トライアングルサモナー ~召喚士の恋人~

第4話 夜会にて

 それはクレハ女王の一言から始まった。

「パーティーをしましょう」

 いつものように勉強机に突っ伏していたフランは、驚いて顔をあげる。

「……パーティー?」

「ええ。皆の親睦を深めるため、交流の場を設けるのです」

 ここのところ、天界と魔界の両陣営はともに落ち着いていた。ロイドとリュークが和解し、フランを交えて交流しているのが大きい。

 先日も三人でピクニックに行って、馬で競争もした。

 このタイミングで和平を旨にパーティーを催すのは、とても効果的だろう。ロイドとリュークらの協力も見込めるうえ、何より面白そうに思える。

「あなたも勉強するより、いいでしょう?」

「う。ごめんなさい……」

 涎で汚したこともあるテキストを畳んで、フランは席を立った。

「じゃあ、ふたりに話してきますね」

「お願いしますよ。あなたのほうが、彼らも聞いてくれるでしょうし。あなたが主催者となって、パーティーを成功させてください」

 どうやらこれも勉強の一環らしい。パーティーの段取りからすべて、フランが率先して取り仕切らなければならなかった。

 アスタロッテにも相談してみようかしら。あとは、えぇと……。

 楽しみにも思いつつ、行動を開始する。

 

 フランの私室で、メイドのアンナは笑みを弾ませた。

「パーティーですか? もちろん、お手伝いいたします!」

「ありがとう。……ところで、アスタロッテは?」

 昼過ぎは大抵、フランのベッドを占拠している少女の姿は、見当たらない。

「小説の新作が出たそうで、城下町の本屋に行っておられますよ」

「あの子、意外に読書家よね」

 いつの間にか本棚には女性向けの恋愛小説が増えていた。しかし最初に読んだ『月夜の寵姫~愛に濡れて~』がエロティックな内容だったせいで、フランは敬遠している。

「私はもっと、こう……王子様に守られたり、愛されるようなお話が読みたいですね。ペガサスで強引にさらわれるとか……はあ~、憧れてしまいます」

「守ってないじゃないの、それ」

 人見知りの気があるアンナとも、随分と打ち解けてきた。

「フラン! 勉強は終わったのー?」

 ちょうどそこへアスタロッテが、リュークとともに戻ってくる。リュークはワイバーンという翼竜を駆り、後ろにアスタロッテを乗せていた。

「ったく、王子の俺を足にしやがって。ペガサスはどうしたんだよ」

「いーじゃん。こんな美少女を乗っけて、何が不満なわけ?」

 紙袋を抱えたアスタロッテだけが、ベランダにひょいっと飛び移ってくる。

「じゃあな。俺が入ると、あの牛男に殺されちまうし」

「ちょっと待って。実は今度……」

 フランはベランダに出て、パーティーについて手短に話した。リュークは『いいんじゃねえの』と頷き、ワイバーンの向きを反転させる。

「あとでロイドと一緒に聞くぜ。同じ話すんのも、面倒だろ?」

「そうしてくれると助かるわ」

 ワイバーンはいななくと、城の南のほうへと降りていった。

 ロイドはツォーバ城の北に、リュークは南のエリアに滞在している。それは犬猿の仲であるエルフ族とトロル族を遠ざけるための、やむをえない措置でもあった。

 天界と魔界の和平には、まだまだ遠い。

「ねえ、アスタロッテ。主神と冥王って、どうして戦いを始めたのかしら……?」

「さあ? 相手が気に入らないってだけじゃないの?」

 百年も続いた戦争の発端を知る者は、ほとんどいなかった。おそらく知っているはずの祖父も、決して口を開こうとしない。

 天界の主神オーウェルと、魔界の冥王ハーディアス。

 彼らは大戦を始める以前より生きており、各地の伝説にも登場した。主神オーウェルや冥王ハーディアスの偉大さを強調するような、恣意的なものが多い。

 ……考えても、しかたないわね。

 フランは気持ちを切り替え、パーティーの企画を練ることにした。アンナとアスタロッテも興味津々に加わってきて、面白そうなアイデアが次々と出てくる。

「楽器が得意なやつを召喚するのは、どお?」

「そんなこともできるんですか? すごいんですね、フラン様」

 色んな意見があっという間にメモを埋め尽くした。

「お料理はあたしが作ろうかしら?」

「却下! フランは絶対、厨房には入っちゃだめ」

「私もそれがいいと思います……」

 にべもない言葉がフランを打ちのめす。

 

 

