Rising Dance

第五話

 二月十四日、聖バレンタインデー。

 コンサート会場ではファンでごった返しになっていた。販売ブースでは『湖の瑠璃』のアレンジCDと、私たちのサインが入ったチョコレートが売られてる。

まさか、ひとりあたり千近い数の包み紙に、サインを書く羽目になるなんて……。

ライブの開始時刻は午後の五時で、ステージは屋外にある。この季節なら、五時には充分暗くなるから、ライトアップを見越して調整したらしいわ。それに私たちは未成年だから、夜間はお仕事をしちゃいけないし。

目標だった二千人の動員数は、見事に満員御礼でクリアできた。井上さんやスタッフのみんなが、広報に力を入れてくれたおかげね。

私たちNOAHのメンバーは、ステージ衣装に着替え、楽屋で待機してるところ。現在の時刻は四時半で、今しがた本番の最終確認を済ませたばかり。

ライブが始まるまで、あと三十分。落ち着きがないのは杏さんだった。

「緊張するわね……こういう衣装って、わたし、初めてだから」

 おへそを隠しつつ、楽屋の端を意味もなく往復してる。

 ステージ衣装は反射材が使用されてるせいか、きらきらと光を放っていた。やや露出の多いデザインのため、私も脇腹やお腹が気になる。

 椅子に座っているリカちゃんも落ち着かず、足をじたばたさせた。

「あたしもドキドキしてきたぁ~。音外したら、ゴメン。……結依は平気?」

「わ、割と。大丈夫っぽい」

 もちろん私だって肩に力が入ってる。

 何せ、世間の期待値が高すぎるんだもの……。

 私たちのNOAHは、まだメンバーを正式に公表していないでしょ? ヒントはドラマ『オジョキン』の特別前後編だけ。

 エンディングの『湖の瑠璃』を歌ってるのは松明屋杏で、ドラマに出演してる玄武リカもいるだろうって、みんなが噂していた。そして、一番の話題は三人目のこと。

 NOAHはトリオらしい、じゃあ三人目は誰、ってふうに。

その候補には何人か挙がってて、ドラマのチョイ役で出演してる私、御前結依も『もしかして』くらいに数えられていた。今日はそんな私のお披露目になる。

 駆け出しのタレントだと、お客さんの動員数は二、三十人が平均らしいけど。ここでは二千人ものお客さんが、NOAHがヴェールを脱ぐのを待ち侘びていた。

 リカちゃんが椅子の上で膝を抱える。

「さすがに二千人はないでしょ……あ~、震え止まんないっ」

「一部は中継もされるのよね。ママに見られるわ……」

 杏さんもそわそわする一方で、何回も壁の時計を見上げてた。

「深呼吸しましょう、杏さん。リカちゃんも」

 私は大きく深呼吸して、意識的に全身の力を抜く。頭の天辺までまわってきた血液が、爪先まで落ちていくようなイメージで。

 胸の鼓動は制御できないけど、呼吸はいくらか静かになった。

本番のステージに不安があるのと同じくらい、期待もあって、楽しみでならない私がいる。遠足前夜の子どもみたいに、わくわくしてる。

もうすぐステージに立てるんだから!

楽屋からはモニターで、会場の様子を見ることができる。お客さんもみんな、今か今かと、陽が暮れるのを待っていた。

根拠はないけど、練習の時より上手くやれそう。早くステージに立ちたい。

ただ、練習でもバックダンサーと合わせたことは一度もなかった。マーベラス芸能プロダクションのダンサーたちは、別室で待機してるのかな。

私たちの舞台を盛りあげてくれるんだから、あとで挨拶しなくっちゃ。

「杏さん、矢内さんは?」

「会場のどこかにいるはずよ。ここは一応、女子の更衣室だし」

「そーいやさぁ、結依と杏は今日、友達来てんの?」

 やがて時計の針が開演の時間に差し掛かる。

 

