ダーリンのおぱんちゅ大作戦!

第四話

 翌朝もいつものように自室のベッドで目覚める。

 ところが同じベッドで、姉も寝息を立てていた。輪にとっては馴染みのあるハプニングに過ぎず、驚きは薄い。

「よく弟の布団に潜り込めるよ、この姉貴は……」

 ケイウォルスの学園祭を見物してから帰るつもりらしい。実家から大した距離でもないのに、ずぼらなところは父親に似ていた。

「そういや父さん、もう一年くらい帰ってきてないな。生きてんのか?」

 子どもの頃はさして気にしなかったが、最近になって、父のことを不可解に思う。

『お父さんはなあ、カッコいい死神なんだぞ? 悪いやつの魂を引っこ抜いて、地獄で猛省させるのが、お仕事なんだ』

『もーせーって、なに?』

『おしおきってことだ。お母さんとも、おしおきしたのが縁でなあ』

 酔っ払いの冗談にしては具体的だった。

「姉貴、朝だぞ? シャツ返せ~」

「んもう……お姉ちゃんがあと五分って言ったら、あと十分なの」

「増えてんじゃねえか」

 今朝は時間もないため、姉を放置して出発する。

 高等部のメンバーはすでに登校したあとだった。203号室の澪が階段を降りてくる。

「おはよう、輪くん。お姉さんは?」

「まだ寝てるよ。昨夜、はしゃぎ疲れたんじゃねえかな……あ、ごめん」

 輪の不格好なネクタイは、澪が手際よくなおしてくれた。

「なかなか慣れませんね、あなた」

「難しいんだって。……五月道は上手いなあ」

 ブレザーが制服らしく決まったところで、中等部のコンビも出発する。

 歩きながら、輪は何気なく問いかけた。

「なあ、いきなり変な話になるけどさ。地獄って、本当にあると思うか?」

「ホラー映画でも見たんですか? ふぅん、地獄……」

 澪が思案げに快晴の空を仰ぐ。

「地獄といえば、カイーナは『第一地獄』という意味なんですよ」

「え、そうなのか?」

「ARCが迷宮に便宜上つけた名前なんでしょうね。あの逆さまの迷宮を『地獄』と呼ぶのは、あながち間違ってないと思います」

 空は青々と晴れ渡っており、絶好の学園祭日和。日差しが強い割に風は涼しく、制服の下にベースのユニフォームを着込んでいても、苦にならなかった。

「これくらいの季節になると、当番の日も楽だなあ」

「そうですね。着てるのを忘れそうなくらいで」

 澪がスカートを少しだけ捲り、スクール水着のフロントデルタを覗かせる。

 輪は赤面しつつ目を逸らし、左手を『待った』と張った。

「ど、どうしたんだよ、五月道? いつもオレのラッキースケベを怒ってるやつが」

「え? ……あっ、いえ! これはほら、水着だからですよ!」

 澪の顔も赤くなって、間が持たなくなる。

 三年一組の教室は昨日のうちに、射的場としての改装を終えていた。景品はクラスメートが持ち寄った数々の品で、ヌイグルミが目立つ。

「それじゃ、輪くん。あとのシフト、忘れないでください」

「お、おう。またな」

 澪のほうは女子のグループに加わった。輪はクラスメートの周防哲平を探す。

「おはよ、真井舵」

「よっ、周防。そうそう、今日、オレの姉貴が来るんだ」

「例のお姉さん? でも案内できるほど、まだケイウォルスに慣れてないでしょ」

 学園祭が始まる直前だけあって、三年一組の面々もそわそわしていた。

(前の学校もそろそろ文化祭のシーズンだっけ……)

 輪は適当に試し撃ちをして、大きなヌイグルミもちゃんと転がるのを、確認しておく。

 間もなく開催の放送が流れた。

『ただいまより、第三十回、ケイウォルス祭を開催いたします』

 学校じゅうで盛大な拍手が巻き起こる。

とはいえ始まったばかりでは、客も少なかった。要領のいい哲平はこれを狙って、朝一のシフトに入ったのだろう。

「そういやさ、真井舵、明日の後夜祭、第四の子とデートの予定とかあんの?」

「そんなわけないだろ……。オレが日頃、どれだけ白い目で見られてると思ってんだ」

 彼女たちの冷ややかなまなざしを想像するだけで、ぞっとした。

寮の階段を見上げれば、沙織お嬢様がスカートを念入りに押さえながら、軽蔑の言葉を投げつけてくるし。

『どこを見てらっしゃるの? ヘンタイは自重なさい!』

 寝ぼけている黒江を支えようとしたら、痴漢と誤解されたこともあった。

『……恣意的なスケベ。上手くやったつもり?』

そもそもラッキースケベという言葉を使い始めたのも、彼女であって。

 幼馴染みの優希には、先週も、ベッドの下に隠していたお色気漫画を暴かれた。

『ガールズトラブル……ダーリンちゃん、こういうのが好きなんだ? へえ~』

 澪に関しては、もはや言うまでもない。

『またですか、輪くん! このヘンタイ! スケベ! バカ! エッチ!』

 閑だけは辛辣になじってくることはないものの、パンツの件でマジ泣きさせたこともあるため、もっとも油断ならなかった。

『わ、わたしは信じてるわよ? 輪はそういう男の子じゃないって……あっ、別にいいのよ? ちょっとくらいは興味あっても。お、男の子だもの』

 残念ながら真井舵輪の評価は低い。やはりパンツを被ったのが、いけなかった。

 哲平が頬杖をついて、ぼやく。

「アニメとかだとさ、真井舵のポジションってモテまくるのにね。この前貸した、ガールズトラブルもそうだろ?」

「あの漫画のせいで、オレがどんな目に遭ったと……」

 輪は肩を落とすも、哲平のやけに具体的な分析は止まらなかった。

「よくあるのは、あれだよ。主人公の能力だけ反則じみてて、世界のルールを破綻させちゃうとか。あとは、そうだなあ……訳あって全力では戦えないんだけど、実は超ベテランの戦士で、経験に裏打ちされた判断力がヒロインの危機を救う、とかさあ」

「……オレは歴代でも最弱のイレイザーらしいぞ」

「で、その世界には男が主人公しかいないみたいに、ヒロインが全員、主人公を好きになるんだよね。真井舵はどう?」

「全員に嫌われる、の間違いだろ……」

 長くなりそうなので、早々に教室をあとにする。

 

 そろそろ客も増えてきたところで、店番が交替の時間となった。

哲平がいそいそと席を空ける。

「じゃあ、ぼく、アニ研のほうに行くからさ」

「オッケー。こっちは任せろ」

 少し遅れ、相方の澪も駆け込んできた。

「ごめんなさい、輪くん! 友達と話し込んじゃってて……」

「これくらい、遅刻のうちに入らねえって」

 まだクラスメートのほかに友人のいない輪のほうが、時間を持て余しているだけ。N中学の友達を招待したいとも思ったが、スクール水着の件を弁明できる自信はなかった。

「高等部のほうは行ったのか?」

「まだですよ。あとで……輪くんと一緒に行こうと、思いまして」

「オレなんかに気を遣わなくてもいいのに」

 三年一組の射的場はそれなりに繁盛している。

しかし中等部生と外来の客ばかりで、高等部生はほとんど見られなかった。

中等部生にとっての高等部は、いずれ通うことになるため、下見という意味がある。反面、高等部生にとっての中等部は、親しい後輩でもいない限り、無用の物件だった。

そのはずが、三年一組に高等部生の美女が訪れる。

「えーと、ここよね」

 一之瀬閑は入口のカウンターで輪を見つけると、前のめりになった。輪と目線を水平にして、首を傾げるように覗き込んでくる。

「おはよう。繁盛してるみたいね、ダーリン」

「……だあっ?」

 恥ずかしいあだ名で呼ばれ、輪は顔を赤らめた。

隣の澪まで赤面し、がたっと起立する。

「し、閑さん? 輪くんのこと、ダーリンだなんて、ど、どうしたんですかっ?」

「優希もそう呼んでるじゃない。あだ名、でしょう?」

 にもかかわらず、閑はしれっと言ってのけた。髪をかきあげるとともに背筋を伸ばし、中等部生らに抜群のプロポーションを見せつける。

「ダーリンに高等部を案内してあげようと思って、ね。店番は何時までかしら」

 射的場にいた面々がひそひそと騒ぎ始めた。運悪くクラスの女子らが戻ってきて、この修羅場を目の当たりにする。

「ええっ! あれ、真井舵くんの彼女なの?」

「さっき『ダーリン』って! 年上の彼女とか、やるぅ~」

 憧れの閑とカップルと勘違いされ、こそばゆくてならなかった。

(オレたち、そういうのじゃないけど……)

 優希の時のように期待はすまいと、自制していたつもりの気持ちが、熱を生む。

「五月道さんと付き合ってるんじゃなかったのね」

 閑の真意はどうあれ、これで澪との関係を深読みされることは、なくなりそうだった。輪は戸惑いつつ、しどろもどろに閑を迎える。

「あと一時間は店番なんだ。昼からだったら、いつでも行けるからさ」

「そう? でも午後は、わたしのほうが動けないのよ」

 聞き耳を立てていたらしいクラスの女子が、しめしめと割り込んできた。

「遊んできていいわよ、真井舵くん。こっちは私が見とくからさあ。どうせ友達が来るまで、一時間くらいは暇だし」

「……いいのか? 悪ぃな、なんか奢るよ」

 輪はカウンターを離れ、閑に射的のライフルを勧める。

「こういうの、黒江が好きそうね」

「弾はこう詰めて、っと……やってみろよ、閑。簡単だからさ」

 閑は玩具のライフルを本物さながらに構え、最上段のヌイグルミを狙った。輪も傍でサポートに入って、こっそりヒントを教える。

「ちょっと横にずらして、当てる感じで。あのへんのヌイグルミは重いから」

「ありがと。……行くわよっ!」

 一発目は命中したものの、ヌイグルミを揺らすだけに留まった。

「もっと前に出して、狙ってもいいんだぜ」

「そうなの? じゃあ……きゃっ!」

 ライフルを的に近づけようと、身を乗り出した閑が、バランスを崩す。それを輪は反射的に抱きとめてしまった。咄嗟の行動がまたセクハラになる。

「っと、ごめん!」

 慌てて手を離すと、彼女は恥ずかしそうに頬を染めた。目こそ合わせてくれないが、今のラッキースケベをやけに意識しているのが、ありありと伝わってくる。

「い、いいの。気にしてないから」

 彼女を抱き締めた感触は、輪の腕にも残っていた。

(閑って細いよなあ。それに柔らかくって)