「あたしだって練習したいのに、んもう……」

 結局、今日も夕食の手伝いは許されなかった。フランはふてくされつつ、朝から一度も会っていないロイドの様子を見に行く。

 城の一角にある訓練場で、ロイドは槍の訓練に精を出していた。

「ハッ! ……とうっ!」

 本人の背丈以上もある槍が、風車のように旋回する。

 練習相手の天界騎士は、ロイドの鋭い一撃ごとにたじろいだ。槍と槍、武器がまったく同じなら、あとは技の勝負となる。

 ついに相手は膝をつき、負けを認めた。

「お見事です、王子。さすが神槍グングニルを授かっただけのことはありますね」

「僕なんてまだまださ。付き合ってくれて、ありがとう」

 ロイドが爽やかにはにかむ。

 以前はリュークに圧倒されていたのも、魔剣カラドボルグの変幻自在の奇襲によるところが大きかった。ペガサスに跨って戦うための槍でもあるのだろう。

「頑張ってるわね、ロイド」

「見てたのか? 恥ずかしいな……」

 練習用の槍を肩にかけ、ロイドは照れ笑いを浮かべた。

「なんなら一緒にドラゴンでも捕まえに行くかい? 下僕にするといいよ」

「それもいいわね。リュークも誘ってみようかしら」

 壁にかけてある同じ槍を持ってみたが、重たく、すぐに腕が痺れてしまった。

「女の子には無理だよ」

「……あら? だったら、勝負してみる?」

 女性を見下したわけではない彼の言葉に、フランは勝気な挑発を返す。

「君が、僕と?」

「いいじゃねえか、ロイド。やってみな」

 リュークも訓練場に入ってきて、観戦しようと壁にもたれ掛かった。

「し、しかし……フランとなんて」

 ロイドはフランを侮っているのではなく、純粋に心配してくれている。練習用のものとはいえ、訓練場にある武器には刃もついていた。

 フランは一振りの剣を手に取る。

「手加減はしてくれるんでしょ? あたしはこっちの剣を使うわ」

「あ、ああ。それじゃあ……」

 躊躇しつつ、ロイドはおもむろに槍を構えた。攻撃主体の上段でもなければ、防御重視の中段でもない。刃を下段にして、フランの出方を窺っている。

 対するフランは左手で剣を握り締めた。

「君は左利きなのか?」

「そうよ。こうやって戦う時だけね」

 それなりに重量もあるはずの剣が、ぴたりと静止する。

 リュークは一枚のコインを取り出した。

「さて、お手並み拝見といくか」

 そのコインが放物線を描いて床にぶつかり、甲高い音を立てる。

「いくわよっ!」

 踏み込むとともに、フランは高速の突きを繰り出した。

「なっ? く……速い!」

 ロイドがあとずさった分を、すかさず詰め、斬撃の線を繋ぐ。

 フランの剣の冴えを眺めながら、リュークは『ヒュウ』と口笛を鳴らした。

「やるじゃねえか。剣と槍なら、槍のほうが有利なはずなんだが……」

「こうも接近されては、僕の間合いが……っと!」

 槍の強みはリーチの長さにある。それを巧みにくぐり抜け、フランはさらにロイドへと剣を差し向けた。しかしロイドの防御は堅い。

「はぁ、はあ……えいっ!」

 フランの細い腕では疲れも早く、優勢は続かなかった。

 ロイドの槍が横向きになって、一瞬のうちにフランの身体を押さえつける。

「……僕の勝ちだね。でも驚いたよ、フラン。すごいじゃないか」

 ロイドはフランの腕前を興奮気味に称賛してくれた。

 少し息を乱しながら、フランは剣を納める。

「なかなかのものでしょ? お爺ちゃんに教わったの」

 祖父からは召喚術とは別に、剣術の指南も受けた。

ウォーゲームでもそうであったように、召喚術の弱点はマスターにある。マスターが倒れることは、契約が消滅し、その軍が解散することと同義だった。

 そのため、フラン本人にも戦う力は必要となる。

 ロイドは槍をさげると、難しい表情で顎をひと撫でした。

「ウォーロック……君のお爺さんは一体、何者なんだろうな。第一次天魔大戦の時から、前触れもなく姿を見せては、戦況をかきまわしたと聞くが……」

「こっちだとネクロマンサーか。神出鬼没、気まぐれな奇想家にして、偉大なる大賢者様だとよ。……どれもハッタリに聞こえねえのが、怖ぇな」

 リュークも腕組みを深め、相槌を打つ。

 立場上は敵対関係にもかかわらず、ふたりはすっかり打ち解けていた。昼間のように、リュークの口から自然と『ロイド』の名前が出ることも、珍しくない。

「ところで……リューク、指輪はどうしたんだ?」

「持ってるぜ。もう力はねぇみてえだが」

 ロイドは金色の、リュークは銀色のリングを取り出した。先日のウォーゲームで祖父がふたりに貸したもので、まだ回収していない。

 フランは頬を緩め、快く頷いた。

「返さなくていいわ。ロイド、リューク、持っててくれないかしら」

……いいのかい?

「あたしがチャンネルを繋げば、あなたたちも召喚術が使えるし。親愛の証としてね」

 戸惑うロイドと目が合ったリュークが、挑発的にはにかむ。

「面白ぇじゃねえか。いつでも相手になってやるぜ、天界の王子様?」

「ふっ。その言葉、後悔させてあげるよ」

するとロイドも怒るどころか、楽しげな笑みを浮かべた。

悪態をついても、それが悪態にならない。ふたりの王子の間には、フランを介し、奇妙な連帯感が芽生えようとしている。

そしてフラン自身、ふたりに召喚術を分け与えることに、驚きを感じていた。ロイドとリュークの両方に与えたことで、天界と魔界の均衡を保とうとしたわけでもない。

なんだか信じたくなっちゃうのよね、ふたりとも。

練習用の剣を壁にかけながら、フランは何気なく問いかけた。

「そういえば、アスタロッテとちょっと話したんだけど……天界と魔界って、どうして百年も戦い続けてるのか、ふたりは知ってるの?」

王子たちは互いに目配せし、首を傾げる。

「発端については僕も知らないな」

「考えたこともねえよ。でも……俺たちが何も知らねえってのも、妙だぜ」

 ロイドは練習場の端を往復しつつ、持論を展開した。

「戦争で取りあうものといったら、第一に資源だろう。肥沃な土地を巡って争った例は、この地上にも多い。そこに例えば、エルフ族とトロル族の確執などが合わさって、だ。争いの理由が増えるにつれ、規模も大きくなっていったんじゃないかな」

