなく私の右手を取り、行進曲のステップに招く。

「これで、えっと、いいのかな?」

 指が解けそうになるのを、私のほうから掴みなおした。

「落ち着いて……そうよ。背中が無理なら、肩でもいいから」

 向かいあって、彼のもう片方の手も私に届くのを待つ。背中にまで手をまわすことのできないディーンだったけど、しばらくすると、右肩へと遠慮がちに触れてくれた。

「ご、ごめんよ。杏樹」

 触られるのって、こんなに温かくて、くすぐったい感覚だったのね。

 ディーンの戸惑いや緊張感がありありと伝わってきて、私の胸の時計までおかしくなりそう。いつものように目を合わせているだけで、自然と瞳の中まで覗き込める。

 翡翠のように綺麗な瞳の中まで。

そこには私の顔が小さく吸い込まれていた。彼の視界を、今だけ、私が満たしてる。

「男の子と手を繋ぐのって、初めてだわ」

「……そうなのか?」

 ディーンが顔を赤らめ、私の『初めて』をきゅっと握り締める。

 女子校育ちの私には、男の子と遊ぶ縁なんてなかった。精神的に余裕のない毎日だったから、ロマンスに憧れたこともない。

 いっそ、その頃の自分のほうが人形に思えてくるわ。

 先客らが王子のダンスに気づき、スペースを広めに空けてくれる。

 決して恋仲ではない私たちは、行進曲のおかげで、無理に気取らずにも済んだ。最初は左右に揺れる程度に留め、慣れてきたら、前後の動きも適度に織り交ぜていく。

「あ、ごめんなさい」

 謝りつつ、私は『わざと』ディーンの足を踏んだ。

「いいよ。オレも下手だし、気にしないで」

 その甲斐あってディーンの緊張も解け、ステップが一段と軽くなる。

 ディーンはまだ困惑しつつ、嬉しそうにも見えた。初々しく頬を染めながら、私に足取りを合わせようと、頻繁に視線を降ろす。

 こっちが長いスカートのせいで、私の足元は確認が難しい。なるべく私のほうから大きなステップを踏んで、ディーンのリズムをフォローする。

「……杏樹」

「あら、愛でも囁いてくれるの?」

「違うよ。その……似合ってるなあって、ドレス」

 不意打ちで褒められ、私の顔まで赤くなってしまった。人形の顔なら嘘くらいつけそうなものなのに、嬉しいのを誤魔化しきれない。

 だめだわ、私。

 人形の分際で、ディーンと一緒にいることに喜びを感じてる。

 私たちの稚拙であっても華やかなダンスを、観衆は手拍子で囲った。ディーンの掲げた左手を頂点にして、私が独楽みたいに旋回し、ドレスのフリルを派手に舞わせる。

 行進曲が終わるとともに、私たちは下手くそなりに感謝のポーズを決めた。

一拍の間を置き、パチパチと拍手が起こる。

「はあっ、こんなものかな? 杏樹」

「言い出来だったと思うわ」

 ディーンは息を切らせながら、無理のない笑みで歓声に応えた。人形の私にも疲労感はあって、胸の時計が回転を早める。

 ただ、デュレンのもとの少女たちはつまらなさそうだった。人形の私よりも豊かな表情でむくれ、ディーンのことは批難できないものだから、私に矛先を向ける。

「ふーんだ。何よぉ、あの子。……人形のくせに」

「いいじゃない。わたしたちのライバルにはならないんだもの」

 人形、という一言がぐさりと刺さった。

 聞き慣れた言葉でも、悪意を込められると、違ったものに聞こえる。それは私が、ディーンへの気持ちを肯定してはならない理由でもあった。

だから、彼との心地よい関係を、友達以上にするつもりはないの。

「……出よう、杏樹」

「え? 待って! ディーン」

 ディーンは唇を噛むように言いきって、私を強引に引っ張った。こっちはスカートを持ちあげなければならず、抵抗できないまま、ダンスホールから連れだされてしまう。

「どっ、どこ行くのよ?」

「すぐそこ。いいから、ついてきて」

 私たちはお客さんの流れに逆行しつつ、カジノをあとにした。

 

 

