トライアングルサモナー ~召喚士の恋人~

第2話 駆け引き

 華やかな入城を果たしてから、一時間ほど経った。別室で待機していたフランは、ミノタウロスだけをともにして、謁見の間へと向かう。

 寝台のような玉座には、壮麗な老婆が静かに腰を掛けていた。

「我が城へ、ようこそ。フラン=サモナー」

ツォーバ王国の女王、クレハ=ツォーバ。その聡明さと、老いてなお国政に積極的な熱意は、国民の自慢であり、広く支持されている。

「急な訪問にもかかわらず、丁重なおもてなし、ありがとうございます」

 フランはミノタウロスとともに跪き、頭をさげた。

「いいのですよ。顔をお上げなさい」

 クレハ女王の話しぶりは温厚ではあるものの、年季の入った貫録を感じさせる。

「わたくしはクレハ=ツォーバ。この国の……最後の王になるかもしれない者です」

 自らを『最後』と称しながら、その言葉は自嘲ではなかった。むしろ矜持を抱き、役目を果たそうという意気込みが伝わってくる。

「ご挨拶が遅れました。フラン=サモナーです」

「フラン……古い言葉で『風』という意味なのですよ。ご存知かしら」

 フランはきょとんとして、瞳を瞬かせた。

 後ろの影が起きあがり、偉大な賢者の姿となる。

「お前の名付け親となったのが、このクレハよ。久しいのう、十六年ぶりか」

「先生ではありませんか! お会いできるなんて嬉しいですわ」

 女王はおもむろに立ちあがり、杖を取った。

 ふたりに面識があったことも知らず、フランだけ首を傾げる。

「ヒッヒッヒ! フランよ、わしが虎の子の召喚術を教えたのは、実はお前が初めてではない。昔、クレハにも少々手ほどきをしてやったんじゃ」

「ええ。あなたほどではないでしょうけど」

 クレハ女王が杖を掲げると、魔方陣が浮かんだ。そこから一羽の鳥が首を伸ばし、甲高い声でいななきながら、翼を広げる。

「この子がわたくしの第一の下僕、フェニックスです」

一枚の羽根がひらりとフランのてのひらに舞い落ちてきた。しかしフランが触れるや、その羽根は燃え尽きてしまう。炎で新生するという希少な生命らしい。

「あたし以外にも召喚士がいたんですね。驚きました」

「でもわたくしが呼べるのは、この地上の者だけですよ。天界や魔界の使者を従えることまでは、できません」

「そのことについては、あとまわしでよかろう」

 フランとクレハ女王の間に賢者が割り込んで、骨だけの人差し指を立てた。

「さて、クレハ。おぬしには迷惑な話となろうが、フランのため、もうひと頑張りしてもらいたいのじゃ」

 クレハ女王の老いた瞳が、十六歳になったばかりのフランをまじまじと見詰める。

「争い事には不干渉が信条の先生が、こんなに肩入れされるなんてね」

 そのまなざしは自分の娘か、孫を見るかのように和んでいた。

「あなた、恋人はいるのかしら?」

 思いもよらない唐突な質問に、フランはたじろぐ。

「い、いえ……」

「まだ十六ですものね。ですけど、ミーシャ様に似てるから、少し心配で」

 母親のミーシャも天界の王女として、当初は魔界の軍勢と勇敢に戦っていた。だが魔界の王子ジニアスと恋に落ちてからは、我が身を顧みない戦いが目立ったという。

「ジニアス様が戦死されて、ミーシャ様も亡くなって……おふたりを悪く言いたくはありませんが、そういう命の使い方を、あなたにはして欲しくないのです」

 クレハ女王は玉座に座りなおし、ふうと息をついた。

「あなたは生きなければなりませんよ。フラン」

「……はい」

 彼女の言葉のすべては理解できない。それでもフランはそこに重みを感じ、頷いた。

 クレハ=ツォーバの子や孫はすでに亡く、彼女だけが残されている。だからこそ、誰かを置いて先に逝ってはならないと、忠告したかったのかもしれない。

「クレハよ、頼みというのはほかでもない」

「わかっています、先生。彼女に女王のなんたるかを教えればよいのでしょう?」

 すでにクレハ女王は己の役目を悟っているようだった。

