妖精さんはメイワクリエイター

第1話

 

 

プロローグ

 

 

 父親に『遊んでいなさい』と言いつけられ、少年は胸を張った。

「おまかせください! ぼくがこの子に、おにわをあんないしてやります」

 今日の客人には、少年と同い年くらいの娘がいる。大人同士の会合のため、子どもたちは体よく追い出されてしまった。

 両親と離れたせいで、少女は不安を募らせる。

「……どこにいくの?」

「だから、おにわにでるんだ。ついてこい」

 さっきまでの神童ぶりはどこへやら、少年は少女の手を引きながら、拗ねた。

「おとーさまもおかーさまも、ぼくをこどもだとおもって……。あいさつだけさせて、あとはあそんでろって、なんのためによんだんだよ?」

 口達者なようで言葉遣いはたどたどしく、よく聞き取れないが、不愉快な気持ちは充分に伝わってくる。あまり刺激したくなくて、少女は怯え腰になっていた。

「おまえのほうがいっこ上ってのも、きにいらないぞ。シャーロット、だっけ?」

「う、うん。えぇと、あなたは……」

「じこしょうかいなら、してやっただろ? わすれたのか?」

 少年がまた怒り出す。

 しかし庭園に出て、少女は彼の機嫌どころではなくなってしまった。一面に咲くほどの花の世界に見惚れ、心を奪われる。

 真っ赤なカーネーション、可愛いスズラン、お日様色のマリーゴールド。

「わあ、きれい!」

 つぶらな瞳が輝いて、あどけない顔つきは歓喜に満ちた。

 さして花に興味がない少年でも、得意になる。

「ぼくがつれてきてやったんだからな。ありがたく……って、きいてないな、おまえ」

 幼き日の出会い。

 それから十二年の月日が流れ――

 

「オープニングはこんな感じね、うん」

 稀代のクリエイター(自称)は新作のプロットに手応えを感じた。とはいえまだ不満も多く、修正を加えるかどうかで悩む。

「あーでも、このキャラがメインみたいになっちゃうかあ。ほかのルートに入ったら、損な役まわりになるっていう? 横恋慕させるのはイメージ悪いし……」

 開かれたノートは、汚い文字でメモだらけ。一方で、練習しまくったらしいサインだけは、流麗に決まっていた。

 フェアリーダイスのメインシナリオライター、チェルシー。

「あ~あ。ダメだわ、今夜は」

 名案は思い浮かばず、ノートの上でペンが転がる。

 天才クリエイター(あくまで自称)は本物の羽根を休めつつ、何気なしに呟いた。

「……シャルのやつ、元気にしてんのかしら?」

 コーヒーは無言で湯気を立てている。

 時計の針の音はだんだん羊の数え歌となって、彼女をうたた寝に誘った。

 

 

第1話

 

 

 南は海に面し、北には雪色の山が連なる。

西はいくつもの国家が群雄割拠を成しており、東は無限の草原が広がってた。

 その中央に位置しているのが、あたしたちのグナン王国。大陸地図の上では、決して強大ではない、でも由緒ある小国家として安定期を迎えていた。

 風が南から北へと吹く時期は『夏』で、北から南へと吹く時期は『冬』になる。春と秋に当たるものは短くって、夏と冬が交互にやってくるのが、グナン王国の気候だった。

 今は夏。北の山脈に見える雪も少ない。

「冬のほうが好きだわ。あたし」

「ぼやいてないで、礼拝堂のお掃除! お願いね、シャル」

 小柄なお母さんは寝転がって、今日も気ままに小説を読んでた。最近は『月夜の寵姫~愛に濡れて~』とかいうエッチなシリーズにハマってるみたいで、新刊が出たら、買いに走らされるに違いない。

「たまにはお母さんがやってよ、もう」

「ママはお夕飯の支度があるから、忙しいの」

 お昼の二時過ぎ。お母さんのいつものダラけ癖に、あたしは溜息を漏らす。

 はあ……お母さんったら、お父さんが留守だと、これだから。

 ひとりで礼拝堂の掃除をする羽目になってしまった。

あたしの家は、もとは教会だった建物を改築し、できてるの。グナン王国から撤退していった、なんとかって教団の施設だったらしいわ。

 教団のシンボルは撤去され、鳴ることのない鐘だけが残ってる。

 あたし、シャーロット=アヴリーヌは、かれこれ十八年ここに住んでいた。シャーロットと名前で呼ばれることもあるけど、お母さんたちは『シャル』って呼ぶ。

「お父さんが帰ってくるの、明後日だったかしら……」

 あたしは箒や雑巾を持って、礼拝堂のお掃除を始めた。左右に七列ずつある長椅子を、前から順に拭いていく。

 この礼拝堂、雰囲気だけは立派だった。日中は日差しがステンドグラスを通過して、抽象画のような魔方陣を浮かびあがらせるの。

「こっちよ、こっち!」

 すぐ外で子どもたちがはしゃいでても、中は静けさに満ちていた。単純な音の有無じゃない、静謐な気配が立ち込めてる。

 天使なんかが出てきても、不思議じゃないかもね。

「ちょっと、ちょっと! アタシの声が聞こえてないわけ?」

 どこからともなく女の子の声がした。かなり近くにいる、でも誰もいない。

「おっかしいなあ~。テレパシーに言語の差異はあんま関係ないはずなのに……」

 あたしは右を見て、左を見て、後ろも確認した。

「……誰? どこにいるの?」

「あっ、やっぱ聞こえてんじゃない。下よ、下。水色の縞々ちゃん」

 下着の柄を言い当てられ、どきりとする。

 スカートを押さえつつ、あたしは慎重に足元を見下ろした。

そこで『小さな女の子』を見つける。……いや、年端もいかない幼子、じゃなくて。背丈が十五センチくらいの、ミニサイズの女の子と目が合っちゃったの。

「やっほー、はじめまして」

「……は、はじめ……まして……?」

 あたし、きょとんとして、無意識のうちに答えてた。

 彼女が蜻蛉みたいな羽根を伸ばし、あたしの目線まで上昇してくる。その軌道にきらきらと黄金色の光が散った。小さな身体の、さらに小さな瞳が、あたしを見詰める。

「うーん……あなた、割と普通の子っしょ?」

 ど、どのへんを『普通』って言ってるのかしら?

