傲慢なウィザード #2

ACT.11 オーバードライブ

 ふくよかなベッドはバラで囲まれていた。

 緋姫はブレザーのまま、仰向けに寝かされている。しかし双眸が開いていようと、そこに『彼』の顔を映すことはなかった。

「プリンセス……本当にあの子の言った通り、なの?」

 リィンが緋姫の手を取って、自分の頬に当て、温もりを確かめる。

 緋姫の肉体は生きていた。脈もある。だが、精神のほうは崩壊し、おそらく自他の区別さえついていない様子だった。

 リィンの濡れた唇が、物言わぬ緋姫の唇を、そっと塞ぐ。

 それでも緋姫はリィンに振り向くことなく、うわごとのように呟いた。

「……だ、れ……あ、き、ら……?」

 この場にいない男性の名が、リィンを苦しめる。

「ど、どうしてぼくじゃないの? ぼくはこんなにも、きみを愛してるのに……」

「愛してるだとォ? ハッ」

 バラの寝室に魔王がゆらりと現れた。デュレン=アスモデウス=カイーナがリィンを押しのけ、緋姫の寝顔ですらない、虚ろな表情を眺める。

「ルイビスのやつも甘くなったもんだなァ。こんな弱っちい魂は消して、身体だけ奪っちまえば、よかったのによ」

 デュレンの手が緋姫に触れようとするのを、リィンは頑なに制した。

「触らないで」

「よく言うぜ。こいつはてめえの女じゃねえだろォ?」

 デュレンが苛立ち、リィンの襟ぐりを荒々しく掴みあげる。

「ぐっ! は、放せえ……!」

「てめえは昔から反抗的なやつだったよなァ? 少しはミユキとヤクモを見習いやがれ。あっさり『大罪』に囚われてんじゃねえよ、クズが」

 リィンの爪先が床から離れそうになったところで、魔王の手が離れた。リィンは落下するように蹲って、激しく咳き込む。

「げほっ! ごほっ……ぼ、ぼくは、死神になんて、なりたくなかったんだ」

「またそれか。今の地獄の理からは所詮、誰も逃げられねえんだよ」

 デュレンは一輪のバラを摘むと、力任せに握り潰してしまった。

「城がとうとう地上の空にまで転移しちまった。こうならねえために、てめえらにゃ、ARCと一緒にレイを狩るように命じたはずなんだがなァ」

 地上の一部にカイーナ化した迷宮が集中すると、そこに大きな『穴』ができてしまう。魔女の件もあって、ケイウォルス高等学園の周辺は危険域に達していた。

 デュレン自身、地上のカイーナ化を防ぐため、すでに手は尽くしている。ミユキたちを送り込んだのも、少しでもレイを減らすためだった。

 ところがリィンはデュレンの命令に反し、次々とレイを召喚してしまったのだ。ただ、緋姫の気を引きたいがために。

「レイに襲わせて、自分が守ってやろうなんてなァ、ガキの考えだぜ? 思ったよりライバルが多くて、焦っちまったってか……ん?」

 デュレンの言葉が正確に、かつ辛辣にリィンの心を抉る。

 せっかく緋姫に出会えて、素敵な恋が始まるはずだったのに、リィンには後ろ暗い劣等感しかなかった。紫月やクロードほど彼女に信用されることもなく、ミユキのように馴染めたわけでもない。まだヤクモのほうが、緋姫も心を許している。

 体育祭でも、本当はレイを呼び出し、緋姫の救出を買って出るつもりだった。だが、クロードに釘を刺され、実行できずに終わった。

『ずっと友達のいなかった彼女が、ああやって皆に囲まれて、和気藹々としてるんだ。それをないがしろにしてまで、彼女を独占する権利は、僕にも君にもないだろう?』

 リィンよりもクロードのほうが、緋姫のことを考え、真摯に見守っている。だからこそ緋姫もクロードを信頼するのだと、今になって納得した。

「ぼ、ぼくは……」

 気落ちするリィンを見下して、デュレンが嘲笑ついでに囁く。

「所詮てめえは、例のジンクスさえ実現できりゃあ、その女でなくてもよかったのさ。女ってやつは勘がいいからな。こいつはお前の身勝手さに勘付いてたんだろ」

 デュレンにさえ図星を突かれた。

 誰もが自分よりも緋姫という女の子を理解している。

「おい、リィン?」

「……っ!」

 リィンは居たたまれず、寝室を飛び出した。魔王殿の回廊を駆け抜け、最上階に近いバルコニーから、ケイウォルス学園を『見上げる』。

 魔王殿の一帯は学園の上空で逆さまになっていた。重力が逆に働いており、リィンは今、天井に立っているような状態にある。

「クロードも、アキラも、シヅキも……いなくなればいいんだ」

 リィンの右手が禍々しい鎌を振りあげた。黒い刃が次元を裂き、さらなる地獄を開く。

「プリンセスの傍には、ぼくだけがいればいいっ!」

 大罪のひとつ『嫉妬』の怨念が群れを成し、怨嗟を合唱とした。

 次元の狭間から邪気が溢れ、リィンの四肢を絡め取る。しかしリィンは抵抗せず、闇の力にすべてを委ねてしまった。

 リィンの狂気が膨れあがり、異形のシルエットと化す。

「プリンセス……!」

 大罪を背負いし悪魔が、産声をあげた。

 

 

