ダーリンのぴょんぴょん大作戦!

第6話

 周防御守の休日はどっぷりボーイズラブ。

「はあ~! イザッカとディアークの絡み……何回読んでも最高だわ」

 普段はL女学院の生徒会役員として、優等生の振る舞いに徹している。そのストレスを発散させるためにも、自宅では秘密の趣味に興じていた。

 弟の哲平がドアをノックする。

「姉さ~ん! お昼ご飯、どうするのさ」

「お母さんは? いないんなら、あんたが適当に買ってくればいいじゃない」

「だから僕、足を怪我してんだって」

 うっかりしていた。ケイウォルス学園では先週、おかしな事件が発生したそうで、弟は怪我までしている。

「しょうがないわね。あんたはじっとしてなさい」

「ありがとう。アレな姉さんでも、たまには頼りになるんだなあ」

「……生意気な弟だわ、ほんと」

 BL漫画もほどほどにして、御守はキッチンでエプロンをまとった。釜のご飯は残っていないものの、ミートスパゲティの材料なら揃っている。

 哲平は先に席につき、松葉杖を立てかけた。

「ふう。レイにやられた怪我なら、スペルアーツですぐに治せるんだけどなあ……」

「そういう漫画ばっかり読んでるんでしょ、まったく。少しは勉強したら?」

 この数日で哲平の顔色も随分とよくなっている。食欲もあるからこそ、姉に昼食を催促してきたのだろう。

「明日から学校も行くよ。いつまでも休んでられないしね」

「だったら、愛煌に車で送迎させれば?」

「悪目立ちするから嫌だよ。じきに松葉杖もいらなくなるって話だしさ」

 さり気ない流れで、幼馴染みでもある愛煌=J=コートナーの話題になった。

「オカマになる前は普通にカッコいい男の子だったのにねぇ、愛煌」

「でも名前はもとから男じゃないよね、それ」

 アキラという響きそのものは男子にも女子にも該当する。しかし『煌く愛』などという漢字を当てては、お嬢様のイメージしか湧いてこなかった。

「初恋の相手がオカマになるなんて、人生の汚点だわ」

 スパゲティを茹でながら、御守は肩を落とす。

 男の子としての愛煌のことは『いいかも』くらいに思っていた。上流貴族の生まれで大資産家の子息なのだから、憧れもする。

 女装少年が美男子に口説き落とされるようなシチュエーションも、御守の大好物だが、愛煌ではぴんと来なかった。

「あんなので、あいつ、まともな恋愛できるわけ?」

 哲平はテレビを眺めながら、含みを込める。

「片想い中だよ。ちゃんと女の子にね」

「ええっ? じゃあ、その子はオカマに言い寄られてるってこと?」

 まったく想像できず、御守は目を点にするほかなかった。

「私の知ってる子?」

「交換授業で会ってるよ。僕のクラスに御神楽さんって、いたでしょ」

 記憶の中を探して、澄ました印象の女子を思い出す。

「小柄な美人って感じの? ふぅん……あの愛煌=J=コートナーがご執心、ねえ」

「見てる分には面白いけどね。ライバルが強力すぎるから、厳しいかなあ」

 こういった話題が出てくるのも共学ならでは。L女学院では恋愛トークもご無沙汰で、女子だけの割に色気が欠けまくっている。

 この秋は交換授業の一環で、初めて学院に男子がやってきたが、ぱっとしなかった。最後は本物の変態ぶりをまざまざと見せつけ、悪い意味で伝説と化している。

「うちのスクール水着で遊んでた、あいつは? 彼女とかいるの?」

「真井舵は六角関係だよ。……あれ、七角だっけ?」

 情報通の弟にはしれっと返されてしまった。

「……なんかの間違いでしょ、それ」

「あれで異様にもてるんだって。なんか、胸の大きい子にはさ」

 ふーんと頷きながら、御守はミートソースを火にかける。 

「おっぱいを揉むのが上手すぎる、とか?」

「姉さんの発想は最低だ……」

 興味のない男子のことなど、スパゲティを食べるうちに忘れてしまった。

 

 

 キャロルのゲームも後半戦を迎え、白熱しつつある。

 最初こそ魔眼で強制されたものだったが、抜きつ抜かれつの面白い展開になってきた。沙織は順位を落とし、今は優希と黒江がトップを争っている。

 最下位の澪にしても、まだ挽回のチャンスはあった。

 そして始まったのがダンジョン・サバイバル。輪たちは迷路の中で分断され、それぞれでゴールを目指すことになった。

 ライバルと協力してもよいが、その場合は点数を人数で割る。

問題は何より、キャロルの扮した『偽物』と一緒にゴールしても、ポイントは得られないところにあった。仮に澪の偽物とゴールすれば、点数はゼロ。しかも本物の澪には10ポイントも加算される。