 外もお祭り騒ぎの真っ最中で、とても賑やか。

七色のネオンが反射しつつ混ざりあうことで、私たちの目にピントのずれを起こす。おかげで夜の街並みがぼやけ、陽炎みたいに幻想的な光景を見せつけた。

 私が見てる夢、なのかしら……。

 今ひとつ現実感のない中、ディーンの手が温かく感じられた。いつしか私たちは足並みを揃え、賑やかなテーマパークをゆっくりと歩む。

「こないだ無理やりオレをジェットコースターに乗せたよね。そのお返し」

 ディーンに連れてこられたのは観覧車だった。ネヲンパークのシンボルとして、ほかのどれよりも壮大に輝きながら、地獄の夜空へとゴンドラを運んでいく。

 麓から見上げると、壮観ね。

 私たちは空いたゴンドラに乗り込み、上昇を待った。

しばらくすると籠が地面から離れ、円周の軌道に沿って、静かに浮きあがる。

「ち、ちょっと怖いかも……ねえ?」

 地上の遊園地と違い、ゴンドラの窓にはガラスがなかった。高所恐怖症というわけじゃないけど、不意に揺れようものなら、構えてしまう。

「で……いつまで握ってるのよ、スケベ」

「ご、ごめん」

 私になじられ、やっとディーンが繋いだままの手を離した。

「離しちゃったら、また触れなくなるんじゃないかって……思ってさ」

ばつが悪そうに前髪をかきあげ、かあっと赤面する。勢いで私を観覧車へと連れ込んだくせに、余裕はないみたい。

「意外に強引なのね、ディーン。びっくりしちゃったわ」

「そういうんじゃない。あいつらが杏樹を……」

 一度は冗談で済ませようとしながら、私は小さな声で感謝した。

「……うん。ありがと」

 彼も半分は人間だからこそ、私の歪な心情を察してくれたんだろう。ディーンにとっては些細な親切でも、特別扱いに思えちゃって、悔しい。

「でもいいのよ、ディーン。ああいうの慣れてるから、気にしないで」

 私はディーンの隣で、ん~っと背筋を伸ばした。

 向かいあって座ったほうがゴンドラも安定するんだけど、さっきまで手を繋いでたし。今から反対側に移るのも変……でしょ。

 大分上がってきたところで、ネヲンパークの街並みを見下ろす。

「綺麗な街ね。地獄だなんて信じられない」

「そう……かもな。オレも時々信じられなくなる」

「不思議な気分だわ……きゃっ!」

 ディーンが椅子に大きくもたれると、不意に籠が揺れた。咄嗟に私はゴンドラの端に掴まって、何事もなかったことに安堵する。

「……わざとでしょ?」

「そんな趣味ないって。杏樹が怖がるとこ、悪霊退治のお守りで充分見てるしさ」

「言ってくれるわね。……まあ、ついてきてもらうんだけど」

 ゴンドラが高くなったことで、少し寒くもなった。逆さまの地獄は、上に行くほど深く、気温も下がっていくものなの。街のネオンも届きにくくなり、夜空の星々が映える。

「オレのほうこそ、今夜はありがとう」

 ディーンは恐る恐る、もう一度、私の手にそっと触れた。

「あんたなら触れるって、わかった。でも人形だからってわけじゃ……」

「ふふっ。いいのよ、お人形で」

 こちらからも手を重ね、お互いが震えずにいるのを確かめあう。

いずれ彼がトラウマを克服したら、私は彼の恋愛を見守り、応援することになる。その想像が、今夜は私の胸を締めつけた。

 もし私が人形じゃなかったとして、ディーンも女性不審じゃなかったら……それでも彼は私を選んでくれるかしら?

なぁんて、まさかね。

 私はディーンの肩にもたれ、ささやかな願望を吐露する。本音も織り交ぜて。

「次はワルツも踊ってみたいわ。難しい?」

「基本のステップさえ練習すれば、できるでしょ」

 何だかんだで多芸な王子様は、しれっと安直な回答だけで済ませてしまった。ワルツのほうが雰囲気が出るのよ、という私の含みまでは読み取ってくれない。

 なんで好きになっちゃったのかしら……。

 でもディーンが女性の恋心に配慮できたら、三角関係や四角関係で大変な事態になるのは目に見えていた。こいつ、やっぱり見てくれが格別だし、センスも豊かなんだもの。

 ふとディーンは濃紺色の星空を見上げ、切なげに呟いた。

「帰りたいな……」

 素直に同情できない私は、揚げ足を取って茶化す。

「帰るんなら、方向が逆よ。逆さまなんだから」

「あぁ、そっか」

 ディーンを帰してあげたくなった。彼には人間の世界に居場所があって、場末の地獄でふてくされてるべきじゃない。

ちゃんと愛しあえる女性とだって、きっと会えるわ。人形の私ではなく。

「ねえ、ディーン。あなたに提案があるの」

 人形の身体には必要のない深呼吸をしてから、私は切りだした。

「魔王になりましょう。ここで一番偉くなったら、あとのことなんか誰かに押しつけて、地上に帰ってやればいいの」

 冗談ではない私の物言いに、ディーンも声のトーンを落とす。

「オレが……魔王に?」

 何を言ってるんだ、という視線が私に刺さった。

「表向きはね。この三年で、少しでも状況は変わった?」

 断じて嘘じゃないわ。

 ディーンも魔王の血を引いているとはいえ、時間の感覚は人間とそう変わらなかった。対して、地獄の住人は人間よりも寿命が長い。

 頑なに抵抗を続けても、私たちは数年のうちに参ってしまうだろう。すでに三年の月日が過ぎているうえ、さらに五年も十年も軟禁されたら、抵抗自体に意味がなくなる。

「なっちゃえばいいのよ、魔王に。あいつらには散々好き勝手されたんだもの、今度はこっちが好き勝手してやらないと」

 そう激励する私の脳裏で、ひっそりと囁く声があった。

『ディーンをおだてて魔王にしろ。成功すりゃ、人間の身体を用意してやる』

 忌々しいデュレンの誘惑が、私の弱みにつけ込む。

 でも私には、あの男に従っているつもりなんて、さらさらなかった。私はディーンの味方であって、彼の為だけに提案してる。

 そうよ……人間の身体を手に入れるために、ディーンを利用してるんじゃないわ。

「せめて、あなただけは地上に戻って欲しいの」

 ディーンが私の、人形の瞳をまじまじと覗き込んだ。さっき踊っていた時のように、彼の瞳にも私の相貌が映り込んでいる。

「……わからないよ、オレには。このままじゃダメだとは思ってるけど」

 その手が弱く震えながら、私の頬へと遠慮がちに触れた。

「でも杏樹は今夜、オレを少し楽にしてくれた。あんたなら、もう触るのも怖くない。だから……あんたが言うなら、魔王になってもいい」

 こいつは私を信じすぎよ。その真っ白な純粋さが、私に黒い罪悪感を抱かせる。

でも地上に帰るところのない、人形の私は、罪にまみれてもいい。

「あなたが地上に帰る日まで、私はあなたの味方よ、ディーン」

 ディーンさえ地上に帰ることができるのなら。

「杏樹、ごめん。……ありがとう」

「どういたしまして」

 たとえ彼と永遠に別れることになっても。

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