奴隷王女~かりそめの愛に濡れて~
第1話
サジタリオ帝国の親善大使としてやってきたのは、まだ十三歳の王子だった。広大な支配圏を有する帝国に比べれば、ソールなど小国家に過ぎない。
だからこそ、サジタリオ帝国はソール王国を見下し、若きジェラールを寄越した。
それを迎えるは、六十に近い祖父のソール国王と、孫のモニカ王女。父は王の座に就くことなく他界しており、母は政界にまったく関心を示さなかった。
「王子に挨拶なさい。モニカ」
「……ようこそおいでくださいました、ジェラール様」
九歳のモニカがソール王国を受け継ぐ頃には、ジェラールもサジタリオ帝国で要職に就き、ともに一時代を担うこととなるだろう。
モニカとジェラールの関係はこの時、始まった。
「おまえがソールの姫か。……へえ」
ジェラールの威圧的かつ傲慢な視線が、怯えがちなモニカを射すくめる。
「あ、あの……」
「ぼくを退屈させるなよ。おまえが楽しませろ」
王女の自分がそのように命令されるなど、初めてだった。彼に逆らってはいけない、機嫌を損ねてはならない――と、幼いなりに直感し、モニカは肩肘を強張らせる。
「ぼくだって、おまえが『姫』だから相手してやるんだぞ」
「……はい」
それはソール王国とサジタリオ帝国の力関係を如実に表していた。
大陸の中央やや東に位置する小国家、ソール王国。
その国土はレガシー河に面している程度で、さして恵まれたものではない。独立こそ維持しているものの、サジタリオ帝国の半ば『属国』として、ささやかな繁栄を許されているのが現状だった。
幸いにして侵略価値が低いおかげで、帝国もまだ合併には至っていない。ソール王国が従順なうちは権限を与え、いわゆる地方自治を許容していた。
だが、サジタリオ帝国は今なお支配圏を拡大しつつある。帝国は実に五年以上も戦争を続け、ソール王国のような小国家を次々と吸収していた。いずれソール王国がサジタリオ帝国の領土に数えられるのも、時間の問題だろう。
しかもすでに事件は起こっていた。急逝した父に代わり、国政を取り仕切っていた祖父のレオン王が、忽然と姿を消したのだ。
かくしてソール王国は一夜にして窮地に立たされた。場当たり的にモニカが国王代理の任に就くこととなり、一年。サジタリオ帝国からソール王国へ、騎士団の解散が要請されたのは、つい先月のことだった。
サジタリオ帝国は他国と交戦中にあり、属国のソール王国も狙われる可能性がある。時代錯誤も甚だしい田舎の騎士風情に国防を任せては、守りきれない。ならばこそ、帝国軍をソール領に常駐させて防衛力とせよ、という強引な論法である。
ソール王国の正統な国家元首は、もはや十七歳のモニカのみ。忠臣らも尽力してくれてはいるが、この窮地を覆せるだけのカードはなかった。
「はあ……」
政務室のデスクでモニカは頬杖をつき、今日だけでも何度目かの溜息を漏らす。
補佐官のクリムトが眼鏡越しに苦笑を浮かべるのも、いつものこと。
「お疲れのようですね、モニカ」
「そりゃそうよ。お爺様が行方不明になってから、ずっとこの調子なんだもの」
この一年、王女のモニカには気を休める余裕さえなかった。幼馴染みのクリムトがいなければ、とっくにパンクしていたに違いない。
「帝国にしても、いつまでも戦争を続けてはいられないはずです。いずれ余所もまわせなくなってきて、態度を軟化させるでしょうから」
「それまでの辛抱ってわけね」
奇策を講じるよりも持久戦。クリムトの助言もあって、モニカはサジタリオ帝国のやり方に耐えていた。
戦争を五年も続けていれば、どんな大国であれ国力は落ちる。サジタリオ帝国の猛進・猛撃が鈍る日も、決して遠くはなかった。
とすれば、今ここで帝国に降るわけにはいかない。サジタリオ帝国とともに『敗戦国』と扱われては、それこそソール王国の未来は閉ざされるも同然なのだから。
「反サジタリオの連合も動きが目に見えてきましたし、あと少しの辛抱ですよ」
「それまでは何が何でも現状維持ってことね」
しかしソール王国の家臣らはすっかり足並みを乱していた。
帝国に恭順せよとする親帝国派の声は、依然として大きい。その一方で、一日でも早く連合と手を結ぶべきだという反帝国派の声もあった。とりわけ王国騎士団は反帝国の感情が強く、抗戦を訴え続けている。
無論、こちらが武器を取れば、帝国にソール侵攻の大義名分を与えかねなかった。
タイミングを見誤れば、国王代理の王女が納める小国家など、一晩のうちに蹂躙されてしまうだろう。この綱渡りをしくじるわけにはいかない。
クリムトが眼鏡を拭き、掛けなおす。
「そういえば……近々、帝国のジェラール様が花嫁を迎えるそうで」
「……ふぅん」
適当に聞き流しながら、モニカは書類の残りを数えていた。
「って、上の王子も結婚はまだでしょ?」
「とっくに相手は決まってるという噂ですけどね。ジェラール様が動き出したのも、兄王子のご成婚を急かす狙いがあってのことでしょう」
王侯貴族の男子は二十歳前後、女子は十五、六くらいで縁談が決まる。祖父が健在であれば、モニカにもお見合いの話が来る頃合いだった。
サジタリオ帝国の第二王子ジェラールにしても、今年で二十一なのだから適齢期に差し掛かっている。
