ダーリンのにゃんにゃん大作戦!

第4話

 翌朝、輪は窓の外を眺めながら、膝をついた。真っ黒な絶望が心を染める。

「そんなあ……」

 大雨が降っていた。これではビーチで遊べるはずもない。

 落ち込んでいると、閑が励ましてくれた。

「しょうがないわよ、輪。今夜には晴れるって予報だし、明日は大丈夫」

「夏祭りがどうなるか、ちょっと心配ですけど。宿題でもして、待ちましょう」

 澪はてきぱきとテキストを並べ、勉強の体勢を整える。一方で、黒江はテレビゲームのスイッチをオンにした。

「対戦しよ、ゆき」

「いいけど……黒江ちゃんは宿題しなくて、いいの?」

 テレビの前で並ぶ優希と黒江の首根っこを、沙織が掴みあげる。

「あなたたちも勉強なさい。特に優希さん、あなたは成績も振るわないのですから」

「うぐ。それを言われちゃうと、つらいなあ」

 メイドの莉磨がお茶を運んできた。

「午後は遊戯室のほうでお過ごしになっては、いかがでしょう? ビリヤードやダーツなどを揃えておりますので」

「面白そお! やろうよ、みんな」

「お昼になったら、ね。それまでは勉強よ、優希」

「……はぁーい」

 午前中は皆で宿題に当たることに。ただし輪の分だけ、飲み物がなかった。

「あのー、麗河さん?」

「真井舵様にはお手伝いしていただきたいことがありまして……うふふ」

このメイド、よほど輪を第四のメンバーに近づけたくないらしい。とはいえ今日は雨天のため、どのみち浜では遊べなかった。輪は渋々と席を立つ。

「お手柔らかに頼むぜ。じゃあ、行ってくる」

「お祭りに行くんだから、今日は早めに戻ってきてね」

 先に輪が退室しても、莉磨はリビングルームに残った。第四のメンバーをひとりずつ、まじまじと見詰め、瞳を瞬かせる。

「つかぬことをお尋ねしますけど……どなたが、愛煌お嬢様の想い人ですの?」

「えっ?」

 閑たちは顔を見合わせて、かぶりを振った。

「愛煌さんの好きなひとってこと? この中にはいないわよ」

「そ、そうなのですか? では、どこのどなたが……」

 澪や優希の口から、同じ女の子の名前が出てくる。

「一年一組の御神楽さんですよ。多分」

「そうそう、御神楽緋姫ちゃん! 愛煌ちゃんも一途だよねー」

 しかし沙織や黒江は声のトーンを落とし、美男子の存在をにおわせた。

「第六部隊でしたら、クロード=ニスケイアも一緒でなくて? 四組のキングの」

「剣道部の副将、比良坂紫月も……どっちも異常に男前」

 莉磨が顔色を変え、前のめりになる。

「そんなやつらがいるのですかっ? な、なんということでしょう……!」

「……えっと、莉磨さん?」

 メイドの唐突な発奮に、閑たちは首を傾げるほかなかった。

「比良坂紫月といったら、詠様の弟ではありませんの。お嬢様が男になれるかどうかの瀬戸際ですのに……場合によっては、わたくしがじきじきに消しても……ぶつぶつ」

 関わってはいけない雰囲気が立ち込める。

 メイドには誤解があったようで、間もなく輪は解放されるのだった。

 

 