そのため、仲間を疑ったり、出し抜いたりすることにメリットがあった。

「黒江のやつはためらわないだろうな。最後の土壇場で単独ゴールってことも……」

 そういった駆け引きも踏まえて、迷路を突破しなくてはならない。

 とりあえず輪はダンジョンを道なりに進んでみることにした。道中は黒江のパンツを被り、スカウト系のアーツでトラップの類を警戒する。

 そのつもりが、黒江のアーツはうんともすんとも言わなかった。

「……スカウト系は使用禁止ってことか。そりゃ、黒江だけ有利になるもんな」

 キャロル=ドゥベは純粋にゲーム目的でプロテクトを用いているせいか、輪でも無効化できない。道中のいかにも怪しげな宝箱は無視して、ダンジョンを突き進む。

「レイはいない、か。とにかく合流しねえと」

 あのキャロルがメンバーの誰かと入れ替わる前に、手を打ちたかった。

 過去にも彼女は澪や閑に化け、輪たちを騙している。ここで再び閑、もしくは澪となる可能性は充分に考えられた。優希とも相性はいいだろう。

(沙織が出てきたら、命令してみるか)

 逆に黒江なら分析能力を、沙織ならメイドスイッチを真似しきれず、ぼろを出すことも予想できた。このふたりはひとまず除外してもいいかもしれない。

(そうか。変装を見破られないように、こうやって……)

 仮に黒江がアナライズを仕掛ければ、相手が本物かどうか、瞬時に識別することができる。だからこそ、スカウト系アーツにはプロテクトで制限を掛けたのだろう。おちゃらけているようで、キャロルは用意周到にゲームを主導している。