「いかにも。さすが、わしの一番弟子よ」

 賢者がくくっと笑い、フランの肩に手を添える。

「おぬしはここで新たな女王、フラン=ツォーバとなるのだ」

 突拍子もない話だった。さしものフランも戸惑い、クレハと祖父を交互に見詰める。

「ど、どういうこと? あたしが女王、に……?」

「おぬしの好きにすればよい。しかしまあ、主神や冥王と交渉するっちゅうんなら、地上の女王くらいにはなっておかんとなぁ」

 決して強制ではなかった。だがフラン=サモナーには嫌でも、天界と魔界の調停という大きな使命がつきまとう。受け入れるにしろ、反抗するにしろ、力は必要だった。

 そのために召喚術を極め、剣術も学んでいる。

「でも……女王様はいいんですか? いきなりあたしが女王になっても」

「構いませんよ。ツォーバの民もみな、そう願っています」

 城下の民はフランを『次期女王』として歓迎してくれたらしい。

 天界と魔界によって、この地上は百年もの間、戦場として荒らされてきた。大戦を繰り返させないことは、皆が願っている。

「どうか、あなたの力を貸してください。フラン」

「……わかりました。女王様」

 フランはクレハ女王に歩み寄り、握手を交わした。

 女王の手は痩せ細っており、とても強くは握れない。ひょっとしたら、こうして会話をするのも体力的に厳しいほど、弱っているのかもしれなかった。

「女王様もご自愛くださいね」

「ふふっ、言われてしまいましたか。肝に銘じておきます」

 老婆の優しい笑みが緩む。

 地上の世界を見てまわるにせよ、当面はツォーバ王国に滞在することとなった。城内に部屋を用意してもらい、そこまでメイドに案内される。

 護衛のミノタウロスは扉の前で座り込んだ。

「入ってもいいのよ、あなたは」

「ンモォー」

 あくまでフランを守る第一の下僕、でありたいらしい。もしくは、クレハ女王にフェニックスを見せつけられ、対抗心に火がついたか。頑固なミノタウロスがこうなったら、梃子でも動かないことは、わかっていた。

 胡坐をかいて腕組みするミノタウロスをそのままに、フランは部屋を覗いてみる。

 そこは正方形ではなく奥行きがあり、大きな窓からは暖かい陽が差し込んでいた。カーテンは薄いグリーンで、清楚な花柄が入っている。

 廊下の側の壁際には、同系統のクローゼットとドレッサーが並んでいた。床には絨毯が敷かれ、お茶会向けの洒落たテーブルが一式、置いてある。

 隅には本棚もあった。しかし本は二、三冊しか入っていない。

「えぇと……『月夜の寵姫~愛に濡れて~』? 小説かしら」

 前の部屋の主が置いていったらしい。

「お気に召さないものなどございましたら、お言いつけください」

「ありがとう。大丈夫だと思うわ」

 アンナと名乗ったメイドは会釈を残し、しずしずと退室していった。

 ずっと薄暗い迷宮に住んでいたフランにとって、気になるのはカーテンの薄さ。これでは閉じきっても、朝日を遮ることができそうにない。

 部屋は城の三階に当たり、窓からは中庭を一望できた。堀と繋がっているらしい水路が張り巡らされ、花壇の土を潤わせている。

「迷宮では花を育てる機会なんぞ、なかったじゃろ? やってみるといい」

「面白そうね。……ところで、どうしてお爺ちゃんまでここにいるの? 迷宮でも言ったじゃない、レディーの部屋には勝手に入っちゃだめって」

「やれやれ、反抗期かのう」

 祖父はすごすごと消えるように立ち去った。

そのはずが、しゃれこうべの頭部だけ浮かせて、忠告に戻ってくる。

「言い忘れるところじゃった。召喚のバランスには、くれぐれも気をつけるんじゃぞ」

「わかってるってば。どっちにも偏らせるなってことでしょ?」

 賢者直伝の召喚術は、地上のモンスターどころか、天界や魔界の存在まで呼び出し、意のままに従わせることが可能だった。ただし天界(魔界)の存在を呼べば、それだけ天界(魔界)の勢力に協力することとみなされてしまう。