「ふぅん……とても詳しいのね、ロイド」

 彼の博識ぶりにフランは感心する。

 しかしリュークはロイドの持論を疑い、顰めた眉を戻さなかった。

「そいつは人間の場合だろ? 主神とか冥王ってのは、違うんじゃねえ?」

「ああ。さっきのはあくまで、地上の国家の場合さ」

 フランたち三人で話し込んでいると、どこからともなく骸骨の賢者が姿を現す。

「ヒッヒッヒッ! 知りたければ、わしが教えてやろうぞ」

「ウォーロック?」

「聞いてやがったな、ネクロマンサー」

 ロイドとリュークはフランを庇う体勢になって、賢者から間合いを取った。しかし守ってもらう必要のないフランは、平然と前に出る。

「お爺ちゃん……知ってるの?」

「知っとるといえば、知っとる。だが知らんといえば、知らん。安易な言葉で語り尽くせるほど、単純な連中ではないのじゃよ。主神オーウェルも、冥王ハーディアスも」

 祖父は内緒話を始めるかのように『シーッ』と人差し指を立てた。

「わしとて、喩えでしか話せぬ。それでもよいなら、話してやろう……」

 フランたちは頷きあって、押し黙る。

 一分以上の沈黙を経て、語り部はおもむろに口を開いた。

「……実をいうとな、主神や冥王っちゅうのは、特定の個人のことではない。天界の者はみなが主神の一部であり、同様に魔界の者はみなが冥王の一部、なのじゃよ」

 骨だけの右手がロイドを指す。

「例えばペガサスどもを主神オーウェルの『髪』とするなら、おぬしは『小指』じゃ」

「どういう意味なんだい? ウォーロック」

 ロイドの困惑をよそに、同じ指が次はリュークを捉えた。

「そっちのおぬしも、まあ、ロイドと似たり寄ったりじゃろうて」

「俺が冥王の指の先、だって? じゃあなんだよ、俺がやられちまったら、ハーディアスのおっさんは爪が磨げなくなるってか」

 リュークのひねくれた返答に、賢者は『ふむ』と頷く。

「左様。主神と冥王は互いに身体の奪いあいを続けとる……というわけじゃ。主神が冥王の右手を奪えば、冥王は主神の左足を奪う、というふうにな」

 祖父の言葉はあくまで『喩え話』だった。

 先ほどロイドが言った、資源の奪取や種族・宗教上の理由も、絡んではいる。だが百年にも及ぶ大戦の根底には、おそらく主神と冥王の『都合』が隠されていた。

「まさしく神同士の戦いよ」

「お爺ちゃんのお話は難しいんだってば、いつも」

 フランは呆れるふりをして、溜息もつく。

 この祖父の物言いはいちいち遠まわしで、無意味なことも珍しくなかった。むしろ賢者にとっては、真実こそが無意味なのかもしれない……などと深読みしそうにもなる。

「身体の奪いあいというのは、我ながら的を射ておる喩えに思うがのぉ」

「ピンと来ないな……僕ら天界の民はみんな、オーウェル様の一部だなんて」

 両方のてのひらを見詰めながら、ロイドは首を傾げていた。

 何かに勘付いたらしいリュークが、はっと顔色を変える。

「じゃあ、魔界の連中はハーディアスの……待てよ? なら、フランはどうなんだよ?」

 ふたりの視線が同時にフランへと向かった。

「……あたしが?」

 主神と冥王の系譜にある、十六歳になったばかりの少女。まだ天界にも魔界にも属していないが、その血は主神と冥王、双方の資格を継承している可能性が高い。

「身体を奪いあってるってんなら、フランは多分……」

「まさか……いや、でもオーウェル様が固執されるのも、もしかすると」

「ちょっと、ロイドまで? 何の話をしてるのよ、さっきから」

 王子たちの訝しむようで納得もするまなざしに、フランは戸惑い、賢者は頷いた。

「その通り。フランよ、おぬしは主神の心臓であり、冥王の心臓でもあるのだ」

 かつての天界の王女ミーシャと、魔界の王子ジニアス。ふたりはそれぞれ主神、冥王の第一の下僕として、大戦において勇名を馳せたという。

 ところがふたりは運命的な出会いを果たし、ひとりの女の子をもうけた。

「フランを手に入れたほうは、自身の心臓を取り戻すとともに、相手の心臓を奪うこともできる。おぬしはこの百年もの争いに決着をもたらす、いわばジョーカーなのじゃよ」

 悪寒がして、背筋が冷たくなるのを感じる。

「そんなことって……」

 フランは不安とともに我が身をかき抱き、震えを堪えた。

主神オーウェルも、冥王ハーディアスも、政治的な偶像としてフランを求めているわけではない。おそらくもっと切実に、貪欲に、フランという存在に執着している。

「……おっと、わしは魔導書の執筆に戻らんとな。天と魔の王子よ、フランのこと、くれぐれも頼むぞ。ヒッヒッヒ」

 しゃれこうべの賢者は炎が消えるように去っていった。最近はフランの影にも入らず、夜な夜な城内を徘徊しているらしい。

 お爺ちゃんの言うこと、あれもこれも本気にしちゃっても、ね。

 フランは気持ちを切り替え、明るく振る舞った。

「それよりふたりとも、パーティーの件なんだけど……」

「そういや言ってたな。やれやれ、女ってのは好きだからなあ、そういうの」

「へえ……女王陛下が? なら、協力しないわけにはいかないね」

 パーティーの予定を知ったロイドとリュークが、これまでになく息を合わせる。

「君は厨房に入ってはだめだよ、フラン」

「俺もそれがいいと思う」

どこかで聞いた忠告だった。

 

 