 途中の部屋にはパズルゲームが用意されていた。さほど難しくなく、何回かやりなおすうちに攻略法も掴めてくる。

「こういうの、黒江なら一瞬なんだろうなあ……ん?」

 次の部屋では優希ウサギが呆然としていた。

「ど、どうしよぉ……」

 赤いブロックを赤いマスへ、青いブロックを青いマスへと運ぶパズルで、行き詰まってしまったらしい。輪は肩を竦めつつ、リセットパネルで箱の位置を最初に戻す。

「苦戦してるみたいだな、優希」

「あれ、ダーリンちゃん?」

 後ろの輪に気付き、優希は瞳をぱちくりさせた。ひとつ年上のお姉さんにしては、一回ごとの瞬きが大きいせいか、あどけない印象が強い。

「……お前、キャロルじゃないよな?」

「ダーリンちゃんこそ。ほんとは偽物じゃないのぉ~?」

 お互い、すぐには相手を信用できなかった。目の前の優希が実はキャロルの変装で、輪をからかっている可能性もある。

 それは優希にとっても同じことで、輪に疑いのまなざしを向けてきた。

「本物かどーか、確かめさせてもらうね。ダーリンちゃん、ボクのこと好き?」

「……はあ?」

 突拍子もない質問に輪は口角を引き攣らせる。

 曲がりなりにも彼女は初恋の相手であって、焦がれていた時期もあった。ケイウォルス学園で再会を果たした時も『綺麗になったなあ』とは感じている。

 そんな質問に少しも動揺できないのだから、子どもなりの初恋は終わっていた。

「お前がもうちょい、食い気より色気を大事にしてくれたら、オレだってなあ……ハア」

「どーいう意味っ? こんな可愛いウサギさんを前にして!」

 幼馴染みの優希がむすっと頬を膨らませる。

「悪い、悪い。本物みたいだな。ちゃんと好きだから、機嫌なおせって」

「どーだか。ほかの女の子にも同じこと、言ってんじゃないの?」

 そのタイミングで、また別のバニーガールがやってきてしまった。優希のパンチを輪が難なく受け止めるのを見て、沙織は顔を赤くする。

「……お、お邪魔だったかしら? まさか、輪さんと優希さんがもうそこまで……」

「ちっ、違う違う! こんなのとはどうにもならねえって」

「こんなのぉ? ダーリンちゃん、やっぱボクのこと、馬鹿にしてるでしょ!」

 ご機嫌斜めの優希を制しつつ、輪はご主人様として沙織に命令を放った。

「それより沙織、『お座り』だっ!」

 沙織の身体がびくんと跳ねる。彼女はしずしずと一歩さがり、恭しく両膝をついて、ご主人様を見上げた。それだけで頬は上気し、上目遣いの瞳も蕩ける。

「はい……ダーリンさまの仰る通りにいたしますわ」

 ご主人様の命令でメイドスイッチがオンになったらしい。

優希は半ば呆れていた。

「……第四で一番のマゾは沙織ちゃんだよねぇ? 命令されるだけで、さあ」

「従順だからマゾってのは違うんじゃないか? オレに対してはみんな、ドSだし」

 メイドの沙織がはっと我に返る。

「わ、わたくしは一体……さては輪さん、またエッチな命令をなさいましたわねっ?」

「エッチは余計だっ! 沙織が本物かどうか、確かめたかったんだって」

 ひとまず四葉優希、三雲沙織とは合流を果たせた。ひょっとするとキャロルの変装かもしれないが、逐一と疑っていてはきりがない。

仮に偽物だったしても、一緒に行動するうちに、ぼろも出すだろう。

「三人寄れば文殊の知恵ってな。協力プレイってことでいいだろ」

「ボクはリードしてる分もあるしねー」

「わたくしも構いませんわ。正直、ひとりで歩きまわっていては、不安ですもの」

 輪たちは足並みを揃え、次の通路へと進んだ。

 今頃は閑や黒江も、この迷路のどこかを彷徨っているはず。

「警戒すべきは、やはり黒江さんですわね」

「あいつが閑や五月道を拾ってくれてりゃ、いいんだけどな。ひとりでいたら、そんだけキャロルも入れ替わりやすいだろうし」

「そうだねー。合言葉くらい、決めとけばよかったかも」

 道中の小部屋にはパズルが用意されていた。輪たちは知恵を出しあい、試行錯誤を繰り返しながらも、順当に攻略していく。

「男女の石像を向かいあわせにするのでは、ありませんこと?」

「そうだとは思うんだが……どれとどれ、だ」

「モテモテって感じだから、男の子の石像は全部、女の子に向けるんじゃないの?」

「……いや、待て。そっちの男はボーイズラブだから、こっち……だな」

 おかしなパズルをクリアするたび、のぼり階段があった。少しずつ上のフロアに戻っているようで、方向は間違っていないらしい。

 その先で青いカラーリングのバニーガールと出くわす。

「……りん? ゆき、さおりも?」

「黒江! 無事だったか」

 第四部隊のブレーン、二景黒江だった。

しかし優希と沙織はあとずさり、輪の肩を引きとめに掛かる。

「待って、ダーリンちゃん。この黒江ちゃんが本物とは限らないでしょ」

「もしもキャロル=ドゥベでしたら……何か証拠になるものはございませんの?」

「それもそうか……」

 輪は腕組みを深め、うーんと頭を捻った。

 敵は変装が達者で、外見どころか、仕草や口調までそっくりに真似る。とはいえ、本人の持ち物までは再現できないはず。

「黒江、夏にあそこでもらったテーマ、あるよな?」

 彼女は携帯を開き、エンタメランドの妖精、タメにゃんのテーマを見せつけた。

「これでしょ」

 輪は『エンタメランドでもらったタメにゃんのテーマ』とまでは言っていない。これは夏休みの期間限定、それもカップルにだけ配布される、レアなテーマだった。同じテーマをキャロルが持っていない、とも限らないが、その可能性は低い。

 輪はほっと安堵の息をつき、黒江の合流を歓迎した。

「……本物みたいだな。悪い、黒江」

「気にしてないから。でも……そっちは全員、本当に本物?」

 しかし同じ疑いを返され、当惑する。

 黒江の瞳が輪たちの正体を見極めるべく光った。

「人数が多いほど、偽物が紛れ込む確率も高くなるでしょ。私が入ったら、しずかとみおを疑うしかなくなるけど、いいの?」

「う。それもそうだな……」

 第四部隊は六名のイレイザーで構成されている。うち四名がここに集まり、残りは二名となった。ここにいる四名が本物なら、俄然、あとのふたりが怪しくなってくる。

 すでに黒江は先の先まで読んでいた。

「最後のひとりが本物だったら……どうなる?」

 沙織も神妙に声のトーンを落とす。

「全員でお互いを徹底して疑うことに……第四の信頼関係はボロボロになりますわ」

「そっか! それがキャロルの狙いなんだよ、ダーリンちゃん」

 優希は小粋に指を鳴らした。

「偽物が誰でも、あの子にとっちゃ、どーでもいいんじゃない? ボクたちを仲間割れさせることが目的でさあ」

「ゆきの言う通り。このゲームは多分、メグレズの意向が強いのかも」

 輪の脳裏でひとつの閃きが走る。

「……偽物がいるってことに構えすぎても、敵の思うつぼってわけか。ゲームなんだし、全員で無得点って攻略法だって、あるもんな」

 沙織と優希も頷いた。

「本物かどうかなんて、いずれわかることですものね」

「なんてこと言ってる沙織ちゃんが、実はキャロル……ってふうに言いだしたら、きりがもんね。ボクも疑うのはやめにしよっと」

キャロルが裏をかいてくるなら、こちらは裏の裏をかくまで。

伊達に一年以上も苦楽をともにしている、第四部隊ではなかった。

(今さら偽物ごときに踊らされて、たまるかっての)

