死が憑キル夜

第二話 ウツセミノ~人、彼らは知らない

 人間の世界では日曜日のこと。

私たちの汽車は地下鉄『霧湖駅』にこっそりお邪魔した。ダイヤの合間を縫って、普通の人間には見えない古びた汽車を一旦停める。

 汽笛の音も人間には聞こえていない。

「悪いわね、エイリーク。私だけいつも先に行っちゃって」

「いいよ。気にしないで」

人間の街を散策するには、私かエイリークのどちらかが汽車を引っ込めておかなければならなかった。相棒は悪い顔をせず、毎回のように引き受けてくれる。

「今日はオレ、街に出るつもりもないからさ」

「え、そうなの?」

 普段は私の彼氏を気取りたがるくせに、不思議とエイリークは、地上では私から距離を置きがちだった。彼には彼の事情があるらしく、私も干渉しないようにしている。

「何か欲しいモノあるなら、買ってきてあげるわよ」

「じゃあ、タイヤキ。なかったら、タイヤキと味が同じやつ」

「大判焼きね。オッケー」

 私は人ごみに紛れ、地上の改札を出た。私の姿が人間に見えないのはもちろん、カメラやセンサーの類に引っ掛かることもない。

 休日の昼間だけあって、街はとても賑やか。

やっぱり地獄より、こっちのほうが解放感あるわね!

 気持ちよく晴れた青い空の下、大勢のひとが波のように行き交ってる。私もそのひとりとなって、大通り沿いに歩いていた。

 せっかく地上に来たんだもの、満喫しなくちゃ。

 万魔殿の城下町には娯楽らしい娯楽がないため、死神は皆、この霧湖町まで出向くのが恒例だった。ここなら服も買えるし、最新の映画だって観賞できる。

 お金ならある。死神の仕事で得られる給金は、好きな通貨と自由に交換できた。熟練の死神は世界各地を巡るため、一通りの通貨を揃えてるらしい。

 買い物する時だけは、人間に姿を見せて。

「えっと、このオールドなんとかってやつ、ください」

「ありがとうございましたー」

 お気に入りのドーナツを買ってから、私は意気揚々と商店街を闊歩した。

 人間と関わらないように姿を消すのは、私たちの常套手段だ。それでも存在感が完全に消えるわけではなく、ぶつかりそうになった人が避けていくくらいには認識される。

 このわずかな存在感が怪談のネタになるのかもしれない。

 霧湖町は怪談の類が豊富で、いかにも出そうな廃屋も多い。たまにどこぞのテレビ局が興味本位でやってくるけど、騒ぐに騒げないまま逃げ帰っていくほど。

 エイリークあたりが脅かしてるのかしら。

やるとしたら、デュレン閣下?

 そんな悪党たちに比べたら、私なんて可愛いもの。ちょっと物騒な刀を持ってるくらいで、人間には害を及ぼさない。

 まだ夏の暑さがやんわりと残っており、半袖のひとが目立つ。私もワンピースにベストを重ねただけの軽装だ。これに合わせ、スクエアタイプのサングラスを掛けている。

 コーディネイトはオルハに見立ててもらった。ゴスロリ趣味はともかくとして、彼女のセンスは女子の中でも抜きん出ている。

 そういえば、ヨシュアが言ってた映画、やってるんだっけ?

 横断歩道で信号を待ちながら、私は本日の予定を決めた。噂の恋愛映画とやらが少し気になってる。ヨシュアに誘われた映画のため、エイリークと一緒だと角が立ちそうだけど、ひとりなら問題ないでしょ。