 一週間が過ぎ、いよいよパーティーは当日を迎えた。城だけでなく城下町のほうでも、お祭りの準備が進められている。

 ツォーバの祭事は天界や魔界を信仰の対象とせず、地上の皆で盛りあがろうという主旨があった。そのため、モンスターの恰好を真似る『コスプレ』が目立つ。

 メイドのアンナも今日はドレスを着て、戸惑っていた。

「私までよろしいんでしょうか……?」

頭には大きな猫の耳をつけ、控えめな物腰とは裏腹に、愛嬌を醸し出している。

そんなアンナをまじまじと眺め、フランもアスタロッテも少し悪乗りしてしまった。

「今夜は主人も使用人もないって、言ったでしょ? ふふっ」

「アンナもねぇ、磨けば光るんだもん。メイドなんて辞めちゃえばいいのに」

「で、ですけど……」

 アンナは赤面し、猫耳を抑えるようにして小さくなる。

 窓の外は夕焼け色に染まっていた。城下町の賑わいが、風に乗って伝わってくる。

よかった……今夜は楽しくなりそう。

 当初は『天界と魔界の使者と親睦を深める』というパーティーの主題に、ツォーバの民は少なからず困惑していた。依然として反天界、反魔界の感情は根強い。

しかしロイドとリュークの両陣営が衝突を回避しつつ、城下町のひとびとと交流を続けてきた成果もあった。和平のムードは醸成されつつある。

フランも優雅な深紅のドレスをまとって、開会の時間を待っていた。ブロンドの髪はストレートに降ろして、アンナに櫛を通してもらう。

髪飾りはアスタロッテの勧めもあって、大輪のバラにした。

「フランもこすぷれ、ってやつ? したほうがよかったんじゃない?」

「あなたこそ、もっと派手にしてもよかったのよ」

アスタロッテは露出の多いパンツスタイルで、悪魔の尻尾にもリボンをつけている。巷では『パンクスタイル』というらしい。

「そろそろ行きましょうか」

フランたちが部屋を出ると、見張りのミノタウロスも腰をあげた。今日は蝶ネクタイを結び、巨漢の紳士となっている。

「あなたもとっても素敵よ、ミノタウロス」

「ンモォー」

 やがて陽も暮れ、金色の満月が浮かんだ。星々が煌いて、夜空に春の星座を浮かびあがらせる。そこに数発の花火があがった。

「始まったみたいよ、フラン!」

「お、お待ちください? アスタロッテ様」

アスタロッテが中庭へと駆け出し、それをアンナがあたふたと追いかける。

たまには女の子だけっていうのも、悪くないわね。

 フランたちは先に城下町へと繰り出すことにした。せっかくのお祭りを見物せず、城の中にだけ留まっているなど、もったいない。

 城門を出て、堀の架け橋を渡ると、少年少女らの仮装行列と出くわした。狼や魔女の恰好に扮し、月夜の大通りを、愛嬌たっぷりに行進していく。

「可愛いわね。アスタロッテもあれくらい裏表がなかったら……」

「なによぉ、もう」

 道端には屋台がたくさん並んでいた。ゴブリンたちも陽気な呼び込みをかけながら、フランクフルトを販売している。

 ミノタウロスが一緒のせいか、フランたちの一行はどこでも目立った。

「フラン様だ! フラン様~っ!」

子どもたちがフランの傍で走りまわるのを、母親が穏やかに窘める。

「申し訳ありません、フラン様。ところでロイド様はいらっしゃらないんですか?」

「お城のほうにいると思うわ」

 いつの間にかロイドもツォーバの民に慕われるようになっていた。誠実な人となりや端正な容貌が、特に女性に人気らしい。

 傍らのアスタロッテが、じとっとした目つきでフランを見上げた。

「街のマダムに盗られちゃうかもしれないわよぉ?」

「別にあたしのものじゃないでしょ。ロイドはロイドよ」

 フランは興味のない素振りに徹し、アスタロッテの意味深な視線をやり過ごす。

 ほんとにもう……すぐそういう話に結びつけたがるんだから。

 色恋沙汰が大好きな彼女の前では、男性と一言交わしただけでも、深読みされるのがパターンだった。相手をしていたら、きりがない。

「そーいえばさぁ、こないだ、リュークが街でデートに誘われてて……」

「えっ? リュークが?」

 けれども小悪魔の思わせぶりな発言に、つい反応してしまった。

 アスタロッテが愉快そうににやつく。

「よくアタシ、ワイバーンに乗っけてもらってるっしょ? ……ひっひっひ、どうなったか知りたい? リュークが受けたか、断ったか」

「……お爺ちゃんみたいに笑わないで」

 今度こそ話題を切りあげるつもりで、フランはぷいっと顔を背けた。しかしアスタロッテの話が気にならないわけでもない。

 ぶっきらぼうなのも初対面の相手にだけで、リュークには意外に人懐っこいところがあった。文句の多さとは裏腹に、面倒見もよく、アスタロッテに振りまわされている。

 奇抜な仮装に囲まれ、猫耳のアンナも緊張が和らいだ様子だった。

「ミノタウロスさんは恋人とか、いらっしゃるんですか?」

「ンモォー(ノーコメントだ)」

 メンバーで唯一の男子であるミノタウロスは、居づらそうにそっぽを向く。

 王城の付近をぐるりと一周してから、フランたちはツォーバ城へと戻った。離宮のほうはパーティーのメインホールとして、華やかに飾りつけられている。

「こういう夜会って初めてなんだけど……アスタロッテ、変なところ、ない?」

 入場の前にフランは再びドレスをチェックし、おもむろにターンした。ブロンドの髪を靡かせて、真っ赤なドレスの裾にそっと波を寄せる。

 アスタロッテはぱちっとウインクを決めた。