ジェラールは軍人気質の真面目な兄と違い、遊び惚けているらしい。戦争などそっちのけでカジノを開業した、などという噂もソール王国まで届いていた。
彼とは幼い頃、外交の席で会ったきり。ジェラールには悪い印象しかなかった。
一言目には『つまらない』、二言目には『もっと楽しませろ』。とにかく高圧的で唯我独尊、調子づいただけの『悪ガキ』だった。
「一国の王子がカジノだなんて……帝国も先が思いやられるわね」
「兄王子のヴィクトール様が優秀でいらっしゃいますから。何かと比較されるのが、面白くないのかもしれません」
「王子様の都合なんて、知らないってば」
モニカの溜息がまた重くなる。
父のジェイムズは世継ぎに恵まれず、モニカも妹のセニアも娘だった。いずれモニカは有力な王侯貴族の紳士を夫に迎え、次こそ正統な後継者を設けなくてはならない。
つまり女の自分では、祖父や父の代わりは務まらないということ。国王代理もその場凌ぎの方便であり、十七のモニカには早々に婿を迎える義務があった。
王女の都合も考えて欲しいわ、ほんと。
悔しいが、今の自分にソール王国を根本から改革するだけの力はない。
せめて行方不明の祖父が戻ってきてくれれば、状況も変わるのだが。クリムトが捜索を続けているものの、レオン王の消息は一向に掴めなかった。
「そうよ。お爺様さえ健在なら……」
「仰る通りです。あの陛下のことですから、ご無事とは思いますが……」
この城では今、何らかの陰謀が企てられている。
誉れ高い騎士団が国王を拉致するはずはないのだから、親帝国派の仕業だろう。しかし黒幕の正体はわからず、レオン王の不在によってモニカたちは疲弊しつつある。
これでも一年、粘ったほうかもしれない。
当然、国王の不在など、サジタリオ帝国にとっては絶好のチャンス。モニカには一年の猶予期間が与えられただけで、来月には結果を示さなくてはならなかった。
ソール王国は政治機能が麻痺しているため、サジタリオ帝国の庇護のもとへ――などという筋書きはすでに用意されているはず。このままでは親帝国派が実権を握り、侵略戦争への参加も余儀なくされる。
幼馴染みのクリムトが気を利かせてくれた。
「どうです? モニカ様。外の空気でも吸って、ご気分を変えられては」
「……そうね。ここに詰めてても、気が滅入るだけだし」
モニカは席を外し、政務室をあとにする。
行き先は城の東にある訓練場。王国騎士団はここで日々鍛錬し、汗を流していた。
人海戦術や大砲が戦争の主力とされる、このご時世、一対一の剣術など古めかしいものでしかない。時代錯誤のロマンと軽んじられることさえあった。
それでもソール王国には古くから『騎士伝説』が根付いており、剣こそが国を守るものと信じられている。
王国騎士団の第三隊で隊長を務めるのは、まだ十八の女性騎士。彼女は今日も声を張りあげ、若き訓練兵の指導に当たっていた。
「まだまだ剣に振りまわされてるぞ! そんなことでソールを守れると思うなっ!」
エリート騎士の家系に生まれ、モニカの親友でもある。女だてらに凛々しく、それでいて美々しく、訓練兵にはダントツの人気があった。
それが王国騎士団・第三隊の隊長、ブリジット。モニカ王女に気付くと、彼女は律儀に膝をつき、恭しいまでに頭をさげた。
「これは姫様! ご機嫌麗しくございます」
「そんなに硬くならないで。あたしとあなたの仲じゃないの」
「もったいないお言葉……ですが兵の手前、規律は欠かせませんので」
女のモニカでもどきりとさせられるほどの美貌が、爽やかな笑みを浮かべる。
城のメイドたちが『そこいらの男より素敵』と噂するのも、頷けた。壮麗な騎士服も相まって、一流の剣士の風格をまとっている。
「いかがなさいましたか?」
「ちょっと気分転換がしたくって……」
ブリジットが第三隊の隊長に任命されたのも、王女と同世代かつ同性であり、モニカの信頼があついため。そして、それを贔屓とさせないだけの実力が、彼女にはあった。
騎士剣の所持を許されているのも、強さの証。
しかしブリジットは悔しそうに歯噛みした。
「……申し訳ございません。まだ陛下を見つけること、叶わず……」
騎士団は総力をあげ、レオン=ソール=ウェズムングの捜索を続けている。それでも足取りはろくに掴めず、月日ともいえる単位で時間ばかりが流れた。
ソール王家の『血』には重要な用途がある。それを有しているのはレオン王とモニカ、妹のセニアの三人しかいないため、すでに祖父が殺されたとは考えにくい。
当然、考えたくもなかった。
ブリジットは神妙な面持ちで声を潜める。
「あれを目覚めさせる方法をご存知なのは、ジェイムズ様が亡き今、レオン陛下だけ……どこかに幽閉され、協力を無理強いされているのでは、と思いますが」
「クリムトも同じことを言ってるわ」
レオン王が生きているとするなら、可能性はひとつ。王国のどこかに眠るとされる、大いなる『軍神ソール』――それを呼び覚ます鍵は、レオン王だけが握っていた。
やっぱり親帝国派がサジタリオ帝国への手土産にしようとして?
それとも……反帝国派が独立維持のために?