 ところが開演時間になっても、誰も呼びに来てくれなかった。

『お待たせしているところ、誠に申し訳ございません。開演時間を延長致します』

 私たちはぎょっとして、顔を見合わせる。

「ど、どういうこと……?」

「何かあったんだわ。矢内さんに聞いてみるから」

 杏さんが電話を掛けても、矢内さんは話し中だったため、応答なし。

 リカちゃんがモニターを凝視し、会場の様子を訝しむ。

「嫌な感じね。変な動きになってるかも」

 お客さんは放送に戸惑いつつ、情報を交換している様子だった。

 急に楽屋の扉が開き、井上さんが電話をしながら入ってくる。その顔は青ざめ、見るからに焦りと動揺を孕んでいた。

「ええ……了解。矢内は外をまわってみて。中はこっちで探すから」

 電話が終わるタイミングを見計らって、尋ねてみる。

「何かあったんですか?」

「緊急事態よ。面倒なことになったわ」

 井上さんは痛そうに額を押さえ、状況を説明してくれた。

「Gガールズ……バックダンサーのグループが、控え室から消えてたのよ」

「そ、そんなっ? 消えてた……って、じゃあ、さっきまで?」

 杏さんが血相を変えて、前のめりになる。

「三十分前は確かに、ね。おまけに、おかしなデマまで流してくれたみたいで……」

 私も真っ青になった。さっき深呼吸で沈めた血液が、俄かに冷えていく。

 リカちゃんは苛立って舌打ちした。

「デマって? まさか、結依のことじゃ……」

「それもあるわ。結依がGガールズのレッスンに紛れ込んで、あの子たちの創作ダンスを盗んだことにされてるの。ご丁寧に証拠写真つきでね」

 写真なんて心当たりがない。

もしかして、マーベラス芸能プロダクションでダンスを教わった時、練習生の誰かに隠し撮りされてた……?

あの子たちが私を見て、こそこそ話していたのを思い出す。

『他所の所属の子が、なんで? ユイ、だっけ』

『うちの新入りってわけじゃないよねえ』

 さらに井上さんは、恐ろしい事実を投下した。

「NOAHが今日発表する新曲も、マーベラスからの盗作だ、って流されたの。藤堂昶のブログに飛び火した勢いで、一気に広がって、向こうも対応に追われてるわ」

 視界がぐらりと揺れる。

いつの間にか私は椅子を蹴って、立ち竦んでいた。さっきまで緊張してたせいか、疑念や不安を頭の中で整理しきれず、黒い感情に飲まれそうになる。

「どうしてこんなことっ? これからみんなでコンサートなんですよ!」

「結依、ストップ! 気持ちはわかるけど」

 井上さんに詰め寄ろうとする私を、リカちゃんが後ろから押さえてくれた。

でもリカちゃんだって、肩を震わせるほど怒ってる。

「前々から計画してたのよ、そいつら。今日のコンサートを台無しにするつもりで」

 紛れもない妨害工作だった。本番の直前でバックダンサーが全員いなくなっただけでも一大事なのに、悪質なデマまでばらまかれてる。

予定通りに開演しないことで、お客さんのほうも不穏な騒ぎになってきた。

「デマなんて、鵜呑みにするひとばかりじゃないだろーけどさ……」

「そうとは言えないわよ、リカ。集団心理っていうのは嘘でも真実でも、一旦火がついたら、なかなか止まらないものなの」

 悔しがるリカちゃんを、杏さんが宥めようとする。けど……。

「マーベラスの子たちにしてみたら、NOAHの存在は面白くないのね。ドラマの配役だって、オーディションで落ちた子がいたはずだし」

「そ、そんなの――」

「勝手すぎます! 何なんですか、それ!」

 私より先に声を荒らげたのは、杏さんだった。鬼気迫る表情でまくしたてる。

「気に入らないのなら、直接言ってくればいいじゃないですか! こういう陰湿なの、わたし、大嫌いなんです。今どこにいるんですか? その子たちは!」

「落ち着きなさい。あの子らの行方は、矢内たちに探してもらってるところよ」

「……す、すみません。カッとなってしまって……」

 井上さんに諭され、杏さんは自覚したように怒気を鎮めた。

 マーベラス芸能プロの候補生にしてみれば、今回のお仕事は、格下のVCプロのお手伝いってことになる。しかも私は、彼女らと同じ駆け出しのくせに、観客動員数が二千人規模のコンサートでスタートを切ろうとしてるの。それが面白くないんだわ。