 普通かそうじゃないかで言ったら、あたしは普通に決まってた。身長がたったの十五センチなんてこともなければ、羽根が生えてるわけでもない。

 けど、あたしから見た彼女は、明らかに『普通』ではなかった。

ピンク色の髪はふたつのおさげにして、毛先を外巻きにしてる。肌は白いなりに健康的な艶があった。若草色のドレスもミニサイズで、凝った作りになってる。

「あなた、お人形さんなの?」

「違う、違う。アタシはまあ、妖精ってやつぅ?」

 妖精さん(仮)はひらひらと宙を舞って、あたしの視線を引きつけた。ひっくり返った拍子にカボチャパンツ……じゃない、ドロワーズが見えちゃう。

「アタシはチェルシーっての。あんたは?」

「シャーロット=アヴリーヌ……」

 あたしは唖然として、目をぱちくりさせるばかり。お掃除の最中だったことも忘れて、立ち尽くす。それでも、自己紹介するくらいの余裕はあったみたい。

「……シャーベット?」

「シャー、ロッ、ト。えぇと、『シャル』でいいから……」

「ふぅん。シャル、ね。憶えた」

 あたしの持ってる箒の上に、妖精さんが留まった。

「ここは喜ぶとこよ? アタシはね、あんたの恋を叶えてあげるために来たの」

「……へ?」

「そうそう! 恋の妖精チェルシーにお任せ!」

 珍客との出会い。それは恋の始まりじゃなくって、はた迷惑なトラブルの始まりだってこと、あたしは薄々予感していた。

 

 お母さんとお夕飯を済ませてから、忍び足でお部屋に戻る。

 あたしが持ってきた卵焼きを、チェルシーは丸ごとぺろりと平らげた。今は机の上で寝っ転がって、お腹をさすってる。

「ふぅ~、ごちそーさま。こういう家庭の味ってのも、悪くないわね」

 妖精がいること、お母さんにはまだ話してなかった。あたし自身、何が何やらわかってないから、説明のしようがないんだもの。

「なぁに? シャル、まだ飲み込めてないわけ?」

「う、うん……」

 チェルシーはうつ伏せになって、気怠そうに頬杖をついた。

 おとぎ話に出てくる妖精って、もっとこう……清純なイメージなんだけど、チェルシーには当てはまらない。お母さんみたいにだらだらと満腹感に浸ってる。

「しょうがないわね。もっかい一から説明してあげるわ」

「……はあ」

「アタシはフェアリーダイスっていうゲームメー……あーもう、妖精の国でいっか。そこでゲーム作ってんのよ、ゲーム」

「……うん???」

 二度目の説明でも、あたしは同じところできょとんとした。

 彼女の作ってる『ゲーム』っていうのが、まったく想像できないの。ババ抜きやブラックジャックならわかるけど……。

「乙女ゲーム。そんでアタシは、メインシナリライターをやってるわけ」

 シナリオというからには、物語があるってことよね。

お話を読み進めながら、素敵な男の子たちと恋愛する。それが乙女ゲームらしいわ。

プレイヤー(?)はお目当ての美男子(?)を攻略(?)して、エンディング(?)を迎える。あたしにとっては疑問符が多すぎた。

「次の新作はねー、普通の女の子が、王子様や大富豪に口説かれちゃうってお話を考えてんの。でさ、どうせなら実際にやってみて、ヒロインの反応を研究しようかなって」

「……ヒロイン?」

 戸惑うばかりのあたしに、チェルシーが『要するに』と念を押す。

「難しく考えなくていいってば。新作の製作に向けて、取材に来たってことだけ、理解してもらえればオッケーだから」

結局、何のことやらさっぱりだった。

とりあえずチェルシーに悪意はないみたい。こんな夜中に追い出すのも忍びないから、今夜くらいは、お部屋で匿ってあげることにする。

「期待しててよ、シャル? 最高の出会いをプレゼントしてあげる。にひひ……」

 妖精さんの不敵な笑みは、あたしを大いに不安にさせた。

 

 