 地下にあるケイウォルス司令部は、沈痛な雰囲気に包まれていた。

御神楽緋姫はリィンたちにさらわれ、学園の上空には地獄の一部が露出している。壁面のモニターはほとんどが砂嵐に覆われてしまった。

 哲平がキーボードを叩くのをやめ、溜息とともに眼鏡を拭く。

「去年の学園祭の時と同じですね。『あれ』の勢力圏内では通常の通信ができません」

「アーツ……スカウト系のアーツでないと、やりとりできないってことね」

 愛煌は腕組みを解くことなく、司令室の隅を淡々と往復していた。

 街は機能の大半を失い、ひとびとは大いに混乱している。交差点では信号が滅茶苦茶に点灯し、街灯テレビも雑音だけを延々と流した。

 有線でさえ通信は安定せず、あちこちで障害を生じている。

「さて……どうしたものかしら」

ミーティング用のテーブルでは、紫月、クロード、それから沙耶とシオンが席についていた。それぞれが物憂げな表情で、先ほどの沙耶の話を吟味する。

「俺たちの懸念していた通り、リィンが犯人だったとは……」

「あのひとの持ってる鎌は、空間を切り裂いて、別の次元と繋げることができるんです。多分、その力でレイを呼んでたんだと思います」

 沙耶の左目が緋色に輝いた。

かつて彼女に憑依していたヴァージニアの『魔眼』であり、それには膨大な魔力と知識が蓄えられている。沙耶が望めば、魔眼はすべてを語ってくれた。

「ヒメ姉はどうなっちゃったんだよ?」

「……緋姫さんはプロジェクト・アークトゥルスで実験台にされ、一度は自我を完全に失ってしまいました。ですが彼女の魂は、ある魂と融合し、再生したんです」

 クロードが両手の指を編みあわせて、視線を落とす。

「そのもうひとつの魂と切り離されたから、お姫様は再び自我を失ったわけだね」

「はい。緋姫さんと一緒だった魂の名は、ルイビス……わたしのヴァージニアと同じく、今の地獄で初めて『死神』となった、七人のリーダーです」

「どんどんホラーじみてきたわね」

 愛煌は少し苛立ちながら、哲平に尋ねた。

「街のほうの状況は?」

「現存の部隊はほぼほぼ出揃いました。これ以上レイが増えない限り、殲滅は時間の問題でしょう。真井舵さんの第四はさすが、ハイペースでレイを掃討してます」

 はきはきと報告していた哲平が、俄かに口ごもる。

「ただ……マスコミ関係者のヘリが、上空の……えぇと、なんて呼びましょう?」

「あれね。ネオ・カイーナでいいわ」

「その、ネオ・カイーナのほうに、ひっくり返って不時着したようなんです。現状でもっとも救助が困難な要救助者、と言えるでしょう」

 ARCは今回の事態を最悪の『ランクS』と認定し、警察のみならず、軍にまで連携を通達した。しかし一部のマスコミは警告を無視し、独断専行に走っているらしい。

「なんだよっ! こんな時に余計な手間、増やしやがって」

「そう言ってやるな。民間人も真相を知りたがってはいるだろうし……」

 シオンがいきり立つのを、紫月が宥める。

 ちょうどモニターのひとつが回復し、回線を開いた。

『こちら第五部隊よ! 司令部、現在の状況を教えてちょうだい』

 凛々しい顔つきの女性が現れる。紫月は目を丸くして、前のめりに立ちあがった。

「ねっ、姉さん?」

『紫月もそこにいるの? そういえば、まだ話してなかったわね。私もあなたと同じ、イレイザーなのよ。ケイウォルスに通ってた頃から』

 その事実にはクロードも度肝を抜かれたようで、モニターの彼女に見入る。

「驚いたな……詠さんがイレイザーだったなんて、ね」

「クロードはともかく、シヅキも知らなかったのかよ? ボクがどんだけ戦い方ってのを叩き込まれたと……はあ」

 シオンはげんなりとして、苦手な詠とは目を合わせまいと、そっぽを向いた。

 哲平が一通りの状況を彼女に伝える。

「――以上です。引き続き、街のレイの掃討に当たってください」

 紫月は改めて姉を見詰め、弟にしては律儀に頭をさげた。

「すまない、姉さん。俺たちにはほかに、やらねばならんことがあるんだ。街を頼む」

『わかってるわ。こっちの心配はいらないから』

 詠が頼もしい物言いで微笑む。

 通信が切り替わり、今度は第四部隊の輪が顔を見せた。

『聞こえるか、司令部? 外で戦ってて、わかったことがあるんだが……』

「続けて、輪」

『おう。今までにレイが出現した場所が、あるだろ? そのあたりで集中的にレイが発生してるみたいなんだ。ちょっと調べてくれ』

 哲平が高速でキーボードを叩く。

「おそらく……ビンゴです。ほかの部隊にも伝えておきます」

『オレたちも目処がついたら、そっちに合流する。空のカイーナに行くんだろ?』

 今日の戦いは、今までにない総力戦の様相を呈しつつあった。陽は暮れ、街は夜の色とともにネオ・カイーナの影に満たされている。

「上にも何人か要救助者がいるから、あてにしてるわ」

『わかった。またあとでな!』

 通信を終え、愛煌は気丈に、この場にいるメンバーに発破を掛けた。

「あなたたち、やることはわかってるんでしょ?」

 すでに全員の意志は決まっている。紫月は朝霧を抜くと、その刃に誓った。

「姫様を救い出す。それだけだ」

「ああ。僕も付き合わせてもらうよ」

 クロードも静かに起立しつつ、熱い決意を漲らせる。

 沙耶もまた失意の色を拭い、表情を引き締めた。

「今度はわたしが緋姫さんを助けてあげる番です。みなさん、力を貸してください」

 一同が決意を込めて、頷く。

 最後にシオンが立ちあがって、気恥ずかしそうに頭を掻いた。

「しょうがないなあ……魔王殿なら案内できるし、ボクも行くよ。それに、ヒメ姉をあんな目に遭わされて、むかついてるからさ」

 司令官の愛煌が力強い号令を放つ。

「これより第六部隊はネオ・カイーナへ突入! 目的は御神楽緋姫の奪還っ!」

 作戦開始時刻は、二十時。

「今日の僕らのリーダーは君だよ、レディー」

「ありがとうございます。行きましょう、緋姫さんのもとへ!」

 沙耶は初めて自ら戦うことを選んだ。

 