 井上さんは視線を落としつつ、私たちに言い聞かせた。

「余所の事務所からバックダンサーを引っ張ってきた、私のミスよ。……もう少し様子を見て、コンサートをどうするか決めましょう」

 楽屋のモニターには、どよめくお客さんたちの様子が映ってる。すでにデマは会場にも伝わっているらしく、動揺が蔓延してた。

 私は肩を落として、唇を噛む。

 ずっと前から、ずっと真剣に練習してきた子が、どうして?

 握りこぶしの中で、てのひらに爪が食い込んだ。悔しさでやりきれない。

 あの子たちだって、猛練習で身を粉にしていたはず。コーチに怒鳴られながらも、一途にダンスに取り組んでたの、私も知ってる。

 なのに、大切なステージを壊そうとするなんて。

練習の成果を見せなくていいの? ステージに立ちたくないの?

「大手の子って、異常にプライド高いからさぁ。前座扱いでプッツンした、とか?」

「今は彼女らの動機を議論してても、しょうがないわ。とにかく、あなたたちは、指示があるまで絶対に動かないこと。いいわね?」

 杏さんとリカちゃんは視線を交わし、無念そうに頷いた。

「そう……ですね。何だか保身みたいで、納得はできませんけど……」

「あたしらが出て行って弁解するのも、違うしね。余計にややこしくなりそう。こういうアクシデントって、関係なくても、やたら騒ぎ立てる連中いるでしょ」

私はステージ衣装をぎゅっと握り締める。

 この日のために、みんなで一生懸命練習してきたのに。

「コンサート……中止、なんですか?」

「それは最終手段よ。でもあんまり遅くなると、あなたたちは未成年だから、時間的に舞台に上がれなくなるし……進行の再編成は避けられない状況ね」

 コンサートは始まる前から台無し。

 今から私たちがステージに上がって、デマについて釈明したところで、イメージダウンは免れなかった。リカちゃんの言う通り、事態が悪化する恐れもある。

 しかし二千人ものお客さんが集まっていて、当初の開演時間はとっくに過ぎていた。黙ってやり過ごすなんて、あと十分も持たないわ。

 ふと井上さんが漏らす。

「また、こんなことになるなんて……ね」

 その言葉には歯がゆさが滲んでいた。

そうだ、井上さんは……怜美子さんのファーストコンサートで……。

私も当時のPVを探して、それを見つけた時、愕然とした。

 初めてのコンサートで怜美子さんは、気まずい舞台に置き去りにされて。今もそのPVはインターネットを介して流出し、笑いものにされてる。

『これは泣いてる』『お気の毒』『デビューライブだろ、歌えよ』って。

 けれども怜美子さんは逆境を乗り越え、輝かしいスターダムまで駆けあがった。

 私にも同じことができるわけない。でも、ここで矢面に立つことなく、安全地帯で危機をやり過ごしてなんかいたら、怜美子さんには一生追いつけないから。

「井上さん。私、ステージに出ます」

 私は決意を込め、井上さんをまっすぐに見詰めた。

 井上さんが困った表情で、私を諫める。

「だめよ。出たい気持ちはわかるけど……お願いだから待って」

 けど何と言われたって、退きたくなかった。

「私ひとりでもいいんです。事務所のみんなにここまで支えてもらって、藤堂さんに作曲してもらって、杏さんの先生に歌を見てもらったりして。それに、これじゃ……」

 私の口から、あのひとの名が飛び出す。

「歌詞を書いてくれた怜美子さんに、会わせる顔がありませんから」

 井上さんの顔に驚きが走った。

「……知っていたのね、あの事件のこと」

 杏さんとリカちゃんは首を傾げ、目を白黒させてる。

「あれを書いたのが、観音さん?」

「事件って、声優時代のアレかな。あんまよく知らないんだけど」

 私は井上さんを見上げ、問いただした。

「根も葉もないデマなんて、無視して、やっちゃえばいいんです。関係ありません」

 井上さんはきっと、アクシデントに見舞われたステージが怖いんだと思う。だから、いつもの大胆な指揮はなりを潜め、守りに入ってしまってる。

「でも、あなたまで……」

 井上さんは言い渋り、許可を出そうとはしなかった。

 すると杏さんが私の右腕にしがみつく。左腕にはリカちゃんも。

「わたしも一緒に出るわよ。リーダーひとりで立たせるわけないでしょう?」

「あたしも同感。コンサートはコンサートで、やっちゃえばいいじゃん」

 私たちの真剣なまなざしが、ひとつに重なる。

 深い溜息のあと、井上さんはどことなく嬉しそうな苦笑を浮かべた。

「……わかったわ。行ってきなさい、結依、杏、リカ」

「ありがとうございます! ……行こう、杏さん、リカちゃん!」

 私たちは三人一緒に楽屋を飛び出す。

 ここまで来たんだもん、やるしかなかったし、やりたかった。通路を走りながら、リカちゃんが覚悟の決まった表情で、私と杏さんに念を押す。

「めちゃめちゃ冷え込んでるわよ、きっと。トークなんかしてる余裕ないと思う」

「なら、初っ端から『あの曲』で行きましょう。二時間繋ぐことはいいから、とにかく盛りあげる方向で」

杏さんの顔つきも引き締まっていた。

 デマで盗作が疑われてる新曲『Rising Dance』こそ、私たちの切り札。

 私は瞳に熱いものを宿しつつ、ステージに急ぐ。

 玲美子さんのステージに偶然放り込まれた時は、ろくに踊れなかったのに、全然悔しくなかった。けど、今はあの時とは違う。私は自分の意志でステージに向かってる。

純粋で貪欲な欲求のために。そこにある快感を求めて。

 

 