 翌朝は快晴のもと、バスケットを持ってお出かけ。

 グナン王国の首都グナンパレスは、長い夏を迎えつつあった。みんながコートを脱ぎ、近所の女の子は嬉しそうに新品の麦わら帽子をかぶってる。

「シャルおねえちゃん、みて! あたらしいの、かってもらったの」

「前のは破れちゃったものね。似合ってるわよ」

 公園の一角では、子どもたちが育ててるヒマワリが、順調に背を伸ばしていた。

 バスケットの中からチェルシーがこそっと顔を出す。

「ちょっと、見つかっちゃうってば」

「だいじょぶ、だいじょぶ。それより、今は春だと思ってたんだけど……」

「グナンには夏と冬しかないの。季節風がなんとかって……ほら、あっちのほう、山の上には雪が残ってるでしょ」

 グナン王国での常識を、この妖精さんはまるで知らなかった。花柄のハンカチで小さな身体を隠しつつ、興味津々にあたりを見まわしてる。

「じゃあ、春の花は咲かないわけ?」

「そうでもないわよ、育て方次第で。お城の庭園なんて本当にすごいんだから」

 海のほうから吹く風は暖かい。今日のあたしは赤いワンピースに薄手のケープを重ね、半年ぶりとなるミュールを履いていた。装いも新たに、夏の到来を実感する。

「シャル、今日は友達に会いに行くんだっけ?」

「うん。帰りはお夕飯の買い出しも、ね」

「お肉! 今夜はお肉にしてよ」

「まだうちにいる気なの? 別に構わないけど……」

 居候の意見も参考にしながら、あたしは先に本屋さんに寄った。お母さんから小説の新刊を買ってきてって、頼まれてるの。

 お店の中でもチェルシーは頭を引っ込めなかった。

「あ。それ、面白そう」

「ちょっとエッチなやつよ? このシリーズ」

 堂々としていれば、案外大丈夫みたいね。

「なーんだ、シャルも読んでんじゃん」

「だ、だから、途中までしか読めなかったんだってば!」

 傍目にはあたしの独り言になってしまって、注目されたりもするけど。お母さんの分の買い物だけ済ませたら、早々に書店を出る。

 バスケットの中で、チェルシーは『うーん』と腕組みした。

「さっきの店員は五十点くらいね」

「カイトさんが? 点数なんてつけるの、失礼でしょ」

 この妖精さん、道行く男性を片っ端からチェックしてるの。酷い時は二十や三十なんていう数字を、臆面もなく言ってのけるものだから、あたしは呆れてしまった。

「やっぱ最低でも二百点くらいはないとね~。まあ見てなさいって。このアタシがシャルを、絶世の美男子とお近づきにさせてあげるから」

 チェルシーの笑顔は自信に満ちてる。

「ほんとにやるの、チェルシー? あんまり興味ないんだけど……」

「うっそ、本気で言ってんの? 美男子に愛されたいとか、思わないわけ?」

 昨夜からずっとこの調子で、あたしの意志とは平行線だった。

「恋の妖精に応援してもらえるなんて、超ラッキーっしょ? 大船に乗ったつもりでさ。あー、好みのタイプがあるなら、今のうちに教えといて。クールとか、ツンデレとか」

「……詰んでる?」

 チェルシーとは時々、言葉も通じない。

「まずは大金持ちから行ってみよっか! いっぱいドレス買わせて、綺麗になんの。それからじっくりと本命を決めてけば、いいじゃん?」

「とんでもない悪女じゃないの……」

 大通り沿いを歩いてると、向こうから一台の馬車が近づいてきた。馬は毛並みのよいサラブレッドで、籠にはユニコーンの家紋もあり、一目で大富豪の自家用だとわかる。

「ほら、あれくらいの」

 チェルシーも目を留めた、その豪勢な馬車が、あたしの傍で停まった。御者がいそいそと籠を開け、若き伯爵様を丁重に降ろす。

「やあ、シャーロット。こんな朝から奇遇だね」

「ランディ! 相変わらず忙しそうね」

 気心の知れた友人の登場に、あたしは笑みを弾ませた。

 彼はアシュフォード伯爵家の若き当主にして、王国きっての豪商でもある、ランディ=アシュフォード。今年で二十三歳になるんだったかしら?