仮に反帝国派の陰謀であれば、ブリジットも怪しくなる。
「……モニカ様?」
「ううん、なんでもないの。気にしないで」
親友まで疑いかねない今の状況が、もどかしくてならなかった。
とはいえ、のどかな初夏の昼下がり。青い空を眺めていると、気分も上向いてくる。
「どうです? モニカ様、午後は乗馬などなさっては。馬も喜びます」
「いいわね。アンナも誘って、いつもの丘まで……」
そこへ、ひとりの騎士が慌ただしく駆け込んできた。
「報告いたします、た、隊長!」
「……どうした? 何があったんだ」
「ハッ! それが……」
訓練中だった若手の面々も押し黙り、緊迫感に包まれる。初夏の空気など吹き飛び、モニカの胸に一抹の不安がよぎった。
「て、帝国が我がソール領内に軍を……しっ、侵攻です!」
「なんだとっ?」
あってはならない報告にどよめきが広がる。
サジタリオ帝国はソール王国の煮えきらない態度に、とうとう痺れを切らせたらしい。もはや有無を言わせず、ソール王国を合併する腹積もりだろう。
「帝国軍はすでに関所を越え……第一隊は降伏を余儀なくされたとのことです」
「馬鹿な! あのシグムント団長が、降伏を受け入れたというのかっ?」
報告が確かなら、騎士団を束ねる勇猛果敢な団長さえ、第一隊とともに敵に道を空けたことになる。
ブリジットは鬼気迫る勢いで声を張りあげた。
「ただちに第四隊と連携し、城下町の守りを固めろ!」
王国の城下に残っている戦力は、ブリジットの第三隊と、あとは第四隊しかない。
まさか、こんなに堂々と進軍してくるなんて……。
ソール王国の命運は風前の灯火となった。
☆
サジタリオ帝国を象徴する『籠手』の旗が、ソール王国の城下ではためく。
モニカやブリジットには何もできなかった。帝国軍が傲岸不遜に闊歩してくるさまを、指を咥えて見ていただけ。
城下の民を巻き込んで徹底抗戦など、できるはずがない。
「くっ……我がソールの街並みを、賊まがいの帝国軍に踏み荒らされるなど……」
ブリジットとともにモニカも痛いほど唇を噛んだ。
侵攻を許すにしても、あまりに情けない。こちらが兵を退き、城下町へと帝国軍を迎え入れるなど、惨めでさえあった。
やがて城門のもとへ先頭の一団が辿り着く。
シグムント団長は両腕を拘束され、無念そうに頭を垂れていた。モニカを前にしても顔をあげるにあげられず、膝を落とす。
「姫様、もはや言葉もありませぬ……私は騎士団の名誉を貶めてしまいました」
モニカは不安に駆られながらも、前のめりで団長を問いただした。
「何があったの、シグムント!」
「妻と子を人質に取られ……私にはこうするほか……」
「人質だなんて、人聞きが悪いなあ」
帝国軍の隊列からひとりの青年が歩み出てくる。
端正な顔立ちにはどことなく見覚えがあった。その大きな手が、動揺を禁じえないモニカの顎を取り、上に向かせる。
「きみとは八年ぶりになるのかな? モニカ=ソール=ウェズムング」
「あ、あなたはジェラール=サジタリオ……」
サジタリオ帝国の第二王子、ジェラール。今より八年前、モニカはこの城で彼と初めて出会い、さまざまな悪戯に加担させられる羽目になった。
だが今はもう子どもの時分ではない。十七と二十一、互いに祖国の名を背負い、義務を果たさなくてはならない立場にあった。
「こちらの団長さんは『人質』というけどね、彼は自分の奥さんと子どもだけ、国外に脱出させようとしたんだ。おれはそれを『保護』したまでさ」
ジェラールにそう仄めかされ、シグムント団長は頑なに口を閉ざす。
ブリジットは怒りに燃えた。
「でたらめを言うな! 勇猛なる団長が志を捨てて、家族を逃亡させるなど……」
「……だそうだよ、団長さん。部下はきみを信じてくれたのにねぇ」
しかしブリジットの言葉はむしろ団長を責め苛む。
ジェラールの話は本当らしい。彼はソール王国がいずれサジタリオ帝国に侵攻されると予見し、自分の家族にだけ便宜を図った。
レオン王が行方不明となってから一年、折れたのはシグムント団長だけではない。先月も外交官が妻とともに他国へ亡命し、息子のクリムトだけが取り残された。
「民を捨ておいて逃げるのが、王国の流儀なのかい? モニカ姫」
「そ、そんなわけ……」
モニカが反論できないのをいいことに、ジェラールは含みたっぷりに囁きを続ける。
「ひょっとしたら、きみのお爺様も逃げたのかもねえ」
「き――貴様ッ! 陛下を愚弄するな!」
ついにブリジットが激昂し、ジェラールに掴みかかろうとした。
が、護衛の剣士に阻まれ、逆に腕を固められてしまう。
「あぁう? は……放せっ!」
「やめておけ。ここでお前が暴れても、ソール王国のためにはならんぞ」
ブリジットとて隊長を張れるだけの実力はある。にもかかわらず、彼はブリジットを容易くあしらい、眉ひとつ動かさなかった。
「それくらいにしてやれ、セリアス。『お嬢様』を相手に男がやることじゃない」
「……そうだな」
ようやくブリジットは解放され、息を切らせる。
「はあっ、はあ……貴様も帝国の犬なのか?」
「さあな」
セリアスは素っ気ない調子で顔を背けてしまった。
代わってジェラールがまくし立てる。
「こいつはおれが用心棒として雇ったんだ。無口で愛想もないやつだが、悪気はない。勘弁してやってくれないか」
「え、ええ……」
窮地を救われたのは、むしろモニカたちのほうだった。
ここでジェラール王子を掴みあげようものなら、それこそサジタリオ帝国に口実を与えることになる。セリアスという剣士はそれを察し、ブリジットを諫めたのだろう。