「おぬしがどちらかの味方をするっちゅうんなら、その限りではないがの」

「それはまだわからないけど……ちゃんとあたしの言うこと、聞いてくれるのかしら」

「問題なかろうて。まあ、バランスにだけ注意しておればよい」

賢者の髑髏が逆さまになった。

「もうひとつ。制御不能になるまで力を使いすぎんようにな。わしのような骸骨には、なりたくはあるまい? ヒッヒッヒ……」

 天界と魔界という相反する力を併せ持つことには、相応のリスクも伴う。実際、この賢者は魔導の力を手にした時、代償として肉体のほとんどを失ってしまった。

賢者の卵はにこやかに囁く。

「その時はその時じゃない? お爺ちゃんの本当の娘になれるでしょ」

「クククッ! そうなったら、わしと一緒にこの世界を手に入れるとしようか」

 賢者の頭蓋骨は回転しつつ、笑声とともに消えた。

その笑い声が聞こえなくなってから、フランはベッドに腰を降ろす。

地上のみんな、あたしたちを誤解してるわ。こんなに悪いやつらなのにね。

ひとびとに期待されているのだから、使命を感じてはいた。けれども、一方で『自分がやりたいこと』は何も思い浮かばない。

それこそ両親の仇を討つなど、考えたこともなかった。

 うーん……とりあえず、ロイドやリュークとは仲良くしたいわね。

思案を巡らせて、我ながら打算的な結論に達する。

相手はどちらも同世代の男の子。それなら性別の区別もつかない祖父(男性ではあるらしい)より、もっと相談するべき友人がいた。

床に魔方陣を描き、小悪魔のシルエットを呼び出す。

「盟約により、我の呼びかけに応じよ。汝の名は……アスタロッテ!」

 影の持ち主がコウモリのような羽根を広げ、うーんと伸びをした。

「ふあぁ……おねむだったんだけどなー」

 外見はいたいけな少女と変わらないが、角と尻尾、それから羽根も生えている。妖艶なボンデージ衣装をまとい、肌の露出度も危ういほどに高かった。

ただし肝心のボディラインは幼く、まだ曲線らしい曲線がついていない。

「久しぶりじゃん、フラン」

「来てくれてありがと。でも、ちゃんと服は着て」

アスタロッテはフランを尻目にベッドに飛び込むと、枕に抱きついた。

「それより、それよりぃ? ここってどこ? いつもの迷宮じゃあないっしょ?」

「遊ぶのはあとにして、話を聞いてったら」

 フランは『しょうがないわね』と肩を竦める。

 悪魔の娘アスタロッテは、何度か召喚したことのある、魔界の眷属だった。とはいえフランとは個人的に親しく、契約にも応じてもらっている。無論、魔界において冥王の権威は絶大だが、それを意に介さない、気まぐれな連中も多かった。

「アタシを呼んだってことは……男ね? 男ができたのね? ひゅ~」

「残念。まあ、男の子絡みではあるけど」

 フランは声を潜め、こそこそとこれまでの経緯を明かす。

 天界の王子ロイド、魔界の王子リュークと出会ったこと。しかしふたりの関係は緊張状態が続き、フランは仲裁ばかりしている。

 アスタロッテは興味津々に無邪気な笑みを浮かべた。

「面白そうじゃん! なんならふたりを決闘させてさ、フランが『あたしのために戦わないでー』って盛りあげるのは?」 

「そういうのはいいから。打ち解けて欲しいのよ、ふたりには」

 相談する相手を間違えた気もする。

 しかしフランひとりでは何の解決策も浮かばなかった。もとより人間と会う機会が少ないまま育ったため、ミノタウロスくらいとしか喧嘩もしたことがない。

「事情はわかったわ。にひひ、アタシに任せてっ!」

「……う~ん、やっぱり……」

「そのために呼んだんっしょ? ほらほら、大船に乗ったつもりで、ネ!」

 悪戯好きな小悪魔が乗り気になるほど、不安になってきた。

 

 

 ツォーバ城にはフランのほかに、天界と魔界もそれぞれ正式に招待されている。ロイドやリュークとは道すがらに出会っただけだったが、使者として、ふたりもしばらく城に留まることが決まった。