 ネオ・カイーナの大地に大きな光球がぶつかる。

 シオンの浮遊スペルと沙耶の魔力を併用し、第六部隊のメンバーはネオ・カイーナへと降り立った。何もかもが逆さまになるため、頭上を見上げれば、街を一望できる。

 ネオ・カイーナの土は乾き、ひびが入るほど荒れ果てていた。遠方には西洋風の王城が見える。瘴気は薄い霧のように立ち込め、身体じゅうにまとわりついた。

 沙耶が呆然と呟く。

「ここが地獄……ヴァージニアの記憶で見たのと、同じ……」

 プロジェクト・アークトゥルスの実験によって、ヴァージニアに憑依された時、自分はその記憶の一部を継承した。そこに地獄の光景がある。

 紫月やクロードもネオ・カイーナの、広大な寂寥感に息を飲んだ。

「何もないな……」

「いや、あっちにあるのは……線路じゃないか?」

 古びた一本の線路が、城のほうへと細長く伸びている。それが何のためにあるかも、沙耶は知っていた。

「罪人の魂を汽車でお城まで運ぶんです。そして、四十九日のうちに裁きを……」

「どこまでホラーなのよ。夢に見そうだわ」

 シオンが背伸びもして、彼方の魔王殿に目を凝らす。

「あれは大昔に使われなくなった、閣下のお城なんだよ。このあたりは女王様の直轄地だから、いらなくなったみたいでさ。そいつをボクらで借りてたわけ」

「でしたら、ほかには誰も……」

 寂れきった荒野に冷たい風が吹いた。

 沙耶たちに遅れて、ネオ・カイーナへと別の隊も到着する。

「おーいっ! 待ってくれ!」

 輪は第四部隊のメンバーとともに駆けつけ、愛煌の指示を受けた。

「あなたたちは要救助者の保護に向かいなさい。取り零すんじゃないわよ」

「了解だ。そういうフォローなら、任せてくれ」

 第四部隊とは早々に別れ、第六部隊は線路を辿って、城を目指す。線路は緩やかにうねりながら、荒野を真っ二つに両断していた。

 誰かが線路上で蹲っている。

「あ、あなたは!」

 沙耶は六枚の翼を広げ、臨戦態勢を取った。愛煌やクロードも構えに入る。

「出たわね、ヤクモ=キーニッツ……」

 ヤクモは両袖から鈎爪『フェンリル』を伸ばした。

「ここから先……通さない」

 長めの前髪が揺れ、殺気に満ちた表情を覗かせる。緊迫感で空気が張り詰め、シオンは怖がるようにあとずさった。

「やばいよ、あいつ。いつもはやる気のないやつなんだけど、フェンリルを出すとさ」

「知ってるわ。私と緋姫は実際に戦ったことがあるもの」

 愛煌はヤクモを睨みつけ、眉を顰める。

 クロードはもどかしいとばかりに前に出て、右手を水平に切った。

「君ひとりか? そこをどいてくれ、僕たちはお姫様を……」

「待て、クロード。こいつには聞きたいことがある。愛煌も手を出すな」

 気が逸っているらしいクロードを、紫月が制す。 

「……シヅキ?」

「憶えてくれていて光栄だ。お前とはさして話したこともなかった、が……」

 ヤクモと紫月の間で、静かに火花が散った。

「なぜリィンの味方をする?」

 ヤクモが鈎爪でがりがりと土を引っ掻く。

「……味方、ひとりもいない……リィン、可哀相……だから」

「なるほど。お前なりに、やつのため、というわけか」

 紫月は頷くと、おもむろに朝霧を下段に構えた。鬼のごとく気迫を高めて、仲間の沙耶たちさえ、たじろがせる。

「ひ、比良坂さん? まさか」

「こいつの相手は俺がする。お前たちは先に行け」

 紫月の怒気に呼応し、ヤクモもフェンリルに闇の波動を伝わらせた。

「ですけど、ひとりでは」

「いいのよ! 任せたわ、紫月!」

 戸惑う沙耶の手を、愛煌が強引に引っ張って、駆け出す。

 すかさずヤクモが愛煌に飛び掛かったのを、紫月は斬り上げで弾き返した。

「お前の相手は俺だ、と言っただろう!」

「シ、シヅキぃ……!」

 紫月の朝霧とヤクモのフェンリルが激しく鍔ぜりあう。

悪いと思いつつ、沙耶は愛煌とともに先を急ぐことに決めた。

「ごめんなさい! お願いします、比良坂さん!」

 紫月とヤクモが鍔ぜりあっているうちに、クロードとシオンも横をすり抜ける。

「無理だけはしてくれるなよ! シオン、君も急げ!」

「死神に人間ひとりで戦わせるって、マジで? ボク、知らないよ!」

 沙耶たちは線路に沿って走り、凱旋門のようなアーチをくぐろうとした。

 ところが、その上には第二の刺客が待ち受けている。彼女は伸縮自在なケルベロスの鞭を振るい、砂塵を巻きあげた。

「キャハハハッ!」

その砂埃に行く手を阻まれ、沙耶は足を止める。

「ミ……ミユキちゃん?」

 相手がミユキであることにも困惑し、咄嗟には迎撃の体勢を取れなかった。クロードがアイギスを張り、ケルベロスの急襲に備える。

「君もリィンに味方するっていうのかい? ミユキちゃん!」

 ミユキはリィンの名を鼻で笑った。

「はっ、知んないわよ、あんなやつ。……まあ、一応は同僚だしぃ?」

 彼女の視線がほかの誰でもなく愛煌を見下ろす。

「でもでも、誰かさんの態度次第では、サヤちゃんたちに協力してあげよっかなって」

 愛煌はきびきびと指示を放った。

「先に行きなさい、沙耶、クロード。あいつの狙いは私よ」

「は、はい……!」

 紫月と同等の覚悟を、愛煌からも感じ取り、沙耶は今度こそ迷わずに進む。

「さっさと話をつけて、追っておいで!」

「戦うんじゃねえよな? 先、行ってるぜ!」

 クロードとシオンも沙耶に続いた。

 

 沙耶たちが見えなくなってから、愛煌は改めてミユキを見上げる。

「悪い気はしないわね。あなたみたいな可愛い子になら、待ち伏せされるのも」

「でしょー? ミユキもね、アキラくんとふたりきりでお話したかったの」

 ミユキはアーチから飛び降り、正面で前屈みになった。愛嬌たっぷりに無邪気な笑みを弾ませながら、愛煌を見詰める。

「ミユキのお願い、聞いてくれるかなあ……」

「内容によるわ。何かしら?」

 愛煌はアルテミスの弓をさげ、無防備に肩を竦めた。

 ミユキの唇が甘ったるい声色で囁く。

「えへへ、アキラくんにはぁ、ミユキの彼氏になって欲しいの!」

 そう囁きながら、彼女はブレザーの袷を緩めた。

「……ね? いいでしょ?」

豊満な胸が零れるように弾んで、魅惑の谷間を挑発的に覗かせる。

 それに対し、愛煌の声は淡々としていた。

「どうして私なのよ? 男なら、ほかにもいるじゃない」

「だって、だって! こんなに可愛くって、ミユキのもろ好みなんだもん! だから、ミユキ……いいよ? アキラくんになら、あげちゃっても……」

 ミユキが頬を赤らめ、色っぽい吐息をにおわせる。

それでも愛煌の心は揺れなかった。

「ごめんなさい」

 断られるとは思っていなかったらしいミユキが、きょとんとする。

「……な、なんで謝るの?」

「あなたとは付き合えないから、よ。……別にあなたが嫌いってわけじゃないの。正直に言うわ。私は……御神楽緋姫のことが好きだから」

 愛煌は一枚の写真を取り出した。

 それは去年の学園祭でメイド服を着る羽目になった、緋姫の写真。写真部から出まわりそうになったのを買い占め、うち一枚を生徒手帳に挟んである。

「キスだってしたわ」

 ミユキは愕然として、ブレザーが肩からずれ落ちそうなことにも、気付かなかった。

「……もしかして、ミユキ……フラれたの? 失恋ってやつ……?」

 その表情が憤怒の色に染まっていく。

「ミユキがフラれるって、そんなダサいことになったわけ?」

 ケルベロスの鞭が唸った。愛煌は間合いを取りなおし、アルテミスを引く。

「友達として、協力してもらえないかしら」

 おそらくその一言が、彼女の逆鱗に触れた。ミユキの普段は朗らかな顔が、おぞましい殺気で満たされる。

「もーいいっ。あんた、死ね!」

 愛煌とミユキの決闘も火蓋を切った。

 