 ところが映画館のポスターを見て、私は予定を改めた。

「少女漫画の実写化、かあ……」

 漫画やアニメの実写化には、昔からハズレが多い。まだ少女漫画は比較的ましなほうだが、それでも原作の延長線として見ると、七割方は微妙に感じてしまう。

 いっそ原作を知らないほうが楽しめるかもね。

 それなら漫画を買おう、と身も蓋もない結論に達し、私は映画館を通り過ぎる。ところが見知った顔とすれ違い、すぐ足を止めた。

「飛鳥さん!」

 第一ボタンまで閉めてる男性が、驚いたふうに振り向く。

「楓か? 一瞬、誰かと思ったぞ」

 サングラスのせいで、私だとわからなかったみたい。

「可愛い妹の顔を間違えないでくださいよぉー」

「気色の悪い冗談はやめろ。……こんなところで会うとは、奇遇だな」

 飛鳥さんも今日はオフらしいわ。万魔殿の死神が遊ぶ場所といったら、霧湖町しかないから、奇遇でも何でもない。

「買い物ですか?」

「ああ。雑貨と、ついでに小説の新刊を。楓はどこに?」

「映画……と思ってたんですけど、やっぱりやめたところです」

 飛鳥さんは新作映画のポスターを一瞥し、首を傾げた。

「今は何か面白いのがやってたか」

「ラブストーリーのやつが泣けるって噂ですよ」

「……興味がないな」

 ドライな性分の私が言うのもなんだけど、飛鳥さんも色恋沙汰には疎い。

 律儀な飛鳥さんは必要がない限り、姿を消すことをしないため、人間たちにも見えていた。私だけ消えていては、飛鳥さんの独り言になっちゃうから、私も姿を出しておく。

「楓、まさか姿を消せるからといって、映画館に忍び込んだりしてないだろうな」

「してませんってば! ちゃんとお金払って、寛いでます」

 相変わらず説教うるさい飛鳥さんに、少しムッときた。今日はこっちがお説教してやるべく、私は飛鳥さんの閉じきった第一ボタンを指差す。

「飛鳥さんこそ、姿を出すなら、もっとオシャレしてください」

 飛鳥さんの私服はセンスがいまひとつだった。小奇麗ではあっても、遊び心がない。アクセサリの類は一切身に着けないし、そもそも色の合わせ方が下手だ。

「……お前から見て、おかしいか?」

 少しは自覚があるらしく、まずそうな表情になる。

「オルハが見たら卒倒しますよ」

「う、うむ。しかし、こればっかりはどうもな」

 私の言葉は飛鳥さんに効いていた。だって飛鳥さん、何も無頓着だから私服が冴えないんじゃない。自分で吟味した結果、冴えない仕上がりになってるから深刻なの。

「そうだ! 飛鳥さん、今から服でも見に行きませんか?」

「またの機会にな。お前の長ったらしい試着ごっこに付き合う暇はない」

 飛鳥さんは私の誘いを一蹴し、苦い笑みを浮かべた。嫌味ったらしい台詞なのに、私にはかえって愛嬌を感じさせる。

「でも、ご飯は奢ってくれるんですよね」

「ちゃっかりしているな。それはいいが、買い物の後にさせてくれ」

 飛鳥さんと一緒に、私も行きつけの書店に向かった。

 書店では実写映画化された件の少女漫画が、大々的に宣伝されている。飛鳥さんのほうは小説を探してるのかと思いきや、大学受験の参考書を開いていた。

「大学って……受けるんですか?」

「ん? 人間の大学に通ってやろうかと、少し考えていてな」

 やっぱり人間の日々に未練があるんだわ……。

 秋津飛鳥は高校三年の夏、死神になったと聞く。十年が経った今になって、中断する羽目になった受験勉強に決着をつけたいのかも。

「世界各地をまわっていたが、しばらく万魔殿に常駐することになってな。勉強するくらいの時間はできそうなんだ」

「どうして?」

「……お前が言うか」

 飛鳥さんは呆れつつ、私のとぼけた面をデコピンで弾いた。

「楓みたいな問題児が、死神には多いんだ。俺はその監視役というわけさ」

 正論すぎて、ぐうの音も出ない。

 実力一位の飛鳥さんがオーバーワーク気味に現場を駆けまわるより、ほかの死神たちの勤務態度を改善するほうが、なるほど効率的だった。全体の業務が底上げされれば、罪人の魂ひとつひとつに割ける労力にも余裕が出るってわけ。