 空は群青色に染まりつつあった。オレンジ色の夕日は街並みの西に沈んでる。

 ステージはまだライトアップされておらず、大型スクリーンも電源が落ちていた。二千人分の客席のほうも、照明が少なく、お客さんの顔までは見えない。

 舞台の裏に私たちがまわりこんだことには、誰も気付いてないみたいね。

「いつまで待たせんだろーなあ。なんで始まらないんだ?」

「なんかNOAHの、新曲? 盗作だったって、ニュースになってんだけど……」

 会場の空気は疑惑や不満で淀みきっていた。

 リハーサルの時も驚いたけど、高校のグラウンドの二倍は広い。でも怜美子さんのライブよりは……と比較対象を想像しても、緊張は鎮まらなかった。

 バックダンサーがいないため、ステージ自体も広く感じる。おかげで脚が震えた。

 固くなってる私の肩を、杏さんが叩く。

「大丈夫よ、結依。わたしとリカも一緒なんだし」

「あたしたちが上がったら、すぐ曲、流してくれるってさ」

 リカちゃんは現場のスタッフと、出だしの段取りだけ決めてくれた。

 私は声を潜め、ふたりに詫びる。

「杏さん、リカちゃん、ありがと。それから……ごめん」

 井上さんの判断を根拠もなしに拒否して、出てきちゃったんだもの。素人に近い私の独断のほうが、きっと間違ってて、杏さんやリカちゃんを巻き込もうとしてる。

 杏さんもリカちゃんも勝気に笑った。

「謝るのはなしよ? ふふっ、わたしとあなたの仲じゃないの」

「なーんか意味深な言いまわしね……まっ、結依にだけ、いいカッコさせらんないし」

 頼もしい存在感が私の不安を和らげ、勇気づけてくれる。

今さら謝罪するなんて、水臭かったかな。

「練習通りにすればいいのよ」

「杏ってば、わかってないんだから。ねえ、結依?」

 私は強く頷いて、ステージに上がる。

「練習より上手にやろうね、ふたりとも!」

 薄暗いステージの中央で、私たちのシルエットが背中合わせに並んだ。その気配に気付いたらしいお客さんが押し黙り、やがて会場の全体が静まり返っていく。

 開演を報せるアナウンスはなかった。お客さんの反応は薄い。

「え、ほんとに始まるの?」

「メンバーはもう割れてんだけどなあ」

 スポットライトが闇を突き抜け、ステージを眩しいほどに照らした。舞台の四つ角で勢いよく煙が噴くと、後方のスクリーンに鮮明な映像が浮かびあがる。

 私たちのステージは、あたかもデコレーションされた特大のオルゴールのように、輝きを放った。スポットライトが熱くて、目が眩みそう。

 私は右手をかざし、カウントダウンに入った。

『いくよ! ワン、ツー、スリー、Rising Dance!』

 音の波が一斉にステージへと打ち寄せる。