「ところで、いつまでおれに立ち話をさせるつもりだい? モニカ」
「……わかったわ。ただし軍の入城は許可できないから、そのつもりでいてちょうだい」
「了解だ。そっちの女騎士と違って、きみは冷静みたいだね」
本当はモニカのはらわたも煮えくり返っていた。しかしこの場では、たとえ文句のひとつであっても開戦の引き金となりかねない。
モニカはジェラールと数名の護衛にだけ入城を許し、中へ。
「この屈辱、忘れはせんぞ……胡散臭い用心棒め」
「フッ。威勢のいい女だ」
ソールの民は不安の色を帯びながら、成り行きを見守っていた。
ジェラールが『粗末な客間では満足できない』と駄々を捏ねるため、離宮の社交場を開放することに。モニカは私室でドレスを替え、ジェラールのもとへ急ぐ。
そうして始まった、モニカとジェラールの会談。
しかし話し合いは数分のうちに紛糾し、モニカは声を荒らげた。
「帝国軍を城下に常駐ですって? そんなこと、認められるわけないでしょ!」
「そうは言うけどね。ソール王国の防衛力は今、無に等しいじゃないか」
怒り心頭のモニカに対し、ジェラールは余裕を崩さない。
「現にきみらの王国騎士団は帝国軍に道を空けた。そんなざまでは、こっちだって、いつ後ろから寝首をかかれるとも知れないからねえ」
あなたがシグムント団長を嵌めたくせに、いけしゃあしゃあと……!
堪えるほかなかった。モニカはテーブルの下でドレスをぎゅっと握り締める。
サジタリオ帝国は『ソール王国に反帝国の動きあり』と決めつけ、今回の進軍に至ったという。もちろん、それは単なる言いがかりでしかなかった。
だが今日の侵攻によって、ソール王国は防衛力の欠如を露呈してしまっている。この一年のうちに、ソール王国はモニカの想像以上に弱体化の一途を辿っていた。
そこをサジタリオ帝国につけ込まれ、この窮地に至っている。
「何が目的なの? あなたは……」
「そうだなあ。はっきり言っておいたほうが、いいか」
ジェラールは唇の端を吊りあげ、まじまじとドレス姿のモニカを見詰めた。
「従属……いや、隷属だよ。ぼくがソールに要求するのは、それだ」
「……れ、隷属?」
つまりはサジタリオ帝国の植民地となること。帝国はソール王国の独立維持を認めず、とうとう強引な手を打ってきた。そして風向きは帝国に味方している。
「国王は不在、娘のきみでは国政もままならない……サジタリオ帝国による『保護』は当然の措置だと思うけどね」
ソール王国は今しがた民の前で帝国軍を迎え入れてしまった。王国騎士団の名誉は失墜し、今頃は城下に失望感が蔓延していることだろう。
「民も物資もすべて帝国のものにする。そのための進軍さ」
それをジェラールは臆面もなしに言いきった。
だが、モニカには反撃するだけの材料がない。国王の不在は本当のことであり、何より騎士団の機能不全は決定的だった。
「王国騎士団の再編成もこちらでおこなう。きみはぼくに従っていればいい」
「そ、そんなこと……!」
モニカはテーブルに両手を叩きつけ、剣幕を張る。
「ふざけないで! お爺様がいないからって、好き勝手……」
「勝手は承知のうえだよ。ソールの民がどう苦しもうと、おれの知ったことじゃない」
対し、ジェラールは小憎らしい笑みを浮かべ、ティーカップに口をつけた。
「ただまあ……きみの態度次第かな」
底意地の悪い言いまわしが、昔の彼とだぶる。
「……あたし次第?」
「そうとも。モニカ、きみがおれのものになるなら、ソールの独立は認めてやる」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
「王国の民、全員の身代わりとして、きみがおれの『奴隷』となるのさ」
「……っ!」
思いもよらない言葉が出てきて、モニカは絶句する。
奴隷。帝国による植民地支配は、まさしくソールの民を奴隷とするものだった。ところが、ジェラールはモニカさえ従うのなら、ほかは見逃すという。
「あ……あたしをどうするつもり?」
「子どもじゃないんだ、わかるだろう? 男が女にすること、さ」
ジェラールの瞳が意味深にモニカを見詰め、胸のあたりに熱い視線を注ぎ込む。
獣にでも睨まれている錯覚がして、鳥肌が立った。モニカは我が身をかき抱きながら、ジェラールに恐る恐る視線を返す。
「……じ、冗談でしょ?」
「本気だよ。おれはきみに首輪を繋いで、飼いたいんだ」
嫌悪感は膨れあがるどころか、一瞬のうちに爆ぜた。
「冗談じゃないわっ! だ、誰があなたなんかに」
「そう言うと思ったよ。でも抵抗してくれたほうが、おれだって面白い」
「さっさと軍を退いて、帝国に帰ってッ!」
腹の底から強烈な怒号が弾け、ジェラールを唖然とさせる。
「……モニカ?」
「ふんっ!」
この十分後、モニカ王女は政務室で頭を抱える羽目となった。
「……まずかったかしら」
ジェラールに挑発され、大声で怒鳴ってしまったのは、ついさっきのこと。曲がりなりにも帝国の王子を相手に、喧嘩を吹っかけてしまったのだ。
デスクで突っ伏すしかない王女を、補佐官のクリムトが労ってくれる。
「モニカ様のご意志をはっきりさせておくのも、大事なことですから。……ジェラール様は一体、モニカ様になんと仰ったんですか?」
「どれ……な、なんでもないわ」
温厚なクリムトにしても、ジェラールがモニカを奴隷にしたがっていると知れば、猛烈に憤慨するだろう。ジェラールの発想にはほとほと反吐が出た。
何様のつもりよ、奴隷って! あたしに首輪を繋いで飼いたい、ですって……?