 だんだんデートの雰囲気になってきて、周囲の目も温かくなる。

 ところが閑の狙っていたヌイグルミは、ほかの誰かが先に落としてしまった。輪たちの隣で、澪もライフルを構える。

「……あたしにも教えてくれませんか? 閑さんにしてあげたみたいに」

「え? でも、景品ならさっき自分で……」

 澪の顔が俄かに赤くなった。眉を吊りあげながらも、瞳にうっすらと涙を溜める。

「いっ、いいでしょう? 輪く……だっ、だ、ダーリンくん!」

 射的場で爆風が生じた。ダーリンは狼狽し、全力で両手を横に振る。

「ダーリンくんだってぇ? 熱でもあるのかよ、お前!」

「いつもこう呼んでるじゃないですかっ。あ、あだ名ですよ、あだ名です!」

 バカップルじみている自覚はあるようで、澪は自棄さえ起こした。

 輪の右腕には閑がしがみつく。

「ちょっと、澪? あなたは店番じゃなかったの?」

 同時に、左腕には澪が絡みついてきた。

「で、ですから、シフトが一緒のダーリンくんにお仕事させようと……」

 右からも左からも、ぐいぐいと引っ張られる。しかも腕の一部は、彼女らの胸の谷間にむにゅうと挟まってしまった。

「ああっ、当たってるって、ふたりとも!」

「え……?」

 閑も澪も、自分の胸元を見下ろして、破廉恥な状況にぎょっとする。

「きゃああああっ!」

「またですか、あなたってひとは!」

 平手打ちを両方の頬で食らい、音が二重に弾けた。鼓膜にまでダイレクトに響く。

「エッチなのは許しませんよ、ダーリンくんっ!」

「いてて……今のはどう見たって、オレのせいじゃないだろ!」

「あっ? 待って、ダーリン!」

 身の危険を感じ、輪は猛ダッシュで三年一組を飛び出した。

(閑も五月道も、どうしたんだ? 変な風邪でもひいてんじゃねえのか?)

 殴る蹴るされるとか、軽蔑されるだけならまだしも、クラスメートの前で『ダーリン』などと呼ばれては、学園生活に支障をきたすだろう。

中等部で騒ぎを起こしたくはないため、高等部のほうに逃げ込む。

 一階の廊下で黒江とすれ違った。

「……おはよ」

「よ、よう。黒江はおかしなことになってない、よな?」

「おかしいのは、そっち……」

 黒江はタコ焼きを抱えながら、気ままにフランクフルトをかじっている。マイペースな彼女らしいお祭りスタイルには、ほっとした。

「朝から、閑、いなくて。どこ行ったか、知らない?」

「さ、さあな。友達の案内でもしてんじゃないか? ははは……」

 閑の話題は作り笑いで誤魔化す。

 高等部に入ったのは初めてで、右も左もわからなかった。とりあえず一年二組は閑と黒江で、三組が沙織、一組が優希のクラスとは知っている。

ほかに行くあてはなく、できることなら閑の二組は、今は避けたかった。

黒江がフランクフルトを咥え、輪の袖を引く。

「ふぉっち」

「面白い出し物でもあるのか?」

黒江なら、構える必要もなかった。

行き先は二年生の出し物で、占い屋。さほど長くないとはいえ、行列ができており、やはり女子が多い。占いにはさほど興味がない輪も、黒江とともに順番を待った。

「こういうの好きだったのか。あ、データ収集ってやつだな」

「んっ」

 待っている間、タコ焼きをひとつ勧められる。

 形は潰れている割に美味しかった。高等部となると、出し物のレベルも高い気がする。

(あと半年もしたら、こっちに通うのか。……内部入試をクリアできたら、だけど)

 やがて輪たちの番となり、暖簾の奥へと案内される。

 中は暗く、ランプの明かりだけが頼りだった。突き当たりで席に着くと、目の前で水晶玉がぼうっと鈍い光を放つ。

「……ヒッヒッヒ! 己が運命が光明となる、深淵の闇へようこそ」

 占い師はしゃれこうべのフードを被っていた。叡智を感じさせる話し言葉もあって、ミステリアスな雰囲気を漂わせる。

「わしのことはウォーロック、とでも呼ぶがよい。さて……これだけは肝に銘じておけ。まじないとは未来を知る術ではない。未来さえ変えうる、危険な儀式なのじゃ」

 遊び半分で占いに手を出してはならないという、忠告から始まった。ハッタリであれ、これからの占いに説得力を持たせるための、小粋な演出らしい。

「では、始めるとするか。何を占って欲しいのじゃ?」

「恋愛運」

 黒江はずばっと言いきった。

「ほほう……そちらの殿方との相性占いとな」

「うん。だーりんと上手くいくか、見て欲しいの」

「だだっ、ダーリン?」

 またしてもダーリンと呼ばれ、輪は椅子ごとあとずさる。

 しかし黒江は涼しげな表情で、相変わらず飄々としていた。最後のタコ焼きを口に放り込んで、もぐもぐと頬を膨らませる。

「よかろう。おぬしらは手を繋いで、水晶玉をよぉく見ておれ?」

 黒江の小さな手が輪の左手にまとわりついた。ぎこちなく指を曲げ、握ってくる。

「……じっとして」

「は、はい」

 彼女の柔らかさを感じながら、輪は水晶玉を見詰めた。こうなったら、一秒でも早く終わってくれることを、祈るしかない。

 占い師が声に笑みを含める。

「ふふふ。見えたぞ、見えたぞ。そちらの男子には、女難の相が出ておる。……ふむ、おぬし、力量はさほどではないが、数奇な運命を背負っとるようじゃの」

「で、恋愛運は?」

「焦るでない。未来を知らんとするなら、まずは己のありかたを知らねばならぬ」

 こうして間を取るのも、演出のようだった。

「この男は獣のごとき欲望を抱いておる。気をつけるがよい」

「知ってる」

「相性のほうは……悪いというより、障害となるものが多いのう。ほれ、さっきの女難の相というやつじゃ。今に熾烈な女の戦いとなろうて……」

 後ろのほうで暖簾が開くと、外の光が差し込む。

 占い師はすでに忽然と姿を消していた。占いの結果が記されたメモだけ、残される。

「すげえな。なんか怖くなってきたかも」

「人気あるの、わかる」

 本当に髑髏と話していたかのような錯覚さえあった。

 いつの間にか黒江の手も離れている。逃げるなら、今しかなかった。

「だーりん、次はあっち……」

「ご、ごめん。オレ、用事を思い出したからさ!」

「……え?」

 呼び止められるより先に振りきって、輪は校舎を駆けあがる。

 閑といい、澪といい、黒江といい、おかしかった。昨夜の時点で、閑だけ余所余所しくは感じたが、これといって心当たりもない。

 高等部の最上階でも行列ができていた。出所は吹奏楽部の出し物らしい。

「こちらは余所の展示になっておりますの。入口は空けておいてくださらない?」

 列を整理しているのは沙織だった。

「ごきげんよう、輪さん。いらしてくれましたのね」

「えぇと……まあ、な」

 ダーリンなどと呼ばれず、輪は胸を撫でおろす。

「沙織は吹奏楽部だったっけ。なんの出し物なんだ? これ」

「そうですわねえ……百聞は一見に如かず。あなたも並んでお待ちなさい」

 下手に逃げまわるより、こうして行列に紛れ込んでいるほうが、利口に思えた。

 前方から鐘の音が頻繁に響き渡る。さながら除夜の鐘のようで、この先にあるものにも想像がついた。順番が近づくと、沙織が案内役を買って、隣に入ってくる。

「さあ、行きますわよ!」

 扉の先には、さらに上への階段があった。慎重に昇っていくと、普段は中等部までチャイムの音色を響かせている、大きな釣鐘の前に出る。

「願いの鐘ですわ。お願い事が叶いますの」

「なるほど。それじゃあ、オレもやってみようかなぁ」

 鐘の真下に立ち、輪は受験生らしい願い事を思い浮かべた。

「高等部に進学できますように、っと」

 ところが沙織も一緒に手を伸ばして、勢い任せに釣鐘を鳴らす。

「ダーリンさんが無事、高等部にいらして、わたくしの後輩になりますようにっ!」

 がらんがらん、と甲高いメロディが大空に響き渡った。

耳鳴りを感じつつ、輪は口元を引き攣らせる。

「……さ、沙織? 今、オレのこと……なんて?」

「べ、別に深い意味はありませんのよ? 優希さんもそう呼んでるじゃありませんこと。わたくしもそろそろ、ダ、ダーリンさんと打ち解けようと思いまして……」

 沙織はしとやかな仕草で頬を押さえ、ほんのりと顔を赤らめた。

「慣れれば、どうってことありませんわよ」

「い、いやいや……」

 さっきの閑や澪といい、黒江といい、目の前の沙織といい、何かが狂っている。

「落ち着いてくれ、沙織。きっと熱とかあるんだよ。な?」

「わたくし、自己管理は完璧でしてよ」

背筋を冷たいもので撫であげられるような感覚がした。輪は一歩、二歩とあとずさり、三歩目のタイミングでスタートダッシュを切る。

「悪い、用事思い出したから!」

「あっ? ダーリンさん!」

 虚を突くことには成功したらしい。

立ち竦む沙織を放って、輪は階段を駆け降りた。充分に距離を稼いだところで、人込みに紛れ、ひとまず息を整える。

「ハア、ハア……沙織まで、どうなってんだよ」

 逃げてきた先は一年生の教室前だった。澪を除く全員が高等部の一年なのだから、ここも危ないかもしれない。そう判断できたことで、少しは冷静になった気もする。

「おはよぉ、ダーリンちゃん!」

「うわあああっ?」

 しかし『ダーリン』と呼ばれるや、また動転してしまった。素っ頓狂な悲鳴をあげ、周囲の客まで驚かせる。

 一年一組の看板を持った優希はきょとんとして、首を傾げた。

「……そ、そんなにびっくりしなくても。遊びに来てくれたんでしょ?」

 出し物は蕎麦屋らしく、若草色の法被を着ている。

 ごく普通の健全な模擬店に違いなかった。けれども、優希の誘いに応じるのは怖い。

「ねえ、ダーリンちゃん? 大丈夫?」

 真っ青になっていたらしい顔を覗き込まれ、輪は反射的にのけぞった。

「ごごっ、ごめん! お昼になったら来るからさ!」

「へ? あ、待ってってば!」

 まわれ右して、廊下を端まで疾走する。

 