 黒江が自前のノートパソコンを開き、迷路の地図を手書きしていく。

「それに……キャロル=ドゥベが入れ替わるなら、見当はついてる。私たちじゃない」

「え?」

 やがてダンジョン・サバイバルの中間ゲートが見えてきた。複数あるらしい別のルートから、すでに閑が到着しており、扉の前で手をこまねいている。

「あぁ、輪! みんなも……心配したのよ、大丈夫?」

「こっちは早いうちから合流できたからな。あとは五月道だけか」

 輪は下手に彼女を疑わず、ゲートを見据えた。扉は閉ざされており、その傍には手術用の寝台のようなものが一脚、用意されている。

「ここで誰かをそっちに寝かせないと、鍵が出てこないみたいで……」

「なるほど。確かにそう書いてあるな」

 立て札には、この難関を突破するための条件が記されていた。

『ひとりを生贄に捧げよ。さすれば、扉は開かれん』

 黒江はゲートのスキャンを試みたものの、かぶりを振る。

「……無理。私のアーツは制限が掛かってるから、解除できない」

「じゃあ、誰かが『生贄』になるしかねえのか」

 ここで偽物と疑わしいメンバーを捨てろ、ということらしい。とはいえ、そこまで敵に乗せられるような輪たちではなかった。

 目配せすると、優希が頷く。

「……そーいえば、ダーリンちゃんが偽物じゃないって保証も、ないよねえ?」

「男子に化けることも、ありえる。どうなの? りん」

「オ、オレを疑うのか?」

 悔しいが、優希や黒江の言い分は筋が通っていた。キャロル=ドゥベが真井舵輪にだけは化けない、とは言いきれない。

「キャロルが言ってた、偽物の話? 輪は大丈夫だと思うけど……」

「とりあえず、偽物の件はあとまわしにしようぜ。……五月道はまだ来てないのか」

 輪はあたりを見まわし、誰も通ってきていないルートに見当をつけた。

「オレ、五月道を迎えに行ってくるよ。待っててくれ」

「ちょっと、輪? 単独行動なんてしたら、キャロルに狙われちゃうわよ」

「そん時はそん時さ。じゃあな」

 閑たちを残し、ひとりで迷路を逆走していく。

 しばらく進むと、やけに底の深い、立体パズルの部屋に当たった。下のほうでは澪ウサギが呆然と立ち竦んでいる。

「五月道~っ! どうした、パズルが解けねえのか?」

「え? 輪くん?」

 上から降りていく分には問題なかった。輪はパズルルームのスタート地点まで滑るように降り、澪のもとまで駆けつける。

「あんまり難しく考えないほうがいいぜ。あっちのほうから登って、だな……」

 パズル自体は、ぱっと見ただけでも攻略法がわかった。にもかかわらず、澪は少しも手をつけず、上方のゴール地点を見上げるだけ。

「いえ、その……た、高いところに行くのが、どうしても……」

「……あぁ、そうだったな」

 五月道澪は高所恐怖症だったのを、すっかり忘れていた。ARCの任務でヘリに乗る時も、なるべく窓には寄らず、身を小さくしているのを思い出す。

「なら、オレと一緒に行こうぜ。ほら」

「あ、はい」

 そんな彼女をリードしつつ、輪はてきぱきとブロックを動かしていった。足場が高くなるにつれ、澪は恐怖に耐えきれず、輪の腕にしがみつく。

「だ……だめです、ごめんなさい……あ、足が勝手に震えちゃって、もう」

「おぶってやっても……っと、そっちのほうが余計に怖いか」

 これもキャロルの仕組んだ罠のような気がした。あえて澪に立体パズルを当て、ひとりだけ遅れさせるつもりだったのかもしれない。

 不意に足場の左右が抜ける。

「きゃあああっ!」

 跳びあがった拍子に澪は、輪に真正面から抱きついてしまった。輪はウサギさんを両手で抱え、ふらつきながらも受け止める。

「だ、大丈夫か? 五月道」

「……な、なんとか……って、りりっ、輪くんっ?」

 澪の小顔が真っ赤に染まった。

 何しろ両手のみならず、両脚でも輪にしがみつく、大胆極まりないポーズ。しかも恐怖のせいで身体が強張ってしまい、自力では外せないらしい。

「ごご、ごめんなさい! 重いですよね? 降ろしてくれて、いいですから」

 対する輪のほうは、自分でも不思議なくらい平然と抱えていられた。

「大丈夫、あとはゴールまで一直線だし。しっかり掴まってろ?」

「は……はい。それじゃあ、お願いします……」

 これ以上は迷惑を掛けられないと、澪は恥ずかしさを堪えるように唇を噛む。

 しかし輪にとっては、むしろ嬉しい一時だった。確かに重たいものの、おかげで澪の柔らかさを押しつけられ、存分に味わうことができる。

 網タイツ越しにフトモモを触ってしまえるのも、今だけ。

(こんな恰好の五月道を抱っこなんてしてたら、もう、オレ……!)

 彼女の恐怖症につけ込むようで、悪いと思いつつ、輪は澪の感触に酔いしれた。ふくよかな巨乳も前のめりになって、輪の鼻先にウサギさんの甘い芳香を漂わせる。

 おまけに、輪のニンジンが澪の股座に差し掛かっている始末。

(これってガールズトラブルに出てきた……だいしゅきホールドってやつ、だよな?)

 澪のくるぶしは背中のほうで交差し、小刻みに震えていた。彼女もポーズのケダモノっぷりを自覚したようで、しどろもどろになる。

「い、今さらですけど……まさか、偽物じゃないですよね? 輪くん。……いえ、偽物のほうが、あたしとしては、その、た、助かるんですけど?」

 無理にまくしたてるせいで、色っぽい吐息も散った。

「落ち着けって。すぐだからさ」

魅惑のウサギさんに抱きつかれ、半ば動揺しながらも、輪は話を逸らす。

「そうだ、聞いてくれ。偽物についてなんだが、オレたちで狙われるのは、多分……」

「……え? 本当ですか?」

 やがて、ふたりは無事にゴールへと到達した。

澪が床に足をつけ、ほっと一息つく。

「ご迷惑をお掛けしちゃいましたね。ありがとうございました」

「別にいいって(柔らかくって、気持ちよかったしな)」

「……今、変なこと考えませんでした?」

 そこから同じ道を進むにしては、不自然な距離ができてしまった。さっきまで抱きあっていたも同然だけに、互いに意識して、会話も続かなくなる。

「輪くんって、み……水着とか、こういうの、そんなに好きなんですか?」

「その『そんなに』って、何だよ? 強調されても困るっつーか……ま、まあ……」

 気まずいような沈黙を経て、ようやく中間地点へと戻ってきた。

「おかえり、りん。みおもお疲れ様」

「おう。さて……全員揃ったし、あとは誰が残るか、だな」

 ゲートを開放するには、ここで誰かが『生贄』とならなければならない。

(この中にもうキャロルがいるとして……)