 イントロが流れるとともに、足が自然にリズムを踏んだ。鼓動がビートを奏でる。

 高らかな歌声が響き渡った。

  冷えきった闇の中で 私のパトスが飢えていた

私のソロで始まったのを、杏さんが受け、ダンスの流れで前に出る。

   身体じゅうを巡る 生きてる証

 杏さんの美声は存在感を一際強め、メロディの抑揚を引き立てた。生き生きとした感情の機微が、歌詞という形を成しつつ、みんなに伝わっていく。

   その熱さを伝えたくて 暗闇をかき分けた

 あとから俄かに込みあげてきたのは、リカちゃんの切なさだった。指の先まで使って、全身に熱がまわるのを描く。

 さらに杏さんとリカちゃんの歌声が合わさって、旋律に弾みをつけた。

   目が眩むような光の波 私は飲まれてひとつになる

私も声をあげ、ふたりと情熱を溶け合わせる。

 間奏に入ると、スポットライトがメビウスの輪を描いた。いつしか観客席はサイリウムで埋め尽くされ、七色の光を波打たせてる。

 もう練習通りになんてできなかった。羽目を外して宙返りを決めたのは、私。

   いくらだって踊るわ 月よりも綺麗に、偉そうに

 杏さんは息継ぎなしに歌声を響かせて。

リカちゃんは演技じゃないかもしれない嗚咽を、歌声に織り込む。

 私たちも、お客さんも、全員でボルテージを高めた。興奮は最高潮に達し、ちゃんと息ができてるかどうかもわからない。

 光、音、熱。そのすべてが、ひとつの曲となって拍動した。

 みんなが叫ぶ。

   Rising Dance!

 杏さんが叫ぶ。

   Rising Dance!

リカちゃんが叫ぶ。

   Rising Dance!

 そして私が全力で叫ぶ。

   Rising Dance!

 サビを連発しながら、私たちのコンサートは夜空まで響いた。ドライアイスを噴き出すくらいじゃ、この熱気は鎮まらない。がむしゃらに歌って、踊って、夢中になる。 

 肺の中の空気を出し尽くして、やっとメロディが終わった。私も、杏さんも、リカちゃんも、一緒に息を切らせつつ、笑みを浮かべる。

 会場で一斉に声援があがった。大音量の拍手が巻き起こる。

「はあっ、はあ……杏さん! リカちゃん!」

「舞台の上よ、ふうっ、結依」

「いきなり飛ばしすぎたかも……でも、サイコー!」

 私を中心にして、杏さんとリカちゃんも手を振り、熱い声援に応えた。リカちゃんが得意げにピースを決めると、杏さんも恥ずかしそうにピースしちゃう。

 私の瞳にじわりと涙が滲んだ。

 ついに、やったんだもの。たった一曲だけど、最後まで歌って、踊りきった。

 みんなの興奮も冷めやらず、アンコールの声があがってる。

 アンコール! アンコール! アンコール!