 あちこち逃げまわった末、生徒会室へと辿り着いた。学園祭の間はトラブルの対応などを受け持つようだが、今は客の利用も見られない。

「そうだ、ここなら……」

 まさか誰も、中等部の真井舵輪が高等部の生徒会室にいる、とは思わないだろう。落ち着くまで休憩させてもらうことにする。

「お邪魔します」

「……あら? 真井舵じゃないの」

 そこで輪を迎えたのは、愛煌=J=コートナーだった。いつも司令部で見かける気丈なブレザー姿が、今日は『生徒会』の腕章をつけている。

「そっか、愛煌司令は役員なんだっけ」

 愛煌がむっと眉を顰めた。

「学校では『司令』と呼ばないで。司令部の存在は機密なのよ」

「おっと、悪い。じゃあ……愛煌先輩で」

 さすがに馴れ馴れしい言葉は使えない。輪は、愛煌には『ダーリン』と呼ばれなかったことに安堵しつつ、適当な席に腰を降ろす。

「少し休んでってもいいか? 実は、その……」

「話しにくいのなら、別にいいわ。ただし静かになさい」

 輪の事情など、愛煌は興味がない様子で、スケジュール帳に目を通していた。

輪は机に突っ伏し、脱力する。

「……ハア」

 話すべきか迷ったが、むしろ無関係な愛煌になら、楽に相談できた。頭をあげず、独り言のように打ち明ける。

「オレにも何がなんだか、わかんねえんだけどさ――」

 聞いていないのか、愛煌の反応は薄かった。しかし一通り話し終えると、『なるほど』と呟きながら、スケジュール帳を畳む。

「自覚はあったのね、あなた。自分がモテるわけないってことに」

「そ、そりゃそうだろ。いきなり『ダーリン』なんて迫られたら、何か裏があるって、警戒するのが普通で」

 閑たちに言い寄られたからといって、素直に喜べるほど、楽観的にはなれなかった。

 机に突っ伏したままでいると、上から愛煌の声が降ってくる。

「心当たりならあるわよ。多分、わたしのせいね」

「……は?」

 輪は顔をあげ、目を点にした。

愛煌の不敵な笑みが嫌な予感をもたらす。

「あなたのアーツ能力、あるでしょ? パンツエクスタシー」

「なんて名前をつけてんだっ!」

 真井舵輪のスキルアーツは、隊員のパンツを被ることで、彼女らのアーツ能力をコピーできる、という破廉恥かつ規格外のものだった。

いつでもどこでも、臨機応変にバトルスタイルを変えられるのだから、用途は多い。

 ただし、それには彼女らの『協力』が欠かせなかった。

「アホらしいから伏せておいたんだけど、パンツエクスタシーのことがARCの上層部にばれちゃって。あなたにパンツを持たせろって話になっちゃったのよ」

「げえっ?」

 パンツエクスタシーを発動させるには、まずもって閑たちにパンツ(使用済み)を貸してもらわなければならない。

「確か……そうそう、一昨日の放課後だわ」

 かくして愛煌の口から、輪の知らない真実が語られた。

 

 司令部のミーティングルームで、沙織の怒号が反響する。

「そんな非常識なこと、できるわけありませんわっ!」

 その日の放課後、第四部隊の女子一同はミーティングルームに召集され、愛煌司令から奇想天外な命令を言い渡されてしまった。

 真井舵輪にパンツを貸せ、と。

 無論、男の子に自分の下着を貸せる女性など、いるはずもない。すでに輪にパンツを被られたことのある閑は、神妙な面持ちで本音を吐露した。

「さ、さすがに無理があるんじゃないかしら? 輪のことが嫌ってことじゃないのよ。パンツを見られたり、触られたりするのは……ちょっと、って話で……」

 はきはきとは言えず、口ごもる。

 実験のためにパンツを提供する羽目になった澪は、こめかみに青筋を立てた。

「ちょっとどころじゃありません。嫌なものは嫌なんですっ!」

 黒江や優希も険しい表情で、口を揃える。

「……りんが彼氏だったとしても、ないと思う……」

「ボクも貸したりするのは……ねえ? パンツには詳しいダーリンちゃんのことだから、デザインや色までチェックしそうだし」

 あらかたの反応を予想していた愛煌は、やれやれと肩を竦めた。

「無茶を言ってるのは百も承知よ。けど、憑依レイさえいなくて、ずっと戦力外だった真井舵が、やっと自前のアーツを見つけるところまで来たの」

「憑依レイが、いない?」

 司令のさり気ない一言を、澪が拾いあげる。

「じゃあ、輪くんはどうやって戦ってるんですか?」

「それがわからないのよ。従来のアーツで、真井舵だけ大して出力を出せないことも、おそらく関係してるんでしょうね」

 善玉のレイに憑依されることで、イレイザーは初めてアーツの力を行使することができた。しかし輪にはそのレイがおらず、地下街のカイーナではフロアキーパーに憑依されるなどという事態にも陥っている。

「あいつ、弱い割にいろいろと規格外なのよ。ARCのプロテクトも機能しないし」

「そうですわ! 前に寮の庭で、武器を実体化させてましたもの」

「知ってたのね。だから私としては、もっと詳細なデータが欲しいわけ」

 真井舵輪に女子隊員のパンツを被らせろ、とは上層部の意向だったが、愛煌はさも独断のように語った。ここで上層部の悪口大会になっては、話も進まないだろう。

「そういうことでしたら、まあ……」

「……オオカミから身を守るためにも、必要なデータかも」

 愛煌のあくまで理性的な判断に、皆も納得の姿勢を見せ始めた。しかし下着のことだけに、閑は言葉に迷いながらも抵抗する。

「でも……パンツなんて貸したら、ほ、ほら? 輪と気まずくなるじゃない? 同じ寮に住んでて、毎日顔だって会わせるんだもの」

「わたくしも閑さんと同じ意見ですわ。いくら輪さんのアーツが有用でしても、チームメイトの関係を悪化させるようでは、本末転倒ではなくて?」

 閑と沙織は頑なに拒否の姿勢で通そうとした。

一方で、優希はけろっと言ってのけ、黒江も同調する。

「んーとぉ……とりあえず、ボクのパンツじゃなかったら、いいかな?」

「そっか。私のじゃなくても、データは取れる……」

 澪は辛辣な調子で補足した。

「ほかのひとのパンツでも、あたしの前では使って欲しくありませんけどね。そもそも『パンツを被ったヘンタイ』が見たくないんです」

 大体の意見が出揃ったところで、愛煌がまとめに入る。

「澪の言い分はともかくとして、じゃあ、こんなのはどう? 真井舵と仲の悪い隊員が、パンツを出すの。それなら、もとから悪い関係がさらに悪化するだけで、ほかのメンバーとは気まずくなることもないでしょう」

「そ、そんなの無茶苦茶……」

「パンツエクスタシーのデータ収集が最優先よ。そうね、パターンが欲しいから、ふたりくらいに出してもらおうかしら。これで決めなさい」

 閑たちは一様に青ざめた。近日中には輪との親密さを評価され、下位の二名はパンツを差し出す羽目になる。

奇しくも明後日からは学園祭だった。優希がにんまりと余裕を浮かべる。

「そぉだ、学園祭、ダーリンちゃんに高等部を案内してあげようかなあ~。ボクってば、ダーリンちゃんの幼馴染みだから、お世話してあげなくっちゃね」

 冷や汗をかきながら、澪も虚勢を張った。

「り、輪くんとは同じクラスですから? あたし。店番のシフトも一緒なんです」

 早くもふたりにリードされ、沙織や黒江が焦り出す。

「何をおっしゃいますの? 勝負はまだまだ、これからですわっ!」

「後夜祭でりんとダンスすれば……確実に助かる」

 宣戦布告が飛び交う中、閑はおろおろとした。

「ご、強引なのはだめよ? 輪の意志だって、えぇと、ちゃんと尊重して……」

 輪を気遣うのは閑くらいで、ほかのメンバーはめらめらと対抗心を燃やす。

「わたくしの貞操を守るためにも、どなたかには恥をかいてもらいますわ。ふふっ、悪く思わないでくださいまし?」

「勝機はある。私とりん、相性は悪くない……はず」

「ダーリンちゃんとは、ボクがいっちばん仲いいに決まってるでしょ」

「高等部のみなさんには、中等部には来づらいでしょう? 当番のあとは、輪く……ダ、ダーリンくんと見てまわるのもいいですね」

己のパンツを懸けた女たちの戦いが、幕を開けた。

 

 真相を知った輪は、机に両手を張る勢いで前のめりになる。

「なんでそんなことになってんだよ!」

「決まったものはしょうがないじゃないの。これで、わかったでしょう?」

 今日になって閑たちがアプローチを掛けてきたことには、とんでもない理由があった。彼女らはパンツを提供したくがないために、輪を篭絡しようとしている。

(オレだって、ちょっとは期待するっつーの……!)