「だいじょーぶ、だいじょーぶ! アタシが選んであげたんだしさ」

「作法のほうもまったく問題ありませんよ。もっとリラックスなさってください」

 アンナにも指摘されるほど、肩に力が入っていたらしい。

 深呼吸をしてから、フランはダンスホールへと足を踏み入れた。頭上では大きなシャンデリアがいくつも輝き、夜とは思えないほどの明るさに満ちている。

 ダンスホールは円周部分が中二階となっており、中央は広く空けられていた。テーブルもダンスの妨げにならないように配置されている。

 香ばしいご馳走の数々は、オーク族が早朝から仕込んでくれたもの。

 優雅なバックミュージックも、召喚に応じ、妖精たちの楽団が演奏していた。オーク族とともに、クレハ女王がフランに斡旋してくれた面々でもある。

 女王は揺り椅子に腰を降ろしていた。清楚なドレスに身を包み、老いていようと王の風格を漂わせている。その瞳がフランを見つけると、穏やかな色合いになった。

「おやおや、可愛らしいお嬢さんがたね。こんばんは」

「女王様、こんばん……いえ、ご機嫌麗しゅう」

 フランは大口を開きかけたのを改め、会釈のポーズを取る。

 後ろでアンナもスカートを少しだけ摘んで、恭しく頭をさげた。かしこまった振る舞いはさすが本職のメイドのもので、迷宮暮らしの長いフランでは敵いそうにない。

「フラン~、アタシたちは適当にうろついてるねぇ」

「はしゃぎすぎちゃだめよ」

アスタロッテはアンナを連れ、ほかのテーブルへと移っていった。蝶ネクタイ付きのミノタウロスはフランの傍を離れようとせず、紳士らに睨みを利かせる。

 クレハ女王は杖を支えにして、ゆっくりと立ちあがった。

「ふう……」

女王の老衰が始まっていることは、おそらく皆も知っている。五年ほど前には大きな病気を患い、後遺症もあるらしい。

それでも彼女は自分の足で立っていなければならなかった。フランを後継者とし、ミーシャとジニアスが切に願った、この地上の独立を果たすために。

「今夜は存分に楽しんでください、フラン」

「はい。女王様も……」

「もちろんですよ。ふふふ、ダンスは無理でしょうけど」

 我が子を撫でるかのように、クレハ女王がフランの髪に触れた。

「……ダンス?」

 すっかり忘れていたことに、フランは目をぱちくりさせる。そして失敗を自覚するとともに青ざめ、両手で頬を押さえた。

 そ、そうよ! 踊らなくちゃいけないんだわ……。

 本日の夜会は『ダンスパーティー』として企画している。ところがフランには社交ダンスの経験など皆無に等しかった。これはまずい。

「どうかしましたか? フラン」

「あ、いえ……実は」

 今のうちに白状してしまおうと、フランは声を潜めた。

「よう、フラン! 早いな、もう来てたのか」

 ところがそのタイミングでリュークと、一緒にロイドもやってくる。

「リューク、女王陛下にも挨拶しないか。……こんばんは、女王陛下。今夜は一段とお綺麗ですね。その気高さには、みなが感服することでしょう」

「へいへい。夜更かしせずに早めに寝ろよ、婆さん」

 ロイドの模範的な挨拶だけでなく、リュークの気取らない挨拶にも、クレハ女王は笑みを浮かべた。その優しいまなざしは、フランを見詰めるものと変わらない。

「ご忠告痛み入りますよ、リューク殿。ロイド殿も御機嫌よう」

 ロイドもリュークもダンス向けの燕尾服が決まっていた。

「堅苦しいのは抜きにしようぜ」

リュークにしては珍しく赤い髪を梳いているものの、襟元はだらしない。しかしそれが一流の着こなしにも思えてくるほど、スタイルに破綻がなかった。

「しっかし、一週間でよくここまで準備できたもんだよな」

「ああ。城下町のみんなも、フランの到着をお祝いしたかったんだろうね」

 ロイドのほうは落ち着いた物腰で、佇むさまも気品に溢れている。青い髪は耳の周りを後ろに梳いて、彼にしては珍しい、金のイヤリングを輝かせた。

 そんな王子たちの見目姿が、貴婦人らの視線を大いに集める。皆がふたりの王子を見比べては、ひそひそと色っぽいことを囁きあっていた。

「わたしはロイド様のほうが好みよ」

「あら、リューク様の魅力がわからないの?」 

 フランはふと、もどかしいものを感じた。ロイドやリュークが女性の憧れとなっている事実に苛立って、胸がざわめく。

 もてるんじゃないの、ふたりとも……。

 しかしそれどころでもなかった。ダンスの件が頭から離れない。

「今夜は赤色か。何色でも着こなせてしまうんだね、君は」

「ヒュウ! なかなか似合ってんじゃねえか、フラン」

ロイドも、リュークも、フランのたおやかなドレス姿をまじまじと見詰めた。

「あとで僕と踊ってくれるかい?」

「俺とも、な。立場ってのがあるんだよ」

フランは内心冷や汗をかきながら、表向きは笑顔を作る。

「も、もちろんよ。踊りましょ」

 今夜のパーティーには天界と魔界、そして地上の和平というテーマがあった。天界や魔界にしても、今回のところは事を荒立てず、ツォーバ王国の顔を立てるらしい。

 この場でフランがロイドやリュークの手を取り、ダンスを披露することには、大きな意義がある。彼らを拒絶してまで、踊らずに済ませるわけにはいかなかった。

『パーティーといったら、やっぱダンスっしょ?』

意地悪なアスタロッテはこの状況を予想しておいて、故意に黙っていた気もする。

 ど、どうしようかしら……?