 一方、地上ではレイの殲滅が完了しつつあった。

「てやあっ!」

詠が愛刀の『夜霧』で、残った雑魚を斬り捨てる。

 民間人の避難も進んでいるため、戦いに集中できた。プロジェクト・アークトゥルスの一件によって、ARCという組織は一度瓦解したが、どうにか復旧しつつある。

「……嫌な空気ね」

 上空のネオ・カイーナで、俄かに邪気が濃くなった。風の音に怨嗟の声が混じり、ほかのイレイザーたちはうろたえる。

 ケイウォルス司令部から緊急の通信が入った。

『まずいです! 街のレイが一ヶ所に集まって、ゆ……融合を!』

「えっ? まさか……」

 レイの集合体がみるみる膨張し、交差点の歩道橋へと圧し掛かる。それは一対の翼を広げ、歩道橋をへし折りながら、雄叫びを轟かせた。

 悪魔と呼ぶにふさわしい巨体が、大地を揺るがす。アスファルトの路面は砕け、水道管が破裂したのか、しぶきがあがった。

「……楽はさせてもらえないみたいね。周防くん、敵はこいつだけ?」

『その一体だけです! 残存の戦力はただちにポイントNの6に集結してください! 比良坂さん、お願いします!』

 詠が夜霧を上段に構え、敵を見据える。

「まったくもう。ルイビスとヴァージニアは上だっていうのに……ナンバー3は街の大掃除だけで、終わりそうね」

 その表情は涼しげに覚悟を決めていた。夜霧の刀がぎらつく。

「問答無用でいかせてもらうわっ!」

 閃光が走った。

 

 

 バラの寝室で、魔王は緋姫の寝顔を眺めていた。

「こいつがプロジェクト・アークトゥルスのナンバー721、か……」

 緋姫の目は開いているものの、何も見ていない。魔王の言葉も理解できず、ただ人形のように、静寂の一部となる。

 その傍らで炎が浮かび、揺らめいた。

「久しいな、デュレン」

「やっと来やがったか。てめえの相方はこのザマだぜェ?」

 デュレンが愉快そうに唇の端を吊りあげる。

 緋姫の魂はまさに消滅の危機に瀕していた。あと半日もしないうちに本当の死を迎えてしまう。プロジェクト・アークトゥルスで廃棄処分された時と同じだった。

 その時はルイビスの魂が緋姫の魂の一部となることで、緋姫の蘇生に成功している。だが、今は緋姫の魂が弱りすぎているため、その方法は使えなかった。

「どうするんだよ、おい? 捨てちまうのか?」

「……手段はまだ残ってるさ。今度は『私』の魂をベースとして、緋姫の魂を融合してやればよい。それだけのことだ」

 ルイビスの身勝手な提案を、デュレンが失笑する。

「ヘッ! じゃあ、こいつはミカグラヒメじゃなく、ルイビス、てめえの一部になるってこった。死神の第一人者……かつてのナンバー1が、復活かァ?」

 ところがルイビスも笑った。

「……どうかな? 私はルイビスである以前に、もう『緋姫』なのさ。目覚めるのは、このルイビスではなく、緋姫だろう」

「んなわけねぇだろ。てめえはてめえ、だ」

 緋姫の身体にルイビスの魂が吸い込まれていく。

「フフフ……ならば、試してみるがいい。命懸けでな」

 緋姫は瞳に生気を取り戻し、起きあがった。

「なんてことすんのよ、リィン! リィ……あ、あれ……?」

 リィンに鎌で斬られたはずが、傷はない。見覚えのない寝室で、バラだらけの悪趣味なベッドに寝かされているのも、わからなかった。

 すぐ傍には奇抜な恰好の男がいる。

「だっ、誰?」

緋姫はベッドの反対側に降り、アーロンダイトを構えた。

 魔王が低い声で囁く。

「てめえは知ってるはずだ。おれの名前をなァ」

 どこかで会ったことがある気がした。

「デュレン=アスモデウス=カイーナ……」

「ケケケッ! やっぱてめえはルイビスだ! 正体を見せやがれ!」

 デュレンが不意打ちで魔力を爆裂させる。

 寝室は吹き飛び、城の中も外もなくなった。が、反射的に障壁を張れたおかげで、緋姫に怪我はない。屋根まであがって、頭上で逆さまになっている『街』を見上げる。

「……逆さまになってるのは、こっちね。地獄の一部が出てきちゃったか」

「ぼーっとしてんじゃねえぞ、女? このおれが遊んでやってんだからなァ!」

 デュレンは蝙蝠のような羽根を広げ、城の周囲を滑空した。青白い雷光を緋姫の視界にばらまき、追い詰めようとする。

その眩しさに片目を伏せながら、緋姫もアーツを放った。

「どこの誰だか知らないけど、あたしとやるってんなら、手加減はしないわよ! あいつを囲んで、シャドウエージェント!」

 緋姫の背後から、そっくり同じ姿の分身が何人も飛び出す。彼女らは空中でデュレンを取り囲み、同じアーロンダイトを一様に構えた。

「こいつはルイビスの十八番じゃねえか……だとすりゃあっ!」

 弾丸とボルト系のアーツが集中線を描くように、中央のデュレンへと殺到する。

 上へとかわすデュレンの、さらに頭上を、本物の緋姫が詠唱しつつ取った。アーツで圧力を極端に変異させたものを、デュレンに叩きつける。

「グラビティステーク!」

「おっとォ!」

 対するデュレンも同じ『魔法』をぶつけてきた。

「嬉しいぜぇ、てめえみたいなバケモノとやりあえるなんて、なあッ!」

「あなた、あたしのアーツを一瞬で……?」

 人間のアーツと死神の魔法が激突し、弾ける。その反動に緋姫は飛ばされながらも、城の屋根に側転で着地し、魔王と睨みあった。

 デュレンが余裕を酷薄な笑みにする。

「別に不思議なことじゃねえだろォ? おれたちの魔法を、人間も使えるように調整したのが、アーツだ。『人間用の処理』が入ってっから、ちと遅ぇんだよなあ」

 魔王の右腕に稲妻が絡みついた。

「さあて……こいつで見極めてやらぁ。第六サークル、精霊クラスの一発だぜ?」

 それが青い雷光をまとった一匹の龍となり、咆哮を轟かせる。

「ライトニング・ドラグーン!」

 雷龍はうねり、緋姫を食らおうと牙を剥いた。

その胴体が擦れるだけで城が削れ、瓦礫を散らす。しかし緋姫は口角を曲げ、回避の行動を取らなかった。アーロンダイトで頭上を指し、命令を放つ。

「あたしに従いなさい、ドラグーン!」

雷龍は緋姫に命中する寸前で、軌道を変え、真上へと逸れていった。

のみならず、空中で折り返し、飼い主であるはずのデュレンに狙いをつける。

「シオンと戦ってて、よかったわ。自動追尾の弱点よね」

「小手先の技ひとつで、おれのライトニング・ドラグーンを曲げた、だとォ……?」

 緋姫の神業には魔王さえ驚愕した。

 雷龍が大口を開け、猛然とデュレンに襲い掛かる。

 