 悔しいような、切ないような、それでいて虚しい気持ちが込みあげた。閑や澪が『ダーリン』と呼んでくれたのも、フリに過ぎない。

 男としてのプライドは打ちのめされ、自棄だけが残った。

「全員のパンツ、被ってやろーかな」

「いいわね、それも。あの子たちもそのうち慣れるでしょうし……」

 愛煌の視線に生温かい同情がこもっているのが、余計に輪の心をへし折る。

「すみません! 失礼します!」

 そんな話題しかない生徒会室へ、女子のグループが慌ただしく駆け込んできた。制服からして中等部生で、スカートをしっかりと押さえている。

「なにかトラブルでもあったのかしら?」

「あ、あのっ、実は……」

 彼女らは輪を見つけ、一度は言葉を飲み込んだ。男子に聞かれてはまずい話らしい。

 気怠そうに頬杖をついていた愛煌は、生徒会役員として姿勢を正した。

「こいつのことは気にしないで。落ち着いて、話してみなさい」

 それでも女の子たちはもじもじとするばかりで、切り出さない。輪が遠慮がちに顔を背けて、ようやく先頭の女子が口を開いた。

「下着が……その、穿いてたパンツがなくなったんです」

「……はあ?」

 突拍子もない告白には、愛煌も首を傾げる。

「学園祭のいつどこで、パンツを脱いだりするのよ」

「脱いだりしてません! みんな、朝から穿いてたはずなんです。それが……気付いた時にはなくなってて、びっくりして……」

 その話が本当なら、彼女たちは今『はいてない』ことになった。スカートをやたらと念入りに押さえているのも、頷ける。

「よ、よくわからないわね……下着泥棒が出たってこと?」

「なんかスースーするなあって思ったら、いつの間にか消えてたんです!」

 男子としては聞いていられない話になり、輪は赤面するほかなかった。下手に目を合わせようものなら、軽蔑の視線が返ってくる。

(出てったほうがいいよな、オレ)

 しかし生徒会室から抜け出そうとすると、別のグループに遮られた。

「生徒会室ってここですか? 助けてください!」

 はいてない女子は増え、口々に下着の不在を訴えてくる。

「中等部を見てまわってたら、パンツが……! 泥棒がいるんですよ、絶対!」

「パンツがないんです! トイレに行ったら、は、はいてなくて……」

 愛煌は司令の顔つきで眉を顰めた。

「何が何やら、ね。まさか……とは思うけど。とりあえず不審者の捜索を……」

 彼女の携帯が緊急のコールを受ける。

『たっ、大変です! 中等部の旧校舎でカイーナが発生しました!』

「……なんですって?」

「周防からか? 一体、何が起こってんだ?」

 輪は愛煌とともに地下の司令部へと急行するのだった。

 

 

 ケイウォルス学園祭の一日目も、夕方にはお開きとなった。客は残っておらず、生徒も帰宅しつつある。しかし輪たちは地下の司令部で、今なお状況を睨んでいた。

 中等部のほうは午後から学園祭どころではなくなってしまい、模擬店や出し物もすべて中止となっている。

その原因は、女子のパンツが忽然と姿を消す、怪現象だった。

「つまり、あなたの推測では……女子生徒のパンツが消えるのと、旧校舎のカイーナは、関係があるっていうのね」

 愛煌の指示のもと、哲平がてきぱきと端末を操作する。

「カイーナの外にまで影響が及ぶパターンは珍しいですが、そうとしか考えられません。少なくとも人間業ではないでしょうし……」

 すでに『容疑者』は拘束されていた。

「だ、か、ら、あ、オレがやったわけないだろ! できるかっ!」

 輪の両手には手錠が嵌められ、正面には監視カメラまで用意されている。

 哲平が肩越しに妬みの表情をちらつかせた。

「真井舵さんの情熱があれば、あるいは……と、念のため。あと、なんか隊の女の子に言い寄られてるみたいで、ムカつくんですよねぇ」

「あれ? お前、オレのこと、そんなふうに見てたのか?」

 第四部隊のメンバーは誰もフォローしてくれない。

「ダーリンちゃんがパンツハンターに……いい加減にしないと、捕まっちゃうよ?」

「結局、女の子なら誰のパンツでもよかったんですのね。最ッ低ですわ」

「気付かれないうちに脱がせる……私たちも危なかった」

 軽蔑の言葉には容赦がなかった。澪など、輪を見る目が氷点下に達している。

「盗んだパンツはどこに隠してるんですか? 白状してください」

「違うって! オレが盗ったんじゃない!」

 閑だけは苦笑を交えつつ、フォローにまわってくれた。

「まあまあ。カイーナが原因って話だし、ね? 周防くん、状況はどうなの?」

 壁面のスクリーンに学園の詳細な地図が表示される。

「どうやら下着がなくなるのは、中等部の敷地に入った女子生徒だけのようでして、外来の女性は大丈夫でした。高等部生でも中等部で下着を紛失しています」

 問題の報告は中等部のエリアに集中していた。

「被害に遭った女子は七十三名……真井舵ひとりでどうこうできる数じゃないわね」

「できてたまるかっ!」

 哲平と同じくデータを整理していた黒江が、淡々とスカートの中身を明かす。

「私たち、当番でよかった。スクール水着、着てるから……」

「今日だけはこの水着に感謝しましたわ、ほんと」

 第四部隊のメンバーはスクール水着を着用しているおかげで、難を逃れた。

 中等部で現地調査をしたはずの愛煌も、平然としている。

「……ねえ、愛煌さんは大丈夫なの?」

「え? わ、私は……そういえば、なんともないわね」

 ぎこちない笑みで取り繕おうとする愛煌の傍で、哲平がぼそっと呟いた。

「こう見えて、司令はれっきとした『男』ですから、下着泥棒も手を出さなかったんですよ。お、と、こ、ですから」

「えええええ~ッ!」

 さり気なく暴露されてしまった真相に、第四部隊の全員が驚愕する。

 黒江は愛煌の、男子にしては可憐な容姿に感心した。

「男の娘……見たの、初めて。なんか悔しいけど、可愛い」

「で、でしたら、恋愛対象はどうなりますの? まさか、お、男同士で……」

 沙織は興味津々におかしな妄想を膨らませる。

 疑惑に晒されながらも、愛煌は強引に切り替えた。

「気色の悪い想像をしないで……。それより今は旧校舎のカイーナよ。これ以上、被害が広がる前に、カタをつけないと」

 スクリーンで旧校舎の地図が拡大される。

「今夜の成果次第では、学園祭の中止もありうるわね。第四部隊は現時刻をもって、旧校舎の調査を開始! 真井舵も連れて、ただちに出撃しなさい!」

 リーダーの閑が起立で応じた。

「了解よ。行きましょう、みんな。パンツが消えるのはあれとしても、学校の中にあるカイーナを、放っておくわけにはいかないでしょ?」

 閑に発破を掛けられ、優希や澪も表情を引き締める。

「そうだね。せっかくの学園祭が、逆さまになんてなったら、ボク……」

「どんなカイーナであれ、危険なことには変わりないはずです。学校のみんなは、あたしたちで守りましょう」

 沙織と黒江も決意を新たに立ちあがった。

「旧校舎にはきっと、何かがあるんですわ。なくなったパンツも、おそらく」

「ついでに、りんの容疑も……晴らす?」

 やっと輪は拘束から解放される。

「オレじゃないってことを証明してやるぜ。見てろよ?」

 学園から人気がなくなった頃、第四部隊による旧校舎の調査が始まる。

 

 輪たちは問題の中等部へと足を踏み入れ、まっすぐに旧校舎を目指した。ミッドナイトブルーの夜空には金色の月が浮かび、静謐な冷気を湛えている。

「さすがに十月となると、冷えるわね……」

「ちょっと前まで暑かったのにな」

 旧校舎は決して古いものではなかった。

そもそもケイウォルス学園は、まだ歴史が三十年ほどで浅いため、校舎を一新する必要もない。にもかかわらず、奇妙な洋館風の建物は裏手にひっそりと存在していた。

愛煌と哲平は司令部のほうで、同じ状況を見ているはず。

『この前みたいに、フロアキーパーには喧嘩を売るんじゃないわよ。学園祭のことは忘れて、今夜は任務に集中しなさい』

『幸いこのカイーナからは、強力なレイの反応は見当たりません』

 いよいよ第四部隊は旧校舎へと突入した。

女子のパンツを取り戻すために。

「おかしなことになっちゃったけど、カイーナはカイーナよ。油断はしないで」

 閑の身体からブレザーが剥がれ、白色のスクール水着をベースとした、バトルユニフォームを実体化させる。

ほかのメンバーの同じ恰好となり、薄生地をお尻に食い込ませた。

澪が輪の視線を警戒し、豊かな胸を隠すようにかき抱く。

「そんな真剣な目で見たって、いやらしいこと考えてるって、わかってるんですよ?」

「へ? あ……いやっ、そういうつもりで見てたんじゃないって!」

 優希はフトモモを擦り合わせ、黒江はその陰に隠れた。

「もうパンツだけのダーリンちゃんじゃ、ないんだね……複雑」

「……それはそれで節操ない」

「しみじみ言わないでくれよ! なあ、沙織?」

 スクール水着のレッグホールを指で調えていた沙織も、輪の視線を早とちりする。

「こ、こっちは水着ですのよ? もう少し遠慮してくださらないかしら」

 輪のスケベは疑惑が深まるばかりで、集中攻撃に晒された。

 閑だけはやんわりと庇ってくれる。

「それくらいにしてあげて。輪だって思春期の男の子なんだもの」

 フォローになっていないが、ひとりでも味方がいるおかげで救われた。輪は握り締めた拳を、閑に見せつける。

「ありがとう、閑。学園祭のためにも今夜は頑張ろうぜ」

「ええ! 頼りにしてるわよ、ダーリン」

 優希の顔色が俄かに焦りを帯びた。

「ちょっと、ちょっとぉ? 閑ちゃん、こんな時まで、あの勝負のこと……むぐっ!」

 口を滑らせそうになった優希の唇を、沙織が両手で塞ぐ。

「い、いけませんわよ、閑さん? ダーリンさんに強引なことは」

「計算でやってないのが、閑の恐ろしいところ」

 黒江の視線も、閑に釘を刺すかのように鋭かった。

 澪まで声を裏返しつつ、輪にぎこちないアプローチを掛けてくる。

「あなたを頼りにしてるのは、閑さんだけじゃないんですよ? ダーリンくん」

 その真意を知っている今、驚きも期待もなかった。彼女らはパンツを差し出したくないがために、表向きは輪と親密な関係を演じたがっているに過ぎない。

(やっぱ閑もそうなんだよな。オレに優しいのって、パンツの件があるからで……)