 フランは焦りを隠しつつ、壁の時計をちらちらと窺った。

ダンスが始まれば、逃げることは難しい。ここはアスタロッテに変身させて、代わりに踊ってもらおうか、などと姑息な手も考えてしまう。

 間もなく開会の時間となり、クレハ女王が再び杖を手に取った。

 その杖が床を叩くと、パーティー会場が水を打ったように静まり返る。

「こんばんは、みなさん。天界の方も、魔界の方も、ようこそおいでくださいました」

 ロイドらの天界騎士団とリュークらの魔界奇兵団も、今夜は武器を持たずに正装していた。立場上は敵同士だが、いがみあうような雰囲気はない。

 むしろエルフ族とトロル族のほうが、互いに気を遣って、ぎくしゃくしている。

「先の大戦が休戦を迎えてから、十六年が経ちました。その年月を経て、すでに地上はかけがえのない平穏を手にしています。きっと天界と魔界も同様でしょう」

 クレハ女王の言葉は、決して天界や魔界にあてつけるものではなかった。ロイドやリュークの立場も尊重し、円満なスピーチを続ける。

「……さて、わたくしの挨拶はここまでにしまして、紹介しましょう。こちらのお嬢さんが、ミーシャ王女とジニアス王子の娘、フラン=サモナーです」

 一斉に拍手が起こった。

 フランはドレスの裾を少しだけ浮かせて、クレハ女王の隣に並ぶ。

「ご、ご紹介に与りました、フラン=サモナーと申します」

 挨拶しつつ、頭の中では不安ばかり渦巻いていた。

 それをクレハ女王は、緊張したもの、と思ったらしい。スピーチを早々に切りあげ、妖精の楽団に演奏の指示をくだす。

「さあ! よきパートナーと、よきダンスを!」

 ダンス向けに抑揚のついた、優雅なバラードが流れ始めた。紳士と淑女が手を取りあって、軽やかなステップでリズムに乗り出す。

 ロイドとリュークもフランの傍に来て、手を差し出してきた。

「どうぞ、フラン」

「まっ、俺はあとでもいいんだけどな」

 ロイドは真正面からはっきりと、リュークは照れ隠しに顔を背けながら、フランの手を待つ。けれどもフランは俯き、どちらの手も取れなかった。

「ごめんなさい、その……」

 ロイドとリュークが目配せして、首を傾げる。

「何か気になることでもあるのかい? ひょっとして、体調が悪いとか……」

「バラードが苦手なんじゃねえの? 心配すんなって、俺も適当にやるだけだし」

 心配までされては居たたまれなかった。

「そうじゃないの! あ、あの……踊ったことがなくて……」

 もじもじと指を捏ねあわせながら、小さな言葉を絞り出す。神妙な面持ちで言うことでもなく、猛烈に恥ずかしい。

「……そういうことかよ。オーケー、オーケー」

 しかしリュークは呆れもせず、失笑もせず、小粋にはにかんだ。

 ロイドも同じ笑みを浮かべ、リュークとともにフランの手を引っ張る。

「恥ずかしがることないさ。さあ、踊ろう!」

「ち、ちょっと、ふたりとも?」

 満を持して始まったフランたちのダンスに、皆が注目した。ロイドとリュークが小洒落た会釈で観衆に応じつつ、フランを中央へと連れていく。

「音楽をよく聞いて。こんなふうにステップを合わせるんだ」

「え、ええ……」

 こうなっては逃げようも隠れようもなかった。緊張に胸を高鳴らせながら、フランは右のロイドを真似て、拙いステップを繰り返す。

「落ち着け、落ち着け。ちゃんとできてっからよ」

「ほんとに?」

 左のリュークもフランの手を取ったまま、緩やかにリズムを踏んでいた。

 ふたりと手を繋いでいるおかげで、上半身を動かす必要がない。ステップにだけ集中して、それなりに感覚も掴めてくる。

 だんだんリズムにも乗って、ドレスのスカートが波打った。

「その調子! じゃあ、前に出てみようか」

「いくぜ? ワン、ツー、スリー!」

 ロイドとリュークに連れられ、ダンスホールをぐるっとまわる。

ロイドが右の手前に、リュークが左の後方にフランを引くことで、華麗なターンが決まった。ふたりと一緒に紳士淑女の合間を縫って、フランも笑みを弾ませる。

 大して踊れてないのに、なんだか気持ちいいわ……!