想像するだけで、身体じゅうに怖気が走る。
幸い、帝国軍が城へと雪崩れ込んでくるような気配はなかった。サジタリオ帝国にしても、実力行使で城を制圧しては、民の反感を買うだけと踏んでいるらしい。
「なんとかジェラールを言い包めて、帝国に追い返さなくちゃ……」
「それはそれで難しいとは思いますけど」
ソール王国は絶体絶命の窮地に立たされている。しかし聡明な補佐官は、らしくもない腕組みのポーズを取り、カーテンの陰から窓の外を眺めた。
ソールの王城はサジタリオ帝国の旗に囲まれている。
「もしかすると……帝国のほうで何か動きがあったのかもしれませんね」
「どういうこと?」
モニカも声のトーンを落とし、クリムトの言葉に耳を傾けた。
「サジタリオ帝国は余所と、もう五年も戦争を続けてるんですよ。いくら帝国が強大とはいえ、疲弊だってするわけですから」
これまでの大陸史上においても、『勝てない戦争』ほど損なものはない。かつての教会勢力も遠征で大敗を繰り返し、王さえ諫めたほどの絶大な権威を失った。
サジタリオ帝国の侵略戦争は五年も経過しているにもかかわらず、まだ収拾の目処が立っていない。これは帝国にとって誤算のはずだった。
とはいえ帝国の内情は想像でしか語れない。
「もともとジェラール様は兄王子と違って、さほど野心家ではないと聞いています。何か考えがあって、ソール王国に来たのではないでしょうか……?」
「……どうかしら」
ソール王国にとってサジタリオ帝国はやはり『敵』であり、モニカにはジェラールをフォローする気になどなれなかった。
奴隷となれ――その言葉を思い出すだけでも、虫唾が走る。
「とにかくモニカ様はお休みになってください。会議は夕食のあとに延ばしますので」
「そうね。さっきから頭に血が昇りっ放しだし……」
クリムトの配慮もあって、モニカは早々に政務を切りあげ、私室へと戻った。
☆
重臣らが勢揃いしたうえでの緊急会議は案の定、紛糾した。
反帝国派は徹底抗戦を掲げるも、すでに王国騎士団は降伏している。仮に万全の状態で国境を守備していたとしても、圧倒的な兵力の差はいかんともし難い。
穏健派は国力の消耗や権利の喪失を恐れ、慎重に徹しようとした。それを武闘派の面々が『臆病者、腰抜け』と罵倒するものだから、始末に負えない。
「こんな城下で帝国と戦えるものか! 民が巻き添えになるのだぞ!」
「おめおめと連中を城まで案内しおって、シグムントめ!」
「――いい加減にしなさいっ!」
たまらず、モニカは円卓に両手を叩きつけた。
「責任転嫁をしている場合じゃないでしょう? 今も帝国軍は城下に居座って、ソールの民が怯えてるのよ? それがわからないのなら、今すぐ出ていきなさい!」
さしもの老臣たちも王女の剣幕に肝を冷やしたのか、すごすごと引きさがる。
「申し訳ございません、モニカ様……」
「ですが、王国の置かれた状況は誠に厳しいものと存じます」
モニカとて、この危機には頭を悩ませていた。
自分は祖父のレオン王ほど聡明ではない。カリスマ性もたかが知れている。そのせいで王国をまとめきれず、貴族らは親帝国派・反帝国派などに分裂しつつある。
シグムント団長が秘密裏に家族を逃がしていたことも、皆に衝撃を与えていた。
「帝国は用意周到に計画を進めていたようですね」
今回のサジタリオ帝国による進軍は、タイミングもよすぎる。前々からソール王国の弱体化を待ち、虎視眈々と機会を窺っていたのだろう。
「では、陛下も帝国に……!」
「それはわかりませんわ。ただ、この状況下で言えるのは……」
沈痛な雰囲気の中、一同は口を噤む。あえて口を開いたのはモニカだった。
「スパイがいるのね」
「遺憾ながら……王国の内情は筒抜けなのやもしれませぬ」
帝国という脅威を前にして、モニカたちは疑心暗鬼に陥りそうになる。
補佐官のクリムトが起立し、背筋を正した。
「発言よろしいですか? モニカ様」
「いいわよ。聞かせて」
「はい。……とりあえず一週間ほど、様子を見てはいかがでしょうか」
モニカたちは今、少なからず動揺している。冷静さを欠いたうえで、この窮地を打破すべく焦っていた。この調子では次から次へと下手を打ってしまうリスクが大きい。
「われわれが慌てれば慌てるほど、帝国の思うつぼというわけか」
「ええ。それにジェラール王子の目的も、まだはっきりとはしていません。わざわざ背後のソール王国に手を出して、帝国にメリットがあるとは思えないんです」
サジタリオ帝国は現在、東方や南方の国々と交戦状態にあった。なのに西方のソールと関係を悪化させてしまっては、戦線の維持も難しくなる。
「いずれ、近隣の諸国にも反サジタリオの動きが出てくるでしょうし……かえってチャンスかもしれませんよ、これは」
「……どういうことだ? クリムト殿」
クリムトは眼鏡の合わせを押さえつつ、にやりと笑みを深めた。