 夏物とはいえ、ファーのついたマントを肩に掛けてる。紳士服には金糸で細やかな刺繍が施され、貫録と気品を醸し出していた。

「商売は忙しいうちが華だと、部下にも言ってるからねえ。自分だけ昼から仕事、というわけにもいかないさ」

「いつでもお手伝いするわよ。こっちは、お母さんの世話してるだけだから」

「はははっ。ナターシャはまだ寝てるのかい?」

 髪は女性のように長く、流麗なウェーブが掛かってる。

 顔立ちは二十代の前半らしく整ってて、綺麗なだけでなく色気もあった。艶を秘めた瞳が、あたしの顔を溶かすように映し込む。

「お父上がお帰りになったら、会いに行くよ。それじゃ、シャーロット」

「無理はしないでね、ランディ」

 ランディは気さくに手を振ってから、籠の中へと戻っていった。

間もなく御者の鞭が入って、馬車が走り出す。

裕福な貴族でありながら、日々のビジネスに精を出すランディのこと、あたしはとても尊敬してた。大抵の貴族は公務を除いて、無為に時間を持て余してるんだもの。

あたしも負けてられないかもね。

ところが妖精さんは馬車を見送りながら、急に拗ねた。

「ちょっと、ちょっとぉ? 今の誰よ、なんでシャル、あんな優良物件と仲いいの?」

「物件って……ランディは、あたしがちっちゃい頃、よく遊んでくれたお兄さんなのよ。ピアノを教えてくれたり、お茶をご馳走してくれたりして……」

「き、聞ーてないわよ、そんなの!」

 チェルシーがバスケットから飛び出し、癇癪を起こす。

「手頃な美男子から紹介してあげるつもりだったのに、もうあんな三百点レベルのSレアと知り合いだなんてぇ! これじゃあ、恋の妖精の立場がないっしょ?」

「ランディとはそういう関係じゃないってば……」

「もうっ、もう! おぼこか、あんたは!」

 恋のキューピッドとしては、あたしに素敵な出会いを提供して、驚かせたかったみたい。だけどランディを越えるほどの『物件』とは、もう出会えそうになかった。

 美貌と商才を併せ持った、麗しの伯爵様なんだもの、ランディは。

 それでもチェルシーはめげなかった。小さな身体を張り、前向きに気を取りなおす。

「ま……まあいいわ。次よ、次。今度はそうね……アウトローな路線はどう? 危険なのはわかってるのに、惹かれちゃうっていう。これよ、これ!」

 ひとりで盛りあがる妖精さんを、あたしは冷静にバスケットへと放り込んだ。

「外なんだから、我慢して」

「ひっひっひ……いいわよ? びっくりさせてあげるからね、シャル」

 すっかり息巻いてるものだから、こっちは溜息も出ちゃう。

 だけどあたし、今度は予感した。またチェルシーを出し抜いてしまう気がするの。

 グナンパレスの西区では、一部に諸外国の関与もあって、色んな勢力が縄張りを競い合ってる。あたしの実家となってる礼拝堂も、もとはその手の組織の拠点だった。

もちろん、王国は常に監視の目を光らせてるけど。

 西通りに出ると、華やかなお店が多くなった。ブティックや靴屋には、この夏の新作が展示されてる。何より料理店の多様さに、食いしん坊は目を見張った。

「うっわ~、いいにおい! シャル、入らないの?」

「お父さんが帰ってきたら、ね」

「アタシも、アタシも! いいっしょ?」

「どうやって入店するのよ、あなた? そもそもあなた、お母さんにも内緒なのに」

 色気より食い気らしい妖精さんとおしゃべりがてら、目的のお店を目指す。

 あたしが足を止めたのは、豪奢なカジノの前だった。チェルシーが呆気に取られ、あんぐりと口を開く。

「……もしかして、ここで働いてんの? シャルって意外に……」

「お手伝いくらいなら、したことあるわよ。裏方だけどね」

午前中は閉まってるため、あたしたちは従業員用の裏口へとまわった。

 中に入ると、黒ずくめのガードマンに阻まれる。でもあたしがシャーロット=アヴリーヌだってわかると、お辞儀までして、快く通してくれた。

「ようこそ、シャーロット様」

「オリエガはもう起きてるかしら?」

「はい、先ほどお目覚めになりましたよ。いつものお部屋にいらっしゃいます」

 妖精さんは隠れるのも忘れて、目を点にしたまま固まってる。これならお人形さんってことで誤魔化せそう。

 突き当たりのドアをノックをすると、短く『入れ』と返ってきた。

「お邪魔するわよ、オリエガ」

 両開きの扉をくぐって、あたしは一週間ぶりにカジノの若き支配人、オリエガ=ブライアンと面会する。

 オリエガはふてぶてしい面持ちで、デスクに足を乗せていた。行儀の悪さが彼なりの品性と思えてくるだけの、威圧感をまとってる。

 その瞳は鋭く切れ込んでいた。左の頬には傷痕が残ってる。

「……シャルか」

「おはよう。昨夜も遅かったんでしょ?」

 今朝の彼はいつにも増して機嫌が悪そう。カジノで何かあったんでしょうね。

「余所の客が面倒事を起こしやがってな……チッ」

「愚痴なら聞くわよ、あたし」

「みっつも下の女にか? 冗談を抜かせ」

 身なりはいいはずなのに、カッターシャツの襟元は全開になっていた。細身なりに筋肉質の胸が覗けちゃってる。

 髪はランディと同じくらい長いのを、三つ編みに束ねてあった。

 オリエガがデスクの上で足を組み替える。

「雨でも降らんか……」

 晴れの日より、雨の日のほうが調子が出るみたい。自分はカジノから滅多に出ることがないから、ほかのみんなが雨に打たれるのは気分がいいって、言ってたわ。

「たまには外に出てみたら? 今日はいい天気よ」

「お前までケビンと同じことを言うな」

 ひとりで使うには間取りの広すぎる部屋には、一匹の豹が寝そべっている。彼(オスだもの)はチェルシーの存在に気付いたらしく、獣の鼻を近づけてきた。

「~~ッ!」

 獰猛な豹に気取られて、チェルシーは真っ青になってる。

「やめてあげて、リチャード。えぇと……大切なお人形だから」

「人形だと? シャルにしては珍しいな」

 オリエガは眉をあげ、デスク越しに手を伸ばしてきた。『見せろ』ってことね。

 勘の鋭い彼のことだから、頑なに拒否したら、かえって怪しまれるかもしれなかった。あたしは平静を装い、恐怖で強張ってるお人形さんを、渡してしまう。

「乱暴にしないでよ」

「ガキじゃあるまいし。俺はそういう芸術品が好きだと、知ってるだろ?」

 オリエガはチェルシーをしげしげと眺め、ほうと感心した。精巧なドレスを摘んだりして、その出来栄えを慎重に確かめる。

「……生きてるみたいだな。これほどの人形師がいるなら、スタッフに欲しい」

「あ、あたしもよく知らないの。お父さんが旅先で貰ってきて……」

「先生が? なるほど」

 咄嗟に誤魔化しちゃったけど、オリエガには勘付かれなかった。あたしの手元に戻ってきたチェルシーを、今度は彼のペットが興味津々に覗き込む。

「しかしお前が人形とはな。女らしくなったじゃないか」

「女の子らしくしなさいって、お母さんが駄々捏ねるんだもの」

 チェルシーは虚ろな表情のまま、口から魂のようなモノを出してた。さすがに可哀相だから、さっさと用件を済ませることにする。

「オリエガ、明日、お父さんが帰ってくるの。それでね、いつものお酒を」

「ああ。今、用意させる」

 オリエガがデスクの呼び鈴を鳴らすと、執事が部屋に入ってきた。スクエアタイプの眼鏡越しに、ぎろっとした視線であたしを睨む。

「またあなたですか、シャーロット様。以前にも、オリエガ様と懇意にされては困る、と申しあげたはずですが」

 すげない物言いに、あたしもちょっとイラっときた。

「ごめんなさい、ケビンさん。でも今日はお父さんのお遣いなんです」

「……わかってますよ、そんなことは」

 執事のケビンさんはあたしに対して、いつもこんな感じ。オリエガ=ブライアンという絶対のカリスマに、あたしのような女の子は不釣り合いだって、思ってる。

 恋人ってわけでもないのに……。

「ケビン、小言はあとにしろ。さっさとあれを用意してやれ」

「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」

 ケビンさんはオリエガに恭しく一礼すると、早足で退室していった。三分もしないうちにまた戻ってきて、あたしに包みを差し出してくる。中身は瓶入りの東方酒。

「割れないようにお気を付けください」

「ありがとうございます、ケビンさん。オリエガも、ね」

 オリエガは豹の顎を撫でながら、あたしの背中に一声掛けてきた。

「もう帰るのか? 暇してるんだろう、どうせ」

「ごめんなさい、今日はお母さんのお遣いもあるの。また遊びに来るわ」

 いつもならカード勝負に付き合うんだけど、今日はチェルシーもいるから。あたしはケビンさんの容赦ない視線をかわしつつ、早々にカジノをあとにした。

 チェルシーがやっと水中を脱したかのように、息を吐く。

「ぷはあっ! 殺されるかと思ったじゃないの……なんなのよぉ、さっきのは!」

「オリエガはお父さんのお弟子さんなの。昔、剣を教わってて」

 アウトローな男性も、恋の妖精さんに紹介してもらうまでもなかった。

 かつてのオリエガ=ブライアンは素行の悪い少年だったのが、お父さんの指導を受け、今では良識ある二十一歳に成長してる。

ただ、風貌や性格のせいか、誤解されやすいのよね。

 経営してるカジノでも、たまに暴力沙汰があるそうだし……オリエガの腕前を知ってても、やっぱり心配だわ。

 チェルシーがさっきと同じ癇癪を起こす。

「き~っ! なんでよ、なんで? これじゃ、ゲームがリアルになってんじゃん!」

「そんなこと言われても……誰かに見られちゃうから、隠れて」

 あたしはまたチェルシーを捕まえ、バスケットの中に放り込んだ。

 右手はお父さんのお酒、左手は妖精のいるバスケット。買い物して帰るつもりだったけど、左手の荷物が計算に入ってなかったことに気付く。

「ねえチェルシー、こっちのお酒持って、先に帰っててくれない?」

「どうやって持つのよっ? ど、う、やっ、て」

 背丈が十五センチしかないチェルシーは、すっかりふてくされてしまった。

「アタシが出会いをプレゼントするつもりだったのにぃ……」

 ヘソを曲げてる一番の理由は、あたしに親しい男友達がいたこと。

 ランディ=アシュフォードに続いて、オリエガ=ブライアンでしょ? あんまり考えたことなかったけど、確かにふたりとも、男性としては高水準かもしれない。

 でも恋人にするには(してもらうには)、違和感しかなかった。

ランディは昔馴染みのお兄さんであって、歳が五つも離れてる。一方、オリエガはお父さんの弟子だから、どうしても間にお父さんの存在がある。

しかしチェルシーはなお不敵にやにさがった。

「これはもうジョーカーを切るしかないわね。そう、乙女たちの夢を……」

「そんなことより一旦、帰りましょ。お夕飯の買い出しは午後ね」

「ちょっと、ちょっとぉ! 聞いてったら、シャル? お願いだから、聞いてえ~」

 なんだかお母さんの相手をしてるみたいで、疲れてくる。

 チェルシーにはまだ切り札が残ってるようだった。あたしは家のある、グナンパレスの南区に向かいながら、適当に相槌を打つ。

「とびっきりのお相手よ? グラン王国にもいるっしょ、最高峰ってやつが」

「グランじゃなくてグナン、ね」

 グナン王国はもともと『グナンナー王国』って名前で、王家のファミリーネームは今もグナンナーだった。東方の大国と緊張状態にあった頃、グナンナーでは東方の訛りに聞こえるからって、改名したそうなの。