 午後の三時には雨も止む。夕方には近くの神社でお祭りが始まった。地元の住民たちのほか、ホテルの宿泊客らもやってきて、大いに賑わっている。

 輪たちも六時半には現地入りした。

「へえ~。いい感じだな」

夏の夜空はまだうっすらと明るく、紫色に染まっている。頭の上では提灯が列を成し、神社までの道のりをなぞっていた。輪はTシャツにジーンズという恰好で楽に歩く。

「待ってったら、輪。こっちは歩きにくいんだから」

「あ、悪ぃ」

 あとから閑がよたよたと追ってきた。慣れない下駄に悪戦苦闘する。

「歩き方が違うんだよ、閑ちゃん。もうちょっと踵を出して」

優希は履きやすいものを選んだのか、足取りが軽かった。からんころんと音も良い。

沙織や黒江も平然としている。

「さて、と……どこから見てまわりましょう」

「とりあえず、おみくじ」

 しかし澪は躓き、転びそうになった。その拍子に輪のベルトを掴む。

「うわあっ?」

「ご、ごめんなさい!」

 澪に肩を貸しつつ、輪はメンバーの浴衣姿を眺めた。

「さっき五月道にはちょっと言ったんだけどさ。みんな、すげえ似合ってるぜ」

 沙織が照れたように声を上擦らせる。

「で、でしょう? 莉磨さんのご厚意で、お借りしましたの」

 沙織の浴衣には綺麗な紫陽花が描かれていた。黒江はスズランで、ミントの色合いに落ち着きがある。優希のものは黄色と橙色の菊で、明るいツートンカラーとなっていた。

「りんも、女の子の服、褒めるようになった……」

「蓮ちゃんに散々、ダメ出しされてたもんね」

「去年に比べたら、随分と変わったと思いますよ。輪くん」

 澪の浴衣は黒地に笹の葉を添えており、光沢も美しい。

 そして閑は百合の花。浴衣は白とピンクで清楚に決まっていた。

「輪も着てくればよかったのに」

「オレひとりじゃ、着付けがわかんなくてさ」

 人ごみに混ざって歩くうち、神社の境内へと入る。屋台はどれも繁盛していた。

「腹ごしらえになんか食べっかなあ……」

 適当に眺めていると、見知った面子と鉢合わせになる。

「お? リンじゃねえか」

「チハヤか?」

 ちょうどチハヤとエミィがたこ焼きをつついていた。チハヤは赤、エミィは緑の浴衣を羽織り、雅やかな雰囲気をまとっている。

「こんばんは。今ね、リンさんもお祭りに来てるんじゃないかって、話してたの」

「そんだけ、てめえは単純ってこった。ハハッ、おれもそうだけどな」

 閑が輪のシャツを引っ張った。

「ねえ、誰なの?」

「あ、そっか……まだ話してなかったんだっけ」

 第四のメンバーとセプテントリオンとで、自己紹介を交わす。

「お前らがメグレズの言ってた、第四ってやつか。おれはチハヤ=メラク」

「あのぅ、私はエミィ=フェクダっていうの……」

 澪が名乗ると、チハヤがぼやいた。

「ふぅん。お前も『サツキ』っていうのか」

「はい?」

 閑の視線が輪に対してだけ、冷ややかになる。

「昨日はこの子たちと遊んでたわけ? へえー、知らなかったわ」

「そういうんじゃねえって。本当に大変だったんだぜ?」

 メグレズは『人ごみは嫌い』だそうで、この場にはいなかった。

 エミィが浴衣の袖口を中から掴む。彼女の腕には袖が長めの仕立てらしい。

「男の子はリンさん、ひとりだけ?」

「てめえにそんな甲斐性があるようにゃ、見えねえけどなァ」

 逆にチハヤは袖を捲っていた。そういった言動や仕草は男勝りで、さっぱりとしていても、今夜の彼女には女性らしいたおやかさが感じられる。

 それだけ、チハヤには深紅の浴衣が似合っていた。

「……なんだよ、リン」

 無意識のうちに見惚れてしまっていたらしい。輪は顔を赤らめ、視線を脇に逃がす。