「反帝国の気運が高まったところで、僕たちで先陣を切るんです。もしくは帝国が疲弊したところで、僕らが橋渡し役となるか……大事なのは『戦後』の立ち位置ですから」
ソール王国が存亡の危機に瀕しているのは事実。だがサジタリオ帝国にしても、いつまでも強硬的・強圧的な外交戦略を続けられるものではない。
仮に帝国が敗戦することになれば、大陸の情勢は一変するだろう。クリムトはまさにそれを見据え、ソール王国の取るべき選択を占っていた。
家臣らも次々と相槌を打つ。
「確かに……下手に恭順して、帝国と運命をともにすることもあるまい」
「しかしそれほどの猶予は……帝国軍は城の外にまで迫っている事態ですぞ」
武闘派の面々も『先陣を切る』という言葉の響きに納得した。
まとまりそうにはなかったが、ひとまず今夜のところは皆、クリムトの意見に声を揃えてくれる。今日より一週間は情報を集めながら、様子を見ることに。
助かったわ、クリムト。
おそらくクリムトは今夜の会議が紛糾するものと見て、上手い落としどころを用意していたのだろう。先送りに過ぎなくとも、猶予はできた。
「みんなも過激な発言や行動は慎むようにね。それじゃあ、解散」
家臣らに念を押し、モニカは席を立つ。
緊急の会合が長引いたせいで、すっかり入浴も遅くなってしまった。モニカの濡れた髪を、メイドのアンナがバスタオルで拭きながら、丁寧に梳いていく。
「セニアはもう寝たの?」
「はい。帝国軍には驚かれたご様子でしたが……」
このメイドとは歳も同じで、昔からの付き合いだった。身分の違いこそあれ、モニカは彼女のことをかけがえのない友達と思っている。
「姫様、帝国軍はいつまでこのソールにいるのですか?」
「……ごめんなさい。明日や明後日とは言えないのよ、今回の案件は」
そんなアンナや妹を早く安心させてやりたい。しかしモニカの力で追い返すには、サジタリオ帝国はあまりに大きすぎた。
クリムトは会合で『チャンス』と言ったものの、あれは口八丁の方便でしかない。今にサジタリオ帝国はソール王国を蹂躙し、民を奴隷とするだろう。
あたしがジェラールにすべてを差し出せば、王国のみんなは助かる、かも……?
モニカはかぶりを振って、浅はかな考えを遠ざける。
「……姫様?」
「あ、ごめんなさい。なんでもないから」
その夜はなかなか寝付けなかった。
☆
翌朝、モニカは城の中庭でジェラールと出くわす。
「おはよう、モニカ。いい朝だね」
「……え、ええ」
ソール王国はひとまず彼を『大使』として迎え、離宮に部屋も用意した。しかし監視を置くことは断られ、好き放題にされている。
「昨夜は随分と遅くまで話しあってたようだね。結論は出たのかい?」
「あなたには関係のないことよ」
昨夜の会合が荒れたことは、ジェラールにも想像はつくはず。それをわざわざ素知らぬ顔で聞いてくるのが、小憎らしかった。
「そうだ。モニカ、あとで城下を案内してくれないか?」
「……あたしが?」
無視もできず、モニカはジェラールを見上げる。
「何しろ八年ぶりのソールだからね。子どもの頃は城でしか遊べなかったし」
「わかったわ。案内してあげるから、おとなしくしててちょうだい」
八年前はこうして彼を『見上げる』ことなどなかった。ジェラールは背も高くなり、放蕩者のようでも、どこか余裕めいた風格をまとっている。
そんな彼がずいっとにじり寄ってきた。
「今朝は淡泊じゃないか、モニカ。どうせなら昨日みたいに罵倒を浴びせて欲しいな」
「おかしな趣味をしてるのね。帝国のひとって、みんなそうなの?」
同じだけモニカはあとずさるものの、花壇に足を取られる。
「……返事は決まったのかな」
「な、なんのことかしら」
ジェラールははにかむと、モニカの手を取り、そこへキスを落とした。
「ほら、おれのものになりたくなってきただろ?」
「冗談じゃないわよ! だっ、誰があなたなんかに……」
慌ててモニカは手を引っ込め、ジェラールから花壇越しに距離を取る。それがジェラールの癇に障ってしまったらしい。
「へえ……言ってくれるね。おれ『なんか』に?」
「と、当然でしょ? 奴隷になれ、なんていうひとの相手なんか、するわけ……」
彼の顔が近づくにつれ、緊迫感で息が詰まりそうになった。
しかしジェラールは呆気なくモニカを解放し、大袈裟に肩を竦める。
「まあいいさ。反抗されるほうが面白いからね」
そこへ第二王女のセニアがとたとたと駆け寄ってきた。
「お姉様~!」
「セニア! 今朝は早いのね」
モニカにとっては大切な妹。まだ十一歳とはいえ、たおやかな立ち居振る舞いはプリンセスの気品に溢れている。
「ふぅん……この子がきみの妹かい?」
「そ、そうよ。……ちょっと、ジェラール!」
モニカの制止も聞かず、ジェラールはセニアの手にもキスを捧げた。しかし乱暴なことはなく、あくまで紳士然として、セニア王女と挨拶を交わす。