 ロイドは北西の尖塔を借り、天界の兵を集めている。表向きは『フランを守るための防衛力』だが、魔界の出方を牽制するほうが目的に違いない。

 塔の周囲はすでに天界の兵士らで固められていた。ペガサスナイトの部隊や、耳の長いエルフ族の戦士もいる。

 若き王子ロイドはリーダーとして、指揮官の腕章をつけていた。

「第三、第四の隊は城の西を守備してくれ。陣形に穴を作るんじゃないぞ」

 部下の整列ぶりを眺めながら、きびきびと指示をくだす。天界の兵は統率された動きでフォーメーションを展開していった。

 その様子を、フランは陰からアスタロッテとともに覗き込む。

「ここって、あいつらのお城じゃないっしょ? 勝手に兵士なんか連れ込んじゃってさ」

「女王様に許可はもらってるみたいよ。ロイドなら無茶もしないでしょうけど……」

 アスタロッテが『ちっちっ』と人差し指を振った。

「甘いってば。あーいう優男はね、ほんとは腹黒って相場が決まってるの」

「……そんなものかしら」

 フランは目を凝らし、ロイドの誠実そうな横顔を遠目で眺める。

 彼のことを疑っているわけではないが、信用できるほど多くも知らなかった。アスタロッテの好きな恋愛小説のように、意外な本性が隠れているかもしれない。

「どーせフラン、あいつの言うことにニコニコしてるだけっしょ? それじゃだめ。焦らしたり、怒ったりして、揺さぶり掛けてかないと」

 耳年増なアスタロッテの言い分に、少し説得力も感じてしまった。

ロイドがどんなふうに考えてるか、知るためにも……。

 地上の代表としてフランは、いずれロイドに交渉を持ちかけることになる。必要以上に馴れあっていては、出し抜くことはおろか、相手に踊らされる可能性もあった。

「わかったわ。お願いね、アスタロッテ」

「ロンモチ! じゃあ変身~っと」

 アスタロッテが頭上で腕を交差させ、ターンを決める。

 すると彼女の姿がみるみる変化し、身長も伸びた。漆黒のドレスをまとい、スカートのフリルを波打たせる。

 顔はフランにそっくりとなり、ブロンドの髪まで再現された。

 ただし身体の一部が本物のフランよりも大きい。

「そんなに胸ないってば、あたしは……」

 しかもドレスはデコルテのため、胸元が大胆なほど開けていた。その豊満な膨らみをアスタロッテが上腕で挟み込み、谷間を強調する。

「着やせするってことでいいじゃん。そのうち、これくらいにはなるっしょ?」

「……いいわ。よろしくね」

 やはり相談する相手を間違えた。フランは半ば諦めつつ、アスタロッテを見送る。

 アスタロッテはフランの姿でロイドへと歩み寄った。

「ロイドぉー」

「フラン! こっちで会うのは初めてだね」

 ロイドが純朴な笑みを綻ばせる。

何も知らないその表情だけで、騙しているのが心苦しくなってしまった。フランは物陰に隠れ、はらはらしながら成り行きを見守る。

「なんだか雰囲気が違うね。ドレスのせいかな……?」

 ロイドはフラン(アスタロッテ)の妖艶なドレス姿をじっと眺めた。間違いなく視線は胸元に差し掛かっている。それを、フラン(アスタロッテ)がじろっと睨み返した。

「ちょっと、どこ見てるのよ?」

「ごっ、ごめん!」

 初心な王子様が真っ赤になり、慌てふためいて顔を背ける。

「そういうつもりじゃ……」

「だったら、どういうつもりだったわけ? ふんっ」

フラン(アスタロッテ)はわざとらしく拗ね、ぷくっと頬を膨らませた。気難しい女の子を演じ、ロイドをうろたえさせる。

「それより……あなた、リュークともっと仲良くできないわけ? いつも間に立たされてる、あたしの身にもなって欲しいわ、ほんと」

 ロイドはぎくりと顔色を変えると、姿勢を正し、真摯に頭をさげた。

「す、すまない! 僕としたことが、君にまで迷惑を掛けていたなんて……」

「あなたの立場もわかるけどね。あたしには、天界と魔界のバランスを保つっていう大切な使命があるの。だから、喧嘩なんかされたら困るのよ」

 アスタロッテの意外にまともな説教ぶりに、フランも頷く。

「……本当に申し訳ない」

 正義感と責任感がともに強いロイドは、図星を突かれ、反省の色を浮かべた。それでもライバルのリュークと同列に扱われては、引けないところもあるらしい。

「だけどフラン、彼は一度、君を無理やり連れ去ろうとしてるんだ。ミノタウロスもいるとはいえ、君にも警戒はして欲しい」

 ロイドにぎゅっと手を握られ、フラン(アスタロッテ)は顔を赤らめた。

「し、心配してくれなんて、頼んでないでしょっ?」

「え? あ、ごめん……」

 ロイドの手は跳ね除けられ、彼が振られたような雰囲気になる。

 ところがフラン(アスタロッテ)は急にしおらしくなって、豊かな胸の前で人差し指を捏ねあわせた。つぶらな瞳でロイドを見上げ、ぽつりと呟く。

「でも、その……あ、ありがとっ」

 そして恥ずかしいのを誤魔化すように、慌ただしく踵を返した。そんなフラン(アスタロッテ)の後ろ姿を、ロイドがどことなく陶然とした表情で見詰める。

「フラン……?」

 本物のフランは陰でがっくりとうなだれた。

 ……最後のあれ、いる?