 勝気な笑みを弾ませながら、私たちはひとりずつマイクを握った。

 ところが……ここから先の段取りは、決まってない。

『ほらほら、リーダー。挨拶しなきゃ』

『あっ、私? えーと……あ、杏さん! お願いしますっ!』

『ちょっと、ちょっと! 混乱しないでったら』

 出だしからグダってしまった。

 さっき全力で歌いきったせいか、気が抜けちゃって。頭の中が真っ白。それでも杏さんやリカちゃんのフォローのおかげで、繋いでいられる。

『前から思ってたんだけど、結依、わたしに敬語はいらないでしょう?』

『えええっ? 杏さん、今ここで言うことですか?』

『杏だけ年上で、仲間外れだもんねー。結依、可哀相だからさぁ』

 まだまだ私、舞台に慣れてない。

 

 

 コンサートは大盛況のうちに幕を閉じた。まさか私の紹介で、玲美子さんのライブの未公開映像が流されちゃうとは思わなかったけど……うん、私が転んだやつ。

 ライブの直後に先行販売された『Rising Dance』のシングルは、綺麗に完売してくれた。スタッフは片付け作業に入ってる。

 私たちはステージ衣装のまま、楽屋でひと休みすることに。せっかくのステージ衣装を着替えるのが、何だかもったいなくて。

「いつまでぼーっとしてんの? 聞こえてる? 終わったんだってば」

「へ? ……あ、うん。終わっちゃったんだっけ……」

 リカちゃんに正面で手を振られ、私はうわごとのように呟いた。

 ステージを降りてから、放心しちゃって、ずっとこんな調子なの。それだけ達成感に酔いしれてるんだと思う。

 よくステージで立ってられたなあ、私……。

 熱めのお茶を飲んで、やっと気持ちが落ち着いてきた。

「途中で電池切れちゃったみたいで、ごめんね」

「いいって。あたしもミス多かったし。杏はさすが、安定してたけど」

ポジティブなリカちゃんが笑い飛ばす。

 杏さんは苦そうにはにかんだ。

「安定だなんて……結依とリカが引っ張ってくれたおかげだし」

「ううん。『湖の瑠璃』のソロパートとか、すごくよかったですよ、杏さん」

 談笑していると、井上さんが楽屋に入ってくる。

 井上さんは興奮気味に私たちを労ってくれた。

「お疲れ様! 本当によくやったわ、あなたたち。見事にコンサートを支配したわね」

 支配だなんて、大袈裟だわ。ただ、確かに最初の一曲で主導権を掴めた。

 リカちゃんが人差し指を向け、井上さんを挑発する。

「だからさぁ、社長、デマなんか気にしないで、やっちゃえばよかったんだって」

「まったくだわ。最初からあなたたちの実力を信じていれば……」

 杏さんは安堵の息をついた。

「あの空気で陳腐なダンス披露してたら、盗作って認めるようなものでしたし。井上さんが尻込みするのも、仕方なかったと思います」

 藤堂さんが作曲し、怜美子さんが作詞してくれた『Rising Dance』は、私たちのためのもの。それを実力で証明できたのが嬉しい。

 けど、ひとつ気がかりなことも残ってた。

「あの……井上さん、Gガールズは?」

「そっちは矢内たちが見つけてくれたわ。一応、反省はしてるみたいね」

 井上さんがやれやれと肩を竦める。

「まぁ大きな損害が出たわけじゃないし、マーベラスと揉めるつもりもないから。あとはマーベラスがペナルティを課すなり、やるでしょう」

 私たちNOAHの三人は、複雑な表情で視線を交わした。

バックダンサーも一緒にステージに立てなかったのが、心残りで……。

「あなたたちが気にすることじゃないわよ。さて、ドラマも二期が決まったし、これから忙しくなるんだから。そろそろ着替えなさい」

 井上さんは踵を返し、楽屋を出て行った。

「待ってください、井上さん」

 聞きたいことがあって、私はひとりで追いかける。

「なあに? 結依」