「初めまして、可憐なレディー。おれはサジタリオ帝国の第二王子、ジェラールだ」
セニアは恐れず、彼に純朴なまなざしを返した。
「あなたが? ……噂には聞いてるわ。カードゲームが得意なんでしょ」
「やれやれ。ソールじゃ、おれの評価はどうなってるんだ?」
ジェラールの気障な笑みも苦くなる。
「モニカと三人で今度、ダーツでもしようじゃないか。教えてあげるからさ」
「本当っ? 楽しみにしてるわ」
セニアがひと懐っこいこともあり、ふたりはあっさりと打ち解けてしまった。これでは頑なに拒絶を続けるモニカだけ孤立しかねない。
「きみからも姉さんに言ってやってくれ。おれをもてなすようにね」
「お姉様ったら、んもう……民の模範でいなさいって、いつも言ってるくせに」
「う。そ、それは……」
ぐうの音も出ずにまごついていると、ジェラールが呟いた。
「……そろそろか」
ほどなくして城門のほうが騒がしくなる。
「昨日の今日だぞ? 何がどうなってるんだ、一体!」
「と、とにかく団長……じゃない、ブリジット隊長をお呼びしろ!」
当直の騎士らは大急ぎで駆けていき、何かが起こったらしいことをモニカも悟った。
ジェラールの手が後ろから肩へとまわってくる。
「おれたちも行こうか。モニカ」
「あなた、まさか……」
モニカは焦燥感に駆られながら、妹のセニアを中庭に残し、彼とともに城門へ。
ソールは小国とはいえ、城は堅固な砦の機能を充分に有している。南向きの大門は左右のレバーを引かないと開かず、上には見張りの弓隊も控えていた。
それが昨日に続いて、今朝もがら空きになっている。
ソールの王国騎士団が再び道を空ける中、凱旋したのは帝国軍の一部隊だった。先頭にはセリアスが立ち、サジタリオの国旗を悠々と風に靡かせる。
ブリジットは駆けつけるや、声を荒らげた。
「これは何事だっ! 貴様らの入城は禁じたはずだぞ!」
「そうは言ってもな。牢獄は城のほかにないんだ」
荒れるブリジットを制しつつ、モニカはセリアスに騒動の理由を尋ねる。
「詳しく聞かせてちょうだい。確か、セリアス……だったわね」
「……やれやれ」
セリアスはしれっと隊列の後方へ親指を向けた。
帝国軍は二十人近い数の男を捕縛し、連行している。彼らのジャケットに施されているのは、悪名高い盗賊団の紋様だった。
「あなた、黒金旅団を捕まえてきたっていうの?」
「ああ。そんな名前だったか」
帝国からの流れ者がソール領内で徒党を組んだものが、黒金旅団。この数年、彼らは城下の近辺で旅人を襲っては、金品を強奪し、ソールの民を脅かしていた。
黒金旅団にはモニカたちも散々、悩まされている。
ところが今朝になって、盗賊どもは帝国軍にあっさりと掃討されてしまった。
「こいつらのアジトなんぞ、ここから目と鼻の先だったぞ? ソールの騎士団とやらは腑抜けしかいないようだな」
「ぐっ……」
セリアスに不甲斐なさを嘲笑され、ブリジットが歯噛みする。
黒金旅団は巧妙にして狡猾に王国騎士団の裏をかき、暗躍してきた。だが、それを逮捕できず、盗賊行為を許してしまっていたのは事実。
しかも帝国にフォローされては、さしものブリジットといえ黙るほかなかった。
「モニカ王女。俺たちが入城しても構わんな?」
「……いいわ」
セリアスの率いる帝国軍が、とうとうソール王宮への入城を果たす。
すれ違いざま、黒金旅団の首領らしい女が足を止めた。
「あなたがお姫様? いいことを教えてあげるわ。……帝国に逆らうのはやめなさい」
「え? どうして、そんなこと……」
「軍の質が違いすぎるのよ。特にあの男は……化け物だわ」
黒金旅団のメンバーは懲りた様子で、まるで抵抗せず、とぼとぼと歩いていく。
名うての盗賊団にさえ『化け物』と称される用心棒、セリアス。その雇い主であるジェラールは満足そうに帝国軍の凱旋を眺めていた。
「我が帝国の兵でないのが惜しい逸材だよ。入隊を勧めてはいるんだけど」
作為的なものを感じずにはいられない。
モニカたちは昨夜、一週間は帝国の動向を探ることに決めたばかり。しかしジェラールは昨日の今日で次の行動に出て、軍の入城を果たしてしまった。
黒金旅団の規模や所在についても、あらかじめ掴んでいたに違いない。
ブリジットはその場で屈み、地面を殴りつけた。
「ふざけた真似を! 旅団のアジトは突き止めていた、作戦もあった! なのに……」
騎士団の面々は沈痛な面持ちで口を閉ざす。
盗賊団の掃討に及び腰だった人物こそ、シグムント団長なのだ。サジタリオ帝国が団長の彼に目をつけ、以前から根まわししていた可能性は高い。
会合の席にもジェラールは威風堂々と姿を見せた。
「あなたを呼んだ憶えはないわよ、ジェラール。退室してちょうだい」
「何を言ってるんだい? モニカ。おれはきみの力になりたいだけ、なのにさ」
追い返すには相手が悪すぎる。
「……こちらへどうぞ、ジェラール様」
「うん。ありがとう」