 沙耶とクロード、シオンの三人は、魔王殿へと突入していた。城内が揺れては軋む。

「お姫様がお目覚めになったようだねえ」

 おそらく城の上では今、緋姫が何者かと激戦を繰り広げていた。

「僕らのお姫様を甘く見るから、こうなるのさ」

「その通りですっ! わたしたちも応援に行きましょう!」

 沙耶とクロードは緋姫の勝利を確信しつつ、先を急ぐ。

 シオンは顔を引き攣らせていた。

「ヒメ姉が戦ってるのって、多分、閣下だぜ? なんで互角にやりあえんだよ」

「例の魔王かい? そいつは相手が悪かったね。お姫様は最強だから」

 回廊を駆け抜け、円形の大広間に出る。

 沙耶たちの行く手に、ついに『彼』が姿を現した。両手で大鎌を構えながら、肩を上下させるほど激しく息を切らせる。

「はあっ、はあ……プリンセス、ぼくは、きみのために……」

 リィンの狂気を前にして、クロードがアイギスを張った。

「とうとう僕の出番みたいだね。レディー! 君は先に行ってくれ!」

「で、ですけど……」

「ああ言ってんだ、ボクらに任せとけって!」

 三度目となるメンバーの別行動に、シオンも同調する。

「……ごめんなさい、クロードさん!」

 沙耶は肩越しに振り返り、クロードを案じたものの、今は緋姫のもとへ急いだ。

 シオンは柱の陰に隠れ、距離を取る。

「よ、よーし、頑張れよな? クロード。ボクもフォローすっから」

「頼りにしてるよ。さて……」

 クロードはシオンに小粋な笑みで応えると、正面を見据えた。

 リィンはシオンに興味を示さず、憎悪に満ちた形相でクロードを睨む。

「最初はきみだよ、クロード。次はアキラ、それからシヅキ……全員だ。ぼくからプリンセスを奪おうとするやつは、みんな、消してやるッ!」

「まさしく嫉妬の化身だね。けど、そんなことでは、お姫様は手に入らないよ!」

 アイギスの一部が剣となった。クロードは精悍な騎士のごとく剣と盾を持ち、リィンに真っ向から挑む。

 リィンも鎌を振るい、クロードと剣閃を散らした。

「きみだ、きみが一番、ぼくとプリンセスを脅かす……きみ、があっ!」

「そうだろうね、きみは僕が怖いはずさ! なぜなら……!」

 裂帛の気合とともにクロードの剣が競り勝ち、リィンの鎌を弾く。

「僕が彼女を愛してるからだッ!」

 リィンは武器を落とし、呆然とした。

 大鎌に次元を引き裂く力があろうと、アイギス製の聖剣には通用しない。アイギスはクロードの意志に呼応し、無敵の防御力を誇った。

 一瞬の攻防を目の当たりにしたシオンが、息を飲む。

「す、すげえ……クロードのやつ、ほんとはこんなに強かったのかよ」

 クロードの聖剣がリィンに切っ先を向けた。

「……ここまでにしよう。これ以上、片想いを通そうとしても、苦しいのは君だよ」

 リィンはくずおれ、両膝をつく。

「う、うぅ……ぼくは、幸せになりたかった、だけなのに……」

「君のせいじゃないさ、リィン」

 泣きじゃくる彼の肩に触れようと、クロードはおもむろに歩み寄った。

「……なんだっ?」

 ところがリィンの真下で空間が裂け、怨霊の群れが洪水のように溢れ出す。クロードはアイギスで守られていたものの、リィンは一瞬のうちに飲み込まれてしまった。

 血に濡れた磔台が浮かび、リィンを拘束する。

 それはリィンをコアとして、瞬く間に膨れあがった。大広間の天井を貫いても、止まらず、さらに膨張を続ける。

「ぼくの……ぼくたちの邪魔をするな、クロードぉおおおおおッ!」

 慟哭が波動となった。鉄壁のアイギスさえ軋み、押し返されそうになる。

「しっかりしろ、リィン! リィンーッ!」

「げえっ? やばいって、これ!」

 クロードたちはアイギスごと波動に飲まれた。魔王殿の外まで地割れが走っていく。

 

 