「い、いや。チハヤも浴衣とか、着るんだなって……お、思ってさ」

 平静を装ったつもりでも、声が裏返った。チハヤは面倒くさそうに肩を竦める。

「エミィのやつがどうしてもって、うるさくてなぁ」

「チハヤちゃんが無頓着なんだってば。せっかく可愛いのに」

「っと、エミィのも可愛いぜ」

 セプテントリオンのふたりと談笑していると、隣で閑が腕組みのポーズを取った。横目がちに輪をじとっと睨みつける。

「ふぅーん? やけに素直に褒めてあげるのね」

「し、閑も似合ってるって! なんつーか、そう、イメージにぴったりで」

「ついでみたいに言われてもねえ……」

 本命の機嫌を損ねてしまい、輪はうろたえた。

八人も集まったところへ、さらに誰かが割り込んでくる。

「もぐもぐ。通してクダサ……イ?」

「……お前か」

 フランクフルトを齧っているのはゾフィー=エルベートだった。輪やチハヤと目が合うや、お面を被り、正体を誤魔化そうとする。

「ど、どこのどなたが存じマセンが、ワタシはホテルに帰るところデスので……」

 輪としても関わりたくなかった。

「こちらのかたも輪さんのお知り合いでして?」

「いや、知らないな。向こうが誰かと間違えてんだろ」

 他人のふりで通そうとすると、ゾフィーが癇癪を起こす。

「昨日の今日でワタシを忘れたとは言わせマセンよ、Darling!」

 黒江や優希の視線まで冷たくなった。

「りん……たった一日で、三人も手を出して……」

「ダーリンちゃんのキャパを超えてるよねー」

「違うっての! こいつに限っては、そういうのは絶対ねえから!」

 そう答えながらも、輪はゾフィーのエキゾチックな浴衣姿に感心する。

 西洋系の顔立ちとブロンドの髪が、かえって浴衣の清らかな趣きを引き立てていた。柄を控えた浅葱色にも落ち着きがある。

 これで食い意地が張っていなければ、ときめいたかもしれない。

「ったく……お前、逃げたんじゃなかったのか」

「あの時はあの時デス、もぐもぐ。今夜はお祭りなんデスし、見逃してクダサイ」

 ゾフィーはフランクフルトを平らげ、舌なめずりでケチャップを拭った。その馴染みっぷりに輪は呆れ、沙織に目配せのつもりで視線を寄越す。

「やっぱガイジンだと、こっちのお祭りが珍しいみたいだな。魔界から来たらしいから、ガイジンってわけでもねえんだろうけどさ」

「……がい、じん?」

 沙織はきょとんとして、瞳を瞬かせた。

「さーて、次はどれを食べマショウか……トウモロコシも捨てがたいデスねえ。Darlingのオススメはなんデスか?」

「食ってばっかいないで、ゲームもやってみたらどうだ? 的当てとか」

 輪がゾフィーの漫才に付き合わされる一方で、閑はチハヤと何やら話し込んでいる。

「……え、ええ」

「ヘヘッ、サンキュ! なあ、この人数だし、適当に別れようぜ」

 チハヤの提案には皆も乗った。

「そうですわね。花火の時間になったら、合流すればよろしいんじゃないかしら」

「ボクも賛成。みんな、食べたいものが違ったりするもんね」

「ゆきは最近、ちょっと食べ過ぎ……」

「放っといてよ!」

 黒江に図星を突かれ、食いしん坊の優希は地団駄を踏む。

 チハヤが輪の手を引き、お祭りの仲間に加えた。

「そんじゃ、てめえはこっちな。ゾフィー、お前は気をつけて帰れよ」

「まま、待ってクダサイ! ワタシも一緒がいいデスよお~」

 強引にゾフィーも数に入ってくる。

 今夜は閑たちと見てまわるつもりだったが、誘われて、悪い気はしなかった。輪はチハヤ、エミィ、ゾフィーらと一緒に屋台を巡ることに。

「じゃあな、閑。またあとで」

「そ、そうね。しっかりボディーガードしてあげるのよ」

 賑やかな夜が始まった。

 