ヘンタイ扱いには抵抗もあったが、あえて輪は何も知らないふりに徹した。

「ぼやぼやしてないで、行こうぜ。黒江はマッピングを頼む」

「了解。……あれ?」

 探索に意識を移したところで、全員が異変に気付く。

 カイーナのはずが、旧校舎の中はひっくり返っていなかった。床は足元に、天井は頭上にあり、見た目には正常な空間が広がっている。

「なんか変。カイーナなのに……」

『みなさん! 旧校舎について、あることがわかりました!』

 タイミングよく哲平から通信が入った。

「こいつはどうなってるんだ? 逆さまじゃないぞ」

『旧校舎というのは、生徒が勝手にそう呼んでるだけでして……もとはカイーナを想定したARCの、訓練か、研究向けの施設だったようですね』

 奇怪な事実に、輪と閑は驚く顔を見合わせる。

「じゃあ、なんだ? この建物はわざわざ逆さまに作られたってことか?」

「誰も入ったことがないわけだわ」

 外観は至って普通の建物だった。しかし内装は上下が逆になっており、それがカイーナ化によって、『天井は上、床は下』という本来あるべき形になったらしい。

『なんらかの意図があったんでしょう。詳しく調べてみないことにはわかりませんが』

『詮索はあとにして。それよりカイーナの調査、頼んだわよ』

 通信の向こう側には愛煌の気配もあった。

 輪は気持ちを切り替え、第四部隊の指揮を執る。

「よし。迷宮のスキャンは黒江に任せるとして、沙織と優希は前をカバー。オレは閑と後衛につくよ。澪は黒江と中衛で警戒に当たってくれ」

 不満を露わにするほどではないものの、沙織は輪の言動に首を傾げた。

「そういうのは閑の役目ではなくて?」

「え? あ、悪い、閑。気が逸っちまってたみたいでさ」

 頭をさげようとする輪の額を、閑が指で小突く。

「いいのよ。的確な指示だったし? あなた、指揮官に向いてるんじゃないかしら」

「持ちあげすぎだよ。オレじゃ、閑みたいにはできねえんだからさ」

「んー、こほんっ」

 閑とアイコンタクトを交わしていると、優希の咳払いが割り込んできた。

「ダーリンちゃんって、閑ちゃんには素直だよねえ……怪しい」

「そ、そんなことねえって! 深読みはやめろ」

 現在の片想いを、初恋の相手に勘繰られては、たまらない。

「バックアタックの可能性もありますし、今夜のところは、ダーリンくんが言ってたフォーメーションで進みましょう」

「澪まで、その呼び方で確定なのか?」

 第四部隊は慎重な足取りで、迷宮の探索を開始した。

 内装は中等部の校舎と大差ない。しかし、教室のドアの向こうに廊下がまっすぐ伸びているなど、おかしな構造が目立つ。

 前衛の沙織がハルバードの刃先をさげた。

「……出てきませんわね」

 カイーナに入って二十分ほどが経つにもかかわらず、一度もレイと遭遇していない。黒江のセンサーにも一向に反応がなかった。

「階段、発見。……降りる?」

「そうだな。情報らしい情報も見つかってねえし」

 続く二階のフロアも、ひんやりとした空気が静まり返っている。

 それでも澪は油断せず、警戒にも抜かりがなかった。

「……どうして女の子のパンツだけ、消えたんでしょうか。周防くん、そんな事例が過去にもあったんですか?」

『はい。記録によれば、お金がなくなるパターンはあったようです』

 輪の脳裏にひとつの推測が浮かぶ。

 カイーナを作り出すのはフロアキーパーであって、フロアキーパーは人間、それも犯罪者である傾向にあった。とすれば、前回のN中学のように、下卑た輩が元凶である可能性が高い。それを想像するだけで、嫌悪感が込みあげた。

 同時に怒りも込みあげてくる。

(パンツが何かもわかってねえやつが、こんな真似を……!)

 認めたくはないが、下着デザイナーの卵として、許せないものがあった。

「……どうしたの? 輪。怖い顔して」

「なんでもねえよ。行けるとこまで行ってみようぜ」

 やがて三階へと辿り着き、初めてレイの一団と出くわす。

「……うわっ!」

 第四部隊を取り囲んだのは、さながら蝶のように宙を舞う、パンツの群れだった。赤や青、紫やピンクなど、色鮮やかなショーツが、輪たちを唖然とさせる。

「もしかして、女子がなくしたっていうパンツか?」

「分析……完了。下級のレイが憑依してる」

 パンツはひらひらと輪たちにまとわりついてきた。

マジシャンの澪が右手に炎を集め、放射状に放とうとする。

「みなさんはさがってください。この数でしたら、スペルアーツで一気に片付け……」

「お待ちになって、澪さん! パンツは持ち主にお返ししませんと」

 しかし沙織の制止が入って、優希や閑も攻撃を躊躇った。

「ど、どうするの? このままじゃ」

 打開策を講じる間にも、徐々に包囲を狭められていく。沙織が牽制程度にハルバードを空振りさせると、その風がパンツを煽った。

 輪の脳裏に閃きが走る。

「ただの布だろ? 濡らせば、重みで落ちるんじゃねえかな」

「試してみよっか」

 黒江は頷くと、メンバーの手元にスキルアーツ製の水鉄砲を転送した。

「まさか、とは思うけど……」

半信半疑になりながらも、閑が前方のパンツを狙い、トリガーを引く。直撃を食らったパンツは水を含んだために、風に乗れなくなり、真下に落ちた。

輪も水鉄砲を構え、身を乗り出す。

「思った通りだ! みんな、こいつでやり過ごそうぜ!」

「パンツのことになると妙に頼もしいですわね、あなた……」

「ヘンタイだから」

 沙織や黒江も水鉄砲を撃ち、少しずつパンツの数を減らした。

懐に潜り込まれると、狙いをつけるのが難しくなる。

「きゃっ? こ、このぉ!」

 パンツに脚の間をすり抜けられ、優希は咄嗟に前屈となった。開いた脚をくぐるように頭を逆さまにする、無理な姿勢のせいで、水鉄砲が外れる。

「ひゃあっ? ちょっと、優希さん!」

 それは後衛の澪に命中し、スクール水着の下腹部をじわりと濡らした。

「ご、ごめんね? ボク、こういうの苦手で……あれぇえ?」

 優希は急いで起きあがろうとするものの、パンツに背後を取られ、両手をまんまと拘束されてしまう。パンツは即席の手錠となり、優希だけでなく、閑まで捕らえた。

 身動きできないふたりにパンツの群れが襲い掛かる。

「やっ、やだ! んあっ……痛いってばぁ!」

「きゃああ! や、やめて!」

 優希は上に向けているお尻を何発も叩かれた。避けようとして身を捩っても、挑発的に腰をくねらせる恰好にしかならない。両手を縛られているために、巨乳で突っ伏す羽目になり、窮屈そうなポーズもよく弾む。