 そのうえで飛鳥さんが自分の時間を確保できるのだから、私も妹として嬉しい。

 ……お説教の機会は増えそうだけど。

「第一志望はどこだったんですか? ほら、人間だった時の飛鳥さんって」

「S大の法学部だったな。K大も候補だったんだが……」

「どっちも一流大学じゃないですか!」

 あっと声を上げると、ほかの客が私にちらっと視線を向ける。

 しまった……。今は声も聞こえちゃうんだっけ。

 飛鳥さんはきょとんと目を丸くした。

「よく知ってるな。死神は普通、S大もK大も知らんだろう」

「そう……ですか? 前にオルハが言ってましたよ」

 人間の世界に関する情報は、地獄にも届く。オルハのゴスロリ誌が常に最新の号であるように、ほかにもニュースキャスターのお目出度から、宇宙開発の詳細まで。

 一部の死神の間では、人間を真似て、携帯電話まで普及しつつあった。

「お前も受験してみないか?」

 飛鳥さんが恐ろしいことを言い出す。

 勉強に対して、私には拒否感しかないのに。

「まさか。無理ですって」

「どうせ時間はあるんだろう? 一年や二年、学問に費やしてもいいじゃないか」

 人間と違って、私たち地獄の住人は寿命が長い。平均でも二百年はあり、百年がやっとの人間を遥かに超越してしまっていた。

老化も遅く、個人差はあれ、二十歳くらいの容姿がずっと維持される。

「まあ無理にとは言わんさ。……受験仲間が欲しくてな」

 飛鳥さんは少し寂しそうな目になって、参考書に視線を落とした。

「俺と同級生だったやつらは、もう二十七、八になってるんだろうな……。子どもがいるやつもいるかもしれん」

 この霧湖町は飛鳥さんの生まれ育った街であって、少なからず友人もいるはず。死神になった当初は、地上で姿を見せることも滅多になかったらしい。

 しかし今はこうして堂々と出歩いても、誰も秋津飛鳥の存在に気を留めない。

「……こっちの世界に未練、ですか?」

 私の質問はいささか無神経だった。でも飛鳥さんは気を悪くせず、穏やかに微笑む。

「否定はしないさ。置いてきぼりにされたというか……まあ気持ちだけでも追いつきたくて、受験なんぞ考えてしまうんだ」

 十年も置き去りにされるのって、どんな感覚なのかしら?

 いくら寿命が延びても、孤独であっては意味がない。そんな気がする。

「お前が深刻になってどうする。気にするんじゃない、楓」

 いつの間にか表情が沈みきってたみたい。飛鳥さんは参考書で私の頭を軽く叩いた。

「そんなふうに本を使っちゃ、だめですよ?」

「それもそうだ。まさか、お前から逆に注意されてしまうとはな」

 今度は大きな手が、反抗期の私を宥めるように撫でる。叱ったり、甘やかしたり、このお兄さんは年下の扱い方が上手い。

 こんな面倒くさいタイプの問題児にも付き合ってくれるのだから、ひとが好すぎだわ。それを承知のうえで私が甘えていることにも、きっと気付いてる。

「そろそろ落ち着いたらどうだ? 楓も」

「お説教はやめてください。こんなところで」

 私は調子のいい妹を演じながら、飛鳥さんの背中にさり気なく触れた。

 思った以上に大きな背中。エイリークとはまた違った、知的な逞しさがある。

 人間を辞めて死神になったこのひとと、もっと話がしたかった。けど、生まれた時から地獄の住人である私は、飛鳥さんの領域に踏み込める立場にない。

「そろそろお昼ご飯に行きましょうよ」

「うむ。今日は何にするか……この間はラーメンだったし」

 飛鳥さんがはにかんだ。

「ゆっくりできる店に行くか。まだ提出してない反省文について、聞かせてもらおう」

たじろぐ私に、冷ややかな上から目線が突き刺さる。

「だ、出しましたよ?」

「嘘をつけ。書くのが嫌なんだろう? だから口頭で聞いてやる」

 意地悪な笑みが小憎らしい。

 私が本当の妹だったとしても容赦しないんでしょうね、このひと。

 