 何合と刃を重ねるうち、紫月もヤクモも息を乱した。

「ハア、ハア……お前、強い……」

 ヤクモが蹲って、フェンリルの爪を無造作に降ろす。それなりに重量があるようで、彼の腕は動きが明らかに鈍くなっていた。

 だが紫月のほうも朝霧を握る手に力が入りきらない。ヤクモのフェンリルと激しく打ちあうことで、痺れてしまい、小指など感覚がなかった。

「……………」

 紫月が無言で朝霧を『鞘』に収める。ヤクモは前髪の陰で目を丸くした。

「……なんで? おれ、まだ戦うのに」

「やめたのではない。抜刀術、を知っているか?」

 紫月の構えが攻撃重視の前傾姿勢となる。左手は鞘を固定し、右手は柄に添えられた。脅威を感じたらしいヤクモの顔に、動揺が浮かぶ。

「バットウジュツ……」

「決まれば俺の勝ち。外せばお前の勝ちだ。はああああ……っ!」

 乾坤一擲の抜刀のため、紫月は唸るほどに気迫を高めた。

 ヤクモがフェンリルの爪をクロスさせる。

「おまえやっつけて、ミユキ手伝う。早くしろ」

 少し先にあるアーチの上では、愛煌とミユキが交戦中だった。

「……くっ!」

 押されているのは、愛煌。アルテミスに矢を番えようにも、ミユキのケルベロスのほうが攻撃のインターバルが短いため、反撃に転じられない。

「まだよ? まだまだ! 楽しいのはこれからなんだもん、アハハハッ!」

 さらに変幻自在の鞭は、愛煌の正面に迫りつつ、背面を奇襲した。男子にしては華奢な愛煌が弾き飛ばされ、地面へと叩きつけられる。

「やるわね、死神……」

 ミユキの瞳が緋色に染まった。淫靡な舌なめずりで唇を濡らす。

「いっぱい苛めて、最後はねぇ、食べてあげる。フ……フフッ、ウフフフ……!」

 白い歯の一部が牙に変わった。

その禍々しい本性を目の当たりにして、愛煌は確信する。

「普通じゃないと思ったら、道理で……あなた、ノスフェラトゥの血が混ざってるのね」

 ノスフェラトゥとは、人喰い鬼。かつて人間を食らう捕食者が存在した。

 ミユキの牙が涎の糸を引く。

「食べてあげるぅ……ミユキが、アキラくんをぉ、ガブってえ!」

 ケルベロスの鞭が愛煌を捕らえ、地面に擦りつけながら引き寄せる。しかし愛煌はまるで動じず、ミユキを見上げ、勝利の笑みさえ浮かべた。

「残念だったわね。私のレイはノスフェラトゥの王、ベオルヴ=オーレリアンドだもの。あなた、私には逆らえないわよ。絶対にね」

「はあ? 何言って……」

 愛煌の声があたかも鐘の音のように響く。

「ひれ伏せ」

 ミユキの身体がびくんと跳ねた。

「うっ? なんで……これ、勝手に?」

 ケルベロスから手を離し、愛煌に命令されるがまま、跪く。その表情はありありと驚愕の色を浮かべ、唇をわななかせた。跪いているのはミユキの意志ではない。

 愛煌は悠々と立ちあがり、ミユキの土下座を見下ろした。

「ノスフェラトゥにとって王の命令は『絶対』よ。そうね、もう少し体感させてあげようかしら。……胸を見せなさい」

「……ひっ!」

 愛煌の命令には逆らえないらしいミユキが、おもむろにのけぞり、自ら胸元を暴いてしまう。人喰い鬼のものだった顔つきは、すっかり怯え、涙ぐんでいた。

「ど、どうして? ワケわかんないよぉ……」

「ノスフェラトゥの血を制御できるようになることね。でないと、本当に人間を食う羽目になるわよ? ……それにしても」

 愛煌の瞳が淫欲を深め、ミユキの艶めかしい胸元を無遠慮に眺める。

「手こずらせてくれちゃって。覚悟はいい? ミユキ」

 自ら胸を差し出す格好で、ミユキは青ざめた。

「ア、アキラくん……?」

「言っとくけど、こっちも経験ないから」

「う……うそでしょ? やめて、こんなの、やっ、やだってばぁ!」

 ブラジャーの袷に愛煌の人差し指が引っ掛かる。しかし、そこで愛煌は手を止め、ミユキを呪縛から解き放った。

「冗談よ。そんなこと、するわけないじゃない」

「~~~っ!」

 ミユキは真っ赤になりながら、抱き込むように胸を隠す。

「さ、最低! アキラくんのバカ!」

「はいはい。……紫月、ヤクモ! そっちもお開きにしなさ、い……?」

 不意にネオ・カイーナの大地が揺れた。地割れが生じ、線路がひしゃげる。

 異変を察し、紫月は抜刀の構えを解いた。

「ヤクモ、これは一体?」

「お、おれにもわからない……でも、リィンの声、する……!」

 ヤクモは鈎爪を外し、苦しそうに両手で耳を塞ぐ。

 地割れを抉って広げるかのように、波動が駆け抜けてきた。クロードとシオンが高々と打ちあげられ、紫月も愛煌も唖然とする。

「ク、クロード!」

「あいつら、気を失ってるわ!」

 放物線の先で墜落しつつあったクロードとシオンを、ケルベロスの鞭がキャッチした。ミユキが鞭を引き、ふたりを間一髪のところで救う。

「ちょっと、ちょっと! お城で何が起こってるわけ?」

「助かったわ、ミユキ。クロード、起きなさい!」

 愛煌に手荒く揺さぶられ、クロードは息を乱しながらも、目を開けた。

「まずいね……リィンだよ。リィンが地獄から、悪霊の大群を呼び寄せ、て……」

 クロードに庇われたらしいシオンは、いくらか余裕がある。

「第三地獄トロメアまで開きやがったんだ、リィンのやつ! あんなもん出てきたら、地上なんて一日で腐っちまうぜ?」

 地割れの底から、夥しい数の怨霊が這いあがってきた。

「な……によ、あれ……」

 愛煌も、紫月も、ミユキも、ヤクモも、言葉を忘れるほど戦慄する。磔となったリィンを心臓とした、悪魔の巨躯が、耳をつんざくような絶叫をあげた。

「消えろ! ぼくとプリンセスだけ残して、全部! 消えてなくなれえっ!」

 右の剛腕が有機的な大砲へと変異し、脈打つ。

「いかんっ!」

 素早く紫月が跳躍し、その砲門に抜刀の一閃を放った。しかしエネルギーは臨界に達せずとも放たれる。波動はネオ・カイーナの荒野を、広範囲に渡って壊滅させた。

「きゃあああああー!」

 かろうじてクロードのアイギスが間にあったものの、愛煌たちは衝撃に巻き込まれる。前に出ていた紫月は深手を負い、刀を落とした。

「ぐはっ? はあ、これしきのことで……」

「動かないで、シヅキ。治してやる」

 ふらつく紫月をヤクモが支え、ヒーラー系のスペルアーツで治療を始める。