「こんな攻撃……っはぁ、た、耐えらんないわ……!」

 閑のほうは膝立ちの姿勢で、両足もパンツで拘束されてしまった。無防備となったふくよかな胸を、スクール水着越しに、集中的にいたぶられる。

 一枚のパンツがレッグホールを限界まで拡げ、胸の果実を左右とも捕まえた。巨乳でパンツを『穿かされる』恰好となり、サイドの生地が付け根に食い込む。

「ま、まさかっ? ……あうぅ」

 ふたりとも顔を赤らめ、痛みと羞恥に苦悶した。身じろぐたび、敏感そうに腰を震わせては、甲高い声を上擦らせる。

「きゃふっ? やぁん、た、助けてぇ? ダーリンちゃん!」

「んくぅ……っ! 輪、これ……はっ、早く解いてっ!」

 苦しげな表情で名を呼ばれ、輪は我に返った。

「お、おう! 待ってろ!」

不覚にも、スクール水着の恰好で悶える彼女らに、見惚れてしまっていたらしい。優希のお尻や閑の胸にまとわりつく悪戯好きなパンツに、水鉄砲を向ける。

 しかしパンツにはひらりとかわされ、優希のお尻に水を浴びせてしまった。

「ダーリンちゃんっ? こ、こらぁ……っ!」

 スクール水着に染み込んだ水が、冷たい雫となって、フトモモにも垂れ落ちる。

 閑も胸だけに浴びせられ、悶々と吐息をくぐもらせた。

「んはあ? り、輪……やめてぇ?」

「ごごごっ、ごめん! オレ、そんなつもりじゃなくて……つ、次こそ!」

 悩ましい苦悶ぶりを目の当たりにして、輪は大いに動揺する。おかげで水鉄砲は外れまくり、彼女らのスクール水着を濡らす一方だった。

「ほ、ほんとに怒るよ? ダーリンちゃあん」

「もういいからっ! 沙織と一緒に、んあ、パンツ、減らして!」

 いかがわしい水遊びの様相を呈し、澪が視線にたっぷりと軽蔑を込める。

「……パンツと戦うふりして、悪戯ですか。まったく油断も隙もありませんね」

「わざとじゃないって! とにかく助けないと……マジシャンのアーツで、水を出すってのはできないのか?」

 黒江が今さらのように呟いた。

「あ。氷漬けにするほうが、手っ取り早いかも」

「先に言ってください! すぐに片づけます、ブリザード!」

 澪が水鉄砲を捨て、発奮とともに氷結のスペルアーツを放つ。凍てつくほどの冷気は、瞬く間にパンツの群れを氷の中へと閉じ込めた。

 優希も閑もやっと拘束を解かれる。輪はほっと胸を撫でおろした。

「ふう。これで先に進め……ん?」

 ところが、優希や澪は水鉄砲を構えなおし、輪を取り囲む。

「ダーリンちゃん、仕返しはさせてね。すっごく恥ずかしかったんだから」

「覚悟してください。あなたがスケベなのが悪いんです」

 今回ばかりは閑も庇ってくれなかった。苦笑しつつ、水鉄砲で輪に狙いをつける。

「ごめんなさい、輪。そういうわけだから」

「そ、そういうわけって、どういうわけ……ちょっ、どこ狙って!」

 四方から水を浴びせられ、輪は慌てふためいた。あとずさった拍子に、濡れたパンツを踏んでしまい、足を滑らせる。

「ヘンタイにはおしおきですわっ!」

 四つん這いになったところを、沙織にも奇襲された。

 黒江は関心がなさそうに、澪は苛立ちながら、輪に水をぶっかける。

「……おしおき」

「どうしてそこまでヘンタイでいられるんです?」

 にもかかわらず、惨めな気持ちにはならなかった。彼女らの可愛い声で罵倒されると、むしろ昂るものがある。水の冷たさにも、ぞくぞくと身体の震えを禁じえない。

(もうオレ、変になりそう……!)

 かろうじて正気を保ち、輪はおもむろに起きあがった。

 優希はもじもじとフトモモを擦り合わせながら、びしょ濡れになったスクール水着を押さえる。あられもないフトモモに雫が伝い、曲線をなぞった。

「もう帰りたいよぉ、ボク」

「我慢しましょ。学校のカイーナをこのままにはしておけないもの」

 同じくスクール水着をずぶ濡れにされても、閑はリーダーとして気丈に振る舞う。

 輪たちはパンツの一団を退け、異様に大きな教室へと足を踏み入れた。体育館ほどの広さがあるものの、天井の高さは普通の教室と変わらない。

 再びパンツの群れが渦を巻いた。

「っ! 誰かいます!」

 その中央で、ひとりの女子生徒が蹲っている。

 彼女は肌を真っ青に染め、見るからに正常な状態ではなかった。焦点が合わないらしい血眼で、眼鏡越しに輪たちを見つけ、奇声をあげる。

「きいいっ! あなたたちのパンツも寄越しなさいよおッ!」

「な、なんだ?」

 突風が脚の間を突き抜けた。それだけのことで、輪に影響はない。

「……ん? えぇと、オレ?」

「うげっ、男がいるじゃないのよォ!」

 閑たちも同じ風を受けたのか、フトモモを閉じ合わせた。女子生徒がメンバーのマニアックな恰好を凝視し、さらに目を血走らせる。

「まさか、パンツを取られたくないからって、スクール水着でェ……?」

「そ、そういうつもりじゃ、なかったんだけど……」

 ただならない狂気を感じさせるも、彼女には言葉が通じた。

「じゃあ、そっちの彼の趣味で? こんなにたくさんの女の子と、いやらしいわァ」

「まったくですっ。そのうち、スクール水着にも手を出すんじゃないですか?」

「どんだけオレを貶めるんだよ、五月道!」

 輪は軽い癇癪を起こしつつ、優希や沙織よりも前に出た。

「ダーリンちゃん?」

「多分、この子がフロアキーパーなんだよ。……いや、フロアキーパーみたいな化け物には、これからなるんじゃねえかな」

 黒江がスペルアーツのバイザーを通し、彼女の状態を分析する。

「……解析、完了。カイーナに凶暴なレイがいないのも、多分、まだ……」

「でしたら、ここで彼女を止めればいいんですね」

 澪は攻撃用スペルアーツの詠唱をキャンセルし、臨戦態勢を解いた。

 前衛の優希が間合いを取りながら、女子生徒に尋ねる。

「女の子のあなたが、どうして、みんなのパンツを盗んだりしたの? 理由とか聞かせてもらえないかな」

「いいわよォ、聞いてちょうだい」

 彼女はパンツをばらまきながら、自嘲気味に語り出した。

「こう見えても、わたしは由緒正しい神社の巫女なのよ。だけど……そんな家に生まれたために、わたしは、わたしはァ……ッ!」

 だんだんと声のトーンがあがり、憎悪のような感情を滲ませる。

「下着をつけることを許されなかったのよォオオオオ!」

 怒号とともに旋風が巻き起こった。パンツが煽られ、天井まで吹き飛ぶ。

自分はパンツを穿くことが許されないからと、彼女は腹いせに怪異の力で、ほかの女の子からパンツを奪いまくっていたらしい。

(だからこんな騒ぎを起こした、ってのか?)

 神聖な巫女とやらは下着をつけてはならない、という話は、輪も聞いたことはある。それを当事者に聞かされると、驚きや共感より、脱力を禁じえなかった。

閑が同情を綻ばせる。

「すごくわかるわ、その気持ち……! わたしも第四が当番の日は、スクール水着を着てなくちゃいけないもの。体育があると、いつも着替えに困って……」

「閑さんのおっしゃる通りですわ。トイレで着替える羽目になりますのよ?」

 沙織たちも口々に不満を爆発させた。

「愛煌司令、男……ひょっとして、司令の趣味で?」

「大体、なんで白色なんですか? せめて紺色であるべきです!」

 毎日ではない、とはいえ、第四部隊のメンバーはスクール水着での生活を強いられている。ショーツはもちろん、おそらくブラジャーも着用できずにいた。

「ダーリンちゃんみたいなスパッツのタイプだったら、まだ……ねえ?」

「オレは体育ん時も、スポーツウェアで誤魔化せるしなあ」

 巫女が牙を剥くほどに逆上する。

「わかったでしょお? だから、ほかの女も同じ目に遭わせてやったのよォ!」

 その手がパンツを荒々しく鷲掴みにした。彼女の影が立体的に膨張し、悪魔のようなシルエットを揺らめかせる。

「いい気味だわァ! お次は街じゅうの女から、パンツを奪ってやる!」

 彼女の投げ捨てたパンツが、輪の顔面に当たった。

 同情の余地はあるのかもしれない。だが、輪は苛立ちを感じつつあった。目の前の彼女がパンツを無造作に投げるたび、我慢のならないものを胸に抱く。

「わかってねえよ、お前。パンツってのは、穿ければいいってもんじゃないだろ?」

「……お、男のあなたが、なにを偉そうにィ」

 巫女の両目が赤々と光った。

 それでも輪は臆さず、言葉に熱を込める。

「パンツってのはな、女の子にとっちゃ、楽しいおしゃれなんだよ。単に必要だから穿いてるんじゃねえ。友達と一緒に選んだり、こっそり背伸びしてみたり……そういうのも全部ひっくるめての、パンツなんだ」

 男子の熱論に、女の子たちは一様に顔を引き攣らせた。

「な、何言ってるの? 輪」

「そりゃ、馬鹿なこと言ってる自覚はあるさ。でもよ、パンツが穿けないからって、僻むとか、妬むとか、そういう気持ちでパンツを考えて欲しくないんだ、オレ」

 輪の真剣な話しぶりには、幼馴染みの優希さえ呆気に取られる。

「ダーリンちゃん、パンツが好きすぎて、とうとう……」

「で……ですけど、妙に説得力がありますわね」

 沙織など、輪を軽蔑するのを忘れ、感心さえした。クールな黒江にも混乱が窺える。

「こんなヘンタイ、データにない……」

「ど、どれだけパンツが好きなんですかっ!」

 まだ澪は正常な判断力を保っているのか、震えのやまない我が身をかき抱いた。それだけ、彼女らの心胆を寒からしめる威力が、輪のパンツ論にはあったらしい。

「……ハッ? い、いや! オレ、今のはさ、なんていうか!」

 輪が我に返った時には、遅かった。女の子たちの冷ややかな視線が突き刺さる。

「下着のデザイナーって、そんなふうに考えてるのね」

「閑? なんでそのこと……まさか姉貴が?」

 問題の巫女は無念そうに頭を垂れた。

「あなたの言う通りだわァ。わたし、パンツに憧れてたはずなのに、ほかの子が穿いてるのが悔しくって……うぅ」

 ひた隠しにするしかない劣等感によって、心まで荒みきっていたのだろう。

改めて輪は真顔になり、彼女に勧める。

「巫女ならさ、なおのこと、女の子としてのおしゃれは必要だろ?」

「そうよ。お家のことも大事でしょうけど、それだけがすべてじゃないわ」

 閑にも諭され、巫女はこれまでのがむしゃらな怒気を鎮めた。

「……ありがとう。なんだか、わたし……」

 ところが、彼女の顔にめきめきと血管が浮かび走る。

「わた、ひィ?」

 その後ろで影が膨張し、禍々しい悪魔のシルエットとなった。魔性の力が彼女を本格的に汚染し、醜い化け物へと変異させようとする。

「い、いやあァ! わたしはもう、こんなこと……し、したくない、のヒィイ!」

 足元でドライアイスのように瘴気が蔓延した。頭をかきむしって苦しむ巫女を、黒い影が一息に飲み込もうとする。

 解析中だった黒江が声を荒らげた。

「……だめ! あと数分でフロアキーパーになる!」

「なんですって?」

 閑はジェダイトを構えるも、攻撃の指示をくだせない。

 前衛の沙織もハルバードを振りあげるわけにいかず、戸惑った。優希はガードの姿勢を取り、神妙な面持ちで唇を噛む。

「ど、どうしますの? フロアキーパーなら、倒すなりすればいいんでしょうけど」

「相手は人間だよ? やっつけるなんて……」

 さっきまで言葉を交わしていた相手を、まさか殺せるはずもなかった。

「しっかりしろ!」

「もうだめよ、輪! 近づかないで!」

 脳裏に『撤退』の二文字がよぎる。

(誰かのパンツがあれば、N中ん時みたいに……)