 それでもお腹が満たされれば、概ね満足。

 女の子を連れているのに、うどん屋、という飛鳥さんのチョイスはいまいちに思った。ところが期待していなかっただけに、不意打ちの美味しさだった。

「こんなお店があったんですね。知りませんでした」

「子どもの頃からここに住んでるからな。お前たちとはキャリアが違う」

 私が一人前の死神になったくらいの頃から、飛鳥さんは地上で暮らしてる。

霧湖町は人間以外の存在も多いため、物件などの融通は簡単に利いた。私とエイリークは引越しのお手伝いで、飛鳥さんの部屋に行ったこともある。

「私もこっちで暮らしたいなあ……」

「万魔殿の寮では不満か?」

「そんなことはありませんけど」

 たいていの死神は万魔殿の共用スペースで生活していた。私は遠い実家から来ているオルハと、ふたりでひとつの部屋を使っている。

 可憐なルームメイトに不満なんてないわ。炎の魔人にシーツを焼かれるわけでも、水の精霊に洗濯物を水浸しにされるわけでもないもの。相方がオルハで最高に恵まれてる。

 ただ、ひとり暮らしへの期待と、街暮らしへの憧憬があるだけ。

「あーあ。飛鳥さんとほんとに兄妹だったら、絶~っ対、転がり込んでるのに」

「それよりいいのか? 冷めるぞ」

 湯気が消えないうちに、私は残りのうどんをずるずる。

 先に食べ終えた飛鳥さんは、冷たいお茶で一服していた。九月とはいえまだ残暑もあって、昼間にうどんを食べれば、汗が滲む。

「楓もそれなりに歩き慣れているんだな。驚いたぞ」

「そうですか?」

「興味本位で人間の街に来る連中は多い。が、お前のように目的と行動がはっきりしてるやつは、そういないだろう」

 コクのある出汁を飲んで、私も一息ついた。底に残っていた七味の刺激が舌にチクチクと染みるのを、お茶で軽く流す。

「目的と行動……どういう意味ですか、それ?」

 飛鳥さんは思案顔で腕組みを深めた。

「例えば本を買いに行くのに、薬局に入るやつがいたりするんだ。しかしお前は本を買うために本屋に行く。俺にとっては当たり前のことだが、地獄の住人はこれができない」

 なんとなくわかったような、やっぱりわからないような。

「オルハやエイリークだって、間違えませんよ」

「エイリークは要領がよさそうだからな。まあ個人差の範疇かもしれん」

 人間の生活に馴染んでしまっている死神が、元人間の飛鳥さんには珍しいのだろうか。

 ついでにもっと人間かぶれの話題を、と思って、私は最新の情報を公開した。

「そうそう、来週、お月見するんです」

「ほう……?」

 トラブルを嫌う飛鳥さんが、ぴくっと眉を上げる。決してお月見に反対しているのではなく、問題児がまた悪さを企んでいるもの、と睨んだんでしょうね。

 もっと妹を信じてくれたっていいのに。

「ほんとーにフツーのお月見ですよ? エイリークはどうか知りませんけど……。なんか人間も巻き込んで、肝試しにするとか言ってるんですよねー」

「つまりお前は、平和なお月見をしたいがため、俺にエイリークを売りたい……と?」

「えっ? それ、いけないことなんですか?」

 私は満面の笑みで答えてやった。エイリークを陥れるのは何とも清々しい。

 飛鳥さんが口元を緩め、はにかむ。

「お月見を止める理由はないさ」

「よかったら飛鳥さんも来てください。歓迎しますよ」

「邪魔にならないようなら、少し顔を出してみるか。晴れるといいな」

 もちろん、これでお月見をつつがなく進行できるとは思わない。エイリークがいて、飛鳥さんもいれば、トラブルのひとつやふたつは起こるはず。

 あぁ、楽しみ!