「ねえねえ、誰だと思う? シャルってばぁ~」

「グナン王国で最高の男性っていったら、お父さんだと思うけど」

「シャルってファザコン? そーいうんじゃなくてさぁ、いるっしょ!」

 形だけは礼拝堂の自宅が、坂道の上に見えてきた。

 チェルシーが瞳をきらきらさせて熱弁する。

「王、子、様。白馬に乗った王子様、が! きゃ~~~!」

 ところが彼女の言う、まさしく『白馬』が門前にいた。立派な鞍をつけ、手綱を食みながら、凛と佇んでるの。

 チェルシーはぎょっとして、口角を引き攣らせた。

「……嘘でしょ?」

 あたしはあたしで、夏なのに寒気を感じ、足を止めたくなる。

 ちょうど家からひとりの青年が出てきた。

「ったく……僕がわざわざ来てやったってのに、留守なんてな。僕よりお遣いが大事なのか? シャルのやつは……」

 彼が白馬に跨ったタイミングで、はたと目が合ってしまう。

「……げ」

 思わずそんな声が出ちゃった。不機嫌そうだった彼の表情が、さらに渋くなる。

「どういう意味だ、その『げ』ってのは」

「そ、その通りの意味よっ。あなたひとりで来ちゃったわけ? ミスト」

 彼こそミスト=グナンナー。グナン王国の『白馬の王子様』であって、あたしにとってはひとつ年下の幼馴染み。いつもの上から目線が降ってくる。

「この前みたいに逃げるなよ? シャル。逃げたら、おしおきだ」

 ほんと、年下のくせに……王子様ってだけで。

 ミストは馬を降り、ずかずかと歩み寄ってきた。あたしが幼い頃から知ってる綺麗な相貌に、冷ややかな笑みが浮かぶ。

「また一週間、僕の専属メイドになりたいってんなら、逃げてもいいけどな」

「だ、誰が二度と……ひとをオモチャにしてっ」

 年下なのに、あたしより背が高くなってしまってた。身長差でも『見下される』羽目になって、悔しい。王子の正装も小憎らしいほどさまになってる。

 ミストはあたしの髪をすくい取って、香りを仰いだ。

「へえ……反抗する割に、僕がやったシャンプーは使ってるじゃないか」

「あ、あれはお母さんが気に入ってるからで……」

 こっちは両手が塞がってるせいで、逃げたくても逃げられない。こいつ、最近は艶めかしい真似までするようになって、あたしをやたらと緊張させる。

 ランディやオリエガに比べたら、トマトも食べられない、お子様のくせに……。

「こういうの、ほかのメイドさんで学習したわけ? やらしいわね」

 あたしの精一杯の強がりも、おそらく虚勢でしかないって、見抜かれてた。

「僕がスカート丈まで指導したのは、シャルだけだぞ?」

 温かい吐息が耳に触れる。

「近寄らないでったら、ヘンタイ」

「震えてるのか?」

「もう夏なのに、震えるわけないでしょ……?」

 ミストは意地悪そうににやつくと、やっと離れてくれた。あたしは胸の鼓動が鎮まるのを待ちながら、傲慢な王子様をねめつける。

「今日はいきなりどうしたのよ」

「近くまで来たから、寄ったんだ。お前で遊んでやろうと思ってな」

「お前『で』って……もう」

「さっきのシャルの『げ』と変わらないさ」

 あたしの蔑みを含めた上目遣いを、ミストは涼しい顔で流した。

 幼い頃に出会ってしまったのが運の尽き。お父さんの付き添いでお城に行ったら、王様と一緒にミストも出てきたの。

王様の『お前たちは遊んでいなさい』って言葉、ちょっと恨んでる。

 当時のミストはあたしを『第一の子分』に任命した。かくいうあたしも、その頃はまだ男の子との遊び方を知らなくて、鵜呑みにしちゃったのよね。

 その関係が未だに続いてるわけ。

 ミストはあたしの荷物を見て、眉を顰めた。

「ナターシャが飲むのか?」

「まさか。明日、お父さんが帰ってくるからよ」

「ああ、そういうことか。東方酒が好きだと、父上も言ってたな」

 ……世間知らずってわけでもないのよね、この王子様。

「酒じゃ、お前は楽しめないだろ。コーヒー豆をくれてやるから、城に来い」

「やーよ。メイドのお仕事で懲り懲りだわ」

「ふん、言ってろ。またな」

 ミストは今度こそ白馬に跨って、颯爽と坂道を駆け降りていった。

「ちょっと! ちょっと! ちょっとちょっとちょっとぉ~!」

 チェルシーの怒号が爆発する。声のトーンが高いせいで、耳にキーンときた。

「うるさいってば、チェルシー」

「うるさくもなるわよ! 白馬の王子様までルート開放されちゃってるなんてぇえ!」

 妖精さんのボルテージはどんどん高まっていく。

「しかも、さっきのあれ? あんなドSが王子様って、冗談っしょ? 乙女の夢も希望もぶち壊しじゃないのっ!」

 怒りの半分は性悪王子のせいみたいね。

「白馬の王子様なんかに期待しちゃうから……」

 バスケットの妖精にハンカチを被せてから、あたしは自宅に入った。

 お母さんはティーカップを片付けながら、喜々としてる。

「あ、シャルちゃん! さっきねえ、ミストちゃんが遊びに来てたのよ。うふふっ」

 ナターシャ=アヴリーヌ、あたしのお母さん。

 ……そのはずなんだけど、驚異的な若作りのせいで、妹にしか見えなかった。母娘で出歩くと、よく姉妹に間違えられる(あたしのほうが『姉』になるの)。

 不老の薬と言い伝えられる、人魚の血でも飲んだんじゃないかって、噂されてた。

 性格はグータラで、他力本願。今こうして片付けしてるのも、王子様とおしゃべりしたあとで、気分がいいから。

「さっきランディに会ったわ。しばらくはお仕事で忙しいみたい。あとこれ、お父さんのお酒。オリエガに貰ってきたの」

「オリエガちゃんから? あの子も素直になったわねえ」

 お母さんがご機嫌でいるうちに、あたしはお酒を置いて、お部屋に戻った。

 チェルシーがもぞもぞと動いて、バスケットから頭を出す。

「あんたのお母さん、どんだけ若いのよ?」

「でしょ? 初めて会ったひとは、みんな言うわ」

 でも妖精さんは驚きつつ、ランディやオリエガと会った時よりは落ち着いていた。レアケースも一周して、慣れちゃったのかしら。

「シャルって、ちっとも普通じゃないわね。伯爵様にカジノの元締め、そんでもって王子様だもん。どういう経緯で、あんな優良物件とお近づきになったわけ?」

「あー、そっか。そうなんだわ」

 チェルシーの質問を受けて、あたしは今さら自覚した。

 伯爵家の当主に、カジノのマスター、そして白馬の王子様。彼らとあたしの間には、世界一偉大な人物がいるの。

「あたしのお父さん、魔王を倒した勇者だから」

 