 居てもたってもいられず、閑は輪たちのあとをこっそりと追いかける。

 さっきはチハヤの言葉に二つ返事で頷いてしまった。

『エミィのやつ、男が大の苦手なんだけどさ、リンは大丈夫みたいなんだよ。この機会にもうちょい、あの引っ込み思案が治りゃあ、と……そういうわけでさ』

 こうしてメンバーを分けたのも、作戦のうち。

 何もチハヤは、輪とエミィの仲を進展させたい、とまでは言っていない。けれども閑としては、これで輪が舞いあがったりするのではないかと、不安に駆られた。

 輪のグループは金魚掬いで足を止める。

「これ、やりたい! ゾフィーちゃん、一緒にやろうよ」

「しょうがないデスねえ。付き合ってあげマス」

「ちまちました遊びだなぁ……おれは見てっから、適当にやってくれ」

 チハヤがゾフィーの側にまわると、エミィの傍には輪がついた。エミィのぎこちない手つきを、苦笑いで見守っている。

「だめぇ……こんなの、すぐ濡れちゃう」

「もっとお椀を近づけていいんだぜ。ポイで追い込む感じでさ」

「えっ? や、やだ……ぴくぴくって、すごぉい……」

 赤面しつつ、エミィは金魚をポイで追いまわした。しかし金魚の抵抗ぶりに慌て、桶の中にポイを落としてしまう。

「Darlingが代わってあげたら、どうデス?」

「エミィがやりたがってんのに、オレが代わったら、意味ないだろ」

 輪はお金だけ払って、エミィに新しいポイを持たせた。そのうえで彼女の手首を掴み、桶の角へと誘導してやる。そこでは金魚たちが逃げ場をなくし、渋滞していた。

「黒いやつが狙い目かな。それとも、こっちのピンクか」

「あの、ピンクのほうが……」

「いいぜ。もっとしっかり握って……そうそう、今みたいに返す動きで」

 輪のほうも戸惑いながら、エミィのポイを慎重に進めていく。

 チハヤは呆気に取られていた。

「……お前ら、わざとやってんじゃねえのか? いやらしいんだよ、さっきから」

「い、いやらしいことなんて、してないってば! してない、から……」

 エミィが真っ赤になって、恥ずかしそうに口ごもる。

 その一部始終を、閑は隣の屋台の陰から眺めていた。胸の中がもやもやする。

「何よ? 輪ったら、デレデレしちゃって……」

「あれくらい、いつものことですよ」

「ひゃああっ?」

 後ろから不意に話しかけられ、素っ頓狂な声をあげてしまった。閑は両手で口を塞ぎつつ、背後の人物が澪だったことに、ほっとする。

「び、びっくりさせないで」

「すみません。それより見てください、輪くんのあの、だらしない顔」

 問題の輪はエミィと肩が触れるだけで、何とも締まりのない笑みを浮かべた。その正直すぎる有様に、澪は溜息を漏らす。

「中等部でクラスが一緒だった時も、ああだったんです。輪くん、女子に話しかけられたりすると、すぐににやけて……そこが子どもっぽいんですよね」

 残念ながら真井舵輪という男の子は単純だった。女の子に対しては、警戒心がまったくと言っていいほど働かない。恋の駆け引きもできず、笑っているうちに機を逃がす。

(もう少し、こう……余裕を見せてくれたら、ねえ?)

 閑と澪は一緒になって、同じ物陰から、輪たちの様子を覗き込んだ。

ゾフィーが喜々として戦利品を見せびらかす。

「また取れマシタ! これくらい簡単デス」

「おいおい、リン? ゾフィーにリードされっ放しじゃねえの」

 しかし輪とエミィのポイは破れ、金魚に素通りされる始末。

「ごめんなさい、私……とろくさいから」

「ゲ、ゲームなんだし、こんなもんだって。次はなんか食べるとすっか」

 金魚掬いを切りあげ、輪たちは別の屋台へと向かった。

「あのー、閑さん? まだ追いかけるんですか?」

「だ、だって、気になるじゃない? 輪があの子にセクハラでもしたら、って……」

「……輪くんには、閑さんが一番、容赦ありませんよね」

 閑と澪のコンビも忍び足であとに続く。

 