 これだから問題児はやめられなかった。

 

 

お月見の当日、夜空でたくさんの星が瞬く。

 見損ねてしまった天の河に追いついた気分だった。今夜は快晴に恵まれ、金色の満月が兎の模様までくっきりと見える。

 霧湖町の一帯は開発が進んでいないおかげで、光害も少ない。

 ミッドナイトブルーの絨毯にお砂糖を散りばめたように幻想的な星空は、私にも素直な感動を与えてくれた。今夜は星が多すぎて、主役の満月は立場がないかもね。

「綺麗……」

 街で一番高いビルの屋上なら、私たちの視線を妨げるものは何もない。

「たまにはこうして、地上の空を見上げるのもいいわね」

「姉さん、楓の隣は僕が……いや、別に」

オルハやヨシュアも夜空に見入ってた。狼の一族といっても、満月を見て変身するわけじゃない。ふたりとも綺麗な浴衣でゆったりと寛いでる。

私も着てくればよかったかな、浴衣……。蓮の花が描かれた、紫色のやつ。

ルームメイトのオルハに『地味だし、陰気な色合いね』と言われ、億劫になってしまったのがいけなかった。

 ところで今夜のお月見には、異分子が混ざっている。

「満月って、夜空の目ん玉みたいだよなァ……」

 血生臭い比喩を口ずさむのは、デュレン閣下だった。このひとには『閣下』をつけないと、執拗に怒られる羽目になる。呼び捨てにできるのは飛鳥さんだけ。

「デュレン、今夜は処刑があるとか言ってなかったか?」

「四十九日なんざ、目安だ、目安ゥ。ちょっと遅れるくらい、ワケねえよォ」

 いくつもピアスをつけ、髪は三色も使って、どこかの国旗みたいに染めている。パンクスタイルという分類で間違っていないだろう。

 規定のブレザーは原型を留めておらず、褐色の胸元を見せびらかす。

 誰も呼んではいないんだけど、デュレン閣下は飛鳥さんに着いてくる形で、ちゃっかりお月見の席に紛れ込んでしまった。

「お前もひとが悪いぜェ、楓? おれを除け者にしようなんてなァ、ヒャハハハ」

 満月と同じ金色の瞳で私を見詰めながら、空っぽのおちょこを揺らす。

 お酒を注げ、ってことね。

「デュレン閣下は忙しそうだったから、ですよ」

「そういうことにしておいてやるぜ。お前はいい女だしなァ」

 デュレン=アスモデウス=カイーナは、魔王アスモデウスの息子だ。見るからに危なっかしい人物で、常に狂気に満ちている。

 私が焼酎を注ぐと、デュレン閣下は満足そうに金歯を光らせた。

「ほらよ、飛鳥。お前の大事な妹に注いでもらったんだぜェ? ヘッヘッヘ」

 私にはいつも軽薄な調子で、付き合いの長い飛鳥さんも呆れ果ててる。

「兄妹じゃない。それに、そんなに自慢することか?」

「特定の野郎にとっちゃ、そっちのオルハに注いでもらうより、価値あるだろォ?」

「ちょっと! どういう意味よ、それ!」

 煽られやすいオルハが青筋を立て、私からとっくりを奪い取った。そして飛鳥さんの湯呑み(緑茶)に残り(焼酎)を、ひっくり返すように注いでしまう。

「わたしのお酌のほうが貴重に決まってるでしょ」

「お、おい! 俺は飲めないんだぞ」

 いきり立つオルハの向こうでは、ヨシュアがそわそわしていた。彼もお酒は苦手で、エイリークもまだいないため、私のお酌はデュレン閣下専用となる。

「プッハァー! この一杯があってこそだなァ」

 あまり関わりたくない相手だわ。私のことも多分、玩具のひとつくらいに思ってる。

しかし今夜は、よりによってデュレン閣下にお団子を用意してもらったため、誰も強く出られなかった。このひと、こう見えて実は料理が上手い。

 死神の仕事ついでに世界各地をまわり、レシピを集めるのが趣味というほど。

料理において、残念ながら私やオルハではデュレン閣下の足元にも及ばなかった。今夜のみたらし団子も閣下の手製で、焼き加減もタレの味付けも絶妙だ。

「多めに作ってきたんでなァ、食っちまえよォ? ヒャハハ!」

余所の集まりに強引に割り込んで、大人気ない気もするけど、認めるしかない。

今夜の面子は飛鳥さんとデュレン閣下、オルハとヨシュアの姉妹、それから私。クラトスは月にも団子にも興味がなく、ヨシュアの部屋で寝ているらしい。あとは死神の骸骨さんグループが気ままに飲んでいる。