 二十年前、勇者ジョナサンはついに魔の島への上陸を果たした。

 精霊たちの力を借りて、絶海の孤島まで届かせた、光の架け橋。その煌きが、暗黒の雲に覆われた島の邪気を、わずかに払いのける。

 勇者の怒号が高らかに響き渡った。

「滅びよ、魔王! ここにお前の居場所などない!」

 真っ黒な雲から不気味な声が返ってくる。

「ククク……わたしを蘇らせたのは、貴様ら人間の欲望だぞ? 力への信仰が、わたしを地獄から呼び戻したのだからな」

「教団はすでに壊滅した! 城で待っていろ、今日こそ決着をつけてやるッ!」

 勇者のかざした剣が、闘志に呼応するかのように光り輝いた。

 

「ちっが~~~う!」

 チェルシーの悲鳴も高らかに響く。

「アタシが作ってんのはRPGじゃなくて、乙女ゲーム! それに何よ、さっきのシャルのイメージ? 美少年や美少女が戦うんならまだしも、オッサンがひとりって!」

「当時のお父さん、まだ二十四か五なんだけど」

「間違えたっ! これ絶対、来るとこ間違えたぁ~!」

 大声で騒ぐものだから、お母さんがお部屋に入ってきちゃった。

「んもう、さっきから何を騒いでるの? シャルちゃ……」

 チェルシーを見つけ、一度は瞳を瞬かせる。けれども、さして驚きはしなかった。

「あらあら、妖精のお友達がいたのね。シャルちゃんったら、いつの間に」

「え……お母さん、びっくりしないの?」

「パパのお友達にはエルフやトロルだっているもの。そんな拾ってきた子犬みたいに隠さなくても、ママもパパも、怒ったりしないわよ」

 お母さんは扉を閉めながら、一言だけあたしに釘を刺す。

「それより『お母さん』じゃなくて『ママ』でしょ? シャルちゃん」

「……はーい、ママ」

 お母さん……じゃない、ママがいなくなっても、チェルシーは唖然としてた。

「あんたのお父さん、正真正銘の大物かもしれないわね」

「会ったこともないのに、わかる?」

「英雄じゃなかったら、重度のロリコンよ」

 ひ、酷い言われようだわ……。

 お母さんのナターシャは小さな山村の生まれで、ある日、ドラゴンにさらわれたとか。それをお父さんのジョナサンが救出したのが、ふたりの出会い。

 お母さんのほうがガンガン押して、お父さんを落としたらしいわ。

 あたしのシャーロットって名前は、お母さんのナターシャから一文字取ってる。ほかにはお父さんの名前にちなんで、ジーナっていうのも候補にあったって、聞いた。

 チェルシーがあたしのベッドに飛び込む。

「あーあ、どっと疲れたわ。あんたのお母さんは変わってるし、美男子は次から次へと出てくるし……で、シャル? あんたは誰がいいの?」

 あたしは正直に首を傾げた。

「誰って言われても……あんまり考えたことないのよ、そういうの」

「十八なのに? いやいや、そんなわけないっしょー。普通は友達と、その手の話で盛りあがったりするじゃん」

 妖精さんの言うことも、わかる。

 だけどあたしには同世代の女友達がいなかった。近所の子は歳が離れすぎてるし。

「うーん……友達は男の子ばっかりだから」

「それならさあ、口説かれるくらいのことは、あったっしょ?」

「ないってば」

 同世代の男の子なら何人もいたけど、お父さんが怖かったのかなあ……。

 あたしにはまだ、ロマンスってやつがわからなかった。なのに、チェルシーは早くも恋の相談役を気取っちゃってる。

「とりあえず無難にランディ狙いで、オリエガのルートを様子見する感じぃ? ミストのフラグは、一度立てちゃったら、強制されそうなのがねー」

「……ルートとかフラグって、なぁに?」

 妖精さんのアドバイスには小難しい用語が頻出した。

 ほかにも好感度とか、選択肢とか。チェルシーは当たり前のように説明するけど、お話を聞いていても、さっぱりだった。

「――つまりオリエガルートのどこかに、ケビンルートへの分岐があるの」

「あ、そろそろお昼ご飯の準備しなくっちゃ」

「聞いてよっ!」

 妖精さんの相手もほどほどにして、あたしは席を立つ。

 午後はチェルシーを連れていくの、やめようかしらね。この調子だと、男の子と会うたび、変に勘繰られそうなんだもの。

「う~、面白くなーい」

 チェルシーも着いてくる気はないみたいで、不貞寝しちゃった。

「恋してくんなきゃ、意味ないじゃん? これじゃゲームに、な、ら、な、い~!」

 だけどあたしだって、ゲーム感覚で恋愛を押しつけられても、ねえ?

 そんなふうに思う、十八歳のあたしだった。

 

 