 その後ろにはさらに優希と黒江が続いていた。

「なんだかんだで閑ちゃん、ダーリンちゃんのこと、気になっちゃうんだね」

「それをいうなら、ゆきも充分……」

 ふたりは先まわりして、射的の屋台の傍で輪のグループを待つ。

「あ、射的! 今度はチハヤちゃんがやってみてよぉ」

「それなら、まあ……リン、勝負しようぜ」

 的となる景品は可愛いマスコットから奇妙な人形まで、ごちゃ混ぜになっていた。エミィが自前のネコ耳をぴこぴこと動かす。

「あっちの猫がいいな」

「タメにゃんのパチモンっぽいなあ……まあ、狙ってみるか」

 輪とチハヤはピストルを構え、それぞれの角度でターゲットに狙いをつけた。

「もぐもぐ。頑張ってクダサイ」

ゾフィーはリンゴ飴に夢中で、おとなしい。

「先に行くぜ!」

 狙いもそここに、チハヤのピストルが弾を放った。しかし弾は大きく右に逸れる。

「……ちぇっ。思ったほど飛ばねえじゃねえか」

「もっと銃を前に出してもいいんだ。こんなふうに」

 ふてくされるチハヤをフォローしつつ、輪は台越しに前のめりとなった。できるだけ銃口をターゲットに近づけ、撃つ。

 弾はマスコットの耳を掠めるも、倒すには至らなかった。

エミィが自分のネコ耳を押さえ、怖がる。

「リンさんったら、お耳を撃つなんて……酷い」

「に、人形のだろ? お前の耳は撃ったりしないって」

 その怯えるような視線に耐えきれなかったのか、手元を狂わせて、二発目は掠りもしなかった。チハヤのほうも弾を外すばかりで、勝負が決まらない。

リンゴ飴の残りを咥えたまま、ゾフィーも参戦してきた。

「んごんごふぇーす」

「食べながらしゃべるなっての」

 慣れた手つきでピストルを構え、ターゲットをまっすぐに見据える。

「んもごんご……ふぁいはあ(ファイア)っ!」

 しかしゾフィーの気迫とは裏腹に、弾は明後日の方向に飛んだ。その先で不気味な妖怪の人形に命中し、棚から落っことす。

 ゾフィーはピストルを肩に掛け、勝ち誇った。

「ぷはっ、どんなもんデス? これがワタシの実力デスよ、エッヘン!」

「外してんじゃねえか……」

チハヤが悔しそうに前髪をかきまわす。

「あーもうっ! なんでゾフィーには獲れんだよ?」

「負けっ放しじゃあ、オレもな。どっちでもいいから、あれだけは獲ろうぜ」

 輪はチハヤとともに狙いを定め、同時に弾を放った。

 輪の弾がマスコットを揺らしたところに、チハヤの弾が追い打ちを掛ける。コンビネーションが功を奏し、景品は落ちてくれた。

「やったぜ! 今の、獲ったのはおれだよな!」

 チハヤがころっと機嫌をよくして、戦利品のマスコットをエミィに渡す。

 エミィは嬉しそうにマスコットを握り締め、はにかんだ。

「エヘヘ、ありがとね、チハヤちゃん。リンさんも」

「お、おう」

 照れくさくなって、輪は鼻の下を擦る。

 一方、薄気味悪い妖怪の人形は、ゾフィーの手に。

「……いらないデス。Darlingにあげマショウか?」

「お前が獲ったんだろ」

 賑やかなデートぶりを目の当たりにして、物陰の優希と黒江は呆然としていた。

「りんがもててる、だと……?」

「すっかり馴染んでるよね、ダーリンちゃん」

 興味本位で覗いていたはずが、怖いもの見たさになってくる。

「ゆきは嫉妬とか、ないわけ?」

「へ? ……あぁ~、そういう意味か。黒江ちゃんはどうなの?」

「まさか。うぐ?」

 小声で囁きあっていると、背後から、優希も黒江も首根っこを掴まれた。

「それくらいにしておきなさい。ふたりとも」

デバガメに沙織は呆れ、眉を顰める。

「ひとのことを面白半分に詮索するものではありませんわ。特に黒江さん、あなたはデータの収拾だとか言って、配慮に欠けることが多いんですから」

「……はぁい」

 さすがは輪の専属メイドとして、沙織には、彼の面子を立たせる傾向があった。輪の様子に後ろ髪を引かれながらも、黒江たちはすごすごと引きさがる。

「あっ! ダーリンちゃんがエミィちゃんと……」

 不意に優希の声があがった。

「なんですって?」

 沙織は反射的に振り向いて、優希のしたり顔と目を合わせる。

 問題の輪はゾフィーに妖怪の人形を押しつけられ、困っているだけだった。

「ほーら、やっぱ沙織ちゃんも気になってんじゃんー」

「グッジョブ、ゆき」

 優希と黒江の視線がたっぷりと含みを込め、沙織に疑惑を投げかける。

「い、いいっ、いい加減になさい!」

「きゃ~!」

 沙織の怒号が弾けると、ふたりは愉快そうに逃げていった。

 