「前から気になってたんですけど……怜美子さんのライブに井上さんがいて、私を勧誘してくれたの、どうしてなんですか?」

「いきなりね」

 井上さんは振り向き、廊下の壁際にもたれた。

「前から杏とリカのユニットは決めてたのよ。でも、ダンスの上手い子も入れたいって構想に諦めがつかなくて……怜美子のコネで、舞台裏を覗かせてもらっていたわけ」

「それで私、ですか?」

「ええ。すごく面白い子が出てきたんだもの」

 私に『面白い』自覚はないんだけど。

 井上さんがほくそ笑む。

「普通の子なら固まっちゃうような場面なのに、平然と踊ってるのには驚いたわ。バックダンサーの遅刻ひとつでバタバタしてる時は、帰ろうかと思ったけどね」

 あの日、いくつかの偶然が重なって、私は井上さんの目に留まった。私は無所属の素人だったから、勧誘しやすかったんだろうな。

 おかげで御前結依は今、ここにいて、ステージに立つ快感を噛み締めてる。

「……っと、仕事しなくちゃ。また明日、事務所でね」

「はいっ! よろしくお願いします」

 多忙な井上さんに一礼してから、私は駆け足で楽屋に戻った。

 杏さんとリカちゃんは何やら楽しそうな雰囲気で、今後の活動を話しあってる。

「あたしも持ち歌欲しいな~。結依も杏も、ずーるーいー」

「次はリカの番でしょうね。社長のことだし、もう進めてるんじゃないかしら」

「やっぱし? コンサート終わってんのに、なんか漲ってきたかも」

 きっと未来のオペラ歌手と、映画女優。

目標は違っていても、私も今は同じものを見ているつもり。

「杏さん、リカちゃん、これからもよろしくね」

 私が微笑みかけると、ふたりの顔にも笑みが弾んだ。

「もちろんよ。今日のコンサートは、NOAHのスタートに過ぎないもの」

「あたしにとってもスタートかな。子役時代とは違うってとこ、見せてかないと」

 杏さんもリカちゃんも意気込みに満ちてる。

今日の記念を形にしたくなった。記念撮影しなきゃ、でしょ?

「着替える前に写真、撮りませんか?」

「いいわね。どこで撮る? 外は寒いでしょうし……」

「矢内さん呼ぼ。誰かに撮ってもらわないとさぁ」

 ありがとう、杏さん。

 ありがとう、リカちゃん。

 これからも一緒に頑張ろうね!

 

 

 

   エピローグ

 

 

 VCプロのいつもの客間で、私は二次関数の難問に苦戦してた。

「えーと……ここに線を引くの?」

「それをX軸と交差するまで、伸ばして」

 名門女子高の杏さんがいなかったら、途方に暮れてたに違いない。今度の学年末試験に向け、勉強を教えてもらってる。

 何しろコンサートの練習に没頭してて、学業から遠ざかっていたもので……。しかも先生が『年度中に教科書の最後まで』と急いだせいで、試験範囲は膨大だった。

「やっと解けた……っと、杏さんは試験勉強、いいんですか?」

 一問解くごとに辟易して、話題を変えたくもなる。

「わたしは問題ないわ。できるだけ授業中に消化してるし」

「ずるいですよ、そんなの!」

「ずるいって言われても……ねぇ」

 優等生の余裕が羨ましい。

 アイドルになったら学業どころじゃないなんて、単なる都市伝説だったわ。私、御前結依は先月のコンサートで芸能界デビューを果たしたものの、高校生活に変わりなし。

 でも学校が柔軟に対応してくれるようになって、助かってる。

「うぅ~。まだ数学の範囲がこんなに……」

「休憩にしましょうか。結依、今日もハードだったんでしょう?」

 私の集中力が切れ掛かっているのを察し、杏さんが手を止めてくれた。

 ハードも、ハード。オーディションの結果、怜美子さんの次のコンサートで、正式にバックダンサーに加わることになって。放課後になったら、マーベラス芸能プロダクションに直行し、ダンスの猛特訓なんだもの。