 N中学のカイーナでは、フロアキーパーと化しつつある校長を、力ずくで救出することができた。だが、今回は閑たちの下着が手元にないため、例の力は使えない。

 だからといって、ここで彼女を見捨てたくもなかった。輪は必死に知恵を絞り、ひとつだけ、およそ見込みのない打開策を思いつく。

「……オレが身代わりになって、あの影に憑依される。それを倒してくれ」

「輪? あなた、まさか……」

 閑は驚き、作戦を始める前から、かぶりを振る。

澪も真っ青になって、口を揃えた。

「無茶です! それだと、輪くんが犠牲に」

「ならねえよ、多分。地下街の時がそうだったろ?」

 いつぞやのカイーナで、輪はフロアキーパーに憑依された挙句、閑たちによって撃破された。しかし輪だけでなく、フロアキーパーになっていたらしい人物も、無事だった。

 同じ方法が今回も使えるかもしれない。

 黒江は可能性をシミュレートしつつ、眉を顰めた。

「……成功するかどうかは、五分五分。逃げたほうがいいと思う」

「自己犠牲だなんて、わたくしは許しませんわよ! 格好つけるのはおやめなさい!」

 沙織の怒号も真剣なものだからこそ、輪の胸に響く。

 それでも、目の前の彼女を心ない化け物にはしたくなかった。ブロードソードを投げ捨て、前のめりになって覚悟を決める。

「フロアキーパーになっちまったら、倒すしかなくなるんだろ? 可能性があるうちに勝負させてくれ。……あとは頼んだぜ、みんな!」

「り、輪くん!」

 澪の制止も振りきって、輪は魔影へと身を投げ込んだ。

「うおおおおおっ!」

 悪魔じみた影が、巫女から輪へと狙いを変える。おぞましい感触がバトルスーツの内側にうぞうぞと入り込んできた。それが襟元から溢れ、輪の顔まで捕らえに掛かる。

 しかし輪の意志は屈しなかった。

「今のうちだ……はっ、早くオレを! 沙織、黒江っ!」

裂帛の気合が、かろうじて魔の力を跳ね除ける。

「閑! 澪! 優希! オレを、パンツを貪る悪魔にしないでくれえ!」

 男の叫びが響き渡った。

 

 正真正銘の悪魔と化しつつあるオレに、閑が呼びかける。

「もうやめてぇ、輪!」

 だけど沙織は、あえて心を鬼にして、ニーズホッグを振りあげた。

「こうなっては仕方ありませんわ。なんとしてでも、輪さんを助けだして、お灸を据えて差しあげませんと!」

 黒江もバズーカ砲『グラシャラボラス』を構え、エネルギーの充填に入る。

「ごめん、りん。無駄にはしない……!」

 いの一番に攻撃を仕掛けたのは、優希だった。ナックルの『ファルシオン』で固めた両手で、オレに怒涛の連撃を叩き込む。

「ダーリンちゃんから出ていけっ! この、このぉ!」

 身体じゅうに激痛が走った。なのに、それを『痛い』と感じない。沙織のニーズホッグが脇腹に食い込んでも、彼女の複雑そうな面持ちを見詰めていられた。

 周囲でパンツが乱れ飛ぶ。

 オレが拒絶しながらも、心のどこかで求めていたパンツが……。

 女の子たちが何度も穿いたに違いないショーツは、存分に心を癒してくれた。フリルが可愛いものから、レースの妖艶なものまで、珠玉のパンツがオレを陶酔させる。

「唱えなさい、セイレーン!」

 その間にも澪は『口』を召喚し、自分とは別のスペルアーツを同時に詠唱させた。炎と風、ふたつのスペルアーツが一体となり、熱風を巻き起こす。

「必ず助けてあげますから、我慢してください。フレイムトルネード!」

 同じタイミングで、黒江のバズーカ砲も熱線を放った。

「グラシャラボラス、充填完了。行け!」

 オレに取り憑いている魔影が、滅多打ちにされ、悲鳴をあげる。

 なのにオレは、彼女らの暴虐ぶりに感じ入っていた。だって……学園でも有数の美少女たちが、オレだけをいたぶってくれるんだぜ?

 しかも、さっきの水鉄砲で、純白のスクール水着をしっとりと濡らしながら……。

「わたしが決めるわ!」

 閑はジェダイトを垂直に立て、詠唱に力を込めた。その豊満な身体も、スクール水着に包まれ、際どいラインを晒している。

 スクール水着……ああ、そうだったんだ。

 女の子の下着ってのは、実用性からすると『白色』ってのは選択肢になりえない。例えばチアガールのパンツが白いのは、見せることが前提になってるから、なんだよな。

 でも、オレは今こそ、白色のパンツを無性にデザインしたくなった。閑や優希、澪の水着姿を見ていると、純白の薄生地に感じるんだ。

 無限の可能性ってやつを……。

「この一撃で最後よ、輪! お願いだから、耐えて!」

 閑の剣が十字を切った。

「グランドクロス!」

 膨大なエネルギーが十字の交差点でスパークする。

 だけど、オレに恐怖はなかった。閑のすべてを受け止めてやる。

「あ……ありがとう、閑……」

「輪ーっ!」

 びしょ濡れのスクール水着をまとった閑が、必死にオレの名前を呼んでくれた。

 閑、オレ……お前に着て欲しい下着のデザイン、思いついたんだ。

 いいや、閑だけじゃない。

「ダーリンちゃん!」

「輪くん!」

「……りんっ!」

「輪さーん!」

優希にも、澪にも、黒江にも、沙織にも、着けてみて欲しい。オレが、オレだけが形にできる、最高のランジェリーを、さ……。

「オ、オレ、もう……っ! ああああああああ~ッ!」

そんな夢を見ながら、オレは昇天に至った。

 

 