 もちろん、問題の偽物を生贄に捧げたうえで、気分爽快にこのゲートを突破してやりたかった。もし偽物にゴールされたら、その本物には大きな加点が入り、勝負も決まる。

 同じことを、ほかの面々も考えていた。

「どうするの? 輪。偽物が混じってるなんて、思えないんだけど……」

「ボクは本物だってば! 大体、閑ちゃんや沙織ちゃんだって、怪しいんだからね?」

「それを言っては、きりがありませんわ。なんとかして偽物を見分けませんと」

 本物であるらしい黒江は輪のアイコンタクトに応え、無言で頷く。

「わかった。オレが生贄になるぜ」

「ほ、本気なの?」

「偽物の件はあとまわしだ。クリアできるもんは、さっさとクリアしようぜ」

 あえて輪は自分が本物だと主張せず、怪しげな寝台へとよじ登った。

 寝台が拘束具を出し、生贄を仰向けで羽交い絞めにする。

(こう来ると思ったよ。あとは任せたぜ、みんな)

 そこまでは覚悟もできていた。ところが、オレンジ色のおかしなものを股間にぶちまけられ、びっくりする。

「い……いいいいい~っ?」

 この手のアクシデントには慣れつつある輪も、度肝を抜かれた。

 輪の股座で奇妙な液体がみるみる固まる。それは色からしても、逆さまにしたニンジンで、半透明のキャンディーでできているようだった。

 場所が場所だけに輪のニンジンにも見える。

(キャロルってやつは最低だな……次から次へと、こんなのばっかじゃねえか!)

 ゲームマスターの笑い声が反響した。

『ひひひっ! 鍵が欲しかったら、みんなでキャンディーを溶かしてねえ~。……あ、カロリーは控えめにしてあるから、心配しないで』

「それ、必要なことか? こ、これじゃ動けねえ……」

 手足の拘束は解除されたものの、股間を押さえられては起きあがれなかった。キャンディーの中央には鍵があり、その周囲は何やら白い層で覆われている。黒江はアーツなしにコンピューターで分析を終え、肩透かしを食ったように眉を顰めた。

「ほんとにキャンディーみたいだね」

「澪ちゃん、火のスペルで溶かせないかなあ」

「オレの火傷も考慮してくれよぉ」

 沙織はハルバードのニーズホッグを構えようとする。

「これで砕いて……あら?」

『おっと! 武器は使っちゃだめだかんねー』

 しかしニーズホッグは形にならず、霧散してしまった。澪のスペルアーツも強制的にキャンセルされ、不発に終わる。

「魔眼の影響のようですね。このプロテクトさえなければ……」

「……だから、オレの股間も心配してくれって……」

 彼女らのアーツで急所を殴られたりせず、ほっとした。

 レプリカとはいえ魔眼は魔眼、アーツのプロテクトに関しては盤石らしい。問題のキャンディーはそれ以外の方法で溶かすほかなかった。

 閑は両手で頬を押さえ、赤面する。

「じ、じゃあ……舐めて、溶かせってこと……?」

 沙織や優希はぎょっとして、輪の股間にあるニンジン色のキャンディーを見詰めた。

「あれを、な、舐めるんですの?」

「あんな大きいの、ひとりじゃ……み、みんなでやれって?」

 仰向けのまま、輪はキャンディーの下でもがく。

「こっ、これくらい……ぐ?」

『ひひひ! おとなしくウサギさんたちに溶かしてもらいなってぇー』

 鍵を取り出すには、このキャンディーを皆で舐めまくる必要があった。キャロルの『カロリー控えめ』という言葉にしても、それを示唆している。

 ごくり、と咽を鳴らしたのは優希。

「優希さん、食いしん坊はほどほどにしませんと」

「ち、違う違う! あんなのが食べたいわけないでしょ?」

 優希はキャンディーを指差し、全力でかぶりを振った。ゲームの馬鹿馬鹿しさには黒江もげんなりする。

「これって、楽しいのは輪だけじゃ……」

「楽しいわけあるかっ!」

 何より問題なのは、それが輪の股座にあることだった。アレをああするソレではないにしても、いかがわしすぎる。

 無理に動こうとのたうつうち、腹筋のあたりが痛くなってきた。

「はあ、はあ……だめだ。これ、普通のキャンディーじゃねえぞ? 硬すぎて」

『溶けやすくはなってるからサ。ボーナスも弾むから、ウサギさんたち、頑張ってね』

 ゲートの上で十分間のカウントダウンが始まる。

『ほらほら! 早く脱出しないと、大変なことになっちゃうぞ~?』

「そんな、急に制限時間だなんて……」

 第四のメンバーはおろおろしてばかりいた。その間にも残り時間は減っていく。

「……あたしがやります」

 最初に名乗りをあげたのは、澪だった。

「さっきは輪くんにご迷惑をお掛けしましたから。じっとしててくださいね」

「悪ぃ、五月道」

 おずおずと輪の下半身に近づき、しゃがみ込む。

「ほ、ほんとにやるの? みお」

「はい。どこまでできるか、その、わかりませんけど……」

 唇が花びらのように綻んだ。ラズベリーのような色合いの舌が、ぬらりと光る。

 その先端が尖って、キャンディーの天辺を穿り始めた。

(うわっ? さ、五月道のやつ……)