「……で? エイリークのアホはどうしたァ?」

「先に行くって言ってたんですよ、それが」

 エイリークの姿がまだ見えないのは気に掛かった。不意打ちで爆竹を巻くくらいのこと、あいつならやりかねないもの。

 私は席を立ち、端の柵まで歩み寄った。

 下の人間たちは、まさかビルの屋上で死神がお月見をしてるなんて、思わないでしょうね。秋の涼しい夜風が、私の頬を撫でつつ、髪を波打たせる。

「あ、楓! よかったら僕と……」

「楓~」

十五夜の月を眺めていると、ヨシュアがタイミングを読むように近づいてきた。しかしお姉さんのオルハがそれを妨げ、強引に割り込む。

「ちょ、姉さん?」

「もうじきあなたの季節ね、楓」

ヨシュアに悪いと思いつつ、私は内心、オルハに感謝してしまった。おそらく弟の意図を察し、先まわりしてくれたに違いない。

「私の季節って、なあに?」

「だから楓、でしょ。ハロウィン祭の頃には紅葉も綺麗よ」

 いよいよ夏も終わり、これから秋が深くなっていく。今は青くて元気な葉も、だんだんと衰え、いずれ煉瓦みたいに乾いてしまうのだろう。

それを美しいとか綺麗と思える人間の発想に、ふと感心した。

 だって『楓』は、死んだ葉のこと。

「どうせなら、花が咲く名前がよかったわ」

 女同士の会話に加わろうとタイミングを窺っているヨシュアに、オルハが注文する。

「ヨシュア、お茶を持ってきなさい。わたしと楓の分」

 弟に気遣ってやるつもりなど、さらさらないらしい。それでもヨシュアにとっては私に近づくチャンスのため、文句を言いつつも姉の命令には従った。

「自分で淹れればいいじゃないか、まったく……」

 桜色の湯呑みに緑茶を注ぎ、オルハのついでに私の分、じゃない、私のついでにオルハの分も持ってくる。

「はい、こっちが楓の」

「ありがと」

 受け取る際に手が触れただけで、ヨシュアの顔が赤くなった。

私のどこがいいのかしら……。

そこまで初々しい反応をされると、進展を望んでいないほうとしては困る。

 健気な弟を尻目に、オルハは夜空の月に携帯電話を向けた。ウサギのストラップが愛らしい。狼にとっては狩りの対象だから、ウサギを可愛く思うのかも。

 携帯電話などを持っているのは、この面子ではオルハひとり。地獄の住人は人間の世界から便利なものを真似たがる傾向にあり、とりわけエリート階級はこだわりを持つ。

「月見をカメラで済ませるなど……風情が台無しじゃないか」

「んなの、ひとそれぞれだろォ? 飛鳥~。酒の飲み方と一緒ってなァ」

「だから俺は飲めないんだ。この酔っ払いめ」

 性格も価値観も真逆なのに、飛鳥さんとデュレン閣下は遠慮のない関係だった。それもそのはず、人間の飛鳥さんを死神にスカウトしたのが、デュレン閣下なんだもの。

 オルハが満月を仰ぎ、シャッターを切る。

「あなたもケータイ欲しいなら、融通してあげるわよ」

「うーん……いらない」

月を携帯電話で撮るなんて女子高生じみたこと、私には馴染めそうになかった。あとで下手な写真を見ても、今の瞬間ほど感動できない確信がある。

……女子高生って、なんだっけ?