 自然と足も動くようになってきた。身体じゅうに旋律が流れていくのを感じる。

「もう手を離してもいいんじゃねえの? ロイド」

「君こそ、いつまで握ってるんだい?」

 ロイドとリュークの握力が少し強くなった。互いに牽制しながらも、息ぴったりにフランを次のターンに乗せる。

「なんと、天と魔の方々がご一緒になって……」

「大戦など、もう昔のことでよいではありませんか。ねえ?」

天界と魔界の王子たちがフランと手を取りあうシーンに、一同は酔いしれた。天界騎士団も、魔界奇兵団も、和やかな雰囲気を共有している。

まさしく『和平』を願ってのダンス。それが決して不可能ではないことを、フランたちのダンスは有意義かつ雅やかに見せつけた。

 曲とともに三人はダンスを終え、繋いだままの手を掲げる。

「はあ、はあ……みなさん、ありがとうございます!」

興奮もあって、胸の鼓動が鎮まらない。拍手喝采を受けながら、フランは肩で息をしていた。ロイドとリュークは余裕のある表情で、フランにちらっと目を向ける。

「こんなものだね。君のダンスが一番さ」

「な? 上手く踊れたろ」

 アスタロッテがとてとてと駆け寄ってきた。

「フランばっか、ずーるーいー!」

リュークの背中に体当たりして、駄々を捏ねる。

「ぐっ? てめえは牛男と踊ってろよ」

「どんだけ身長差があると思ってんの? リューク、次はアタシ!」

「……ははっ。僕たちはあっちで休憩してようか」

我侭な少女に捕まってしまったリュークをそのままにして、フランはロイドと一緒にダンスホールを離れた。中二階のテラスへとあがり、一服する。

階段をあがっただけで、楽団の演奏が遠のいた。大きな窓から月明かりが差し込む。

「初めてとは思えなかったよ、フラン。君にはダンスの素質があるのかもね」

「褒め過ぎよ、もう。……でも、ありがと。迷惑掛けちゃったわね」

 城下町のほうでまた花火があがった。フランとロイドの顔が橙色に染まる。

「わあ! 綺麗……」

 フランはバルコニーへと出て、煌びやかな夜空を見上げた。

「走ったりしたら危ないよ、フラン」

「平気だってば」

 隣でロイドも満月を仰ぐ。

迷宮で暮らしていた頃は、世界の色など想像もしなかった。昼は空が青くて夜は黒い、くらいにしか知らず、興味を抱いたこともない。

 ロイドの青い髪、ドレスの深紅、花火の色、シャンデリアの輝き。

 瞳に映るものすべてが新鮮で、愛おしくさえ思えてくる。しかしそれを儚くも感じ、フランは夜風にぽつりと囁きを浮かせた。

「また戦争が始まったら、こんなふうには過ごせないのよね……」

 ロイドがフランの華奢な肩に手をまわす。

「僕たちがそうはさせないさ。だろ? 天界だって平和なほうがいい」

 急に距離が近くなって、どきりとさせられた。胸が高鳴っているのは、さっきのダンスのせいではない、のかもしれない。

「ずっと僕は、フラン=サモナーは自分では戦えない、か弱い女性だと思ってたんだ。だから、君がゴブリンの軍団を引き連れてきたのを見て、本当に驚いたよ」

「あの時は驚かせてやるつもりだったのよ、あなたを」

 出会いの日からまだ一月ほどしか経っていないのに、懐かしかった。

「してやられたわけだ。実際に会ったフラン=サモナーは気高く、勇ましくて……」

 詩を読むように語りながら、彼がフランをぐいっと抱き寄せる。

「そして可憐だった」

 上品で気障な不意打ちに、フランは顔を赤らめた。

 可愛い、と言われたことには違いない。けれども今の一言には、彼の主観的な気持ちが入りすぎている。

「ほ、ほかの女の子にも言ってるんでしょ?」

「どうかな? 嫉妬してくれるんなら、嬉しいけどね」

 今夜のロイドは、フランの茶々にも調子を乱さなかった。バルコニーの欄干に掴まっているフランの手に、そっと大きな手を重ねてくる。

嘘をつくことのない純真な瞳が、フランを熱烈に見詰めた。

「僕と一緒に天界に来ないか?」

彼の真剣な顔とともに、フランの驚く顔も、花火の茜色に染まる。

「あなた、と?」

「うん。君さえよければ」

 ロイドはフランの小さな手を包むように握った。フランの快諾を望んでいるのか、逃がすまいと、それでも優しく力を入れてくる。

 天界の主神は魔界の冥王を出し抜くべく、フランを狙っているはずだった。しかしロイドはきっと今、主神の思惑から外れたところで、フランに誘いを投げかけている。

「とても綺麗なところなんだ。君も気に入ると思うな」

 ひとりの男性として。

 ひたむきな彼のまなざしに、フランは困惑した。

 ど、どう答えたらいいのかしら……?

 からかったり、騙したりといったスキンシップには慣れている。現にロイドやリュークを手玉に取って、ツォーバ城を奪い返したこともあった。

 だからこそ、彼の純朴な気持ちをいなせない。

「それに天界は、君のお母様、ミーシャ様の生まれた場所でもあるんだよ」

「お母さん、の……」

 目を合わせていては、引きずり込まれそうに感じた。フランは花火のほうに顔を向けながら、今までになくロイドを意識する。

 受け入れれば、彼との関係は変わるだろう。しかし拒めば、今の関係は破綻する。

「……ごめん。お母様の話題は無神経だったね」

 俯いて花火さえ見ていないフランに気付き、ロイドはあとずさるように詫びた。亡き母のことでフランの気を引こうとしたのを、申し訳なく思ったらしい。触れていた手も、ぎこちなく離れていく。