 ミユキと愛煌はひっくり返っていた。アイギスのおかげで直撃は免れたが、四肢に鈍い痛みがあって、しばらくは動けそうにない。

「あつつ……もー絶交よぉ、リィンなんかとは絶交!」

「しっかりしなさいったら、クロード! 次が来たら、どうするのよ!」

 クロードは満身創痍だった。リィンの波動を立て続けに二度も防いだことで、アイギスも異常をきたしている。

 先ほど紫月が渾身の一撃をクリーンヒットさせたにもかかわらず、悪魔の腕には大した傷が見当たらなかった。シオンがスカウト系のアーツで分析を試みる。

「こいつ、スキルアーツに対する耐性が半端じゃねえよ! でもボクのアナライズは通ってるから、スペルアーツなら……って、やばっ、やばいやばい!」

 悪魔はネオ・カイーナとさえ一体となりつつあった。荒野に脈を広げ、不気味な拍動を無限に繰り返す。

 シオンのアーツを通じ、哲平の通信が割り込んできた。

『みなさん、無事ですかっ? ただちに撤退してください!』

 切迫した声でまくしたて、愛煌たちを急かす。

『ぼくも司令部を脱出しました! ネオ・カイーナはあと五分で墜落します!』

「な……なんですってえ?」

 ケイウォルス高等学園の上空で、ネオ・カイーナはバランスを崩しつつあった。悪魔との同化によって重力が狂ったのか、斜めに傾き、ぐらぐらと揺れる。

 紫月はヤクモに肩を借り、立ちあがった。

「下の街はどうなる?」

『守りきれません! とにかく人命が最優先です。ひとりでも多く要救助者を連れ、撤退してください! 下のみんなも、この圏内から脱出中です!』

「ま、まだ全員、逃げてないんじゃないの!」

 一同の表情が絶望に染まる。

 あと五分でネオ・カイーナは、ケイウォルス高等学園を中心とする街中に墜落する。この膨大な質量では、破壊が半径数キロメートルにも及ぶのは、避けられなかった。

「真井舵の部隊はどうした? まだここにいるはずだぞ!」

『ずっと呼んでるんですが、繋がりません! どうかお願いします!』

 阻止限界点まで時間がなければ、手段もない。

 悪魔はなおも膨張を続けながら、第六部隊を始めとするメンバーを見下ろした。愛煌は唇を噛んで、苦渋の決断をくだす。

「……撤退よ。あなたたちはさっさと逃げなさい」

 愛煌の無謀な決心にクロードが勘付いた。

「まさか、君ひとりでお姫様を助け、に……? それなら、僕が……」

「よせ、クロード! お前は俺より重傷だぞ!」

 誰も逃げようとしない。シオンが焦りながら、城のほうを見遣る。

「何やってんだよ、サヤ姉……! 早くヒメ姉連れて、戻ってきてくれって!」

 魔王殿に稲妻が落ちた。凄まじい威力で、ネオ・カイーナの傾きを水平まで戻す。

 彼女の声が木霊した。

「作戦を伝えるわ。今から詠唱に入るから、みんな、あたしを運んでっ!」

 崩れゆく魔王殿から、一筋の光が伸びる。それは直角の軌道を描きつつ、六枚の翼を広げた。沙耶が胸に緋姫を抱えて、飛ぶ。

「お待たせしました、みなさん!」

「緋姫っ、沙耶!」

 愛煌たちの表情に笑みが戻った。

 悪魔が緋姫を見つけ、憤怒を燃えあがらせる。

「違う、きみはルイビスだ……プリンセスから離れろォ!」

 左の剛腕が展開し、無数の砲台を並べた。怨霊を弾丸のように放ち、六翼の天使を撃墜しようとする。だが、天使を庇うように、魔王デュレンが大の字になった。

「何ボサッとしてやがる、ミユキ、ヤクモ! 手ぇ貸してやれ!」

 デュレンの右腕が紅蓮の炎を集め、大渦にする。

「焼き尽くせ、煉獄!」

 怨霊の群れは炎に巻かれ、緋姫たちに迫れなくなった。

 緋姫は十本の指で同時に詠唱を始め、早くもみっつを済ませる。右手の人差し指と中指を合わせると、炎のスペルと風のスペルが混ざって『熱風』となった。

「……ファイアストーム、っと」

 まだ放たず、指先に留める。

合成のために数が減った分は、追加で詠唱した。同じ要領で、左手では氷と岩のスペルを合わせた、ダイアモンドダストが出来あがる。

 紫月は朝霧を構え、ヤクモとともに俊敏に飛び出した。

「もう一度やつの右を押さえる! ヤクモ、フォローを頼む!」

「わかった……おれ、やる」

 朝霧とフェンリルが交差しつつ、悪魔の右腕を駆けあがっていく。さらに紫月は剣閃を振りおろすように放ち、肩を狙った。

「撃たせはせんぞっ!」

 悪魔の巨体がのけぞり、攻撃の手を緩める。

 愛煌とミユキも駆け出した。緋姫が落下してくる地点へと先まわりして、愛煌がアルテミスを斜め上に構える。その弦はケルベロスの鞭となった。

「こっちよ、緋姫!」

 即席の発射台へと、沙耶が緋姫を投げ込む。

「頑張ってくださいね、緋姫さん!」

「もっちろん!」

 愛煌とミユキは一緒にケルベロスの鞭を引き絞った。

「気張りなさいよ、ミユキ! あとで特大のスイーツ、奢ってあげるから!」

「ケーキバイキングのほうがいいっ! ふたりきりでね!」

 勢いよく放たれたアルテミスの矢に乗って、緋姫は一直線に悪魔のコアを目指す。

 沙耶は空中で羽根をばらまき、オールレンジに射撃を届かせた。沙耶の左目が緋色に染まって、すべての羽毛を操る。

「ヴァージニアの魔眼、お願い!」

 怨霊はことごとく撃たれ、散り散りになった。

 アルテミスの矢で滑空しながら、緋姫は十のうち九まで、詠唱を仕上げる。

「リィン……」

 嫉妬の大罪に囚われた彼は、磔台でうなだれていた。

「プリン、セ、ス……?」

 哀れなリィンの姿を見つけて、緋姫の瞳が一瞬、嘲笑を秘める。

「今、楽にしてやる。……ううん、助けてあげるわ!」

 緋姫は最後の詠唱を終えると、両手の指を組みあわせた。それをリィンに向け、電流を繋ぐようにスパークさせる。

「これでおしまいよ、オーバードライヴッ!」

 炎、氷、風、岩、幻。あらゆる攻撃系スペルアーツの中でも、上位に当たるものが、悪魔へと殺到する。続けざまに力、刃、雷、光、闇。十のスペルアーツは同時に爆ぜた。

 ネオ・カイーナに大きな亀裂が入る。

 天地さえ砕く桁外れの威力に、シオンは驚愕した。

「ネオ・カイーナごとぶっ壊すのかよ! 滅茶苦茶だろっ!」

 偽りの空が割れ、金色の月が瞬く。

 