沙織は無理に追いかけず、肩を竦め、投げやりな溜息をつく。

「はあ……まったく。優希さんといい、黒江さんといい」

 すでに輪のグループも射的を離れたあとだった。それを閑と澪が真剣に尾行しているのが見えて、ますます溜息が重くなる。

「澪まで一緒になって……少しは輪さんを信じて差しあげませんと、ねえ」

 沙織とて、ご主人様のことが気にならないわけではなかった。だからといって、輪の都合やプライバシーもお構いなしにできるほど、図々しくはなれない。

「損な役まわりね、あなた。確かミクモサオリだったかしら」

 声を掛けてきたのは、メグレズだった。バスローブの恰好で下駄を履いている。

「メ、メグレズ……さん?」

「呼び捨てで構わないわよ。フフフ」

 沙織は構えるも、メグレズに敵意は感じられなかった。昨日の浜辺で会った時と同じ、保護者の顔で、チハヤたちのほうを見遣る。

「あなたの気持ち、よくわかるわ。セプテントリオンも手の掛かる子ばっかりで……チハヤとエミィにしたって、ほら、ご覧の通りでしょう?」

 セプテントリオン。北斗七星を司る七人が、輪のもとに集いつつあった。

「あの子たちも輪さんを魔界へ連れていくことを、狙ってますの?」

「その件は私の独断よ。ほかの面子も、王のことにはあまり興味がないみたいで……」

 お祭りの賑わいを背中越しに感じつつ、沙織はメグレズに問いかける。

「セプテントリオンについて、教えてくださらないかしら」

 ふたりの間でだけ、沈黙が続いた。

 おいそれと聞いてはならないこと、だったのかもしれない。しかし沙織にとって、無関心でいられる案件でもなかった。少なくともメグレズは真井舵輪を狙っている。

 やっとメグレズの口が開いた。

「人類に変革を成すもの。それがセプテントリオンよ」

 意味深な言葉が沙織に戸惑いをもたらす。

「変革、ですって?」

「実際に七十年前にもセプテントリオンは目覚め、それをおこなったわ。いつの頃か、あなたも知ってるはずでしょう? ミクモサオリ」

 忌むべき大戦の名が脳裏をよぎった。

「くろがねの世界大戦……」

 七十年ほど前、世界は一度、ことごとく焼き尽くされている。

 最初のうちはいつもの小競り合いに過ぎず、クリスマスには終わるものと、誰もが楽観視していた。だが、戦車や飛行機が初めて大々的に投入されたことで、戦火はいたずらに広がってしまった。それがかつての、くろがねの世界大戦。

 その戦乱によって、人類は半数が理不尽な死に追いやられたという。

「あのような惨劇を繰り返させないため、当時のセプテントリオンは人間の感情にひとつの枷を嵌めたのよ。人種や国家、思想などの違いで、ひとを傷つけないように」

 メグレズの言葉に沙織は首を傾げた。

「何のことでして? 生まれや慣わしの違いが、何か?」

「それよ。あなたはさっきもマイダーリンが『ガイジン』と言った時、意味がわからなかった。ひとを差別するといった感情が、働きにくくなっているからなの」

 彼女の話が本当であれば、自覚さえできないものが、自分の中にあるらしい。

「……もっとも、完全ではないのだけど。少なくとも、七十年前に比べて、あなたたちは平和志向の人類になったと言えるわね」

 くろがねの世界大戦を繰り返させないため、セプテントリオンは人間の持つ差別感情とやらを弱めた。その甲斐あって、以降は大きな戦争も起こっていない。

「……感情ひとつを封じただけで、変わるものかしら」

「実際に『変わった』のよ」

 メグレズは物悲しそうに夜空の月を見上げた。

「この時代にわたしたちが新たなセプテントリオンとして目覚めたことの意味は、わたしにもわからないわ。人類は次の変革を必要としてるのかもしれない」

 同じ月を見詰めるうち、お祭りの喧騒も遠のく。太鼓の音も耳に入ってこない。

「マイダーリンは人間ではないから、そういった感情も働いてしまうんでしょうね。でも悪気はないはずだから、許してあげてちょうだい」

「ええ……」

 釈然としないものを感じつつ、それでも沙織はメグレズに教えてやった。

「……ところで、あなた、そんな恰好で出歩くものじゃありませんわ。外に出るなら、ちゃんと服を着なさい」

「えっ? これは浴衣でしょう?」

「パジャマでしてよ、パジャマ。変態かと思ったんですから」

 メグレズは仰天し、大慌てで逃げていった。

「ししっ、失礼するわ!」

「人類を変革するより、あなたが常識をお勉強するべきですわね」

変わり者の多さに沙織は辟易とする。

「メイドスイッチがあるわたくしも、とやかく言える立場ではありませんけど……」

 櫓のほうから太鼓や笛の音が聞こえてきた。

 