 そうじゃないのよ、ロイド。

 なんて言ったらいいのか、わからないだけ。

 ドン、ドンと続けざまに花火が鳴った。目の前が赤色や緑色で明るく染まる。

「どんなところなの? 天界って」

「え? あぁ……雲の上に大地があって、真っ白な神殿があって……」

 こそばゆい雰囲気を有耶無耶にしたくて、フランは適当な質問を繰り返した。本当は祖父に聞いたこともあるようなことを、ロイドに問いかける。

 そんなふたりのもとへエルフ族の紳士がやってきた。

「ロイド様、お話中のところ申し訳ありません。そろそろトロル族との親睦会の時間でして、ご同席いただきたいのですが」

「そうだったね。わかった、すぐに行くよ」

 エルフ族とトロル族は関係の改善に向け、わずかにせよ、歩調を合わせつつある。それを主導してきたのがロイドであって、親睦会に顔を出さないわけにはいかなかった。

「頑張ってね、ロイド」

「もちろんさ。さっきは、その……いきなり、すまない」

 フランは体よくロイドを遠ざけ、ロイドは去り際に謝罪を呟く。

 お互いが相手を気遣いすぎていた。ロイドのほうもフランの動揺に勘付いて、とりとめのない話題を繋ぐのに必死だったのかもしれない。

 彼が去ってからも、フランはひとりで花火を眺めていた。

「綺麗……」

 母譲りのブロンドの髪を夜風で靡かせながら、誰に聞かせるでもなく囁く。

 これが『普通の女の子』なら、天界の王子様に口説かれ、舞いあがったのだろうか。パーティーの最中、花火が舞う夜景の前で、見詰めあって。

 ところがフランは地下迷宮で育ったせいか、異性から特別な対象とされることに不慣れだった。さっきも、はぐらかすことばかり考えていた気がする。

 ……アスタロッテに怒られそうだわ。

 はっと我に返った時には、とっくに花火の打ち上げも終わっていた。ダンス会場に主催者が不在でもいられず、フランは踵を返す。

「よう、フラン」

 すると、バルコニーに出てきたばかりのリュークと鉢合わせした。

「リューク、そっちはいいの?」

「急いで戻るこたぁねえよ。俺たちがいたら、下のやつらは気を張っちまうしな」

 自ら部下を統制するロイドとは対照的に、リュークは放任主義を地で行く。フランも、今夜くらいはミノタウロスを好きに酔わせてあげようと、同調した。

「羽目を外してなきゃ、いいんだけど」

「お前の下僕は荒くれ者が多そうだもんな」

 リュークはバルコニーの欄干に背中でもたれ、気怠そうに満月を見上げる。

 花火の煙は晴れ、静まり返った夜空では再び星々が瞬いていた。リュークの人差し指が適当に明るい星を指す。

「あれが、あれだ……おひつじ座」

「それは秋の星座よ。あてずっぽうで言ってるでしょ、あなた」

「春に見えるから、四月の星座じゃねえのか?」

 率直な疑問がおかしくて、フランは笑みを零した。馬鹿にされたとでも思ったのか、リュークが眉を顰める。

「魔界とは空が違うんだよ。俺が知らないのも、当然だろ?」

「ごめんなさい。でもそれを言うなら、あたしだって迷宮で暮らしてたんだもの。どれが何座かなんて、ほとんどわからないわ」

 フランが笑みを含めて謝ると、リュークの顔つきも柔らかくなった。本気で怒ったわけではないらしく、フランに手招きしながら、はにかむ。

「もう少しここで、いいだろ」

「……そうね」

 さっきまでロイドと語らっていた場所で、フランはリュークと並んだ。今夜の彼は正装しているせいか、いかにも王子らしい品格を漂わせている。

「そういえば、あなたも王子様だったわね」

「そっくり返すぜ、その言葉。お前も一応、うちの王家の血統じゃねーの」

 フランの冗談をいなしつつ、リュークは心地よさげに夜空を仰いだ。

「……ったく。女ってのは、姉貴は別として、お人形みてぇなやつばかりだと思ってたのによ。変な女だぜ、お前は」

「あなたに言われたくないわよ。ひとさらいのくせに」

「その話は忘れろ。……悪かったって」

 彼の手がさり気なくフランの髪に触れる。

「……なあに?」

「なんつーか……綺麗な髪だなって、思ってよ」

 不意の発言に面食らい、フランは真っ赤になってしまった。今夜はロイドに続いてリュークまで、フランの調子を狂わせる。

「へ、変なこと言わないでったら。あなたらしくないわ」

「どんだけ俺のことを知ってんだ? お前は。まだあんまりわかってねぇくせに」

 しかしリュークのほうはいつものように飄々としていた。髪を撫でるのをやめたと思いきや、人差し指でフランの額をぴんっと弾く。

「俺と一緒に魔界に来いよ、フラン」

 さっきのロイドと同じ誘いだった。口振りは冗談めかしていようと、その瞳には、いつになくはっきりとフランだけが映っている。

「め、冥王の命令で……?」

「んなわけねえだろ。わからねえフリすんのは、やめろ」

 安易にとぼけるくらいでは、鋭い彼を誤魔化すことなどできなかった。リュークもロイドと同じように、フランを『ひとりの女性』として見ている。

「悪くねえよ、魔界も。ずっと、こういう夜会みたいな雰囲気でな」

 けれども勘がよい割に、リュークはフランの戸惑いを察してはくれなかった。おそらくフランが共感するものと思って、まくし立てる。

「アスタロッテも魔界出身だし、お前はこっちのほうが相性いいんだよ、多分」

 彼の言い分には説得力があったが、欲目もちらついていた。仮にフラン=サモナーが魔界を選べば、フランとリュークの関係は、より近くなる。

 リュークまで、あたしのこと……?

 そのような願望を向けられるのは、嫌ではなかった。主神や冥王とは違い、ロイドとリュークには誠意がある。それだけに、彼らの気持ちを無下にしたくはない。

 しかし今は動揺のほうが大きかった。胸が強張るように感じ、鼓動が苦しい。

 黙りこくっていると、リュークが間近で顔を覗き込んできた。

「……どうかしたのか? フラン」

「な、なんでもないの」

 慌ててフランは距離を取り、彼の手から髪を逃がす。

「魔界って、あたしのお父さんが住んでたところよね。……ちょっと考えさせて」

 苦し紛れに話題を切り替えることもできなかった。女性として見られているのを、自覚すればするほど、煌びやかな深紅のドレスを重たく感じる。

「先に戻るわ。いつまでも女王様おひとりにお任せできないし……」

「行ってこいよ。俺はもう少し、ここで休んでくっから」

 フランのぎこちなさに、リュークもようやく察してくれたようだった。彼とは目を合わせず、フランは慣れないハイヒールでもたつきながら、その場を離れる。

 ロイドもリュークも、どうして急に?

 彼らにとっては今夜が切り出すべきタイミングだったのかもしれない。しかし内面が未成熟なフランにとっては、あまりに唐突で、早すぎた。

 天界の王子か、魔界の王子か。

どうにかなっちゃいそうだわ、あたし……。

 パーティー会場に戻っても、ずっと上の空で、ダンスの楽曲が耳に入ってこない。

 傍ではアスタロッテがオレンジ色のケーキを頬張っていた。もぐもぐと咀嚼しながら、心ここにあらずといったフランを見上げる。

「フラン? ねえ、フランってば」

「……えっ? ごめんなさい、アスタロッテ。美味しそうね、それ」

「カボチャは嫌いっしょ、フランは。どーしちゃったわけ?」

 アスタロッテに教えてもらったのに、食べてみるまで、それが大嫌いなカボチャだと気付かなかった。

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