 ほんの数秒のうちに、澪の初心な表情が赤らむ。

「あ……あんまり見ないでください? んふあっ、り、輪くぅん……」

 男の子に向かって『舐める』という行為を、強烈に自覚してしまったらしい。恥ずかしそうに目を逸らし、困惑しながらも、たどたどしい舌の動きで責めてくる。

 その隣へと沙織も腰を降ろした。

「……澪さんにだけ任せていられませんわ。わたくしも……お、お手伝いを……」

 ためらいがちに唇を開いては、やっぱり閉じるのを繰り返す。それでも澪に負けていられないのか、瞳は持ち前の気丈さを湛えていた。

「そ、それでは……失礼いたしますわ」

 そのまなざしが俄かに熱っぽい感情で満たされる。

 沙織は澪とともに口を開け、オレンジ色のキャンディーに舌を這わせた。根元から天辺へと舐めあげるコースで、キャンディーを少しずつ濡らしていく。

「んあっむ、意外に、えはぁ、苦しいですのね」

「同じところを舐めたほうが、っはあ、効率がいいんじゃないですか?」

 ウサギさんの吐息が重なりあって、湿った空気を充満させた。キャンディーの中の鍵に狙いをつけ、交替で頭頂をねぶりまわす。

 キャンディーは熱に弱いようで、みるみる表面から溶けてきた。

 澪と沙織の後ろには仲間のウサギさんが控え、順番を待つ。

「ボクたちもやるよ。交替してー」

「鍵を回収するだけじゃだめ。輪を解放してあげないと」

 前と後ろで入れ替わり、今度は優希と黒江のペアが出てきた。間近でキャンディーを見据え、ぎょっとしながらも息を飲む。

「む、無理はするなよ? オレのことはいいからさ」

 いつしか輪は目を見開いて、ウサギさんたちの濃厚なキス責めに期待していた。

 黒江が頭を横に倒し、キャンディーの幹にかぶりつく。

「んぐぅ……これ、すっごくネバネバ……くっついたら、はらへない」

「味はオレンジだよね? 待ってて、ダーリンちゃん……ボクがすぐにっ、あむぉお」

 同時に優希はキャンディーのさきっちょを頬張ってしまった。キャンディーのサイズが大きいせいで、舌を動かすには、顔の向きまで変えなければならない。しかし舐めるより咥えるほうが効果があるようで、キャンディーはどんどん溶けていく。

「だんだんわかっへ、きたかも……? ほら、こぉでしょ? ダーリンちゃん」

「な、舐めるか、しゃべるか、どっちかにしろって……」

 優希の舌がぐるりと舐めまわしたところへ、黒江の舌も迫ってきた。続けざまに黒江もキャンディーを頬張り、つぶらな瞳で瞬きを繰り返す。

「……どお? りん、こんらはんひ?」

「どうって言われても……えぇと、お前ら、何言ってんのかわかんねえし」

 目の前でウサギさんたちのお耳が揺れた。沙織や澪も割り込んできて、一本しかないニンジンに舌をのたくらせる。

「ゆ、優希さん? あんまり音、んあっむ、立へないれくらはい……はひたないれす」

「だってぇ、はあ、勝手に……沙織ちゃんだって、すっごいよぉ?」

 とりわけ沙織はさきっちょに味を占めたようで、とろんとしていた。頬が凹むまで吸い付きを強くして、ニンジンをしゃぶり尽くす。

 参加するにできないらしい閑は、後ろのほうでうろたえていた。

「ちょ、ちょっと? 澪まで……や、やめなさいったら」

「輪くんをこのままには、ぷはっ、できませんから……んぇへ、ここも……」

 澪も唇を窮屈なくらいに窄め、キャンディーのさきっちょを刺激する。

 四匹のウサギさんは尻尾も振って、大きなニンジンをしゃぶりまくった。互いに巨乳でおしあいへしあいしながら、舌でキャンディーの蜜を拾っていく。

 ぢゅぱっ、ちゅぱ! ずちゅっ、ぢゅるるっ!

 股座のニンジンに彼女らの唇が群がるのを、陶然と眺めるうち、直感が走った。

「あっ? ま、待て待て!」

 鍵を覆っている白いものが液体らしいことに気付く。

 しかし輪の制止は間に合わなかった。キャンディーの先端が溶けたことで、圧力の抜け道ができてしまい、中身が勢いよく飛び出す。

 びゅるびゅるびゅる! びゅびゅっ! びゅるるるる~!