 からから、と空き缶が転がってきた。だけどこの場のいる面子は誰ひとりとして、缶に入ってるものを飲んでいない。

「んん~っ!」

屋上の出入り口となっている凸部の上で、先客が両手いっぱいに伸びをする。

「あれ、来てたの? おはよ、楓」

 エイリークだった。ひょこっと顔を出し、私たちを見つける。

 ずっと私より一段上の高さにいたのね、こいつ。

「ずるいじゃない、あなた。肝試しはどうしたっていうの」

 私たちだけでとっくに今宵の月を独占していたつもりなのに、ひとりで上を行かれたのが悔しい。悪友はありありと優越感を浮かべ、私を見下してくれた。

「高いところって怖いでしょ? 肝試しだよ」

「屁理屈ばっかりね」

 負けっ放しでなんていられない。

私は軽く助走をつけ、エイリークと同じ特等席へと手を伸ばした。あと少し届かない私の右手を、エイリークがしっかりと掴む。

結局、意地悪な彼に引っ張りあげてもらう羽目に。

「ようこそ。これで満員かな」

 詰めれば、あとひとりくらいは何とか座れそう。しかし、この特等席をほかの面子にも味わわせてやるほど、私はよくできた人格者じゃなかった。

「エイリーク! 降りてきなさいったら」

「危ないよ、楓!」

 下ではオルハやヨシュアが、不満そうに声をあげてる。

「大丈夫よ、これくらい。ちゃんとあとで替わってあげるから」

 私とエイリークは頭の向きを逆にして、大の字で寝転んだ。さっきよりほんの数メートル近づいただけなのに、満天の冷たい星空が、頬に触れた気がする。

「どう? 楓。怖い?」

「……ええ、怖いわ。とっても」

 綺麗とか、最高とか、どんな感嘆符よりも、『怖い』の一言がしっくりきた。

 今にも上下が逆さになって、吸い込まれそうで怖い。無数にある星々の中、自分の存在はあまりにちっぽけで怖い。震えるくらいに怖くなる。

「俺も怖いよ。楓が消えちゃいそうでさ」

「あんたが泣いて怖がるんなら、いいかもね。消えちゃうのも」

 会話の内容まで考えていなかった。

 何でもいいから言葉を交わせれば充分。その相手がエイリークなのは不満だけど。

「期待してたのにな。楓の浴衣」

 エイリークがぽつりと呟く。

「見たでしょ、去年。あれしか持ってないし」

「蓮のやつ? あれも好きだよ、楓が可愛くなるからさ」

 オルハにはダメ出しを喰らった浴衣が、急に恋しくなってきた。エイリークと頭の向きを逆にして寝転んでるから、こいつの足に文句をぶつける構図になる。

「普段は可愛くないわけ?」

「ごめん、間違えた。いつもは可愛くて、浴衣だと超可愛くなるってこと」

 調子のいいやつね。舌先三寸とか、舌の根が乾かぬうちに、といったふうにエイリークのおしゃべりは小粋に弾む。

 浴衣を着てこなかったのは、単に面倒だっただけ。

「あなたも制服じゃない。ちゃんとボタン閉めなさいってば」

エイリークに浴衣を見せてあげられなくて残念、なんて微塵も思ってなかった。

 流れ星を見つけて、私は夜空に指をさす。

「落ちたわ」

「まだ飛んでるでしょ、たぶん」

「あれは鬼火じゃないのよ? 本物の星なんだから」

 迷子の鬼火が集まってできている、地獄の悲しい星空とは違った。

地上の夜空はお月様も輝いてて、とても賑やか。

「楓が言うんなら、そうだね」

 エイリークは気怠そうに両腕を枕にして、私と同じ夜空に見入っていた。十五夜の満月は今、死神にだけその美しさを誇ってる。

私たちの枕元で、野暮な声がした。

「おい、エイリーク! まだ前の反省文をもらってないぞ」

「楓~、お団子なくなっちゃうわよ。食べないの?」

 遊びたくてうずうずしてくる。夜の闇は私たちに、安らぎより活気を与えてくれた。

「ねえ、エイリーク。肝試しもするでしょ?」

「楓がしたいんなら付き合うよ」

 この面子が集まったのだから、どうせじきに大騒ぎになる。

 飛鳥さんには申し訳ないけど、今夜くらいは大目に見てもらわなくっちゃ。

 

 その後、酔っぱらった骸骨さんがバラバラになってしまって。

夜の街で人骨を拾い集めるという、冗談ではない肝試しが幕を開ける。

  

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