 チェルシーがやってきてから、早一週間。

 お父さんはまた魔物退治に出掛けて、家にいない。今度は東のほうから大型モンスターの討伐要請が来たって、言ってた。

 朝ご飯はあたしとお母さん、それからチェルシーの三人で食べる。

「パパさんがお酒を片付けてから出発するのは、死亡フラグを回避するためなのよ。お酒に心残りがある戦士って、死んじゃったりするっしょ?」

「うぅーん、戦記ものは読まないし……」

「シャルちゃんは恋愛小説も途中で飽きちゃうものね。チェルちゃんのお話は、ちょっと難しいんじゃないかしら」

 お母さんとチェルシーはすっかり打ち解け、意気投合しつつあった。あたしにとっては迷惑この上ない事態になってきてる。

「チェルちゃん、シャルちゃんにもっと、いろいろ教えてあげてね」

「もっちろん! あ、ママさん、今日のおやつはシフォンケーキにしない?」

「いいわね! シャルちゃんに買ってきてもらいましょ」

 あたしの立場は使用人と化していた。ミストのところでメイドをさせられることに比べれば、まだましだけど……はあ。

 チェルシーは自分の背丈くらいある食パンを、ぺろりと平らげてしまった。妖精の胃袋は底が知れない。

「ごちそーさま。ふう、そろそろ来ると思うんだけどなあ……」

「来るって、何のこと?」

「にっひっひ……それは来てからの、お楽しみ」

 妖精さんのあどけない含み笑いが、あたしを不安にさせた。

 でも今日は忙しいから、チェルシーどころじゃない。お父さんが先週持ち帰った、貴重な戦利品を、お城まで持っていかなくちゃいけないの。

別にお父さんが自分でお城に行ってもいいんだけど、『何でも経験しておけ』って、簡単なお仕事はあたしにさせたがるのよね。

 モンスターの爪や牙は結構な重さになった。丈夫な鞄に入れて、肩にさげる。

「それじゃあ、行ってきます。お昼には帰るわね」

「シフォンケーキ~!」

「……はいはい。わかってるってば」

 朝一番の溜息を残して、あたしは家を出た。

 昨夜の雨はあがって、土も乾き始めてる。初夏の日差しも、朝のうちは穏やかね。

 礼拝堂から坂道をくだったところで、アシュフォード家の馬車が目に留まった。その傍では若き当主様が、妙にそわそわした様子で佇んでる。

「おはよう、ランディ。今朝はどうしたの?」

「やあ、シャーロット! まあ……ちょっと野暮用でね」

 あたしを待ってたみたいで、ランディは表情をぱあっと弾ませた。

 今朝のあたしの荷物が、お城へのお土産だって、察してくれたみたい。ランディ自ら扉を開け、馬車に乗せてくれる。

「送っていくよ。レディーにそんなもの持たせて、歩かせられないからね」

「ありがとう! 助かるわ」

 荷物は重いし、お城までは遠い。ランディの申し出は渡りに船だった。気心の知れた相手だから、遠慮もいらないものね。

ランディは荷物を向かい側に置くと、あたしの隣に腰を降ろした。

「いいぞ。出せ」

 馬車ががらがらと走り出す。

 今朝のランディには少し違和感があった。いつもなら、御者に『出してくれ』ってふうに、やんわりと命令するのよ。それがオリエガみたいに『出せ』だったから。

 ランディの手が、そっとあたしの髪に触れる。

「今夜、食事に行かないかい? シャル」

 彼とあたしのわずかな隙間に、そんな囁きが落ちた。なんだか距離が近すぎる。

 ランディはあたしの横顔を見詰めながら、肩にも触れてきた。違和感は危機感に転じ、あたしは焦りを感じ始める。

「ち、ちょっと待って? あなた、あたしのことはシャーロットって……」

「私だけ他人行儀ではいられないじゃないか。ふっ」

 艶めかしい吐息がおもむろに近づいてきた。

「君も私のことは、そうだな……ダーリンとでも呼びたまえ」

 唐突におかしなことを囁かれ、心臓がびっくりする。

「とっ止めてください! 降ります!」

 あたしは悲鳴をあげ、慌てて馬車を降りた。

「待ってくれ、シャル!」

「熱があるのよ、あなた! おっ、おお、お大事にっ!」

 荷物なんか置き去りにして、ランディを振り切る。

 どきどきしてるのか、はらはらしてるのか、わからなかった。多分、これは後者ね。

 まさかランディがあんなこと言い出すなんて……どうしちゃたのかしら?

 さっきの彼は明らかに様子がおかしかった。あたしの知ってる、柔和で聡明なランディ=アシュフォードじゃない。

「びっくりした……」

妙な風邪が流行ってるんだわ、きっと。ランディの顔、赤かったし。

 あたしが馬車を降りたのは、西区の歓楽街だった。ランディの馬車がグナンパレス中央区の城には向かっていなかったことに、ぞっとする。

 あの荷物なら大丈夫でしょうけど……。

 外をうろうろしてて、ランディに見つかっても厄介よね。あたしはオリエガを頼って、カジノに行ってみることにした。

本日のカジノは午前中のうちから、正面のゲートが空いている。スタッフは総出で大掃除に取り掛かってた。

「おはようございます。お掃除中なんですね」

「これはこれは、シャーロット様。今夜は店が休みなものですから」

 よかった……店員さんはランディみたいになってない。

「オリエガ様なら、お部屋で寛いでおられますよ」

「入っていいの? お邪魔するわね」

 清掃中の店内を歩きまわるのは気が引けたけど、入らせてもらった。店員さんたちの邪魔にならないように、早足でオリエガの部屋へと急ぐ。

「オリエガ、入るわよ」

 突き当たりの扉を開けると、ラベンダーの香りがした。お香を焚いてるみたい。

 オリエガは上半身が丸ごと肌蹴た格好で、豹のリチャードと戯れていた。

「シャルか。待っていたぞ」

 鋭い視線があたしに金縛りを仕掛ける。

 身体が動かなくなるわけじゃない。けど、オリエガの瞳には、それだけの凶暴性が秘められていた。まだ傍らの豹のほうが愛らしい目をしてるほど。

 あたしは顔を赤らめ、半裸の彼から目を逸らす。

「ふ、服くらい着てよ? 夏だからって」

「俺の部屋だぞ。好きにさせろ」

 オリエガはペットに『待て』と命じ、こっちに歩み寄ってきた。あたしの顎に右手を添え、ワイングラスでもかざすかのように、少しだけ上向きにする。

「こんな朝っぱらからどうした? 俺は眠いんだが……」

「あ、そうだったわね。押しかけてごめんなさい」

 カジノは夜遅くまで営業してるから、オリエガたちの生活リズムは、一般のものとは少し違ってた。明け方は清掃の指揮だけ執って、今から寝るところだったんだわ。

「まあいい。シャル、こっちに座れ」

 悪いと思いつつ、あたしはソファに腰掛けた。

 ケビンさんはお掃除のほうに行ってるんでしょうね。意外に懐っこいリチャードが、あたしにじゃれつく。

 オリエガはカッターシャツを羽織ったものの、ボタンをひとつも留めなかった。そしてペットの鼻先を撫でながら、あたしの隣へとおもむろに腰を降ろす。

「……ふ、可愛くなったな」

「そうよね。リチャードって、前は孤高の一匹狼って感じだったのに」

「そうじゃない。俺が言ってるのはお前のことだ、シャル」

 彼と一緒にリチャードを撫でていた、あたしの手がぎくりと止まった。今朝はランディの前例があっただけに、こわごわと振り向いて、オリエガと目を合わせる。

「……嘘でしょ? あなたまで風邪?」

「何の話をしてるんだ、お前は。風邪など、ここ数年ひいてない」

 オリエガはうっとりとした表情で、ペットではなく、あたしの頬を撫でた。壊れものに触れるかのように優しく、それでも指をまとわりつかせるほど、執着してくる。

「まあ……お前となら、一緒に風邪をひくのもいい。そっちのベッドでな」

「ごごごっごめん、オリエガ! もう帰るからっ!」

 またもや身の危険を感じ、あたしは慌てふためいて彼の部屋を飛び出した。それを追いかけっこと勘違いしちゃったらしいリチャードが、大喜びでついてくる。

 従業員のみんなには、豹から逃げてるって思われたに違いない。

 オリエガまで、どうしちゃったわけ?