 アスタロッテの悪ふざけはさておき、ロイドには一応、こちらのメッセージは伝わっている。これでリューク相手に構えるのを控えてくれるなら、それでよい。

 アスタロッテと合流して、次はリュークのところね。

 ロイドに見つからないよう、フランはこそこそと塔を離れた。

 

 ロイドと同じく、リュークもツォーバ城に留まることになっている。彼のほうは城の地下を陣地とし、ロイドの天界騎士団に対抗して、『魔界奇兵団』を招集しつつあった。

巨漢が多いトロル族や、三つ首の番犬ケルベロスなどが群れを成している。

「オイ、王子。編成クライハ決メタラドウダ」

「なんだ、オッサンどもも来てたのか。まあ適当にやっててくれ」

 しかしリュークはロイドのように細かい指示はせず、ソファで暢気に寛いでいた。だらしないポーズで寝転びながら、ドリンク瓶の蓋を外す。

 地下の通路は狭いものの、魔界の兵はろくに統率されていないおかげで、忍び込むのは容易だった。フランとアスタロッテは柱の陰から慎重にリュークの動向を窺う。

「なるほど。あっちは優等生で、こっちは不良ってワケね」

「さっきみたいなのはなしよ? あたしが変な子になっちゃうじゃない」

「えぇー? ハートは盗める時に盗んどいたほうがいいじゃん」

 アスタロッテは再びフランに変身し、今度は純白のドレスをまとった。前回の妖艶さはなりを潜め、清楚で奥ゆかしい印象が強くなる。

「……ロイドのと、逆のほうがよかったんじゃないの?」

「まあまあ。これでバッチリだから」

 お調子者のアスタロッテはウインクを決め、しめしめとリュークに近づいた。

 止めるなら今のうち、かしら……。

 本物のフランは今回も不安を抱きつつ、成り行きを見守る。

「リュークぅー」

「ん? フランか、何しに来たんだよ」

 リュークは面倒くさそうに身体を起こした。自分のテリトリーに勝手に踏み込まれるのが気に入らないようで、眉を顰め、歓迎はしてくれない。

「生憎、俺は忙しいんだ」

 そもそも機嫌が悪いらしく、不貞寝のポーズに戻ろうとした。

 彼のぶっきらぼうな態度に、フラン(アスタロッテ)はびくびくする。

「あ、あの……これから同じお城で暮らすんだし、と思って……持ってきたの」

 彼女の手には、中庭の花壇で摘み取った、一輪のカーネーションがあった。信頼の証として、茎をリボンで結んである。

「ロイドにも同じものを贈るつもりよ。だから、彼とも仲良く……」

「……チッ。あいつの話をすんじゃねえ」

 ところがリュークは花を受け取らず、叩いて返した。

「こっちはあいつのせいで、冥王にくだらねえ命令されて、苛立ってんだ。花なんか見てる気分じゃねえんだっつの」

 カーネーションが音もなく足元に落ちる。

 同じ床にぽたぽたと水滴も落ちた。

「ひ、酷い……」

ないがしろにされたフラン(アスタロッテ)が、瞳にじわりと涙を溜める。

 女の子の涙を目の当たりにして、さしものリュークも飛び起きた。

「わっ、わりぃ! お前に当たっちまった」

 しかしフラン(アスタロッテ)は泣きやまず、両手で顔を覆ってしまう。

「あたしはただ、ぐすっ、喧嘩しないで欲しいって、お、思っただけなのに……!」

 傍目には粗暴な王子が女の子を泣かせている形になり、兵らの視線が集中した。相手が指揮官であろうと、冷ややかな雰囲気に遠慮はない。

「おい、リューク王子が泣かせたぞ」

「最低だわ。ちょっとカオがいいからって……」

 リュークは狼狽しつつ、必死にフラン(アスタロッテ)に慰めの言葉を掛けた。

「わかった、わかった! ロイドに喧嘩吹っ掛けたりはしねえよ、な?」

「……ほんと?」

「マジだって! だから泣くなよ、フラン」

 やっとフラン(アスタロッテ)が涙を堪え、健気な上目遣いでリュークを見詰める。

「よかったぁ……約束よ? リューク。ありがとう」