 香りからしても甘いミルクが、ウサギさんたちの真正面に降り注いだ。

「ひゃあああっ? ちょっと、ダーリンひゃん?」

「な、なんでふか? これ、ひあぅ!」

 優希も、澪も、沙織も、黒江も、顔面でもろにそれを浴びる。濃厚なミルクは鼻筋の左右に分かれて流れ、彼女らの唇へと入り込んだ。

 そうして顔を汚されたにもかかわらず、瞳は満足そうに陶酔しきっている。

「あぁ、こんなにたくさん、わ、わたくしのお顔に……ぁふう」

「いきなりこんなの、なんてえ……に、におい、甘すぎ」

 だらしなく舌を出したまま、ウサギさんたちはしばらく息継ぎに専念した。

「んはぁ、はあ、っはあ……」

 ようやくキャンディーが溶け崩れ、鍵が転がる。

 そんな光景を目の当たりにしてしまい、さしもの輪も高揚感を抑えきれなかった。

(なんつーゲームだよ、これ? やばいぞ、変なところに力が……!)

 自前のニンジンが起きあがりそうになる。

「もっ、もういいよな? オレも動けるようになったしさ」

 慌てて輪は脚を閉じ、裏返った声でも平静を装った。

 黒江たちも息を整え、身体を起こす。

「……ところで。しずか、どうして手伝ってくれなかったの?」

「へ? いや、わたしは……」

 仲間に批難され、ウサギの閑はたじろいだ。沙織や優希も口を揃え、一之瀬閑に疑惑のまなざしを向ける。

「閑さんらしくないのでなくて? 輪さんを助けるためのこと、ですのに」

「そーいえばさあ、最初に『舐めろ』って言ったの、誰だったっけ?」

 澪は呆れ、肩を竦めた。

「あたしだけ遅れても、『大丈夫?』の一言もありませんでしたし。愛煌司令は誤魔化せても、あたしたちは騙せませんよ? キャロルさん」

「……ちぇっ。バレちゃってたのか」

 閑がターンするや、キャロル=ドゥベの姿となる。

「まあいっか。そんじゃ、ゴールまであと少し、頑張ってねえー」

「あ? こら、待て!」

 彼女は得意の煙をまいて、そそくさと逃げてしまった。

 とりあえず、これでダンジョン・サバイバルのクリアは目処がついた。しかし輪はまだ先に進まず、真剣な顔で腕を組む。

「ってことは、本物の閑はどっか別のところで……」

 澪たちはミルクまみれの顔を拭っていた。

「さっき輪くんが言ってた通りみたいですね。キャロルさんは最初から、閑さんと入れ替わるつもりで、このゲームを」

「メグレズが噛んでると見て、間違いない」

 黒江の口から意味深な呟きが漏れる。

「……アルコル……」

 その言葉に一同は黙々と頷いた。

 先週、学園祭で魔王と対峙した時、メグレズは閑のグランドクロスに異様なほど驚いている。歓喜さえして『アルコルの光』とも口走った。

 アルコルとは死兆星のこと。

「危うくゲームに流されるとこだったぜ。メグレズめ、閑をどうする気だ?」

「愛煌さんたちもいらっしゃいますから、極端な真似はしないと思いますけど……はあ。非常識で浅はかな、あのかたですものね」

 黒江が人差し指を唇に添え、声のボリュームを落とす。

「気付いてないふりで、もう少し様子、見よう」

「……そうですね。死兆星というだけでは情報が少なすぎます」

 輪は一抹の不安を禁じえなかった。 

(閑が八番目のセプテントリオンだなんて……嘘だろ?)

 セプテントリオンの真相が紐解かれる時は近い。

 

 