 寮の102号室で、半日ぶりに輪は目覚めた。

「……ん? あれ、オレは……」

 トリップしていたらしい頭も落ち着いており、深呼吸をすると、身体の隅々まで酸素が行き渡っていく気がする。

 傍には姉の蘭がいた。新しい手拭いを冷やし、弟の額にあったものと交換する。

「大丈夫みたいね。お姉ちゃん、心配したのよ?」

「えっと……」

 枕に頭を乗せたまま、輪は昨日の出来事を思い出した。

 中等部の旧校舎がカイーナと化し、女子生徒のパンツばかり奪ったこと。その元凶であるフロアキーパーと対峙しながらも、撃破するのではなく、説得を試みたこと。

 その結果、真井舵輪は彼女の身代わりとなった。

「あの子は無事なのか?」

「ええ。しばらく入院は必要でしょうけど、命に別状はないわ」

 被害者の安否を知り、輪は安堵の息をつく。

「よかった……」

「今日は学園祭の二日目よ。あなたのおかげで、中等部も再開できたようね」

 しかし冷静になることで、違和感にも気が付いた。イレイザーの件は一度も話したことがないにもかかわらず、この姉は、やけに事情に精通している。

「身代わりになって自分が汚染されようなんて無茶、二度としないで。こんな戦い方を続けていたら、持たないわよ、輪」

「……姉貴? なんで、そんなことまで知ってんだ?」

「そりゃあ、ねえ」

 姉の額ににょきっと角が生えた。

「私たち、地獄の死神だもの。正確には死神と人間の子、ね」

「えええっ?」

 輪は飛び起き、自分の身体が何の変哲もないことを、念入りに確認する。

「お父さんはね、罪人の魂を地獄に連れていって、浄化するっていうお仕事をしてるの。そのお仕事で、罪人だったお母さんと出会って、恋に落ちたわけ」

「は、初めて聞いたぜ? そんな話……」

 イレイザーとして特異な能力は、どうやら父親譲りのものらしい。

「死神には、人間の魂に干渉する力があるわ。あなたは無意識のうちにそれを使って、罪人の魂から、悪意だけを引き剥がすことができたの。身代わりになる形でね」

「待ってくれよ? じゃあ、オレのアーツが弱いのも?」

「お察しの通り。もともとアーツは人間用に調整されたものだから、死神のあなたには不向きなのよ。わかったかしら?」

 父親の『死神だ』という冗談は、本当だった。

 つまり真井舵輪は死神と人間の間に生まれたことになる。

「……知らなかったぜ」

「そろそろ話そうとは思ってたのよ。イレイザーにもなったことだし」

 中学三年生という時期の転校を、姉があっさり認めてくれたのも、このためだろう。

「輪、あなたは多分、現状で唯一『フロアキーパーになった人間を救える』イレイザーだわ。手遅れなパターンも多いでしょうけど……」

 地下街でも、N中学でも、そして今回の旧校舎でも、輪の死神としての力が、フロアキーパーと化しつつある罪人を救っている。

 まだ実感はないものの、納得はできた。自分には特別な力がある、と確信することは、それが自惚れであれ、容易い。

 そんな自惚れをさせまいと、姉は釘を刺すように弟に言い聞かせた。

「でも、もっと上手にできるようにならないと。次も成功するとは限らないのよ?」

「……ああ。危ない橋を渡ったんだよな、オレ」

 地下街の件に続いて、今回も助かったのは、あくまで運がよかったに過ぎない。

 蘭は輪の頭を撫でながら、窓の外を見遣った。秋の陽は暮れつつあり、街は赤みの強い橙色に染まっている。

「学園祭もそろそろフィナーレね。後夜祭には行ってみたら?」

「そうだな。ちょっと行ってくる」

 まだ身体を休めていたい気もしたが、年に一度の学園祭を、最後まで寝過ごしたくもなかった。留守を姉に任せて、輪はケイウォルス学園へと赴く。

「ふう……」

 身体を重たく感じるのは、カイーナで身代わりとなった後遺症だろう。

 夕方になったことで、出し物は店じまいとなり、客も帰り始めていた。誰のものとも知れない風船が、夕暮れの空へと吸い込まれていく。

 あとは生徒のための後夜祭を残すのみ。

高等部のグラウンドで薪がくべられ、やがて大きな炎が灯った。夜の色に染まった周囲を明々と照らし、恋人同士にはもってこいのムードを盛りあげる。

しかし恋人がいるはずもない輪は、適当に座って、炎を見詰めるしかなかった。

「終わっちまったか、学園祭」

思い入れに欠けるのも当然だった。真井舵輪はまだケイウォルス学園に転入してきたばかりで、高等部に進学できるとも限らない。今夜だけのキャンプファイヤーを眺めていると、ここに自分の居場所はない気もする。

(普通の人間じゃなかったんだな、オレ……)

ショックではないはずもなかった。父親は地獄の死神であり、その血が自分にも流れている。イレイザーとして特異な存在だったのも、『人間ではない』ためだった。

とはいえ、悲壮感に明け暮れるほどでもない。自身の出生に驚愕するわけでもなく、輪は淡々と真実を受け入れつつあった。

「……輪?」

ふと、馴染みのある高等部生に声を掛けられる。

一之瀬閑は輪の隣で腰を降ろし、同じキャンプファイヤーを何気なく眺めた。

「やっぱり輪だったのね。具合のほうは、もういいの?」

「心配かけちまったよな、悪い」

「まったくよ。みんなにも謝っておきなさい、ね」

 茜色の炎が揺らめき、火の粉を散らす。

 男女のペアはデート気分に浸っているようだった。輪と閑も、傍目には初々しいカップルに見えているのかもしれない。

「あーあ。結局、輪をうちのクラスに招待できなかったわ。黒江も待ってたのに」

「来年は一番に行くって。高等部、受かったらの話だけどさ」

 とりとめのない話題にも充実感があった。相手が閑だからこそ、些細な一言に親しみを感じ、自惚れそうになる。

 閑は輪と目を合わせず、キャンプファイヤーに向かって、呟いた。

「ねえ……あなた、前に地下街でラーメン食べた時、言ったでしょう? オレはこのラーメンのために戦ったのかな、って。今回はどうかしら」

 輪も炎を眺めながら、独り言のように答える。

「そうだな、学園祭のため……いや、そんなにまだケイウォルスに愛着はないか」

 残念ながら、自分にはイレイザーとして特別な才能があるわけではなかった。学園生活を犠牲にしてまで戦えるほどの使命感も、持ち合わせていない。

「謙遜しないで。あなたは学校を守ったのよ、輪」

 それでも、学園祭が無事フィナーレを迎えることができたのは、輪たちの働きがあってのことだった。閑が輪の手にそっと触れ、労ってくれる。

「あなたはきっと強くなるわ。イレイザーとしても、男の子としても……」

「し……閑?」

 俄かに胸が高鳴った。いつしか、閑の瞳は輪だけを映している。

「そりゃあ、ちょっと……女の子のパンツが好きだったり、情けないところもあるけど」

「はっきり言わないでくれよ。そのへんは自覚してるんだ」

 しかし恋仲というほど盛りあがることもなかった。

あくまで輪のほうが閑に憧れているだけの、一方通行の関係が悔しい。

「上手くいかねえんだよな、こういうの」

「……輪?」

 子どもの頃は淡い恋心を優希に抱き、本人に見透かされたこともあった。同じように閑にも勘付かれている気がして、押すに押せない。

「まあいっか。高等部に入ってからで」

「さっきから、なんのこと?」

 閑と語らっていると、恐ろしい気配に背後を取られた。

「ふぅん……ほんっと、閑さんには素直なんですね、ダーリンくん」

 澪が腕組みのポーズで仁王立ちとなり、輪を見下ろす。その傍らには優希もいて、不満そうに頬を膨らませた。

「ちゃっかり閑ちゃんにだけ、声掛けてたんだ?」

「ち、違うって! 閑に会ったのは偶然で」

 輪は慌てて立ちあがり、閑も真っ赤になって、かぶりを振る。

 その一部始終は黒江によって撮影されてしまっていた。

「閑の鈍さも問題……」

「感心しませんわね、閑さん。ダーリンさんは高等部に入学次第、わたくしの従者となりますのよ? 独り占めは許しませんわ」

 沙織までやってきて、第四部隊のメンバーが一堂に会する。

「独り占めだなんて、わたしはそんなつもり……」

「だーりんが学校に来てるって、お姉さんに聞いて、走ってったくせに?」

 美少女たちは嫉妬を燃やし、ひとりしかいないダーリンを取り合った。黒江に続いて、沙織も閑の独断専行を追及する。

「認めたらどうですの? 開きなおるほうが、まだ健全でしてよ」

「みんなにも言っとくけど、ダーリンちゃんはボクのなんだからねっ?」

 優希は輪の右腕にしがみつき、柔らかい曲線を大胆なくらいに押しつけてきた。

 対抗してか、左腕には澪が、あくまで控えめに抱きつく。

「あ、あたしだって、ダーリンくんとは同じ……ごにょごにょ」

「えー? 澪ちゃん、よく聞こえな~い」

「でっですから! あたしだけダーリンくんと同じ学年で! クラスも一緒で! クラスメートも勘違い……じゃなくて、公認の仲なんですっ!」

 優希に煽られ、澪のアプローチも過熱する。

 しかし輪は喜べなかった。彼女らの差し迫った思惑を知っているために。

「なあ……オレと仲悪いって認定されたやつが、パンツ提供する羽目になるから、そんな必死に押しまくってくるんだろ?」

 その真相がある限り、美少女に迫られたからといって、盛りあがれるはずがない。

「ご、ご存知でしたの?」

「愛煌司令に聞いたんだよ。お前らの様子がおかしかったからさ」

 図星を突かれたように、皆が硬直した。

 ところが閑は赤面しつつ、もじもじと指を捏ね繰り合わせる。

「わ……わたしはいいわよ? ダーリン。ほ、ほら、ヒーラー系のスペルアーツも使えるようになるんだし? この前はびっくりしちゃったけど」

「は? し、閑……?」

 まさかの切り返しに、輪は目を点にした。

 澪が前のめりになって、ライバルと火花を散らす。

「あっ、あたしのパンツのほうが使えます! ほとんど防御一辺倒のヒーラーより、マジシャンのほうが役に立ちますから!」

「ちょっと、ちょっと? ダーリンちゃんにぴったりなのは、ボクのパンツ!」

 優希まで参戦し、争奪戦の様相を呈し始めた。

 沙織や黒江も引くに引けないらしく、対抗してくる。

「ま、まあ? 戦力増強のためでしたら、わたくしもまんざらでは……」

「前衛タイプより後衛タイプのほうが、使える。だーりん……私のパンツ、どお?」

 そこへ司令の愛煌=J=コートナーがやってきた。会話の一部を聞いていたようで、引き攣った顔に、軽蔑の表情を浮かべる。

「真井舵、あなた……いつも女の子と、こんな話してるわけ?」

「げっ? 待った、誤解しないでくれって!」

「はあ……わかってるわよ。パンツエクスタシーの件で揉めてるんでしょう」

 愛煌は第四部隊の女の子らを一瞥し、溜息を交えた。

「よかったじゃないの。全員、真井舵にパンツを提供ってことで、まとまったみたいで」

「え? し、司令、そういうわけじゃないんです!」

 閑に対抗したために、澪や沙織は墓穴を掘った形になってしまう。

 愛煌の言葉はどこまでも冷淡だった。

「次は、まだ被ってないメンバーのパンツになさい。二景か、三雲か……ああ、データとしては、三雲か四葉がいいわね。スキルアーツが強化されそうだし」

「そんな……わたくし、心の準備が……」

 キャンプファイヤーの薪が、炎の中で崩れ落ちる。

『ただいまをもちまして、第三十一回、ケイウォルス祭を終了いたします』

 学園祭も幕を降ろす時が来た。まばらな拍手が夜空に響く。

 輪は肩の力を抜き、閑と一緒に月を見上げた。

「終わっちまったか」

「……二日目は残念だったわね」

「そうでもねえよ。内部試験、頑張ろうって気になった」

 終わってみれば、無性に寂しい。一日目しか参加できなかったことも、今になって悔しく思えた。だからこそ、来年は高等部生としてリベンジを果たしたくもなる。

 キャンプファイヤーの残り火で、閑が頬を赤く染めた。

「頑張ってね、ダーリン」

「お、おう! ……あいたっ?」

 ガッツポーズで意気揚々と応える輪の背中を、優希と澪が抓る。

「ダーリンちゃん! 閑ちゃんにばっか、いいカッコしない!」

「受験勉強はあたしと一緒ですよ、ダーリンくん」

 恋人候補らとの学園生活に、ダーリンは一抹の不安を禁じえなかった。

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