「マーベラスの子たちとは、上手くやってるの? 大丈夫?」

「友達もできましたよ。こないだの件で、毒気の強い子は抜けたみたいで」

 件のボイコット班は前々から空気を悪くしてたらしい。今では風通しもよくなり、また訳あって、私は歓迎されていた。

 怜美子さん、最優先で私をターゲットにするから。

「いっちばん毒気が強いひとは、ずっといるんですけどね。はあ……」

「気に入られちゃったみたいね。まあ、胸を借りると思って」

 どたどたと駆け足が近づいてきた。

「じゃーん! 結依、杏! 見て見て~!」

 リカちゃんが勢いよく扉を開け、突風みたいに舞い込んでくる。

 いつもはファッショナブルなリカちゃんが、今日はセーラー服をまとってた。上機嫌にターンして、清楚なコバルトブルーを見せびらかす。

「やっと制服、届いたの。スカート丈って、こんくらいでいいかなぁ」

「リカちゃん……どうしてうちの高校の制服、着てるの?」

 リカちゃんが目を点にした。

「あれ、言ってなかった? あたし、二年からそっちに編入するんだってば」

 私と杏さんは驚いて、ほとんど同時に立ちあがる。

「あ、あれって本気だったの?」

「社長の許可は取ったんでしょうね?」

 リカちゃんはしれっと髪をかきあげ、井上さんの口調を真似た。

「社長なら『あなたの好きにしていいわよ』って」

 春から私と同じ高校に通う気、満々。

私としては大歓迎! リカちゃんと一緒なら、ますます楽しくなりそう。

「まったくもう……学校は勉強しに行くところなのよ?」

 杏さんは諦め顔になって、溜息をつく。

 だけど、ひとつ疑問があった。だって、リカちゃんが勉強してるところって……。

「……リカちゃん、編入試験は?」

「試験? 全然わかんなかったけど、おっきくサインしたら、通ったー」

 答えはけろっと返ってきた。

優等生を地で行く杏さんが、憤慨して机を叩く。

「ちょっと! それって、裏口入学みたいなものじゃないの!」

「でも勉強とか、めんどいだけだし~」

「学校に行く以上、勉強しなさい! 聞いてるの?」

 だけどお説教が始まったところで、リカちゃんはあくびを噛むだけ。

「結依~、一緒に修学旅行で遊ぼーねっ」

「こら! 待ちなさいったら!」

 ぎゃあぎゃあと喚きつつ、リカちゃんに続いて、杏さんも部屋を出てった。

「杏さ~ん! リカちゃ~ん! ……はあ、行っちゃったか」

 試験勉強中だった私は置いてきぼり。

 センターの私は杏さんほど成績がよくないし、かといって、リカちゃんほど大胆に割りきることもできなかった。糖分の足らないノーミソで、数学の続きに挑む。

「栄養補給ぅ……そだ、ちょっとだけ」

 手の届くところには、NOAH宛てのファンレターが積んであった。エネルギーを充填したくて、期待を胸に、一枚ずつ広げていく。

『杏ちゃんの歌声って、すごくキレイ! 学校でも家でも聴いてます』

『リカちゃんと同じ髪型にしちゃいました! 可愛いって評判!』

 けれども内訳は、杏、リカ、杏、リカ、リカ、杏、リカ、杏、リカ、杏、杏、杏、リカ、リカ、リカ……あ、あれ? 私宛てのは、どこ?

NOAHってデュオだっけ?

いやいや、結依ちゃん宛ても……あった、あった!

 ペンネーム『MiMi』さんからのお手紙に、ちゃんと書いてある。

『いつセンター変わるの? 結依ちゃ~ん』

 女王様の一言に、私の心がダウン。

 糖分もエネルギーも尽き果てた。私は数式に埋もれ、ぐうっとお腹を鳴らす。

「……お腹空いた~。肉まんとかタイヤキ食べたい。あんこのやつ~!」

 御前結依のファンクラブ、地道に会員募集中。

 

 

 

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