 その頃、本物の閑はパズルを解きながら、ゴールを目指していた。

「……ふう。みんなはどこまで進んでるのかしら」

 キャロルの実況も途切れ、さっぱり状況がわからない。この迷路では無線も使えず、かれこれ二十分ほど迷っている。

「ひょっとして、わたしの偽物がみんなと一緒にいるんじゃ……」

「いい勘ね。その通りよ、イチノセシズカ」

不意に話しかけられ、閑は驚きつつも構えを取った。

その部屋にはパズル用のブロックが配置されておらず、広々としている。彼女は魔装をまとった恰好で、唇をなぞって見せた。

「あなたは……メグレズ?」

「ふたりだけで会うのは初めてねえ、うふふ」

 違和感でしかなかったものが、閑の脳裏でひとつの答えを弾きだす。

 メグレズには何らかの思惑があって、今回、第四部隊の面々を招待した。ツバサが教えてくれた通り、真井舵輪を孤立させることも、目的のひとつではあるのだろう。

 ところが、この脱出ゲームでは輪と遮断されたおかげで、エッチな目に遭わされることもない。これまでの奇想天外なゲームとは意図が違っていた。

「わたしに用があるのね」

「ええ」

 メグレズが不敵にほくそ笑む。

「どうかしら。あなたもマイダーリンと一緒にニブルヘイムへ来ない?」

 唐突な誘いに閑は首を傾げるほかなかった。

「ど、どうして?」

「まだ自覚はないようね。でも、あなたは私たちがずっと捜していた、あの星の使徒。いずれマダラの末裔のもとに現れるとは、思っていたけど……」

 漠然とした不安に駆られ、心臓がどくんと跳ねる。

 しかしメグレズは閑の動揺など意に介さず、真相を語り始めた。

「教えてあげるわ、イチノセシズカ。あなたは八人目のセプテントリオンなのよ。北斗七星の傍らで輝く、死兆星……その名をアルコル」

「な……何を言ってるの?」

「さしずめ『シズカ=アルコル』といったところかしら」

 自分がセプテントリオンの一員であるなど、考えたこともない。ごく一般的な家庭に生まれ、イレイザーとして目覚めながらも、ほかは至って普通の高校生なのだから。

「わたしがセプテントリオンだなんて、何かの間違いでしょ?」

「それが間違いではないのよ。実際、あなたの感情は私たちに影響を及ぼしてるもの。マイダーリンへの好意が……ね」

 メグレズの傍でチハヤやツバサの映像が浮かびあがる。

「あれだけ男子を毛嫌いしてる子たちでさえ、マイダーリンには友好的でしょう? イチノセシズカ、あなたのマイダーリンへの気持ちが、そうさせているとしたら?」

 その気持ちを片想いのように決めつけられ、閑は口ごもった。

「おかしなこと言わないで。わ、わたしは輪のことなんて、別に……」

「それだけじゃないわ。あなたは魔王との戦いで、アルコルの光を見せつけてくれた」

 ビジョンは光の十字によって引き裂かれる。

 ヒーラー系でありながらも最大級の威力を誇る、一之瀬閑の切り札。グランドクロスは誰から教わったものでもなく、いつの間にか、自然と使えるようになっていた。

「アルコルはセプテントリオンの中でも特異な存在よ。ほかの七人の生と死を司り、生かすことも殺すこともできる。死兆星という名は伊達ではないわ」

「死兆、星……」

 俄かには信じられず、閑は自分のてのひらを見詰める。

「これも見てちょうだい」

 魔法のビジョンは新しいものに切り替わっていた。一年以上前、地下街の一角がカイーナと化した時の映像らしい。第四部隊は緊急で出撃し、要救助者の保護にまわった。

 南北に点在する出入り口は、ARCによって迅速に封鎖されている。しかし、そのひとつにメグレズが奇襲を仕掛け、バリケードも撤去してしまった。

「あなた、あのカイーナにいたの?」

「挨拶も兼ねて、マイダーリンに迷宮を体験してもらおうと思ってね」

 そこへ、何も知らない昔の輪が入っていく。

「もっとも……あなたに先を越されてしまったけれど。この時はまさか、それがアルコルだなんて思いもしなかったわ」

 このあと、真井舵輪と一之瀬閑は初めて出会った。輪が拾ったアーツ片を剣に変換し、レイを一撃のもとに斬り伏せたのを、今でも鮮明に憶えている。

「ここで会わなくても、いずれあなたはマイダーリンの前に現れたでしょうけど」

「……偶然よ。わたし、輪のことなんて全然、知らなかったんだし……」

 戸惑いながらも、閑は頑なに否定を続けた。

 そんな閑にメグレズが含みのあるトーンで聞かせる。

「七十年前のアルコルはマダラに一種の好意を抱いていたのよ。でも、当時のアルコルには実体がなかったうえ、マダラは死神の側についてしまった。だから、次に生まれ変わった時は、彼の子孫と恋をする、と……」

「や、やめてったら!」

 思わず悲鳴をあげてしまった。

 心の中まで見透かされたような感覚がして、怖気がする。自分のことは自分が一番わかっているはずなのに、どういうわけか、メグレズの言葉を無視できなかった。

 映像の中で輪は地下街を脱出し、夜道を駆け抜けていく。

「この時はARCにマイダーリンを鍛えてもらおうと思ったの。……期待していたほどに強くならなかったのは、腑に落ちないわねえ」

 メグレズは肩を竦め、笑みを緩めた。

「……まあ、難しく考えることはないわ。急にアルコルだなんて言われても、実感もないでしょうし。そのあたりは一度、サツキ=ベネトナシュにでも相談してみなさい」

「久留間さんに?」

「あの子ももとは普通の人間だったから」

 今日のところは無理強いするつもりはないらしい。すんなりと道を空けてもくれる。

 それでも閑は彼女に聞かずにいられなかった。

「あなたたち、本当は何をするつもりなの? セプテントリオンって?」

「私の目的はマイダーリンを魔界へ連れていくことだけ。いくら『傲慢』を司る私でも、人類を変革し、救済してやりたいと思えるほど、自意識過剰にはなれないわ」

 死兆星を除いても、セプテントリオンには七人のメンバーがいる。

 傲慢のメグレズ、憤怒のメラク、嫉妬のフェクダ、色欲のミザール、暴食のベネトナシュ、怠惰のドゥベ。そして、強欲のアリラト。

 もしかしたら、メグレズを出し抜いて行動に出る者が現れるかもしれない。

「アリラト……さんも、女性なの?」

「そうよ。セプテントリオンは全員が女……その意味は、あなたが私たちと一緒に来てくれるのなら、話してあげるわ」

 含み笑いを残し、メグレズは陽炎のように消えた。

 閑はひとり残って立ち竦む。

「アルコル……」

 その名を前にもどこかで聞いた気がした。

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