 優しい温もりの中で、リィンはおもむろに目を覚ました。

「う、うぅん……ぼくは?」

 まだ寝ぼけているらしいリィンを、マジカルプリンセスが抱きかかえる。

「大丈夫よ。悪霊はまとめて追い払ってあげたから」

 一か八かだった。緋姫のために作られた、このバトルユニフォームなら、緋姫の魔力で防御力を最大以上に高めることができる。

その甲斐あって、彼をオーバードライヴの破壊力から守りきれた。

夜空で無数の星が瞬く。流れ星が落ちて、街の向こうに誰かの願い事を届けた。

 正気に戻ったリィンが、瞳に切ない涙を浮かべる。

「……ごめん。ぼくは、きみが好きなだけ、だったのに……」

 彼の気持ちが嬉しかった。異性に愛される喜びを、彼のおかげで知った気がする。

 だからこそ、緋姫も胸の中を打ち明けた。

「ありがとう。でもね、リィン……あたしはまだ、男の子を好きになるってこと、よくわからないの。今もすごくドキドキしてるけど、なんだか、怖いのよ」

 あえて思いあがるなら、自分に想いを寄せてくれている異性は、多い。クロードや愛煌は緋姫のことが好きで、紫月も怪しかった。

 なんて傲慢なのかしら、あたし。

 そしてリィンも、きっと緋姫を純粋に愛している。

 だが、特別な相手を決めることで、皆との関係を壊したくなかった。今はまだ、皆で遊園地に行ったり、夏休みは海で遊んだりしたい。

「ごめんなさい。あたし、あなただけの恋人にはなれないわ」

「……そっか」

 リィンは頬を緩め、無理のない自然な笑みを浮かべた。

「ちゃんと返事をくれて、ありがとう」

「どういたしまして……って言うのも、変よね」

 ケイウォルス高等学園の屋上へと降り立つと、愛煌たちに迎えられる。

「無事で何よりね、緋……」

「緋姫さんっ!」

 愛煌もリィンも押しのけ、沙耶が緋姫に抱きついた。

「ごめん、ごめん、あたしの天使様。心配かけちゃったみたいで」

「ほんとに、ぐすっ、よかったれす……!」

 さすがに愛煌も空気を読んで、距離を空ける。そんな愛煌にはミユキが飛びついた。

「アキラく~ん! さっきの続き、してくれないのぉ? ミユキ、今度はちゃんと頑張るから、ね? ねえってばぁ」

 甘ったるい声をあげながら、愛煌にべたべたと頬擦りする。

「ち、ちょっと! 近いったら」

 珍しく困惑する愛煌を見詰め、緋姫は首を傾げた。

「……続き、って?」

「それはもちろん、愛煌くんが……むぐっ?」

「なななっ、なんでもないのよ! ほら、ミユキももう静かに……?」

 愛煌が慌ててミユキの口を塞ぎ、嘘くさい笑みを引き攣らせる。

 ヤクモは紫月とクロードに治療を終え、一息ついていた。

「おつかれ、ヒメ」

「何があったのか、いまいちわからないんだけど……ヤクモ、あなたもお疲れ様」

 紫月とヤクモ、愛煌とミユキで決闘があったことを、緋姫は知らない。

 クロードと紫月は中腰の姿勢で、緋姫のスタイルを眺めていた。

「目覚めてしまいそうだよ……なあ、紫月?」

「姫様、どうやら俺たちは、大した男じゃないようだぞ。ふむ……」

 何を真剣に見ているのかと思えば、緋姫の恰好。緋姫は赤面し、短すぎるスカートを両手で押さえに掛かる。

「すすっ、好きで着てるんじゃないわよ? 防御力を考慮した結果、ってだけで!」

「そんなこと言って、ずるずるハマってくんだろ? ヒメ姉」

 シオンは意地悪にやにさがった。

 恥ずかしがる緋姫を皆が囲むところへ、魔王がゆっくりと降りてくる。

「ったく。おれの城までふっ飛ばしてくれやがって……」

「お、お前は?」

 紫月とクロードはすかさず構えを取った。一方でリィンらは跪き、頭をさげる。

「閣下、ぼくは……大罪に囚われて、とんでもないことを……」

「うるせえよ。特にリィン、てめえは許さねえ」

 デュレン=アスモデウス=カイーナは両方のてのひらをひっくり返し、肩を竦めた。

「クビだ、クビ。ついでにミユキも、ヤクモも、シオンも、辛気くせぇ死神なんざやめちまって、地上で勝手にしやがれ」

 リィンが顔をあげ、意外そうに瞳を瞬かせる。

「閣下……?」

「おれはもうてめえの上司じゃねえ。てめえのことは、てめえで考えろ」

 デュレンは緋姫に視線を投げ、意味深ににやついた。

「まさか、このおれがじきじきに出張ることになるとは、よォ。まあいい……ミカグラとか言ったな。地獄に来るなら、歓迎するぜぇ?」

「……いいわ。こっちのほうが楽しいもの」

 魔王の挑発を緋姫はしれっと流す。

「ククッ、違いねえ! ほかの人間どもも、あばよ。縁があったら、また会おうぜ」

 デュレン=アスモデウス=カイーナは、リィンの持っていた鎌だけ回収すると、夜空へと消えていった。ミユキが豊かな胸を張り、得意満面に自慢する。

「あんなだけど、とっても優しいんだから、閣下ってば」

「……あのさあ、ミユキ。デカパイが見えてるけど」

 しかしシオンに指摘されると、露骨に恥じらいながら、ブレザーの袷を調えた。

「あ、愛煌くんのせいよ? 責任取って!」

 疑惑の視線が愛煌に集中する。

「……愛煌、まさか」

「とっ、とにかく長居は無用よ! 司令部に戻りましょうか」

 愛煌はばつが悪そうに、強引に話題を切り替えた。

「ところで、輪のやつは?」

 デュレンが消えた方向から、風変わりな人影が降りてくる。彼はマフラーをたなびかせながら、女性記者を抱え、グラウンドへと着地した。

 生徒や近隣の住人が、まさかのヒーローの登場に沸き立つ。

「おれたちを助けてくれたんだよ! おれ、見たもん! 化け物をズバーッてさ!」

「うっそ? リアルで街守ったとか、マジかっこいいんだけど!」

 その様子を、緋姫たちは屋上から眺めていた。

「あれって……輪、よね?」

 これだけの人数が逃げ遅れていたことに、肝が冷える。しかし緋姫らの奮闘もあって、ネオ・カイーナは墜落せず、街は夜を迎えることができた。

 フルフェイスで正体を隠したヒーローが、戸惑いながらも声援に応える。

「も、もう安心だ、諸君。敵はオレが倒した」

 救出されたばかりの新聞記者は、彼にいの一番にマイクを向けた。

「お名前を教えてください! あなたは何者なんですか?」

「オレ? え、ええっと……そうだな」

 ヒーローがポーズを決め、名乗りをあげる。

「オレの名はカグライザー! 愛と平和を守るため、この星にやってきたのさ!」

 自棄になっているらしいことは、緋姫たちにだけひしひしと伝わってきた。

 新たなヒーローの名が夜空に響き渡る。

「カグ、ライ、ザー! カグ、ライ、ザー!」

 かくして今回の手柄は、公式にはマジカルプリンセスではなく、カグライザーのものとなってしまった。緋姫はほっと胸を撫でおろす。

「なんであたしの名前で……でも助かったわ。ありがと、輪」

 こんな恰好を皆に見られたら、恥ずかしくて死んでいたに違いない。

 愛煌がもじもじと、緋姫にだけ囁いた。

「ね、ねえ? 緋姫。一枚だけ! 写真、撮らせなさいよ」

「却下よ、却下! 今日見たものは忘れなさいっ!」

 マジカルプリンセスの怒号があがる。

 しかし後日、ちゃっかり沙耶には撮られていたことが判明した。

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