 あたしの周りで、あたしの知らない何かが起こっていた。ランディといい、オリエガといい、あたしに色目を使ったことなかったのに。

ふたりにとって、あたしは『年下のお嬢ちゃん』に過ぎないはずだもの。

 だから、あんなふうに口説かれたって、あたしのほうも驚くか戸惑うに決まってた。むしろ恐怖さえあって、逃げ出してる。

 歓楽街の大通りを一目散に疾走し、あたしは当初の目的地であるお城に辿り着いた。お父さんの戦利品はないけど、この緊急事態に四の五の言ってられない。

 門前の守衛さんはあたしを見つけると、強面を緩めた。

「シャーロット様、おはようございます。本日はいかがされましたか?」

えっと……そうだわ、ミストに呼ばれたってことにしちゃおう。

「ミスト王子に会いに来たの。コーヒー豆をくれるってお話なんだけど……」

「そうでしたか。どうぞ」

 疑われることもなく、すんなり通してもらえる。普段からちゃんとみんなに挨拶してるおかげ、かしら。あたしは堂々と城門をくぐり抜ける。

 お父さんが前に言ってたっけ。お城には『砦』としての機能も必要で、堅固に造られているものなの。十メートル級の城壁で囲って、四方に大砲を向けてるのも、そのため。

 だけど物々しいばかりじゃなく、グナンパレスのお城は壮麗でもあった。澄んだ青空のもと、陽光を浴びて、あたかも白磁のように照り返るさまが美しい。

グナン王国の権威の象徴として、内装にも数々の趣向が凝らされていた。人通りの多い回廊には、精巧な壁画が並ぶ。

そこに描かれているのが、あたしのお父さん。精霊の力を借りて、魔王を倒すまでの流れが、物語になってるの。やっぱり男の子には大人気ね。

……精霊って、妖精とどう違うのかしら……?

 ふと、そんな疑問が脳裏をよぎった。

お父さんに聞いたような精霊の神々しさは、食いしん坊のチェルシーには欠片もない。『おとめげーむ』とやらを作るために、あたしの恋を取材に来たってだけで……。

ん? あたしの恋を?

あたしの頭が、あるひとつの回答を弾き出した。

ランディやオリエガがおかしくなったのって、ひょっとすると、妖精さんの悪戯なんじゃないの? 今朝『そろそろ来る』って言ったのを、思い出す。

お城では少し働いたこともあるから、ある程度の勝手はわかってた。この時間のミスト王子なら、朝一の会合を終えて、部下にあれこれ言いつけてる頃合いね。

案の定、ミストはテラスで年配の貴族に囲まれていた。

「このスケジュールはどういうことだ? 両方に出席できるわけがないだろ」

「申し訳ございません。手違いがあったようで……以後、気をつけます」

「先週も同じことがあったばかりじゃないか。僕はミスを責めてるんじゃない。ろくな対策をしないから、責めてるんだ」

お仕事中のミストは王子然とした振る舞いで、威風を漂わせてる。十七歳にして王位継承者の自覚を持ち、父王の補佐を立派に務めているって、世間では評判だった。

けれども、あの王子様の麗しいお顔に、サディスティックな本性が隠れてること、あたしだけは知ってる。みんな、彼の凛々しい外面にことごとく騙されてた。

貴族たちは間もなく解散し、ミストひとりになる。彼はあたしに気付くと、待っていたとばかりに嗜虐的な笑みを浮かべた。

「来たのか、シャル。さすが僕の行動パターンをよく把握してるな」

「おかげさまで。ちょっといいかしら?」

 いつものミストだわ。あたしはほっと胸を撫でおろす。

 ミストはあたしの背中に触れ、窓際まで歩かせた。こういう自然なエスコートができるところは、やっぱり王子様ね。

「ちょうどよかった。僕もシャルに用があったんだ」

「あたしに?」

 テラスの窓からは広大な城下町を見渡せた。これが全部、いずれミストのものになるんだから、あたしとはスケールが違いすぎる。

「今週中に荷物をまとめて、城に越してこい。お前の部屋も用意してある」

「……は?」

 唐突に引っ越しを命令され、頭の中が真っ白になった。

 首を傾げるしかないあたしを、ミストが強引に抱き寄せる。

「この期に及んで『は?』はないだろ」

「だ、だって……またメイドをやれってつもり?」

「しばらくはそれもいいな。お前にはまだまだ調教が必要だし……僕に誠心誠意、ご奉仕できるようになったら、結婚だ」

今しれっと、とんでもない言葉が出てきたような気がした。あたしは小刻みに震えながら、恐る恐る、幼馴染みのサディスティックな素顔を見上げる。

「結婚って……誰と誰が?」

「僕とお前に決まってるだろーが、シャル」

 シャーロット=アヴリーヌ、十八歳。

お城に逃げ込んだら、白馬の王子様にプロポーズされてしまった。

「い~~~や~~~あ~~~ッ!」

「……おい、シャル?」

 あたしは甲高い悲鳴をあげ、脇目も振らずに走り出す。

 ランディとオリエガに続いて、ミストまで! おかげであたしの顔は真っ赤、心臓は今にも破裂しそうになった。

 チェルシーの仕業に違いないわ。お城を出て、一直線に我が家を目指す。

 礼拝堂の階段をどたどたと駆けあがって、あたしは自分の部屋に勢いよく躍り込んだ。

「チェルシーっ!」

 小説の上で寝転がっていた妖精さんが、びくっと飛びあがる。

「どっ、どうしたの、シャル? そんなに血相変えて」

「どーしたもこーしたも、ないでしょ! あなた、ミストたちに何をしたの?」

 あたしは息を切らせながら、今朝の珍妙な出来事を一通り説明した。

ランディに『ダーリンと呼んでくれ』と迫られたこと。半裸のオリエガに朝からベッドに誘われたこと。極めつけはミスト王子に結婚を命令されてしまったこと。

チェルシーはしたり顔でにやついた。

「効いてきたみたいねー、惚れ薬。ひっひっひ」

 どこからともなく彼女の背丈ほどあるビンが現れる。しかし、中はからっぽ。

「残りみっつだったからさぁ。どお? 効果抜群っしょ!」

「抜群ではあったけど、ねえ……?」

 あたしは人生で最大の怒りに震え、両手をこきっと鳴らす。

 それでもチェルシーは悪びれた様子もなく、あっけらかんと言ってのけた。

「ところでシフォンケーキは?」

 ぷっつんと堪忍袋の緒が切れる。

「ケーキなんて食べてる場合じゃないでしょ、ばかッ!」

「へ? シ、シャル?」

「大変なことになってるのよ、もうっ! 惚れ薬なんか使うから!」

 チェルシーのおやつは抜きに決まった。今日だけはお母さんにも我慢してもらう。

 お父さん譲りの破邪の力は、この世の悪を許さない。

「そこに座りなさい! チェルシー!」

「ひいいいっ!」

邪悪な妖精さんは勇者の威光を畏れ、ひれ伏した。

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