仕方なくクリムトは席を譲り、モニカの傍で控えにまわった。ジェラールは悠々と脚を組み、部外者にもかかわらず、ソール王国の会議を仕切り始める。
「おれの部下が先走ったようで、すまないね。でもまあ、昨日の件も含めて、王国騎士団の惰弱ぶりは証明されたんじゃないかな」
ブリジットが椅子を蹴るように立ちあがった。
「われわれを愚弄する気か!」
しかしジェラールの涼しげなポーカーフェイスは変わらない。
「愚弄も何も、ご覧の有様だろう? いつまでも古臭い試合形式に拘ってるから、実戦ではろくに成果を上げられないのさ」
サジタリオ帝国の第二王子として、彼は悪魔のような牙を剥きつつあった。
「おれの号令ひとつで、こんな城、いつでも占拠できる。……それが不服なら、きみらの流儀で勝負してやっても、いいんだが……」
「じ、上等だ! 表に――」
「挑発に乗らないで、ブリジット! ジェラール、あなたも弁えてちょうだい」
一触即発の緊迫感には誰もが息を飲んだ。
「……失礼した。レディーを相手に大人気なかったかな」
帝国の王子が素直に頭をさげたことで、ひとまず衝突は回避できる。ブリジットも煮えきらない様子だったが、抑えてくれた。
ジェラールが足を組み替える。
「さて……おれから提案があるんだが。王国騎士団の再編成を任せてはもらえないか」
「何を言い出すのよ、あなた? そんなことができるわけ……」
いきなり理不尽な要求を突きつけられ、モニカは顔を強張らせた。
国防の要である騎士団のありようは、ソール王国の独立維持に関わる。これを帝国の人間に好きにされるようでは、もはや国家の威信もない。
それがわかっているからこそ、ジェラールは撤回しなかった。
「もちろん騎士団の矜持は尊重するつもりさ。おれだってソールの騎士伝説には敬意を払いたいからね。でも、それと王国の防衛力を改善することは、別だろう?」
不満そうなブリジットを除いて、反対意見は出てこない。実際のところ、王国騎士団の近代的な強化を望む者は多かった。
「隣の国は戦争をやってるのに、城に大砲のひとつもないなんて、さ」
「……返事は待ってちょうだい。ソールの独立に関わることだもの、すぐには決められないってこと、あなたにもわかるでしょう?」
「ああ。じっくり話しあうといい。……話しあいになるならね」
一方的に言いたいことだけ言ってのけ、ジェラールは余裕綽々に席を外す。
「夕食は一緒にしてくれよ、モニカ」
「……ええ」
モニカたちは完全に後手にまわっていた。この調子ではジェラールにひっかきまわされるばかりで、臣下の間には動揺と疑心が蔓延するだろう。
「いかがいたしましょうか? モニカ様……」
「悠長に様子など見ていては、どんどんと手を打たれてしまいますぞ」
「そうね。彼さえどうにかできれば、いいんだけど」
すべてはジェラールの胸ひとつ。
奴隷になれ――モニカの脳裏にまたしても彼の言葉がよぎった。
☆
夕食のあとは王宮のテラスで一息つく。妹のセニアはジェラールのことが気に入ったようで、屈託のない笑みを振りまいていた。
「おやすみなさい、ジェラール。また帝国のお話、聞かせてね」
「うん。おやすみ」
ジェラールも十一歳のセニアには『お兄さん』を演じ、穏やかに微笑む。
セニアが去ってから、彼はモニカの肩に腕をまわしてきた。
「あの子に聞いたよ、ソールは夏が長いんだってね。そろそろ暑くなるのかな?」
「その通りよ。みんな、レガシー河に泳ぎにも行くわ」
絶対的な優位にある彼にとって、モニカの返事は決まったようなものらしい。その期待に応えるしかないのが、悔しかった。
「おれに話があるんだろう?」
「……ええ」
それでもソール王国のため。民のためなら、我が身を犠牲にすることも厭わない。それが国王代理として十七のモニカにできる、精一杯の『交渉』だった。
「本当にあたしがあなたにすべてを差し出せば、約束は守ってくれるんでしょうね?」
「帝国に神はいないが、誓うよ。きみがおれのものとなるなら」
ジェラールの手がモニカの胸元に差し掛かり、ドレスの紐を解きに掛かる。
「わからない、なんて言わせないよ? モニカ」
「……ま、まだよ。あなたの誠意を見せてもらってからに、決まってるじゃない」
このような交渉、一国の気高い姫君がするものではなかった。卑劣な罠に嵌められたも同然で、ジェラールのことが憎らしくてならない。
同時に――初めて『女』として扱われることに戸惑いもあった。
「すぐには抱かないさ。たっぷり楽しませてもらうぞ?」
熱い吐息が耳元に触れる。
「おれのモニカ」
「だ、誰が……調子に乗らないで」
ソール王国の第一王女と、サジタリオ帝国の第二王子。
縁談のうえではベストカップルであっても、モニカには我慢ならなかった。
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