 花火の時間となって、全員が合流する。

「あら? 輪くんもたこ焼き、なんですか?」

「これなら、みんなで食えると思って……考えることは同じだなあ」

 皆が皆、たこ焼きを買っていた。

チハヤが一皿を独占し、ハイペースで頬張る。

「美味いじゃねえか、これ! リンも食ってみろって」

「……へ?」

 そのたこ焼きがひとつ、輪に向けられた。『あーん』のお誘いに輪はたじろぐ。

「どうしたんだよ。冷めちまうぞ」

「あ、ああ。それじゃ……」

 緊張しつつ、期待もあって、おもむろに口を開くほかなかった。ところがチハヤのほかに閑や澪もたこ焼きを勧めてくる。

「わたしが食べさせてあげるわよ、輪。ほら、あ、あーんして?」

「あたしのほうが大きいです! どうぞ、輪くん」

 黒江まで面白がって加わった。

「さあ、どれにする?」

「待て待て! 全部食うから、順番に……」

 しどろもどろになりながら、輪はおずおずとチハヤのたこ焼きを受け止める。

「~~~あっつ!」

 ひと口目で舌が火傷した。口の中でタコの足がファイヤーダンスを踊る。

「次はわたしよ、輪? 覚悟して」

「かっ、覚悟? まさか、これって……おしおきなのか?」

 おかしいとは思っていた。女の子だらけのグループで、ひとりだけ男だからといって、自分がこんなにもてるわけがない。

「遠慮しないでください。たくさんありますから」

 アツアツのたこ焼きを、澪は苛立たしそうに輪の口へと押し込んだ。

「ちょっ、なんで怒ってんだ? オレは何も……んんん~っ!」

 口の中が熱すぎて、涙が滲む。

 沙織と優希は腕を組んで、わかったふうに頷いた。

「輪さんももっと上手になさいませんと……」

「うんうん。デレデレするばっかじゃなくって、さあ」

 心配してくれるのはエミィだけ。

「あ、あのぉ……お水、持ってこようか?」

 しかし内心、嬉しくもあった。浴衣の美少女たちに囲まれ、たこ焼きを食べさせてもらえるのだから。やっとひと夏のアバンチュールらしくなってくる。

(こういうシチュエーション、漫画にもあったよなあ)

 時間に少し遅れて、ゾフィーが駆け込んできた。

「見てクダサイ、Darling! こんなにたくさんゲットしマシタ!」

 獲得したらしい五つか六つのヨーヨーを両手で、曲芸のように一度に叩く。ヨーヨーは水音を鳴らしながら、これみよがしに跳ねまくった。

「おぉ、すごいな」

「ワタシの手に掛かれば、ざっとこんなものデ……おおっと!」

 ところが手を滑らせた拍子に、右手のほうのヨーヨーがすっぽ抜ける。

「ぶっ?」

ヨーヨーは勢いあまって輪の顔面に命中し、割れた。冷たい水を脳天からびっしょりと浴びたせいで、ぞくっと震えが来る。

「何すんだよ、ゾフィー? へ……へっくし!」

「風邪ひいちゃうわ。早く拭いて……」

 閑がハンカチを出しかけた時、一発目の花火があがった。夜空で真っ赤な花を咲かせ、輪たちの目を眩ませる。

「……あとでいいよ。この暑さだし、これくらい平気だって」

「そう? 始まっちゃったものね」

 次々と花火があがって、夜空を照らした。そのたび、音が轟くように響く。

 沙織も澪も仰向き、盛大な花火に見惚れていた。

「とても綺麗ですわ。言葉にするのが野暮なくらい……」

「夏って感じですね。ふふっ」

 黒江はぱたぱたと首筋を内輪で仰ぐ。

「蒸し暑さも最高潮」

 優希とチハヤは残りのたこ焼きを取りあっていた。花より団子のコンビらしい。

「あ? チハヤちゃん、それ、ボクが食べようと思ってたのに!」

「ボヤボヤしてっからだよ。残念だったなぁ」

 花火のスケールに圧倒され、エミィとゾフィーは呆然とする。

「もう、びっくり……」

「地上もワタシのものにしたいデス」

 輪も花火を眺めていると、肩に閑が寄りかかってきた。

「……閑?」

「たまには、ね」

 びしょ濡れになった身体が火照る。緊張感とともに鼓動も跳ねあがった。

(こいつはオレの夏が始まったのかも?)

 チャンスに違いなかった。夏休みのリゾートで彼女らも開放的になっているせいか、輪に対する態度が柔らかい。これなら閑との進展も望めるだろう。

「明日はめいっぱい泳ごうぜ」

「ビキニはちょっと恥ずかしいんだけど……」

 一際大きな花火があがった。

 

 

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