「どっ、どういたし……まして」

 焦りに焦っていたリュークの顔が、俄かに赤らんだ。小走りで去っていくフラン(アスタロッテ)の後ろ姿から、目を離そうとしない。

「あいつ、悪くねえな」

 一方、本物のフランは頭を抱え込んだ。

 こっちは泣き落としだなんて……。

 ロイドにせよ、リュークにせよ、次からどんな顔で会えばよいのか、わからない。

 それでも成果はあった。ふたりとも、フランに少しは気を遣ってくれるはず。いたずらに衝突するのは避けるだろう。

 魔界の兵に見つからないうちに、フランは地下のエリアから退散した。

 

 

 城で迎える朝には慣れない。

「う……うぅ~ん?」

迷宮と違って、寝起きのフランには朝日が眩しすぎた。寝返りを打ったり、布団を被るくらいでは、早朝の明るさから逃れられない。小鳥の囀りも聞こえてくる。

 そろそろ起きないと、ね。アンナも来るし……。

 半身を起こすフランの隣では、アスタロッテが心地よさそうに寝息を立てていた。昨夜も夜更かししていたらしい。

「失礼します。お目覚めですか、フラン様」

 メイドのアンナが支度の手伝いにやってきた。

「おはよう、アンナ」

「おはようございます。……あら、こちらの方は?」

「アスタロッテっていうの。大丈夫よ、悪い子じゃないから」

 小悪魔に布団を掛けなおしてから、フランは両腕でいっぱいに伸びをする。さっきまで横になっていた身体に刺激が行き渡り、しっかりと目も覚めてきた。

「本日は何色をお召しになりますか?」

「あなたのセンスに任せるわ」

 洗顔や着替えを済ませて、仕上げはメイドに髪を梳いてもらう。ドレッサーの鏡にはドレスアップした自分と、その後ろにアンナも映っていた。

 今朝は彼女の目が赤くなっていることに気付く。

「アンナ、昨夜は眠れなかったの?」

「はい。実は……この階のテラスのあたりで、骸骨の幽霊を見てしまいまして」

 骸骨の正体に心当たりがあるフランは、やれやれと溜息をついた。

 さてはお爺ちゃんね。こういうの、好きそうだもの。

 アンナによれば、幽霊は夜な夜な城内を徘徊しているとか。メイドの間ではすでに噂になっており、怪談のネタにされていた。

おかげでアンナは寝不足の憂き目に遭っている。

「フラン様が羨ましいです。ミノタウロスさんのような方に守っていただけて……」

「なら、あなたたちのお部屋にも護衛をつけてあげるわ。サイクロプスとか」

 ブロンドの髪にコサージュを添え、フランはアンナとともに部屋を出ようとした。ところがドアを開けてすぐ、ふたりの王子に出くわす。

「おはよう、フラン! いい天気だよ、一緒に散歩でもどうかな?」

「よう! 釣りでも行かねえか? 昨日、いいスポットを見つけたんだよ」

 ロイドもリュークも出合い頭にまくしたててきた。けれども両方の台詞がはもったせいで、フランには、どこかに誘われたくらいにしかわからない。

「ど、どうしたの? ふたりとも」

 ロイドはリュークを、リュークはロイドを睨みつけた。

「おい、てめえ。今は俺がフランと話してんだよ」

「そっちこそ、今は遠慮してくれないか?」

 ものの数秒で険悪な雰囲気になり、ばちばちと火花を散らす。昨日までより激しい。

 はあ……振り出しに戻っちゃったわ。

 アスタロッテの作戦は大失敗。

「大体、君はやり方が強引すぎるんだ。もっとレディーの気持ちを考えて、だね……」

「レディーだぁ? そうやって女ばっか口説いてるんだろ」

 口論が白熱するのを尻目に、フランはこっそりと脇を通り抜ける。

 朝から元気ね、ふたりとも。

 その後もミノタウロスに摘み出されるまで、王子たちの喧嘩は続いたらしい。

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